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Full text of "Heike monogatari, Hogen monogatari shinshaku : tsuketari Heiji monogatari"

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Presented to the 



LIBRARIES of the 
UNIVERSITY OF TORONTO 
by- 
Mrs, Mavis Stonefield 
In Memory of 
Mr. Kohzoh Ishida 
Stonefield 



Digitized by the Internet Archive 
in 2010 with funding from 
University of Toronto 



http://www.archive.org/details/heikemonogatarih008800 



文 

ネ i 
發 



# 平 
元 家 

物 物 
語 語 

新 



ヰ 

語 



CHENG VU TUNG LA^i : ぶ"" L:BiUK、 
University of Toronto Library 
130 St. George Street 
8th Floor 

Toronto. Ontario, Canada M5S 1 八 《^ 



一 平家物語 は 崇德院 の 長 元元 年から 後堀河 天皇の 嘉祿ニ 年の 顷迄約 九十 五 年 問に 於け 

る 平家の 盛衰 興亡 を 記した 軍記物語 である。 平家物語に は 多くの 異本が あって 卷數も 

亦 一 定 しないが 流布本お 十二 卷ご 別に 灌頂卷 が ある。 

作者に 就いては、 信 霞 前 司 行 長: 葉 室 大納言 時 長 等の 說が あるが、 何れも 確証が な 

い。 蓋し 一 人、 二人の 手に なった もので は, な く f 3 て、 數 人の 手に 依って 漸次 增補 させ 

られて 行った もので あらう。 

文章 は 和漢 混淆 文の 上乘 なる もので、 一 或は 飽麗 優雅、 或は 雄渾 $Q 勁、 而も 到る 所に 

七五調 名の 文句 を揷み 頗る 音樂的 諧調に 富んで ゐる。 



保 元 物語 は, 鎌 八お 時代に 現れた 軍記物語で、 三卷、 三十 七條 から 成り、 保 元の 亂の II 末 を 文舉的 潤色 を 加 

へて 錢っ たもので ある。 

保 元の 亂の 起り は、 鳥 羽 法皇の 後、 崇德 天皇が 卽 位せられ たが、 法皇 は 寵妃美 福 門院の 勸め によって、 や I 小 

德 天皇 を廢 して、 美 福 門院の 御腹で ある 三 歳の 近德 天皇 を 位に ぉ卽 けにな つた。 然るに 近德 天皇 は 御 年 十七 

歳で 崩御せられ たので、 崇德 上皇 は ひそかに 御子 重 仁 親王が 御 位に 卽 かせられるべき も Ci と 思し召して ゐら 

れた ところ 法皇 は 叉美薩 門院の 勸 めに 依って、 上皇の 御 弟の 後白河 天皇 を 御 位に 卽ち 給うた。 上皇の 御 心に 

平 かで あらせられなかった J たまく 左大臣 藤 原賴長 は 兄の 忠 通と 仲が 惡く、 互に 權カを (サ つて ゐ たので、 

上皇 を勸 めて 謀叛 を 起さし め 奉り、 自分が 權カ を專ら にしようと たくらんで ゐた。 保 元元 年 七 cr: 法皇が 崩御 

せられて、 上皇 は 遂に 白 河 殿に 移り 給 ひ 諸將を 召し集められた。 上皇の 御所に は 源爲義 が、 爲朝等 四 人の子 

供 を 引き連れて 參り、 天 皇 方に は 爲義の 長男の 義 朝が 參 つた。 實に 兄弟、 父子の 合戰 である。 官軍 は篛 朝の 

議に 依って .01 河 殿 を 夜 討した.^ 院方 はよ く 防いだ が 遂に 官軍に 火 を かけられて 敗れ、 上皇 は 仁 和 寺に 入った 落 

飾し 給 ひ、 賴長は 落ち行く 途中 流 矢に 中って 死し、 爲義 等親 子 は 一 旦 逃がれ たが、 爲義】 人 は 義朝を 賴んで 降 



つたが、 後 遂に 斬られ、 爲朝は 伊豆 大 島に 流され、 上皇 は讃 岐に遷 され 給 ひ、 遂に その 地に 崩 ぜられ た。 

0,- 元 物 吾 は 後白河 院 の御卽 位に 始 つて、 崇德院 の 御 謀叛、 白 河 殿の 夜 討、 爲義の 最後、 3 お 德院の 遷幸 等 を 

叙し、 爲 朝の 最後に 終って ゐる。 作 中の 中心人物 は 大體爲 朝で ある 

作 ギヨ こ 就いては、 葉窒 大納言 時 長說、 中原 帥 梁說、 源喩 僧正 說 等が あるが、 何れも 確設 はない Q 

文章 は 漢語、 怫語を 多く 交 へ て、 文勢が簡^^で遒勁でぁる。 



平 治 物語 は 鎌倉時代の 軍記物語の 一 つで、 平 治の 亂を 主題と した もので、 三卷 三十 七條 から 成り、 各條 

に は 事 書の 題目が 附 して ある。 その 形式. 內容雨 方面から 見て、 保 元 物語と 類似 點が 多く, 作者 も 保 元 物 

語と 同様に、 葉窒時 長說、 中原 師梁 說、 源瑜 僧正 說が あるが、 何れも. 1 證 はない。 

この 物語の 梗概 はかう である。 後白河 上皇の 院政 中で ある。 こ、 に 藤 原 信賴 と- U ふ ものが めって、 す こ 

ぶる 上皇の 寵を 得て、 近衛 大將を 希望した。 然るに こ、 に 叉 入道 信 西と 云 ふ 者が あって * これ は 後. H 河院 

の 御 乳母 紀伊 二位の 夫で、 中々 權威が あった。 信頼と 信 西と は大變 仲が 惡 るかった。 上皇が 信頼の 近衛 大 

將の 希望の こと を 信 西に 御 相談に なった ところが、 信 西 はさん.,、 V 信頼 を惡く 云って、 それに 反 f- し广 

それ を 信賴が 聞き出して、 遂に 院 中に 出仕 もし なくなった。 そして、 保 元の 亂以來 とかく 不平 を 抱. -てゐ 

た源義 朝と 相 結 托して 時機 を 窺って ゐた。 ニ條 天皇の 平 治 元年 十二 四日に、 淸 盛が その子 重 盛と 共に 熊 

野に 參詣 した 留守に、 信賴 .篛 朝 は 俄に 兵 を擧げ て、 九日の 夜、 院の 御所 三條 殿に 押し寄せて、 院も 主上 

裏へ 幽閉し 奉った。 そして 信頼 は 希望 通り 勝手に 大臣 大將 となり、 篛 朝を播 磨の 守と した。 信 两は逃 

れて宇 冶 田 原に 隱れ 仁が、 探し出されて 殺された。 六波羅 から 急 便に 依って、 淸盛 はこの 變を 聞いて * 參 

詣を 遂げないで * 十日の 曉歸 京した。 淸 盛の 謀 を 以て 主上 は 六波羅 へ、 院は仁 和 寺へ 逃れ出 でられた。 信 

頼 義朝等 は 三千 餘騎を 以て 內裏を 防ぎ、 陽 明. 待 賢 • 郁芳の 諸 門 を 守って ゐた。 淸盛は 皇居に 主上 を 守護 

し 奉った が 重 盛 は 待 賢 門で 先づ 信頼 を 華 破して 入り、 大 庭の 掠の 木の 下まで 攻めつ けたが、 義 朝の 子義. T 

が 名乘り 出て、 掠の 木 を 中に 立て、, 左 近の 櫻- 右近の 橘 を 七 八 度まで 追 ひ 廻して • 遂に 舉 退した。 頼^ 



は 郁芳 門へ 向った が義 朝の ために 破られた。 源氏 は 六 波羅に 攻め寄せ たが 遂に 耽 北して • 關 東に 降って- 

擧を 計らう として 別々 に 落ちて 行った。 信 賴は義 朝に 拾 てられて • 仁 和 寺に 至って 上,: に賴 つたが、 遂に 

平氏の ために 殺された。 義朝は 譜代の 臣 である 尾 張の 長田忠 致に 頼って 行った が、 忠 致の 心變 りに 依って 

永曆 元年 正月: 二日の 夕、 湯殿で 殺された。 義平は 都に 立ち 歸 つて 淸盛を 狙って 一 つたが、 捕 はれて 斬られ 仁- 

賴朝も 捕 はれて、 斬られる ことに 定 つて ゐ たが、 淸 盛の 糰 母池禪 尼の 慈悲に 救 はれて $ ^豆に 流された。 義 

朝の 常 の 三人の 子供 は 母が 淸 盛に 籠され たので 死 を 免れた。 その 中の 牛 若 は 奥州に 下つ, たが、 やがて 

賴 朝が 平氏 討 減の 兵を擧 げたので 出て 一 所に なつ vi。 頼 朝 は 池の 禪 尼の 子 頼 盛 以外の 平家の \ 々を 悉く 亡 

し 又 父 を 殺した 長 田 父子 をも誅 して 父の 仇 を 報じた。 

以上が この 物語の 梗概で あるが、 平 治の 亂だけ を 描く の を 目的と したならば 後の方の 記事 は 不必要な も 

ので ある。 しかし 大體 から 云って- この 物語 は 源氏に 1® 負した 書き方で あるから, 平 治の 亂 だけで は 作者 

に不滿 足に E 心 はれた もので あらう。 

文章 は 保 元 物語と 大體 同様で, 漢語 *佛 語が 多く • 全體の 文勢 は 簡素に して 逍勁 であり、 所々、 七五調 

をな す 語句が おして ゐ るが、 同じ 時代の 軍記物語の 一 つで ある 平家物語 に比べる と:^ 趣に 缺 けて ゐて遙 に 

劣る。 



五 



七 五 五 四 四 四 三 ニニ : 二 • 

一七 三 七三 〇 五三 〇 六 二 〇 七 四 一 



平家 物 語 

一 、職 園 精 舍 … … : 

二, 殿上の 闇 討 :…… 

三、 その, 4- ども (驢) 

四、 禿 童 ……: 

五、 我 身の 榮花 ……: 

六、 鹿 の 谷 ……: 

七、 行 綱の 返 忠 :.:: 

八、 重 盛の 敎訓 :.…. 

九 • 新 大納言の 流され …: 

10、 新 大納言の 死去 :.:.. 

二、 許 文 ……- 

三、 足 摺 :.:: 

一一 一一、 少將都 還 :.:; 

5. 有 王が 島 下り …:: 

lir 高 倉宮の 謀叛 . …… 



— ― — • — - — • 

一 夕し ノ"^ 、 "i^ 

忠 入 富 月 都 信 

度 道 連 

の 士 

都^ 合 
落 去 川 見遷戰 



ニニ、 那 須の與 一 

ニー 一一、 先帝の 御 入水 

二 3、 小 原 御幸 



〇 〇 〇 八 八 ,乂 七 

八 四 九 71 〇 九 五一 三 



1 後 白; め院御 即位の 事 

ニ新院 御 謀反の 梨 …… 

三 新 院爲義 を 召さる 事 

四 新院 御所 各 門々 固附軍 評定の 事 …:. 

五 主上 三條殿 行幸 附官 軍勢 ぞろ へ の 真- 

六 義朝白 河 殿 夜 討の 10 

七 ,:: 河 殿^ 落す 事 

八 新院. 左 府御沒 落の 事 

九 爲義 降參の 事 

一 Si 朝 幼少の 弟 悉く 誅 せらる、 事 …: 

二 爲朝生 捕 遠 流の 事 

一二 爲朝 最後の 事 



nn 次 rat 

平 治 物語 一 

丄 

1 、 信 賴信西 不快の 事 二 四 七. 一 

二、 信 頸. 謀反の 事 " …: 二 五 九つ 

三. 院の 御所 夜 討附信 西が 宿所 境き 拂ふ事 二 六 一 ニー 

四、 六波羅 より 早 馬 を 紀 州 に 立 て ら る 、 事 一 一六 七 一 

五、 光賴ノ 卿の 參內の 事 二 七 二" 

六、 待 賢 門軍附 信頼 沒 落の 事 二八 ニー 

七、 義朝六 波羅に 寄す 並賴 政の 心 替の事 三 〇 三 j 

八、 義朝 敗北の 事 三 〇 七 一 

九、 信 賴降參 の 事 並 最後の 事 三 一 八; 

1」、 常 盤 註 進 並 1^ 西 子息 各 遠 流 に 處 せ らる、 せ-お 三 一 一四 一 

二、 義朝靑 墓に 落ち 著く 事 三 二 九 一 

三、 惡 源 太^せら る > 事 三 三 四 一 

一一 一一、 頼 朝 遠 流に 定めら る 事 三 三 九 一 



目 次 終 一 



平家物語 



1 盛な 者 は 

必ず 衰へ、 奢 

る 者 は 久しく 

ない 例證 とし 

て 支那、 本朝 

の 事 赏を舉 

げ、 最後に 



I、 祇園 精舍 



樣の甚 しかつ 

たこと を 云 ふ 



ぎ 園 精舍, の 鐘の 聲、 諸行無常の 響 あり。 沙羅 雙樹の 花の 色、 盛者 心衰の f を 顧す" ^れ る者久 

しからす、 ただ 春の 夜の 夢の 如し" 猛き入 も. 疼 一に は 滅びぬ、 偏に 風の 前の 塵に 同じ。 遠く 異朝 

てう かう わう *< う し うい ろく ざん 

をと ぶら ふに、 秦の趙 高漢の 王芥、 梁の 伊周、 麼の祿 山、 是等は $i 舊キ: 先皇の 政に も從 はす、 

樂みを 極め、 諫をも 思 ひ 人れ す、 1K 下の 亂 れんこと を も 悟らす して、 民^の^^ふることを知ら 

ざり しかば、 久しから すして {3 じに し 者 共な り. - 近く 本朝 を 窺 ふに、 承 平の 將門、 灭慶の 純 友 

康 和の 義撒、 平 治の 信賴、 是等は 奢れる こと も、 猛き心 も、 皆と りくな りし かど も. 近く 

は、 六 波羅の 人道 前. 太 政 大臣 朝臣 淸盛 公み 中し し 人の 有様 傳へ 承る こそ、 心 も詞も 及ばれね 

6 〇^ 園精舍 西曆 紀元前 五 世紀 頃、 中 印度 舍衛國 にあった 寺の 名で、 釋迦 が說^ したと いふ。 〇 敏 

の聲 圜精舍 の 中、 1^ 僧 を 置く 無常 堂の raira に 在った 錡が、 僧の 臨お の 昨に は C 然に 鳴って、 |« 

^經 にある 「諸行無常、 是生 滅法、 生滅々 已、 寂滅 爲樂」 の ra: 句 を _ おき: H し 病^が 之を閒 くと ネ" が 忽ち 

去って、 安らかに 淨 土に 往生した とい ふ。 〇 諸行無常 前 出 〔、お I- にある 四 句の 第一 句。 一切 3 离物 

i 園^ 舍 一 



がすべ て 生:^ 變遷 して 住の たいこと。 沙羅雙 街 沙羅は 龍^ 香料の 1^ 木。 雙樹に 叫 方 ニ株づ > - 

都合 八本 雙 生して ねる こと。 昔、 印度の 拘 尸^^ 外の 跋提 河畔に あって、 釋迦が この 樹の 下で 入滅し 

た 時、 この 樹が 枯れて 白色に 變 じた-いふ。 〇 盛者 必衰 盛な 者 は 必ず 衰 へる。 〇 春の 夜の 夢 

その はかない ことの 喻。 風の 前の 塵 おいこと のな J。 〇 異朝 國。 こ、 は 支那。 〇 秦の趙 

高。 秦の始 皇帝 9 臣。 始皇 帝の 崩 後 二世 皇帝 を 立て 、專橫 を 極めた が、 51:.、 わなく 三世 子 嬰の ため 

に 殺された。 〇漢 の王莽 前漢成 帝の 后の 父。 二 歲の穩 子 嬰 を 立て、 國政 を^ら にし、 後 之 を 接し 

て 自ら 帝位に 卽 いたが、 間もなく 諸侯の 爲に 殺された。 〇 梁の 周 伊 朱 弁の 認 であらう。 梁の 武帝 

の臣 で、 阿諛 を 以て 君寵 を にした が、 後、 王に 咎められて 憤死し Iko 〇 唐の 祿山 安 祿 山の こと 

玄宗 皇帝の 寵を 被リ、 後、 叛 して 自ら 大燕 皇帝と 稱 したが、 間もなく 其 子慶 緒に 殺された。 〇 本朝 

わが 國。 〇 承 平の 將門 平將 門。 天慶ニ 年、 武 fj^ 樓 守與世 王と 謀つ て、 下 s-n 猿 島 郡 石 井 瑯に偽 

宮を 造リ、 自ら 新 皇と稱 したが、 翌 三年- 平貞 盛の 爲に 亡ぼされた。 〇H< 鹿の 純 友 天慶二 年叛し 

て 南海、 山陽 を 劫掠した が、 小 野 好古- 源 經基詔 を 奉じて 之 を 捕へ、 首 を 京都に 送る。 cm 和の 義 

親 源義 家の 二 男。 康和 年中、 對馬 守と ひって 鎮 :3 に 横仃 したので 隱岐國 に 流された が- 〈11 上 出 it に 

止って 目 代 を 殺し、 官物を 掠奪した ので、 嘉. お 二 年、 平 正 盛お を 奉じて 討つ" 〇 平 治の 信賴 m.^ 

忠隆の 三男。 平 治 元年、 十二月 九日 夜、 ニ^: 大皇、 後白河 上皇 を 宮中に 幽閉し、 自ら 大 E 大將 となつ 

たが、 間もなく 平淸盛 等に 亡ぼされた。 〇 とリ /,、.\たリ しか ど め い/ \ その 特點. にある が、 何れ 

も 権勢 を專ら にした が。 〇 六 波縝の 入道 前の 太 政大は 平^盛 3 稱號 六 波 緩に 京都 為 ..fasfwl 方 六 

波糴密 1! ザ 以南 一 帶の總 名。 平家 代々 の et. 乇の 在った 所。 入道 は佛 門に 入った 者の 稱。 前の 太 政大! d 

と は iis 盛 は 仁 安二 年 二月 十 一 日 太 政 大臣と なリ、 同; 月 十七 日 辭任。 〇 朝臣 姓 ハカ パネ )2 名稱" 

古、 中 印^ 舍衛國 にあった?^. 圜精舍 中の 無常 の 鐘の i- にに 一 切の 萬 物 は 悉く 生滅 UK 轉 して 常住 了る 



9 平氏の 家 

系に 就いて 述 

ベ、 人臣に 連 

つて 以來 l^T 盥 

の, m 父 正^ ま 

では 殿上の 仙 

籍も 許されな 

かった の で あ 

る こと を 注意 

した e 



ことが な い こと を 告げる 響が ぁリ、 又跌提 河畔の 沙羅 雙樹は その 下で 释 尊が 入滅 せられた 時に すつ か 

り 枯れて しまって、 盛な 者 は 必ず 衰へ る w.^ 现を 示した。 驟る. * は 久しく つづかない。 そわ は 4*; く 春の 

类 しい 夢の やうに 短く、 果敢ない もの だ。 勢の 盛な 者 も 終 ひに は 亡んで しま ふ。 それ は 令: く 風が 吹く 

前の 塵の やうに 貸に 脆い もの だ。 遠く 支那の 例 を 調べて 見る に、 泰の趙 高、 漢の 王莽、 梁の 伊、 唐の 

祿山 これら は 何れも 昔の 世 を 明に 治めた 天子の 政治に も從 はないで、 樂 しみの 限り をつ くし-人の 忠 

告を も, おく 考へ て 見ず、 世の中 2 亂れる ことに 氣 をつ はず、 又 暴政の ために 人 が jii! しむ こと も考へ 

なかった ので、 政攉 を專ら にしても もな く 亡びて しまった 者 どもで ある。 近く わが 國の例 を るに 

承 平年 間の 將門 や、 天慶の 時代の 純 友、 康 和の 時の 義親、 それから If 治 年間の 信頼^ は 駭リを 極めて 

こと も、 勢力の 盛な 心 も、 何れもめ いく その 特點は Bs! ハ なって なる が、 その 中で も、 最近 e は 六波縱 

の入逍 前の 太 政 大臣の 朝臣 淸盛 公と 申し上げた 人の 榮 華の 有樣を 傅へ 閗 くに ク! ^に 想像 も出來 ず、 11R 葉 

にも 述べ 難い である。 



その 先祖 を 尋ねれば、 桓武 天皇の 第 a の 皇子、 一口 E 式部 卿 葛 原の 親王 九 代の 後胤、 諧岐の 守- ル 

盛が 孫、 刑 部卿忠 盛の 朝臣の 嫡 なり かの 親王の 御子 高視の 王、 無官 無位に して 失せ 給 ひぬ 

たかち ち しゃう こつ % な 

その 御子 高 望の 王の 時、 始めて 平の 姓 を 賜 ひて、 上總の 介に なり 給 ひしょり 以來、 忽ちに 王 氏 

よし もち <-s 

を 出で て 人臣に 連なる。 その子 鎭守府 將軍義 茂、 後に は阔 香と 改む。 1?^ より-. i;^ に 至る まで 

六 代 は 諸 闘の 受領たり しか ども、 殿上の 仙 籍をぱ 未だ 許されす。 

6 〇 一品 親王の 位階 w 品 中の 最高 位。 〇 式部 卿 式部 翁の 長せ、 四 品 以上の 親王 を 以て 任ずる のが 

例であった。 〇 お 原 親王 i5 武 天皇の 第三 皇子で ある。 第五と ある は, 認リ であ 、リラ。 -C 親王 X 

皇の 御兄弟 皇子 皇女の 尊號。 〇 九 代の 後胤 九 代 目の 子孫。 〇 譜岐守 ^岐 の^ 守 。守 は!: 司の 

閬精舍 111 



1 忠 盛は備 

前の 守で あつ 

た 時、 鳥羽院 

の 得 長 壽院及 

三十 三 間 堂 を 

造 進した 功に 

依つ て伹 馬の 

國を賜 ひ、 且 

つ 昇殿 を 許さ 

れ たので、 雲 



長官。 〇 刑部郷 刑 部 省 長官。 司法裁判の 事 を 掌る。 〇^ 男 正妻の 生んだ 長男。 〇 高視王 

高見 王が 正しい。 王 は 皇子 皇孫の 通稱。 上^ 介 介は國 司の 次官。 〇 王 氏 皇族の こと。 〇 敛 

守 府將軍 鎮守府の 長官。 鎮守府 は聖武 帝の 顷、 陸 臭 出 羽の iBS: 鎭 撫の爲 めに 置いた, >ぉ。 義茂 

良 望が 正しい。 〇 受領 國守 のこと。 〇 殿上 淸凉 殿の 南 麻 殿上の間で 公卿 殿上人の 何 候す る 逸 

〇 仙藉 仙 は 禁中、 籙は簡 o ダ〕 のこと。 殿上の間に 昇る 資格。 

B 淸 盛の 先祖 を 調べる と、 桓武 天皇の 第五の 皇子の 一 品式部卿^»?原親王 ^-ら九代1111の子孫に當る讚岐守 

正 盛の 孫で、 刑 郃卿忠 盛の 朝臣の 長男で ある。 葛 原 親王の 御子の 高 視王は 官位が 無い ま >- で 亡くなら 

れた。 その 街 子の 高 望 王の 時に 始めて 平と いふ 姓 を 賜 はって、 上總 介に なられてから 以來、 急に 皇族 

を脫 して 臣下に なられた。 その子の 鎮守^ 將軍義 茂 は 後に 名を國 香と 改めた。 國 香から 正 盛まで の 六 

代 は 諸 國 の 受領であった が、 殿上に 昇る こと を まだ 許されなかった。 

二、 殿上の 闇 討 

然るに 忠盛 朝臣 未だ 備 前の 守たり し 時、 鳥 羽の 院の御 願、 得 長 壽院を 造 進して、 三十 三 問の 御 

堂 を 建て、 一 千 一 體の御 佛を据 ゑ 奉らる。 供養 は 天 承 元年 三月 十三 日な リ。 lir に は 闕闽を 賜 

ふ 可き 由、 仰せ 下されけ る。 折節 但 馬の 國の あきたり ける をぞ 下されけ る, 上皇^ 御 感の餘 り 

に內の 昇殿 を 許さる。 忠盛 三十 六に て 始めて 昇殿す。 雲の上 人 これ を猜 みいき ど ほり、 同じき 

年の 十一月 二十 三日, 五節 豐の 明の 節會の 夜、 忠 盛を閤 討に せんと ぞ議 せられけ る。 

〇 鳥 羽の 院 人皇 七十 四 代。 〇 御 願 勦 願に よって 建立 せられた 寺の こと。 〇 得 長壽院 京都 下 

京區瓦 町: sS にあった 寺。 造 進 造って 献る。 三十 三 間の 御堂 柱 間が 三十 一一 一 ある 佛殿。 〇 供 



の 上人が これ 

を 妬んで 忠盛 

を 闇 討しょう 

と 謀った。 



9 忠盛 はこ 

の こと を 聞 い 

て 、 參內 す る 

とかね て 用意 

した 大きな 箱 

i^- を 束 帶の下 

に 差-し 火の ほ 

の 1 日い 方に 向 

つて この 刀 を 

すらり 拔 いて 



養 佛に物 を 供へ て 冥福 を 祈る こと。 こ 》 は 新築 落成の 際に 行 ふ 法 <w !。 C 勸贫 後日 を 勸め勵 ます 

意で 賞す る こと 〇 闕國 國 守の 缺 員の 國。 〇 上皇 太 政 :大皇 の 略稱。 こ >- は 鳥 羽ト; &。 〇 內 

の 昇殿 內 裏の 殿上の間に 昇る こと。 〇 雲の上 人 公卿 殿上人の 稱。 〇 五節 十 一 月 中の 丑 

卯 • 辰の 四日に S リ、 五節の 舞姬を 中に 召して、 謦-明 節會に 五節の 舞 を 舞 はしめ られる 公事。 〇 登 

明節會 新 # 祭 の翌十 一月 辰 口、 天皇 その 年の 新穀 を 聞し 召し、 群臣に も 賜 はる 饗 

ところが、 忠盛 朝臣が まだ 備前 の國 守であった 時、 烏 羽 上皇の 勦 願 寺で ある 後- I^KIJ- 院を造 して 献リ 

又 三十 三 間の 御堂 を 建立して、 その 中に 一 千 一 體の御 像 を 御 安置し 中した。 その 落成の 法^ は 天 承 元 

年 三月 十三 日であった。 その 賞と して は國 守の 缺 員の ある 國を賜 ふとい ふ 仰せが 下った。 その 昨ち よ 

ら ど但 馬の 國に缺 員が あつたの を 賜 はった。 上皇 は 其 上 まだ 御 感心の あま リ 禁中の 界! S をお 許しに な 

つた。 そこで、 忠盛は 三十 六 歳で 始めて 殿上に 昇った。 この こと を 公卿 殿上人 達 は 嫉妬し W 慨 して、 

同年の 十 1 月 二十 三日の 五節 舞の ある 蟹: 明の 節會の 夜、 忠盛を 闇に 乘じ てだまし 討しょう と計截 せら 

れた 

忠盛 この. a を傳へ 聞きて、 われ 右筆の 身に あらす、 武勇の 家に 生れて、 八, 不慮の 恥に あはん こ 

と、 家の 爲、 身の 爲心憂 かるべし。 詮 する 所、 身 を 全うして に 仕へ 奉れと いふ 本文 ありと て 

かねて 用意 を 致す。 參 の始 より、 大きなる 鞘卷を ffl 意し、 灾帶の 下にし どけ なげに 差し ほらし 

火の ほの 暗き 方に 向って、 や はらこの 刀 を拔き 出いて、 髮に 引,^ r 當 てられた りけ るが、 < ふ 所よ 

り は 氷な どの やうに ぞ兑 えけ る, - 諸人 目 をす ましけ り。 又、 忠 盛の 郎等、 木 は 一 門たり し 平の 

V, ェの助 が 孫、 新の 三 郞大夫 家 房が 子に 右兵衛 尉 家 貞と云 ふ, ォ あり、" §w の 狩 衣の 下に- 

もよ VTI を どし つる 5 ぶら ズ わん:^ ゆ * 

萠黄 威の-腹 卷を 著、 敍袋 つけたる 太刀 脇 挟んで、 殿上の 小 庭に 畏 つて ぞ假 ひける" 貫主 以下 奇 

殿上の 闇 討 五 



六 



©^に引き(ぉて 

たリ して ひね 

くリ 廻して を 

リ、 郎等の 家 

JB: は 又 厳めし 

い 装束で 殿上 

の 小 庭に 畏っ 

て 候って, Q る 

この 成 光に 遯 

せられて その 

夜 闇 討 はたか 

つた レ 



み を 成して- うつぼ 注より 內- 鈴の 綱の 邊に、 布 衣 P 者の 候 ふ は、 何者 ぞ 狼藉な り J とう/、 

罷り出で よと、 六 位 を 以て 言 はせ たりければ、 家 Jif 畏 つて 申しけ る は、 相傳の 主の 倘 前の 守 殿 

0> 今_|^闇討にせられ給ふべき由承って、そのならん樣を見んとて、かくて候ふなり.- えこ そ 出 

づ まじと て、 又 長って ぞ候 ひける" 是等 をよ しなし とや 思 はれ けん、 その 夜の 問 討 無 かりけ り" 

6 右筆 文官。 C 詮 ずる 所 つまる 所。 〇 本文 據リ 所と なる 文。 〇s 鍔が たくて、 下げ 

緒で 卷 いて 腰へ 結びつける 長さ 八 九寸の 短刀。 〇 束帶 文肯 、武官の 公事に せお 川す る: 止 服。 〇 し 

どけ なげに しま リ ひく 無遠慮に。 〇 さし ほらし 前 下リに 指す こと。 〇n をす ましけ リ じつ 

と 見つめる。 〇 郎等 I や (來。 〇 一門 同族。 〇 木工 助 木工 寮の 次:: 2。 〇 左 衛門尉 左兵衛 

おの 判官。 (薄靑 薄い 藍色。 〇 狩 衣 もと狩の時に^^用したもの。 後、 貴族のせ服となった。 

C 萌黃威 萠黃 色の 絲で 鎧の 礼 を緩ぢ たもの。 〇 腹卷 腹に 卷き 背で 合す 一 稀の 鎧。 S 袋 皮 

又は 蔓 葛で 作った 環狀の もので、 太刀 をつ けて 下げる やうに する もの。 〇 太刀 衞 の 太刀で、 文 

官 佩用の ものよ U 大。 C 殿上の 小 庭 淸凉殿 殿上の間の 小板數 S 南に ある 磨。 主 藏 人頭の 

異稱。 〇 うつぼ 柱 中空の 柱で、 殿上 南端の 雨水 を 受ける 箱の 樋。 〇 鈴の 辚 ^上から お 人が 

人 所の 小 舍人を 呼ぶ 爲に 用ゐる もので、 殿上 の 間の 西の 柱から 校 香 殿 21 鹿の 蔵人 所に 引き して ある 

鈴の つい 1- 稱。 〇 狼籍 亂暴。 布 衣 無 紋の狩 衣。 〇 六 位 六 位 蔵人。 〇 相 傅の 主 父祖 

代々 仕へ て來た 主君。 〇 ならむ 樣 成り行き。 〇 是等 郎等^ 候の こと。 〇 よしな し 都合が 

惡ぃ。 

翳 忠盛 はこの 事情 を 人傳に 聞いて、 自分 は 文官の 身で はない。, いやしくも 武 をた つべき 家に 生れて、 

今: H 心 ひがけない 闇 討の 恥に 逢 はう として ゐ るが、 それ は 豕の爲 にも a 分:? 一 身の 爲にも 不倫: t の^ 



であ..:' ラ。 つまる 所 は、 「自分の 身に 少しの 害 も 乂 けずして 君に 仕へ たてまつれ」. とい ふしつ かりし 

た,!^|據の言葉がせ書にぁるから身を全ぅする外はな いと 思って、 前から その 用 <j お をした。 禁中に 參る 

と 直ぐ、 大きな 鞘 卷を用 して 十:: 人帶の 下に 誰 はばかる 所た く 前 下りに 人の 眼に つく やうに 差し. 火の 

ほの 暗い 方に 向いて すら リと靜 にこの 刀 を抆き 出して、 のと ころに ひき 常て、 リ れ た と こ ろ が 

髮の黑 いのに 映って、 余所から は 水 かな どの やうに 錢く 光って 見えた。 公卿! S 上人 等はぢ つと それ を 

見つめた。 又、 忠 盛の 家来で 昔 は 平氏と 同 族で あつ た: 牛の 木工 助 ^ 光の 孫、 新の :1; 郎大 夫. }^1:^ の 子の 

兵 衞尉家 貞と云 ふ 者が ある。 その 者が 薄 靑の狩 衣の 下に > 荫黃威の腹卷を?^9て、 ^袋 を けた 太刀 を 

しっか リと 腰に 差して、 殿上の 小 庭に 恭々 しく へ てゐ る。 袋 人頭 を 始めと して それ 以下の 人々 が怪 

. しく 思って、 「うつぼ 柱の あると ころから 內 側で、 鈴め 綉の 渡して ある あ たリに 5^ 衣 を 著た 杏が 控 へ て 

. ゐ るが 一 體 何者 だ、 そんな 處にゐ ると は 不法で ある、 早く 此ぉ? に 出て まねれ」 と、 六 位の 151 人に 霄 はせ 

たと こ ろが、 家貞が 恐れ入 つて し 上げる に は 「今 &、 わ が 父- 颯扣傳 の 主人 であ" ます 備. M の $ が閣 

討に せられな さる だら うとい ふこと を 聞きました ので、 そ の 樣子を I::!- ようと S ひまして、 そのお にか 

うして 控 へて を リ ます。 ことに 依って はお 役に立つ かも 知れません ので 斷 じて 出て 行く わけに はまん 

リ ません」 と、 又 そこに 恭々 しげに 控へ てゐ る。 この 忠 盛の 帶劍、 郞 等の 伺候 を て 都合が いとで も 

思 はれた の で あ 、り う か、 その 閣討は 無 かつ た 

三、 その子 ど も (鱸) 

しの ま Tf 

そ Q,!, 供 は 皆 諧衛 になる J 昇殿せ しに、 殿上の 交り を 人 3g ふに 及ばす。 かくて 忠』 烧刑部 卿 

になって、 仁 平 三年 正月 十五 日、 年 五十八に て 失せ 給 ひし かば 盛 摘 sf: たるに 依って その 跡 



忠 盛の 死後、 

^男の 済 盛が 

その 跡 をつ い 

だが 、保? 平 

治の 亂に功 を 

たてた 恩 貰に 

依って 次第に 

累進して 遂に 

太 政 大臣に 至 

つた a 



をつ ぎ、 保 元元 年 七月に、 宇治の 左 府世を 亂り給 ひし 時, 御? にて 先 を 懸けたり ければ、 勸賞 

行 はれけ り。 本 は 安藝の 守たり しが、 播 摩の 守に 遷 つて、 同じき 三年に 大宰 の大甙 になる。 X 

平 治 元年 十二月 信 賴*義 朝が 謀叛の 時 も、 御 方に て 賊徒 を 討ち 平げ たりし かば、 勳 功一 つに あら 

す、 恩賞 重 かるべし とて、 , ^、の 年 正三位に 叙せられ、 打ちつ にき 宰相 • 衞府の 俘 *撿 非違 使 Q 刖 

へ じょ-つし ょラ • 

當* 中納言 • 大納言に 經 上って、 剩へ 丞相 の 位に 至る。 左右 を 經 すして、 內大 はより 太 政大ほ 

11? フし A> れんしゃ 

從 一 位に 至り、 大將に は あらね ども、 兵 一?- を 賜 はって 隨身を 召 具す-) 牛車 *輦 率の 二旱 .s を 蒙つ 

て、 乘 りながら 宮中 を 出入す。 偏に 執政,: -臣の 如し d 太 政 大臣 は 一人に 師範と して、 四海に 儀 

刑せ り、) 國を 治め、 道 を 論じ、 陰陽 を や はらげ をさむ。 その 人に 非す ば 則ち か 1: よと い へり。 

則 闕の官 とも 名付けられたり。 その 人たら ではけ がすべき 官なら ね ども、 この 入道 相!: は 一 IK 

叫 海 を 掌の 中に 握り 給 ふ 上 は、 子細に 及ばす、" 

i 〇 諸 衞の佐 諸衛は 近衞府 • 兵衛 t^, 衞門府 の 總稱。 佐 は その 次. ぜ。 〇 刑 部 卿 刑 部せ 3 おせ。 司法 

裁判の 事 を 掌る。 〇 嫡にカ 正妻の IB んだ 長男。 〇 宇 治左府 藤原賴 .4^。 左府は 左大臣の 異稱。 

〇 世 を亂る 保 元の 亂を 起した こと。 〇 御 方 後白河 天皇の 御:^ 方。 〇 大宰 の大甙 築 紫の 大宰 

府の 次官。 〇 信賴 ,義 朝の 謀叛 平 治の 亂。 〇 宰相 參議の 唐 名。 朝ヴ 汉に參 fS する 者。 〇 衛^ 

の督 淸盛 は永曆 元年 右衛門 督 とたった。 督は その 長官。 〇 檢 非違 使 非 法 非 (:^ を:;?! お 小 5ii 明す る 職。 

〇 別當 その 長官。 〇 大納言 太政官 次:; n。 〇丞^5 大臣の 唐 名。 〇 內 大臣 左右 大臣の 下に 

在って、 大臣 不參の 時、 代って 政務 を 執行す る 職。 〇 大將 左右 近衛 大^の こと。 〇 隨身 上皇 • 

攝^, 大臣 ^言, 近 衞大將 • 中 將*衞 ^骨 等に 護衛のお に隨從 する 左右 近 衞府の 合 人。 K 身 は 弓箭 を も 



ち、 劍を帶 びる ので 兵仗と もい ふ。 C 牛車 牛に ひかせる 車。 〇ハぉ 車 人が 手で 膝の あた リに £^ 

げて舁 く 車。 〇 宣旨 勅旨。 〇 執政の 臣攝政 SIrtI の 異名。 〇 一人に 師範 一人 は 天子。 OS: 

海に 俸、 刑 天 F の 手本。 〇 陰陽 を や はらげ をさむ その 德が 高くて、 陰^の ニ氣も 和らぎ、 天下の よ 

く 治まる。 〇 その 人に 非ず ば 則ち かけよ それに 適 常の 立派な 人が ゐ なければ 無理に 任じないで、 

闕員 3 ま 、にせよ。 令 集 解 「無二 其 人 1 則 闕」。 〇 けがす その 器で もない のに、 その 位に: li^ る こと。 

〇 入道 佛 門に 入った 人。 〇 相國 太 政 大臣の 唐 名。 〇 仔細に 及ばず とやかく 與議 をと なへ る 

まで もな い。 

忠 盛の 子供 は 何れも 諸 衞府の 次官と なった。 そして 殿上に 昇った が、 誰 こそ 殿上人と しての 交 を 4* 

ふわけ に ゆかなかった。 そのうち、 忠盛は 刑 部 省の 長官と なった が、 仁 平 一一; 年 十五: r に、 ff- 卜 ,5^ 

で 亡くなられ たので、 淸 盛が 長男で あるから その 家 を JT さ、 保 元元 年 七月に 原賴 4r か 世の中 を かき 

亂 した 時、 淸 i^: は 後白河 天皇に 御 味方 申し上げて、 眞 先に 賊に 攻め入って 功を樹 てた ので、 Jpf せられ 

た。 本 は 安藝の 國 守であった が、 播 磨の 守に 轉じ、 更に 仁 平 一一; 年に 大宰府 の 次,. :11 こなった。 又、 卒カ 

元年 十二月、 藤 原信賴 と源義 朝が 亂を 起した p、 朝廷に 御 味方して 賊を 討ち 平げ たので、 その いさ 

ほし、 手 がら は I つで はない、 I 只-ヒー 度まで も 功を樹 てた ので、 重く その 功に 報 ひたければ ならぬ と 

いふので、 翌年 正三位 を與 へられ、 それから つづけざまに、 宰相 • 衛^の 督,撿 非? 迎 使の. 別 (;W5- 納 t:_J 

大納言と いふ やうに だん ^ せ 位が 上って、 その上 大臣の 位に たった。 それから、 右大 大にを 1^ 

ないで、 內 大臣から 直ぐに 飛び越えて 太 政 大臣 從 一 位に 至り、 大^^でもなく、 文せ の大 E だのに、 天 

子から 兵仗 を^ 戴して、 隨身を 召し 置いた。 そして、 牛15{-ゃ|^^^5^に乘りなが、しぉ中を出人することを 

許される 勅き を 蒙った。 その强盛さは全く攝政駙^!!と遠はなぃ。 一: 几來、 太政大 E は 天子の 御 師^で あ 

リ、 又 天下の 人 ほの 手本た るべき ものである。 そして、 國を よく 治め 人の 路 むべ き^を 叨 かこし、 そ 

の 德には 陰陽の ニ氣を SC 然と 和らぎ 天下 平らかに 治める 人で ある C それで、 適 常の 立派な 人がん なナ 

れば, 無理に 太 政 大臣に 任じないで、 闕官 のま >- でお けよ と 令 $1- 解に も 云って ある。 それで 太 攻大は 



10 

の ごと を 則 闕の官 とも 名付けて ある。 j 一河 盛 公 以外に はこの 官 に適當 した 人物 は,^ な、 と 

ではない が、 而し、 淸盛 公に 天下 全 體を自 八 刀の 思 ふま にす る ことの 出 來る人 だから、 

を稱へ るまで もた い、 何に 任ぜられよう とお^ 手 次第で ある。 



いふ ほどの 人 

と や かく 異議 



三、 禿 







8 涛骚は 病 

4^ に を かされ 

その 存命の た 

めに 出家した 

がその 後 も 荣 

耀は やま な い 

世の中の 人 は 

上 も 下, P 悉く 

平家に つき 隨 

い、 何事 も; 午 

家の さま を學 

んだ。 



かくて 淸盛 公、 仁 安三 年 十 一 月 十 I 日、 年 五十 一 にて 病に を f,, され、 存命の ためにと て、 卽ち 

出家 入道す。 法名 をば 淨海 とこ そつ-き 給へ。 その 故に や 宿 病 たちどころに 癒えて、 天命 を 全う 

す。 出家の 後 も、 榮 耀は猶 き やと ぞ 見えし。 おの づ から 人の 隨ひ 付き 奉る 事 は、 吹く 殿の 草 

木 をな びかす 如く、 世の 仰げる 事 も、 降る 雨の 國土 を濕 すに 同じ。 六 波 羅の御 一 家のお li とだ 

に 云へば、 華族 も 英雄 も、 誰 肩 を雙 ベ、 面 を 向 ふ 者な し。 又、 入道 相 aic- 小舅、 平 大納肯 時忠 

の 卿の 宣 ひける は、 この 一 門に あら ざらん 者 は、 皆 人非人 たるべし とぞ宜 ひける。 されば 如何 

なる 人 もこ Q 一 門に 結ばん と; てし ける。 鳥^ i^o- ためやう より 始めて、 1 ^"^のかき やうに 至る 

まで、 何事 も 六 波羅樣 とだに 一 K ひて しかば、 一天 叫 海 Q 人 皆 これ を擧 ぶ。 

1 〇 存命 病を瘛 して 生き 存 へる。 〇 出家 入道 ,刹髮 して 佛 門に 入る こと。 §病 年来の 疲 えな 

い C 的。 C 天命 壽命。 〇 公達 貴族の 子女の 稱。 C 華族 英雄 共に 攝 家に 次ぐ ひ r, 門。 〇 小 臭 

夫 又は 妻の 兄弟の 稱。 oief- 大納言 時忠 や; S 盛の 妻 時 子の 兄。 〇 人非人 人に して 人に .非 ざる 下賤 

の 者。 〇 烏 精子の ためやう 烏 精子の 折リ 方。 〇 衣 文の かき ゃゥ 装束の 折:; I の 付け 方。 



8 浩盛 は、 

十五 六の 禿の 

力 を 三 丙 人選 

んで京 中を徘 

徊さ せ 一 人 で 

も平家を誹る 

が ぁ る の を 

付ける と 相 

悶に 依って 一;: 凡 

童の 仲間が 第 

つて 來て その 

家に 亂 入して 

其奴 を 六 やひ 羅 



@ そのうち、 淸盛公 は 仁 安三 年 十 一月 十 一 日 五十 一歳の 時、 病に とリ つかれたので、 その Ifi^ のために 

早速 剃髮 した。 そして 法名 を^ 海と おつけに たった。 その 爲め であらう か、 長年の i^;^ も 即^に 快 

して 導 命 をと リ とめる ことが 出来た。 出家した 後 も 榮雜て はや はり 止めない やうに S はれた。 そして n 

然と 人々 の服從 してく る有樣 は、 ちょ-っど吹く風が^:;十ゃ木を廄かすゃぅで、 世!? の 人が 平家のお^ を 

蒙る こと" ちょ. ゥど 降る 雨が 土地 i 一様に. リ すのと M し ことで ある" 六&縱 に 住んで. <S る 平: 40 

1 族り 御子 女逹 だと さ へ 云 ふと、 華族で も 英雄で も 競^した リ封抗 した リ する * は 誰 一人たい。 乂、 

^5盛 の 妻 時 子 の 兄の If 大納霄 時 忠鄉は 「平家 の 一 族 t たい 者 は 皆 人であって 入 で は な い。」 と 一ぶ はれた。 

かう いふ 風 だから、 何ん な 人で もこの 平家 一 門に 緣を 結んで 親しま. つ とした。 烏 幅 子の 折 = 方から 始 

めて、 装束の 折; n のつ け 方に 至る まで 何ん ひ 事で も 1 パ波羅 風 だと 云 ふと、 ^の 中の 人 は 令: 部 これ をお 

似した。 

ご +- い 1! い い. --.T ら :-0 

如何なる 賢 王 賢主の 御 政、 攝政關 白の 御成 收 にも、 世に, された る ほどの 徒 者な どの、 かた 

はらに 寄 合 ひて、 何となく 誹り 傾け 巾す 事 は、 常の 習 ひなれ ども、 この 門 世 盛 の^は、 聊ゅ 

;: らは /ぶろ 

るが せに 申す 者な し, - そ Q 故 は 入道 相 園の Si に、 十 四 だ 六の-蘆 を三ほ 人す ぐって、 髮を 11^ に 切 

わう は, C 

り ま はし、 赤き 直垂を 着せて、 使 はれけ るが、 京 中に みちみちて、 往 反しけ り, - おの づ から 

平家の 御 事、 あしざまに 巾す 者 あれば、 一人 聞 屮:: さぬ 程 こそ 在り けれ。 處 に觸れ 廻し、 mQ 

そ-ぶぐ つ ゐ ぶく やつ 

家に 亂 人し、 資財 雜具を 追 柿し、 その 扠を搦 めて、 六波羅 殿へ ゐて參 る。 されば n に 兌、 心に 

二とば ぶろ 

知る と 云へ ども、 詞に顯 し 申す 者な し。 六 波 ri 殿の 几と だに 云へば、 逝 を 過ぐ る も^よき 

てぞ 通し!:: ろ。 禁門を 出入す と 云へ ども、 姓 名 を It ねらる. -に 及ばす。 京師の 長 吏、 これが 

爲に M を そばむ と 見えたり . 

1^ 童 11 



に 連れて 来さ 

せた ので、 誰 

一人 平家 を惡 

く 云 ふ 者 もな 

く、 又 こ, の 

童 を 誰も/、 

苦 恐れた。 



1 二 

8 〇攝 政 天皇ん 街 幼少の 時、 代って 政 を 掌る 職。 〇 闥白 天子 を 輔佐して、 天下の 政務 を 行 ふ 13。 

〇 成敗 政治 を 執リ扠 ふこと。 〇 世に 余された る 徒者 世の中から見捨てられた不平^19。 〇 禪門 

在家で 入道した 人の 稱。 こ. 1 は淸 盛。 〇 ゆるがせに 申す おろそかに 云 ふ。 〇\ ^に 切リ まにし 

頸の ま は リの毛 を 短く 切リ 放す こと。 〇 直垂 庶民の 常 服。 一人 聞き出さぬ 程 こそ ぁリ けれ 

一人で も 聞き出さぬ うち はよ いが、 聞き出したら 最後。 餘黨 仲間。 〇 追 捕 こ 》 は沒收 する 意 

〇 禁門 宮中の 掷 門。 〇 長 吏 地方 官吏の 長。 

@ どの やうな 贅 明な 王 樣の御 政治 や、 攝政關 白の 政務の 取り扱 ひに も 世間から 見捨てられた やうな やく 

ざ 者な どが、 きっと 1 所に 寄リ 集って、 別に これと いふ 惡ぃ黏 もな いの に 非難す る こと は 普/^ の 習に 

しで あるが、 しかし この 淸 盛の 樓 勢の 盛た 間 は 少しで も 誹る 者はなかった。 そ の 理由 は、 淸 盛の 謀と 

して、 十四 五六の 小 供 を 三百 人選び 出して、 髪 を 短く 頸の 廼リ まで 切って、 赤色の 直垂を 着せて、 召 

使 にれ たが、 それ 等が、 京 中に 一ば いに 滿 ちて 住ったり 戾 つた リ した。 それで 萬 一 、 平家の 事を惡 く 

申す 者が ある と、 1 人で も 聞き出さた いうち はとに 力く 聞き:! 3L た 力 仲 Si に そ のこ ふ を- 

1^ して、 皆で その 惡く 云った 者の 家に むちゃくちゃに 入って、 道具 一 切 を 取リ 上げて しま ひ、 その上 

その 惡く 云った 奴 を ひつ 括って 六波糴 の 平家の 邸宅へ 連れてく る。 さ うい ふ 風 だ から、 平家の 橫暴を 

目に は 見、 心の中に は 知って ゐて も、 それ を 一 百 葉に 出して 云 ふ 者 はた い。 それで、 六 波羅^の!;^ だと 

さ へ 云 ふと、 道 を 通り過ぎる 馬で も 車で も告 これ を 避けて 通した。 その 禿 童が 宫 中の 門 を 出入 リ して 

も その 姓名 を 問 ひ 紅す こと も 出来た い。 京都の 町役人 もこの 禿 童 3 する こと は 横目で る だけで、 見 

たいふ リ をして ゐる やうで ある。 



四、 我 身の 榮花 



わが 身の 榮花を 極む るの みならす、 一門 共に 繁 fto して、 摘 子 篾盛內 大臣の 充 大將、 次3?^:示盛巾 

納言 Q 左 大將、 11; 男 Mi 三位の 中將、 嫡孫 維 盛 四 位 Q ル將、 都て 一 門 公卿 十六 人、 殿上人 三十 - 

人、 諸隨の 受領、 衛府、 諸^、 都合 六十 余人な り。 世に は 又 人な くぞ兌 えられけ る。 殿上の 交 

り を だに 嫌 はれし 人の-子孫に て、 林 I 色雜 袍を聽 り、 綾羅 錦櫺を 身に 纏 ひ、 大 ほの 大將 になり て 

兄弟 左右に 相 並ぶ 事 未 代と は 云 ひながら、 不兒議 なりし 事 どもな り。 

i 〇 わが 身 淸盛 自身。 〇 左大將 左 近 衞大將 S 略。 〇 右大將 右近 衞大將 の 略。 〇 中將 00 

府 次官で 從四 位相 當官。 C 嫡孫 嫡子の 長男。 〇 少將 近衞府 次官で 正 五位. ト相 t=s せ。 〇 諸 司 

諸官。 〇 殿上の 交リを だに 嫌 はれし 人 忠盛。 〇 禁色 許しがなくては-^^用の出來なリ紫緋、 及 

び 紋綾。 Q 雜袍 直 衣の こと。 〇l"M:.l^ 綾 は模樣 を綠り 出した 緒 、羅は 薄 織の 紹、 錦 はに し 

き 繍は縫 ひ 取りした もの。 美服の 意。 〇 末代 衰へ 亂れた 末の世。 

6 淸盛 自身 だけが 榮 花の 限り をつ くす ばか リ なでく、 一 族 榮 えて、 一 41 男の 望 盛 は內大 ほで 左 大將を 兼 

ね、 次男の 宗盛 は中納 言で 右 大將、 三男の 知 盛 は 三位で 中將、 盛 2 長 ei^ の 維 盛 は W 位で、 少將 であ 

リ、 都合 平家 一族の 中で 公卿が 十六 人、 殿上人が 三十 余 入 も ぁリ、 其 他、 諸國 3 受^で ある もの、 術 

府 である もの、 諸官に 就いて ゐる もの 全部 合して 六十 余人で ある。 にこの 平家 11: の 外に はもう 立 

な 人 はゐな いやう に 思 はれた。 あの 殿上での 交際 を さ へ 攘 はれた 忠" 組の 子ャ 孫で ありながら、 林 1^ 色 

瘠 用 を 許され、 直 衣 を 着て 禁中に 參內 する こと を 特に 許され、 又 身に は 善美 をつ くした 衣服 を雜 ひつ 

けて、 大臣で 大將を 兼用して 兄弟の 者が 左右に 並んで 坐す る こと は、 K に袞へ 果てた 求の 世と は 云 ふ 

もの \ 、 それにしても 珍ら し いこと であ る。 

その外 御が だ 人お はしき。 皆と りぐ に 幸 ひ 給へ り。 一 人は櫻町の中納-5^敎の卿0^北の方に 



八 人 の 女が あ 

つたが、 或に 

lis に、 或は 御 

臺盤 所に、 或 

は 北の 政所に 

何れもめ でた 

ぃ有漾 であつ 

た 



一 E 

てお: すべ かりし が、 八歲の年御約束ば ^^りにて、 平 治の 亂以來 引きち が へられて、 花 山 Q 院 

の 左大臣の の 御 裏 盤 所に ならせ 給 ひて、 公達 あまた まし まし け り 一 人 は UTl!:! 立た せ 合 ふ-) 

二十 二に て 皇子 御 誕生 有, て、 皇太子に 立ち、 位に 即 かせ 給 ひし かば、 院號 t 一 せ 給 ひて、 建 

禮 門院 こぞ 中し ける。 人道 相 阈の御 女なる 故、 天下の 降-母に てまし ませば、 鬼 g 巾す るに 及ば 

れ t 一人 は 六 條の攝 政 殿の 北の 政所に ならせ 給 ふ, これ は 高 倉の 院御 在位の 御 時、 1 はき m と 

て、 ^三 后の 宣旨を 蒙らせ 給 ひて、 白 河 殿と て靈き 人に てぞ まし ましけ る。 一 人 は 普賢 寺 殿の- 

北の 政所に ならせ 給 ふ。 一人 は 冷泉の 大: 5§ 房の 卿の-北の方、 一 人は七條修理のだ^^<:;;1"^|:} 

卿に 相 具し 給へ り。 又、 安藝の 國嚴 島の 內 侍が 腹に 一 人、 これ は 御白 河 法皇へ 參らせ 給 ひて、 

偏に 女御の 様で ぞま しまし t る, - その外 九 條の院 雜仕常 盤が 腹に 一 人、 これ は 花 山の 院殿 S 

上臈 女房に て、 藤の 御 方と ぞ 申しけ る" 

B 〇 重敎 成範と 書く のが 正しい。 入道 信 西の 子。 〇 北の方 貴人の 妻の 稱。 〇 花山院 左大臣 殿 

〇 御 臺盤所 貴人の 北の方の 稱" 〇 一人 は 后に 淸 盛の 第二 女德 子、 高 〈5: 大 B の皇 1:5 に 立 

つ。 〇 皇子 安德; 大皇の 御 事。 C 院號 女-お 號。 天下の 國母 天皇の 御 母に 封す る 敬稱。 

〇 六 倐の攝 政 殿 藤 原 基 實。 〇 北 5 政所 攝政關 ,:! の 北方が せ la! を 蒙って 稱 する 名。 〇御$ 代 

御 養母の 義。 〇 准 三 后 太 皇大后 {a* 皇太后 宫、 皇后 宫の三 宫 に 准 ぜられ て、 年せ 年: S を 賜 はる。 

〇 ま 3 賢 寺 殿 藤 原 基 通。 〇 相 具し 連れ添 ふ。 〇內 侍 嚴島 神社に 奉仕す るせ 女の 稱。 C 女御 

皇后に 次ぐ 職。 〇 九條院 近衞 天皇の 中 {y: 藤原呈 子。 C 雜仕 雜 役の 勤 をす る 下 藤の 女せ。 Q 常 

悠 もと 源義 朝の 妾で、 義 I- 等の 母。 C 花 山院殿 左大臣 兼雅。 〇 上臈 女房 女 ia$ の 中で 身分の 

高い もの。 



8 日本 穴 十 

六 箇阈の 中で 

平家の. W 行の 

國は その 牛國 

に 越え、 あら 

ゆる 善美 を 集 

め 何一つ 闕け 

たもの もな 



B 淸盛 には子 息の 外に 御 女が 八 人あった。 ^それぞれ 幸 ひ を られ た。 その 中の 一人 は « 町巾納 言^が 

© の奧方 に なられる はづ であった が、 八 歳の 年に 御 婚約 をされ ただけ で 平 治の 亂の 後、 御 破約に なつ 

て、 花 山の 院の 左大ほ の 奥方に おな リ になって、 御子 女が 大勢お 出來 になった。 又 一人 は& おにお 

立ちに なられた。 そして 二十 二 歳の 御 時 皇子が 御 *i れに なって、 それが^«1太子に立たれ、 逮に 天子の 

御 位に ぉ卽 きになつ たので、 女 院の號 をいた だかれて 建鎗 門院と 巾し 上げる。 is^ 盛な t:?^, ソ S 女 e あ 

るヒ に、 而も 天皇の 御 母君で いらせられ るから、 とやかく 申す こと は出來 ない。 又 1 人 は、 ブ^の 攝 

政 殴基赏 公の 北の 政所に おなりに なった。 この 御 方 は、 高 倉の 院が 天皇の^ 位に あらせ、 リれた 時、 灭 

皇の御 翁 母と して、 准 后の 勅旨 を 蒙られて、 C 河 殿と 申し上げて、 重々 しい 人で あらせられた。 又 一 

、は 藤 原 基 通の 舆 方に なられた。 又 一 人 は、 冷. M の 大納言 降 一お 卿の 奥方で ぁリ、 一 人 は七條 修理の 大 

夫信隆 卿に 連れ添 はれた。 又、 安藝 國. n: 鳥祌 社に 傘 仕す る 巫女の, M からお 小; れ になった のがお 一 人 あ 

つて、 この 方 は、 後. 河 天皇の 御所に 上られて、 仝く 女御の 如く 勢が 盛であった。 その外に、 九 條の院 

の雜 司の 常 盤の 腹から 1 人生れ て、 この 方 は、 花 山の 院 殿の 上 藤 女 一お に なられて、 脇の 御 方 と 巾し 

た 

日本 秋津島 は、 i に 六十 六 筒听、 平家 知行の 國三 十 余 齒國、 旣に 半國に 越えたり。 その外 fr: 國 

けん ぐんじゅ 

田 畠 ml 寺と 云 ふ數を 知ら す。 綺羅 充滿 して、 堂上 花の-如し。 軒 騎群禁 して 門前 市 をな す。 揚州 

の!^ ゆ 荊 州の 珠、 吳郡 Q 緩、 蜀 江の 錦、 七 珍 萬寳、 一 つと して 闕 けたる ことたし,^ 耿党 舞閣の 

勘." 魚龍爵 BIQ i# 物 恐らく は 帝闕 も 仙 洞 もこれ に は 過ぎ じと ぞ兑 えし。 

〇 日本 秋津島 我國の 古名。 C 知行の!" 1: 務を知 リ行ふ 國。 rs n 本 全^の 牛 分。 〇 庄 

圜 襟 門 社寺の 私有地の 稱。 〇 綺羅 綺は 緩の こと。 类 服の s。 〇 軒騎 ^^と-.^。 〇5- 州 今 

の 支那 江蘇浙 江の 地方。 〇 荆州 今の 湖南 湖北 地方。 〇 吳郡 今の 江 蘇 地方。 〇 蜀江 „ ^は 今 

^ ^ «^ 花 一 五 



の 四川 省。 七 珍 萬寶 種々 の 珍ら しい 寳。 〇馱 堂 舞 閣の基 ^舞 をな す 建物。 墓 は 別に 意味に 

たい。 〇 魚 龍 魚が 龍に 變 化する こと を 演ずる 演技の 一種。 G 爵馬 支那 上代に、 宴せ の 席で、 

壶の 中に 矢 を 投げ入れて 腺 敗 を爭ふ 遊戯。 〇 帝闕 宮中。 〇 仙 洞 上皇の 御所。 

@ 我國は 僅に 六十 六箇國 で、 その 中で 平家の 國務を 知り 行 ふ闺は 三十 餘 箇^で、 赏に rw 本 全^の 半分よ 

リも 多い。 其の 外に まだ; i4 領地 や 田 畠が 何れ 位 あるか も 分らぬ 程 多く ある。 そして、 邸内に は 美 ほ 

が 一ば いで、 家の 屮は 花の;^ いて ゐる やうで ある。 車 や 馬が 群り 集って 来て 門の 前 はまる で 市場に も 

等しい。 それから 支那の 揚 州から 出る 黄金、 荊 州に 產 する 珠、 旲 郡に.: H 來 る^、 B5? 江の 錦な ど、 その 

外 珍ら しい 寶は 悉く 備 はって 何 一 つ 不足の こと はない。 跃舞 をす る >i 派な 建物 も あり、 魚 龍の 演^„ -、 

爵 馬の 遊戯な ども 行 はれて、 恐らく その 榮華榮 耀は宫 中 も 上皇の 御所 もこれ よりす ぐれて はゐ まいと 

思 はれる。 

四、 薛 の 谷 



6 妙 音院が 

大將を 許され 

たので、 大絶 

霄贊 定、 鈉 

HIH 兼雅、 新大 

納言成 親等 何 

れも それ を 望 

ん だが、 重 盛 

が 左大將 に、 

宗 盛が 右大將 



妙音院 殿、 その 比 は 未だ 內 大臣の 左大將 にて ましく ける が、 大將 を辭し 申させ 給 ふ 事 ありけ 

り。 時に 德大寺 實定の 卿、 その 仁に 相 當り給 ふ。 又 花 山の 院の 中: S 一 SIS の 卿 も 所 g^. リ。 そ 

外 故 中の 御門の 藤 中 納言家 成の 卿 Q 一二 男、 新 大納富 成 親の 卿 も ひらに 中 さる。 其のお の 叙位 

除 目と 申す は、 院內の 御 計 ひに も あらす、 攝政關 白 Q 御成 敗に も 及ばす、 た^ひ fl 平家の 儘に 

て 有りければ、 德大 寺、 花 山の 院も 成り 給 はす。 入道 相國の 嫡男 小 松 殿、 その 時 は 未だ 大 一一 一一:! 

の 右大將 にて まし ましけ るが、 左に 移りて、 .ft- 男宗 盛中納 言に てお はせ しが、 數 輩の 上に" 

して 右に 加 はりけ る こそ 申す 計り もなかり しか、" 中に も 德大殿 寺 は 一 の大衲 言に て 花 fels ;^、 



に 上った の 

で、 德大寺 殿 

は 不平の 余 

り、 大納言 を 

辭 して 籠居し 

た C 



成 親 は 位 



才學 iSf 長、 家嫡 にて まし ましけ るが、 平家の チ、 男宗 盛の 卿に 加階趑 えられ 給 ひぬ る こュ遗 f-c- 

次第 なれ。 「定めて 御 出家な ども や あらんす らん」 と、 人々 さ、 やき あはれ けれども、 德大寺 殿 

は 「暫く 世の 成らん 様 を 見ん」 とて、 大納言 を辭 して 籠居と ぞ 問えし" 

6 〇 妙 音院殿 原 師長。 〇 新 大納言 新任の 大納言。 〇^ 位 位に 叙せられ る こと。 〇^=1 

官職に 任ぜられる 公事。 〇 小 松 殿 重 盛の こと。 〇 右に 加 へられ 左大將 になる。 〇 数 輩の 上 

藤 数人の 上官。 〇 一の 大納ー 百 首席の 大納 首。 〇 才學雄 長 才學の 勝 ぐれて ゐる こと。 〇 家 

本 豕の镝 子。 〇 籠居 家の 中に ひき 籠る。 

@ その 顷、 妙 音 院殿は 内大臣の 左 大將で ゐられ たが、 その 大將 をお 辭し になった。 その^、 德大寺 お 

卿が その 適任者であった。 又、 花 山 院兼雅 卿 も 左 入將を 所望され た。 その外、 故 中 御門? 藤中納 首! 氷 

,成 卿の 三男の 新 大納言 成 親 卿 も ひたすら それ を 望まれた。 ー體、 その 時分の 叙位 や と 云 ふみ は、 

上皇 や 天皇のお はから ひで もな く、 又攝政 ゃ關, HI のお 坂 扱 ひに も 出來 ず、 全く If 家の S ふま、 にす る 

のであった から、 赏定卿 や 兼雅卿 もお 成りに ならなかった。 す; S 盛の 嫡男 重 盛 卿が その トむは まだ 大納 《1 

の 右大將 であった が、 左大 將に韓 じ、 次男 宗盛 は中納 言で あつたが、 数人の 上せ 達 を 飛び越えて、 右 

大將に なられた の は、 赏に あきれた ことであった。 中で も、 赏定 卿に 首席の 大納首 で、 れた 名門 家 

であり、 才學も 勝れて をリ、 それに、 本家の S 男であった のが、 この度 平家の 次. ef^ の宗盛 卿に 位 を 越 

- えられた こと は 如何にも 殘念 なわけ である。 それで、 「きっと、 失望不平のぁまり出^^でもせられ るこ 

とで あらう」 と、 世 1 間の 人々 も 蔭で 培し 合って ゐ たが、 §3; お 卿 は 「(3 分 世? 中の 成り行き を 見て わよ 

う」 と 仰って、 大納言 を やめて 家の 中に 世の中との 交渉 を絕 つて、 閉ぢ龍 、りれ たとい ふこと である。 

新 大納言 成 親の 卿の 宜 ひける は、 「德大 寺、 花 山の 院に 越えられ たらん は 如何せん d 平家の 次 







ハ仑 



七 



え 

られ たこと を 

遣憾に 思つ 

て、 If 家 を 亡 

ほさう と 

ひ、 鹿の 谷の 

佼}^ 僧都の 山 

莊 に寄リ 合つ 

て 同志の 者と 

その 謀 をめ ぐ 

らした。 或 

夜、 法皇 も 御 

幸され て、 猿 

樂に 事よ せて 

1^ 家 滅亡の こ 

と を 申し 合 は 

せた 



男宗 盛の 卿に 加 階 越えられ ぬる こそ 遺憾の 次第 なれ。 如何にもして 平家 を 亡し、 本望 を 遂げん」 

と宣 ひける こそお そろし けれ。 

しし ラ しろ 

東 山麁の 谷と 云 ふ 所 は、 後 三 井寺に つづいて、 ゆ. - しき 城郭に て ぞ;^ りけ る" それに 俊寬 IE 都 

の山莊 あり。 かれに 常 は 寄り合 ひ 寄り合 ひ、 平家 亡すべき 謀をぞ 運し ける。 或 日 法皇 も 御幸な 

る 故 小納言 入道 信 西の 子息、 淨 憲法 印 も 御供 仕る d その 夜の 酒宴に、 この. H を 仰せ 合 はされ 

たりければ、 法 印 「あな あさまし。 人数 多 承り 候 ひぬ。 唯今:^ れ聞 えて、 天下の 御大 事に 及び 

候 ひなんす」 と 申され けれ は、 大納言 氣色か はって、 さっと 立 たれけ るが、 御前に 立てられた 

りけ る 瓶 子 を、 狩 衣の 袖に かけて 引き倒されたり ける を、 法皇 叙覽 有って、 「あれ は 如何に」 と 

仰せければ、 大納言 立ち 歸 つて、 「平氏 倒れ 候 ひぬ」 と 申されけ る" 法皇 も ゑつ ぼに 人ら せお は 

さる V) う へ い 

しまし、 「者 共參 つて 猿樂 はれ」 と 仰せければ、 平 判官 康賴 つと 參 つて、 「あ りに 平氏の 

多う 候 ふに、 もて 醉 ひて 候」 と 申す J 俊寬 僧都 「さて それ をば 如何 仕るべき やらん」 11 光 法師、 

「唯 頸- V 取る に はしか じ」 とて、 瓶 子の 頸. ど 取って ぞ 入りに ける。 法 仰 余り Q あさまし さに、 つ 

やく 物 も 申されす。 返す くもお そろし かりし ことども. なり, - さて 與 力の 輩 誰々 ぞ- 近:.: d 

中將 入道 莲淨 俗名 成 正、 法 勝 寺の 執行 俊寬 僧都、 山城の 守 基 兼、 式部の大輔稚綱、平判官;^^-賴、 

宗 判官 信 房、 新 平 判官 資行、 武士に は 多 田の 蔵人 行 綱 を始 として、 北面の 者 共 多く 與カ してけ 



〇 鹿の 谷 今の 京都市 下 京 區鹿谷 町。 〇 三 井寺 園 城 寺の こと." 〇 ゆ X しき 耍害 堅固。 〇 山 



£ 山地に ある 別莊。 〇B< 下の 御大 事 世^ 仝體の 大騒ぎ。 〇 さっと 急に。 〇 瓶 子 洒^ 利。 

〇 平氏 瓶 子に かけて 戯れた もの。 〇 猿樂 滑稽な 舞の 名。 〇 判せ 非違 を 斷 などす る 職。 

〇 つと 急に。 C 法 勝 寺 京都 岡 峰 公園 附近に あった 寺。 〇 執行 寺 務を總 ^する 憎 職。 與 

力 助勢。 〇 北面 上皇の 御所 を 守護す る 武士。 

G 新 大納言 成 親 卿 は 「實定 卿 や- « 雅鄉に 越えられ たのたら 致し方がない、 あきらめ もしょう。 しかし、 

平家-の 次男 宗盛鄉 に 越えられ たこと は 何と 云っても 残念である。 如何にもして 家 を 亡して 近 憾をは 

らしたい」 と 仰せられ たの は 恐ろしい ことであった。 

京の 東 山に ある 鹿の 谷と いふ 所 は、 後の方 は 三 井寺に 摸いて ゐて、 ^固な 城で ある。 其虚 に伎宽 僧都 

の 山莊が ある。 此虑に 平生、 度々 寄 リ合ひ をして、 平家 を 亡ぼす 計 輋を考 へて ゐた。 或 夜、 法皇 も 行 

幸に なった。 故 小納! 一一 一 "入道 信 西の 子息の 淨 憲法 印 も 法皇の 御供 をな された。 其 夜の 酒宴の 時に 平家 を 

亡ぼす 事 を 法 印に 御 相談な さると、 法 印 は 「實 にあ きれた ことです。 ,揮 山の 人が 聞きました。 今 W ぐ 

言 I が 世間 こ. 焉, T 一て、 世の中の 大 さわぎに なり ませう。」 と 申された ので、 大納 成 親 K 餌 色が 變 

つて、 急に お立ちに なった が、 法 521; の 御前に 置いて あった 瓶 子 を 狩 衣の 袖に かけて 引き倒され たの を 

法皇が 御覽 あそばして、 「あれ はどうした ことか」 と 仰せに なった ので、 大納言 は 元 の^に 立歸 つて、 

「平氏 (瓶 子) が 倒れました のです」 と 申された。 法皇 はいかに も 愉快げ にお 笑 ひに なって 「^の^ 共、 

こちらに 來て 一 つ 猿樂を やれ」 と 仰せられ ると、 平 判 :康 頼が 早速 參 つて 「あ. -、 0P へ いしが タソぃ 

ので、 醉 つてし まひました」 と 申す。 すると 伎 寛 僧都が 「さて、 それ を 何と 致した もので せう」 光法 

師が 「ただ 頸 を 取る のが 一番い、」 と 云って、 瓶 子の 頸 を 打ち落して 了った。 法 印 は あんまりの ことに 

少しも 口が きけ なかった。 實に 恐ろしい 事であった。 さて この 事に 助勢した 連中 は 誰と 誰と であった 

かとい ふに、 近 江中將 入道 蓮^- 俗名 成 正、 法 勝 寺の 執行 佼寬 as 都、 山 械の守 某 兼、 式 都の 大輔^ 糾 



二 〇 

平 判官 康賴、 宗 判官 信 房、 新 平 判官 資行、 武士に は 多 田の 蔵人 行 II を 始めと して、 北面の 武士 共が 多 

かつ ili。l 」;■ : : : . I, „ 



五、 行 綱の 返 忠 



8 赏 時の 平 

家の 繁昌 を 

るに、 容易に 

傾け 難 さうな 

ので、 行 II は 

秘{ せの 漏れる 

こと を S れ 

て、 先き に 返 

忠 をし ようと 

思 ふ 心に なつ 

た 



新 大納言 は 山門の 騷 動に 依って、 私の 宿意 をば 暫く 押 へられたり。 そ も 内 偶 支度 は 様々 ありし 

かど も、 義勢 計りで、 この 謀叛 叶 ふべ し 共 見え ざり ければ、 さし も頓 まれたり つる 多 W の藏人 

む や < ゆ ぶく ろ 

行 網、 こ Q 事 無益な り ふ 思 ふ 心 や 付きに けん、 弓 袋の 料に とて、 送られたり ける. 一:^ ども をば たは 

かたびら し 一な r ら/ \ 

垂 帷 に 裁ち縫 はせ、 家の 子 郎等 共に 著せつ X、 目う ち 驟- いて 居たり ける が、 倩 平家の 繁 

曰 tE する 有様 を 見る に、 當時 容易う 傾け 難し. - 若し 此 事:^ れ ぬる 程なら ば、 行 鋼 先づ失 はれなん 

す。 他人 Q 口より 漏れぬ 先に 返忠 して、 命 生かう と 思 ふ 心 ぞっきに ける, - 

6 〇 山門 比敦 山。 〇 私の 宿意 自分の かねてから 抱いて ゐる 目的。 こ V は 平家 滅亡の 該。 〇 義勢 

擬勢の 訛。 から 威張。 〇 帷 裏の ない 單。 〇 返忠 味方の 秘密 を 敵に 知らして 敬に 忠義 を^く す 



@ 新 大納言 成 親 卿 は、 比 1^ 山の 騷動 のために、 かねてから 抱いて ゐる 平. } ^覆滅の cn 的 をし ばらく 押 へら 

れた。 それ も內々 の 評議 や 支度 は 稀々 にして ゐられ たが、 空 威張の 勢力 だけで は 到 こ 2 謀叛 は 成就 

- さう にも 思 はれなかった ので、 ひどく 成 親等から 頼みに されて ゐた多 田の 蔵人 行辆 は、 この 謀叛の 

こと は 駄目 だと ふ 心が 起った ので も あらう か、 「り 袋の 材料に せよ とて 送って 來てゐ た. a 布 をば 切つ 



& 行^ は 二 

+ 九 口の 小夜 

中に 西 八條の 

亭に參 つ て、 

淸 盛に ま 接 逢 

つて、 法皇 を 

始め 奉り、 成 

親、 00. 佼 

寛 等の 謀叛の 

ことを^^-赏ょ 

り も 大げさ に 

云 ひ 散らして 

おいて、 あは 

て V 門外に 走 

り 出た 



て 直 垂ゃ帷 に 縫 はせ て、 家来 等に 著せて、 E をば ち/、 しばた、 いて 形勢 をヌ して,^ たが、 つく,^ 1^ 

家の 繁昌す る 樣子を 見る に、 今にな か /,-、 たやすく 傾けさう にもない。 もしも この 謀叛の 事が 平家に 

1.^ たたらば、 G! 分 は眞っ 先き に? おされる だら う。 他人の 口から 漏れない うちに、 平家に 内應 して 命 

を 助からう と 思 ふ 心が 起った。 

司 一. 十九 日の 小夜 ふけ 方に、 入道 相 阈の西 八條の 亭に參 つて、 「行 綱 こそ 巾すべき 車お つて 是 

まで 參 つて 候へ」 と 案 內を云 ひ 入れたり ければ、 人道 「常なら ぬ 者の 參 じたる は 何 ぞ、 あれ 

聞け」 とて、 ^|^2|判官盛1:を出されたり" 全く 人 傳には 申 問 敷 車な りと 云 ふ t< ^近 さ.^ ば 

とて、 自ら 中 門の 廊にぞ 出 でられた る。 「夜 は遙に 更けぬ らんに、 如何に 只今 何^ ぞ」 と _且 へ 

ば、 「晝は 人目の 繁ぅ候 sr 夜に 紛れて 參 つて 候" この 程院 巾の 人々 の 兵 具 を 調へ、 ^丘 〈催さ 

れし事 をば、 何ん とか 聞し 召されて 候 やらん」 入道 「いさとよ、 それ は 法皇の 山 攻めら るべき 御 

結構と こそ 間け」 と、 いと 事 も なげに ぞ宣 ひける。 行 綱 近う 寄り 小 §5 に 成って、 「その では 

矢 はす、 一 向當 家の 御上と こそ 承り 候へ」 人道. 「さて それ をば 法皇 も 知し" = ^された るか」 「子 

11 にや 及び 候。 執事の 別當成 親の 卿の 軍兵 催され 候 ひしに も、 院 (且 とて こそ されし か、 

が f 申して、 俊 寛が 角 申して、 西 光が 鬼 振舞うて」 など、 ありの 儘に はさし 過ぎて 一. ムひ 散らし、 

わが 身 は 暇 申す とて 出で ければ、 その 時 入道 大聲を 以て、 侍 共 を 呼びの のし" 給ふ报 夥し" 行 

綱" i ひなる 事 申し出でて、 證人 にや 引かれん すらん 怖し さに、 人 も 追 はれぬ に 取 袴し、 大野に 

火 を 放ち 尺る 心地して、 急ぎ 門外へ ぞ述げ 出で ける" 

i 亭 邸宅。 〇 主馬 判官 、王 馬署の 首。 〇 中 門の 廊 對屋 から 中 門に 至る 間の 廊。 〇 いさとよ 

行 網の 返 忠 二 一 



いや。 〇 御 結構 御 計畫。 〇 一向 仝く。 〇 子細に や 及び 候 云まで もたい。 〇 ^事の 別 5 ば 

院 中の 事務 を總理 する 長官 〇 鬼 申して あ 上 おった、 かう 云った。 〇 愁 なること 云 はないでも 

よい こと。 取 袴し 挎の胺 立 を 取る ことで、 急いで 逃げる 用意。 〇 大野に 火 を 放ちた る 心地 

今にも 大騷 動に なり さうな 氣持。 

同月 二十 九日の 夜中 頃に、 涛 盛の 西 八條の 屋敷に 參 つて 「行 網が 是非 申し上げ 度い ことがあ リ まして 

これまで 參リ ました」 と 取次の 者に 云 はせ たので、 入道 は 「何時も 參ら ない 者が 參 つたの は 何事が あ 

るの か、 聞いて 見よ」 と 云って、 主馬の 判官 盛國を 出された。 する み、 r^: く人傳 てに は 申しに くい 事 

だと 云 ふので、 淸盛は それなら 逢って 見ようと 云って、 自分で 中 門の 廊に 出られた。 「大變 夜 は 更け 

たで あらう に、 こんなに 遲く來 たの は j 體 何事が あるの か」 と、 仰せられ ると、 r 晝は 人の:;:: にす ぐ 

つきます から、 かう して 夜 かくれて 參リ ました。 この 顷、 院 中の 人々 が 兵 具 を 用意し、 眾兵 をお 召し 

になる こと を 何とお 聞きで ございま すか」 淸盛 「いや、 なに それ は、 法皇が 比歙 W をお 攻めになる 御 

計畫 だと 聞いて ゐる」 と、 大 變無雜 作に 仰せられる。 行 網は淸 盛のと ころに 近寄って 行って、 小錄に 

なって、 「さう いふ わけで はぁリ ま. せん。 それ は 全く 御 一家の 御上の こと だとい ふこと で ござ いま 

す。 」 入道 「では、 そのこと を 法皇 も 御存じな のか」 「勿論の ことです。 院の 執事の 別 赏の成 親 卿が 3^ 

兵 を 集 召され ましたの も、 法 M の 勅命 だとて お召しに なリ ました。 それから あの 碟賴が あ、 申し、 俊 

寬 がかう 申して、 それから 西 光が これく しまして」 など、 事實 以上に 誇張して ベら くしゃべ つて 

おいて、 それで はこれ でお 暇 申す と 云って 出ました ので、 その 時淸盛 は大聲 で、 侍 共を大 あわてに お 

呼びになる。 行 網 は、 云 はないで もよ いこと を 云って しまって、 もしかしたら 證 人に 引き出され るか 

も 知れぬ と 思って 怖くな り、 後から 誰も 追 ひかけ もしない のに、 袴の 胶 立のと ころ を 取って、 きっと 

何 か大驟 動が 持 上る やうな i: お 持が して、 急いで 門の 外に 逃げ出した。 



9 其 後浩盛 

は 貞能を 召し 

て 一 門の 人々 

に 富家 を け 

よ-つと する 者 

の ある こ と を 

觸れ 廻らし、 

又 侍 をお し 

た 早速 一門の 

人々 を 始めと 

して 兵 共が 集 

つて 來る。 翌 

朝 まだ 闇 い う 

ちに 淸 盛の 下 

知に 依つ て、 

あそ こ 愛に 押 

し 寄せて 謀叛 

の を 凝め 捕 

つた C , 



1 



其の後 入道、 筑 後の 守 ^Gf 能 を 召して、 r 當家 傾けう とする 謀叛の 叢 こそ、 京 中に 滿 ち- 

ん なれ。 急ぎ 一 門の 人々 にも 觸れ 中せ、 侍 共催せ」 と宣 へば、 馳せ 廻って 披露す。 右 大將宗 盛 

三位 中將知 盛、 頭の 中將 重衡、 馬の 頭 行 盛 以下の 一 門の 人々、 弓箭 を帶 して 染ふ。 その 

外の-侍 共 も 雲霞の如くに 馳せ 集って、 その 夜の 中に 入道 相 固の 西 八 條ハ- 亭には 兵 七 六 千騎も 

有る らんと ぞ 見えし。 明 くれば 六月 一 日の 日な り。 未だ 闇 かりけ るに、 入^相 國、 當家 傾けう 

とする 謀叛の 輩、 一 々祸め 補るべき よし 下知 せらる。 仍って 二百 余騎、 三百 余騎 あそこ 爱に押 

寄せ/. -稱め 捕る。 . 

〇 觸れ 申せ 告げ 知らせよ。 〇 披露 廣く 告げ 知らせる こと。 

其の後で、 浩 盛は筑 後の 守 貞能を 呼んで 「赏家 を 亡ぼさう とする 謀叛 人 共が この 京の 中に^ち/ \ て 

ゐる 急いで そのこと を 一 族の 人々 に 告げ 知らせよ、 それから 侍 共 を 呼び集めよ」 と 仰せられ ると、 贞 

能 は あちこちに 馳せ廼 つて 廣く 告げ 知らせた。 そこで、 右 大將宗 盛、 三位 中將知 盛、 頭の 中將 ffi 衡、 

左 馬の 頭 行 盛 以下の 一 門の 人々 は 甲胄 をつ け、 弓 ゃ箭を 持って 集って 來る。 其 外 侍 共 も の 如く^ 

つて 馳せ 集り、 其の 一夜の 中に 淸 盛の 西 八條の 屋敷に は 兵が 六 七 千騎も あるか 知らん と はれた。 夜 

が 明ける と 六月 1 日で ある。 まだ 闇かった が、 淸盛は 平家 を 亡ぼさう とする 謀叛 人 共 を 一 人 5lf らず^ 

へ 縛り上げる ようにと 命令され た。 そこで、 或は 二百 騎、 或は 三百 騎が あそこ や^の 謀叛 人の 家に 押 

し 寄せて 捕縛した。 

六、 重 盛敎訓 



^盛 敎訓 



ニコー 



二 四 



Br 淸 盛に 多 

くの 謀叛の 輩 

を 警め 置いて 

もま だ 安心な 

らず、 業々 し 

い. 武装で 貞能 

を 召して、 自 

分の 保 元、 平 

治に 朝廷に 盡 

した 功 勞を述 

ベた て、 もし 

法皇に 今後 護 

奏ァる 者が あ 

れば、 赏^ 朝 

敵と ならねば 

ならぬ から、 

暫く 法皇 を幽 

閉し 奉らう と 

思 ふので その 

用意 をす るよ 

うに 一 門に 觸 

れ よと 命じ 



太 政の 入道 は、 か 様に 人々 數多警 しめ 置きても、 猶 心行かす や 思 はれ けん、 旣に 赤地の 錦の 直 

垂に, 黑絲威 Q 腹卷の 白金 物 打った る 胸板せ め、 先年 安藝の 守たり し 時、 祌拜の 次に、 ^夢 を 

うつつ しろがね ひるまき , 

蒙って、 嚴 島の 大明祌 より 現に 賜 はられたり ける, 銀の 蛭卷 したる 小 長刀、 常の 枕 を 放た す 立 

含 しょく 

てられた りし を、 脇に 挾み 中 門の 廊にぞ 出 でられた る" 大方 その 氣色ゅ k しう ぞ見 えし" 

れ くらん 5 ひ おどし 

能」 と々 n す。 筑 後の 守貞能 は、 木 蘭 地の 直垂 に、 緋 威の 鎧 著て、 御前に 畏 つて ぞ侯 ひける。 入 

道宣 ひける は、 「如 に貞 能, 此の 事 如何 思 ふぞ、 保 元に 平 右 馬の 助を始 として、 一門 半 過ぎ 

て、 新院" 御 方に 參 りき。 一 宮の御 事 は、 故 刑 部 卿の 殿の 養 君に てまし ましし かば、 旁 見 

放ち 參らせ 難 かりし かど も、 故 院の御 遣誡に 任せて、 御 方に て 先 を 懸けたり き。 n: ムー つの 奉 

公。 次に 平 治 元年 十二! n; 、信 賴、 義 朝が 謀叛の 時、 院、 內を 取り 奉りて、 大內 にたて り、 天下 



閱 と 成りたり しに も、 入道 隨 分身 を 拾て. >t、 兇徒 を 追 ひ 落し、 經宗、 惟 方をパ S し 戒めし に 至 

る 迄 君の 御 爲に旣 に 命 を 失 はんとす る 事 度々 に 及ぶ。 されば 人 何と 申す とも、 爭で かこの 一 n 

い たづ-り も Q 

をば、 七 代まで は 思し召し 拾て 給 ふべき。 それに 成 親と 云 ふ 無用の 徒 者、 西 光と 巾す 下賤の 

不當 人が 申す 事に、 君の 付かせ 給 ひて、 動もすれば、 此 一 門滅 さるべき. a の 御 結構 こそ 然るべ 

からね。 此後も 讒 堯 する 者 有らば、 當家 追討の 院宜を 下されつ と覺 ゆる ぞ" 朝敵と 成 つて 後 

は、 如何に 悔ゅ とも ハ化 ある まじ、 暫く 世を靜 めん 程、 法皇 をば、 鳥 羽の 北 殿へ 移し 參ら する か、 

然ら すぱ、 是れ へまれ、 御幸 をな し參 らせんと m ケハは 如何に- J その 儀なら ば、 定めて 北面の 者 



共が 中より、 箭をも 一 つ 射ん やらん。 その 用意せ よと 侍 北 ハに觸 るべ し。 大方 は 入道 院 方の-奉公 

思 ひ 切ったり 馬に 鞍お かせよ。 著 背 長 取り出せ」 とこ そ宣 ひけれ" 

〇 心行かず 腹が いえない。 〇 旣に 何時の間にか。 〇 赤地の 錦の 底垂 地の 赤い 錦の 燈 

〇 白金 物 銀の 飾り 金具。 〇 胸权 鎧の 胴の 前面 最上 部、 化粧 枚の 上の 权の 稱。 〇 神拜 新任 Q 

國 司が 初めて 管內 の、 王 社に 參拜 する こと。 〇 厳 島 大明祌 安^^ 厳岛町 鎮座。 〇 現に 

〇 や- 卷 柄に 蛭の 卷 きついた やうに 間隔 を 置いて 卷 くこと。 〇 常の 枕 を 何 も 枕元 を。 〇 木 蘭 

地 黄 赤色に 少し 黑味 を帶 びた 色。 〇 緋絨 緋 色の 染革 e 械す こと。 〇 平 右 馬の 助 淸 盛の 叔ぃ. < 

の平忠 正。 右 馬の 助 は 右 馬 察の 次官。 〇 新院 崇德 上皇。 〇 一の宮 崇德上 の 第一 子 i ^仁 叙 

王。 〇 故 刑 部 卿 淸 盛の 父忠盛 〇 故院 鳥 羽 法^。 〇 御 方 後, U 河 天皇 〇 院 後 河 法 n 土 

〇 内 ニ條 天皇。 〇 無用の 徒者 役に も 立たぬ 亂暴 者。 〇 不ぉ人 無法 *^。 0.^ 羽の 北 殿 ^ 

羽械南 離せ: 内の 一 殿。 〇 是 へまれ 此處、 即ち 西 八^へ でも。 〇 著 背 長 大將 の^を さして 云 ふ。 

太 政 入资淸 盛に、 かやう に 人々 を 多く 捕縛して 置いても、 まだ 腹が 疲 えない と 思 はれた のか、 何 ゆの 

間に か 赤地の 錦の 直 垂に黑 絲絨の 腹卷を 著、 白金 物 を 打った, M 权をぴ つた リ身 に? S け、 そして 先 

年、 淸 盛が 安藝の 守であった 時、 嚴島 神社に 參拜 した 折に、 不 W; 譏な^い 夢のお 化に けに 依って、 現 衣 

眼の あた" 頂戴した 銀の 蛵卷 をした 小 長刀 を 何時も 枕元 を 離さずに 立て. -,^ られ たの を 脇 挾んで リ 

門の 廊に 出られた。 大分 その 樣子は 業々 しく 見えた。 能と 仰せられて お呼びになる。 そこで、 筑後 

の 守の 貞? 化 は、 木蘭地の^^垂に、 緋絨 の鏜を 著て、 卞; S 盛の 御前に 恭々 しく 跪く。 倚 盛 は、 「何と. W ?^、 

此事は 何う a ふか。 保 元の 亂の 時に、 叔父の 忠正を 始めと して、 わが 一族 2 半分 以上 は W ーポ德 上. U のす- 

方へ 參 上した。 上皇の 第 .1 皇子 重 仁 親王 は、 父の 刑 部鲫! r か 御 養 した 君で あるから、 あれこれに 

F 二 五 



6 



重 



盛 敎 



就けて、 お 見捨て 申す こ と は e 來な かった が、 鳥 羽 上皇 の 御 遺誡 あ つ た から して、 後 .a 河 法皇 の 御 味 

方と して 先頭に 立って 働いた。 是 がー つ の街牽 公で ある。 次に 平 治 元年 十二月、 信頼 義 朝が 謀叛 を 起 

して、 後白河 法皇と ニ條 天皇と を 闺閉し 奉って、 宫中 にたて 籠って、 天下が 亂れ てし まった 時に も、 

3 分 は 全く 身命 を 擦って 惡者共 を 追 ひ 逃がし、 經宗と 惟 方と を 捕縛す るに 至る 迄、 後: n 河 法皇の 御爲 

に 全く 命 を 失 ひさう にたった 事が 度々 である。 だから、 人が たと へ 何と 云に うが、 a 分から 七 代まで 

は、 平家の I 門 を どうしてお 見捨てになる ことが 出来よう。 然るに、 あの 成 親と いふ 役に も 立たぬ 亂 

暴 者 や、 西 光と いふ 身分の 賤 しい 無法者の 申す ことに 掏 同意され て、 とも すれば 此の !門を 滅ぼさう 

とた さる 法皇の 御 企て は實に 不埼千 萬で ある。 此の度 はま あよ いとして、 今後 も わが 1 門の 上 を惡く 

申し上げる 者が あれば、 度、 當: 尔を 追討せ よとの 院宣 をお 下しに なること 》 思 ふ。 朝廷の 敵と なつ 

た 後 は、 どんなに 侮んでも もう 致し方が あるまい。 それで 當分 世の中の ごたくが 片附く 迄、 法皇 を 

鳥 羽の 北 殿へ お移し 申し上げ るか、 でなければ、 此處 へで もお 越し を頹 ふかしようと 思 ふが、 お前 は 

どう 思 ふか、 さう いふ ことに なれば、 北面の 武士 共の 中には 抵抗して 箭の 一 つも 射 かける であら. ゥ。 

だから その 用意 をす るよう に 侍 共に 告げ 知らせよ。 自分に もはや 院に對 する 奉公 は 一切 斷 念した。 さ 

あ、 馬に 鞍 を 置かせよ。 著 背 長 を 1^ り 出して 来い」 と 仰せられた。 

主馬の 判官 盛國 急ぎ 小 松 殿へ 馳せ參 つて 「世 は 早 かう 候」 と 申しければ、 大臣 聞き も 敢へ給 は 

す、 「嗚呼 早 成 親の 卿の 首の 刎ねられたん な」 と宣 へば、 「その 儀に て は 候 はね ども、 入道 殿 

御着 背 長 を 召され 候 ふ 上 は、 侍. 共 も 皆 打ち 立って、 只今 院り 御所 法 住 寺 殿へ 寄せん とこ そ 出で 

立ち 候 ひつれ。 暫く 世を靜 めん ほど、 法皇 をば 鳥 羽の 北 殿へ 移し 參ら する か、 然ら すば、 是へ 

まれ 御幸 をな し參ら せう と は 候へ 共、 內 には鎭 西の方へ 流し 參 らせんと こ そ授 せられ 候 ひつ 



今にも 打 出で 

ん とすると こ 

ろで ある 浩盛 

は <5X 盛 を 見 

て、 瞠 幾の 正 

し い 璽 盛に 腹 

卷 姿で 向 ふこ 

と を恥づ かし 

く 思つ て、 あ 

わて て その上 

に 法衣 を纒っ 

たが 胸 权の金 

; i! が 少しに づ 

れて 見える の 

を淸盛 はしき 

りに 隱さ うと 

する。 盛 は 

座に 着いた 

が、 入道 も宣 

ひ 出される こ 

ともなく、 重 

盛 も亦默 して 

ゐる e 



r^J と 申しければ, 大臣 何に 依って 只今 さる 御 事 おはすべき と は 思 はれ けれ 共、 今朝の 禪門 

の さる 物 狂 はしき 事 もやお はすらん とて、 急ぎ 率 を 飛ばせて、 西 八 條へぞ おはした る. - 

,: 3g にて 率より おり、 門の 內 へさし 入りて 見 給 ふに、 入道 腹 卷を著 給 ふ 上、 一門の 卿相 雲客數 

十 人 各々 色々 の直垂 に、 思 ひ 思 ひの 錢 著て、 中 門の 廊にニ 行に 著せられ たり" その外 諸 國の受 

領. 衛府, 諸司などは緣に居5^れ、庭にもひしと並み居たり" 旗竿 4_ハ 引き そばめ 引き そばめ、 馬 

の を 堅め、 甲の 緒 をし め、 唯今 皆 打つ 立たん する 氣色 共なる に、 小 松 殿,; 子 底 衣に、 大 

文の 指貫 Q そば 取って、 ざ やめき 入り 給へば、 事の 外に ぞ 見えられ ける。 人道 ふし 目 になつ 

て、 哀れ、 例の 內府が 世 をへ うする 樣に 振舞 ふ もの 哉- 大きに 練めば やと は 思 はれ けれ 共、 さ 

すが子ながら も、 內には 五戒 を 保って、 慈悲 を 先と し、 外に は 五常 を亂ら す、 禮儀を 正しう し 

給 ふ 人 なれば、 あの 姿に 腹卷を 著て 向 はんこと、 さすがに 面 は ゆう 辱 かしう や 思 はれ けん、 隙 

そ けん ころも あわて ぎ 一 . 

子 を 少し 引き立て &腹卷 の 上に、 素絹の 衣 を 周章 著に 著 給 ひたりけ るが、 胸板の 金物 少し は 

づれて 見えけ る を、 隱さ うと 頻りに 衣の 胸 を 引き 違へ ぞ I 給 ひける。 大臣 は < ^"弟 宗 盛の 卿の 11 

上に つき 給 ふ。 入道 宣ひ 出さる-^ 事 もな く、 大臣 も 又 申し上げら る- もな し。 

S 〇 世 はは やかう 候 大變な 世の中に なった。 〇 刎ねられ たんな 刎ねられ たるな の 訛。 〇 鑽西 

九州の 別名。 色々 の 直垂、 思 ひ 思 ひの 1^ 〇 直垂ゃ 鎧の 械 毛の 色 合が 樣々 な こと。 〇 旗竿 長さ 一 

丈 二 尺 乃至 一 丈 五六 尺 位までの もの。 〇 引き そぼめ そばに 引き寄せ «^く こ と。 〇 腹 IW 巾 一幅 

の 布 を、 背から 腹の 下へ 廻し 上で 結ぶ もの。 〇 烏 精子 直 衣 立烏帻子に^^衣を著ること。 公 の 平 

直盛敎 訓 二 七 



二八 

0O 〇大 文の 指 貰 大柄な 文 を緣リ 出 して ある 指貫。 指貫は裾に緒をさし^^-て括 (く、 no とした 

袴。 〇 そば 取って 指貫の K 立 を 取る こと。 急いで 行く 樣子。 〇 世 をへ うする 世の中 を 代表 

する。 〇內 内典に て 佛敎。 〇 外 外典に て 儒敎. - 〇五 威 不 殺生。 不倫 盜* 不邪娃 • 不妄 不飮 

洒。 〇?^^常 仁 *義* 鏝。 智* 信。 〇 あの i ぶ 烏 精子 直 衣の 落着いた 姿。 〇 面 は ゆう ^かしく 赤 

面する。 〇 舍弟 弟 

@ 主馬の 判官 盛國が 急いで 直 盛の 尾 敷に K けつけ て 「世の中 は 大變の ことにな リ ました」 と 申した の で、 

攻 盛に それ を 聞く や 聞かずに、 「嗚呼、 それで は 成 親 卿の 首 はもう 1 ねられた の だな」 と 仰せられる、 

「左 樣 では ございません が、 入道 殿が 御 著 背 長 をお 召しに たりまして、 侍 共 も ^3" うち 立って、 只今 

の 御所 法 住 寺 殿へ 打 寄せよう として 勢 揃 をして をり ます。 世の中の 翳ぎ を める まで、 赏分法^11!1を為 

羽の 北 殿へ お移し 申し上げ るか、 でなければ、 西八倏 へお 越し を 願 ふとい ふので すが、 赏際は 九州の 

方 へ お流し 申さう とお 決定に なリ ました」 と 申しました の で、 iill- 盛 は 何う して そんな ことがあら うと 

は 思 はれた が、 どうも 今朝の 涛へ烧 公の 御樣 子で は、 そんな 氣狂 ひじみ た 事 も あるか も.^ れんと 思 はれ 

て、 急いで 車 を 走らせて 西 八烧へ お出に なった。 門の 前で 車から 降リ て、 門の 内へ 入って 御, にな n- 

ますと ぶ: S 盛 は腹卷 をお 召しに なって ゐる ばかりで たく、 一門の 公卿 達 数十 人が、 冬々 一 X 々の 色 合の 

弒 毛の 鎧 を 著て、 中 門の 廊下に 二列に 座って ゐられ る。 その他、 ^!^國の受領ゃ衞府の役人、 諸 司な ど 

に緣 側に 一. はいで、 庭に もぎつ しリ 並んで ゐる。 そして 旗竿な ど を 自分, { 、の 側に 引き寄せて ほき、 

或は 馬の 腹帶を 堅く した リ、 或は W- の 緒, \> しめな どして 今 直ぐに も 出立し さうな 樣子 であるのに、 直 

盛 は 立 烏帽子に 直 衣 姿で、 大 文の 指貫の K 立 を 取って さら /-、 と 衣擦れの 音 を させな がらお 入リ にな 

ろので、 如何にも 思 ひがけない 不調和な 樣 子に 見える。 淸盛公 は 俯 U になって、 セ. て/ \、 あの 何時 

もの^ 盛が、 如何にも 自分が 世の中 を 代表して ゐる やうな 振舞 をして ゐる こと だ わい。 1 つうん と 意 

見して やらう と 思 はれた が、 やはり C 分の 子と は 云 ふ もの >-、 心の 內に は、 佛敎 に說く 五戒 を 守って 



や、 あつ 

て、 盛が 法 

皇を 幽閉し 奉 

る 事情 を 述べ 

たに 對 して、 

盛 は を 押 

へ て、 s,^ 

太 政 大臣の 身 

として 甲 S! を 

鎧 ふことの 醴 

儀 に^き、 又 

出家の 身と し 

て 弓箭 を帶す 

る ことの 破戒 

無慙の 罪に 當 

る こと を說 

く 而 して、 

朝恩の <Si いこ 



中に も 慈悲 を 第一 とし、 外に 對 して は、 儒敎に敎へる!^-常を亂れず、 AS 儀 を 正しくな さる 人 だか、 り、 

あの 烏帽子 直 衣の 如何にも 落着いた 姿に 對 して、 腹卷を 著て 對而 する の はさす がに 恥 かしく 赤面す る 

やうに 思 はれた ので あらう か、 紙 門 を 少し 閉めて、 腹卷の 上に 素 招の 法衣 を あわて V お召しに なった 

が、 胸板の 金 打が 少し IT つれて 見える の を、 隱さ うと、 何度も 衣の :! のと ころ を 引き合 はせ くされ 

た。 重 盛に 弟宗 盛の 上座に お^りに なる。 けれども、 ifS 盛 も 何も 仰せられず、 ^ 盛 も 亦 何も. B- し 上げ 

なつ 

良 有って 人道 宜 ひける は、 「あの 成 親の 卿が^ 叛は、 事の 數 にも 候 はす。 丁 M 法皇の 御 結構に 

てこ そ 候 ひける ぞゃ。 暫く 世を靜 めん ほど、 法皇 をば 鳥 羽の 北 殿へ 移し 參ら する か、 然ら すば 

是 へまれ 御幸 を 成し 參ら せんと 思 ふ は 如何に」 と宣へ は、 大臣 聞き も 敢へ給 はす、 はらく と 

ぞ 泣かれけ る. J 入道 「さて 如何に や 如何に や-と あきれ 給へば、 良 有って 大 ほ 淚を 押へ て、 「こ 

の 仰せ 承り 候 ふに、 御 運 は 早 末に 成りぬ と覺ぇ 候) 人の 運命の 傾かん とて は 必す惡 is!^ を 思 ひ 立 

ち 候 也。 又 御 有様 を 兑參ら 候 ふに、 更に 現と も 覺ぇ候 はす。 さすが 我が 朝 は 逾地架 散の 境と 

ち-る じ ち a< のこ やねの みこと て ふ つ s^^vl 

は 申しながら、 天照大神の 御子 孫、 國の 主として、 天兒屋 尊の 御 末、 朝の 政 を 司 らせ給 ひし 

より 以來、 太 政 大臣の 官に 至る 人の、 甲 胃 を 錢ふ事 禮俵を 背く に 非す や。 就中 御 出家の 御身な 

! b だつ どゥ 5- フ ほふ *~ 

り。 それ 三世の 諸怫、 解脫 M 相の 法衣 を 脫ぎ棄 て k 忽ちに 甲 皆 を 鎧 ひ、 弓箭 を!^ しまし まさん 

こと、 內には 破戒 無 慙の罪 を 招く のみなら す、 外に は 仁義 禮昝信 の 法に も s:! き 候 ひなんす。 ^ 

々恐 ある 申し 事に て 候へ ども. 心の底に g 趣を殘 すべきに も 候 はす。 先 づ^に TO 恩 候- H< 地の 

恩、 國 王の 恩、 父母の 恩、 衆生の 恩是 なり。 その 中に 最も 重き は 朝恩な り。 普 天の下 王 地に 非 

m 盛敎訓 二 九 



三 〇 



と を 累述し 

て、 淸 盛の 行 

動の 非 を 貴め 

る。 今、 重 盛 

の 身の 君に 忠 

ならん とすれ 

ば、 父淸 盛に 

孝なら ず、 父 

に 孝な らんと 

すれば、 君に 

忠 ならず、 全 

く 進 返に 窮し 

たこと を 述べ 

て、 今 直ぐ 重 

盛の 頸 を 剣ね 

られ よと い 

ふ 聞く 者 袖 

を濕さ ぬ はた 

かった C 



で 一ん 



すと 云 ふ 事な し。 されば かの 親 川の 水に 耳 を 洗 ひ、 首 陽 山に 蕨 を 折りし 賢人 も 勅命 背き 難き 禮 

儀 をば 存知す とこ そ 承れ。 如.^ に况 や、 先祖に も 未だ 聞か ざっし 太 政 大臣 を 窮めさせ 給 ふ。 

所謂 重 盛が 無才 愚 間の 身 を 以て、 蓮府槐 門の 位に 至る, - 加 之、 國 郡 半 は 一 門の 所 と 成って、 

田園 窥く 一家の 進 止たり" 是 希代の 朝恩に 非す や. - 今是 等の 莫大の 御 恩 を 思し召し 忘れさせ 給 

ひて、 猥が はしく 法皇 を 傾け 參らせ 給 はんこと、 天照大神、 正 八幡宮の 神慮に も 背 かぜ 給 ひ 候 

ひなんす。 夫れ 日本 は神國 なり。 神 は 非禮を 受け 給 ふべ からす" 然れば 君の 思し召し 立た せ 給 

ふ 所、 道理 半ば 無き に 非す。 中に もこの 一 門 は、 代々 の 朝敵 を 平げ て、 四海の 逆浪 を靜 むる ieiif は、 

無 雙の忠 なれ ども、 その 賞に 誇る 事 は、 傍若無人 とも 申しつべし。 聖德 太子 十七 筒條御 憲法に 

しふ ことわ リ 

人 皆 心 有り, 心 各々 執 あり J 彼を是 し、 我 を 非し、 我 を 是し彼 を 非す。 是非の 理 、 誰か 能く 

たまき はし たと 

定 むべき" 相 共に 賢愚な り" 環の 如くして 端な し, - 愛 を 以て 縱ひ人 怒る と 云 ふと も 却って 我が 

咎 を懼れ よと こそ 見えて 候へ。 然れ ども 家の 運命 末 だ きざる に 依って、 御 謀叛 己に 顯 はれさ 

せ 給 ひ 候 ひぬ, - その上 仰せ 合 は せらる X 成 親の 卿 を、 召し 置かれね る 上 は, 縱ひ 1!?; 如何なる 不 

思議 を、 思し召し 立た せ 給 ふと も、 何の 恐 か 候 ふべ き。 所當の 罪科 行 はれぬ る 上 は、 退いて 事の 

由 を陳じ 申させ 給 ひて • 君の 御爲に は彌表 公の 忠勤 を盡 し、 民の 爲には 益 撫育の 哀憐 を 致させ 

給 はば、 祌 明の 加護に 預 つて、 佛陀む 冥 慮に 背く ベから す" 祌明怫 陀感應 あらば, 君 も 思し" 口 

しな ほす 事、 など か 候 はざる べき-" 君と 臣とを 比ぶ るに、 親疎 別く 方な し" 道理と 僻事 を雙べ 

、ん ことわ, 

んに、 爭か でか 道理に 付かざる べき。 是は 尤も 君の 御理 にて 候へば、 叶 は ざらん 迄 も、 院中を 

守護し 參らせ 候 ふべ し、 その-故 は、 重 盛 始め 叙爵より、 今 大臣の 大將に 至る 迄、 しかしながら、 



君の 御 恩なら すと 云 ふ 事. 1^ し J この 御 恩の まき 事 を 思へば、 顆 ie? 顆の 玉に も 超え、 その 恩の 

深き 色 を 案す るに、 一入 再 入の 紅に も猶 過ぎた らん" 然 らば、 院 中へ 參り 籠り 候 ふべ し。 そ 

f の 儀に て 候 はば、 重 盛が 身に 代り 命に 代らん と 契りた る 侍 共少々 候らん d 是等を 召し 具して 院 

の 御所 法 住 寺 殿 を 守護し 參らせ 候 はば、 流石 以ての外の 御大 事で こそ 候 はんすら め j 悲しき 

哉、 君 Q 御爲に 奉公の 忠を 致さん とすれば 迷い 慮 八 萬の 頂よりも 猶 高き 父 の 恩 忽ちに 忘れん 

とす。 痛ましき 哉、 不孝の 罪を遁 れんと すれば、 君の 御爲に は已に 不忠の 逆臣と も 成りね ベ 

し" 進返是 窮まれり" 是非い かに 辨へ 難し" 申し 請く る所設 は、 只 重 盛が 頸 をお され 候へ" そ 

の 故 は 院參の 御供 を 仕る ベから や、 又 院中を も 守護し 參ら すべから す。 されば、 彼の 蕭何 は大 

功 かたへ に 越えた るに 依って、 官大相 園に 至り、 劎を帶 し 水:! 14- 履きながら、 殿上へ 昇る 事 を 許 

されし かど も、 慮に 背く 事 ありし かば、 高祖 重う 警めて、 深う 罪せられに き J 加 様の 先縱を 思 

へば、 富貴と いひ、 榮 花と 云 ひ、 朝恩と 申し、 重職と いひ、 旁々 き はめさせ 給 ひねれば、 御, 述 

の盡 きん 事 難 かるべき に 非す、 富貴の 家に は、 綠 位重疊 せり、,、 再び 奮なる 木 は、 その 极必す 偽 

むと 見えて 候 心細う こそ 候へ、 何時まで か 命 生きて、 亂 れん 世 を も 見 候 ふべき。 只 末代に 生 を 

受けて、 か&る g ,き 目に 逢 ひ 候 ふ 重 盛が 報の 程 こそ 拙う 候へ, 唯今 も 侍 一人に 仰せ付けら 

れ、 御 坪の 內へ 引き出されて、 重 盛が 首の 刎ねられん する 事 は、 いと 安い 程の 御 で こ そ^は 

ん すらめ。 是を各 々聞き 給へ」 とて、 直 衣の 袖 も 絞る ばかりに かき ロ說き 、 さめ 厶、 と 泣き 給へ 

ば、 その 座に 並 =1 居 給へ る 平家 一 門の 人々 皆 袖 をぞ濕 されけ る 

1^ 盛敎訓 11 二 



〇 事の 數 にも あらず 大した ことで もない。 〇 邊地粟 散 片隅の 粟粒 ほどの 小さい 國 の集リ 

〇 天兒 屋根 命 神 皇產靈 尊の 御子。 中 臣連藤 原 氏の 祖祌。 〇 三世 過去、 現在 、未来。 O^KM: 

相の 法衣 世俗 を 離 股した 印に 着る 法衣。 〇 破戒 戒を 破る こと。 〇 無慙 惡事 をして 悔ひ慙 る 

心の ない こと。 〇 旨 趣 思って ゐる 事。 〇 衆生 世間 一 切の 生物。 〇 齊 天の下 天の, 成 3 く 覆 ふ 

所。 〇 穎 川の 水に 云々 高士 傳 「許 由 耕 一 于顏水 之 陽, 堯召爲 二 九州 長 『由 不レ 欲, 聞レ 之、 洗-. 耳 於 颜 水 之 

濱」。 〇 首 陽 山に 云々 史記 「武 王旣 平-, 殷亂 1 天下 宗」 之 而 伯 夷 叔齊恥 之 義不レ 食:. 周 於 首^ 山 一 

釆レ蔡 食レ 之」。 〇 蓮^ 槐門 大臣の こと。 〇 進士 進 返 許否 を 勝手に 取 極める こと。 〇 傍 若 無 

人 眼中 人な きさまに ふるま ふ。 C 人 皆 心 あり 云々 十七 箇條 $ ^法 第 十倏の 文。 〇 執ぁリ 意見 

が ある。 〇 彼 を是し 我 を 非し 云々 憲法 本文に は 「彼是 則 我 非-我 是 則 彼 非」 と ある 怠。 〇 環 

耳飾リ にす る 金屬 性の 圓ぃ 輪。 〇 所當 適法の。 〇 佛陀の 冥 慮 佛の思 召。 〇 叙^ 五位に 叙 

せられる こと。 〇 併しながら 悉く。 〇 千 穎 萬 頸 顆は 赏。 玉、 石 等を數 へる; い。。 〇一 入 再 入 

入 は 染料に 浸す 度数 を 数へ るに いふ 語。 一し ほ 二し ほ。 〇 迷 蘇 迷盧の 略。 須彌 山と もい ふ。 佛 

1^ にある 高山の 名。 〇 申し 請く る 所 マ 眩 御 願 ひする 結局の 所 〇 蕭何 漢の 高祖の 臣。 〇 かたへ に 

傍輩に。 〇 果報 ral 果の報 ひ。 〇 拙う 候 運が 惡ぃ。 • 

しばらくして 淸 盛が 「あの 成 親 卿の 謀叛な ど は 何でもな い。 あれ は 7 ぶく 法皇の 御 企で ある ぞ。 それで、 哲 

く 世の中 を靜 めて しま ふまで、 法皇 を 鳥 羽の 北 殿へ お移し. &ザ か、 でなければ、 此處 へお 出で を 願 ふ 

かしょうと 思 ふが どうで あらう」 と 仰せられ ると、 重 盛 はお 聞きに なるや 否や、 はら ./(^ と を 流して 

泣かれた。 淸 盛が 「どうしたの だ、 どうした」 と あきれて 仰 せれら ると、 しばらくして、 重 盛 は淚を 押 

へ て 「唯今の 仰せ を承リ ますと、 父上の 御 運. aw 早 や 終リだ と 思 ひます。 人の?^ 命の 傾かう とする に 

は、 きっと 惡事を 思 ひ 立つ ものです。 それに 御 様子 を拜 見し ますに、 仝,、 正 の 沙汰と は 36 はれませ 



ん。 我國は 世界の 片隅に ある 小さ い 國とは 申します もの 、、何と 申しても、 天照大神の 御子 孫の の 

、王 君と なリ、 天 兒屋极 命の 御子 孫が 朝廷の 政治 をお 掌リ になって からこの 方、 まだ 一 度 も 太 政 大臣の 

に 登った 人が 甲 由" を 身に 著け ると いふ こと はな いこと で、 その 父上の 御 有樣は IS 儀に くで は ござ 

いません か。 とリ わけ、 父上 は 御 出家の 御身です。 それが 三世の 諸佛と 同じ 解脫 同相の 法衣. 脫 いで 

しま つ て、 忽ち 甲胄 を 著、 弓箭 をお 持ちに なると い ふ 事 は 佛敎の 立場から 屮 せば 戒を 破" 惡事を 侮 い 

慙る こと をした い 罪 を 身に 招く ばかりでなく、 儒敎 から 見ても 仁義 鱧智 信の 敎へ にも^::くでせぅ.。 善 

かれ 惡 しかれ、 いづれ にしても 父上の こと を かれこれと 申します の は 恐れ 入 つたこと で ござ います 

が、 心の中に 私の 思って ゐる こと を 云 はないで 包んで おく 場合 ではありません から 巾し 上げます。 

1 、 この 世に は 四つの 恩があります、 即ち 天地の 恩、 國 王の 恩、 父 ほの 恩、 衆生の であります、 その 

中で 最も 重 いのは 天子の 恩で あります。 普く 天の 稷 ひかぶ さって ゐる下 は 何. と 云って 天子の 御 支配 

の 地で ない 處は ぁリ ません。 それです から、 あの 支那に は堯 帝の 昨、 汚れた こと を 閉 いたと 云 つ て^=-を 

穎 川の 水で 洗った 許 由 や、 周の 武 王の 時、 不義 を惡ん で、 首陽山に隱れて蕨を取って<^った:^夷叔齊 

とい ふやうな &: 入 も、 天子の 命に 背いて はならぬ と いふ ®ir は 知って ゐ たと 承ります。 それで あるの 

に、 まして、 父上 は 先祖に もま だ 開かなかった 太政大 E の 位にまで お上りに な" ました。 そして 自分 

の 如き 所謂 才も なく 智も無 い 愚かな 身で 大臣の 位に 上りました。 それば かりで なく、 我!: は 半分 はわ 

が 一族の 所有地と たって、 仝 國の莊 園 は 殆ど わが 1 家の 自由であります。 これ.!:; に W にも 稀な 朝 の 

御 恩ではありません か。 それに 今 父上が この やうな 寅に 大きい 御 恩 をお 忘れに なって、 無法に も 法^ 

をお 惱 まし. ra. すと いふ 事 は 天照大神 や、 正 八幡宮の 御 心に も 背き ませう。 わが: :! 本の 國は祌 の^で あ 

ります。 神は^^に背ぃた事はぉ取り上げにはなりません。 それですから法^?!がぉ考へ になった ところ 

は 半分 は 道理の ない ことはありません。 その 道理の 中に も、 此の 一門 は 代々 の 朝廷の 敵 を; 小げ て 世の 

m ^ ^ ^ 11 一三 



一一 一四 

亂 れを靜 めた 事 は此上 もな い 忠義であります が、 その 手柄 を 自慢して 威張 リ 散らす ことに あま リに我 

儘 過ぎる 振舞 ひであります。 聖德 太子の 十七 窗倏掏 憲法に も 「人に は 皆 心が ある。 各自の 心に は それ 

意見が ある。 だから 彼お 善しと し 我を惡 しとしたり、 又 自分 を 善しと して、 彼を惡 しとした りす 

る。 けれども この 善惡の 道理 を 誰が 十分 定める ことが 出來 よう。 皆、 共々 に 賢く も ぁリ、 又 愚かで も 

ある。 その 有樣 はちょう ど 環の 如き もので 境目 はな い。 かう いふ わけ だから、 たと へ 人が 怒っても、 

それ を 笑った リ、 腹 を 立てた リし ないで、 却って 自分に 咎の ある こと を 悟って 慎し めよ」 と說 かれて 

あります。 又、 御 連の 末 だと は 云 ふ もの、、 しかし まだ 全く わが 一 門の 運命が 盡 きないの v^、 法皇の 

御 企が お 露れ になった のであります。 其れに、 法皇が 御 相談になる 成 親 卿 をお 閉ぢ 籠め になった 以上 

は、 たと ひ 法皇が どん やうな 思 ひ 設けない こと を 思 ひ 立 たれても 何の 恐るべき ことがあ" ませう。 適 

宜な 刑罰 を 行 はれた 上 は、 返いて 法皇に 委細 を 申し上げて 法皇の^ 爲に こ れ まで 以上に 御 奉行して 

お 義を盡 し、 人民の 爲には 益々 可愛がり 助けてお やりに なリ ましたならば、 神のお 守り にも W リ、 佛 

の 御 思 召に も 背きます ま い。 神 ゃ佛が 街 感動な されたならば、 法皇 もお 考へ 直しな さる 事が どうして 

ない ことがあり ませう。 君と 臣とを 比べて、 どちらが 親しい、 どちらが 疎い とい ふ 別はありません。 

私にば 同じ ことであります。 而し 又、 道理と 非 道理と を 比べたら、 どうして 私 は 道理に 付かずに ゐら 

れ ませう。 それで、 是は 法皇の 方が 御 道理であります から、 私 は出來 ない 迄 も 法皇の 御所 を 御 守護 ffs- 

しませう。 その わけ は 私が 叙爵の 時から、 今 大臣の 大將に 登ります 迄、 悉く 法皇の 裨恩 でない こと は 

ありません。 その 御 恩の 重い こと を考 へます と、 千 個 萬 個の 貴重な 玉よりも まだ 貴 く、 その 御 恩の 深 

さは、 何度も 染めた 紅よ リも 深いで せう。 それです から、 私は院 中に 味方と して 立籙 ります。 さうな 

り ますれば、 私の 身に も 命に も 代らう と 約束した 侍 共が 少々 は ございます。 是 等の 侍 共 を 引 連れて、 

法皇の 御所 法 住 寺 殿 を 御 守護 申したならば、 何と しても 意外の 御大 事で ございませう。 あ. - 悲しい 



9 六月 二日 

に、 新 大納成 

親 を 公卿の 座 

に 出して、 御 



ことに は、 法皇の 御 爲に来 公の 忠義 を 致さう とすれば、 須彌 山の IS よりも まだ 高い 父の 御 恩 を 忘れて 

しま ふこと になります。 而し 父に 對 する 不孝の 罪 を遁れ ようと すれば、 法 i?i の 御 ほに は, <5- く 不忠の 逆 

臣と 成らねば なりません- 寅に どう 身を處 してよ いか 困り 梁て 、しま ひました。 御 願 ひする 結 :5 の 所 

は、 只 この 盛の 頸 をお 取り 下さい。 その わけ は、 父上の 法皇 を 攻められる 御 佻 も 致して はな リ ませ 

ん、 又 院中を 御 守護 申しても なリ ません。 あの 漢の高 翻の K の 蕭何は 傍輩 を 越えた 大功に: つて、 大 

相 國の官 に 至リ、 效を帶 び、 沓を 履いた ま >- で、 御殿に 昇る こと を 許された けれども、 高 一 m のお S 召 

に 背く ことがあ つたので、 高祖 は ひどく 叱って、 直い 罪に 行 はれました。 この やうな 先例 を 思っても 

富货 とい ひ、 榮 華と いひ、 朝廷の 御 恩と いひ、 重職と いひす ベて その 絕 頂までお 達しに なった のです 

から、 御 運が 盡き るの も 無理ではありません。 富貴の 家に 係祿ゃ {:« 位が 十分で あるの は、 恰も 一 年に 

二度 も實の 生る 樹木 は、 根が 必ず 弱る とい ふ詞と 同じ ことになる だら うと 思 はれます。 そ の^を 考へ 

ますと 心細い ことです。 何時まで 生き 長ら へ て、 亂れる 世 を 見 ま せう。 只、 供の 代に 生れて、 この 

やうな 辛い E に 逢 ひ ま す 私の 栗 報が 淺 いのです。 今す ぐに、 侍 一 人に 仰せ付けられて、 御-;^ の 中へ 

引き出して、 私の 頸 を 刎ねられ ますこと はほんの 造作 もない ことです。 各々 方 も 私の 云 ふ^,^ お 間き 

なさい」 と 云って、 直 衣の 袖 も 絞る ほどに 淚を 流して ぉ敎訓 になった ので、 その^ 敷に 並んで ゐられ 

る 平家 一門の 方々 は皆感 1^ に 咽ば された。 

七、 新 大納言の 流され 



六月 二日の 日、 新 大納言 成 親の 卿 をば、 公卿の 座に 出し 奉って、 御物 進ら せ けれども、 胸せ き 

ぁづか 3> 

塞って、 御 翁 を だに も 立てられす。 預 の 武士 難 波の 次郞經 遠、 御 を 寄せて、 とうくと 巾 

しければ、 大納言 心なら す ぞ乘り 給 ふ。 哀れ 如何にもして、 今 一 度 小 松 殿に 兑ぇ 奉らば やと 忍 

新 大納の 流され 三 五 



コ M ハ 



を 逸らせ、 

やがて 難波^ 

遠 は 車 を 寄せ 

て 成 親 を それ 

に 乗せた。 今 

1 度 <^ 盛に 逢 

ひ 度 いん 思 ふ 

けれども、 そ 

れも叶 はず、 

前後左右 を 見 

れ ども わ ,2 IS 

ざまの 者 は 一 

人もゐ ない。 



9 成 親に 西 

の 朱 雀 を 南に 

行き、 鳥^ gi^ 

を 過ぎ、 南の 

門に 出て 舟 を 

待って ゐた。 

此邊 にわが 方 

樣の者 を 求め 

られ るに 一人 



はれ けれども、 それ も 叶 はす。 見廻 はせば、 軍兵 共 is 後 左右に 打圍ん で、 わが 方 様の-者 は 一 尺 

もな し。 「縱 重科 を 蒙って 遠國へ 行く 者 も、 人 一 人身に 副へ ざるべき 事 や ある」 と、 寧の 内に 

てかき ロ說 かれければ、 守 謹 の 武士 共 も 皆 鎧の 袖 をぞ濡 しける: 

6 〇 公 鄉の座 來 客の に 設けた 室。 〇 御. 物 食膳。 〇 預 りの 武士 護送の 命 を. けた 武士。 

(しわ が 方樣 のお E 分の 平生 召使つ た 者。 

_@ 六:::: 二 nor: マお 元年 y 成 親 卿 をば 公卿の 座に お出し 申して、 食- 爭を 差し上げた けれども、 成 親 卿 は 胸 

が 塞って 御箸す らお 取りに ならな い。 そこで 護送の 命 を 受けて ゐる 武士の 難 波の 次郎! -5 辺が 車 を 側に 

寄せて、 早く/、 と 申した の e、 大納言 は氣が 進ま な いながら もお 乘 りになる。 あ、 何う にかして 

も 一 度 ^ 盛 殿に 逄 ひたい もの だと 思 はれた けれども それ も 出來な い。 廻す と 前後左右に iSs 盛の 兵 共 

がう ち 園んで、 自分の 召使った 者 は 一人 もゐ ない。 「たと へ、 重い罪 を 受けて 遠國 へ, 流される 者で も 

1 人の 供 を も 召 連れない とい ふこと が あらう か、 こ れは あまりに 非 度い レ」 と、 車の 中で 歎いて 云 はれ 

たので、 守護す る 武士 共 も 皆お 氣の 毒に 思って 淚 を^した。 

西の 朱 雀 を 南へ 行けば、 大內山 を も 今 は 余所に ぞ見給 ひける。 年來 見馳れ 奉りし 雜 色 牛 飼に 至 

るまで、 皆淚を 流し 袖 を 儒ら さぬ はたかり けり, - まして 都に 殘り留 り 給 ふ 北 〇 方少き 人々 の 心 

の 中、 推量ら れて哀 なり。 鳥 羽 殿 を 過ぎ 給 ふに も 「こ Q 御所へ 御幸 成りし に は、 一度 も 御供に 

はは づれ ざり しも Q を」 とて わが 山 庄洲濱 殿と ておりし を も、 <S 所に!:: てこ そ 通られ けれ。 せ 

鳥 羽の 南の 門出で て、 舟遲 しと ぞ急 がせけ る ^ 大納 一一 一一:! 「同じく 失 はるべく tr 都 近き 此邊 にて 

も あれ かし」 と宣 ひける こそせ めて Q 事 なれ。 近う 副 ひ 奉った る 武士 を 「IM こと 問 ひ 給へば- 

「預の 武士 難 波の 次郞經 遠」 と名乘 り 申す" 「若し 此邊 にわが 方 樣の者 や ある,) I 人 尋ねて 參ら 



もな い。 成 敷 

は淚 を は ら 

く 流して、 

誰 一入と して 

見送って くれ 

る老 のな ぃ悲 

しさ を 歎 かれ 

る C 昔の 熊 野 

0. 天 王 寺. 詣 

などの 時の 豪 

勢 さに くらべ 

て、 今の その 

慘 めさ、 心の 

中が 推量れ て 

哀れで あろ。 



せよ、 舟に 幾ら. ぬ 先に 云 ひ 置くべき 事 有り」 と宣 へば、 經遠 その 邊を 走り 廻つ て 1^ ね けれど 

も、 我 こそ 大納言の 殿の 御 方と 申す 者 一人 もな し。 その-時 大納言 淚を はら/、、 と 流して、 「さ 

りと. 、わ、 わが 世に 有りし 時 は、 隨ひ 付きたり し 者 共、 一 二 千 人 もお りつらん に、 今 は 所に て 

だに この 有様 を 見送る 者の 無 かりけ る 悲し さよ」 とて 泣かれければ、 猛き武 十: 共 も の 袖 を 

ぞ濡 しける" 唯 身に 副 ふ 物と て は、 盡 させぬ 淚 ばかりな り 熊 野詣、 1K 王寺詣 などに は、 二つ 

G 瓦の 三つ 楝に 造った る 舟に 乘り、 次の 船 二三 艘^ ぎ績 けて こそお りしに、 今 はけし かる かき 

すゑ 屋形 舟に 大幕 引かせ、 見 も. なれぬ 兵 共に 具せられ て、 今日 を 限に 都 を 出で て、 浪路 逸に 赴 

かれ けん 心の 屮、 推 量られて 哀 なり。 

〇"„s の 朱 雀 を 南へ 西の方へ 朱 雀 大路まで 行き、 折れて 南へ 向った こと。 〇 大內山 大. s ^ の 別 

稱。 〇 洲濱殿 山^ 國紀伊 郡 鳥 羽 村 字 竹の 山に あった 烏 あ 離お 附近の 地。 〇rt- 羽 の^の 

殿 南門。 〇 せめての 事 思 ひ 迫っての 事。 〇, ほ 一 野詣 |1-伊!1牟ゅ??一都征ー野祌社參^^5。 〇天 王 寺 

摄津 成 郡 四天王 寺。 〇 二つ 瓦の 一二 棟に 造った 舟 美しく 钸リ 立てた 舟。 「かにら」 に、 龍せ。 それ 

が 二 本 も 入れて ある もの 「一一 1 っ楝」 は 三 段に 作って、 5- 首 ^1ら後に.至るに隨っ てーぬく造ってぁるもの。 

〇 けし かる 見苦しい。 〇 かきす ゑ屋形 厘 形を据 ゑた やうに S いて ある^ なお。 〇 大 外 

側に 引く 幕。 I 

西の方へ 朵雀 大路 まつ 、行き、 そ こから 折れて 南へ 向き、 更に皇居を離れ1^3ざかって行く。 長年お 兑訓 

れ 申した 雜色ゃ 牛 飼に 至る までが、 ぉ氣の 毒に S つて 背淚 を: „g して 泣かぬ 者はなかった。 まして、 都 

に 殘リぉ リに なられる 夫人 や 御 子供達の 御 心中 はいかば かリ であら ウ かとお 察し ゆし 上げて お^の 

毒で ある。 烏 羽の 御所 をお 通リ 過ぎになる につけても、 「法皇が この 御所へ 御幸に なった 時には 一 度 

新大納 莒 の 流 さ れ 



i 



三 七 



9 その 日大 

納言は 大物の 

浦に 著 かれ 

た。 翌 ロ其虔 

へ 京から 使が 

あって、 備前 

の兒 島に 流せ 

よと いふので 



善 



三ん 

も 卸 供に 缺け たこと はなかった のに、 今後 は 最早 やそれ も出來 ぬ」 と、 お 思 ひに なリ、 やがて、 この 

モく にある 御 自分の 山庄の 洲濱 殿と 云 ふの が 有る の を 遠くに 眺めて お 通 り 過ぎになる。 烏 羽の 南門に 

出て、 舟が 來 るの を 待ち かねてね る C 大納言 は 「同じ 殺される のなら、 都に 近い 此 仏で 殺された い」 と 

仰せられ るの もよ く/ \ 思 ひ 迫って 事で ある。 近くお 側に 付き 副 ゥてゐ る 武士 を 「お前 は 誰か」 と 名前 

をお 尋ねに なると、 「預の 武士の 難 波の 次郞經 遠です」 と 申す。 そこで 大納言 は 「もし 此 .;!?^ に rt: 分に 仕 

へた 者が ゐ るか、 ゐ るなら ば 一人 尋ねて 參れ。 舟に 乘ら ない 先に 云って 置きたい 事が ある」 と 仰せら 

れ るので、 經遠は その 邊を 走り 廻って 尋ねた けれども、 自分 こそ 大納言のお 仕 人と 申す 者 は 1 人 もな 

い。 その 時 大納言 は 1^ を はらく と 流して、 「自分が 世に 榮 えて ゐた時 は、 自分に 隨ひ 付いた 者 共が 

一 二 千 人 も 有った だら うに、 かくな つた 今 は餘所 目に さ へ も見送っ てくれる^!?がな ぃとはぁまリに^ 

けな い」 と 云って 泣かれた ので、 心の 荒い 武士 共 も 今 は!^ を 出した。 赏に成 親 卿の 身に つ いて ゐるも 

のと 云って は只淚 ばかりで ある。 昔、 i は 一野 參詣ゃ 天 王 寺參詣 などに は、 立派に 飾リ たてた 舟に 乘リ、 

お供の 舟が 二三 十艘 漕ぎ 績 いて ゐ たのに、 今 は 見苦しい かき 据ゑ屋 形 に 大幕を 引き、 馴れない 武 

士 共に は. て、 今日が 見お さめと 都 を 出て、 遙 かな 海上 を 行かれる 心の中 は どの やうで あらう かと 

思 はれて ぉ氣の 毒で ある。 

新 大納霄 は、 死罪に 行 はるべ かりし 人の、 流罪に 宥められ ける 事 は、 11 に 小 松 殿の やうく に 

申されけ るに 依ってな り。 その 日は攝 津の國 大物の 浦に ぞ 著き 給 ふ 明くる 三日の 日、 大物の 

浦へ は、 京より 御 使 ありと て ひしめき けり。 大納言 「そこにて 失へ とに や」 と 聞き 給へば、 さは 

なくて、 「儲 前の 兒 島へ 流すべし」 との 御 使な り" 又 小 松 殿より 御文 有り. - 「哀れ 如何にもして 

都 近き 片山里に も 置き 奉らば やと、 さし も 申しつ る 事の 叶 は ざり ける こそ、 世に 有る 甲斐 も 候 

はね^ さりながら も 御 命ば かり をば 乞 ひ 請け 奉って 候ふぞ J 御 心安う 思し 召され 候へ」 とて、 



ある。 1a^盛か 

ら成 親に 御文 

があった そ 

れ から 難 波の 

許に も、 大納 

首の 宮仕 をよ 

くせよ との 沙 

汰 があった。 

翌:: : 舟 を 推し 

出して、 次第 

に 都に 遠ざか 

リ、 日数 重つ 

て、 兒 鳥に 著 

き、 粗末な G!^ 

家に 成 親 を 入 

れ 率った i! . 



難 波が 許へ も、 「よくく 宫仕 奉れ。 相 構へ て 御 心にば し 遠 ふな」 と ぞ宣ひ 遣 はし、 旅の 粧ひ細 

バと 沙汰し 送られたり J 新 大納言 は、 さし も 忝う 思し 召されつ る 君に も 離れ 參ら せ、 つかの 問 

を さな いづち . 

も 去り 難う 思 はれけ る 北の方、 少き 人々 にも 择 別れ ei- て、 「こ は 何 地へ とて 行く らん d W び 故 

ひととせ 

鄉に歸 つて、 妻子 を 相 見ん こと も 有り難し J 一年 山門の 訴訟に 依って、 己に 流されし を も君惜 

ませ 給 ひて、 西の 七條 より^し かへ されぬ, - されば 是は! S の御戒 にも 非す。 こ は 如何にし つる 

事共 ぞゃ」 と、 天に 仰ぎ 地に 伏して、 泣き 悲め ども 甲斐 ぞ なき。 明けければ、 舟 推し 出して 下 

り 給 ふに、 道す がら 唯淚 にの み 咽んで、 ながら ふべ しと は覺 えね ども、 さすが 露の命 は 消え や 

らす、 跡の 白浪 隔 つれば、 都 は 次第に 遠ざかり、 日 數漸ぅ 重なれば、 遠 國は旣 に 近付きぬ。 備 

前の 兒 島に 漕ぎ 寄せて、 民の 家の あさましげ なる 柴の 11 に 入れ 奉る。 島の 習 ひ、 後 は 山、 前 は 

海、 磯の 松風 波の音、 何れも 哀れ は盡 きせ や。 

6 〇 大物の 浦 攝津 國河邊 郡 尼 ケ^の 海岸。 〇 宮仕 成 親に 仕へ る こと。 〇ば.- S^m0o 

〇 山門の 訴訟 嘉應 元年 十二月、 成 親の 知行 尾 張國の E 代. 衞門尉 政 友が、 山門 颌不 W 莊の 神人と^ 

を 生じた のが 原因で、 山門の 嗷訴 とな リ、 成 親 は備中 國 へ 流罪に 定 つたが、 問 もな く 成 親 を 召?^ され 

たこと。 〇 西の 七倏 西の 京の 七倏 〇 君の 御誡 法^?!のぉ思召から出た所刑 〇 跡の,:: 波 ^の 

過ぎ行く 跡に 殘る. H い 波の こと。 〇 島の s« ひ 島の 地勢の 常と して。 

S 成 親 卿 は當然 死罪に 行 はれる 人であった が、 それが 流 S 非に 許された の は、 仝く^盛卿が^^々に:|明さ 

わたから である。 その 日に 攝津國 の 大物の 浦に お 著き になった。 翌三 n: に大; g の 浦に 京都から^ 盛の 

御 使が 來 たと 云って 騷ぎ 立てた。 大納言 は 「此處 で 殺せと 云 ふの か」 とお! ねに なった が、 さう ではな 

新大納 言 の琉 され 一二 九 



四 〇 

くして、 r 備 前の 兒 島へ 琉せ」 とい ふ @使 である。 又、 重 盛^から- 1^, 親に お 手紙が あった、 それにに、 

「何とかして 都に 近い 邊 鄙な 處 にお 置き 中したい と、 種々 に 申し ましたが、 叶はなかった ので、 全く 

生 もな い 次第です。 然しながら 御 合-だけ は 助かる やうに お 願 ひ 申しました。 御 安心 下さ い 」 と あ 

リ、 それから. i 遠の 許へ もよ く 注意して お 仕へ 申せよ。 決して 成 親 鄉の御 心に 背くな」 など 云 ひ 寄越 

され、 旅 中 の 用意 も 細 い 点まで 命令し てぶ こ された。 新 大納言 は、 非常に 勿體 なく 思し召し てゐ られた 

法皇に もお 別れに なリ、 ほんのし ばし の も 離れ 難く 思って ゐられ た 夫人に も 幼い お 子 達に も 皆お 別 

れ になって 「これ は 一 體何處 へ 行く ので あらう。 再び 故. 鄉に歸 つて、 妻子に 逢 ふこと も出來 ない。 あ 

の 以前に、 山門の 訴訟に 依って、 巳に 流罪に なって ゐ たの を、 法皇が お しみ 下さって、 西 京の 七倏 

から 召し 還され た。 その 時 は 朝廷からの^ 罪で あつたが、 今度 はさう いふ 朝廷の 所 罰で もない のに、. 何 

とした 事で あらう。」 と、 ひどく 身悶えして 泣き 悲しむ けれども 仕方がない。 夜が 明けた ので、 港から 

舟 を 押し出して 海路 をお 下りに なリ ましたが、 その 途中 もずつ と 唯 15^ に 咽んで ばか リゐ られ て、 此上 

生き 存ら へ て も ゐられ さう に 思 はれ や * か つたが、 さう は 思 ふ もの > -、 やはり 死ぬ こと も出來 す、 だん 

/\舟 が 進行す るに つれて、 都 は 次第に 遠ざか リ、 口が だんく 鍵つ に^って、 流罪 の^は 近 づ い 

た。 備 前の 兒 島に 舟 を 著け て、 平 の 住む 見苦しく 粗末な 家に お 入 れ 申した。 何 虔の岛 でも 同じ こ 

と、 後 は 山、 前 は 海で、 磯邊の 松風 や 波の音な ど、 すべ て 悲しみの 種ば かリ である。 , 



9 ^-m. 成 

0. 康 頼の 一二 

人 は 鬼界が 島 

に 流された。 

島の 人 は衣裝 



七、 新 大納言の 死去 

さろ 程に 法 勝 寺の 執行 俊寬. 惯都、 丹 波の 少將 成經、 平 判官 康赖、 これ 三人 をば 薩摩^ 鬼 界が島 

へぞ 流されけ る。 かの 島へ は 都 を 出で て、 遙々 と 多くの 波路 ビ 凌いで 行く 處な リ-- 朧げ にて は 

まも 通 はす、 島に は 人 稀な り。 おの づ から 人 は 有れ ども、 衣装なければ、 この 土の 人に も 似す 



もた く、 云 ふ 

訶も 分 ら た 

い。 男 は 烏 幅 

子 も 着ず、 女 

は 髮をも 下げ 

なつ ュ して 

米穀がない の 

で 殺生の みし 

て, つる 島の 

中には 高山が 

あって、 火が 

燃えて 硫黄が 

充満して, Q る 

グ 、雷が 常に 鳴 

リ、 楚には 雨 

が繁 く、 片時 

も 生きて ゐら 

れ さう もない 

接で ある。 

9 成 親 は 子 

C 心の 成經が 

界が に;"?^ さ 

れ たと 問い 

て、 今 は 4.: く 



云 ふ 詞をも 聞き 知らす、 身に は 頻に毛 生 ひつ、 色黑 くして 牛の 如し" は 烏^子 も 著 や、 女 は 

髮 もさげ ざり ける。 食す る 物 も 無ければ、 常に 只 殺生 をのみ 先と す; 賤が山 田 を かへ さねば、 

米 殺の 類 もな く、 園の 桑ヒ 取ら ざれば、 親^&も無かりけり,^島の中には高き山有り,^とこしな へ 

に 火 燃え、 硫黄と 云 ふ もの 滿ち 充てり, - 故に こそ 硫黄が 島と は 名付け たれ。 雷 常に. M り 上り、 

鳴り 下り、 麓に は 雨 繁しリ 一 日 片時、 人 Q 命の 絶えて 有るべき 様 もな し。 

6 〇 成經 成 親の 子。 〇 鬼 界が島 降 摩 南方 諸島の 總名。 〇 随げ にて は 並大诋 のこと や は。 

生 生きた もの を 殺す。 漁獵。 〇 賤 百姓。 

@ そのうちに、 法 勝 寺の 執行 伎 寛 僧都、 丹 波の 少將 成經、 平 判 {»:: 厳 頼の 三人 をば^ 糜!? 5 の 3- 界が に 

した。 その 島 は 都 を 出て、 遠くく 海 を 骨折って 過ぎて 行く 處で ある。 並大. W のこと では 船 も、 > ^はな 

い。 鳥に は 人が 大變少 い。 人が ゐる こと はゐて も、 着物 も 着ないで 裸体 だから この 入 界の 者ら しく 

もな く、 こちらから 云 ふ訶も 聞き わけない C ^體に は. 擇山 毛が 生えて ゐて、 而もお が く 仝く やの P 

うで ある。 男 は 烏帽子 も 冠らず、 女 は髮も 下げて ゐ ない。 食物 もな いから 何時も 漁 ばか リ してん 

る。 百姓が 耕作 をし ないから、 米 や 穀物の 様な もの もな い。 そして、 it の 中には 15 山が ある。 絕 えず 

火が 燃え、 .硫 黄と いふ ものが 充満して ゐる。 それで、 この 島の 名 を 硫黄が. :2 ともい ふ。 山に は^が 絡 

えず 鳴リ、 麓に は 雨が 繁く 降る、 かゥ いふ 岛だ から 一 口 片. S- も きて ゐら れさゥ にも はれな い。 

新 大納言 は 少し くつろぐ 事 もやと 思 はれけ るが、 子息 丹 波の 小 將成經 以下 三人、 薩^? S 鬼 が 

島に 流されぬ と 聞きて、 今 は 何 を か 期すべき とて、 出家の 志の 候 ふ 由 を 便に つけて • 小 松 殿へ 

巾され たりければ、 法皇へ 伺 ひ 中して、 御 ありけ り, - 榮 花の:^ を 引き かへ て、 浮世 を 余所に 

11: 染の 袖に ぞ 窶れ 給 ひける。 

新大納 言 の 死去 四 一 



期待 もな くな 

つて、 出家し 

た 



9 八月. f 九 

日、 成 親 は 二 

丈ば かり ある 

所の 下に 突き 

落されて 菱に 

貫かれて 殺さ 

れた。 この 事 

を 聞かれ て 北 

の 方 は 菩提 院 

にお はして 尼 

にた リ、 若君 

姬君も 父の 後 

1.1 を 弔ら はれ 

た 



i ® 浮世 俗世間。 憂世と も 書く。 

@ 新 大納霄 は そ の う ちに は 少し は 落: 翁く こ とも あら ゥ かと 思 は れ た が、 子息 の 成 鯉 以下 三人の 者が 薩!^ 

ほ 鬼界が 島に 琉 された と 聞いて、 「今 はもう かくまで 淸 盛の 情なく する ので あるから、 何 を 期待す る 

ことが 出來 よう」 と 云って、 53 家した い 志の ある こと を 便の 序に 重 盛 卿に 申される と、 <3i 盛 は 後白河 

法皇に お 伺 ひして 御 ゆるしが 出た。 橋 奢に 耽った 昔の 姿と は 打 つ て變 つて、 俗世間から は 全く 離れ 

て、 墨染の 法衣に 姿 をお 窶し になった。 

さる 程に、 同 八月 +丸 日、 大納言 入道 殿 をば、 備前備 中の 境、 庭!; g の鄕、 吉備の 中 山、 有 木の 

別 所に てぞ 終に 失 ひ 奉る" その 最後の 有樣 やうく に 聞え ける J 始めは 酒に 毒 を 入れて 進ら せけ 

れ ども 叶 は ざり ければ、 二 丈ば かり ありけ る 岸の 下に 菱を植 ゑて、 突き落し 奉れば、 菱に貰 か 

つて ぞ 失せられ ける。 無下にう たてき 事 どもな りつ "ぎ 少ぅぞ 聞え しリ 北の方 この. H を 俥へ 聞き 

給 ひて、 「哀れ 如何にもして、 替らぬ 姿 を 今一度 見 もし 見えば やと 思 ひて こそ、 今日 迄 様 をば 

替へ ざり つれ。 今 は 何に か はせん」 とて, 菩提 院と云 ふ 寺に おはして、 御 様を眷 へ、 D の 如く 

の 佛事營 み 給ふぞ 哀れなる 若君 姬君も 面々 に 花 を 手 折り、 間^の 水 をむ すんで、 父の 後世 を 

弔 ひ 給ひぞ 哀れなる . 

6 〇 同へ 月 治 承 元年 八月。 〇 岸 崖。 〇 菱 鎮の 串に 数 本の 先の 尖った as- の ある 者。 〇植,^|て 

地へ 突 さして 立てた こと。 〇 無下に 全く。 〇 うたて き 無惨な。 〇 菩提 院 菩提樹 院の 京 

都祌樂 1: 東。 〇 閼伽 梵語。 水の 義 であるが 特に 佛に手 向ける 水。 

@ そのうちに、 治 承 元年 八月 十九 日に、 成 親御 をば 備 前と 備 中との 國境、 庭 泡 鄕の吉 備の中 山と いふ 虚 



6 淸 盛の 御 

女 建 線 門院が 

御懷姙 になつ 

たの t ;、 もし 

皇子 御 誕生な 

らば 如何にめ 

でたい こと だ 

らうと 平家 1 

門の 人々 は 勇 

み悅ん だ。 

盛 は 有 驗の高 

僧 貴 信に 仰せ 



で、 終に お殺し 申した。 その 最後の 有樣に 就いてはい ろくに 取沙汰が あった 始めは 酒に 十お を 人れ 

て 差 上げた が、 旨く ゆかなかった ので、 今度 は 二 丈ば かリ ある? m の 下に 菱を つき 差し立て 、おいて、 

Si の 上から 突き落し 申した ので、 成 親 は その 菱に 貫かれて お 逝去に なった。 に 無慘な や り 方で あ 

る。 この やうな 事 は 例が 少 いこと だと 世間の であった。 北ガ はこの こと を人傳 にお むきになって、 

「どうかし てお 互 ひに 替らな い 姿 を も 1 度 見 もし、 見せ もしたい と S つ て 今 口 迄 尼に もなら ずに ゐた 

亡くなられた 上 は 何の 甲斐が あらう」 とて、 菩投院 と いふ 寺に お いでに なって、 尼の,^ にな リ、 Iwffi 

通りに 佛事を 行 はれる も: f ましい ことで ある。 若君 や 姬君も それぐ 花 を 折リ、 水 を 汲んで 佛 前に 手 

向け、 父の 後世 をお 弔 ひなされ たが 實 にお i おの 毒で ある。 



七、 許 



文 



許 



人道 相 國の御 女建禮 門院、 その 時 は 未だ 中宫と 聞え させ 給 ひしが、 御惱 とて, 雲の上、 の 下の 

歎に てぞ候 ひける。 諸 寺に 御 譖經始 り、 諸 社へ 宫幣使 を 立てら る" §i 術 を^め、 藥を盡 

し, 大法 秘法 一 つと して 淺る 所な ぅ修 せられけ り。 され ど.^ 御愤 ただに も 渡らせ 給 はす、 御懷 

姙とぞ 聞え し、 主上 は 今年 十八、 中宮 は 二十 二に 成らせ 給 ふ。 然れ ども 未だ 皇子 も姬^ も 

させ 給 は, もし 皇子に てまし まさば、 如何に 目出度 からん と、 平家の 人々、 只今 皇子 誕ル エ^ 

る 様に 申して、 勇み 悅び合 はれけ り。 他家の 人に も 平氏の 繁曰 M 折 を たり、 皇子 誕生 疑な しと 

ぞ 申し 合 はれけ る。 

御 懷姙定 らせ給 ひし かば, 入道 相闽、 有驗の 高僧 貴 I? に 仰せて、 大法 秘法 を修 し、 し^^- II、 佛 

文 ol 



g: 四 



て 大法 秘法 を 

修し、 皇子!^ 

誕生 を 祈 ら 

せ、 仁 和 寺の 

守覺法 親王 は 

孔雀 經の法 を 

以 C 加持し、 

天 ム:: 座主 覺快 

法 親王 等は變 

成 男子の 法 を 

i:^ した。 



御 菩薩に 付けて、 皇子 御 誕生と Q み 祈誓 せらる" 六月 一 日の 日、 中宮 御著帶 有りけ り。 仁 和 寺 

室 守覺法 親王、 急ぎ 參內 りて、 孔雀 I, の 法 を 以て 御 加持 有. リ" 天台 11 主 覺快法 親王、 寺の の 

へんしゃう なんし 

長 吏 岡慶法 親王 も 同じく 參らせ 給 ひて、 變成 男子 Q 法を修 せられけ り" • 

® 〇^ 隨 門院 IS 盛の 第二 女、 德. 十。 高 含: 大皇の 皇后" 安德 fK 皇の御 母。 〇 中宮 .::$1 后の 別稱。 〇•§ 

の 上 せ :! 中。 〇 官幣使 祌紙官 ょリ諸 社に 簖帛を 奉じて 行く 使。 〇^^5陽 陰 「1 師。 1K 文 、暦数 卜筮 

などに 依って、 人事の 吉 W をト する 者。 〇 大法 秘法 密敎の 修法で、 ^通 法、 大法、 秘法の: 二 か 

ある。 〇 有驗 祈 湾の 效驗の 著しい。 〇 崖 宿 星座、 こ >f はた だの ^ 陽せ,! 乂 は密敎 の修; で 

星 を 祭リ災 を攘ふ 故に 云 ふ。 〇 御 著 帶懷娘 五箇 月 E に 腹帶を 蹄め る 儀式。 〇 仁 和 寺 m 城 3:5::? 野 

郡 花園 村 字 御室に ある。 〇 守覺法 親王 後白河 院第四 皇子。 〇 孔雀 I- の 法 .a 災の爲 に 孔雀 I- を 

修す 眞言 祈禱の 大法。 〇^ 持 加 被で 佛 力の 加 はる 義" K 言 宗で佛 刀 護 念 を 祈る 呪 法。 〇 覺 

法 親王 第五 十六 代 天台 座主。 烏 羽院. i: 七 皇子。 〇 寺 同 城 寺の こと。 〇 長 吏 一 寺の 首 4|。〇^ 

慶法 1^ 王 第三 十六 代 園 城 寺 長 吏。 後白河 院第五 皇子。 〇 變成 男子の 法 觀 昔の 佛 力に 依って^ 5: 

の 女子 を變 じて 男子と す る 祈驂 法。 

@ 涛盛 公の 御 女 建 鱧 門院 は その 顷は まだ 中宮と し 上げて,^ たが、 御病氣 だと 云 ふので、. tins- も 世 I? も 心 

配して ゐた。 寺々 に 御 讀經が 始リ、 諸 社へ 官幣使 をお 立てになる。 陰陽師 は秘 銜を盡 し、 醫 t 豕は あら 

ゆる 藥を 用ゐ、 あらゆる 大法 や 秘法 は 一 つも 殘らず 行 はれた。 然し、 その 御 病氣は 普通で はたく、 御 

懷絍 であるとの 事であった。 天皇 は 今^ 十八、 中宮 は 二十 二に お成りで ある。 しかし まだ 皇子 も 姫君 

もお 生れに ならない。 それで、 もしも 皇子であった ならば 何ん なにお 度い ことで あらう.、 と 平家の 

人々 は 今にも 皇子が 御 誕生の 有る や. つ: is- して 勇み 悅 びあって ゐられ た。 平家 以外の 人々 も 「平家の 

繁 IE は 今が 盛りで ある。 きっと 皇子が 御. 1H れ になる に 相違ない」 と 首 ひ 合って ゐた。 いよ/ \ 御懷妣 



門 脇の 宰 

相はホ 御產 

の 御 祈の 事な 

ど 聞いて、 ^ 

盛に 向って、 

樣々 の 御 祈よ 

り も 非常の 赦 

を 行って、 

界が CI^ の:^ 人 

共 を 召し 返す 

ことが 遙の功 

德 であると e- 

したので、 

盛 は 父の 薛盛 

の 御前に おは 

して、 鬼界が 

鳥の 流人 を 救 

免し た な ら 

ば、 iiH 子御誕 



とい ふこと がお 定り になった ので、 淸盛は 效驗の 著しい 高僧 ゃ货 僧に. ゆ じて、 大法 や 秘法 を修 し、 Ma 

ゃ佛、 菩薩な どに も 皇子が 御 誕生な される やうに と 御祈禱 になった。 六 1 口に 御お 帶の! ^式が 行 は 

れ た。 その 時 仁 和 寺の 御室 守覺法 親王 は 急いで 御參內 になって、 孔^|-の法を以て御加^£を な さ れ 

たリ それから 又、 夭 ム " の 座主 覺快法 親王、 園 城 寺の S 吏 圓慶法 親王 もや はリ御 crs: になって、 ^成 男 

子の 法 を 行 はせられ た。 

門 脇の 宰相、 か 様の 事 ども 傳へ 聞き 給 ひて、 小 松 殿に 中され ける は、 「へ 「度 屮せ御 産の 御 祈^ 

々に 候な り。 何と 申す とも 非常の 赦に 過ぎた る 程の 事、 有るべし とも £ 凡え 候 はす。 巾に も 鬼界 

が {15 の 流人 共 を 召し 返された らん 程の 功德 善极、 何事 か 候 ふべき」 と 巾され たりければ, 父の 

禪 門の 御前に おはして、 「ぁの丹波の少將が事を門脇の宰相^-りに欵き中すが_不便に候 殊 

中宮 御^の 御 事、 承り 及ぶ 如くん ば、 成 親の 卿が 死靈 など 聞え て 候 大納言が死線^^{1?めんと 

思し 召さん に 付けて は、 生きて 候 ふ 少將ケ < 召して こそ 歸 され 候 はめ。 人の m わ を 休めさせ 給 はば 

思 召しす 事 も 叶 ひ、 人の-願 を 叶へ させ まし まさば 御 願 も 則ち 成就して、 御 魔 平安、 ,:^-子御誕 

生 有って、 家門の 榮 花い i 盛に 候 ふべ し」 など、 中され ければ- 入 53 相!:、 日來 より の 外に 

-、, ビで、 「さて 俊寬 ゃ康賴 法師が 事 は 如何に」 宣 へば、 「それ も:: Z じう は. V しこ そ歸 され 候 はめ 

若し 一 人も殘 された らん は、 なかく 罪業た るべ う 候」 と 中され たりければ、 入 t3 相^ 「,ぉ 頼 

法師が 事 はさる 事 なれ ども、 俊 寬は隨 分 人道が 口 入 を 以て、 人と 成りた るお ぞ かし" それに 所 

しも こそ 多 けれ、 東 山齒の 谷、 わが 山庄に 寄り合 ひて. 奇怪の 振舞 どもが 有り けん なれば, 

俊 寬が事 は 思 ひも 寄らす」 とぞ宣 ひける。 さる 程に、 鬼界が 島の 流人 共の、 パ!: し 返さるべき 

許 文 四 五 



四 六 



生が 有って 家 

門 は彌荣 える 

ベ きこと を 申 

された ので、 

淸盛は 平生よ 

り も 和いで、 

成經と 康鎮と 

だけ を 免す こ 

とに した そ 

の 使 は 大急ぎ 

で、 七月 下旬 

に 都 を 立って 

長月 二十日 頃 

に 島に 著い 

た 



議 



定り しか、 入道 相 國の赦 文書いて ぞ 給び ける" 御 使 旣に都 を 立つ。 宰相 余の 嬉し さに、 御 使 

に 私の 使 を 添へ てぞ 下されけ る。 r 夜を簧 にし、 急ぎ 下れ」 と 有りし かど も 心に 任せぬ 海路な 

れば、 浪路を 凌 い で 行く 程に、 都 をば 七月 下旬に 出で たれ ども、 長月 1 1 十日 比に ぞ、 鬼界が 

島に は 著に ける." 

I 〇 門 脇の 宰相 淸 盛の 弟、 敎盛。 成經の 妻の 父。 〇 非常の 飲 朝廷の 吉 w 事の ある 時、 臨時に 1^ 

人 を 免す こと。 〇 功德 善根 將來 善果 を 得べき 行爲。 〇 死靈 死んだ 人の たまし ひ。 〇 口 入 口 

添へ する こと。 〇 人と 成りた る 一 人前の 人間と なる。 〇 救 文 救 免狀。 〇 私の 使 敎盛 個人 

のした てた 使。 〇 長月 九月。 、 

門 脇の 宰相 は、 中宮 御懷 娘の 事な ど を 人 傅に 聞いて、 重 盛 公に 「今度 9- 宮掏產 なされる に 就いて 漾々 

の 御 祈が ぁリ ますが 何と 申しても、 臨時. の赦 を; 仃 ふに 越した 事 は あるまい と 思 はれます。 その 中で も 

鬼界が 島の 流人 共 をお 召し 返される 程の 功德 善根 はぁリ ますまい」 と 申された ので、 重 盛 は 父の 御前 

にお 出に なって、 「あの 丹 波の 少將の 事 を 門 脇の 宰相が ひどく 歎 かれる のが 氣の 毒です。 それに、 承 は 

る 所に 依れば 中宮の 掷病氣 の 譯が成 親 卿の 死霊の 祟な どい ふ 評判です。 成 毂賴の 死 M を 宥めようと S 

し 召される につけても、 生きて をり ま す 少將を お 召還な さるが よろしう ございます。 人の 思 を 休めな 

されましたならば、 思し 召す 事 も 成就し、 人の 顒 をお 叶へ になり ませば、 自然、 父上の 御 願事 も 成就 

して 中宫の 钩產も 平らかで、 皇子が 御 誕生に なって、 わが 一 門の 荣花は 益々 盛に なリ ませう。」 などと 

申された ので、 淸盛は 平素の 荒々 しいのに 比べ て 案外に もやさし くな つて、 「それで は、 伎寬 ゃ康鎮 

法師の 事 は 何う する」 と 仰せられ るので、 「それ も 同じ 事なら お召し 返しな さ いませ。 若し 一人で も 

残されましたならば、 却て 罪の 事で ございます」 と 申される と、 淸盛は 「康賴 法師の 事 は 尤も だが、 

伎 寛 は隨分 自分が 骨折って 一 人前の 人間に なった 者で ある、 それに も か はらず、 所 も あらう に 自分 



の 山 庄の東 山の 鹿の 谷に 集合して、 不都合の 搌 舞が あつたの だから、 伎寬を召し遼すことは思ひも^_3 

ら ない」 と 仰せられた。 そのうちに、 鬼界が 島の 流人 共 を 召還す ことと 決定した ので、 淸盛 は;^ 免^ 

を 書いて 與 へられた。 そこで 御 使が 愈々 都 を 出立した。 宰相 は 余りの 嬉し さに その 使に 宰相 個人と し 

ての 使 を 体 はせ て、 島に お下しに なった。 「夜畫 休みな しに 急いで 下れ」 との 仰せであった けれども、 

思 ふやう にならぬ 海路 だから、 浪ゃ 風の 中 を 骨折って 行く うちに 都 は 七月 下旬に 出た けれども 九月 二 

十日 la^ に 鬼 syil- 著い ち _ _ _ ! 



九、 足 



摺 



@ 御 使の 丹 

左 衞門尉 基 

康が から 上 

つて、 康 頼と 

成 I- を 等ね た 

が、 その 時 二 

人 は 能 i 野詣し 

てたかった。 

伎 寛が 一人ん 

たが、 周章い 

そいで 御 使の 

前に 行った 

そこで 3^ 盛の 

救 文 を 取り出 



御 使 は 丹お 衛門尉 基 唐と 云 ふ 者な り。 急ぎ 船より 上り、 「是に 都より 流され 給 ひたりし 平 判官 1^ 

頼 入道、 丹 波の 少將殿 やお はする」 と聲々 にぞ 尋ねけ る" 一 1 人の 人々 は 例の 熊野詣 して 無 かりけ 

り" 俊寬 一人 有りけ るが、 是を 聞いて、 「余リ に 思へば 夢 やらん、 叉 天魔 波 旬の、 わが 心 を 

つ A あ て 

誑 さんと 云 ふやらん" 現と も 更に 覺 えぬ もの 哉」 とて、 周章 ふためき、 走る ともなく、 倒る 

ともなく、 急ぎ 御 使の 前に 行き 向って、 r 是 こそ 流された る俊宽 よ」 と 名乘り 給へば、 雜 色が 

に 懸けさせ たる 布袋より、 入道 相 國の赦 文 取り出で て 奉る,^ 是を けて: 3^ 給 ふに、 「甫科 は?;^ 流 

に 免す。 早く 歸洛の 思 を 成すべし、 今度 中宮 御 產の御 祈に 依って、 非常の 赦行 はる。 然る^ 鬼 3^ 

が 島の 流人、 少將 成經、 廣賴法 .1 赦免」 とば かり 書かれて、 俊 寬と云 ふ 文字 はなし" 禮 紙を兑 る 

にも 見えす、 奥より 端へ 讀み、 端より-奥へ 讀 みけれ ども、 二人とば かり 書かれて、 三人と は fr;2 

かれす、 さる 程に 少將 ゃ康賴 法師 も 出で 來り 少將の 取って 兑る にも、 康 賴が讀 みける にも 二人と 



足 



摺 



四 七 



w 八 



して 奉った。 

^文 を 開けて 

見る に、 救 免 

は 二人 だけ 

で、 佼 まの 名 

は 見えた い。 

> の ク ちゝ 一 一 

人も歸 つて 來 

て 見た が何處 

にも 佼 5a の 名 

は 兌え た い。 

伎 寛 は 天に 仰 

ぎ 地に 伏して 

位き 悲ん だけ 

れ ども W- 斐の 

ない ことで あ 



ば. A り 書かれて、 三人と は 書かれ ざり けり" 夢-」 こそ か、 る 事 は;^ れ、 夢 かと 思 ひ 成さん とす 

うつ、 もと ことづて 

れば 現な. リ、" 現 かと 思へば 又 夢の 如し, - その上 二人の 人々 の 許べ は 都より 一一 一一 2 傳 たる 文 ども 幾ら 

も 有り けれども、 俊寬 僧都の 許へ は 事 問 ふ 文 一 つもな し。 I されば わが ゆかりの 者 共 は 都の- 

內に跡 を 留めす 成りに ける よ」 と、 思 ひ 遣る にも 覺束 なし J 「抑 我等 三 入 は!: じ 罪、 配所 も 同じ 

所な り J 如何 なれば 赦免の 時 二人 は 召し 返されて、 一人 爱に淺 すべき. - 平家の 思 ひ 忘れ かや. 

執筆の 謬 や" こ は 如何にし つる 事 ども ぞゃ」 と、 天に 仰ぎ 地に 伏して、 泣き 悲しめ ど 5. 斐ぞな 



さ 



議 







〇 例の 熊野詣 成 ir 康賴の 二人 は、 島の 中に 紀州 熊野樓 現の 祀 つて ある 所に 似た 場所 を 求めて、 そ 

こに 三 所 接 現 を勸^ して、 日毎に- m 野 詣の眞 似 をして、 歸?^ の 事 を 祈っても たが、 伎5«^は小信,i!su の 

人で 參詣 もしなかった。 〇 天魔 天に 住む 惡 魔" 〇 波 旬 天魔の 別名。 〇 布袋 布^の 袋" 

of 歸京。 〇 鱧 紙 文書の 上 を、 別に 一 杈卷き 重ねる 紙。 〇^:!^1:ふ 安否 を 尋ねる。 〇 跡 

を 留めず 住んで 居らなくなる。 〇 執筆 書記。 

この 御 使 は 丹左衞 門の 尉 基 康と云 ふ 杏で ある。 急いで 船から 上って、 「此の 島に 都から 流されて お出 

にたる 平 判官 康頼 入道と 丹 波の 少將 殿が おはす か」 と 一行の 者が 呼びながら 尋ねた。 二人の 人々 に そ 

の 時 何時もの 熊野詣 をして 其 魔に ゐ なかった。 伎. m が 一 人 居た が是を 聞いて これ は 余リに 都に 歸り度 

いと S ぬ ふから こんな 夢を見た ので も あらう か。 それとも 又 天魔が 自分の 心 を だまさ ウを w.】 つて 云 ふの 

であらう か。 ど. ゥ も現實 のこと X は 思へ ない と 云 ひながら、 あわて 騒いで、 走る 樣で 走る ので もな く 

倒れる やうで 倒れる ので もな く、 危げな 足取りで、 急いで 御 使の 前に 宠 つて 行って、 「この 私が 流さ 

れ た佼宽 よ」 とお 名乘リ なさる と 雜 色の 頸に 懸けさせた 布袋から- -is 盛の 赦文 を取リ 出して 差し上げ 



8 伎 寬は少 

將に 向って、 

C 分が こんな 

になった の も 

成 親の 謀叛の 

所 である。 

それ を S つ て 

都 迄で はなく 

て もせめ て 九 



た。 是を 開いて 御覽 になる と、 「重い罪 は 今までの 遠;^ になった ことで 許して やる。 早く 都に お 京せ 

よ、 今度 中 の 御 産の 御 祈に 依って 非常の 赦が行 はれた ので ある。 そこで、 鬼界が 島の; „H 人、 小 ゾ將成 

經、 康賴 法師 を 赦免す る。」 とだけ 寄いて あって、 伎 M の 文字 はない。 鱧 紙に あるか も 知れん と、 

紙 を 見て もや はリ えな い。 文書の 奥から 11 へ、 又 端から 奥へ 誠んだ けれども、 二 入と だけ 寄 かれて 

人と は 書いて ない。 そのうちに、 少將 ゃ康賴 法師 も歸 つて 來て、 少將 がその 赦文を 取って 讀ん でも、 

康賴 法師が 讀んで 見ても や は リニ 人と だけ 霤 いて あ つて、 三人と は 書いて ない。 の 中で はこん な 

が あるが、 に 思 ひ 成さう とすれば やはり 現 $3; である。 現赏^-と£^へば乂-ゅ.のゃぅでぁる。 ^ の 上、 

ニ人の人々の許へ は都から言って寄越した手紙が何本も有ったが伎寛僧都の許へ は{女:めを^^ねる手紙 

は 一つ もない。 「そんなら 自分の 緣 故の ある 者 は 誰も 都の 內に 住んで 1H- ら なくなつ たの か」 と、 想像 さ 

れる につけても 不安で ある。 「我々 三人 は 同じ 罪で あり、 流された 所 も 同じ 場所で ある。 それに、 ど 

うい ふわけ で 赦免の 時 だけ は 二人 は 召し 還され て、 一人 だけ 此魔 に殘 すので あらう。 これ は 平家の 者 

が 自分 を 思 ひ 忘れた のか、 それとも 書記の 書き 謬 か。 これ は 一体 どうした^ であらう」 と、 <i? を §3 え 

て 泣き 悲レん だが 仕方がな い。 

倚都少 將の袂 にす がり 俊寬 がか 様に 成る と 云 ふ も、 御 邊の父 故 大納言 殿の. E なき 謀叛の 故な り、 

されば < ^所の 事と 思 ひ 給 ふべ からす。 赦 され 無ければ、 都 迄 こそ 叶 はすと も、 せめて はこの^ 

に乘 せて、 九國の 地まで つけて 給べ" 各の 是に おはしつ る 程 こそ、 养は 燕 、 秋 は m 面の 雁の 

r 、と. r る 

音信る 様に、 おの づ から 故 鄉の事 も傳へ 聞き つれ、 今より 後 は 何として か即 くべき」 とて is 

え 焦れ 給 ひけり. - 少將 「誠に さ こそ は 思し 召され 候 ふらめ。 我等が 召し 返さる-嬉し さも、 さ 

る 事に て は 候へ ども、 御 有様 を 見 奉る に、 更に 行くべき 穴. 一 も ええ 倏は す。 この 舟に 打 乘せ奉 

足 措 TO; 九 



五 



13 の 地まで も 

連れて 歸 つて 

くれと 願 ふの 

で少 は 救 さ 

れ もな いのに 

三人が 歸れば 

よくな い から 

自分が 先づ上 

力 はして 淸 盛の 

$5^ を つて 

直に 人 を 寄越 

すから 待てよ 

と 云 ひ lal めた 

けれども 佼寛 

は 忍べ さう に 

も 見え な か づ 

I I 



つて 上り 度う は 候へ ども、 都 Q 御 使、 如何にも 叶 ふま じき 由 を 頻りに 巾す, - その-上 赦 され も 無 

きに、 三人ながら 島の 內を 出で たりな ど 聞え 候 はば、 たかく 惡 しう 候 ひなんす。 成經 先づ罷 

よく/、 きレ く ひごろ 

り 上って、 人々 にも 能々 申し 合せ、 入?^ 相 國の氣 色 を も 伺 ひ、 直に 人 を 奉らん その 程 は 日 比 

おはしつ る 様に 思 ひ 成して 待ち 給へ。 命 11 如何にも 大切の 事 なれば たと ひ 此の!! に 澝れ させ 給 

ふと も、 終に はな どか 赦免なくて 候 ふべき」 と、 様々 に 慰め 給へ ども、 僧都 堪へ 忍ぶ ベう も 見 

え 給 はす。 

6 〇 餘 所の 事 無關 係の 事。 〇 九國 九州。 〇 さる 事に て は 候へ ど 嬉し いのは 勿論で は あるが 

〇 行くべき 空 も K えず 行く 氣が しない。 〇 此の 5g 今度の 機會。 

@ 4« 寬 は少將 の 抉に すが リ ついて 「自分が この 樣た 境遇に なった の も、 あなたの 父 故 大納言 殿の つまら 

た い 謀叛の 所爲で す。 だから あなた も 無關 一休の 事と 思って 下さるな。 救 2 れ がな いの だから、 都まで は 

行けた くても、 せめて この に乘 せて 丸 州の 地まで 連れて行って 下さい。 あなた 方が 此 島に お出の 間 

こそ、 春に は 燕、 秋に は 雁が音 づれ る樣に 自然 故!^ の 事 も 聞いて ゐ たが、 今から 後 はどうして 聞かれ 

ませう」 と 云って、 ^5-悶ぇして3^かれた。 少將は 「全く 左 樣に思 はれる でせ う。 我々 が 召し 返される の 

は 勿 誇 嬉し いが、 あなた の御樣 子を拜 見し ますと、 ほんと に 行く もしません。 それに この 舟に お乗せ 

申して 都に 上リ 度い と は 思 ひます が、 御 使のお が、 それ は 出 米 ま いと 何度も 申します し、 その上 救 さ 

れ もない のに 三人 共 島の 中 を 出た とい ふこと が 知れましたら、 却て 惡 いでせ う。 それで 私が 先づ 都に 

上って 他の 人々 ともよく 相談し、 淸 盛のお 機 攘をも 伺って 迎 へ の を 人 寄越し ませう。 それまで は、 今 

迄 過して 来られた やうに 思って お待ちな さ い。 何と 云っても 命 は 大事です から 大切に たさ いませ、 た 

とひ、 此 度の 機&! に はお 漏れに なっても、 終に は 救 兌に ならない 事に どうして 有リ ませう。 きっと 有 



s そのうち 

に 舟 は いよ 

く伎寬 だけ 

5^ して 出よう 

とした - § 

は 船に 乘 つた 

リ下リ たリし 

て 悶える C 愈 

々舟 は 镜を解 

いた。 佼寬は 

その後 を 追つ 

たけれ ども 舟 

はだん/ i.^ 遠 

ざ かる) 伎 直 

の 訴へも 願 ひ 

もす ベて 空し 

く 舟 は 沖に W 

て しま つ た- - 

伎寬は 活の上 

に 倒 れ 伏し、 

又 起き 上つ て 

高い 所に 走リ 

上って 沖の 方 

を 招いた けれ 



ります」 と いみく に 慰めて 仰せられた けれども、 伎寬は 我慢 出來 さう にも 思 はれな つかた。 

さる 程に 舟 出さん としけば. 情 都 船に 乘 つて は 降りつ • 下りて は乘 つつ、 あらまし を ぞし給 

ニグ ふすま とも. T^t 

ひける,^ 少將の形見には^^の衾、 康賴 入道が 形見に は 一 部の 法 華 I 化をぞ 留めけ る,, - 旣に投 解 

いて 舟 押し出 ザば、 僧都 綱に 取り付き、 腰に 成り、 脇に 成り、 畏の 立つ 迄 は 引かれて 出 づ.^ M 

も 及ばす 成りければ、 僧^ 船に 取り付き 「さて 如何に 各、 俊寬 をば 終に 拾て て 給 ふか。 日來 

の 情 も 今 は 何なら や、 都 迄 こそ 叶 はすと も、 せめて はこの 船に 乘 せて 九 國の地 迄」 と、 ロ說か 

れ けれども、 都の 御 使 「如何にも 卟ひ候 ふま じ」 とて、 取り付き 給 ひつる 手 を 引. 除け て、 船 を 

を さな 

ば 終に 漕ぎ出す。 僭 都 せん 方な さに、 } ^に 上り 倒れ伏し、 少き 者の 乳母 や 母な ど を 慕 ふ 様に、 

足 指 をして 「是乘 せて 行け. 具して 行け」 と宣 ひて、 喚き 叫び 給へ ども 漕ぎ 行く 船の- 1^:1 にて、 跡 

は 白波ば かりなり. - 未だ 遠から ぬ 舟 なれ ども、 淚 にくれ て兑ぇ ざり ければ、 惯都ー :2 き 所に 走り 

*■ つら さよ ひめ !S れ i 

上リ、 沖の 方をぞ 招きけ る。 かの 松 浦 小夜 姬が il" 船 を leg ひっつ 領布;^ 仏り けん も、 是には 過ぎ じ 

とぞ 兌え し。 さる 程に 船 も 漕ぎ 隱れ、 日暮 るれ ども 僭 都 怪しの 臥處へ も歸ら す、 波に 足 打ち 洗 は 

せ、 露に 萎れて、 その.^ は そこに ぞ 1^ しける, - さりと も 少將は 情深き 人 なれば よき 様に 巾す 1^ 

,の 5 ' f そく, 

もやと 憑み を かけて、 その 瀬に 身 を も 投げ ざり し 心の中 こ そ はかなけ り- 昔、 壯3^.::-里が^^ 

厳 山へ 放 たれけ ん悲も 今 こ そ E ャひ 知られけれ^ 

® 〇 あらまし 事 荒々 しい 事り 〇 夜 3 衾 夜具- 〇 俊 ぉを§^^ぃで©く^- 何^も: K ふ 

こと) 〇 足摺 足 を蹈み もがいて、 垃團. K 蹈 むこと。 ぎ ゆく おの 云々 ;;^ ^is- 「^ん 屮を何 

にたと へん 朝 ぼらけ 清ぎ 行く 船の 跡の. 0^ 」 〇 松 5g 小な 姫が 云 * 天.!; ぶの 一二 十七 i^、 大伴 佐に 



比 古が 新羅へ 遣 はされ た 時、 その 妻の 松 浦 小夜 姬が 別れ を 惜しんで、 肥 前の 松沛 山に 登って 領布 を 振 

つて 船 を 招いた 故事- 〇 領布 白色の 拷布、 羅 等の 薄物で 製し、 上古 人の 頸に 懸けて 装飾と した 

もの。 〇 怪しの きたない" 〇 壯里息 里 早 離 速 離の- ir 南 天竺 摩 涅婆叱 國の梵 士長 那の 二子 

で、 P" は 七才、 弟 は 五 才の時 母に 離れ、 飢 年に 父が 食 を 求めに 行った 留守に、 繼母 のために 南海の 絕 

島に 棄 てられて 死んだ とい ふ佛經 にある 話。 

その 中に、 舟 を 出さう としかけ た ので、 は5^に乘 つて は 降リ、 降りて は又乘 つた リ して、 荒々 し 

く氣が 狂った やうな 事 をな された) 少將の 形 兌に は 夜具、 康賴 入道の 形見に は 法 華!^ 1 部を殘 され 

た。 はや 船 は镜を 解いて 押し出し たので、 伎寬は 網に 取り付いて、 海水が 腰まで つき、 それから 脇 ま 

で つ いて だん ばみ に 逸んで、 身長が 立つ まで は 舟に 引かれて 出た) そしてもう 長が 屈 かなくな つ 

たの e、 遂に 船に 取リ 付いて、 「それで は、 どうしても 皆樣、 この 自分 を 後に 捨て >* お 了 ひになる の 

です か y 今日までの 友情 も 今 は 何にも ならぬ〕 都まで は 叶 はないでも、 せめて この 船に 乘 せて 九州の 

地 迄 e もい、 から」 と緣リ 返しく 云 はれ だけれ ども、 都の 御 使 は 「どうしても いけます ま い」 と 云つ 

て、 伎 直の 取り付いて ゐる手 を 引き 除け て、 遂に を 清ぎ 出した) 佼寬は 仕方がな いので、 海岸に 上 

つて 倒れ伏して、 幼兒が 乳母 や 母な ど を 慕 ふやう に 地闺太 踏んで 「自分 を乘 せて 行って くれ、 連れて 

行って くれ」 と 仰せられて、 泣き叫ばれる けれども、 漕いで 行く 船の 常と して、 跡に は 白波ば かリが 

残る〕 まだ 船 はさう 遠くに は 行って ゐ ない けれども、 淚に 眼が かすんで 見えなかった ので、 伎寬は 高 

い 所に 走リ 上って 沖の 方 を 招いた) その 有樣は あの 昔、 松! g 小夜 姬が 夫の 乘 つて ゐる唐 船の 行く の を 

慕って、 松 浦 山から 領布 を 振った の もこれ 以 上 の 悲し さではなかった らうと 思 はれる) さ r かう す 

る 中に、 船 も 見えな くな n -、 日 も 暮れた けれども、 伎寬 はきたない 0! 分の 臥虚 にも 歸ら ず、 足 は 波に 

洗 はれ、 夜露に 濡れて ぐったり となった ま \ その 夜 は 其處で 明した。 けれども 少將は 情? i£ い 人 だから 

、 淸盛 によ いやう に 賴んで くれる かも 知れぬ とそれ を當 てに して、 その 時に 海に 身 も K けなかった 心 



8 成 經と康 

® は 正月 下旬 

に 肥 前の 國鹿 

瀨の庄 を 立つ 

て、 三月 十六 

日に 鳥 羽に 着 

いた。 こ、 に 

は 故 成 親の 山 

庄洲濱 殿が あ 

る。 それに 立 

ち 寄つ て 見る 

と、 すつ かリ 

荒れ 架て X ゐ 

る" 成 I- は 父 

の こ と を戀し 

げ にあれ これ 

と 語り、 康賴 

も!^ を 流 し 

たリ やがて 泣 

々成 鯉 は 都に 

上った- 



中 は氣の 毒で ある。 昔、 印度の 壯里、 息 里と いふ 兄弟が 擬母 のために 悔 山へ てら.^ た 時の 悲しみ 

もこの やうであった らうと 思 はれた。 

一 o、 少將都 還 

1:^- 月下 句に 丹 波の 少將 成經、 平 判官 廢賴 入道 は、 肥 前の 阔飽 fi の庄を 立って、 都へ と はクト 4 がれ 

けれども、 余寒 も 未だ 烈しう、 海上 も 痛く 荒れければ、 浦傳 ひ. S 傳 ひして、 三月 十六 曰、 小ノ將 

鳥 羽へ 明う ぞ 著き 給 ふ •。 故 大納言 殿 Q 山 皮洲濱 殴と て 鳥 羽に 有り. - それに 立ち寄り 給へば、 化 

み 荒して 年經 にければ、 築地 は あれ ども 覆 もな く • 門 は あれ ども 藤 もな し。 庭に 立ち入りて 兒 

給へば, 人跡 絡え て 苔 深し。 池の 邊を兒 廻せば 秋の 山の 春風に、 白波 頻りに 折 懸けて 此ゃ t?,::^ 

逍遙す。 興ぜし 人の 戀 しさに、 只盡 きせぬ もの は淚 なり.. 家 は あれ ども 腿 門 破れて、 都、 ^尸 も 

絡え てな し。 爱には 大納言 殿のと こそお はせ しか、 この 妻戸 をば かう こそ 出入り 給 ひし か、 あ 

の 木 をば 自ら こそ 植ゑ給 ひし かなん ど 云うて 言の葉に 付けても、 只 父の 事 をのみ 31 ひしげ にこ 

. . . やよひ 

そ宜 ひけれ。 三月 中の 六日 なれば、 花 は 未だ 名淺 あり。 楊 梅 桃李の 栴 こそ、 折 知り 顔に 色々 な 

あるじ もと 

れ。 昔の 主 はな けれども、 春 を 忘れね 花 なれ や J 少將 花の 下に 立ち寄りて、 

<J . も いは 卞: いくばく かくれぬ る し たれ 釩ナ 、し 

桃李 不 JlC 春 幾 暮、 煙 露 無, 跡 昔誰栖 

ふるさとの 花の もの 言 ふ 世な りせば、 如何に 昔の事 を 問 はまし。 

この 古き 詩 馱を 口す さみ 給へば、 べ賴 入道 も 折節 哀れに 覺 えて、 i^w 染の 袖をぞ 5^ しける。 更け 

少 都?! - 五三 



, 五 四 

It くま. -に は、 荒れた ろ 宿の 習 ひとて、 古き 軒 問より、 ^ nr 影ぞ隈 もな き。 鷄 il^o 山 明 

けなん とすれ ども, 家路 は 更に 急がれす。 さてし も 有るべき 事なら ねば、 r 迎に乘 物 ども 遣 11 

して、 待つ らん も 心なし」 とて 少將 泣々 洲濱殴 を 出で つ X、 iti 々歸り 上られけ る 人々 Q 心の 

中、 さ こそ は 嬉しう も 又 哀れに も ありけ め。 

〇 餘寒 立春 後の 寒氣。 〇 築地 土 禅の 如き もの。 〇 秋の 山 鳥 羽 殿の 中の 假 山の 名。 〇 紫^ 

羽 色の 紫の 鴛。 r 稱門 透し 樓樣の ある 門。 〇|^ 格子の 裏に 板 を 張った もので、 日除け 又 風 

を 防 * く 用と した もの。 ( 遣 戸 引戸の こと。 〇 とこ そお はせ しか あ- - して 居られた、 かう して 

出入 キ- られ た。 〇 言の葉 ロ癬の 言葉。 〇 中の 六日 十 六日。 〇 投梅 やま も 40〇 桃 41- 不言 

云々 和漢 詠 集 S- の 句。 ふるさと のの 欲 後 拾遺 集、 春 部、 世 尊 寺の も、 の 花 をよ める、 出^ 

辨 Q 〇 鶏 籠の 山 支那の 山 名。 こ k に 鶏の 鳴く 音 を 籠め た 山の 意に 用ゐ、 山村の 嘵と いふ 程の 

意。 . 

@ cm 承 三年) 正月 下旬に、 丹 波の 少將成 IT 平 判官 康賴 入道 二人の 人々 は、 肥 前の 國鹿 溜の 庄を W 發し 

て、 都へ とお 急ぎに はなった が、 餘寒 もま だ 烈しく、 それに 海上 も ひどく 荒れた ので、 浦.!? y を傳 ひ、 

島を傳 つた リ して 三月 十六 日に、 成 韹は鳥 羽 へ まだ H の ある ゥち にお 著き になった。 鳥 羽に は故納 Y 

首の 山 庄洲濱 殿と いふの が ある。 それにお 立ち寄 リ になって 御覽に な る と、 住み 荒れて 年 を I- たの 

で、 築地 は ある けれども、 上の 覆 もた く、 門 は ある けれど 、- 扉 もな い。 庭に 這 八つ て 御! |i! になる と、 

人の 出入 も絕ぇ 一、、 笞が? i£ く 生えて ゐる。 池の 邊を 見廻す と、 秋の 山に 吹く 春風に. H 波が しき リに 折リ 

S し 寄せて、 紫 鴛ゃ白 萬が 遊び まわって ゐる。 こ の 景色 を 見て 樂 しんだ 父を戀 しく 思 ひ 出して かし 

きリに 出る。 家 は ある けれども、 摑門 はこ われ、 薪 や 遣 戶もー つもない。 「こ、 に は 父上が かう して 

ゐられ た、 この 妻 戶をぁ して 出た リ 入った リ された の だ、 あの 木 はお 自 r 井で ぉ植 ゑに なった の だ」 



康. s は 名 

?、" 惜しき ま 、 

に 成 I- の 車の 

尻に 乘 つて、 

七倏 河原まで 



たど 云って、 言葉の 端に も 只 父の 事ば かり 戀ひ しさう に 仰せられた。 三月 十六 日 だから、 花 はま だ教 

ら ないで ゐる。 楊 梅 や 桃 や 李の 拊は. S 何にも、 春の 時節 を 知って ゐ るかの ゃゥ に、 色々 の委 をして ゐ 

so 昔、 こ に 住んだ 主人 はゐな いけれ ども、 花 だけ は 春 を 忘れないで a- いて ゐる。 成^ は 花の木 は 

に 立ち寄って、 

桃李 不言 春 幾暮、 煙 露 無 跡 昔 誰栖。 (桃 i! 李の 花 は 昔 ど ほりに ii- いても、 を 甘 はない から、 春が 

何度 訪れ たかを 知る ことが 出來 ない。 もや や S は每 春た なびいても、 その 跡が?^ ら ないから、 S 

が栖ん だか 知る ことが 出.^ な い。) 

ふるさとの 花の もの 云 ふ 世な りせば、 如何に 昔の事 を 問 はまし。 

(故鄉 の 花が もの を 云 ふ 世であった 時には さぞ かし 昔の事 を 知つ てんる だら ウ から 何と 云って 問 ふ 

て 見よ. ゥ かしら 0) 

この 古い 詩と 欲 をお 吟誦な される と、 康賴 入道 も 折が 折な S で、 心に 感^して 1^ を こばされ た。 口が 

暮れる 迄ゐ やうと は 思 は^た けれども、 餘 りに 名残惜し いので 夜の 更ける 迄お いでに なつ た。 夜が 更 

ける につれ て、 荒れた 宿の 常と して、 古びた 軒の 板 間から 洩れ 入る 月の 光が 少しの はもない。 ffir か^ 

いて この 山里の 夜 は 明けよう とする けれども、 ちつ とも 自分の 家に 歸 らうと はされ な い。 し、 何時 

迄 もさう して ゐる こと も出來 ない ので、 「迎に 乗物な どよ こ し て 待って ゐ るの も: r か . -リ だ」 と 思つ 

て、 成!^ は 泣々 洲濱殿 を 出て、 都へ 歸リ 上られた が、 る 人ゃ迎 へる 人の 心の中 は、 さぞ 嬉しく も あ 

り、 又 悲しく もあった こと だら ラ。 

康賴 入道が 迎 にも 乘物は 有り けれども、 今更 名殘の 惜しき にと て、 それに は乘ら す、 小.' 將の审 の 

尻に 乘 つて、 七條 河原まで 行く それより 行き 別れけ るが、 猶行 きも やら ざり けり" 花の 下の 

半日の 客、 月の 前の 一 夜の 友 旅人が 一 村雨の 過ぎ行く に、 一 樹の 陰に 立、、 寄りて、 別る、 名 

少將都 S 五 五 



行 つ て そ こ で 

別れた。 成 I- 

は 宰相の 館に 

人った が、 母 

も そ こに 待つ 

てゐ て、 成 li! 

を 1 目 見て 引 

桉 いで 臥して 

しま はれる。 

美しかった 北 

の 方 も 物 思 ひ 

に t5 せ黑 ずん 

で をり、 六條 

も髮が 白くな 

つて ゐる。 別 

れる時 三歲だ 

つた子 は髮を 

結 ふ ほどに な 

つて をリ、 琉 

された 後で 生 

れた子 も 一一 一歳 

になって ゐる 

さて 康賴は 東 

山雙林 寺の 山 

庄に T 落 著い 



五六 

も 惜しき ぞ かし。 况ん ゃ是は S かりし 島 桮居、 船 Q 中、 浪の 上、 11 所 ^ の 身 なれば、 先: 

の芳 緣も淺 からす や 思 はれ けん。 少將の 母上、 || 山に おはしけ るが、 昨日より 宰相の 宿听 にお 

はして 待れ けり 少將の 立ち入り 給 ふ 姿 を 只 I 目 見 給 ひて、 「命 あれば」 とば かりにて、 引き 

被いて ぞ 臥し 給 ふ。 北の方 はさし も 美しう 花やかに おはせ しか ども、 盡 きせぬ もの 思に 瘦せ黑 

みて、 その 人と も 見え 給 はす。 六 條が黑 かりし 髮も 白く 成りたり. - 少將の 流されし 時、 三 歳で 

を さな ゆ ナ えさ 二 

別れ 給 ひし 稚き人 も 今 はおとな しう 成って 髪 結 ふ 程な り。 その 傍に 三つば かりなる 少. き 人 Q 

おはしけ る を、 少將 「あれ は 如何に」 と宣 へば 「是 こそ」 とば かり 申して 淚を 流しけ るに こそ 「さ 

て はわが 流されし 時、 心苦しげ なる 有様 ども を 見 置きし が、 事故な う 育ちけ るよ」 と、 思 ひ 出 

でても 悲し かりけ り。 . 

康賴 入道 は、 東 山雙林 寺に わが 山庄の 有りければ それに 落ち 著いて、 まづ かう ぞ思ひ つ け 

ける * 

ル t 鄕の 軒の 板 間に 苔む して、 思 ひし 程 は:^ らぬ月 かな。 

8 一 業 所感の 身 同 一 の 業で 同 一 の果を 感じた 身の上。 〇 芳緣 因緣。 05I1I 山 京都 梵尾 町、 東 山 

粟田口 以南の 二 咼峯。 〇 宰相 門 脇 宰相 教知。 成^の 妻の 父。 〇 命 あれば 新 古今 集、 哀偽、 能 因 

法師、 「命 あれば ことしの 秋 も 月 は 見つ、 別れし 人に 逢 ふ 夜な き 哉」 に 依る。 命が あってお 前に は 逢ユ 

ことが 出来た が、 夫の 成 親に は 永遠に 逢へ ない と 歎いた ので ある。 〇 六條 成艇の 母。 〇 おと 

なしうな つて 成人して。 〇 心苦しげ なる 有樣 妊娠の こと。 〇 雙林寺 沙羅 雙樹杯 寺と もい ふ。 

京都 下 京 區 鷲 fe^ 町に ある。 故^の、 の跃 故 .鳏 の 家の 軒の 板 間に は 苔が ついて、 S つた ほどに も 



た 



月が 漏らない、 の 意。 枝 間 は 板と 杈 との 間。 

@ 康賴 入道の 迎 にも 乘 物が 來てゐ たが、 「今更 別が 惜しい」 こ 云って、 それに は 乗らないで、 成お の ia- の 

尻の 虚に乘 つて、 七倏河 まで は 一 つ 車で 行き、 其處 から 別れに/ \ 行った が、 ゃはリ 別が 惜しくて 

行き かねて ゐた。 花り 下で 牛 日 1^ 席 を 共に し.! 客 ャ,' 月の 前で 一 夜! T おった 友 や、 旅人が 村 雨の 止む 

間、 一本,: 樹 蔭に 立ち寄って、 雨が 晴れて 別れる の も 名? が 3^ しいの が 人の 常で ある。 まして 二人に 

辛い 島 住 ひや、 ^の 中、 海の 上等 同じ 前世の 業で かう した 问じ を 感じ 合った 身の上で あるから、 

世の 因 緣も淺 く はな いと 思 はれた ので あらう。 成 |g の 母に ej- 山に 住んで ゐられ たが、 昨: :! から 門脇宰 

相のお 家に お出でになって 成 I- の 歸リを 待って ゐられ た。 成^の 入って 来られ た^を 一 n 御 H にな 

ると 「命が あって」 とだけ 仰せられ たま 乂、 衣 を 引 被って 泣き 臥された。 北の方 は 大變类 しく、 立 5^ で 

あらせられ たが、 絕 えない; 思 ひに 痩せて、 色が 黑く たって、 その 人と は 思へ ない 位變 つて 見えた。 

乳母の 六 倏の黑 かった 髮も C く 成って ゐる。 成^が 流された iir 三 歳であった 幼い 御子 も 成 さ 

れて髮 を 結 ふ 程に なって ゐられ た。 その 傍に 三つば かりの 小さい 子 併が お W でになる 2 を 成 は 「あ 

れは 何者か」 と 仰せられ ると、 六條は 「この 方 こそ」 とだけ 申して 淚 を-流し たので、 「それで は、 C 分 

が;" M された 時、 苦し さう にして ゐ たの を 見て 置いた が、 流されて 後生れ て、 無^ に it つたの だな あ」 

と、 その 富 時の こと を 思 ひ 出しても 悲しかった。 . 

康賴 入道 は、 束 山雙林 寺に 自分の 山庄 があった ので、 其 虔に落 著いて、 早 }f 仏 次の^の やうな こと を 5- 

ひ 緩 けられた。 

故鄉の 軒の 枝 間に 苔む して、 思 ひし 程 はもらぬ 月 かな 

一 一 、 有 王が 島下リ 

有 王が 島 下り 五 七 



9 伎 寬の幼 

くから 召使つ 

た 童 有 王と い 

ふ もの が あ 

foo 自分の、 王 

人 だけ 一 人 島 

に 残された と 

閗 いて、 有 王 

は 伎寬の 女の 

忍んで ゐる所 

に 行って 御文 

を 賜り、 父母 

にも 知らせ 

ず、 *、 界が島 

に, おらう と 三 

月末 都 を 立つ 

て 降 摩; 5! に 下 

つた , 



さる 程に 鬼界が 島り 流人 共-二 入はガ EI し遷 されて、 都へ 上 リ"。 今一 人錢 されて、 !^ュかリし島 

島守のと 成りに ける こそうた て けれ。 僧都の 稚 うより 不便に して 召し使 はれけ る m がり 名 を 

ば 有 王と ぞ 申しけ る。 鬼界が 島の 流人 共、 今日 旣に 都へ 入る と 聞え しかば、 有 王 鳥 羽まで 行. き 

向って 見 けれども、 わが 主 は 見え 給 は 一 r 。如何にと 問へば、 「それ は ヘルし とて、 一 人 S 二 

淺 されぬ」 と 聞いて、 心 憂し など も E おなり。 常 は 六 波 羅邊に 佇みて 聞き けれども、 何時 赦免 ある 

べしと も 聞き出さ ざり ければ、 僭 都の 御 女の 忍う でお はしける 1^ へ參 つて、 「この, こも. 5-., 

させ 給 ひて 御上り も 候 はす、 今 は 如何にもして、 かの 島へ ji^ づて 御行 方 を も 尊ね 參ら せズ やと 

存じ 候) 御文 賜って 參り候 はん」 と 中し ければ、 f 歡献 g ならす に悅 び、 驢て 書いて ぞ, うび け 

る J 暇 を 請 ふと も 許さ じと て、 父に も 母に も 知らせす、. ITI の鑽は 卯月が- m に 解くな れズ、 

夏衣 立つ を遲 くや 思 ひけん、 三月の 末に 都, ど 立って、 多くの 波路 を 凌ぎつ... 薩摩 へぞ 下りけ 

る ~薩 摩よりか の 島 へ 渡る 船津に て、 有 王 を 入! め 著た ろ 物 を剝ぎ 取りな どし けれども - 少しも 

後悔せ す、 姬 御前の 御文ば かり ぞ、 人に 見せ じと 髻^ の 中には 隱 しける j 



藝 



〇 島守 島の 番人。 〇 不便に して 可愛がって。 〇 唐 船 支那へ 渡航す る 商 〇卯月?;^月 

四:.^-月頃。 〇夏衣立 つ 立つ は 衣 を 裁つ の 意と S の 立つ と を かけた ので ある 〇5- 律 港。 

さて, 鬼界が 島の 流人の 中二 人 は 召 L 還され て 都へ 上った。 然るに、 俊. M i 人に 殘 されて、 辛い 島の 

番人の やうに な つ た の は氣の 毒で ある。 俊 寬が少 い 時から 可愛がって 召使 はれた: 于供 があって、 そ 

の 名 を 1^ 王と 云った。 有 HI- は 鬼界が 島の;^ 人達が 今 rM はも はや 都に 入る との, 嫂な ので、 羽 迄 行って 

見た けれども、 自分の 主人 はお 見えに ならない。 「どうした のか」 ときいて 見る と、 「佼寬 +i 非が i 



8 有 王 は 商 

人 船に 乘 つて 

鬼界が 島に 渡 

つて 見る に、 

田 も な く 畠 も 

なく、 林野 も 

た ぃ虑 である 

の^に 伎寬 

の 行方 を 尋ね 

たけれ ども 知 

つた 人 もゐな 

つ 山の 方 を 



ので、 ゃはリ まだ 一人 島に 殘 された」 と 聞いて ひどく がっかりして しまった。 それから 絡えず 六^ リ> 

の邊に 佇んで 尊 を 聞いて ゐ たが、 何時に なったら 赦免になる だら うとい ふ 若はなかった ので、 佚 寛の 

御 女の 隱れて お出でになる 所へ 參 つて、 「この 機會 にも I れ になって、 ぉ歸リ がご ざいません。 そ 

つで、 どうにかして あの 島へ 渡って、 御行 方を搜 したい ものと 思 ひます。 ぉ手紙をぃただぃて^^リ度 

うご ざいます」 と 中した ので、 姬 御前 は 一 方なら ず 悅んで 早速 書いて 與 へられた。 たと ひ f 乞うた 

ところが とても 許すまい と 思って 父に も 母に も 知らせず、 支那へ 渡航す る 商 5„。 は s、 ヂ Lns に 山る 

ので- f なって 出立す るので は遲 いとで も 思った のか、 三月の 末に 都を 立って、, 海上 を 難 S 

i ズ して 摩;^ に 下った。 薩 摩から 鬼界が 島へ 渡る 港で、 有 王 を 人が 怖し がって 衣服 を剁ぎ 取った リし 

たけれ ども、 後悔せ ず、 姬 御前の 御文 だけ は 人に 見せまい として 髻 結の 中に した。 

さて^ん-^ 船に 乘 つて、 r の 島へ 渡って 見る に、 都に て 幽に傳 へ 聞きし は 察の 數 ならす。 m もな 

し、 畠 もな し、 里 もな し、 村 もな し。 おの づ から 人 は 有れ ども、 謂 ふ 詞をも 聞き 知らす J 有 王 

島の 者に 行き 向って、 「物申さう」 と 云へば、 「何事」 と 答 ふ。 「是に 都より 流され 給 ひたる 法 勝 

寺の 執行 俊寬 僧都と 申す 人の 御行 末 や 如った る」 と 問 ふに、 法 勝 寺と も、 執行と も 知ったら ば 

こそ 返蓽 はせ め、 只 11^1 つて、 「知らぬ」 と 云 ふ。 その 中に 或 者が 心得て、 「いさとよ、 左様 

の 人 は 三人 是に 有りし が. 二人 はパ 3 し 返されて 都へ 上りぬ〕 今一 人^され て、 あそ こ^ょと 迷 

ひお きしが、 その後 は 行方へ も 知らす」 とぞ云 ひける J 山の 方の 覺束 なさに、 遙に 分け入り、 

嶺に 攀ぢ、 谷に 下れ ども、 白雲 跡 を埋ん で、 往 がの 道 も 定かなら す。 晴嵐 夢 を 破って は、 その 

有 王が 島下リ ^九 



六 〇 



尋ねた が 逢 は 

ず 海?; S- を, ね 

ても经 はな 



面影 も 見え ざり けり J 山に て は 終に 尋ね も 逢 はす、 海の 邊に 著いて 尋 ぬるに、 沙 頭に 印 を 刻む 

li^ きの 白洲に 集く 濱 千鳥の 外 は 跡 問 ふ 者 も 無 かりけ り" 

6 〇 事の 数なら ず 何でもない 位 ひどい。 〇 物申さう 物申さん、 の轉。 お尋ねしたい。 〇 いさとよ 

否と よと いふ 義。 〇覺束 なさに かかり。 〇 白雲 跡 を 塊んで 和漢 朗詠 築、 紀齊名 T 山 遠 雲 

埕 「1 行 客 跡 j 松 if" 風 破 こ 旅人 夢? 一」 (晴嵐 晴れた 日の 山氣。 〇 沙 頭に 印 を 刻む © 和漢 3 詠 集、 

後江 相 公 r 沙 l^k" レ印鯓 遊處、 水底 模レ書 雁 度 時 一 〇漠 沖。 〇 跡 問 ふ 者 尋ねて 來る 杏。 

E さて、 商船に 乘 つて、 例の 鬼界が 島に 渡って 見る と 都で ぼんやり 閗 いて ゐた事 は 何でもない 位に ひど 

い 所で、 田 もない、 畠 もな い、 野 もな い、 林 も. ひ い。 人はゐ るに はゐ るが、 云 ふ 言葉 も 解ら な い。 有 

王 は 島の 者に 出逢って、 「お尋ねした い」 と 云 ふと、 「何事 か」 と 答へ る。 「此處 に 都から お流されに な 

つて ゐる法 勝 寺の 執行 俊寬 僧都と 申す 人の ゐられ る處を 知って はゐ まい か】 と 問 ふたが、 法 勝 寺と か 

執 ft とか を 知って ゐ たら 返事 もしょうが、 知らない もの だから、 只 頭を掉 つて、 「知らない」 と 云 ふ。 

その 中に、 或る 者が 解って、 「いや、 そんな 人 は 知らない、 さう いふ 人 は 三人 此處 にゐ たが、 二人 は 

召し 返されて 都へ 歸 つた。 も 1 人は殘 されて あそこ 此處 さまよ ひ步 いて ゐ たが、 それから 後 はどうし 

たか 知らな い」 と 云った。 山の 方面に 何となく ゐられ る やうな 氣 がする ので、 ずっと 山奥に 分け入つ 

て、 嶺 に攀ぢ 上った リ、 谷に 下った リ したが、 白雲が あた リを 埋めて、 待 艰の道 も はっき リ しない。 

晴れた 山の 氣 はうた . -寢の 夢を覺 して、 俊 寛の 面影 は 夢に さへ 見えな い。 山で はとうく 尋ね 逢 はず、 

今度 は 海の 邊に 行って 搜 したが、 沙の 上に 足跡 をつ ける 鶴 や、 沖の 白洲に 集る 濱 千鳥の 外に は 尋ねて 

来る 者 もない。 



i 或 朝、 碟 

の 方から 痩せ 

衰 へた 者が よ 

ろめ きながら 

出て 來 たの 

で、 こんな 者 

でも 主人の 行 

方 を 知って ゐ 

るか も 知れぬ 

と 思って 訊ね 

て 見る と、 そ 

れ が佼寬 であ 

つた。 



あした げら * 

或 朝、 磯の 方より、 蟛 絵なん どの 如くに 瘦せ衰 へたる 者、 よろ ぼひ 出で 來 たり。 本 は 法師に て 

そら ざま おどろ つ f.0 

有りけ りと 覺 えて、 髮皆虚 様に 生 ひあがり、 萬の 藻^ 取り付けて 荊 を 頂いた るが 如し。 節 あら 

はれて 皮 ゆた ひ、 身に 著た る 物 は、 賴、 布の 分 も 見えす。 片手には荒^^布を持ち、 片手に は 魚 

を 貰うて 持ち、 歩む 様に はしけれ ども、 はか も 行かす、 よろくと して ぞ 出で 來る。 都に て 多 

こつがい びと しょ あ しゅら とう こざい 4 か, 

くの 乞丐 人 は 見し かど も、 か \ る 者 は 未だ 兒す. - 諸 阿修羅 等、 故 在 大:^ 澄と て、 修羅の 三 惡四趣 

は 深山 大海の 邊に 有りと 佛の說 き 置き 給 ひたれば、 知らす、 餓鬼道な どへ、 迷ひ來 たる かと ぞ 

覺 えたる。 早 彼 も 此れ も 次第に 歩み 近づく。 若し か 樣の者 にても、 我が 主の 御行 方 や 知った る 

と、 「物申さう」 と 云へば、 「何事」 と 答 ふ. - 「是に 都より 流され 給 ひたりし 法 勝 寺 執行 俊宽^ 都 

と 申す 人 やまします」 と 問 ふに 童 こそ 見忘れ たれ ども、 儉都 は爭か 忘れ 給 ふべき なれば、 「": 疋 

こそ 其よ」 と宣 ひも 敢 へす、 手に 持てる 物 を 投げ捨て i、 沙の 上に ぞ 倒れ伏す。 さて, こそ 我が 

主の 御行 方と は 知って けれ。 

6 〇 蟏 it とんぼう。 〇 よろ ぼひ よろめきながら 步 くこと 〇fl 樣 上の 方。 〇 節 〇 ゆた 

ひ るむ。 〇 分 見分け。 〇 荒海-布 海藻。 〇 はか も 行かず はかどらぬ こと。 〇 乞丐 人 

乞 食。 (諸 阿修羅 故 在 大海 邊 法 華!^ 法師 功德 品^に 出づ。 故 在 は 居 在の IT 〇 修雜の 三 -Bs: 趣 

「修羅」 は 阿修羅の 略。 常に 帝釋: 大と 11- 鬪を爲 す 神で、 その 宮殿 は 大海の 迻乂は 海.:^ にある と稱 せら 

れる。 「一一- 惡 i:PJ は 三惡道 四惡 趣。 三惡道 は 地獄 道、 餓 ま近、 畜生 の 一二つ を;: ムひ、 e; 惡趣は 一 一一 惡;^ 

に 阿修羅 を 加へ て 云 ふ。 修羅 は 餓鬼 又は 畜生 中に 擬 せられ、 ば 三惡 ぎの 中に 含まれ、 三惡 挑-の 外に 立 

てれば 四惡 趣と なる から 云った もの) 〇 餓鬼 飢祸の 苦 を 受ける 鬼。 

有 王が 岛下リ 六 一 



六 二 



8 佼寬 は 一 

li は 正 氣を失 

つたが、 少し 

人心が 出て、 

有 王に 抉け 起 

され、 島に 一 

人. 残されて か 

ら 憂き 有様 を 

つぶさに 語つ 

て、 自分の 家 



或 朝、 矮邊の 方から、 とんぼう かな どの やうに 瘦せ衰 へた 者が よろめきたがら 出て 來た。 本 は^ 侶で 

あつたと 見えて、 髮は 上の 方に 突っ立って 延び、 色々 の 藻椅を 取リ附 けて、 荆を 戴いた 樣 である。 そ 

して、 身 體は關 節が あら はれて、 皮 はたる み、 著て ゐる ものに、 結と も 布と も 見分けが た い。 片手に 

は 荒海 布 を 持ち、 片手に は 魚 を-貰って 持ち、 步く漾 では ある けれども、 中々 はかどらず、 よろめきな 

がら やって 來る。 都で 多くの 乞食 は 見た けれども、 こんな 者 はま だ 見ない。 法 華 IS に nss 阿修羅 等、 故 

在 大海 逢」 と 云って、 修 やに 山 や 大海の 邊 にある と俤 はお 說 きにな つ て ゐられ るから、 もし かし 

たら 自分 は 餓鬼道な ど へ 迷って 來 たので は あるまい かと 思った。 そのうちに、 彼 も 有 王 も 次第に 步み 

近づいた。 もし こんな 者で も 自分の 主人の ありか を 知って ゐる かも 分らない と 思って、 『お尋ねした 

い 一 と 云 ふと、 「何事 か」 と 答へ る。 r 此處に 都から お:^ されに なって ゐる法 勝 寺の 執行 伎宽 „^ 都と 申 

す 人 は ゐられ まい か」 と 問 ふと、 有 王の 方 こそ 見忘れて ゐる けれども 伎 寛 はどうた して 忘れて お いで 

になら う、 それで 「自分が それ だ」 と 仰せられる や いなや、 手に 持って ゐる物 を 投げ捨て 、沙の 上にば 

つた" 倒れた。 それで 始めて 自分の 主人の 在處が 分った ので ある。 

僧都 纏て 消え入り 給 ふ を、 有 王 膝 Q 上に 搔き乘 せ 奉り、 「多くの 波路 を 凌ぎつ-^ 遙々 と是迄 尊 

ね參 つたる 甲斐 もな く、 如何に 纏て 憂き目 をば 見せん と はせ させ 給 ひ 候ぞ」 と, さめぐ^き 

ロ說 きければ、 僧都 少し 人心 出で 來、 扶け 起され、 「誠に 汝 多くの 波路 を 凌ぎつ、 遙. < と是ま 

で參 つたる こと: ^ 妙 なれ- 只 明けても 暮れても、 都の 事 をのみ 思 ひ 居 たれば. 戀 しき 者 共の 面 

影 を 夢に 見る 折 も あり、 叉 幻に 立つ 時 も 有り、 身 も 痛う 瘦れ 弱って 後 は、 夢 も 現 も 思 ひ 分かす 

今汝が 来れる を も 只 夢と Q みこ そ覺 ゆれ 3 若し この 事の 夢な りせば、 覺 めての 後 は 如何せん」 

有 王 「こ は pi^ にて 院 なり、 つ さても この 有樣 にて、 今まで 命の 延びさせ 給 ひたる こそ、 不思議に 



に 有 王 を 伴つ 

た。 家と 云つ 

一」 も 粗末な 堀 

立 小屋で あ 

る。 有 王 は、 

佼寬の 昔の 境 

S と 今と を 比 

絞して、 そ の 

余リに 隔たり 

の ひどい の を 

不思議 に 感 

じ、 つく 》,*.\ - 

業の 怖ろ しさ 

を考 へさせら 

れた C 



有 



は覺ぇ 候へ」 と 申しければ- 「いさとよ、 是は 去年 少將ゃ 判官 人道が 御迎の 時、 その. 1^ に 身 を:,. 

投 ぐべ かりし を、 由な き少將 Q、 今一度 都の 昔 便 を、 待て かしな ど 慰め 置きし を、 £1 で」 若し や 

,がら くひ もの 

と頓 みつ \存 へんと はせ しか ども, この 島に は 人の 食物 も、 r 化え て 無き 所 なれば 身に-刀の ずり 

し 程 は、 山に 上って 硫黄と 云 ふ 物 を 取り、 九阈 より 通 ふ 商人に あ ひ、 食物に 代へ などせ しか ど 

も 日に 副 ひて 弱り 行けば- 今 は 左様の 業 もせす.^ か 様に 曰の 長閑なる 時 は、 濺 に.: でて、 1:? 

つ 9 うど ぁクめ 1 *T - 

釣 人に、 手 を 摺り膝 を 曲め て 魚 を もら ひ、 汐 干の 時 は、 只 を 拾 ひ、 荒海 布 を 取リ、 ^の^に 

の 命 を 懸けて こそ、 憂きながら 今日まで は存 へたれ. - さらで は き世ケ 渡る よすが を 5H 如, こ 

してつらん とか 思 ふらん o」 僧都 「是 にて 何事 を も 謂 はば やと は m 心 へど も、 い ざ 我が!^ へ」 と宣 へ 

ば 有 王 「あの 御 有様 にても 家 を 持ち 給へ る 不思議 さよ」 と 思 ひ、 惯都を La に 引き 魅け 參ら せ敎に 

隨 つて 行く 程に、 松の 一 村 ある 中に、 より 竹 を:? J し、 蘊を結 ひ、 Ml ねに^し、 ヒ にも ド こも 

松の 葉 を ひしと 取り 懸け たれば、 雨風 忍る ベう も 見えす, - 有 王、 「あな あさまし、 元は 法^ 寺 

の寺務 職に て、 八十 余 齒 所の 庄務を 司り 給 ひし かば、 棟 門、 平 門の 內 に、 s: 五, kn 人の 所從 (な :® 

に、 園繞 せられて おはせ し 人の、 まのあたり か.. r る 憂 s に 合 はせ 給 ふ 事の 不 さよ" 繁に 

々あり。 順 現、 順 生、 順 後 業と 云へ り。 惜都ー 期が gi 身に 用 ふる 所、 ゆ I 大 伽:,, S 寺 物なら 

すと 謂 ふ 事な し.^ されば、 かの 信 施 無慚の 罪に 依って、 今生に て Hi. 感ぜられ けりと ぞ兑 えたり 

ける. - 

B 〇 さらで は かう でもし なければ。 〇 より 竹 岸に 琉れ 寄った 竹。 00 外 まはリ の^の 上に 渡 

王 が 下 リ 六三 



す 材木。 〇 梁 棟と 打ちち がへ に 桁の 上に 渡し 楝を 受け 蛋根を 支へ る 材木。 〇 ひしと びつ しリ 

と。 〇 寺務職 一 寺の 寺務 を總薛 する 職。 〇 庄ぉ 寺領の 庄園に 關 する 事務。 〇 楝門 屋根が 

普通の 家の 棟の やうに 作って ある 門。 〇 平 門 杈 ia-p^ の; 根で 、棟に 飾リ がな く 平め に 作って ある 

門。 〇51^1屬 家來。 〇 業 身、 口、 意の 所作に 依って 作リ 出す 善 惡の行 ほ" 〇 顺現 現生に 業 

を 作リ、 現生に 於て 果を 受ける 者。 〇 順 生 現生に 作った 樂が 次ぎの 世で 果を 受ける。 01S 後 業 

現生に 作った 業の、 次ぎの 次ぎの 生に 於て 果を 受ける。 〇 一期 一生涯" 〇 伽藍 梵 。寺の こ 

と。 〇 信 施無衛 信者の 布施 を 受けながら、 之 を 債 ふ功德 もせず、 しかも 心に 漸ぢ たいこと。 

俊寬は その ま > -氣絕 たさった ので、 有 王 は 膝の 上に ぉ乘 せして、 「長い 海上 を 難儀して、 々此返 ま 

で 尋ねて 參リ ました 甲斐 もな く、 どゥ して 直ぐに 悲しい 目 をお 見せになる のです か」 と、 さめ-^ と 

位きながら 云 ふと、 佼寬は 少し 氣 がっき、 抉け 起されて、 「誠にお 前が 長い 海上 を 凌ぎ、 遠く 此. ま 

で 尋ねて 來た志 は 感心で ある。 ただ、 明けても 暮れても 都の ことば か リ考へ てゐ たから、 戀 しい 杏 共 

の 面影 を 夢に 見る こと も ぁリ、 又 幻に 見る こと も あるが、 身體が ひどく 疲れ 弱って から は、 tj- とも 現 

とも 別が 出來 なくなつ たので、 今お 前が 來 たの も 仝く 夢の やうに 思 はれる。 若し この 事が 夢で あつ 

たら 覺 めた 後 はどうしょう」、 有 王 「これ は 現で ございます。 それにしても、 こんた 御樣 子で 今まで 御 

壽 命が あつたの は 不思議に 思 はれます」 と 申す と、 「いや、 それ は、 去年 成!^ や 判 {»s 入^の 迎が來 た 

時、 いっそ その 時 海に 身 を 投げようと 思った が、 あてに ならな い 成 ir か、 も 一 度 都の 音信 を 待てた ど 

慰めて 行った の を、 愚に も 若しかしたら 本. 富 かと 賴 みに して 生きて ゐ ようと は 思った けれども、 この 

島に は 入の 食物 も 少しも 無 い 所 だから、 身體に 力の あつたう-ち は.! に 登って 琉黃と 云 ふ 物 を-取って、 

九州から 通 ふ 商人に 逢って、 食. に 代へ たリ したが、 日に く 弱って 行く ので、 今 はそんな こと もせ 

ず、 この やうな 日の 長閑な 時 は、 錢邊に W て 漁師 共に 手 を 合 は せ、 膝 を 屈めて、 魚を赏 ひ、 ^干の 



9 伎寬が や 

V 有って 去年 

將ゃ 5^賴 の 

迎 ひの 時に 

も、 又お 王の 

便に も 家から 

の 文の ない こ 

と を 尋ね る 

と、 有 王に 俊 

sir か: € へ倏に 

山た 後に 官人 

共が やって来 



昨 は 只 をむ つたり、 荒海 布 を 取ったり、 の 苔 を 4r へたり し、 僅に 命 をつな いで、 辛いながら も 今 J 

まで は 生き 存 へ て來 た。 さう でもし なくて はどうして g き 世 を 渡る たよ リが ある もの か」 と 伎宽は 「こ 

.1 で 何もかも 話したい と 思 ふが、 まあ、 とにかく C 分の 家へ 行かう」 と 仰せられる ので、 有 王 i 、「こ 

の 様子で お $ を お持ちに たると は: 小 3 ぬ議 だ」 と 思 ひ 伎 寛 を 肩に 引き 懸け 申して、 導び かれる ま >f に 行く 

うちに、 松林の 一群み る 中に、 岸に: -H れ 寄った 竹 ど 柱に し、 ど 結んで、 桁 r 梁に し、 上に も 下に 

. も 松葉 をび つし リ 懸けて あるが、 fSE や 1^ を 防がれ さう にもな い。 有^ は 「何と 云 ふ あ. H レな こと だ、 リ 

う。 昔 は 法 勝 寺の 寺務 で、 八十 余 筒 IE の庄務 をお 司りに たられた ので、 梓 門 や If 門の. s: で、 W 五 

人の 家來ゃ 召使に とりまかれて ゐられ た 人が、 現在で はこん なな さけない n« にお 逢 ひになる ことの 不 

思 ひこと よ。 業に?^々 あって、 ^現業、 Bf 生業、 顯後 業と 云 ふが、 5^ 都が 一 生涯の 間、 用ん た g: の 

もの は 皆 大寺院の 寺 とか 佛^ でない もの はない。 だから、 信 施. i 慟の IS: に 依って、 今生に この やう 

な 報 ひ を 受けられた の だと 思 はれた。 

僭 都 こ は 現にて 有りけ りと 思 ひ 定めて、 「去年 少將ゃ 判官 入道の 時 も、 ay 等が 文と いふ isi^ もな 

し. - 今 又汝が 便に も かくと も 云 は ざり けりな」 と {1 且 へば * 有 王淚に WE び- て、 S しょ 御 l^jsji- 

にも 及ばす,^ や、 有って 起き 上り、 淚を 押へ て 申しけ る は、 「君の 西 八康へ 55 でさせ;^ ひし^、 

ざ ふぐ つねぶ < み .5 ち ^/ 

官人參 つて、 資財 雜具を 追 捕し- 御内の 者 共^め 取り、 御 謀叛の 次第 を^ね II ひ- 5!: 失 ひ て 

* さな 

候 ひき.' 北の方 は 少き人 を隱し 兼ね 參らせ 給 ひて、 鞍馬の 奥に 忍う で 御 渡り 候、 ひしに も、 この: H 

ばか リ こそ、 時々 參 つて 御宮 づ かへ 仕り 候 ふなり。 何れも 御 歎の は-なる 方 は, 、はね ども、 屮こ 

も稚き 人 は、 余りに 戀ひ參 らせ給 ひて、 參り候 ふ 度 毎に 「如 :!: に 有 王よ. 我れ鬼界が^^とかゃ 

へ、 具して 參れ」 と官ー ひて、 むづ からせ 耠 ひしが、 過ぎ 候 ひし 二:!:, に、 ど 申す 事に、 失せさ 

六 五 



有 王 又岛下 



六 六 



て、 资财; ^具 

を 追 捕し、 北 

の 方 は 少き人 

と 鞍馬の 舆に 

忍んで ゐられ 

たが、 稚き人 

は. ぼで なくな 

り、 北の方 も 

いろくの 歎 

のために 遂に 

はかた くなら 

れて、 今は姬 

御前ば かリが 

奈 良の 姨 御前 

の 許に 忍んで 

ゐられ るが そ 

れ から 御文 を 

賜って 參 つた 

とて 取リ 出し 

て 奉った。 伎 

寬に その 文 を 

に つ け て 

も 愛着の 念に 

堪 へら, なか 

つた。 やがて 



せお はし まし 候 ひぬ。 北の方 は そ Q 御 歎と 申し、 叉 是の御 事と 申し、 一方ならぬ 御物 £ わに E 心し 

召し 沈ませ 給 ひて, 打ち 臥させ 給 ひしが 去ん ぬる 三月 二日の 日、 遂に はかなく 成ら A 給 ひて 候 

ひぬ。 今は姬 御前ば かりこ そ、 奈!^ の姨 御前の 御 許に 忍う でお はしける。 それより 御文 賜って 

參 つて 候」 とて、 取り出 だいて 奉る" 僧都 是を開 はて 見 給へば、 有 王が 申す に 逢 はす 書かれた 

り。 奥に は 「たどて 三 入 流されて まします 人の、 二人 は 召し 還され て 候 ふに, 何とて 一人 殘さ 

れて、 今迄 御上り も 候 はぬ ぞ〉 あはれ 高き も 卑しき も、 女の 身 ほど 言 ふ 甲斐 無き 事 は 候 はす。 

男の 身に て 候 はば、 渡らせ 給 ふ 島 へ も、 などて か 尋ね 參らで 候 ふべ き" こ の^51|を御伴に て、 < おぎ 

上らせ 給へ」 とぞ 書かれた る。 r 是 見よ 有 王よ、 この 子が 文 Q 書 様の は,^ たさよ- 己 を 伴に て 

急ぎ 上れと 書きた る 事の 恨めし さよ、 俊寬が 心に 仕せ たる 憂 01 身なら ば、 いかで こ の 島」 て 三年 

の 春秋 をば 送るべき" 今年 は 十二に なると 覺 ゆるが 是 程に はかなうて は、 いかで 人に も兒 え、 

宮 仕へ もして、 身 をも扶 くべき か」 とて 泣かれけ るに ぞ、 人の 親の-心 は 闇に あらぬ ども、 子 を 

m わ ふ 道に 迷 ふと は、 今 こそ 思 ひ 知られ けれ) 「この 島へ 流されて 後 は. 曆も! 1; けば、 月 日の 立 

し-つ 

つ を も 知らす、 只お のづ から 花の 散リ、 葉の 落つ る を 見て は、 三年の 春秋 を辨 へ、 蟫の 11 麥秋 

びやく! b つ :, • 

を 送れに、 夏と 思 ひ、 雪の 積る を 冬と 知る" 白 月、 黑 月の 眷り 行く を 見て は、 三十日 を 辨へ指 

を 折って 數 ふれば、 今年 は 六つに 成る と覺 ゆる 稚き者 も、 早 先立ちけ る ござん なれ。 西 八條へ 

出で し 時、 この 子が 行かん と 慕 ひし を.. めが て歸 らうす るぞと 慰め 置きし が、 只今の 様に 覺ゅ 

るぞ や) それ を 限りと だに 思 はまし かば、 今 暫く もな どか 見 ざらん。 親と^ り、 子と 成 :、 夫 



俊寬は 此れ 以 

上 有 王に 変き 

目 を 見せる の 

を 心苦しく 思 

つて 自ら 食事 

を絕 つて 5^ 迩に 

庵の 中で はか 

なくな つ た。 

冇王は 死^ を 

荼 に 付し 

て、 .GI 骨 を. お 

つて 頸に 懸 

け、 又 商人 船 

に乘 つて 九國 

の 地に 著い 

た 



婦の緣 を 結ぶ も、 この 世 一 つに 限らぬ 契ぞ かし," 今 は姬が 事ば かりこ そ 心苦し けれども、 それ 

は 生身 なれば、 歎きながら も 過さん すらん" さい-み 存 へて、 己に 目-^ 見せん も、 わが 身な 

がら つれな かるべし」 とて- 自ら 食事 を 留め 偏に 彌陀の 名 號を唱 へ、 臨終;^ 念 をぞ 祈られけ 

る J 有 王 渡って 二十 三日と 申す に、 僧都 庵の 中に て に 終り 給 ひぬ。 歳 三十 七と ぞ聞 えし、、 有 王 

空しき 姿に 取り付き 奉り、 天に 仰ぎ 地に 俯し、 心り 行く 程 泣き あ, きて" 「驄て 後世の 御供 仕る 

ベう 候へ ども. この 世に は姬 御前ば かりこ そ 渡らせ 給 ひ 候へ. 後世 H? ひ 進ら すべき 人 も 候 は 

す、 暫し存 へて、 御 菩提 を 弔 ひ 進ら すべし」 とて、 臥所 を 改めす、 庵 を 切り 懸け、 松の 枯^, 

魔の 枯葉 を ひしと 取リ 懸けて、 藻 蟹の 煃と 成し 奉- 

又 商人 船の 便に て、 九國の 地に ぞ著 きに ける リ 



荼毗事 終 へ ぬれば. E 骨 を 拾 ひ 頸に 懸け、 



1 



〇 是 等が 文 家族の 人々 の 文。 〇 追撺 沒收。 

山^ 國愛 郡 鞍馬 村に 在る。 〇 御宮 仕 御 奉 ヘム „ 



〇 御内の 者 共 

〇 御 歎の 愚なる 云 「ム 



OS 山の 名。 

御 歎に^ リ はない。 〇= は 



抱瘡。 〇 是の事 伎 寛の 流罪の 事。 〇 臭 手. が、 の 終の 方。 〇人にもu^ん 人の^と なる 事" 

〇 人の 親の 心 は 云云 後 撰 集、 藤 r か 兼 棘。 「人の 親の 心 は 闇に あられ ども 子 を 思 ふ 道に まど ひぬ るか 

な」 〇i- の 麥秋を 送れば 麥 秋が 終リ、 蟬の 鳴く 5^ を 聞く と、 初めて 夏の 來 たの を 知った。 和漢 

朗詠 集、 李 嘉祐、 「五月 ノ蟬 P1 麥 お-」 麥秋 は麥の 熟する 秋。 〇 白 パ黑ガ 印度の 朥:. ir 朔:: : から 4-:.i1 

EC まで を 白 月、 十五 日から 晦闩 まで を黑 月と いふ。 〇 臨終 正 念 死に 臨んで 心が 平静に I て 妄<; ^の 

ない こと。 〇 空しき 姿 遺骸。 〇 心の ゆく 程 思 ふ 存分" 〇 庵 を 切り 2^ け 庵 を 2Jf して、 その 

上に 精み 直ね たこと。 CMS 提の煙 蓬^と に 海 1^ を烧 いて 水に 溶かし その上? a み をお つめて した ffl。 

その 藻錢を 取る 時と 同じく 煙と した、 即ち 火葬した こと。 〇 荼^ 梵語、 焚 焼の 義。 火葬。 

伎寬は 現であった と氣 がつ いて、 【去年 少將 成. 1 や 判官 入道の 迎ひが 來た畤 も、 家 放からの 手紙 もた 



有 王 



島 下 



六 七 



六 八 

かった M 、して 今乂、 お前が 來て もや はリ 何と も 云 はな いが どうしたの だ。」 と 仰せられ ると、 有 王 は.;^ 

に gr び 俯して、 哲 らく は 掷 返事 も 出来なかった。 間もなく 起き 上リ、 浜 を 抑へ て. a- すに は 「^^方が西 

八 倏の涛 盛 公のお 邸へ 出られました 後で、 役人が 參 つて、 家財 やその 他 いろ. (-の 道具 を沒收 し、 親 

屬、 家来の 者 共 を 縛り上げて 御 謀叛の 樣子を 尋ねてから 皆殺して しミ ひました。 奥方 は 御子 達 をお 隱 

しな さるのに お困りに なって、 鞍馬 山の 臭に こつ モリお 隱れ になって ゐられ ましたが、 私 だけ は 時々 

參 つて 御 奉公いた しました。 何方もお 歡 きに 變 り は ございま せ ん でした が、 その 中で もお 小さい 方 

は、 ひどく お 慕 ひ あそばして、 私が 參リ ます 度に 何時も、 「これ 有 王よ、 お 父 様の ゐられ .0 鬼 界が島 

とやら へ 連れて行け」 と 仰って、 駄々 をお こねに なりました が、 去る 二月に 疱瘡と いふ 病氣 でお なく 

なりに たりました。 奥方 は そのお 歎き やら、 貴方の 御 事 やらで、 j 方なら ぬ 御 心配に 掷須悶 に なられ 

て、 床に お 著き にな リ ましたが、 去る 三月 二日に 遂にお かくれに なりました。 それで、 今ではお 姬樣 

ばかりが、 奈 良の 姨樣の 御 許に 隱れて お出でにな リ ます。 それ/^ らお 手^ を 頂戴して 參り * 、した」 と 

て、 取リ 出して 差 上げる。 伎寬が これ を 開いて ぉ覽に な る と、 有 王の 云った 通リ のこと が 書いて あ 

る。 そして その 終リに 「どうして 三人が お;^ されに なった 中、 二人 は 召し 還され ましたのに、 1 人??? 

つて、 今迄 都に ぉ歸リ にな リ ませぬ。 ほんと に 身分が 高くても ® くても 女の 身 ほどつ まらね もの は あ 

り ませね。 妾が 男の 方で ございましたら、 お 父樣" いられます 島へ も、 どうして 尋ねて 參ら ずに ゐま 

せう。 この 有 王を掷 連れに なって、 急いでお 歸リ なさ いませ」 と 書いて ある。 「是を 見よ、 有 王よ、 こ 

の 子の 手紙の 書き 樣 のと リ とめの ない ことよ。 お前 を 連れて、 急いで 歸れと 書いて あ るの-が 恨めし 

い 自分の 勝手にす る 辛い 身で あったら、 どうして この 島で、 三年の 年月 を 送る もの か。 今年 は 十二 歳 

になる と 思 ふが、 こんなに 幼稚で はどうして 人の 妻に もな り、 又宮 仕へ もした リ しで、 自分の 身 を 立 

て 乂 ゆく ことが 出來 ようか」 と 云って お泣きになる ので、 有 王 は、 あの 古耿り 人の 親の 心 は 闇-はな 



9 有 王 は 伎 

宽の 女の 忍ん 

で ねられる 虔 

に參 つて、 島 

での 1 切の こ 

有 



いが、 子 を 思 ふ 道に かけて は 迷 ふ もの だと 云 ふ 意味が 今 始めて わかった。 さて、 伎宽 は、 「この 島へ 

流されて 後 は、 曆 もない ので、 月日の 經 つの も わから-ず、 た 自然に 花が リ、 木の 菜の 落ち る の 

を 見て は、 三年の 卷秋を 知 り 麥 秋が 終って 蝉の 鳴く を 聞いて IBT たと S ひ、 S が f5 るので 夂. 一 だと 知 

ス も., 白 月と 黑月 が變 つて 行く を 見て は 三十 口 を 承知す るので あるが、 数へ て 見る と、 今年 はも はや 

六 歳になる と 思 ふ 子供 も 最早、 先に 死んで しまった。 西 八條へ 行った S -、 この 子が 行く と 云って 後 を 

慕った の を、 すぐ 歸 るから と 云って、 慰めて 置いた のが、 ほんの 今の やうに 思 はれる わ い。 その 時が 

最後 だと 思ったならば、 どうしても 少し 見て おかなかった らう。 親と なり、 子と 成リ、 _ ^は 夫^の 緣 

を 結ぶ の も、 皆 この 世 だけの 約束事で はな い。 今 は^の 事 だけが 氣 がか リ だけれ ども、 それ も 生きた 

身 だから、 歡 きたがら でも 世 を 過す であらう。 さう 何時 迄 も 生きて 存へ て、 お前に 辛い 口に は逯 せる 

. の も、 自分ながら 無情で ある。」 と 云って、 自分で 食事 を 止め、 ひたすら 阿 彌陀佛 の 名號を S? へ て、 臨 

終 正 念 をお;^ りに なった。 有 王が 島に 來て、 二十 一一 一日: a に、 佼寬は 庵の 中で 遂に 往生され た。 ^!^は三 

十七と 云 ふこと である。 有 王 は遣骸 に取リ 付いて、 身 を 悶えて、 思 ふ 存分 泣いて、 「ぬぐ 後 W へ のお 

作 をいた し 度い と 思 ひます が、 この 世に はお 姬樣 だけが お出でにな るの も 氣 がかり です。 それに $X 方 

の 後世 をお 弔 ひする 人 も ございませぬ。 それでも 少し 私 は 生き 存へ て 後^の 供熒 をいた します」 と 云 

つて、 俊 寬の寢 床 を その ま \ にして、 庵 を IJf して その上に 精み 璽ね、 松の 枯权 や、 1^ の 枯^ をび つし 

り 取り 懸けて、 火葬に し、 それが すむ と、 白骨 を 拾 ひ 頸に 懸け、 又 一 S 人 5-2 便で、 九州 2 地に 著い 

た 

そ. れ より、 ^都の 御 女の 忍う でお はしける 御 許に 參 つて、 有りし 様 を 初めより 細々 と 語り 巾 

まさ くだん 

す。 「なかく 御文 を御覽 じて こそい とど 御 思 は 勝らせ 給 ひて 候 ひし か," 件 の^に は. ^も 紙 

も 無ければ、 御 返事に も 及ばす, - 思し 召されつ る 御 事 ども は、 さりながら 签 しうて 止み 候 ひぬ J 

王が CIS 下り .1 〈九 



と を 語って、 

後世 を 弔 ふ や 

うにと す、 め 

たので- 姬は 

十二で 尼に な 

つて、 奈良の 

法 華 寺で 行、 し 

澄して、 父母 

の 後^ を 弔 つ 

た,^ 有 王に 又 

伎 寛の 遣 骨 を 

高 野 に 納め 

て、 法師に な 

つて 諸 Si を修 

行して 主の 後 

世 を 吊った。 



七 〇 

今 は 生々 世々 を 送り、 他生 k 却 グーば 隔て 給 ふと も、 いかで か 御聲を も 聞き、 御 姿 も 見 參らせ 

. 給 ふべき^ 只 如何にもして 御 菩提 を 吊 ひ 參らせ 給へ」 と 申しければ、 姬 御前 聞き も敢 へ 給 は 

や、 臥し 轉 びて ぞ 泣かれけ る" 鰭て 十二〕 年 IH- になり、 奈-は の 法 華 寺に 行 ひ 澄して、 父母の 後 

世 を H? ひ 給ふぞ 哀れなる" 有 王 は 俊 直 僧都 Q 遣 骨 を 頸に かけ、 高 野へ 上り 奥の院に 納めつつ^ 

し-つ 

華 谷に て 法師に 成り、 諸國 七道 修行して、 主の後世をぞ^^Fひける - 

8 C なかく 却て。 (思し 召されつ る 事 伎寬 の歸, 浴して 女に 對 面したい と 思った こと。 法 華 

寺 大和 國添上 郡 佐 保 村 大字 法 華 寺に ある 尼寺。 蓮華 谷 高野山 金剛 峯寺東 十七 町 許に ある 谷。 

〇 七道 東海、 東 山、 北陸、 山陰、 山陽、 南海、 西 海。 

そ. - から 有 王 は 伎 寛の 御 女の 隱れて お出でになろ 虔へ參 つて、 島での あった 樣 子を始 から 委 しくお 話 

した。 「あなたのお 手紙 を御覽 になって 却て 御物 思 ひが 深く なられました。 その 島に は、 a も戟 もな 

、 Q で: 浮 も出來 ませぬ。 そして 逸に 願って お ぃでになってゐた御歸^^のことは全く駄01になっ間 

しま ひました。 もう 今と なって は 何度も 生れ か はリ、 多くの 生 を 11^ て も、 どうして 御^ を も 間き、 御 

< ^を も 御覽 になる ことが 出來 ませう。 た^、 父上の 後: _ ^をお 弔 ひなさい ませ」 と 申します と、 姬君に 

それ をお 聞きに なると 直ぐ、 伏し 轉んで 泣かれた。 間もなく 十二 歳で 尼に なって、 奈 良の 法 華 寺で 心 

淸く 修行され て、 父母の 後^ をお 弔 ひに なった が、 哀れな ことで ある。 有 王 は伎寬 の 遣 骨 を £ ^に懸 

け、 高野山に 上り、 奥の院に 納めてから、 蓮華 谷で 法師に なリ 日本 仝 國を修 打して、 主人の 後 佻 を 弔 

つた。 



I 二、 高 倉宮の 謀叛 

1 院 第二の 皇子、 ?|1^の親王と申ししは、 御 母 加賀の 大納言 秀 成の 卿の 御 女な り. - 11;條高 なに 

まし ましければ 高 倉 宮とぞ 申しけ る。 去 じ 永 萬 元年 十 一 月 十五 日の 曉、 御 年 十五に て 忍びつ" 

近衛 河原の 大宫の 御所に て、 竊に御 元服 ありけ り。 御手 跡 美しう あそばし、 御ネ c 凡 も 勝れて ま 

しまし ければ、 太子に も 立ち、 位に も卽 かせ 給 ふべ かりし かど も 故 建 春 門院の 御 猫に 依って、 押 

镱 めら れさー 給 ひけり," 花の 下の 春の 遊に は、 紫毫を 揮って 手づ から 御作 を 書き、 e: の 前 Q 秋 

の 宴に は、 玉 笛 を 吹いて、 Q ら雅昔 を 操り 給 ふ" かくて 明し 暮 させ 給 ふ 程に、 治 承 四 年に は 御 

年 三十に ぞ 成らせ ましく ける。 

P 〇 ー院 後白河法^^1。 〇 三 條高倉 今の 東 洞院の 附近。 〇 大宮の 御所 近衛 天皇の 1:^、 藤 原 多 子 

の 御所。 〇 建 春 門院 後白河 法皇の 中宮。 〇 紫毫 筆の 異名。 

@ 後白河 法皇 第二の 皇子の 以仁 親王と 申し あげろ 方 は、 御 母 は 加賀の 大納言 季成 卿の 御 娘で ある。 一一 一條 

高 倉に お 住居に なって ゐ たので、 この 親王 を 高 倉の 宫と 申し上げた。 は 去る、 水 兀年十 一月 十五: 3 

の嘵、 御 年 十五で、 こっそりと、 近衛 河. M の 御所で、 御ー兀 服に なった〕 御手 跡 も 立派で あり、 御卞能 

も 勝れて おいでにな つたので、 太子に も 立ち、 天子の 位に もお 卽 きになるべき であった が、 ^^^ぉ門 

院の御 is に 依って 押し 籠め られ ておいで になった。 春、 花の 下 遊に は、 攀を 執って 御作 3 欲 や 詩 を 

書き、 秋、 月見の 宴に は 笛 を^ いて 正しい 音色 をお 出しに なった。 かう してお しに なられて ゐる間 

に、 お 承 四 年に は 御 歳 三十に ぉ成リ あそばした。 

髙倉宮 の 謀叛 七 1 



9 高 倉の 宮 

は 太子に も 立 

ち、 位に も卽 

かせ 給 ふ べき 

方であった 

が、 建 春 門院 

の猜 みに 依つ 

て 不遇の 中に 

御 年 三十に 成 

られ た。 



B その 顷. 

s 衞河; s に 候 

つて ゐた 1^ 三 

位 親政 は 或 夜 

ひそかに、 宫 

の 御所に 參っ 

て、 御 謀叛 を 

起させ 給. つて 

平家 を 亡し、 

鳥 羽 殿に 押 籠 

めら れて ゐら 

せられる 法皇 

の 御 憤リを XP 

休め、 君 も 位 

に 卽き袷 ふよ 

うにと そ 、の 

かし 9^ つた。 



CS {33 は こ の 

御 謀叛の こ と 

を W らくよ^ 

引 な かった 



や-二 

产 

その-比、 近衛 河原に 候 はれけ る、 源 三位 人道 賴政、 或 夜 潜に この 宮の 御所に 參 りて、 巾され け 

る こそ 怖ろ しけれ、" 「君 は 天 照大祌 四十 八 世の 正統、 神武 天皇より 七十 八 代に 當らせ 給 ふ" ^ 

れ ば 太子に も 立ち、 位に も即 かせ 給 ふべ かりし 人の 三十 迄宫 にて 渡らせ 給ふ蔡 をば、 御心薆 

しと は 思し々 n され 候 はす や 5^.,々、御謀叛起させ給ひて、 平家 を 亡し、 法皇の 何となく 鳥お 股に 

押 籠られて 渡らせ 給 ふ 御 憤 を も 休め 參ら せ、 君 も 位に 即 かせ 給 ふべ し。 是 偏に 御 孝行 0^ 至り 

にて こそ 候 はんすれ- 若し 思し召し 立た せ 給 ひて、 令旨て 下され 給 ふ ものなら ば悅を 成して ii 

せ參 らんす る 源氏 共 こそ 圜 々に 多く 候へ」 とぞ e. しける。 

〇 源 三位 入道 鎮: 一?- 兵 庫 頭 仲 正の 一 男" 〇 宮 一 殺 王族の 稱。 〇 何となく いつまで とたく。 

〇 令旨 皇族よ リ 出る 文書 Q 

その 一!?、 近衛 河原の^ 所に 伺候して ゐた源 三位 入道 賴政は 或 夜 こつ そリ この 高 倉の 宮 の 御 に參っ 

て、 申された 事に 怖ろ し いこと であった。 「君 は 夭 照大 神;^ ら四 十八 世の 正し ぃ皇统 であり、 神武 天 

皇 から は 七十 八 代 目に 當られ ます。 それで、 當然 皇太子に も 立ち、 天子の 位に もお 卽 きになられ るべ 

き 方で あるのに、 三十 歳 迄宮で おいでになる 御 事 をば 御 不快と は 思しに なリ ませぬ か。 早速 询 謀叛 ざ 

お起しな さつ 广-、 平家 を 亡し、 It 父 法皇が 何時までと いふ K り もな く 鳥 羽 殿に 押し 籠め られ てお いで 

になる 御腹 立 を 休め 奉リ、 又、 君 も 御 位に ぉ卽 きな さ いませ。 是は ひとへ に此上 もた く 御 孝行で ご を 

います。 もし 思し召し 立 たれて、 令旨 をお 下しに なリ ましたならば、 悅んで 馳せ參 る 源氏の もの は、 

國々 に 多く ございま マ」 と 申した。 

宫は此 事 如何 有らん すらん と、 思し召し 煩 はせ 給 ひて、 暫しは 御 承引 も 無 かりけ るが、 爱に阿 

古 丸 大納言 宗 i の 卿の-御 孫、 備 後の 前 1H. 秀 通が 子に、 小 納言維 長と 巾し は 勝れた る 相 人の 上 



議 



が、 ちょうど 

小納言 維 長と 

いふ 相 人が 宫 

を 位に 卽か せ 

給 ふべき 御 相 

が あると 申し 

てゐ たので、 

5?fJ に 思し し 



9 宫が 五月 

十五 日の 月 を 

詠めて おいで 

になる ところ 

へ、 三位 入道 

の 伎^が 文 を 



謹 



手に て ありければ、 時の 人、 相小納 一一 一一 II とぞ 巾し ける。 そ Q 人 この 宫を 見參ら せて、 「位に 卽 

かせ 給 ふべき 葡相 まします. - 相 構へ て 天下の 事 思 召し 扮 つな」 と 申されけ る 折節、 この 三位 人 

道 も か 様に 勸め 巾され ければ、 「さて は 然るべき 天照大神の 御吿 やらん」 とて、 ひしく と 思し 

召し 立た せ 給 ひけり J 

〇 御 承引 御 承諾。 〇 小納 言維长 伊 長の 訛。 〇相^^へて !!^ して。 〇: 人 下の 事。 政 雄 { 孕 握 

の 事。 〇 ひし/ \ と 堅く。 

高 倉の 宫 はこの 平家 追討の こと を どつ した もの かと 御 案じに なって、 しばらく は 御 承^も なかった が 

こ. 1 に 阿古 九大 納 卿の 孫、 儸後の前司季.通の子に少納ー百維長と申す^|?がぁ つて、 膨れた 人相 

で、 常時の { お 見.! 一 华 つて 天子の 位に 卽 かせ; f ね ふべ き 御 相 がお ぁリ になります。 決して 夭 下の 政 をお 執 

リ になる 望 をお 捨てに なリ ますな」 と 串し 上げた、 ちょうど その 時に、 この 三位 入逍 もこの やうに お 

• 勸め 申しました ので、 「それで はさうた る Y き 天照大神の 御告げ であらう」 とて、 ^く 御 決心に なられ 

た 

一 三、 信 連合 戰 

官は 五月 十五 の 雲^の cr を 詠め させ 給 ひて、 何の 行方 も 思し召し よら ざり ける に、 三位 入 ひ 3 

の 使者と て、 文 持ちて 忙 しげに 出で 來る。 宫の 御^ 母子、 六條の K 几 Q 大夫宗 :::^ 是を 取って 

御前へ 參り 開いて 見る に、 f 君の 御 謀叛 已 に顯れ させ 給 ひて、 土 佐の 畑へ 移し 參ら すべし とて、 

官人 共が 刖當宣 を 承って、 御 迎に參 り 候- きぎ 御所 を 出で させ 給 ひて、 三 井寺へ 入らせお し は 

信 連合 ,七三 



七 四 



持って来た。 

これ を 開けて 

見る と、 宫の 

御 謀叛が 顯れ 

たので、 急い 

で 御所 を 出て 

1ー一 井寺に 入ら 

せ 給 ふやう に 

と ある。 宫 は 

女房 装束で、 

宗 信と 鶴 丸と 

を 連れて 出で 

立 たれた" そ 

の 後で、 信 連 

は 宫の御 秘蔵 

の 小枝と いふ 

笛を宮 が取リ 

忘れて ゐられ 

たの を 見つけ 

て、 後から 追 

い 著いて 進ら 

せ、 官人 共が 

御所に 參 つた 

時に 人 一 人 も 

ゐな いのは 知 



ませ、 人道 も 鑣て參 り 候 はん」 とぞ 書かれた る。 宫 はこの 事 如何せんと、 忍し パ II し: a は せれ i ふ 

所に、 宫の 侍に、 長 兵衛. 尉长谷 部の 信 連と 云 ふ 者^り- 折節 御前 近う 候 ひける が、 進み出で 

て 申しけ る は、 「只 何の様 も 候 ふま じ" 女房 装束に 出で立た せ 給 ひて、 落ちさせ 給 ふべ う もや 

候 ふらん」 と 申しければ、 「此俵 尤も 然るべ し」 とて 御髮を 亂リ、 重ねた る 御衣に、 市 女 笠 をぞ; « 

されけ る" 六 條の亮 Q 大夫宗 信、 傘持ちて 御供: ti る。 鶴 丸と 云 ふ 望 • 袋に 物 八れ て 戴いた 

.V い ぢょ 

り。 喩 へば 靑 侍が 女 を迎へ 行く 様に、 出で立た せ 給 ひて、 高 倉 を 北へ 落ちさせ 給 ふに、 大きな 

ス 溝の 有け る を、 いと 物輕ぅ 越えさせ 給へば、 道行き 人が 立ち? 一 3 つて、 「はしたなの 女房の 溝り 

越え 樣ゃ」 とて 怪しげに 見參ら せければ、 いと ど 足早に ぞ 過ぎさせお はします.^ 御所の-御 守に 

は 長 兵 衛の尉 長 谷 部の 信 連をぞ 置かれけ る。 女房 達の 少々 おはしけ る をば、 かしこ、 ここへ 立 

ち 忍ばせて、 見苦しき 物 有らば、 取りした \ めんと て 見る 程に、 さし も宫の 御秘藏 ありけ る 小 

枝と 聞え し 御 笛 を、 宫の 御所の 御 枕に 取り 忘れさせ 給 ひたる をぞ * 立ち 歸 つても 取ら まほし う 

や 思し 召され けん, - 信 連是を 見付けて、 「あな あさよし、 さし も 君の 御 秘藏の 御 笛 を」 と 中して 

今 五町が 内に て、 追つ 著いて 進ら せたり。 宫斜ら す御感 有りて、 「我れ 死なば この 笛 をば 御棺 

に 人れ よ」 と 仰せけ る 「廳て 御供 仕れ」 と 仰せければ、 信 連 申しけ る は、 只今 あの 御 へ、 官人 

共が 御 迎に參 り 候 ふなる に、 んー 人 も 候 は ざらん は、 無下に 惜しく 存じ 候- その上 あの 御所 に 

信 連が 候 ふと 申す 事をぞ 上下 皆 知った る 事で こそ 候へ. - 今夜 候 は ざらん は、 それ も その 夜 は 逃 

げたり など 云 はれん 事 口 1? しう 候 ふべ しゾ 弓箭 取る 身 は、 假 にも 名 こそ 惜しう 候へ 官人 共に 



惜しい からと 

て 又 一人 ひき 

返しした。 



く あ ひしら ひ、 

I 



方 打ち破って、 纏て 參り候 はん」 とて、 只 一 人 取って返す ゾ 

〇 何の 行方 も どんな ことが 起って くると も。 〇 別當宣 撿非 使 別赏の 出す 文書。 〇 女 一: W 裝來 

女 ^;外 出の 裝 束の ことで、 壺裝 束と て、 衣 を 頭から 被り、 垂髮を 中に 着 こめ、 屮結 をし、 兩 方の 棲 

をつ ぼ 折って、 前に 挿み、 市 女 笠 を 被る こと。 落ちさせ ひそかに 逃げる こと C 御 g を亂り 

髻 を切リ 放ち、 婦人の 垂髮の 如くす る こと。 〇 市 女 笠 捺人 外出 用の 中高の 塗 笠。 〇 靑侍 位の 

卑ぃ 侍。 〇 はしたな 亂暴。 〇1^-りした.-め. 取リ片附けること。 〇 御 枕.:。 御 枕: 兀に 

宫は 五月 十五 日の 月が 雲間に あるの をお 眺めに なつ て、 今に どんな 事が 起って 來 ると もお 考へ になら 

ずに ゐられ る。 三位 入道の 使者 だと 云って、 手紙 を 持って 忙し さう にやって 來た。 宮 の 御 乳母の 子の 

六 條の亮 の 大夫宗 信が 是を受 つて 宮の 御前に 參 つて 開いて 見る と、 「君の 御 謀叛が もはや^れ まし 

て、 土 佐の 畑へ お:^ し. &す やうに、 撿 非違 使の 人 共が 別 赏宣を 受けて 御迎 ひに 參リ ました。 それで、 

急いで 御所 をお 立ち退き になつ て、 三 井寺に お出でな さ いませ。 私も^ぐ に參 リ ま す」 と聱 いて あ 

る。 宮は これ はどうし たもの だら うと 御 思 茶に なって ゐられ る。 宫の 侍に 長 兵 銜の尉 4i 谷 部の 信 連と 

云 ふ 者が あって、 ちょうど その 時宮 のお 側近くに 候って ゐ たが、 それが 進み出て 申し ト: げ るに は、 

別に 仕樣 も ございま すま い。 女^33装束をしてぉ逃げになるのがょろしぅござ います。」 と 巾した ので、 

「それが 1 番 よから う」 とて、 街 髮を亂 し、 重ね 衣 を 著、 市 女 笠 をお 召しに なりました。 六倏の < 儿の大 

夫 宗信は 傘 を 持って 御供 をし ました。 それから 鸛 丸と 云 ふ 少年が 袋に いろくの 物 を 人れ て 捧げ 持つ 

てゐ た。 ちょうど 若侍が 女 2 供 をして 行く 樣に よそ はれて、 高 A 〃"から 北の方へ お 逃け になった が、 

中に 大きな 溝が 有った の を、 大 變無雜 作に お越えに なった ので、 通行人が それ を 見て 立ち Si つて、 

「亂 暴な 女房の 溝の 越え 方 だ こと 一と 云って、 不. t さう に 牵っ た の で、.. ひどく 足!! !• にお 過ぎに なり ま 

した。 御所の 御 留守番に は、 長 丘 ハ衞の 尉 長 谷 部の 信 連を監 かれた" 女-は 達 V, 少しば かり ゐ たの を、 あ 

そこ、 こ 、に 隱れ させて、 もし 見苦し い 物が あったら 取 リ片附 けようと S つ て てゐ ると、 ひどく {a 



信 連合 戰 



七 五 



9 信 連が 用 

意して 待つ て 

ゐる ところへ 

案の 如く 官人 

共が 三百 佘騎 

で 御所に 押し 

寄せて 來 た- 

信 連 は 散々 官 

人 共 を 切リ伏 

せて、 ,M を 切 

らうと して 腿 

を搜 つたが、 

鞠卷が T 格ち て 

なかった の 

で、 門外に 跳 



七 六 

が 御大 切に して ゐられ た 小 抉と 云 ふ 御 笛 を、 平素お いでになる 部屋の 御 枕元に 取リ 忘れて おいでにな 

つて おられた の を、 宫 はきつ.^ 立ち 歸 つて、 持って行きた いと 思 召した であら ゥ。 信 連は是 を 見付け 

て、 「これ は大變 だ。 あれほど 宮の 御大 切な 御 笛 を」 ど 申して、 まだ 五町 も 行かれない 間に 迫 ひ 著いて 

御 渡しした。 宫は 1 方なら ず 御 感心た された.、 「自分が 死んだならば、 この i3 を^の 中に 入れて くれ」 

と 仰せに なった。 「その ま >- 供 をせ よ」 と 仰せられ たので、 信 連が. a. すに は、 「只今 あの 御所へ、 {は 人 

が參 るで せ-つが、 その 時、 誰 一 人 も をり ません の は、 大變殘 念に 存じます。 それに、 あの 御所に 私が 

居る と 云 ふ 事 は 誰も 皆 知って ゐる 事で ございます。 今夜 居りません 、 信 連 も その 夜逃げた など 云 は 

れ ますの は 残念で ござ います。 弓箭 を 取る 身 はかり そめに も 名が 大切であります。 官人 共に しばらく 

相手に なって、 1 方 を 打ち破って 直ぐ 參 ります」 と 云って、 只 1 人 引き返した。 

信 連が その 夜の 裝 束に は、 薄 靑の狩 衣の 下に、 萠黄 句の 腹卷を 著て、 衛府の 太刀 をぞ帶 たりけ 

るノ 三條 S 一ば 總門を も 高 倉 面の 小 門 を も 共に 開いて 待ち かけたり ノ 案の 如く 源大 夫の 判 宵 兼 綱 

出 羽の 判官 光長、 都合 その 勢 三百 余騎、 十五 日の 子の刻に 宮の 御所へ ぞ 押し寄せ たる" 源大夫 

判官 は、 存 する 旨^りみ 覺 えて、 遙 Q 門外に 控 へたり。 出 羽判宫 光長 は、 乘 りながら 門の 內へ 

打ち 入れ、 庭に 接へ、 大昔 聲を 揚げて、 「宫の 御 謀叛 旣に 露れ させ 給 ひて、 土 伎の 畑へ 移し 參 

らせんが 爲に、 官人 共が 別 當宣を 承って、 只今 御 迎に參 りて 候" 疾ぅ疾 う 御出で 候へ」 と 申し 

けれ. ま, 信 連^ 床に 立って、 「當時 は 御所で も 候 はす、 御物 詣で候 ふぞ" 何事 ぞ 事の 子細 を 巾 

ハづく 

されよ」 と 云 ひければ • 出 羽の 判官 「何條 この 御所なら では、 何へ か 渡らせ 給 ふべ かんなる 

ぞ. - その 儀なら ば、 Pis 共參 つて 搜し 奉れ」 とぞ 申しけ る" 信 連 重ねて、 「物 を覺 えぬ 宫人共 

が 申し 稼 かな-馬に 乘 りながら 門の 內へ參 る だに も 奇怪なる に、 剩 へ 下部 共參 つて 搜し 奉れ 



w 出ん とした 

ところ 大 長刀 

持った 大男に 

出逢 ひ、 遂に 

その 長刀に K 

を 貫かれて、 

生 捕に せられ 

た 



と は、 爭か 申す ぞ j 長 兵 衛の尉 長 谷 部の 信 連が 候 ふぞ。 近う 寄って 過す るな」 とぞ 一: ム ひける。 

かね.^、 す ミ、 -ぢ, A ら ほづ 

廳の 下部の 中には、 金 武と云 ふ 大力の 剛の者 打者り 鞘 を 外し 信 連に 目 を かけて 大" の 上 へ乘び 

上る,是を見て、^1隸ども十^:五入ぞ續ぃたる1^^を兌て、狩衣の帶紐引切ってっ扮っる俊に 

衛府の 太刀 なれ ども、 身 をば 心得て 作らせた る を拔き 合せて、 散々 にこ そ报舞 ふたれ。 敵は大 

太刀 大 長刀で 振舞へ ども、 信 連が 衛府の 大刀に 切り立てられて、 嵐に 木の葉の 散る 様に 庭へ 颯 

とぞ 下りたり ける。 五月 十五 日の-雲 問の 月の、 顯れ 出で て 明かりけ るに、 敵 は 無お 內 なり," 

連 は案內 者に て 有りければ、 あそこの 面廊に 追つ 驟 けて ははた と 切り、 爱の 詰に 追つ 詰めて は 

丁 ど 切る。 「如何に 宜 旨の 使 をば、 かくはす るぞ」 と 云 ひければ、 「宣8 と は :!: ぞ」 とて、 太刀 曲 

めば 躍り 除き 推し 直し、 踏み 直し * 矢庭に 能き 者 共 十四 五人ぞ 切り伏せ たる- その後 太刀の 

鋒 三寸ば かり 打ち 折れて 捨て- - げり。 腹 を 切らん と 腰 を搜れ ども、 鞘卷 落ちて 無 かりければ 力 

及ばす、 大手 を 摘げ て 高 倉 面の 小 門より 跳り 出 でんと する 所に、 大長 刀持ちた る 3- 1 人 寄り 逯 

うた 信 連 長刀に 乘 らんと 飛んで 驟 るが、 乘り 損じて 股 を 縫 ひ 様に 貫かれ、 心 は^く へど も、 

大勢の 中に 取り めら れて、 生 捕に こそせられ けれ 。 

— 〇 萌黄匂 萠黃句 威の 略。 「句」 とに 上から 下、 下から 上、 中央から 端、 端から 中央へ、 1!^ き 色から 薄 

い 色へ ぼかした 樣に烕 す こと。 〇 衞^ の 太刀 衞 せ 人の 帶 する 太刀。 〇 一一; 條 面の 總 1: 三條大 

路に 面した 大門。 〇 存 T る 旨 何か考 へが ある こと。 〇 鹿の 下部 仏お 非 (II 使 .3 の 下 被り 者。 〇 打 

^ 刀。 〇!: 隸 仲間の 者。 〇 狩 衣の 帶紐 「帶」 はと も 切れで 作った 幅 一寸 .土_ 分ば かり? もの。 「紐」 

は、 襟の 所 を 結ぶ もの。 〇 身 をば 心得て 作らせ 衞府り 太刀 は 俵 刀で あるが、 特に 銳 利に^へ たも 

ほ 連合 戰 七 七 



の を 用意した ので ある。 〇 面廊 家のお もての 外 廻 ひに ある 緣側。 〇 詰 隅。 〇 はたと。 丁と 

共に 早く 斬る 音の 形容。 〇 能き 者 强ぃ 者。 〇 縫 ひ樣に 縫った やうに" 

信 連の その 夜の 装束 は、 薄 靑の狩 衣の 下に 萠黃句 威,:: 腹卷を 著て 衞府の 太刀 を帶 びて ゐ た。 三倏 面の 

大門 を も、 高 倉 面の 小 門 を も 雨 方と も 開いて、 待ち かま へ てゐ た。 すると 案の 如く、 源大 夫の 判せ 兼 

親、 出 羽の 判官 長 光、 その他 合せて その 軍勢 三百 佘騎で 十 五 日の 午后 十二時に、 宫の 御 所に 押し寄せ 

た。 源大 夫の 判官 は考へ ると ころが あると 見えて 遙の 門外に 控 へて ゐた。 出 羽の 判官 光信 は 馬に 乘 りな 

がら 門の の 內へ打 入 ちれ、 庭に 控へ、 大聲 揚詣げ て、 「宫の 御 謀 音 はも はや 信 はれ 給 ひて、 土 佐三宜 

畑 へ お流し 申さん がた めに 官人 共が 別當を 承って 只今 御迎 に參リ まし 抆た。 早くく 御出で 下さ い」 

と. E. いしたので、 信 連は大 床に 立って、 「宮は 今、 この 御所に は お出でが なく、 御物! S であ リ ます ぞ。 

1 體 何事で ぁリ ます ぞ、 その 譯を くわしく 申されよ」 と 云 ふと、 出 羽の 判官 は 「どうして 此の 御所で 

たくて、 何處へ お出でになる もの か。 さう 云 ふこと なら、 下 都 共、 參 つて 搜し 奉れ」 と 申した。 信 連 

は 重ねて 「作: y も わき ま へ な ぃ官人 共の 申し 接で ある。 馬に 乘り ながら 門の 內へ參 る さ へ 不都合で ある 

のに、 その上 下部 共 <<》 つて 搜し 拳れ と は 何で 云 ふの だ。 長 兵 衞の尉 長 谷 部の 信 連が をリ ます ぞ。 近寄 

つて 怪我す るな」 と 云った。 檢非遽 使廳の 下部の 中に 金 武と云 ふ 大力の 强ぃ 者が 刀の 節を拔 い て、 

連 を 目が けて、 大 床の 上に 飛び 上った。 是を 見て、 仲間の 者が 十 四 五人績 いた。 信 連 は是を て、 5^ 

衣の 帶紐を 引き 切って 捨てる や いなや、 衞府の 太刀 はで あるが、 中身 は考 へて 鋭利に 作らせた のを叛 

いて、 散々 に切リ まくった。 ^は 太刀 大 長刀で 戰 つたが 信 連の 太刀に 斬リ 立てられて、 凰に 木の葉が 

散ろ 樣に、 庭へ さっと 下りて しまった。 五月 十五夜の 雲間に かくれて ゐた 月が 顯れ 出て 明るかった の 

に、 敲は無 案内で ある、 信 連 は 能く 樣子を 知って をつ たので、 あそこの 面" 鄺に追 ひかけ て は はたと 

切り、 此處の 隅に 追 ひ 詰めて は 丁と S る 「何故 宣 旨の 御 使 を こんなにす るの だ」 と 云 ふと、 「宣 旨と は 



9 信 連は溺 

めら れて、 六 

波羅に 連れて 

来られ 大 庭に 

引 居 ゑ ら れ 

て、 宗 盛から 

何故 宜旨の 御 

使 を 斬った か 

と 責められた 

が、 信 連 は あ 

ざ 笑って あく 

迄 .0 つば くれ 

て をリ、 宮の 

御在所 をも更 

に 告げな か つ 

た。 平家の 侍 

せ; は 何れも 剛 



何 だ」 と 云って、 太刀が S ると if リ返 いて、 推し 底したり、 踏み 直したり し、 卽 に 相 の 者 十四 五 

人 を 切り倒した。 その後 太刀の 錄が 三寸ば かリ 打ち 折れて 捨て、 しまった。 それでもう 是れ 迄と 肢を 

切. りう と 腰を搜 つた けれども、 靱卷が 落ちて 無 A つたので、 &し 方な く、 大手 を^げ て、 髙食 面の 小 

門から 11 リ 出ようと したと ころへ、 大 長刀 を 持った 一人の 男に ぶつつ かった。 信 連 は 長刀に 乘ら うと 

飛んで 懸 つたが、 乘り 損じて、 胶を錢 つた 樣に 貫かれ、 心 はしつ かりして ゐて も、 大ぉ 力の 中に とり 餽 

めら れて、 生 捕に せられて しまった。 

そ, 後 御所 中に 亂れ 入って 搜せ ども、 宫は 渡らせ 給 は. f,- 信 連ば かり 溺 めて、 六 波羅へ ゐて參 

るソ 前の 左 大將宗 盛の 卿、 大宋に 立って、 信 連を大 庭に 引 居させ、 「誠に わ 男 は、 宜53:1 の 御 使 

と 名乘る を、 宣 旨と は 何ぞ とて 切ったり ける か、 その上 鹿の 下部 北ハ、 多く 匁 傷 殺害し たん なれ 

ば、 能々 礼 問して 事の 子細 を 尋ね 問 ひ、 その後 河原に 引出して, 竹 を 刎ねよ」 と ぞ,: 几 ひける〕 信 

連 元より 勝れた る大 剛の者な りければ、 居直り あざ笑うて 巾し ける は、 「この 程 あの 御所 を 夜 

な/、 物の 窺 ひ 候 ふ を、 何條 事の 有るべき と 思ひ慢 つて、 用 心 も 仕らぬ 處に、 夜半ば かりに. ^ 

うた ス者 共が- 二: 二百 騎 打ち 入りて 候 ふ を、 何者 ぞと尋 .4 て 候へば、 {4.0 の 御 使と 巾す。 常時 

は?; 2國 の竊盜 强サ: r m 賊、 海賊な ど 巾す 扠 原が、 或は 公達の 入らせ 給 ひたる ぞ- 或は 宜 S の 御 

使な ど 名乘り 申す と- 兼て 承って 候 ふ 程に 宣 旨と は 何ぞ とて 切った ろ 候- 凡そ:::^ 連、 物の 具 を 

も S ャか 様に 仕り、 缓 好き 大刀 を 持って 候 はんに は、 只今の 官人共 をば、 よも 一 人 も 安 では 録 

し 4 ち」 じ^ その上、 宮 の 御在所 は、 何く に 渡らせ 給 ひ 候 ふやらん、 知り 參ら せす 候- 縱ひ 知り 

參ら せて 候と も、 侍 程の-者の 一 度 申さ じと £ 心 ひ 切 てん 事 は、 礼 問に 及んで 巾す ベ き 様な し」 とて、 

信 合 R 七 九 



その後 は 物も屮 さす。 幾ら も 並み居たり ける 平家の 侍 共 「哀れ 剛 の-者 や、 是等を こそ 一 人當 

千の 兵 とも 云 ふべ けれ」 と、 口々 に 申しければ、 その 中に 或る人の 申しけ る は、 「あれが 高 

名 は 今に 始めぬ ぞ かし- 先年 所に 有りし 時、 大番 衆の 者 の 留め 兼ねたり し强 盜ーハ 人に、 只 一 

人 追つ 懸り、 ニ條 堀川なる 所に て、 ra: 人 切 伏せ、 二人 生 捕って、 その 時 成された りし 左 兵衛の 

尉ぞ かし。 あったら 男の 斬られん する 事の 無衛 さよ」 と、 惜 みあへ りければ、 入道 相國 いかが 

思 はれ けん、 「さらば、 な 斬つ そ」 とて、 伯 耆の日 野へ ぞ 流されけ る) 

6 〇 わ 男 お前、 手前。 〇 この 程 近来" 〇^ の 具 甲 tr 等 武具。 鐵 好き 太刀 截 へのよ い^ 

利な 太刀" 問 取調べ。 〇一 人當千 一 人で 千 人に 當る 程の 强 力の 老。 所 蔵人 所の 所の 

衆。 〇 大番衆 諸 國ょリ 三年 交替 ャ、 京に 出で、 禁中 を 守護す る 武士の 稱。 〇 あったら 男 惜し 

い 男。 〇伯^^のロ野 伯 者 國日野 郡 日 野" 洳。 

6 その後で 御所の 中に 戴れ 入って 搜し たけれ ども、 宫 はおいで にならない。 それで 信 連 だけ 撙 つて、 六 

波羅へ 連れて 來た。 前の 右 大將宗 盛 卿が 大 床に 立って、 信 連を大 庭に ひき 据ゑ 、「お前 はほんとう に、 

宜 旨の 御 使 だと 名 乘る者 を {a| 旨と は 何ぞ」 と 云って 切った のか。 その上、 検非違使- 1 の 下部 共 を 多く 

R< 傷したり 殺 寄した の だから、 十分 取調べて、 樣子を 委しく 尋ね 問ゥ て、 その後で 河^に 引き 出して 

首を圳 ねよ と 仰せられた。 信 連に もとより 非常に 大謄の 者であった から、 居. T まゐを して 嘲笑し-」 

申す に は、 「近来、 あの 御所 を 毎晩 怪し い 者が 窺 ひます の を、 何、 大した こと も あるまい と 馬鹿にし 

て、 別に 用心 もいた しませぬ ところへ、 夜中 時分に、 鎧 を 着た 者が 二三 百騎 打ち 入 D ましたので、 何 

者 だと 云って 尋ねて 見ます と、 宣 旨の 御 使 だと 申します。 此顷 は、 諸 21 の竊^ だと か强盜 だと か、 山 

賊、 海賊な ど 云 ふ 奴が 或は 公達の お出でで ある ぞ、 或は 宜 Ha の 御 使で ある ぞな ど!^? 乘 リ,; ZA-N と 以前 か 



ら に 聞いて を n- ました もの だから、 ゃはリ そんな 奴等 だと 思って、 .SG:a!r . は 何ぞ と 云って 切リ まし 

た。 せめて、 私が 武具 を 十分 身に 著け、 よく 截 へた 太刀 を 持って をリ ましたら、 此 虎の 官人共 を とても 

1 人 も 無事に は歸 しますまい。 又宮の ゐられ ます 所 は 何 虎 だか 存じません、 たと へ、 知って をリ まし 

て も、 侍と 云 はれる 者が 一 ^申寸 ま いと 決心した から は、 取調べに 逢った からと て 巾す わけ は ぁリま 

せん。」 と 云って、 その後 は 一 言 も 云 はない。 澤山 並んで ゐた 平家の 侍 共 は rti にえら い *r だな あ、 か 

うい ふの が 一人 當 千の 兵と も 云 はれよう」 と、 話し合って ゐ たが、 その 中に ゐた itf 人が 巾す に は 「あ 

の 男の 有名な の は 今に 始 つたこと ではない。 先年 蔵人 所に ゐた 時、 大番 衆の *? 共が よう 捕へ なかった 

六 人の 强盜を 只 I 人 追つ かけて、 ニ倏 堀川で、 四 人切リ 倒し、 二人 は 生 捕に したが、 その 功^で 左 兵 

衛の 尉に された ので ある。 惜しい 男が 斬られよ うとす るの は: il- の な ことで ある。」 と 互に 惜 むので、 

猗盛は 如何に 思った のか 「そんなら 斬るな」 と 云 つて、 伯 者の 口 野へ お流しに なった。 



四、 都 



遷 



8 治 承 四 年 

六月 三 a に 顧 

原へ 都が 遷さ 

れ ると いふの 

で、 京 中の 上 

下 は 殿ぎ 合 つ 

た。 而も 三日 

と 云 ふの が 二 

口にな つた „ 



治 承 四 年 六 S: 三 H の 日、 福 原へ 御幸なる べしと 聞 ゆ. - この 日頃 都: 造 有るべし と 聞え しか ども、 

忽に今 明の 程と は 思 は ざり しもの をと て、 京 中の 上下 騷ぎ 合へ り。 一 二日と 定められ しか ども、 

剩へ 今一 日 引き上げられて、 二日に 成りぬ 二日の 卯の; S に、 行幸の御與を^^3せたりければ、 

いとけ な を さな 

主上 は 今年 三歲、 未だ 幼 うまし ましければ、 何 心 もな ぅぞ 召されけ る" キ- 上少ぅ 渡らせ 給 ふ 

時の 御 與に は、 母后 こそ 參らせ 給 ふに、 是は その 儀な し 御 乳母 帥の 亮殿 ばかり こそ、 一 つ 

御輿に は 參られ けれ" 中 官> 1 院、 上皇 も 御幸なる。 攝政殿 を 始め 奉って、 大政 大 H:! ヒ下 卿相 



都 







八 



主上 を 始め 拳 

つて、 中宮、 

1 院、 上皇 も 

御幸に たる。 

攝政を 始めと 

して 太 政 大臣 

以下 供奉され 

る。 輯 盛の 山 

莊が 皇居に な 

つ. L。 その 賞 

として 賴盛は 

正 二位に たつ 



雲 客、 我 も,., - と 1-1 せらる: 平家に は 太 政の 人道 を 始め 參ら せて、 一 門 人々 皆 參られ けり.^ 

明くる 三日の 日. 福 原へ 入らせお はします。 入道 相 國の弟 池の 中納言 賴 盛の 卿の 山莊、 皇居に 

なる。 同 四日の 日、 賴盛 家の 賞と て 正 二位 丄給 ふ。 九條 殿の 御子 右 大將の 卿、 加 階 越えられ さ 

せ 給 ひけり の臣の 御子 息、 凡人の, 男に 加階趑 えられ させ 給 ふ 事、 是れ 始とぞ 承る ^ 

〇 福 原 攝津國 神 戸市の 西部 % 方の 舊稱。 〇 この 日 一お 近日 a.o〇 今 明の 稃 今日 明:: r とい ふ 程に 

急な こと。 〇、 王 上 安德 tK 皇。 〇 帥の 亮殿 平 大納首 時忠の 北の方。 〇 中宮 建 門院。 〇 上 

皇 高 倉 天皇 C 〇攝 政 殿 藤 原 墓 通" 〇 太 政 大臣 當時 は闕官 であった。 〇 家の赏 山 莊を皇 

居に 捧げた 賞。 〇 九條 右大臣 藤 原 兼實。 〇 攝籙 攝政關 白になる べき 家柄。 〇 凡人の 次男 

賴 盛の こと。 

治 承 四 年 六月 三日に 福 原 へ 行幸 遊ばされ ると い ふ^で あ つ た。 近日 中に 都 遷がぁ る だら ラと いふ K 判 

であった が、 忽ちに 今日明日と いふ 程に 急な こと、 は 思はなかった のにと、 京 中の 者 は 上 も 下 も告大 

隆 ぎした。 その上、 三日と 定められ てあつた ものが 一 日 引き上げられて、 二日に 成った。 二日の 午前 

六時顷 に、 行幸 あそばす ための 御 舆を宫 中に 寄せる と、 主上 は 今年 三 歳で、 まだ 幼く まし ましたの 

で、 何の 御 分別 もな く、 御輿に ぉ乘り あそばした。 主上が 御 幼少に あらせられる 時には 御與に 御同乘 

申す の は 母后で あるのに、 今度 は そのこと もな い。 御 乳母の 帥の 亮殿 ばかりが、 ヤ 上と 一 っ御舆 にお 

乘リ あそばした。 中宫、 一 院、 上皇 も 御幸 遊ばされる。 J 政 殿 を 始め 奉リ、 太 政 大臣 以下の 公卿、 殿 

上人が 我 もくと 佻 奉せられ た。 lef- 家 は 淸盛公 を 始めと して、 一 門の 人々 が 皆 参られた。 叨 くる 三日 

に 福 原へ お 著き になった。 淸盛 公の 弟の 池の 中 納言賴 盛 卿の 山莊が 皇居に なった。 同 四日に 賴盛は 家 

の 賞と して 正 二位に 進んだ。 九條 殿の 御子の 右 大將良 通 卿 は 位 を 越えられ 給うた。 攝錄の 家に 生れた 

御子 息が、 普通の 家柄の 次男に 位 を 越えられ たの は 是が始 である。 



8 浩盛は .1 

く 思;:: 直って 

法皇 を 鳥 羽の 

北 殿から 出し 

窣 つて、 都へ 

還 御な し 奉つ 

たが 高 倉の 宫 

の 御 謀叛の 憤 

5 から 又 福 原 

へ 押し 龍め 奉 

つた。 平家の 

惡行は 悉く 

り、 今 又、 殘 

る都遷 まで や 

つたので あ 

る 



入道 相國 やうく 思 ひ 直って、 法皇 をば 鳥 羽の 北 殿 を 出し 參ら せて、 都へ 御な し 奉り— が、 

髙倉宮 の 御 謀叛に 依って 大に 憤. リ、 又 福 原へ 御幸 成し 奉り、 M 面に 端 板して、 口 一 つ il きたる 

內に、 三 M の 板屋 を 作って、 押し 籠め 奉る。 守護の 武士に は、 原^の 大夫 1?^ 直ば かり ぞ候 ひけ 



る。 l^s, 对ぅ 人の 參り通 ふべき 樣も 無ければ、 宜部 など は、 籠の 御所と ぞ巾 しけ. る。 聞く も 忌々 

しう あさまし かりし 事 どもな り。 法皇 今 は 世の 政 を 知し 召さば やと は 露 も m 心し よらす" 只 山々 

寺々 修行して、 御 心の 儘に 慰まば やと ぞ 仰せけ る j 平家の 惡 行に 於いて は、 悉く 極り ぬ。 去ん 

ぬろ 安元より お i、 多くの 大臣、 公卿 或は 流し 或は 失 ひ、 關白 流し 奉って 我 關. 21 になし、 

法皇 を の 離宮に 押し 籠め 奉り、 剰へ 第二の 皇子 高 倉の 宮 打ち 奉って、 今殘る 所の 都: 逸 なれ 

ば> か樣 にし 給 ふに やと ぞ人 申しけ る," 

i 〇 思 ひ 直る 怒が 解ける。 〇 端 板 板屛。 〇 三 間の 板屋 柱 問 三つ 程の 狭い 板篝の 家。 〇w 

竿と 同義。 〇 關白 藤 原 基 S5。 〇 我 聾 淸 盛の^ 基 通。 

B 淸盛 はやつ と 怒が 解けて、 法皇 を 鳥 羽の 北 殿から お出し 申して、 都へ お 還し 奉った が、 な 2{H の 御 

謀叛 依って 大に 立腹し、 f?< 福 原へ 御幸 させ 奉って、 四面に 板胖 をして、 入口が 一 方 だけ 開いて ゐる 

内に、 三 間の 极屋を 作って、 押し 籠め 申し上げた。 守護の 武士に は^ 田の 大夫种 W だけが 候った。 容 

易に 人が その 中へ 參り通 ふことの 出來 ない 有樣 であった ので、 子供な ど は そこ を 痛の 御所と 中した。 

聞。 て さへ も 腹の 立つ、 あきれ 果てた ことで ある。 法皇 は 今 は 世の 政 をお 執リ 遊ばさ ゥとは 少しも 思 

はれない。 ただ 山々 や 寺々 を 修行して、 御 心の 儘に 慰みた いと 仰せられた。 平家の "お; 仃は 極点 ま ごや 

り < ^くした。 去る 安元から 以來、 多くの 大臣、 公卿 を 或は 琉し、 或は 殺し、 又、 MC を^し^つ て、 



八 四 



1 舊 都に 立 

} ^な 都で あつ 

たが 今 は迁々 

を 堀り 切つ て 

車の 往來 も容 

易に 出 來ず家 

々は s$ たれて 

筏に 紐み、 資 

財 雜具は 舟に 

镜んで 福 原に 

運ばれた。 何 

者か舊 都の 內 

裏の 柱に 二 首 

の馱を 書付け 

た 



淸盛ハ 女の 聱を 3! 曰に なし、 法皇 を 5^ 南の 鳥 羽の 離宮に 押し 籠め 奉リ、 その上 第二の 皇子 高 食の 宮 を 

討ち 奉って、 今 最後に 殘 つて ゐ るの は 都遷 だから、 それ を やられる ので あらう と 人々 が 云った。 

舊都は あはれ 目 出た かりつ る都ぞ かし" 王城 守護の 鎭守 は、 四方に 光 を 和げ、 靈驗 殊勝の 寺々 

IT 上下に 薨を雙 ベたり。 百姓 萬 民 煩な く、 五. 競 七道 も 便 あり ^ され ども 今 は 辻々 に 堀り 切つ 

て、 率な どの 容易う 行き かふ 事 もな く、 たまさかに 行く 人 は、 小 寧に 乘り 道を經 てこ そ 通りけ 

れ U 軒を爭 ひし 人の 柄 居、 日 を經っ i 荒れ 行く。 家々 は 加 茂 川、 桂 川に 毀ち 入れ、 筏に 組み 浮 

ベ、 資財 雜具 舟に 積み、 福 原へ とて 運び 下す。 唯 成りに 花の 都、 田舍 になる こそ 悲し けれ、) 何 

者の 所業に やおり けん、 舊き 都の 內 裏の 柱に、 二 首の 駄をぞ 書付け る" 

ポ转 を 四 回までに 過ぎ 來 にし 愛 岩の 里の 荒れ や 果てなん. - 

い 人き 出づる 花の 都 を拫り 捨て、 a 吹く 原の 末ぞ あや ふき- 

6 〇 光 を 和げ 和 光 同 塵の 和 光で、 佛 菩薩、. 威一 偽 ある 光 を 和げ て、 神と なって 現れる こと。 〇 五畿七 

口 本全國 五畿は 畿内の 五國、 山城 • 大和 • 河 內* 和 泉 • 攝津。 七道 は、 柬海* 東 山 • 北陸-山 ¥ 南海 • 

西 海逍。 〇 便り あり 交通の 便宜が ある。 〇:w々 道々。 〇 道 を錢て 廻り 道 をして。 〇 軒 

を爭ひ 人家が 軒 を 並べて 繁 1 な こと。 〇 桂 川 大堰 川の 下: „^。 〇 唯成リ ひたすらに 變る こと。 

〇 百年 を 四 回 四 百年。 平安 贫都後 治 承 四 年 迄 一 Ilia 八十 七 年で ある。 〇 愛 の 里 平安京 は 初 は 葛 野 

郡の 方 を 主と したが、 西の 京 は 夙に 廢れ、 院政 時代に は、 柬、 白 河 六 波羅の 方面に^ 展し、 愛 11? 郡に 

跨る ことにな つたから かく 云った ので あら ゥ。 〇 風^く 原 福 原 を かけた。 

i 舊都 は實に 立派な 都で ある。 皇械を 守護す る 鎮守の神 は 四方に 鎭 座して 光の 惠を 垂れ、 靈驗の 殊更に 

勝れて ゐる 寺々 は 上京、 下 京に 甍を 並べて ゐる。 百姓 萬 raf は 心配が なく、 日本 仝 Ml から 交通が 便利で 



ある。 然るに 今 は 道々 を 3^ リこ はして- 

小さな 車に 乘 つて、 廼 路 をして 通って 行く ので ある-" 

毎に 荒れて ゆく。 家々 は 加 茂 川 や 桂 川に こ はし 入れて- 

へ 向って 運び 下す ので ある。 ひたすら 花の 如き 美し 



る こと も出來 ず、 たまさかに 行く 人 は、 

人家が 軒 を 並べ て 繁華であった 人の 栖!! は n 

狡に 組んで 琉し、 ^财ゃ 雜具は 舟に 橫んで 顧 

都が かう して 田舍 になる の は 嘆か はしい 寧で 



ある。 誰が した ことで あらう か、 舊 都の 內裹の 扛にニ 首の 砍を窖 き 付けた。 一 

1^都以來四百年もぉ1て來た平安京が荒れ^-て しま ふの は 惜しい ことで ある。 

花の 疾き 出す やうな 立^な 都 を 振り捨て . -、 風の 吹き荒れる 穩 や かで ない 福 原へ Is るので あるが、 - 

その 將采が 危く思 はれる。 . 



五 月 



見 



六月 九日の n: 新 都の 事始、 八月 十日の 日 上棟、 十一月 十三 日 幸と 定めら る j 舊き都 は 荒れ 行 

けど、 今の 都 は 繁昌す。 あさまし かりつ る 夏 も 暮れて、 秋に も旣に 成りに けり。 秋 もやう く 

、4f ばに 成り 行けば、 福 原の 新 都に ましく ける 人々、 名所の 月 を 兌ん とて、 或は 源氏の 大將の 

の 跡 を 忍びつ X、 須 磨より 明 石の?^ 傳ひ、 谈路 門 をお し 渡り、 縛 島 が^の n. を 兌る。 或は 

をの へ 

浦 吹 上 • 和 馱の沛 • 住 吉* 難 波 • 高 砂 i! 上の 月 曙 を 眺めて 歸る人 も あり。 葡 都に る 人々 は 

伏 兌 • 廣澤の 月を兑 る. - 中に も 德大寺 充大 將實定 Q 卿 は、 舊き 都の 月を戀 ひつ k 八:::: 十:: 

しげ v^l 

りに 福 原よ. リぞ 上り 給 ふ。 何事 も 皆變り 果て.. - 稀に 淺る 家に、 門前ゃ^zして、 庭 上 ^溢し。 逢 

が杣、 淺 芽が 原、 鳥 Q& 所と 荒れ^て て、 蟲の聲 々怨みつ. - 黄菊、 此. kiS の 野!^ とぞ 成りに け 



八 六 



tc- 月 十 in 余 9 

に 顧 原から 上 

つ て、 近衛 河 

原の 大官 のお 

所に 參 つた 

その 時 大宮に 

御 琵琶 を 遊ば 

して ゐられ た 

が、 しばらく 

それ を さし 置 

て、 赏定卿 を 

迎 へられた。 



る。 今故鄉 の名殘 とて は 近衛 河原 Q 大宮 ばかり ぞ まし ノ\ ける ^ 大將 その 御所へ 參り、 まづ隨 

身 を 以て、 や-門 を 叩かせら るれば、 內 より 女の 聲 にて、 「誰 そや、 逢 生の 露 打ち 拂ふ人 もな き 

ぢ 4- う 

所に」 と咎 むれば、 r 是は福 原より 大將の 御上り 候」 と 申す。 「さ 候ら はば、 惣門は 錠 Q さ」 

れて候 ふぞ, 東の 小 門より 入らせ 給へ」 と 申しければ、 大將 さら ぼと て、 東の 小 門より ぞ參ら 

れ t る。 大宫は 御 つれづれに 昔 を や 思し召し 出で させ 給 ひけん、 南面の 御 1^ 子 開 If させ、 御琵 

琶邀 ばされ ける 所へ、 大將 つと 參られ たれば、 暫く 御 琵琶 を さし 置かせ 給 ひて、 「夢 かや 現 か、 

c- そく 

これへ く」 とぞ 仰せけ る。 源氏の 宇治の 卷には 優 塞の 宫 Q 御 娘、 秋の 名 淺を惜 みつ、、 琵 

琶を 調べて、 夜もすがら 心 を 澄し 給 ひしに、 有 明の 月の出で ける を、 なほ 堪へす や 思し けん、 

撥に て 招き 給 ひけん も、 今 こそお ぼしめ し 知られ けれ。 

6 〇 事始 造 はじめ。 〇 上棟 t.. 木 を 上げる 式 事。 〇 あさまし かりつ る 意外の 事の 多かった。 

〇 源氏の 大將の 昔の 跡 凝 氏 物語の 須磨、 明 石の S: 《おに、 光 15^ 氏の 大將が 都に 住みかぬ て、 一時 須磨、 

明 石の 地に 沱住 居した ことが 書かれて あるので、 その 風情 を IT ふこと。 〇 淡 路の迫 門 明 石と 淡路 

との 間の 海峡。 その 廣さ約 二 海里。 〇 緣 鳥が 璞 淡 路國津 名 郡 松 尾 1- の 南、 u,.-s にある お 崖の 半 

島。 OA 浦 白良の濱ともぃふ。 .2^$^國ーぉ牟裳郡1^戶村^>ら湯崎村に至る海岸。 〇 吹 上 > 紀伊! I 

和跃山 市の 西南 部から 海草 郡親賀 村に 至る 迄の 古名。 〇 住 吉<- 難 波 共に 攝 $1。 oil 砂 樅 摩 國加 

古 郡 高 砂 町 附近。 〇 尾 上 同 加 古 郡 尾 上 村。 〇 伏 見 山鍵國 rl- 伊 郡 伏ヌ」 町。 〇 廣 .t 同 葛 野 郡 

輕峨 村の 康に 在る 池。 〇 蓬が 杣 蓬 草が 生ひ繁 つて、 柏 山の 様に たって ゐる こと。 「! w」 に、 樹木 を 

植 ゑて、 材木 を 採る 料と する 山。 〇,t; 茅が 原 茅の まばらに 生えて ゐる 原。 〇 近衞 河.』 の大宮 



「近衛 河原」 は近銜 通の 東。 「大 宮」 は 皇太后 藤 原 多 S.O 〇 惣門 構の 大門" 〇一!^ 生 の 生 ひ 

茂って & ると ころ。 〇 咎む 問 ひた ゾす? r 〇1^ 氏の 宇:^ の卷 、源氏 f:lrn 宇治 十帖の 中の 初の 

橋姬の 4!^ を 云 ふ。 〇 優 婆 架- 宫 「優 婆 塞」 は 梵語、 俗人で 佛 門に 歸依 とした 人の こと。 源氏^ の 宇 

治 八 {„>:: である。 〇 御 娘 宇治 八宫の 長女 大姬 君。 

六 H: 九 nr か 新 都の 造蒈 始め、 八月 十日が 楝 上げ、 そして 十 一 月 十三 日に 遷幸と 定められ i^H 都 は 曰々 に 

荒れて 行く けれども 新 都は繁 31 する。 意外の 多事であった S も j„t れて、 そのうち いつしか 秋に もな ゥ 

,广0 そして 秋 も 漸く 半に 成って 打く と、 原の 新 都に お いでになる 人々 は 名所の 》J を: ようとて、 或 

は 源氏の 大將の 昔お 住みに な つた 跡 を 等ね て、 その 風情 を 促びながら、 須" から 明お の 沛に傅 ひ、 

ほ も、 淡 路の迫 門 を 渡って 綺岛 の磁の を る 者 も ある。 或は、 吹 上 • 和耿の 住. J.V 難 波* ほ 

砂 • 尾 上の 夜明けの 月 景色 を 眺めて. 蹄る 人 も ある。 舊 都に 殘る 人々 は、 伏 ゃ廣 St の 月 を =1- に 行く。 そ 

の 中で も、 德大 寺の 左大 將實定 卿は舊 都の 月を戀 ひしく 思 はれて、 八 =: 十 n 余りに、 ITS から 御上 京 

になった。 舊都は 何もかも 晋す つかり 變 つてし まって、 蟲の聲 々が 怨み 額に 鳴いて をリ、 何^も かし 

こも 黄菊 や 紫蘭の 繁っ, 广 野原に 成って ゐる。 今 この 故郷に 残って ゐ る身內 の^で は、 近衞河 is の大宮 

だけが おいでになる。 大將は その 御所に 參リ、 まづ隨 身に 惣門を 叩かせて: 条內を 乞 はれる と、 內か ら 

女の 驛で 「どなた か、 こんな 草深い 荒れ果てた 誰も 尋ねて 下さる 人 もない 所に、 どうい ふ 御所で お出 

でに なった ので 寸 か」 と、 問 ひた だす ので、 「これ は 福 原から 大將 殿の 御上 京に なった のであります。 一 

と 中し /0 「それならば、 物 門は綻 がさして あります から、 is- 側の 小!: か.,: お入り 下さい」 と 巾した 

ので、 大將 はさ ゥ いふ ことならと、 東の 小 門から 參られ た。 大ぉ はお 退^の ま 4 に、 背の ことで も 思 

ひ 出して ゐられ たので あら-つ-か、 表座數の御格子を開けさ せて御^^!:;?を いて ねられた が、 そこへ 

大將 がの つ そり 參られ たので、 しばらく 御 琵琶 を彈き 止めて、 「お >- これ は にあら うか、 現で あら 



s 待 宵の 小 

侍從と いふ 女 

もこの 御所 

に 伺候して ゐ 

る。 侍 宵と い 

ふの は、 待つ 

宵の、 云云の 

欲 を 詠んだ た 

めで ある。 大 

將は この 女 iss 

召し出して 

今昔の 物語 を 

し、 夜 も 更け 

ので、 大將は 

舊 都の 荒れ 行 

くの を 今樣に 

跃 はれ、 やが 

て、 夜が 明け 

て 行く ので、 

. 暇 を 申して、 



え 

、さあ、 こちらへ」 と 仰せられた。 氏 物語の 字 治 十 帖の卷 の 中には 字 治八宮 の 御 

娘が 秋の 去て 行く の を 惜しみながら、 琵琶 を彈 いて、 終夜 心 を 澄して ゐられ たと ころが、 有 明の 月が 

出た が、 月が 自然に 静かに 上る ので は 未だ 我慢 出来なかった ので あらう か、 撥で お招きに なった と い 

ふこと .,^書 いて あるが、 その 時の 趣が 今 始めて a ひ 知られた。 



ほ ijo よ ひ 



待 宵の 侍從と 申す 女房 も、 この 御所に ぞ候 はれけ る-) 抑、 この 女房 を 待 宵と 申されけ る 事 は、 

つよ ひ あした 

或 時 御前より、 「待 宵、 歸る 朝、 何れ か 哀れ は 勝れる ピと 仰せ けれ ぼ、 かの 女房、 

待つ 宵の 更けて 行く 鐘の 聲 聞けば、 歸る 朝の 鳥 はもの か は。 

と 申したり ける 故に こそ、 待 宵と は 召され けれ。 大將 この 女房 を 呼び出で て、 昔 今の 物語 ども 

し 給 ひて 後、 小夜 もやう く 更け 行けば • 舊き 都の 荒れ 行く を今樣 にこ そ耿 はれ けれ。 

ふるき 都 を來て 見れば、 . 

淺 茅が 原と ぞ 荒れに ける。 

月の 光 は 隈なくて、 

秋風の みぞ 身に はしむ。 

と、 おしかへ し、 おしかへ し 三返狄 ひす まされければ、 大宫を 始め 奉って 御所 中の 女房た ち、 

みな 袖をぞ ぬらされ ける。 さる 程に 夜 もやう く 明け ゆけば、 大將 いとま 申しつ-.、 li 原へ ぞ 

歸ら ける 

I 〇 小侍從 石淸水 八幡の 檢校 光淸の 女。 〇 待つ 宵、 歸る朝 戀 人の 來 るの を 待つ 街の つら さと、 戀 



福 原に 歸られ 

た 



8 餌 朝の 謀 

叛 した !!> がし 

きリ にあった 

ので 福 原で は 

公卿お 議がぁ 

つて、 いで 

討 手 を 下す こ 



人が 41 つて 行く の を 送り出す 朝の つら さと。 〇 今樣 七五調 八 句から 成る 耿謠の 一 稀で、,^ 安 朝 時 

代に 流行した。 〇 隈なく 月の光が至らぬ所もなぃほどに澄み渡ってゐる^^。 

待, W の 小 侍從と 申す 女房 もこの 御所に 伺候して ゐられ た。 元來、 この 女 を 待 宵と ばれた 理. a よ、 

或 時、 天子 _vx^、 待つ 宵と 歸る 朝と、 ど ちらが 哀れが 深い かと 仰せられた ところが、 こ の 女お が、 

慰 人の 來 るの を 待つ 夜、 だん-^ 更けて 行く 鐘の 驛を 聞く つら さに くらべる と、 W し い 別 をせ きな 

てる 錄の 音な ど は 何でもありません。 

と、. & したので、 待 宵と いふ 名で 呼ばれる やうに なった ので ある。 大將 はこの 女 一!^ を 呼んで、 

の 物語 を させた 後、 夜 も だん 更けて 行く ので、 舊 都の 荒れて 行く の を 今様に して 耿は L た。 

奮き 都に 來て 見る と、 何 處も彼 虚も淺 茅の 生ひ繁 つた 野原に 荒れて 了って ゐ る。 n: の 光 は 至らね 所 

もな く 明るく 輝いて、 秋風ば かりが 身に しむ ことで ある。 

と、 おしかへ しく 三 返お 馱 ひに なられた ところが、 大宫を 始めと して、 御所 中の 女-お 建は感 5% に 咽 

ばれた。 そのうちに、 夜 も 次第に 明けて 行く ので、 大將 はお 暇 を 告げて、 福^ へ^られた。 

一 六、 富士川 



さる 程に、 右兵衛の 佐 殿 謀叛の 由 頻に 風聞 有りし かば、 福 原に は 公卿 發議 おって、 今 一 口 も 勢 

の 付かぬ 先に、 急ぎ 討 手 を 下さるべし とて、 大將 軍に は 小 松の 權の 一:, 冗 少將維 盛、 副 將$ ^に は 

摩の 守忠 度、 侍 大將に は 上 總の守 忠淸を 先と して、 都合 その 勢 三 萬 <s^、 九 n; 十八::: に、 新 都 

を 立って、 明くる 十九 日に は舊 都に 著き、 纏て 同じき 廿日の 口- 東 同へ こそ 赴かれ けれ。 大將 

小 松の 權の亮 少將維 盛 は、 生年 二十 三、 容儀 帶佩鎗 に ^ くと も维も 及び難し。 m, 代の if せ 竹 (iii 

& 士川 八 九 



とに たって、 

大將 軍に は 維 

盛、 副將 軍に 

は忠度 侍大將 

に は 忠淸を 先 

として 總勢三 

萬佘騎 が東闺 

へ 赴いた。 



九 〇 

皮と 云ふ錯 をば, 唐櫃に 入れて 笄 かせら る。 路 中には 赤地の 錦の 直垂 に、 萠黃 匂の!^ 著て、 逸 

仓. 1 あし ォ 

錢^^?!毛なる馬に、 金 覆輪の 鞍 を 置いて 乘, 給へ り。 副將軍 薩摩の守 忠度は 地の 錦の 直垂 に、 

黑絲威 者て、 黑. き 馬の 太う 逞しき に 鑄ぎ 地の 鞍 を S いて 乘り 給へ り。 馬 鞍 弓箭 • 太 

刀 • 刀に 至る 迄 光り輝く 程に 出立れ たれば * ^しかりし 見物な り。 

6 oi 衆人が 集って 評議す る こと。 〇 右兵衛の 佐 殿 源 ま 朝。 〇 今一 口 も 只の 一日で も OF く。 

© 權の亮 春宮 樓亮。 〇 容儀 容貌、 すがた。 〇 帶佩 その 装束 をつ けた 樣子。 〇 重代の 著 背 

長 代々 平家に 傳 へる 鎧。 〇 唐 皮 虎の 毛皮。 〇 唐櫃 前後に 二 本 左右!.! 一 本づっ 脚の ある 長: 力 

形の 植。 〇 連 錢魔毛 馬の 毛色。 葷 毛に 阖ぃ錢 形の 灰白色の 斑 文 ある もの。 〇 金 覆輪 鞍の 前輪 

後輪の 山形の 上に、 細い 薄 金で 金色に 緣を とって ある こと。 〇 鑄懸 地の 鞍 漆 塗の 上へ 金纷を 隙間 

もな く ふりかけ、 梨 子 地 塗に した 鞍。 〇 見物 祭の 行列の 如く、 見て めづ らしく 思 はれる 程の こと。 

@ さう かう して ゐる うちに、 源賴 朝が 謀叛 を 起した と いふ 嗱が 頻りにあった ので、 福 原で は 公卿の 

が冇 つて、 一日で も 早く 勢の 付かたい 先に、 急 ぃで討手を下すがょ ^:-らぅとて、 大將 軍に は 小 松 植 

の 亮少將 維 盛、 副將 軍に は 薩摩の守 忠度、 侍 大將に は 上 總の守 忠淸を 先導と して、 總 軍勢-一: 萬 余騎が 

九月 十八 日に.^. 都 を出發 して、 明くる 十九 日に は舊 都に 著き、 やがて 同月 廿日に 關 東へ 向った。 大將 

S 小 松の 權の亮 少將維 盛 は 生年 二十 三で、 そのす がた、 服装の 美しい こと は 給に は 描 けても 文章に は 

とても 述べ られな い。 平家 代々 傳 つた 著 背 長の 虎の 皮で 成した 鎧 を 唐棍! i 入れて かせて 行かれた。 

道中 は、 赤色 の 錦の 直垂 に 萠黃句 の 鎧 を 著て、 連錢蘆 毛の 馬」 金 覆輪 3 鞍 を © いてお 乘り にな りれ 

た。 副將 J 举の 薩摩の守 忠度 は、 紺地の 直垂 に、 黑絲烕 の I は を 著て、 黑 色の 馬の 太く 逞しい のに、 鑄懸 

地の 鞍 を 置いて ぉ乘リ にな つ た。 馬 鞍 *鏜 甲 • 弓箭 * 太刀。 刀に 至る まで その美し さは 光リ 蹄く ほどに し 



8 束 國に上 

る5^^屮、 或は 

野原に、 或は 

髙峯に 旅 宿 を 

して、 十月 十 

六日に 駿河國 

が 關 に 著 

いた。 前陣は 

蒲 原、 富士川 

に 進み、 後陣 

に まだ 手 越 宇 

津の 谷に 支へ 

てゐ た。 維 盛 

は 忠淸を 召し 

て、 足 柄 山 を 

越えて、 廣み 

へ 出て 軍 をし 

ようと 早った 

が、 忠洁 は、. 

{:£士 川 を 前に 

して、 御 方の 

御 勢 を 待って 

ゐ よ-つと. 5- し 

たので、 維 盛 



て 出立 たれた ので、 全く 祭の 行列の やうに 珍ら しい 見物であった。 

各々 九 雷の 都 を 立って、 千里の 東海へ 赴かれけ る, -平 かに 歸り 上らん i^sf も、 まことに 危き 有様 ど 

もに て、 或は 野原の 露に 宿 を 借り、 或は 高 3* の 苔に 旅寢 をし、 山 を 越え 河 を ^3?; ね 日 數經れ ぼ、 

十月 十六 日に は、 駿 河の 阈. 淸 見が 關にぞ 著き 給 ふ。 都 をば 三 萬 余騎で 出で たれ ども、 路次の 兵 

r きそ てこし 

附副 ひて、 七 萬 余 騎とぞ 聞へ し。 前 陣は蒲 原 富士川に 進み、 後陣 は 未だ 手 越 • 字^の 谷に 支へ 

たり。 大將軍 權の亮 少將維 盛 は、 侍大將 上總の 守忠淸 を 召して、 「維 盛が 存知に は、 足 柄の m 

打 越え 廣 みへ 出で て 軍 を せん」 と、 早ら れ けれども、 上 總の守 巾し ける は、 ni 原 を 御 立ち 候 ひ 

し 時、 人道 殿の 仰せに は、 軍 をば 忠淸に 任せさせ 給へ とこ そ 仰せ 候 ひつれ。 伊豆 馼 河の 勢の 參 

るべ き だに、 未だ 一 騎も 見え 候 はす。 御 方の 御 勢 七 萬 余 騎とは 巾せ ども、 E^々 の驅 武^、 f 

人 も 皆 疲れ Ei- てて 候。 本 闽 は 草 も 木 も 皆兵 衛の 佐に 隨ひ 付きて 候 ふなれば、 何十 iaS: 騎か候 ふら 

ん。 唯 富士川 を 前に 當 てて、 御 方の 御 勢 を 待たせ 給 ふべ う もや 候 ふらん」 と 巾し ければ. 力 及 

ばで ゆらへ たり 

6 〇 九 直の 都 九重 は 都の 枕訶。 〇 淸 見が 關 鼓河國 庵原 郡 興 ili 町。 3g 兑 寺の來 にあった。 〇 路次 

e 兵 途中から 參 加した 兵。 〇 蒲 原 庵原! i 浦 原 町。 〇 富士川 a. 斐に源 を發 し、 蒲 *2 の來 から 

海に 入る 流 程 四十 里。 〇 手 越 お 河 1: 安倍 郡 長 田 村 大字 手 越。 〇 宇 i5i の 谷 同 郡 宇^ ハ介 峠。 〇 

存知 考へ。 〇 足 柄 山 駭河相 模兩^ の 境に ある。 0U1 'られ を いらだてる。 〇w 武者 e り 

集めた 武士。 〇 ゆらへ 躊躇して 進まない こと。 

@ 各々 都 を 出立して、 遠い 東海道へ 赴かれた。 無事に 歸京 する こと も K にお ぼっかな いお 樣で、 -i^.- 野 

富士川 九 一 



も 思 ひ 止った 



9 1 方、 頼 

朝 は 鎌 倉 を 立 

つ て 足 柄 川 を 

打 越えて 黃溜 

川に 著いた。 

甲斐 や 信 濃の 

源 共 も 一 つ 

になり、 その 

總勢サ 萬騎と 

稱 せられた。 



九 二 

原の 露の 置 いた 所に 宿り、 或は 高山の 峯の笞 むした 場所に 旅 宿 をし、 山 を 越え、 河 を 幾度 も 渡って 口 

數 を!^ れぱ、 十月 十六 日に は、 駭河 n 淸 見が 關 にお 著き になった。 都 をば 三 萬 余綺で 出發 したが、 

中から 參加 する 兵が 附き 副うて 七 萬 佘騎と いふ 評判であった。 前 陣は蒲 原、 富士川に 進み、 後陣 はま 

だ 手 越、 宇津の 谷に 支へ て 居た。 大將車 權の亮 少將^ 盛 は侍大 將上總 の守忠 を 呼んで 「自分が 考へ 

るに は、 足 柄 山 を 打 越え、 廣 い 場所 に 出て 戰爭を しょうと 思 ふ が ど う だ」 と J;^ を いらだてお あせりに な 

つた けれども、 忠淸が 申す に は、 「福 原 を 御 出立に なられました 時、 淸盛 公の 仰せに は、 戰爭 のこと 

-は 私に お任しなさい とい ふこと でした。 伊豆 ゃ駭 河の 軍勢の 當 然參ら なければ ならない もの さ へま だ 

1 騎も 見えない くら ゐ です。 それに 御 方の 御 軍勢 は 七 萬 余 騎とは 申します けれども、 而 しそれ は諸國 

から 親り 集めた 武士で、 馬 も 人 も 皆す つ かり 疲れて しまつ て をり ます。 ところが、 束!: は 草 や 木に 至 

るまで 頼 朝に 隨ひ 付いて をり ますから 何十 萬騎 あるか わかりません。 それで、 唯 富士川 を 前に 赏て . - 

御 方の 御 勢の 參 るの をお 待ちな された 方が よろしう ございます」 と. & したので、 維 盛 も 致 方な く鑄躇 

した. - 

さる 程に、 兵 衛の佐 賴朝鎌 倉 を 立って、 足 柄 山越え、 黄 瀬 川に こそ 著き 給へ。 甲斐 信 濃の 源氏 

せ、. ぞろひ しる 

せハ、 馳せ來 つて 一 つになる。 駭 河の 國浮 島が 原に て、 勢 揃 あり" 都合 その 勢廿萬 騎とぞ 記いた 

る。 常 陸 源氏 佐 竹 Q 四 郞が雜 色の、 文 持って 京へ 上リ ける を 平家の 侍 大將上 總の守 忠淸、 この 

文 を 奪 ひ 取って 見る に、 女房の 許への 文な り" 苦し かる まじと て 取らせて けり。 「さて 源氏が 

勢 は 如何程 有る ぞ」 と 問 ひければ、 「下 藤 は 四 五 百 千 迄 こそ 物の 數 をば 知って 候へ。 それより 

上 をば 知り 參ら せぬ 候" 多い やらう、 少 いやら う、 凡そ 七日 八日が 問 は、 はたと 續 いて、 野 も 

山 も 海 も 河 も、 皆 武者で 候" 昨日 黄!! 川に て、 人 Q 申し 候 ひつる は、 源氏の 御 勢 二十 萬騎 とこ 



常^ 源氏 佐 竹 

の 四 郞の雜 色 

が 文 を 持って 

京へ 上る の を 

忠 iis が 捕へ 

て、 源氏の 勢 

は 如何 s« ある 

かと 聞く と、 

野 も 山 も 海 も 

河 も 皆 武者 だ 

と いふので ゝ 

忠淸 は、 大將 

S- の 心が 延び 

た こと を 後悔 

した G 



そ 申し 候 ひつれ」 と 申し けれ ぼ、 上 總の守 「あな 心 憂 や、 大將 軍の 御 心の 延びさ^ 給 ひたる 程 

口惜し かりけ る 事 はなし。 今 一 日 も 先に、 討 手 を 下させ 給 ひたらば、 大庭兄 山が 一 族な 

どか 參らで 候べき。 是等 だに 參り候 はば、 伊豆、 駿 河の 勢 は 皆隨ひ 付く ベ かりつ る もの を」 と 

後悔 すれ ども 甲斐 ぞ なき。 

6 〇 黃瀨川 箱极、 三 島 間の 通路 に赏 る 古鞣。 黃潮 川の 束岸 にある。 〇 浮 か 原 足 ^:! 山の 裾、 ^:£士 

川から 黃瀨 川に 至る 東西 五 里の 原野。 〇 勢 揃 軍勢 を 全部 集めて 鮎 :g する こと。 C: 記いた る 

到 をつ けた 帳面に 記した とのこと。 〇 下 藤 卑賤の 杏。 〇 多い やらう 多い やらむ の-せ 便。 〇 

心 S や 困った ことで ある。 〇 御 心の 延びさせ 悠長な ために 好機 を 失った こと。 〇 大 IS! 兄 si- 

大庭 三郞景 親、 弟 51- 野 五郞景 

-® そのうちに、 源 賴朝は 鎌 食 を 出立して、 足 柄 山 を 打 越え、 黃溜 川に 著 かれた。 甲斐 や 信 の 源氏 共 も 

馳チ來 て 一 緒に なった。 驟河國 浮 島が 原で 勢 揃へ があった。 その 時の 總 3 ^勢に サ萬 it と K された。 常 

陸 源氏の 佐 竹 四 郞の雜 色が 主人の 使で、 手紙 を 持って、 京へ 上った の を、 平: 氷の 侍大將 上^の 守 忠^ 

が こ の 文 を 奪 ひ 取 つて 見る と、 それ は 女 一お の 許へ の 手紙で ある。 これなら 仔細 ある ま いと 思って 1^ し 

て やった。 さて 源氏の 勢 は どれく らゐ あるかと 尋ねる と 「私な どの やうな 卑賤の 者に は 四 五! C 十 位 迄 

は 勘定 も出來 ますが、 それ 以上 は 存じ ませぬ。 多くあります の やら、 少 いやら わかりません が、 何で 

も 七 n 八 nr 參る間 は。 ひっしり と 35 いて、 野 も 山 も 海 も 河 も dwj 武者ば かりで ござ います。 昨;:: お^ 川で 

人が *■ します に は、 源氏の 總勢は 甘 萬 £ だ だと 云って をり ました 0」 と 申した ので 忠 は、 「あ、 S つた 

こと だ。 大將 の 御 心が 悠^な 位 残念な こと はない。 も 一 nn 十く;^ 手 をお 下しに なられたら、 大薛兄 

^9ゃ畠山の 1 族 等 もどう して 参らな い ことがあったら ゥ。 是等 さへ 參 つたならば 豆 や の は 



富 



士 



九 三 



1 锥盛. に- 

東國の 案内 者 

とて 齋藤實 盛 

を 召して 汝程 

の强弓 精兵 は 

東 國には どれ 

位い ゐ るかと 

尋ねられて、 

自分 程の 杏 は 

東國に は澤山 

ゐ ると いふ こ 

とや-申し、 そ 

れ から、 源氏 

方の 兵 共が 平 

家 方の 兵に く 

らべ て 如佝に 

载 ひに 對 する 

態度の 雄々 

し い . ゝ それ 

に 甲斐 や 信 濃 

の 源氏 共 はよ 

く 案內を 知つ 

てゐ るから 富 

士の 裾から 摄 

手に 廻る だら 



太 四 

皆隨ひ 付く にち が ひなかつ たもの を」 と、 後 侮した けれども 致し方がなかった。 

大將軍 權の亮 少維盛 は、 東國 の案內 者と て 長 井の 齋藤別 當實盛 を 召して r 汝 程の 強弓 精 、八 © 

阈には 如何程 ある ぞ」 と 問 ひ 給へば 齋 藤別當 あざ笑って、 「さ 候へば、 は 實盛を 大箭と 忍し 召 

され 候 ふに こそ。 僅か 十三 束 を こそ 仕り 候へ,^ 實盛程 射 候 ふ 者 は、 八 筒 國には 幾ら も 候" 大箭 

と 申す 定の 者の 十五 束に 劣って 引く は 候 はす。 弓の 强 さも 健 かなる 者の 五六 人して 張り 候" か 

様の 精兵 共が 射 候へば、 鎧の 二三 領は isj^ うかけ す 射通し 候" 大名と 申す 定の 者の 五 百 騎に劣 

つて 持つ は 候 はす。 馬に 乘 つて 落つ る 道 を 知らす。 惡 所を馳 すれ ど、 馬 を 倒さす。 軍 は 叉 親 も 

討 たれよ, 子 も 討 たれよ、 死 ぬれば 乘 越え、 乘 越え 戰ふ 候。 西阈の 軍と 申す は、 I- て その 儀 候 

はす。 親 討 たれ ぬれば 引き 退き、 怫事孝 jl^ し、 忌明けて 寄せ、 子 討 たれ ぬれば、 その 愁へ 歎き 

とて、 寄せ 候 はす。 兵糧米 盡 きぬれば、 春 は 田作り、 秋 は 刈り 牧 めて 寄せ、 夏 は 暑し と 厭 ひ、 冬 

は 塞し と 嫌 ひ 候" 東 國の 軍と 申す は、 や-て その 儀 候 はす。 その上 甲斐 • 信 濃の 源氏 等、 案內は 

知ったり、 富士の 裾より、 搦手に や 廻り 候 はんすらん。 か 様に 中せば、 大將 軍の 御 心 を、 P ひせ 

させ 參 らせんと て、 申す と は 思し召し 候 ふらん- その 儀で は 候 はす。 但し 軍 は 勢の 多少に はよ 

り 候 はす、 大將軍 Q はかりごとに 依る とこ そ、 申し 傳 へて 候へ」 と 申しければ, 是を 聞く 兵 

共、 皆 ふる ひ慄き 合へ りけ り- リ 

I 〇 長 井の 齋藤實 盛。 〇 長 井 は 武藏國 長 井庄。 〇 別當 庄園に 關 する 役名。 〇 强弓 精兵 强 

い 弓 を 引く 強力な、 軍に すぐれた 兵。 〇 大箭 矢 束の 人な みは づれて 長い 矢。 又 それ を 引き 得る 



/ -" 



卡。 〇 十三 束 矢,: 長さ は、 二 尺七寸 五分の きまりで、 その 所有者の 手の 大指 人差指 を^げ たの を 

五寸、 人差指の 中 IS 節の 問 を 一 寸、 それの 半分 を 五分と して 計る。 その 長さ は大低 その 人の 手で 握る 

と 十二 束 あるの を 一般と する。 それで、 十三 束 は 常人のより 1 束 長いと いふ ことで ある。 〇c え 評 

判。 〇 大名 名 田 を 多く 領 して ゐる 地方の 豪族。 〇 孝養 亡き親の 爲に懇 に 後 t の 菩投を 弔 ふこ 

と 

大將軍 權の亮 少將維 盛 は、 東國 の案內 者と して、 長 井の 住人 齊藤 別赏 お.:^ 盛 を 呼んで、 お前 位の 強弓 精 

兵が 關東 八齒國 にに どれく らゐ 有る かとお 問 ひになる と、 赏盛は あざけり 笑って、 さう おっしゃり ま 

すなら 君 は 私 を 大箭を 射 る^と 思し 召される ので ありませ う。 私な ど ほんの 十三 束の 矢 を 射る だけで 

す。 私ぐ らゐ 射る 者 は、 關 束に は, % 山 ぁリ ます。 大箭と 云 ふ 評判の ある 者 は 十 五來より 短い もの を 引 

くの はありません。 弓の 强 さも 强 力の 者が 五六 人で 張リ ます。 この 樣な 精兵 者が 射ます と、^ の 二三 

領 はたやす く 射 貫きます。 それから 大名と S. す 評判の ある 者で、 五百騎 より 少し 持つ てんる の はあり 

ません。 馬に 乘 ります と、 たかく 上手で 落ちる こと を 知りません。 險惡た^^路を^けさしても.=2を 

倒す やうた 下手な 乘り方 をいた しません。 戰場 では 又、 たと へ 親が 討れ たに もせよ、 子が 討れ たにせ 

よ、 誰で あらう が、 死にます とその 上 を 乗り越え くして 戰 ひます。 ところが、 西^の 戰と 巾し ます 

の は、 全く そんなでありません。 親が 討 たれます と 引き返いて 佛事を 醤んで 亡き親の 後^ を 「. ^ひ、 S 

中が 終って から 敲に 寄せ、 子が 討 たれた 場合 は、 その 愁ひ „ はきだと 云って 寄せません。 兵 © 米が たく 

なります と、 春 は 田 を 作リ、 秋に 刈り 收 めてから 寄せ、 夏 は 奢い か-りと 云って 戰^ を いやがり、 冬 は 

寒レ からと 云って 拔 ひます。 東 國の戰 と いふの はそんな ことはありません。 そ 2 上、 甲斐 や 信^ ゾ 

源氏 等 は 土地の 案內は 知って をり、 それで、 きっと 富士山 の^から^ 後に 廻る でせ う。 こんなに 中し 

ますと、 大將 54 の 御 心を氣 おくれさせ 牵 らう. - て 申す とで も 思し 召される でせ ラ。 さラ いふ わけで は 



九 六 



9 サ 四日の 

卯の 刻に 富士 

川で 源平が 矢 

合する ことに 

定 つた。 と こ 

ろが 廿 三日の 

. 夜、 平家の 侍 

共 は、 伊豆 や 

駿 河の 人民 等 

の戰に 恐れて 

逃げた 者 等が 

侮 河に 浮んだ 

がその 費の 火 

を 見て 源氏の 

陣の 遠火 かと 

あきれ 又、 そ 

の 夜半に、 水 

鳥が ば つ と 一 

時に 飛び立 つ 

た 羽音 を 1?^ 氏 

の 大勢が 向つ 

たの だ と 思つ 



ありません。 尤も 軍 は 軍勢の 多い 少 いに はより ません。 大將 軍の 計略に 依る と 昔から 申し 傳 へて をり 

ます」 と 申した ので、 是 のこと を 聞く 兵 者 は 皆 恐ろし さに ふる ひ 懐き 合った。 



さる 程に、 同じき: b 四日の 卯の 刻に、 富士川に て 源平の 矢 合と ぞ 定めけ る。 廿三 :n の 夜に 入つ 

て、 平家の 侍 共、 源氏の 陣を見 度せば、 伊豆 駭 河の 人民 百姓 等が 軍に 恐れて、 或は 野に 入り 山 

に 隱れ、 或は 舟に 取乘 つて、 海 河に 浮びた るが 營の 火の見え ける を、 「あな 夥しの 源氏の i: の 

遠火の 多 さよ。 實 にも 野 も 山 も 海 も 河 も、 皆 武者で 有りけ り。 如何せん」 とぞ あきれけ る. - そ 

の 夜の 夜半ば かり, 富士の 沼に 幾ら も 有りけ る 水鳥 „ ^ハが 何に か は 驚きたり けん、 一度にば つと 

は おと .S かづち - 

立ちけ る 羽音の、 雷大 鼠な どの 様に 聞え ければ、 平家の 侍 共、 「あは や 源氏の 大勢の 向うた る 

は J 齋藤 別當が 申しつ る 様に、 甲斐、 信 濃の 源氏 共 等 * 富士の 裾より、 溺 手へ も 廻り 候 ふら 

ナっ£ た 

んリ 敵 何千 萬騎か 有る らん" 取 籠られて は 叶 ふま じ" 爱 をば 落ちて, 尾 張 河 洲俣を 防げ や」 と 

て、 取る 物 も取敢 へす、 我先にく とぞ 落ち行き ける 3 余りに 周章 噪 いで、 弓 取る 者 は 矢 を 知 

らす、 箭 取る 者 は 弓 を 知らす、 我が 馬に は人乘 り、 人の 馬に は我乘 り、 鬚いだ る 馬に 騎 つて 馳 

すれば、 株 を 繞る事 限りなし。 その 邊 近き 宿々 より、 遊君 遊女 共 召し あつめ、 遊び 滔 もりし け 

るが、 或は 頭 親 破れ、 或は 腰蹈 折られて、 喚き 叫ぶ 事 夥し。 

6 〇 普の 火 炊事な ど 生活の 詧み をす る 火。 〇 富 士の沼 浮 島 沼と もい ふ 。足 柄 山の 南 麓、 駭 河國駭 

東 郡 浮 島 村に ある。 〇 尾 張 河 木曾川の 古名。 〇 洲误 木曾川の 澄 尾の 界 を;" M れる時 沿岸の 地。 

株 馬 を いであった 株。 遊君 遊女と 同じ。 



て、 何れも あ 

わて 、逃げ出 

した e 



9 二十四日 

の 卯の 刻に 源 

氏 甘 萬騎が 富 

士 川に 押 寄せ 

て闻を 作った 

と ころが、 平 

家の 方に は 音 



@ そのうちに、 十月 廿 四日の 午前 六 時 5? に 源氏と 平氏と が 矢 を 合せて 戰爭 する ことに 定めた。 ところ 

が、 廿 三日の 夜に なって、 平家の 侍 共が 源氏の 陣を 見渡す と、 $:ー:?一 ゃ駿 河の 人民 百姓 等が 戰^ に 恐れ 

て、 或は 野に 入ったり 山に 隱れ たり、 或は 舟に 乘 つて 海 や 河に 浮んで ゐ たのが、 炊事な どす る 火の 

えたの を、 「や ぁ澤 山の 源氏の 陣の 遠くに 見えて ゐる 火で ある わい。 なるほど 聞いた 如く 野 も 山 も 海 

も 河 も 皆 武者で ある、 如何にし たもの だら う」 とび つくりした。 その 夜の 夜半 時分に、 {:5 士の 沼に^ 

山ゐた 水鳥が、 何に 驚いた もの か、 一 度にば つと 飛び立った 羽音が ちょうど^ 鳴か 大風 かな どの やう 

に 聞え たので、 平家の 侍 共 は 「それ 源氏の 大勢が 攻め寄せた ぞ。 昨 R 齋薛 §3; 盛が 巾した 樣に、 B. 斐、 

信澄の源氏共が富士の裾^-ら裹手へ廼ったのかも知れん。 敵 は 何十 萬騎 あるか わからない。 それに 閣 

まれて はた まるまい。 此處を 逃げて、 尾 張 河、 洲 51^ を 防げ や」 とて、 1^ る もの も取リ あへ ず、 大 あわ 

てで、 自分 先にと 逃げて 行った。 あんまり あわてさ わいで、 弓 を 取った もの は 矢 を 忘れ、 箭を 取った 

者 は 弓 を 取り 忘れ、 自分の 馬に は 人が 乘り、 人の 馬に は 自分が 乘り、 或は 紫いだ 馬に 乘 つて 馳ら すの 

で 何時 迄も繁 いだ 株 を 橈 つ てゐ る。 その 附近 の 宿場く から 遊女 共 を 呼び集め て }^{:* を 問 い て 遊んで 

ゐ たが、 この 混雜 に、 女 共 は 或は 頭 を 域 破られたり、 或は 腰 を蹈み 折られた りして、 喚き 叫ぶ こと 非 

常な ものであった。 

同じ 二十四日の 卯の 刻に、 源氏 廿萬騎 富士川に 押 寄せて、 天 も 響き 大地も^ ぐば かりに、 間 を 

ぞ三箇 度 作りけ る" 平家の 方に は、 靜 まり 返って 音 もせす" 人 を 入れて 兒 せければ、 「$: 落ちて 

候」 と 申す" 或は 敵の 忘れた る録 取って 參る者 も あり、 或は 平家の 扮て 置いた る大 取って 歸 

る 者 も 有り。 「凡そ 平家の 陣に は、 蠅だ にも 翔り 候 はす」 と 中す。 兵衛の 、急ぎ t| より 降り、 

甲 を脫ぎ 手水 嗽 をして、 王城の 方 を 伏し 拜み 「是は 全く 賴 朝が 私の 高名に は 非す。 に 八幡 大 



富 



士 



九 七 



もしたい。 人 

を 入れて 見せ 

ると、 皆 落ち 

て、 いろく 

の もの を 1« り 

忘れ て ゐる。 

頼 朝 は 馬から 

降りて、 甲 を 

脫ぎ、 手水 礙 

して 王 域の 方 

を 伏し 拜んだ 

^5 ^いて 攻む 

べきであった 

か、 後 も ess- 

ない ので 鎌 倉 

へ歸 つた。 平 

家の 惡ロを 詠 

んだ落 書な ど 

が 多 か つた。 



九 八 

菩薩の 御 はから ひなり」 とぞ {1 且 ひける- 籠て 打取る 所 なれば とて、 ^河の 1: をば 一條の-次 郞忠 

賴、 遠 江の 國 をば、 安田の三郞義定に預けらる0-猶も續ぃて攻むべかりしかども、 ぅ$^:^,流石覺 

束な しとて、 駿 河の 國 7: り 鎌 倉に ぞ歸 られ ける j 海道 宿々 の 遊君 遊女 ども 「あな 忌々 しの 打 手 

の 大將軍 や" 軍に は 見逃げ を だに あさましき 事に する に、 平家の 人々 の 聞 逃げし 給へ り」 ,4. ぞ 

笑 ひける。 さる 程に、 落 書 ども 多 かりけ り。 都の 大將軍 をば 宗盛と 云 ひ、 討 手の 大將軍 をば 權 

亮 のと 云 ふ 間、 平家 を ひら 屋に 詠みな して、 

ひらやなる むね もり 如何に 噪 ぐらん、 柱と 憑む すけ を 落して。 

富士川の 額々 の 岩 こす 水よりも 早く も 落つ るいせ 氏 平 かな。 

上 總の守 忠 淸 が 富士川に 鎧 捨てけ る を も、 

富士川に 鎧 は 捨てつ、 墨染の 衣た だきよ 後の世の ため 

ただき よは にげの 馬に ぞ乘り てげ る 上總^ かけて かひな しリ 

i 〇 闺 戰の 初に 合阖 に擧げ る聲。 〇 王 域の 方 京の 方角。 〇 高名 手柄。 〇 八幡 大 菩薩の 御 計 

源氏の 氏神で あるから である。 〇 預けら る 守護と する。 〇 後 も 石覺 束な し 常 陸の 佐 竹太郎 

義政同 冠者 秀義 等が まだ 賴 朝に 從 はない こと。 〇 忌々 しの 卑怯な。 〇 見逃 f ばの 多勢な の を 

ただけ で、 S れて 逃げる こと。 〇 あさまし あきれた 事。 〇 聞 逃 敬の 來る音 を 聞いた だけで 恐 

れ て^げる こと。 〇 都の 大將軍 京に あって SC$ を^ 轄す るから 云 ふ。 〇 むね もり 宗 盛と 棟の 

雨 11 と を かける。 〇 すけ 支柱と 槿の亮 と を かける。 〇 ただき よ 唯着ょと、 忠淸とを ^1ける。 

後の世 後生 菩提。 〇 上 縫 isi 上總 産出の 美 はし い^と 上 ^守と を かける。 逃げるなら: はいら 



ない の 意 ひ 

@ 同 H: 二十四日の 午前 K 時 頃に、 源氏の 兵 廿萬騎 が 富士川に 押 寄せて、 夭 も 1* き 大地 も 動く ばかりに、 

鬨の I ^を! 一 一度 上げた。 ところが、 平家の 方に は t: まりかへ つて 音 もしない。 人 を 入れて:::^ せた ところ 

が 皆. 逃げ ましたと 申す。 或 5 敵の 忘れた IS を K つて 參る者 も あり、 或は 平. がの 捨てて いた 大^ を 取 

つて 歸る者 も ある。 「平家の 陣には 嬢 さへ も 飛ばない くら ゐ ひっそり として をリ ます」 と 巾す。 0^ 

は 急 いで 馬から 降り、 甲を脫 ぎ、 手水 を 使 ひ、 ^をして、 京の 方角 を 伏し 拜ん で、 「!:^^は全くな分の 

手柄で はない。 偶に 八幡 八 菩隨の 御 はから ひごとで ある」 と 仰せられた。 すぐ 打ち取る 土地 だからと 

いふので 駿 河の 阈を 一條の 次 郎忠賴 に、 遠 江の 1^ を 安田の 三 郞義定 に 1W けられた。 ^5欲ぃて平*:氷を攻 

めろ 喾 であった けれども、 後の方 もや はり 不安 だからと て、 河の 國 から 嫌 食に 歸られ た。 iB^ 海 *3 招 

々の 遊女 どもが 「ほんと に 卑怯な 討 手の 大將 5^ だ こと。 軍に は 見逃げ をす るの さへ あきれた だとす 

る , に、 平家の 人々 は 聞 逃げ をされ た」 と 云って 笑った。 そのうち に、 落 省な どが 多 か つた。 都の 大 

將 軍を宗 盛と 云 ひ、 討 手の 大將を 攉の亮 と 云 ふので、 平家 を ひら 崖と 詠みた して、 

ひら 屋の 棟が 漏って 11 平家 宗盛は —— どんなに か驟ぎ あわてる こと だら. つ。 柱と も 親む すけ 

11 櫂の 亮を 落した ので。 

富士川の 漱々 の 岩 を 越す よりも 早く 一? W ち る 伊勢 平氏で ある こ と。 

又ト: 總の守 忠洁が 富士川に^ を 捨てて ゐ たの を も 詠んだ。 

富士川に 鎧 は 捨てた、 だから 忠淸 よ、 今から は 武士 はやめて、 後生菩挞5た め に|?|染の法衣を^^た 

がよ からう。 

忠淸は 二 毛色の 馬 —— 逃げ 好きの 馬 11 に 乗って 逃げて しまった。 あれで は上總 a- を かけた S. 斐も 

な いこと だ 

富士川 九九 



〇〇; 



@ 廿 三日、 

院の K 上で 公 

卿命議 が 有つ 

て宗 盛が 大將 

軍と なって、 

宽國 北國の 凶 

を 追討す ベ 

きに 定 つてな 

たが サ 七日に 

門出して 打 立 

たラ とした 夜 

半ば かりから 

淸 盛が 病の 心 

地と て 留ま つ 

た 



一七、 入道 逝去 

同じき 廿 三日、 院の 殿上に て、 俄に 公卿 食議 あり" 前の 右 大將宗 盛の 卿の 申されけ る は、 「 今 

度 坂 東へ 討 手 は. li: うたり と 云へ ども、 させる し 出した る 事 もな し" 今度 は宗 盛大 將軍を 承つ 

て、 東 阔 北國の 凶徒 等 を 追討すべき 由」 申され けれ は、 諸 卿 色 代して、 r 宗盛 卿の 申し 狀 ゆ- - 

しう 候 ひなんす」 とぞ 申されけ る、 法皇 大に 御感 ありけ り" 公卿 殿上人 も、 武官に 偶り、 少し 

も 弓箭に 携 はらん 程の 人々 は、 宗盛 を大將 軍と して、 東 國北國 の 凶徒 等 を 追討すべき 由 仰せ 下 

さる ^ 同じき 廿 七日 門出して、 旣に打 立たん とし 給 ひける 夜半ば かりより、 入道 相國逮 例の 心 

地と て、 留り給 ひぬ。 

〇 坂 東へ 討 手 治 承 四 年 十二月 知 盛忠度 等が 近 江 源氏 を 討ち、 美 濃 尾 張に 向った が、 翌年 二月 十二 日 

知 盛の 病の ため 上洛した こと。 〇ゅ> - しう 天晴れ。 〇 違例 病氣。 

同月 廿 一一: 日に おの 殿上で、 俄に 公卿,^ 議 があった。 その 席上で、 前の 右 大將宗 盛鄉が 申される に は、 

「今度 坂 東へ 討 手 は 向った けれども、 これと いふ 功績 もなかった。 此度は 自分が 大將 5^ となって、 來國 

北國の SI 徒 を 是非 追討した い」 と いふ こと を 申された ので 公卿 達 は會繹 して、 r 宗盛 卿の 申される こ 

と は 1K 晴れの ことで ある。」 と 申された。 法皇 も 大變御 感心に なった。 そして、 公卿、 殿上人の 中に、 

いやしくも 武官に 列し、 多少で も 弓箭 を 持った 經 験の ある 人々 は、 宗盛 を大將 軍と して、 東 國北國 の 

賊徒 等 を 追討すべき こと を 御 命じに なった。 同月 廿 七日に 門出して、 今にも 打 立た うとされ た 夜半 時 

分から、 淸 盛が 病 氣の 心地 だと 云 ふので、 追討の こと を 中止され た。 



i 



1 淸 盛の 

病の ことが 聞 

える と、 京 中 

の 者 は 「大方 

そんな こと だ 

らう」 と 0. き 

合った。 淸盛 

は 付かれた 

日から 湯水 も 

咽に 通らず、 

身内 は 火を燒 

くやう に 熱く 

て、 側に も 寄 

られな いさま 

である。 比 叙 

山の 千 手 井の 

水 を 汲み 下し 

て、 石 15 に堪 

へて、 その 中 

に 、ると、 水 

はすぐ 湯の や 

うにな リ、 自 

然 中る ^は^ 

と 成って 燃え 

上った。 



明くる 廿 八日 重病 を 請け 給へ りと 聞え しかば、 京 中 六 波 鞲閲き あ 〈り 「す は 仕つ る は,' さ兑 つる 

のど 

事よ」 とぞ きけ る。 人道 相 國病付 給へ る 日より して、 湯水 も 咽へ 入れられす 身の 內の 熱き 事 

は、 火を燒 くが 如し" 臥し 給へ る 所" 四 五 間が 內へ 入る 者 は、 熱さ 堪へ 難し 、只 〈ュふ 一?^ とて は、 

あたくとば かりなり J まことに 只事と も 見え 給 はす。 余りの 堪へ難 さに や、 比 叙 山より 千 # 

Ik の 水 を 汲み 下し、 石の 船に 潘へ、 それに 下りて 寒え 給へば、 水 夥しう 湧 上って、 程なく 湯に 

ぐろ "ね 

ぞ 成りけ る。 若し やと 筧の水 を 任 すれば、 石ゃ鐵 などの 燒 けたる 様に、 水 迸って 寄り付かす。 

おの づ から f れる は、 焰と 成って 燃えければ、 黑烟 殿中に 充ち滿 ちて、 炎. 淌卷. S て揚 りけ る" 

6 〇 す は 仕つ る は。 さ 見つ る 事よ 「す は」 は 驚いて 發 する 語。 「は」 「よ」 は 共に 感歎の 助詞。 〇 あた 

く 熱の 苦し さに 發 する 片言。 〇 千 手 井 東 塔 西 谷 行 光坊の 下に ある 辨慶 水。 山 王お 千手觀 一せ の 

閱 伽の 井の 故に 云 ふ。 〇 石の 船 石造の 沿槽。 〇 任す 水 を 引いて;^ しかける こと。 

@ 明くるサ八日に淸^1,か重病にか>-られたと ぃふことが聞ぇると、 京中、 六波羅.^^は骚ぎ<"った。 「ほ 

ら、 やら かした ぞ、 きっと そんな ことになると 思った よ」 と § いた。 淸盛は 病に か >f 、しれた 口から、 

湯 も 水え 1 切 咽に 人らないで、 身の 内の 熱い 事 は 火を燒 くやう である。 寢 ておいで になる 所 は 四 五 間 

の內に 入る 者 は 熱くて 堪へ る ことが 出来な い。 只 仰せられる 事と て は、 「あたく」 とば かリ である。 

ほんと にあたり まへの ことと は 思 はれない。 余 リの堪 へ 難 さに、 比 叙 山から 十手 井の 水 を 汲み 下し 

石糟に 一ば いに 入れて、 その 中に 這 入 つてお 冷やしに なると、 水が 大^:^ 上 つて、 る 問に 沿に 成つ 

て、 てし まふ。 若し か 少しで も堪へ 易くなる かと w:^ で 水 を 引いて 流し かけて 见 たが、 石 や^な どのお 

けた やうに、 水が 逃り 出て 寄り付かれな い。 自然に 當る水 は、 畑と 成って 燃える ので、 黑烟 がお 中に 

充滿 ちて、 炎が禍を^!^ ぃて立ち上 つた。 

入道 逝去 10 1 



9 淸 盛の 北 

方は^?-に、 猛 

火の 夥しく 3^ 

え、 前に 無と 

いふ 文字の 顳 

れた錢 札 を 打 

つた 車が^ 魔 

の 魔から 卞; e 盛 

を迎 ひに 來た 

と 見た 聞く 人 

は 皆 恐ろし さ 

に 身の 毛が 堅 

つた。 靈社、 靈 

悌へ 種々 の も 

の を 奉って 祈 

り 申した が 叶 

ふべ しと も 見 

えなかった 



. 1 C 二 

又 入道 相國 の-北 Q 方、 八條 二位 殿の 夢に 見 給 ひける 事 こそ 巩.〕 しけれ" 嗡 へば、 火の 夥しう 燃 

えたる 車の、 主 もな きを 門の 內へ 遣り 入れた る を 見れば、 率の 前後に 立ちた る 者 は、 或は 牛 

面の 様なる 者 も あり、 或は 馬の 様なる 者 も 有り 寧の 前に は、 無と いふ 文字ば かり 顯れ たる、 

く, つがね いづ ハづち 

鐵の 札をぞ 打ったり ける。 二位 殿 夢 Q 內に、 「是は 何く より 何 地へ」 と 問 ひ 給へば、 「平家 太 

政 Q 人道の 惡行 超過し 給へ るに 依って、 閻魔 王宮より 御 迎の御 率な り」 と 中す、 - 「さて あの 札 

た lw,>),<.M£ だ 一, っビぅ る しゃ *-* もげん 

は 如何に」 と 問 ひ 給へ は 「、 南 閻浮提 金 銅 十六 丈の 廬遮雕 佛燒き 亡し 給へ る 罪に 依って, 無 間 

の 底に 沈め 給 ふべき 由、 閻魔の 廳 にて 御沙汰 有りし が、 無 間の 無 をば 書かれ たれ ども、 未だ 問 

の 字 をば 書かれぬ なり」 とぞ 中し ける。 二位 殿夢覺 めて 後、 汗水に 成りつ &是を 人に 語り 給へ 

ば、 聞く 人 皆 身の 毛 i ちけ り 靈佛靈 社へ 金銀 七寳を 投げ、 馬 *鞍* 鎧 弓箭 • 太刀 •、 刀に 至 

る 迄、 取り出で 運び出して 祈り 申ら れ けれども、 叶 ふべ しと も 見え 給 はす." 只、 . ^女の 君達、 

跡 枕に さしつ どひて、 歎き 悲しみ 給 ひけり。 

〇 八倏の 二位 殿 時 子。 西八倏 第に 住し、 從 二位で あつたから 云 ふ。 〇 牛の 面の 樣 なる 者 牛 頭の 

鬼。 〇 馬の 樣 なる 者 馬頭 鬼。 〇 南 閻浮提 金 銅 十六 丈の 盧遮 那佛 奈 良のお 大 寺の 大佛。 〇 無 

間 無間地獄 S 略。 〇 跡: 病人の 足 許から 枕許。 

又、 淸 盛の 北の方の 八倏 二位 殿が 夢に 御 K になった 事 は赏に 恐ろしい 事であった。 ^へば、 猛烈な 火 

の ひどく 燃えて ゐ る 車の 如き ものの、 乘 つて ゐる 主人 もな い 車 を 門の 中へ 引 入れた の を 見る と、 車 

の 前後に 立って ゐる者 は、 或は 牛の 面の 様な 者 も ぁリ、 或は 馬の 面の やうな 者 も 有る。 そして、 車の 

前に は、 無と いふ 文字 だけ 顯れ た鐵 造の 札 を 立て 》 あった。 二位 殿が 夢の 中で、 「是 は何虚 から 來た 



薩 



1 二位 殿が 

洁盛に 「思し 

召 す 事が あれ 

ば、 仰せ 置か 

れょ」 と 云つ 

たに^して、 

淸 盛に、 「今 

生に 一事 も 思 

ひ S はく 事 はな 

い。 自分の 

後、 頼 朝の や 3 

を:^ ねて、 墓 

前に 魅け よ、 

それが 今. 後 

生の 孝養で あ 

る , と 云 ひ S 



もので、 又 何虚へ 行く 車 か」 とお 尋ねに なると、 「これは平家の^^?盛の惡行が多ぃので、 M 魔王おから 

御 迎の御 車で ある」 と 申す。 「さて、 あの 札 はどう か」 とお 尋ね になる と、 「奈 良の 大佛を 焼き 亡し 給 

うた 罪に 依って、 無間地獄の 底に 沈め 袷 ふべき やうに、 ^魔の で 御沙汰が 有った ので、 無 il の 無 を 

書かれた が、 まだ 命 終し ないから 間の 字 は 書れ ない ので ある」 み *. した。 二位 殿 は 夢が 燹 めた 後で 汗 

びつ しょ リに 成リ ながら、 この 事 を 人に お語りに なると、 問く 人 は 比-り の モが竪 ち 上る S 心 ひがした。 

1^ 驗の ある 神社、 佛 寺に 〈ぶ 銀、 七お::: を 来り、 その他、 馬 粒 ふ 0箭* 太刀。 刀 等に 至る まで 収リ W 

して 供へ て祈リ 申された けれども、 願 ひが 叶 ふと も 思 はれない。 只、 男女の Iff^ 達 は 一.M 盛の 足 許から 枕 

元まで ずらっと 集って 歎き 悲しまれた。 

1: 二 二: n の 曰、 二位 殿 熱さ 堪へ難 けれども、 人道 相國 Q 御 枕に 寄って、 仰 有様 兑奉 るに、 口 

に 副へ て賴少 うこ そ えさせお はし ませ" 物の 少しも 覺 えさせ 給 ふ 時、 m 心し 召す jEj あらば、 仰 

ごろ 

せ 澄 かれよ とぞ宣 ひける" 人道 相!!、 曰來 はさ しもゆ V しう おはせ しか ども、 今 はの ゆに も 成り 

しかば、 世に も 苦しげ にて、 の 下にて 宣 ひける は、 「當家 は 保 元、 平 治より 以來、 度々 の 朝 

けんし う じょうしゃう 

敵 を 平げ、 勸賞 身に 余り、 ふくも 一 天の 君の 御 外戚と して、 亟 相の 位に 至り、 榮華旣 に 子孫に 

淺 す.^ 今生の 望 は 一 事 も 思 ひ 置く 事な しソ 只 思 ひ 置く 事と て は、 兵衛 の伎賴 朝が 竹 を 化 ざり つ 

る 凄 こそ. 何よりも 叉 本意 無 けれ〕 吾、 如何にも 成りなん 後、 怫事 孝養 を もす ベから す" 党 塔 を 

も 建つ ベから す" 急ぎ 討 手 を 下し: 说 朝が 者 を 刎ねて、 わが 墓の 前に 懸く べし d それ ぞ 今生 後生 

の 孝養に て 有らん する ぞと宜 ひける こそ 、いと ど 罪深う は 聞え し" 若し や 助かる と、;^ 仮に 水 を 近 

いて、 ^し轉 び 給へ ども、 助かる 心地 もし 給 は, 同じき 四 a の::: • 悶絶^ 地して、 遂に あつ 

入?;^ S! i 1〇 三 



1 〇 四 



いて、 二月 四 

Hra 死した" 

享年 六十 四で 

ある 



ち 死に ぞし給 ひける。 馬舉 の- 馳せ違 ふ 音 は、 天 も 響き、 大地 も搖 ぐば かりなり J 一天の 君萬乘 

の 主の、 如何なる 御 事 まします とも、 是に はいかで か 勝る ベ き. - 今年 は 六十 四に ぞ 成られけ る 

S 〇 さ しもゆ. f しう ぁれ3^剛氣で。 o.yw の 下 極めて かすかな 聲。 〇 如何にもな りなむ 後 死 

後。 〇 佛事 孝養 法事 供養の こと。 〇 悶; I- 蹵地 悶え 死んで 死に 倒れる こと。 〇 あっち 死 卒 

倒して 死ぬ こと。 〇 如何なる 御 事 御 崩御。 

6 聞 二月 二日に、 二位 殿 は 熱さが 堪へ 難かった けれども、 淸 盛の 枕: 兀に 近づいて 「御 様子 を拜 見いた し 

ま 17 に、 日^しにお 惡く なられて 望みが 少 いやう にお 見えになります。 意識の たしかな 間に、 思し 召 

す ことが ございましたら、 仰って おいて 下さい」 と 仰せられた。 淸盛 は、 平素は あれほど 剛: 11- でゐら 

れ たけれ ども、 かう して、 臨終の 時に 成る と、 ひどく 苦し さう で、 極く かすかな 驛で 仰せられ るに は當 

家 は 保 元、 平 治から 以來、 度々 朝廷の 敲を 平げ 身に 余る 恩賞に ぁづ かり、 忝くも 天皇の 祖父と して、 

太 政 大臣の 位に 上り、 榮華は 子孫に 及んだ。 此卅 1 の 望 は、 1 つと して 殘る ところ はない。 只、 思 ひ 

残りの 事と して は賴 朝の 首 を 見な い 事 だけが 何よりも 遣憾 である。 自分の 死んだ 後で は佛事 供養 をす 

る必耍 もな く、 追善の ために 堂 や 塔 を 立てる 必耍 はな い。 急いで 討 手 を 下して 賴朝が 首 を 刎ねて、 わ 

が 墓の 前の 樹に 懸けて くれ。 それが 何よりの 今生 及び 後世の 孝養で ある ぞ」 と 仰せられ たの はまこと 

に 罪の 深い ことで ある。 もしかしたら 助かる かも 知れぬ と、 板の 上に 水 を 置いて その上に 臥し 轉び給 

うた けれども、 助かり さう にも 御見えにならない。 四月 四日、 悶え 苦しんで、 遂に 卒倒して、 死なれ 

た。 弔問の ための 馬 や 車の 馳せ違 ふ 音 は 天 も 地 も 響き 大地 も搖ぐ ほどの 大騒ぎで ある。 一 國の 天子が 

御 崩御 あそばしても、 どうして 是 以上の ことがあらう。 さて 淸盛は 今年 六十 四に 成られた。 



I 八、 忠 度の 都 落 



8 都 を 落ち 

た 忠度は 何く 

よりか 又 京に 

引き返して 五 

倐の 一一 一位 俊 成 

の 許 を 訪れ 

た。 佼成は 門 

を 開けて 對而 

した . , 



薩摩の守 忠度 は、 g くより 歸られ たり けん、 侍 五騎、 ® 一 人、 我が身 共に ひた § ^七騎 取って返 

し、 五條の 三位 俊 成の 卿の 許に おはして 見 給へば、 門戸 を 閉ぢて 開かす J 「忠 度」 と 名乘り 給へ 

. ま、 ,"だ ど歸 り來れ りと て、 その 內 ir き あへ り。 薩摩の守 急ぎ より 飛んで 下り、 s ら 高らかに 

申されけ る は 「是は 三位 殿に 巾すべき 事 有って、 忠 度が 參 つて 候) 縱ひ門 をば iS けられす と 

も、 この!! まで 立ち寄り 給へ。 申すべき 事の 候」 と 中され たりければ、 俊 成の 卿 「その 人なら 

ば 苦し かる まじ d 開けて 入れ 申せ」 とて、 ^を 開けて 對 面^りけ り。 車の 體 何とな う もの あは 

れ なり. - 

〇 何く よりか 盛衰 記に は、 淀の 河 尻から ひき 返した と ある。 〇 ひた^ 1 同、 E. 宵 を^し てんる 

こと。 〇 五條の 三位 伎 成 藤原佼 成。 定^の 子。 欲 人。 五條 京 極に 住んだ。 〇 この 際 門の き 

薩 きの 守忠度 は何處 から 歸られ たもの か、 侍 五騎、 童 一人、 それに 自分 を 加へ て 都合 七^ 何れも 竹屮 

la を It して、 京に ひき 返して、 五條の 11 一位 佼成 卿の 宿所に 訪れて 御覽 になる と、 ^^とい ひ、 夜 牛の 

こと だから 『を 閉めて ある。 「忠 度」 と 名乗られ ると、 「平家の 落人が 來た」 とい ふので 邱内は 班ぎ 合つ 

て もる。 逢は# いで 馬から 飛んで 下りて、 自 f 為 高に、 「是は 一一; I ほしたい まあって ま 

が參 つたので す。 たと ひ 門 はお 開けに ならないでも、 この 際までお 立ち寄り 下さい。」 と 巾され ると、 

佼成卿 は 「あの人な らば 差 支へ あるまい。 開けて お入れ 申せ」 とて、 門 を 開けて 對面 

忠 度の 都 瑢 一 ーム 



I 



た その 樣 



1 〇 六 



忠ぼは 平 

家の EI 命の 盡 

き 果てた こと 

を 語り、 世が 

靜 まった 後に 

馔 集の 沙汰が 

あれば、 一 首 

でも 入れられ 

たいとて、 鎧 

の 引合から 平 

生 詠み 置いた 

欲の 中から 秀 

欲と S はれる 

もの を 百 余 首 

書き 第め た卷 

物 を 取り出し 

て 伎 成に. 華つ 

た 



子 は 何となく あはれ であった。 . 

薩摩の守 申されけ る は、 先年 申し 承って より 後 は、 ゆめ/、 疎略 を存ぜ すと 巾しながら、 この 

二三 齒年 は、 京都の さわぎ、 國々 の亂れ 出で 來、 剩へ當 家の. 身の上に 罷り 成って 候へば、 常に 

參. り 寄る 事 も 候 は. 君旣に 帝都 を 出で させ 給 ひぬ) 一門の 蓮 命 今日 早 盡 き 2^ て 候" それに 就 

き 候 ひて は、 撰 集 御沙汰 有るべき, e 承って 候 ひし 程に、 生涯の 面目に、 一首な りと も、 御 恩 

を 蒙らう と 存じ 候 ひつる に、 か.^ る 世の 亂れ 出で 來て、 その 沙汰な く 候 ふ條、 只 一身の 歎と 存 

する 候- この 後世 靜 まって、 S£ 集の 御沙汰 候 はば、 是に 候ふ卷 物の 中に、 さりぬ ベ き 耿候は 

ば、 一首な りと も 御 恩 を 蒙って- 草の 陰 にても 嬉しと 存じ 候 はば、 遠き 御 守と こそ 成り 進ら せ 

候 はんすれ」 とて、 日來 詠み Sf はがれた る 欲 どもの 中に、 秀歌 ふ 思しき を、 Ke 余 首 書き 壤 めら れ 

たりけ る卷物 を、 今 はとて 打 立 たれけ る 時. 是を 取って 持 たれたり ける を、 ,おの 引 より 取り 

出で て、 俊 成の 卿に 奉らる. - 

6 〇 中し マお つて を 受けて。 〇 君 主上。 〇 撰 集の 御沙汰 勅撰み 欲 撰 定の思 召。 〇 生 の 

面目 一生の 名譽。 〇 さりぬべき 馱 相應の 欲。 〇 草の 陰 死後〕 〇t" 欲 すぐれた 欲。 〇 

鎧の 引合 鎧の 右 脇 脇裙の 上に 引合せた 所。 

@ 碟 摩の 守が 中され るに は 先年 敎を 受けから 後 は、 決してな ほざり に 思って は をり ません が、 この 二三 

箇年は 京都の 騒ぎ ゃ國々 の亂が 起って、 その上、 それが If 家の 上に 關 係して ま&リ ましたので、 常に 

參上 する こと も出來 ませんで した。 主上 はも は や 帝都 を 御 出立に なられました。 平 〔氷 一 門の 運命 は 今 

日 もはや 翁き てし まひました。 それに 就きましては、 撰 集の 御沙汰が 有る やうに 承って をり ましたの 



9 伎-^ は忠 

度の 卷物を 開 

いて E ^て、 決 

して.; I- 略に は 

思 ひませ ぬと 

云 ふと、 忠度 

は 今 は 憂き 世 

に S 心 ひ S く 事 

はな いと て 馬 

に乘 つて、 朗 

詠 を:: ず さび 

ながら 西 を さ 

して 去った 



で、 一生の 名譽 に、 たと ひ I 首で も 御 恩 を 蒙って 入れて いただか うと 思 ひました のに、 かう した 世の 

亂れが 生じて、 その 御沙汰 も 中止に なりました こと は 只 自分の 不幸と 存じます。 この 後、 世が 靜 まつ 

て乂撰 集の 御沙汰が ございましたら、 是に 持って をリ ます 卷^ の屮 にかな リ の^が ございませば、 1 

. 首で も 御 恩 を 蒙って 入れて いた いて、 死後^:1.菜の蔭から嬉し いと 思 ふやうな ことにな リ ましたら、 

遠い 冥土から 末長く. 货 方の 守護に 成り 度い と 存じます」 とて、 平生 詠みお かれた 欲の 屮に秀 ぃ畎と は 

れ るの を K" 余 首 書き 络 めら れた卷 を、 今 はこれ が 最後と 京 を 出た 時、 是を 取って 持って ゐられ たの 

を、 鎧の 引合から 取り出して 佼成 卿に さし 出された。 

三位 是を 開いて 兑給 ひて、 か \ る 忘れ 形兑 ども を 賜り 候 ふ 上 は、 ゆめく 棘 略 をな やまじう 

候。 さても 只今の 御 § こそ、 情 も 深-つ、 哀れ も 殊に 勝れて、 K 次 押へ 難う こそ ひれへ」 と 立へば、 

薩摩の守、 r 骸を野 山に 曝さば 曝せ、 なおき 名 を 西 海の 波に 流さば 流せ、 今 は t§{ き 世に 思 ひ? 5 く 

事な し J さらば 暇 中して」 とて、 馬に 打ち 乘り、 甲の 緒 をし めて II を 指して ぞ 歩ませ 給 ふ。 :ニ 

位、 後 を遙に 見送って 立 たれ たれば、 忠 度の 聲と 2 ぬしくて、 「前途 程遠し、 忍 を 腿 山 Q 夕の 罢に 

馳す」 と、 高らかに 口す さみ 給へば、 俊 成 Q 卿 もい とど 哀に 几え て、 淚を 押へ て 人り 給 ひぬ 

6 〇前遠途5^^し、 云云 和漢朗詠集、 後江相公、 於-|鴻騰鉗ー餞:,北.ぉ1.;:^、「前4施3..^^^馳.:思^山之ぉ^1、 

後<^期ト^^^^-ー纓於鸿驢之曉淚?」 雁 山 は 支 邊陕: の 北 胡 地に 出る^に ある 山の 名。 この 朗詠 を, 4, 

じたの は、 前 の 遠い の を 思 ひやる 意と、 「後 會 期遙」 の 意と を あら はした ので ある。 

® 伎 成 はこの 卷 を 開いて 御. 鷥 になって 「かう した 忘れ 形兑を M 戴し ましたから は、 れ してく おろ そ 

かにに 思 ひません。 それにしても こんな 危急の 場合に お出で 下さ つたこ と は ゅ:? も^く、 興 t> も 一 入に 

おぼえまして、 感涙が 留め 難う ございます」 と 仰せられ ると、 薩摩の守 は 「死^ を^ 山に すなら^ 

忠 ぼの 都 落 一〇 七 



〇 八 



世が 静ま つ 

て、 千載 集が 

撰せられ たが 

勅勘の 身で あ 

るので、 忠度 

の歜は I 首 だ 

け、 それ もよ 

み 人知らず ; 

として 入れら 

れた 



しても 憂き 名 を 西 海の 波に 流して 死ぬなら 死んでも 忮 みは あ リ ません。 今 はもう こ の爱き 世に 思 ひ? 

す 事に ありません。 それで はお 暇 を して」 とて、 馬に 打ち 乘り、 甲の を ひきしめて、 西の方 を さ 

して 歩ませられた。 俊 成が 忠 度の 後 姿 を 遠くまで 見送って 立って ゐられ ると、 忠 度の 聲と思 はれて、 

「前途 程遠し、 思 を 雁 山の 夕の 雲に 馳す」 と、 高らかに 口ずさむ のが 聞え るので、 伎 成 卿 も、. 大 1^ 悲し 

く 思って、 をぬ ぐって 中に お入りに たった。 

そ Q 後世 靜 まって、 千載 集 を 撰 ぜられ ける に忠 度の ありし 有様 云 ひ 置し 言の葉、 今更 思 ひ 出で 

て 哀れな りけ り, - 件の 卷 物の 中に さりぬべき 歌 幾ら も 有り けれども、 その 身 勅勘の 人 なれば、 

名字 をば 顯 はされ や、 故鄕の 花と 云 ふ 題に て、 詠まれたり ける 歌 一 首ぞ、 「よみ 人知ら す」 と 

人れ たる リ 

さざなみの 志 賀の都 は あれに し を、 昔ながら の 山 櫻 かな" 

その 身 朝敵と 成りぬ る 上 は、 子細に 及ばす と 云 ひながら、 恨めし かりし 事 どもな り,^ 

〇 千載 集 第 七 次 勦 撰 集、 千載 和歌 集の こと。 文治 三年 九月 二十日 上進。 佼 成の 撰。 〇 さざなみ 

や、 の^ 「さ 1. なみ e '一志 賀の 枕詞。 「ながら」 足 柄 山に かけて 云 ふ。 〇 子細に 及ばず 己む を 得な 



i その後 世が 靜 まって、 伎 成が 千載 集 を 撰ばれた が、 佼 成は忠 度が 都 落の 途中から 引返して 訪ねて 來た 

こと、 あの 時 云って 置いた 言葉な ど、 今更め て 新しく 思 ひ 出して 感が 深かった。 例の 卷 物の 中に、 立 

R な 歌が 澤 山あった が、 勅勘 を 蒙つ た 人で あるから、 世 を はばかつ て、 名字 を わざと 顧 はさず 「故 

「花」 とい ふ 題で、 詠まれた 欲 を 1 首 だけ、 「よみ 人知らず」 として 入れられた。 その 欲と いふの は、 

志 賀の舊 都 は 荒れ果て しまったが、 唯 足 柄 山の 櫻 だけ は 昔の ま に a- いて ゐる ことで ある。 



その 身が 朝廷の 敵と 成って ゐる 以上 は 已むを得ないと は 云 もの 

な 事で ある。 



ただ 一首 だけと はまこと に 



9 源氏 は 陸 

に 平家 は 海 

に、 對 【ゆして 

ゐる 時、 ある 

日の 基 方、 沖 

の 平家の 小船 

の 中に、 年 十 

八 九の 女房が 

なの 日の丸 

の 扇 を s: のせ 

が ひに 挟み 立 

て、 招いた。 

判せ は その 扇 

を 射よ と い ふ 

こと だと 赏基 

から 知って、 

那須の 與ーを 

呼び出した。 



一九、 那 須の與 一 

さる 程に、 阿波、 讃岐に 平家 を 背いて、 源氏 を 待ちけ る 兵 共、 あそこの お、 e;^ の 洞より、 十 ra: 

五 1 一め 卄騎 打ち連れく 馳せ來 る 程に、 判官 程なく 三 In 余騎に 成り 給 ひぬ。 今日は 日 慕れ ぬ、 勝 

負を诀 すべから すと て、 源平 互に 引き 退く 處に、 沖より 尊 常に 飾った る 小船 一艘、 汀へ 向って 

漕ぎ 寄せ、 渚より 七 八 段ば かりにも 成りし かば、 船 を 横様に なす。 あれ は 如何にと 見る 處に、 

&の 中より、 年の 齢 十八 九ば かりなる 女房の、 柳の 五 衣に 紅の 袴着た るが、 S; 紅の の、 n 屮 Z 

だした る を、 船の せが ひに 挾み 立ちて、 陸へ 向 ひて ぞ 招きけ る。 1: 宫 後藤 丘 ハ衛 蜜^ を パ:: して、 

「あれ. H 如.^ に」 と宣 へば、 「射よ とに こそ 候 ふらめ。 但し 大將 軍の 矢面に 進んで、 傾城 を 御 

覽ぜら れん 所 を、 一 #垂 にね らうて 射 落せとの 謀と こそ 存じ 候へ." さりながら、 扇 をば、 射させ 

ら るべ う もや 候 ふらん」 と 申しければ、 判官、 「御 方に 射つ ベ き 仁 は 誰かお る」 と 問 ひ 給へ 

ば、 「手垂 共 多う 候 ふ 中に、 下野の 國の 住人、 那須の 太郞资 高が 子に、 與 一 宗ぉ こそ、 小丘ハ では 

候へ ども、 手 はきいて 候」 と 申す。 判官 「証 據が あるか」 「さん 候 懸け 烏な どを& うて、 三つに 

二つ は、 必中 射 落し 候」 と 巾し ければ、 判官 「さらば、 與 一 呼べ」 とて 召されけ り J 

那 1^ の與 一 1〇 九 



る』 

ま 

严十 ': か' 
畏判 



, 1 一 〇 

i 〇 尋常に 〇 立派に。 〇 柳 襲の 色: =1。 表白、 褰靑 〇: 太 衣 表着の 下に 同じ 衣 を 五 枚 重ねて 一お る 

こと。 〇 昝釭の IIIS? の 日出した る 4t 部杠 色に 塗りつぶし、 眞 中に 金箱な どで 则く 日輪 を 書いて ある 

扇。 〇 せが ひ 舷に 沿うて、^ の 檬に板 を して ある 處。 〇 傾 域 美人。 〇 手垂 手き 4。 

〇 小兵 體 格の 小柄な こと。 〇 懸け 鳥 翔ける 鳥。 , 

S そのうちに 阿波 ゃ證 岐の國 では、 平家から 背いて、 源氏の 來 るの を 待つ てゐた^}?共が、 あちらの 

や、 こちらの 洞から、 或は 十四 五騎、 或は サ騎、 打 連れく 馳せ來 るう ちに、 判官 義經に 間もなく 三 

丙余騎 とお 成りに なった。 今日は 日が 暮れた、 勝負 を 決する こと は出來 ない、 とて、 源平 どちらも 戰 

場から 退かう とした 處に、 沖から 立派に 飾った 小船が 一 艘、 Jj: へ 向って そ の^を jfE ぎ 寄せ、 渚から 七 

八 段ば かりにも 成った ので そこに^ を橫に 停めた。 あれ は 何の 意味 かと 見て ゐ ると、 ^の 中から 年齢 

十八 九ば かりの 女房の 柳の 五 衣 を 着て、 杠の袴 をつ けて ゐる のが、 仝 部 紅色で、 日輪 を 書いた 扇 を 竿 

の 端に つけて、 船の せが ひに 抉み 立て. 1 陸の 源氏の 方に 向って 招いた。 判官 は 赏墓を 呼んで 「あれ は 

どうい ふこと か」 と 仰せられ ると、 「射よ とい ふので せう。 但し、 大將 軍が 矢の 飛びく る 正面に 進み 

出て、 あの 美人 を御覽 になった 處を、 上手に ねらって 射 落さう と いふ 計略と 思 はれます。 それ はそう 

として、 あの 扇 は 射させる のがよ ろし..' ござ いませう」 と 申した の で、 判官が 一 御 方の 中で、 あれの 

射られる 人 は 誰が ゐ るか」 とお 問 ひになる と、 「手き X 者 は 多く をリ ます 中で、 下野 の^の 住人、 那 

須の 太郞資 高の 子の 與 一宗 高 こそ、 小兵で は ございま すが、 手 利であります」 ,v 申す。 判せ 「それに 

は 證據が あるか」 「ございます、 空 を 飛んで ゐる 鳥な ど を 爭で 射る のに、 三 羽の 中二 羽 はきつ と 射 

落します」 と. & したので、 判官 「そんなら、 與ーを 呼べ」 とて 御前に 呼び出された。 

ち If, ほくび i たモで 

與 一 そ e 比 は、 未だ 二十ば かりの 男な り" ー„ ^に 赤地の 錦 を 以て、 衽端 袖い ろへ たる 直垂 に, 

萌黄 威の 鎧 著て、 足 白の 太刀 を帶 き、 二十 四 差いた る截 生の 矢 負 ひ、 うすきり ふに 魔の 羽 割り 



あの 扇の SK; 中 

を 射よ と 仰せ 

ら れ 與 1 

は 一 且辭 退し 

たが、 判官が 

怒 たので、 

遂に 決心し 

てゝ 馬に 乘り 

弓取り^して 

汀の 方へ 步ま 

せた e 



合せて、 たりけ る、 ぬた めの 鏑をぞ 指し 添へ たる リ 滋 藤の 弓 脇に 挾み、 m. をば^いで 髙 紐に 懸 

け、 判官の 御前に 畏る J 判官 「如何に 與 一 、 あの 扇の- 眞屮 射て、 敵に 見物せ させよ かし」 と宜 

へズ、 與 一 「仕つ とも 存じ 候 はす" 是を射 U おする ものなら ば、 長き 御 方の 御 弓箭の .::^ にて 候 ふ 

べし J 一定 仕ら. r する 仁に 仰せ付けら るべ う もや 候 ふらん」 と 申しければ、 判官 大に 怒って 「今 

1¥ 鎌 倉 を 立って、 西 國へ向 はんする 者 共 は、 皆 篛經が 下知 を 背く ベから す.^ それに 少しも 子細 

を 5., ん人々 は是 より" うく 鎌 倉へ 歸ら るべ し」 とぞ宜 ひける" 與 一 重ねて^ せば、 惡 しか 

りなん とや 思 ひけん、 「さ 候 はば、 はづ れん 事 をば 存じ 候 はす" 御 で 候へば、 仕って こそ 見 候 

はめ」 とて、 御前 を 罷り 立ち 黑き馬 大ぅ 逞しき に まろ ほやす つたる 金縱 輪の 殺 S いて-! つた 

りけ るが、 弓 取り _a し 手綱 かい 繰って 汀へ 向いて ぞ 歩ま V ける j 御 方の 兵 共、 與 一 が 後 遙に 

見送って、 「この 若者 一 定仕らぅすると覺ぇ候」と巾しければ、判.^=^も顿もし氣にぞ=^べ和ひける" 



議 



嚳 

須 



〇衽 おくみ。 〇 端 袖 袖 1 幅 半の 中、 袖口の 方の 牛 幅の 部分。 〇 いろへ たる 树 色のお^ 垂の 

$ と 端 袖と に 赤色の 錦 をつ けて 色 を 取り合せ たこと。 〇 足 白の 太刀 惣體の 金具 は 佥乂は 赤銅で 唯 

足 金の みが 銀で 造って ある 太刀。 〇 截生 切 斑と も 書く。 ^の 羽の 上下 黑く、 中 IT か いもの。 〇 

うすきり ふに 照の 羽 切 斑の 黑 色模^の 薄い の を 二 枚と、 の 羽 二 枚と を 交ぜ合せて、 l»i ひ^ひに^ 

いで ある こと。 .〇 ぬた めの 鏑 鹿の角で 造った 鏑。 〇 高 紐 燈の 胴の^ 上に ある Si:5s5。 〇 まろ 

ほや 招った る ほや を 1;< く 文樣 化して 靑 貝で 鞍の 前輪 後 翰に 招って ある こと。 〇 ほや «^:ぉゅに寄 

生す る 常 綠植. sl。 

與 1 は その はま だ 二十ば かりの 男であった" 褐 地に 赤地の 錦 を 以て、 妊と 5i 袖と に 赤地の 蹄 をつ け 

の與 1 一二 , 



c!9 與 1 は 海 

の 中 一 段ば 

かり 馬 を 入れ 

て、 祌:^ を 念 

じて 扇 を 射た 

ところが、 過 

たず 扇 を 射 切 

る ことが 出來 

た。 沖に は 平 



1 1 二 

て 色 を-取り合 はせ て ある 直垂 に、 萠黃 威の 鎖 を 着て、 足 白の 太刀 を帶き 二十 四 本 差した 截 生の 矢 を 負 

ひそれ こ.、 うすきり ふに 磨の 羽 を 割り 合に せて 矧 いだぬ ための 镝を 差し 添へ てゐ た。 藤 を 繁く卷 いた 

「ソ を 脇に 抉み、 甲を脫 いで 高 紐に 懸け、 判官の 御前に.. 3 て畏 つた。 「如何に 與 一、 あの 《K の le; 中 を 射 

て、 敲 によ い 見;^ を させて やれ」 と 仰せられ ると、 與 一は 「射る ことが 出來 ると も 思 はれません。 も 

しあれ を 射 損 ひましたら、 いつまでも 源氏の 武藝の 名折れで ございませう。 それで、 必ず 射る ことの 

出來 る、 こ. お, じになる のがよ ろしう ございませう 一 と. a- したので、 判官 は 大いに 立腹して 今度 錢食 

を 出立して、 西 國へ向 はう とする 者 共 は 皆 自分の 命令 を 背く こと はならぬ。 自分の 命令 を 少しで も不 

服に思ふ^!?は、 此處 から 早く 錄 倉へ 歸 るが よい」 と 仰せられた。 與 一 は 重ねて 辭返 すれば 惡 いと 思つ 

たので あらう か、 「それで は、 外れる かも 知れません が 仰せで ございます から やって 見 ませう」 と 

て、 a. 前 を 退いて、 黑ぃ 毛色の 達しい 馬に、 まろ ほや を 招った 金 覆輪の 鞍 を 置いて 乘っ た が、 弓 を 

取り直し、 手耨を かい 繰って 1;: へ 向いて 馬 を 歩ませた。 御 方の 兵 達 は、 舆 一 の 後 を 遠く 《^ 送 つ 一」、 

「この 苦 者 はきつ とう まくや つての ける と 思 ふ」 と 申した ので、 判官 も賴 もし^に 思って 御覽 にたつ 

た 

矢 比 少し 遠 かりければ、 海の 中 一段ば かり 打ち 入れたり けれども、 猶 扇の 交、 七 段ば かり も あ 

らんと こそ 兑 えたり けれ" 比 は 二月 十八 日 酉の 刻ば かりの 事なる に、 折節 北風 烈しう 吹き けれ 

.±> 磯 打つ も 高 かりけ り。 船 は徭り 上げ 居 ゑ ただよへば 扇 も 串に 定ら す、 ひらめいたり。 沖 

に は 平家 船 を 一 面に 雙べ て 見物す。 陸に は 源氏 1! を 並べ て是を 見る リ 何れも 何れも 晴 ならす と 

云 ふ 事な し J 與 一 目 を 塞いで、 「南無 八幡 大 菩薩、 別 I て は、 我が 國の祌 明日 光の 權現、 宇都 

の宫、 那須の 湯 泉大明 神、 願く は、 あの 扇の 眞中 射させて、 たばせ 給へ: 是を射 損する ものな 



家、 陸に は 源 

氏 どちらも 感 

歎した。 



らば、 弓 切り 折り 自害して, 人に 二度 面 を 向 ふべ からす," 今一度 東 國へ歸 さんと 思し 召さば 

この 矢はづ させ 給 ふな」 と、 心の中に 祈念して、 目 を 見開い たれば、 a も 少し 吹き 5^ つて • 扇 も 

射 よげ にこ そ 成ったり けれ 與ー鏔 を 取って つが ひ、 能つ 引いて ひやう と 放つ。 小兵と い ふぢ や 

かなめ 5 わ 

う、 十二 束 三 伏、 弓 は 強し、 錢は浦 響く 程に 長 鳴して、 過た す 扇の 要 際、 一寸ば かり m はいて、 

ひい ふっと ぞ射 切った る。 f は 海へ 入りければ、 扇 は K 二へ ぞ 揚がりけ る。 春 既に 一 揉み 二 揉み 

もまれて、 海へ さっと ぞ 散ったり はる。 皆 紅の 扇の 夕日の かがやく に、 .HI 波の 上に ひ 浮きぬ 

沈みぬ ゆられけ る を、 沖に は 平家^ を扣 いて 感じたり" 陸に は 源氏 節を扣 いて どよめき けり 

6 〇 串 扇 を 挟んで ある 竿。 〇 我が 國の 神明 與 一の 生國 下野!! の 祌ズ。 〇ロ 光の 權^ 口 光の 二 

荒 山 三所祌 社。 〇 宇都の 宫 宇都 宮 市中の 國幣中 社 二 荒 山 神社。 〇那" 幼 湯 大叨: t 那須郡 溢 本 

村 5! 泉祌 社の 俗稱。 〇 たばせ 賜 はせ。 〇 ひい ふっと 矢の 風 を 切る 音の 形容。 

§ 矢の 達すべき 距離が 少し 遠かった ので、 與 一 は 海の 中に 馬 を 一 段ば かり 入れた けれども まだ ns との 間 

隔は七 段ば かり も 有る だら うと 思 はれた。 時 は 二月 十八 口の 午後 六 時 頃で ある 上、 丁:^ その 昨、 北風が 

烈しく 吹いた ので、 磯 を 打つ 浪も 高かった。 船 は搖り 上り 搖リ 1^ ゑら れて 動搖 する ので、 !;! も 竿の 上に 

ぢっ とせず、 ひらく して ゐた。 沖で は 1^ 家が 船 1 を 面に 雙 ベて 見物して ゐる。 ^では 源氏が 馬の i! 

を 並べて 是を 見て ゐる。 どちら を 見ても 表立って 晴 がまし いこと である。 與ー は: つて、 「南無 

八 繙大菩 it、 とり 分け、 我が 生國の 祌々、 日光の 權現、 宇都の 宮、 那 5^ の 湯-お 大明 神、 願く は あの 一:5 

の眞中 を 射させ 賜 はせ 給へ。 是を射 損じましたならば、 自分 は 弓 を 切り 折り a 殺して,、 人に 二度と 

を 合 はすこと は 出来ません。 も 1 度 故 鄕に歸 さう と 思し 召すならば、 この 矢 を はづさ せ^ふな」 と、 

心の中に 祈り 念じて、 nn を 開く と、 風 も 少し 吹き 弱って、 扇 も 射 やすく 成って ゐた。 與 j は鎮を 取って 

那 須の與 市. 1 1 三 



8© 源 1^ の國 

は 今日が 最 

後と 見えた。 

そのうちに、 

源氏の 兵 共が 

平家の 舟に 乘 

り 移って 水 

主、 揖取共 は 

殺された。 知 

盛 は 御所の 掏 

舟に 參 つて 最 

後 だと いふ こ 

と を 告げて、 

見苦し いもの 

など 海に 入れ 



. 1 一 四 

弓に つが ひ、 十分 引いて ひやう と 放った。 小兵と は 云 ふ もの、 十二 束 三 伏の 弓の 射手で あるから、 弓 

は强 いし、 それで 鏑は 浦邊が 響く ほどに 長 鳴して、 あやまたず 扇の 耍の ところ 一 寸 ばかり 置いて ひい ふ 

つと 音して 射 切った。 鏑は 海へ 入る し、 扇 は 空へ まひ あがった。 そして 春風に 二三 度 揉まれて、 海ゝ 

さっと 散って しまった。 夕日が 輝いて ゐ るのに、 告杠の 扇が 白波の 上に 漂って、 浮いたり、 沈んだり 

して ゆられて ゐ るの を、 沖に は 平家が 舷を たたいて 感心した。 陸で は 源氏が 旅 を 叩いて 騒ぎ立てた。 

二 0、 先帝の 御 入水 

その後、 四國、 鎭 西の-兵 共、 皆 平家 を 背いて 源氏に 付く,^ 今まで 隨ひ附 きたりし かど も、 君に 向 

つて 弓 を 引き、 、王に 對 して 太刀 を拔 く, - かしこの 岸に 付かん とすば、 波高う して 叶 ひ 難し こ 

の 汀に 寄らん とすれば、 敵 箭鋒を 揃へ て 待ち 懸けたり,^ 源平の M.i"<l^ 日 を 限と ぞ 見えたり け 

る。 さる 程に、 源氏の 兵 共、 平家の 舟に 乘り 移りければ、 が: fr 0^^. 或は 射殺され、 或は 

靳め 殺されて、 船 を 直 ほす に 及ばす、 船底に 皆 倒れ 臥しに けり。 新 中納言 知 盛の 卿、 小船に 乘 

つて、 急ぎ 御所の 御舟へ 參らせ 給 ひて、 「世の中 は 今 はかう と覺ぇ 候。 見苦しき 者 をば、 $: 海 

へ 入れて、 船の 掃除 召され 候へ。」 とて、 掃いたり 拭うたり、 塵 拾 ひ、 に 走り 廻って、 手づ 

から 掃除し 給 ひけり、〕 女房 達 「や. -中納 言 殿、 軍の 樣は 如何に や 如何に や」 と 問 ひ 給へば、 「只 

今^しき 吾妻 男 を こそ, 御覽ぜ られ候 はんすら め」 とて、 からからと 笑 はれければ- 「:^>條 只 

今の 戯れ ぞゃ」 とて 聲々 に き 叫び 給 ひけり J 



させ s 中 を 掃 

除され た。 



9 二位 は 

主上 を 抱き 參 

ら せて、 「波の 

下に 樂 とて 

B 出度き 都の 

候 ふ 一 とて、 

先づ 東に 向つ 

て 勢 大神宮 

にお 暇 申させ 

牽り、 その後 

西に 向いて 念 

佛を稱 へさせ 



〇 や X 輕く 呼びけ る訶。 〇 何^ 何として。 

@ その後 は、 四國ゃ 九州の 兵 共は昝 平家に 背いて 源氏に 味方した。 今まで 從ひ 付いて ゐた者 共 は 主君に 

向って 弓 を 引いたり、 太刀 を拔 いたりして 敲對 する やうに なった。 敵に 矢の 先 を 揃へ て 1^ 氏 を 待ち か 

けた。 源氏と 平氏 何れが 天下 を 取る かの 爭ひは 今 口が 最後と 見えた。 そのうちに、 源氏の 兵 者が!^ 家 

の 船に 乗り移つ たので、 水夫 や 船頭 等 或は 弓に 射殺され、 或は 刀に 斬り 殺されて、 お を 修^す る こと 

も 出来ず、 おの 底に 皆 倒れ!^ してし まった。 新 中納言 知 盛 卿 は 小^に 乘 つて、 急いで 主上の 御^ 船に 

参られて 「世の中 はも はや 最後と 思 はれます。 見苦し いもの は^ 海 へ ほり 入れて、 5^ の搽除 をな さ 

い」 と 云って 搐 いたり、 拭いたり、 塵 を 拾ったり、 艫 ゃ舳に 走り 廼 つて 自ら 除 をされ た。 女 li ^達が 

「もし、 中納首 殿、 戰爭の 樣子は 何う です か」 と 問 はれる と、 「今 直ぐに 珍ら しい 關來の 男 を 御. おに 

なる でせ う」 と 云って、 からく と 笑 はれた ので、 「何故 こんな 危急の 場合に 冗談 を 仰っしゃ るので 

すか」 と、 何れも 聲を 上げて 泣き叫ばれた。 e 

二位 殿 は日來 より 思 ひ 設け 給へ る 事 なれば、 鈍色の 二 衣 打ち 被き、 練 袴の 傍 高く 取り、 祌 M を 

脇に 挾み 寳劍を 腰に さし、 主上 を 抱き 參ら せて、 「我れ は 女 なれ ども、 敵の 手に はか.. -るま 

じ" 主上の 御供に 參る なり" 御 志 思 ひ 給 はん 人々 は、 急ぎ 續き 給へ や」 とて、 と舷へ ぞー少 

み 出 でられけ る, - 主上 今年 は 八 歳に ぞ 成らせお はします。 御 年の 程より、 にね び させ 給 ひ 

て、 御 形 厳しう、 傍 も 照り 輝く ばかりな り。 御 髮黑ぅ ゆらくと、 御 背 過ぎさせ 給 ひけり J 主 

上 あきれた る 御 有様に て 「抑 尼 前、 我れ をば I: 地へ 具して 行かん と はする ぞ」 と 仰せければ、 

二位 殿 幼き 君に 向 ひ參ら せ、 淚を はらく と 流いて、 「君 は 未だ 知し 召され 候 はす や" 先 世の 

十善戒 行の 御 力に 依って、 今 萬乘の 主と は 生れさせ 給へ ども、 惡緣に 引かれて、 御述旣 に^き 



先帝の It 入ホ 



1 1 五 



窣 つて、 やが 

て 千尋の 底に 

沈み 給 ふた。 



させ 給 ひ 候 ひぬ。 先づ 東に 向 はせ 給 ひて、 伊勢 太 t- 宫に御 暇 申させお はし まし、 その後 西に 向 

はせ 給 ひて、 西方 淨 土の 来迎に 預からん と 誓 はせ おはしまして、 御念 佛候 ふべ し。 この 1: は 粟 

ISi ゼと 中して、 物憂き 境に て 候 ふ。 あの 波の 下に こそ、 極樂淨 土と て 目出度き 都の 候) それ 

へ 具し 參らせ 候 ふぞ」 と樣々 に 慰め 參ら せし かば, 山鳩 色の 御衣に、 a 結 はせ 給 ひて、 御淚 

に 溺れ、 ち ひさう 美しき 御手 合せ、 先づ 東に 向 はせ 給 ひて、 俘 勢 太 祌宫、 八幡宮に、 御 i^r 中 

させお はし まし、 その後 西に 向 はせ 給 ひて. 御念 佛 有りし かば、 二位 殿 纏て 抱き 參ら せて、 

「波の 底に も、 都の 候 ふぞ」 と、 慰め 參ら せて、 千 尊の 底に ぞ 沈み 給 ふ" 悲しき 哉 無常の 春の 

鼠忽に 花の 御 姿 を 散らし、 痛ましき 哉^ 1 の 荒き 波、 玉體を 沈め 奉る。 殿 をば 長生と 名付け 

て、 長き g.\J 定め、 門 をば 不老と 號 して、 老いせ ぬ 關とは 書き たれ ども、 未だ 十才 の- T にし 

て、 底の が i と 成らせお はします。 +善 帝位の 御 果報、 中す も 中々 愚な り" 雲上の 龍 降って、 

海底の 魚と なり 給 ふ。 大梵 高台の 閣の上 釋提喜 見の 宫の 內、 古へ は槐門 棘路の 間に 九族 を 靡か 

し、 今 は 舟の 中波の 下にて、 御身 を 一時に 亡し 給 ふこ そ 悲し けれ-" 

〇 二位 殿 淸 盛の 北の方。 二位 尼德 子。 〇 鈍色 靑 鈍色の こと。 〇 練 袴 練 絹の 袴。 〇 傍 高く 

取り 1^ 立 を 高く 取って。 〇 ねび 大人ら しい こと。 〇 惡緣 惡ぃ 緣。 山場 色の 御衣 麴 

塵の 御袍。 〇 分 段 分 段 生死の ことで、 死の こと。 〇 殿 をば 長生 大蔵省 4t 殿 を 長生^と 云 ふ。 

〇 門 をば 不老 登樂院 北面の 門 を 不老 門と 云 ふ。 〇 雲上の 龍 主上に^ ふ。 〇 大 梵高蔓 の 閣の上 

初禪 夭 の 天主 大 梵天の 居處、 高 臺閣の 上。 內裹 に. i へて 云 ふ。 〇 釋投喜 見の 《. -の內 忉利 天主 帝釋天 

內 裏に 准 ふ。 槐鬥 棘路の 間に 大臣 公卿の 中に。 〇 九族 こ、 は 平家 一 



門の こ と。 

6 二位 殿 は日顷 からかねて 覺 悟し 給へ る 事な ので、 鈍色の 二つ 衣 をお 被りに たリ、 練^の K 立 を 1:^ く 取 

り、 神爾を 脇に 挟み、 資劍を 腰に 差し、 安德 天皇 を 抱き 参らせて、 「自分 は 女で あつても、 敵の 手に 

は掛 るまい。 主上の 御供に 參る ので ある。 同じ 御 志の ある 人々 は 直ぐ お^きな さ い」 とて、 靜 かに;^ 

へ步み 出られた。 主上 は 今年 八 歳に お 威り である。 御 年よ" はずつ と 大人ら しく いらせられ 給うて、 

御 容貌に 美しく、 傍 も 照り 輝く ぼ ど 御 立 r 奴で ある。 御 髮は黑 くゆらく と 御^中 を 過ぎて いらせられ 

る。 主上 は あきれた 街樣 子で、 「尼 前よ 自分 を何處 に 連れて行かう とする のか」 と 仰った ので、 二位^ 

は 幼き 君に お 向 ひに なって、 涙 を はらく と 流して、 「君 はまお 御存知 ござ いま せぬ か 先 世の 十 善 

^行の 御 力に 依って この 世で 天子と お. iH れ になり ました けれども、 惡緣に 引かれて、 御述が もはやお 

盡 きになりました。 先づ 東に お向きに なって、 勢 太 神宮に ハ W 暇 を 仰せられ、 その後、 西に お向きに 

たって、 西方^士のぉ迎ひにぁづから-フとぉ誓ひになってぉ念^^をぉ稱へなさ い。 こ の^は 架 散邊土 

と 3. して、 辛い 處で ございます。 あの 波の 下に は 樂淨 土と いふ 結構た 都が ございます。 其^ へ ぉ述 

れ. & すので ございます」 と、 樣々 にお 慰め 申す と、 山^色の 御衣に、 髮ぉ結 ひに なって、 御 1^ を 流さ 

れ たがら、 小さく 美しい 御手 を 合せ 先づ 東に 向 はせ 給うて、 伊势太 神官、 正 八^お に 御^ を S- され、 

その後、 西に お向きに なって、 御念 佛 された ので、 二位 殿 はやが て 抱き 奉って、 f 波の 底-」 も 都が ご 

ざ います ぞ」 とお 慰め 申し て^い 海の 底に 沈み 給うた。 あ、 悲しく も、 無常の 春の 風 は 忽ちに 花の 如 

き 美しき 御お 《を 散らし、 痛 ましく も 死の 荒い 浪は 天皇の 玉體を 沈め 奉った。 平素お 住 の 御 をば 長 

生 殿と 名 づけて、 永久の 住所と 定め、 門 をば 不老 I: と號 して 老 いな い 關 と 害いて あるが、 まだ 十 a- に 

もお なりた さらずに、 底の 水^と 成らせ ましました。 十 善の 帝位の 御 報 は 口に 出して 中し 上げる こ 

とも 出來ぬ ほどお 痛ましい ことで ある。 それ は 恰も 雲の上の 龍が 降って 海底の 魚と なった と 同じで あ 

る。 大 梵天 3 高臺閣 にも くらべ、 釋提冥 見の 宫 にも, おへるべき 内裏で、 昔は大 G 公卿の 間に、 平-: 氷 一 

先帝の 御 入水 一 一七 



一 一 八 

門 を;! へさせられ たの に、 今 は 舟の 中から? 玖の 下に 御身 を 沈めて、 急に 街 命 を 亡し 給うた こと は 悲し 

いこと であ る。 

ニー 、小 原 御幸 



9 法皇 は 文 

诒 _ 年の 春の 

頃、 建 tss 門院 

の 小 原の 閉居 

をお 覽ぜた い 

> 思し召した 

が、 二月 三月 

はま だ 寒い の 

で、 卯月 廿日 

余り の 頃、 忍 

んで街 幸に な 

つた。 その 5^ ね 

上の 量。 



か.^ りし 程に、 法皇 は 文治 二 年の 春の 比、 建醴 門院 Q 小 原の 閑居の 御栖 居、 御 11? ぜ まほし う 思 

し 召され けれども、 二月 彌 生の 程 は、 嵐 烈しう 余 塞 も 未だ 盡 きす、 峯の 白雲 消え やらで、 谷の 

つら &も打 解けす。 かくて 舂 過ぎ 夏 来って、 北 祭 も 過ぎし か. は 法皇 秋 を こめて、 小 原の 典へ 御 

幸なる" 忍の 御幸な り けれども、 供奉の 人々 に は、 德大寺 花 山の 院、 土 御門 以下、 公卿 六 人、 

ふ. * ャぷ * だ らく じ 

殿上人 八 人、 北面 少々 候 ひけり。 鞍馬 通りの 御幸な りければ かの 淸 原の 深 養父が 袖陀樂 寺、 小 

野の 皇太后の 舊跡叙 有って、 それより 御輿に ぞ 召されけ る. - 遠山に 1- る 白雲 は、 散りに し 花 

の 形: n}- なり。 靑 葉に 見 ゆる 楷に は、 春の. ダ 「淺ぞ 惜しまる 比 は 卯月 廿日 余りの 事 なれば 夏草 

の 茂みが 末 を 別き 人ら せ 給 ふに、 始めた る 御幸 なれば、 荆覽じ 馴れたる 方 もな く、 人跡 r 化え た 

る も 思し召し 知られて 哀れな り J 

i 〇 法皇 後白河 法皇。 〇 建 緩 門院 淸 盛の 御 女 時 子。 安德 帝の 掷母。 〇 小 Jiii 山 械國愛 郡 八淑 

村 以北の 山村。 〇 つら >• 氷柱。 〇 北 祭 四月 中の 酉の 日に 行 はれる 賀茂 祭の 別稱。 〇 夜 を こ 

めて 夜の 明けない 中から。 〇 德大寺 內 大臣 赏定。 花 山の 院 前權 大納言 兼雅。 〇 土 御門 

樓中納 言 源 通 親。 〇 淸原深 養父 有名な 欲 人。 〇 補 陀落寺 天德 三年 r ば 養父 建立。 〇 小 野の 皇 



& もの 寂び 

た 寂 光 院の境 

内と、 粗な 

女 院の御 庵室 

の 樣。 



太 后宮 後冷泉 帝 中 {.-1^ 子。 原敎 通: 一一 女。 後 皇太后と なリ落 g し、 宫を 以て 寺と なし 常 と稱せ 

られ た。. その 舊躋は 愛お 郡 巿野村 市 原と 云 ふ。 

® かう して ゐる 間に、 法皇 は 文; 二 年の i: の顷、 建^£1門院の小原の静閑な御住居を御梵じたく思し召し 

たが、 二月、 三月の 頃 は 凰が 烈しく、 佘寒 もま だ 去らず、 峯の白 $1! は^えて しま はず、 谷の 氷柱も^ 

けない。 かう して、 春が 過ぎ、 夏が 來て、 北 祭 も 過ぎた ので、 法 S は 夜の 明けぬ 中から 小^の 奥へ 御 

幸され た。 內緖の 御幸で はあった けれども、 供奉の 人々 に は、 德大 寺、 花 山の 院、 土 御門 以下、 公卿 

が 六 人、 殿上人が 八 人、 北面の 武士が 少しば かり 御供 をした。 鞍馬 通りから 參 、りれ る 御幸で あ る か 

ら、 あの 淸 原の 深 養父の 建立の 補院落 寺、 小 野の 皇太后 宮 の 跡 を 御お になって、 其虚 から 御與 にお 

乗りに なった。 遠山に 懸る. HI 雲 はちよ つど 散った 花の 名残の やうに 白く 見えて ゐる。 靑 葉に 見える 柳 

に は 春の 名残が 惜し ぃ氣 がする。 ^節 は 四月 サ 四日 余リの 事で あるから、 S 革が 茂って ゐる その 葉末 

を 押し分けて お入りに なると、 此處へ は 始めての 御幸で あるから、 何方 を 御 .1^ にな つ て も $1 珍ら し い 

景色ば かりで、 め つた に 人の 通って 來 ない 淋しい 處 だと いふ ことが 思し召し 知られて 榔 感じが い。 

西の 山の 麓に 一 宇の 御堂 有り。 卽ち寂 光院是 なり。 舊ぅ 造りな せる C 水 水、 木立、 .E;^ る 様の 所 

いら か,, た とびら ともしび M-X 

なり. - 甍 破れて は 不斷の 香を燒 き、 揮 落ちて は 月 常 位の 燭 を排 ぐと も、 か 様の 所 を や 中す ベ 

た よ さら ち < ま 

き。 庭の 若草 茂り 合 ひ、 靑柳 絲を亂 りつ. - 池の 浮 草 浪に漾 ひ、 錦 を 爆す かと^た る。 中,: W の 松 

に懸れ る藤浪 の、 裏 紫 に^ける 色、 靑紫 交りの 遲櫻 初花よりも^ しく、 -Xi の 山吹、 吹き 亂れ、 

八重 立つ 雲の 絕 Si より、 山 郭公 Q 1 聲も 君の 御幸 を 待ち 顔な り。 法皇 是を 1^1:^ おって、 かう ぞ 

遊ばされ ける, - 

池 水に 汀の 櫻 散り 布き、 て 浪の花 こそ 盛な り けれ。 . 

小 原 御幸 一 1 九 



1 二 

ふ ふる くら ナぃヒ い 

舊 りに ける 岩の 絕 間より、 落ち 來る 水の 音 さへ、 故び 由 ある 所な り。 綠蘿の 垣、 翠 黛の 山、 

に 書く とも 筆 も 及び難し。 さて 女院の 御應窒 を叙覽 あるに、 軒に は鳶、 朝顔. 這 ひか- -り葱 交り 

わすれぐ さ れいで う とざ と そ <N る ほ 

の菅 一草、 瓢第厦 々空 し、 草 顔 淵が 巷に 滋し、 蓬 一種 深く 鎮 せり、 雨 原憲が 梧を濕 すと も 云 ひつべ 

し。 杉の葺 目 もま ばらにて、 時雨 も 霜 置く 露 も、 洩る 月影に 爭 ひて、 堪 よるべし と も 見え 

ざり!: り. - 後 は 山、 前 は 野邊、 いざさ 小篠に a 噪ぎ 世に立たぬ 身の 習と て、 憂き 節 滋き竹 注、 

まど ほ しづ r ,ぎ 

都の 方の 言 傳は、 間遠に 結へ る ませ 垣 や、 僅に 言 問 ふ 物と て は、 嶺に 木傳ふ 猿の 聲、 賤が爪 木 

お とづれ t" さき A づら つづら 

の 斧の 昔、 是 等が 音信なら では、 薜 の葛靑 葛、 來る人 稀なる 所な り。 

B 甍 屋根 〇 中島 池の 中の 島。 〇褢 紫 た 1- 紫の こと。 〇 靑葉 交りの 云 一 K 金 葉 集、 夏 

砍、 藤 原 盛 方、 「夏山の 靑葉 交りの 遲樓、 初花より もめ づ らしき 哉 T 〇 故び 趣の ある さま。 〇 綠 

蘿 靑々 とした 蔦^。 〇 翠 黛の 山 18- 色の 眉ず みの やうな 山。 013^ 策屢 空し 云云 和漢 朗詠 集、 申 

文、 橘 直 幹、 「識 箪屢 空、 革 滋ニ鎮 淵 之 巷-、 蔡 a 深 鎖、 雨濕, 憲之柩 1」 餌 淵、 原憲 共に 孔子の 弟子で、 

道を樂 しみ、 淸 貧に 安んじた 人。 藜 及 は 共に ァ カザと いふ 草。 揠は戶 の 開閉す る < おのく るるの こと。 

〇 いさ >- 小 徒 さ >- やかた 篠原。 〇 憂き 節 滋き竹 柱 憂き 節と 竹の とかけ た。 〇i? 遠 まば 

ら。 〇 ませ 垣 丈け の ® い 、竹 又は 木で 目 を 荒く 作った 垣。 〇 言 問 ふ 訪ねる。 〇 爪 木 薪。 

参薛の 葛靑葛 共に 蔓草の 名。 葛 は絲の 如くで あるから 緣 ると いひ、 次の 來る 人へ かけた。 

6 西 S 山の 麓に 1 棟の 御堂が ある。 卽ち、 寂 光 院と云 ふの が是 である。 古めかしく 造リ 設けて ある 池 や 

森 はいかに も 由緒の ありさうな 處 である。 屋根 瓦が 破れて それに 霧の か >1 つて ゐる樣 は、 絶えず 香の 

煙の 立 迷 ふのに 似て をり、 扉が 朽ちて 月光が 照り 入る 樣は 何時までも 消えな ぃ燈 明の 火の 輝く やうで 

ある、 と いふの はこの 樣な所 を 云 ふので あらう。 庭の 若草が 一 面に 茂り 合 ひ、 靑 柳の 芽の 筋え 出た 長 



© 法皇が 「人 

や 有る」 とお 

召しになる 

と、 しばらく 

あって 年老い 



い 枝が 絲の やうな のが 風に 吹かれて 入り 交り 亂れ 動いて をリ、 池の 浮 Ici- は浪に «^ ひ ® いてち ょラ ど^ 

を 洗 ひ 曝して ゐる やうで ある 。池の 中島の 松に 懸っ てゐる 藤が 紫色に 咲いて をり、 靑 葉の 問 に 疾き交 

つて ゐる遲 ^きの 機 は 初; きの 花よりも かへ つて 珍ら しく、 岸の 山吹が^ き^れ 空に ま, な" 合って ゐ 

る 雲のと ぎれ 目から 啼き 出した 山 郭公 の 1 錄も 何となく 法皇の 御幸 を 待って ゐ たと いはんば かりの 樣 

子で ある。 法皇 はかう いふ 有樣 を御覽 になって、 こんな 御 欲 をお 詠み あそばした。 

池 水に 岸の 櫻の 花 散り敷いて、 浪の 花が 今眞 盛で ある。 

笞 むして 古びた 岩の 間から、 落ちて 来る 水の 音まで も 如何にも 故ぁリ さうな 虚 である。 宵々 とした^お 

の 茂って ゐる 垣、 翠色の 眉ず みの やうな 山な ど 緣には 描 けても 文章に はとても しにくい 樣 である。 

さて、 女 院の掷 庵室 を御覽 になる と、 軒に は 蔦 や 朝 額が 這 ひか X リ、 葱 草に t せ: 草が 交り 茂って をる、 

く、 あの 朗 集の 中の 「飄 簞は屢 々からにな り、 額 淵の ゐる 巷に は 草が 繁く生 ひ 茂リ、 8^5^ が^く 

埋めて をる、 それから 原 憲の稱 は 雨が 漏って 濕す」 ともい ふこと が 出来る。 屋根 を- fft いて ある 杉皮 も 

ところ,. t\ なくなって、 間が すいて、 時雨 も 霜 も、 置く 露 も、 a る 月の 光と 同じ やうに、 とても 之 を 

防ぐ こと は 出 來ま いと 思 はれる。 後 は 山、 前 は野邊 で、 小さ ぃ據 原に 風が 吹き 噪ぎ、 浮世の 中に 出て 

生活し ない 身の 常と して、 節の 多い 竹 柱の やうに 苦しみが 多く、 都の 方の たよ リは、 まばらに 結んだ 

垣の やうに 實に稀 t/、 僅かに 訪ねる ものと して は、 嶺の樹 々を 傅 ふ 猿の 弊 か、 賤し い 根 火が 薪 を 切る 

斧の 響 位 いのもので、 かう いふ もの >- お とづれ て來 るの を 除いて は、 薛のぉゃ卞:^^^?の^く生ひ茂っ て 

ゐて來 る 人 も 稀た 處 である。 

法皇 「人 や ある、 人 や ある」 と 召され けれども、 御 いらへ 申す 者 もな し" や \ おって 老い 衰へ 

たる 尼 一人 參 りたり, - 「女院 は 何く へ 御幸 成りぬ るぞ」 と 仰せければ、 「この 山の 上へ 花摘み 

に 入らせ 給 ひて 候」 と 中す。 「さ こそ 世 を 厭 ふ 御 習と 云 ひながら、 さ 様の IsJ に 仕へ 奉るべき 人 



原 御 



幸 



二 



1 ニニ 



た 尼が 參 つた 

女院は 上の 山 

に 花摘みに 入 

らせら れ たと 

語る。 さう し 

て、 この 尼 は 

阿波の 內侍 

でゝ そ の ひど 

く變り 果て i 

ゐ るのに 法皇 

を 始め 誰も^ 

いた e 



も 無き にや、 御 痛 はしう こそ」 と 仰せければ、 この 尼 申しけ る は、 「五戒 十 善の 御菜 報盡 きさ 

せ 給 ふに 依って、 今 か- -ろ御 目 を 御 ぜられ 候 ふに こそ ソ 捨身の 行に なじ か は 御身 を惜 ませ 給 

ふべき。 冈 經に は、 欲 知 過去 固、 見 其 現在 Mr 欲 知 未 來果、 見 其 現在 w と說 かれたり" 過去 未 

來の E}^ を 桑て 悟らせ 給 ひなば、 つやく 御 歎 有る ベから す." 昔、 悉達 太子 は 十九に て 伽 耶城を 

出で、 魔辦^ の 麓に て、 木の葉 を聯 ねて ぎ を隱 し、 嶺に 上って 薪 を 取り、 谷に 下り 水を^び、 

難行苦行の 功に 依って こそ、 遂に 成 等 正 覺し給 ひき」 とぞ 申しけ る ■ こ €^尼の様を御覽すれ 

ば、 身に は 親 布の 分き も 見えぬ 物 を、 結び 聚 めて ぞ 著たり ける J あの 有様 にても、 か 様の 事 申 

す 不思議 さよと 思し召して、 「抑汝 は 如何なる 者ぞ」 と 仰せければ、 この 尼 さめ..^、 と 泣いて、 

gll し は 御 返事に も 及ばす。 や.^ 有って 淚を 押へ て、 「申す に附 けて 憚り 覺ぇ 候へ ども、 故少納 

き。 入道 が 女、 阿波の 内侍 V 申す 者に て 候 ふなり.^ 母は紀 伊の 二位、 さし も 御い とほし み 深 

うこ そ 候 ひしに、 御覽じ 忘れさせ 給 ふに 付けても、 身の 衰へ ぬる 程 思 ひ 知られて、 今更 せん 方 

なう こそ 候へ」 とて 袖 を 顔に 押し 當て i 忍び あへ ぬ 様、 目も當 てられ, 法皇 「實 にも 汝は阿 

波の 內侍 にて 有る ござん なれ, - 御覽じ 忘れ 給ふぞ かし リ 何事に 就けても、 只 夢との みこ そ 思し 

"口せ」 とて、 御淚 せき あへ させ 給 はねば、 供奉の 公卿 殿上人 も、 不思議の 事 申す 尼 かなと 思 ひ 

たれば、 理 にて 申しけ りと ぞ各 感じ 合 はれけ る。 

i 〇 五戒 十 善の 御 果報 佛說に 依る と、 五戒の 果報で 人間に 生れ、 十 善の 功力で 王に 生れる と 云 ふ。 こ 

V はた 玉 者た るの 果報。 〇 捨身の 行 肉 身 を 捨て. - する 難行苦行。 〇 欲 知 過去 因 云云 過去 世の 



ra は 現在の 果を 見れば わか リ、 末 来世の 果は 現在 世の 因に 佼 つて わかる。 〇 悉達 太子 迦の幼 

名。 〇 伽耶域 印度^ sil 竊衞國 の 都械。 釋迦 出生の 地。 〇 成 等 佛の: ^リ。 

@ 法皇 は 「誰か ゐ るか、 P いか ゐ るか」 とお 呼びに なった が、 誰 こそお 答へ 中す 者 もな い。 しばらくして 

老い 衰 へた 尼が 1 人參 つた。 「女 院 は何處 へお 出 ましに なった のか 一 と 仰せに なると、 「この h の 山へ 

みに 參られ ました」 と 申す。 「いくら 世を棄 てた 者の 常と は 巾しながら、 花 摘ぐ らゐの • にお; H 

へす る 人もゐ ない ので あらう か、 ぉ氣の 毒の ことで ある」 と 仰せになる とこの:^ が. & すに は 「五戒 十 

善の 御 果報が ぉ盡 きになつ たので、 今 この やうた 辛い H を 御 .嵬 になる ので ございます。 而 しこれ も佛 

道に 達する 捨身の 行の 一 つで ございま すから、 どうして 御 苦勞を -厭 ひに なり ませう。 因 に は、 

欲 知 過 ra: 去、 見 其 現在 果、 欲 知 未 來果、 見 其:^ 在 因と 說 いてあります。 過去 未來の の近理 を^て 

^VJm リ になり ましたら、 決して 御 嘆きになる ことはありません。 昔、 悉達 太子 は 十九で 伽 耶城を 出て 

特 山の 麓で、 木の葉を緩って^!?を蔽ひ、 嶺に 上って 薪 を 取リ、 谷に 下って 水 を 汲んで 飲みな ど、 い 

ろ./ \闲1 な 苦しい 修行に 依って 逮に佛 の 語リ をお 開きに なリ ました。」 と ゆした。 この 尼の 樣子を 御 

覽 にな リ ますと、 身に は賴 とも 布と も區 別の つかない;^ を 寄せ集め て^て ゐる。 あんな 見^しい^ 樣 

をして ゐて も、 こんなし つか リし たこと を 申す と は 不思議な ことと 思し召して、 「1 a お前 は 何う いふ 

^19か」 と S せられる と、 この 尼 はさめ t と 泣いて、 晳 らく は 御 返事 も出來 なかった。 しばし して 

を 1?: いて 「申し上げ るの は畏多 いこと、 存じます が、 私 は 故 小納言 入道 信 西の 女の 阿波の 內 侍と. & 一-' 

^で ございまず。 母は紀 伊の 二位と 申します。 昔 は あれほど^い 御寵お を 受けました のに、 御 忘れ 

あそばした につけましても わが 身の 衰へ たこと が 思 ひ 知られまして、 今; 史 何と > ^致し方 かご ざ いませ 

レー と 云って、 袖 を 餌に 押し て、 たまらない やうに して ゐ るの は" 仙 ましくて 見て ゐられ なかった。 

^»皇は 「なるほど お前 は 阿波の 內 侍で あつたな あ。 すつ か" 見忘れて しま つて ゐ た。 いや、 何もかも 

變リ 果て 、仝く 夢の やうに 思 はれる」 とて、 御 お を とどめさせられ ないし、 お供の 公卿 や 殿上人.^、 

小 原 街 幸 一二三 



二 四 



@ 12 壬の 內 

を 御覧になる 

と佛像 やら: i 

文 やらが 置か 

れ てあつて、 

すべてが 昔の 

よそ ほひと は 

異 つて ゐ るの 

に、 法皇が 御 

淚を 流させ 給 

うと、 供奉の 

人々 も 袖を较 

つた e 



不思議の 事 を 申す 尼 だと 思ったら なるほど 道理 だと、 何れも 感じ 合 はれた。 

お ,たこ に 一 まヌき そと, P を だ k 

さて 彼方此方 を叙覽 有る に、 庭の 千草 露 重く 籠に 倒れ 懸 りつ- - 外面の 小 田 も 水 越えて、 嶋 立つ 

隙 も 見え 分か す、^ さて 女院の 庵室に 入らせお はし まし、 障子 を 引き 開けて IJ^i- 有る に、 一問に 

は 來迎の 三 11^ おはします。 中尊の 御手に は、 五色の 絲を 懸けられたり。 左の 普賢の 繪像、 右に 



善導 和き、 並に 先帝の 御!^ を かけ、 八 軸の 文、 九 帖の御 書 も 置かれたり、 蘭 5& の薰に 引き 眷 



へ て、 香の 烟ぞ 立ち上る. - かの 淨 名 居士の 方丈の 室の 中に、 三 萬 1 1 千の 床 を 並べ 、 十 方 Q 諸 

し *w し 

涕を請 じ 給 ひけん も、 かく やと ぞ覺 えけ る. - 障子に は 諸 經の要 文 ども、 色紙に 書いて 所々 に 押 

されたり,^ その 中に 大 江の 定基 法師が ^ 凉山 にして 詠 じたり けん、 li 歌 遙に聞 ゆ 孤雲の 上、 &1| 

衆 來迎す 落 曰の 前と も 書かれたり。 少し 引の けて、 女院の 御製と 覺 しくて、 

み ナまゐ 

思 ひき や 深山 Q 奥に 栖 居して、 雲井の 月 を 余所に 見ん と は。 

ころも ふすな i 

さて 傍 を彀覽 有る に、 御宿 所と 覺 しく、 竹の 御 竿に、 麻の 御衣、 紙の 衾なん ど驟 けられたり。 

たへ た 4^ よそ ほ 

さし も 本朝 漢土の:!; なる 類 ひ tjsu^ 盡し、 綾羅 錦繍 Q 粒 ひも、 さながら 夢に ぞ 成りに ける 法皇 

御淚を 流させ 給へば、 供 庫の 公卿 殿上人 も、 まのあたり 見 奉りし 事共、 今の 樣に覺 えて、 皆 袖 

をぞ 絞らけ る。 

i 〇 來迎の 三 尊 阿 彌陀. 佛、 觀音 菩薩、 勢 至 菩薩" 〇 中尊 三 尊の 中央の 阿 彌陀佛 の 像。 〇 五色の 絲 

靑、 黄、 赤、 白、 黑の 五色の 絲を 合せて 繩の 如くに したの を佛 像の 手に かけ、 之 を 臨終の 人に 握らせ 

て佛の 引接に 預ら すため の ものと した。 こ >- は その 爲の 用意と して 作って あった こと。 〇 普賢 菩 



薩の 名。 〇 善導 和尙 支那 唐 代の 高僧。 〇 先帝 安德 帝。 〇 八 軸の 妙 文 法 華 八卷。 〇 九帖 

の 御 書 善導 和尙 撰述の 鹳 無量 毒 疏 四卷、 淨土 法事 譜ニ 卷、 觀念法 門 I 卷、 往生^ 說 一 卷、 校 舟 

ー卷、 合せて 五部 九卷。 〇 蘭麝 高貴の 婦人の 衣裳に たきしめる よき 香料。 〇 浮-.? 居士 維 詰 

のこと e 、印度 毘耶 離國の 長者。 「居士」 と は 在家で 佛 道に 志す 者の 稱。 〇 方丈 維摩 詰の 方 一 丈の 

石室。 〇耍 文 阡 耍な經 文。 〇 大江定 基 長 保 六 年 入宋、 長 元元 年 杭 洲淸凉 山の 麓に て 入寂。 

〇$^ 欲 «11 を 吹き 欲 をうた ふこと。 

さて、 あちらこちら を御覽 になる と、 庭の 千草に に 露が、 重さう にか、 つて、 垣根に 倒れ か、 つて 居 

り、 又、 籬の 外の 田に も 水が 溢れて、 立って ゐる嗨 と 水と の 間 も すれくな 位で ある。 さて、 法^3<が 

女 院の御 庵室に ぉ入リ になって、 障子 を 引き 開けて 御覽 になる と、 1 間に は 来迎の 一二 *^ か 安 S して あ 

る。 中尊の 御手に は 五色の 絲が 懸けて ある。 左に 齊 膂の綺 像、 右に 善 * 和- 3: の 像 並に 先帝の 御 椅侬を 

懸けて ぁリ、 又 法 華 經、 九 帖の御 書 も 置いて ある。 昔の 蘭麝の 薰の替 りに、 今 は 香の 烟が 立ち上って 

ゐる。 かの 古、 淨名 居士の 方丈の 石室の 中に、 三 萬 二 千の 床 を 並べて、 十 方の 佛を請 待され たこと が 

維摩!^ にある が、 それ はこの 樣な 所であった らうと 思 はれる。 障子に は 諸 超の 阡 要な 文句な どが 色紙 

に 書いて 所々 に 張り付けて ある。 その 中に 大江定 基 法師が 支那の 淸凉 山で 詠まれた 「雲の上に 菩薩の 

吹奏す る歜が 幽かに 聞え、 夕日の 光の 中には 佛 達が 迎 へに いらせられる」 と 云 ふ 句が 害いて ある。 そ 

こから 少し 離れた 所に 女院の 御製と 思 はれて、 

昔、 禁中で 眺めた 月 を、 今 かう した 深山の 奧に栖 i5 して 眺めようと は 思 ひもし なかった こと であ 

る。 それから、 傍 を 御覧に なると 御寢 所と 思 はれて、 竹の 御 竿に、 麻の 御衣 や 紙 製の 布 W などが 膝け 

て ある。 昔 は あれほど 日本 や 支那の すぐれた 品物の あり たけを 集め、 立 な战 物で 作った 衣 をお^ 

しにな つたのに、 今や 全く 夢と なって しまった。 法皇が 御淚 をお 流しに なると、 佻 傘の 公卿、 上人 

も、 女院の 昔の 立派な 檬子を ni の あたりに 見 奉った 事 を、 つい 今の 事の 樣に あざやかに K えて ゐ るの 

原 御幸 1 二 五 



二 六 



に、 それが、 



した 御有漾 と變ら せられた ので、 感 極って 1^ に 咽 ばれた 



8 や が て 上 

の 山から 尼が 

二人 下りて 來 

た。 一人 は 女 

院、 一 人は大 

納言 佐の 局で 

ある。 女院は 

f い X る 有樣を 

法皇に 御覽ぜ 

られ る の を 傲 

しく 思 はれた 

が、 尼の す X 

めの 言葉に 依 

つ て 遂に 御 見 

參 になった。 



や- -有 りて 上^ 山より、 濃き 墨 染の衣 著たり ける 尼 二人、 岩の II 路を傳 ひつ \ 下り 煩 ひたる 様 

なり!: り。 法皇 「あれ は 如何なる 者ぞ」 と 仰せければ、 老:: ^淚を 押へ て、 「 花筐臂 にかけ、 岩 

lilii 取り 具して、 持たせ 給 ひて 候 ふ は、 女院 にて 渡らせ 給 ひ 候 ふ 爪 木に 蕨 折り 添へ て 持ちた 

る は、 鳥 飼の 巾 納言 維實が 女、 五條 Q 大納言 國 綱の 養子、 先帝の 御 乳母、 大 納11ーー" の 住の 局」 と 

申し も あへ す 泣きけ り。 法皇 御淚を 流させ 給べば、 供奉 公卿 殿上人 も 皆 袖をぞ 濡らされけ 

る。 女 院は世 を 厭 ふ 御 習と 云 ひながら、 今 か- r る 有様 を 見え 參 らせんす らん しさよ、 消え も 

失せば やと 思し 召せ ども 甲斐 ぞ なき。 宵 々苺の 閱 伽の 水、 掬ぶ 抉 もし をる- -に、 曉 起の 袖の 

上、 山路の 露も滋 くして、 紋 りゃ载 させ 給 ひけん、 山へ も 歸らせ 給 はす、 又 御 li- 室へ も 入らせ 

おはし まさす、 あきれて 立た せまし くた ス。 所に、 內 侍の 尼參 りつ \ 花 筐 をば 脇 はりけ り, - 

「世 を 歴ふ御 習、 何 か 苦しう 候 ふべき。 早々 御見參 有って、 還 御成し 參らせ 候へ」 と 申し けれ 

せっしゅ 

ば、 女 院御淚 を 押へ 庵室に 入らせお はします, - 「一念の 窓の 前に は攝 取の 光明 を 期し、 十 念の 

柴の 極に は聖 衆の 来迎 を こそ 待ちつ るに、 思の 外の 御幸 哉」 とて 見參 ありけ り" 

B 〇 岩の 懸路 岩石の多ぃ險姐な^^ 〇 花筐 花 を 入れる 籠" 〇一 念 念佛を 一 度 中す こと。 〇攝 

m 彌陀の 衆生 を攝め 取リ給 ふ。 

6 しばらくして、 上の 山から 濃 い 墨染の 法衣 を 著た 尼が 二人 檢祖な 岩 道を傳 ひながら 下リ なやんで ゐる 

樣子 である。 法皇が 「あれ は 1^ うい ふ 者 か」 と 仰せられ ると、 老!^ は淚を 1?: いて、 「あの 花 1^ を臂 にか 



け、 岩つ、 じ を 取り 添へ てお 持ちに なって ゐられ るの は、 女院 でございます。 そして あの 薪に 蒹を折 

り > ^へて 持って ゐ るの は、 烏 飼の 中納言 維實が 女で、 ^^^倏大納霄^辆の養子で、 先帝の 御 が巩 母の、 大 

納 言の 佐の 局で ござ います」 と 申す やい なや 泣いた。 法皇に それ をお 聞きに なって 御 1^ をお: „ ^しにな 

ると お供の 公卿、 殿上人 も 皆 淚で袖 を 滞らされた。 女院は 世を棄 てた 者の 常と は 云 ひながら、 今 かう 

した 見苦し ぃ有樣 を御覽 に 入れる こと の慚 しい ことよ、 いっそ 消えて 了 ひたいと 思し 召す けれども そ 

れ もたらず、 今更 致し方 もたかった。 每晚く 佛に手 向ける 水 を 掬ぶ ために、 水で 抉が^ れ てし をれ 

る 上に、 毎朝: nf. く 起きられ るので、 袖に は 山路の 露が 繁く か、 つて、 狡り かね 給う 如く、 悲し さの あ 

まり^に かきくれ ておし まひに なった ので あらう、 山 へ も歸 らせ^に ず それ かと 云って 御 庵室 へ お 入 

りに もなら ず、 おどろ いて 立って お いでなる ところへ 內 侍の 尼が 參 つて 花筵 を 受け取った。 そして、 

nlj は女院 に、 「世 を棄 てた 者の 習 ひで ございま すから、 やつれた 御 姿で もお 差 支 は ございません。 く 

御對面 あそばして 法皇のお 還りに なられる やうに あそばし ませ」 .V 申した ので、 女院 は^を 拭いて、 

御 庵室に お入りに なりました。 「窓の 前で 念佛を 一 度 申す 時には 彌陀の 光明に «w 取され るの を 待ちう 

け、 柴の 扉のと ころで、 十!^ 念 佛を稱 へます 時には 佛 達のお 迎ひを 待って をり ましたのに、 S ひ. A け 

もな い 御幸に 預る ことで ござ います」 と 仰せられて 御對 面に なった。 



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本朝 聖帝 表 S 在位 年間 は 足 かけの 計 党に なす また は 女帝な. i 



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反 正 議 允 恭 一? fl?- 安 康 三? - 雄 略 二 is- 淸 寧 一 ISi 顯, {へ 小 

二 代 > マ 十 代 二十 六 代 二十 七 代 二十 Kt: 二 卜 九 代 

仁 賢 二 武 烈 豪 繼 體 二 安 閑 宣 化 I "ば 欽 明 一, 一 f_f 

一 "rt 代 :, • ,: , 三十 一代 - - , 三 T 二 代 三十 三 代 三十 B! 代 =1 十 f, 代 

敏 達 IP 用 明 崇 峻 一 i 。推 古 一; 一?^ 舒 明 ii 。皇 極 顏 

三卞六 代 三十 七 代 三十 八代 一一 一十 九 代 四十 代 E 十 l.*-- 

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—賴信 —— 賴義, 



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義香 —義風 

-義泰 —— 景泰 11 時泰 



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宗綱 11 公糾. 



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—義憲 (志 Eli 先き 

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—龜若 丸 

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〇 桓武 天皇 … せ? お 親王— 



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1 良將 i^. 門- SCMga) 一 

£ ^文 宗平 實一,ゃ(土^^5^© i 

-忠親 忠常 (千 t_* 氏 s 



厂高楝 …; は i い 略) …… 行 義- 



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9 息 羽 法皇 

は入皇 七十 四 

代の 帝で、 堀 

河 帝の 5^ 一 皇 

子で、 第 母 は 

赏季 卿ゾ, 御 女 

である。 廢和 

ff- ハヰ: ル. 月御誕 

化、 同年 八:^ 

立太子、 嘉承 

二 年、 五 歳に 

して 岬、 保 

安 3: 年、 二十 

一 歳で崇!^院 

に 御 譲位。 そ 



I 、 後白河 院御 即位の 事 

ザん ぢ やう 

愛に 鳥 巧 禪 定 法皇と 申し 奉る は、 天照大神 四十 六 世 Q 御 末、 祌 SK 皇 より 七十 四 代 仏航な 

り。 堀 河 1K 皇第 I の 皇子、 御 母 は .%皇 太 15 呂船ノ 茨 子、 閑院大納言%^^卿の"|^:^5^り0 腹 和 五 

年 月 十六 日に 御 誕生、 同じき 年 八月 十六 日に 皇太子に 立た せ 給 ふ。 嘉承ニ 年 七 n: 十九 日 堀 

河ノ 院隱れ させ 給 ひし かば、 太子 五 歳に て #i あり。 御 在位 十六 筒 年が^、 i ぉ靜 にして IK 、下 

穩 なり。 塞 暑 も 節 を 過た す、 民 tej も 誠に 豐な り.^ 保安 四 年 月 f 一十 八日、 御 ¥ー 一十 一 にして 御」 V- 

を遍れ て、 第 I のせ 3 崇德院 に讓り 奉り 給 ふ。 大治四 年 七月 七日, .H 河, 院 ii れさ サ^ ひて より 

後 は、 鳥羽ノ 院 天下の 事 をし ろしめ して、 政 を 行 ひ 給 ふ。 忠 ある^ を朴" しお はします^、 ^ 

聖主 S 先 规に逮 はす、 罪 ある 者 を もな だめ 給 ふ 事、 大慈大悲り ほね i にかな ひまします。 されば 

恩 光に 照され、 德澤に 潤 ひて、 國も 富み::^ も 安 かりき。 

i 〇 禪定 法皇 禪 定は佛 道に 歸 して 一 心に 修 する ネ?。 父子 相承 を數 へる 名。 〇 代 即ケ の. g 

後白河 K 御 即位 一四 九 



五 〇 



海內 かで、 

天下 は穩 かで 

あった。 



序を!^^-へる名。 〇 贈 皇太后 薨後 皇太后の 尊號を 贈られた こと。 〇 藤 茨 子 藤 原 氏の 茨 子。 〇s 

院 閑院 家。 その 祖は 九倏 公季。 〇 大納首 太 政官の 次官。 〇 踐. W 帝仪を^sfむことで、 天皇の 

崩 後、 皇太子が 位を嗣 がれる こと。 その後、 更に 正式の 大鱧 を擧げ させられる を 即位と いふ。 〇!- 

暑 も 云々 氣候 っ順 當な こと。 〇:^ 屋 こ >T は單に 民の 意。 〇 位 を れ 御. 幅 位。 〇 先規 先 

例。 〇 大慈大悲の 本 誓 大慈大悲 3 觀世音 菩薩の 心願に 背かない こと。 〇 德 ぁリ 難い 惠み。 

こ 》 に 為 羽禪定 法皇と 申し 奉る 方 は、 天照大神から 四十 六 世の 御子 孫で、 神武 天皇から 七十 四 代 n 

の 天子で ある。 この 帝 は 堀 河 天皇の 第 一 の 皇子で、 御 母 は 贈 皇太后 宫 藤 原 茨 子で、 その 方 は 閑院 大 

絶 言 藤 原赏季 1- の 御 女で ある。 帝 は 厳 和 五 年 正月 十六 日に 御 誕生に なリ、 同年 八 n:: 十六 日に 皇太子に 

お立ちに なった。 嘉承ニ 年 七月 十九 日に 堀 河 院が崩 掏に なられた から、 太子 は 五 歳で 御 位を嗣 が れ 

た。 天皇の 御 位に 有らせられる こと 十六 箇 年の 間 は 世の中が 靜 かで、 國 内は穩 かであった。 塞 さ 暑さ 

の氣候 も順當 で、 人民 もま ことに 豊かであった。 保安 四 年 正月 二十 八 口、 御 年 二十 一 で 御 位 をお 退き 

になって、 第 一 皇子の 崇德院 に お 讓リに なられた。 大治四 年 七月 七日、 白 河院が 崩御に なられてから 

後 は、 ft? 羽院が 天- > を お治めに なって、 院政 を 行 はれた。 忠義の 行の ある 者 を おほめになる こと は、 

昔の 御 立, 汲な 御代の 德の ある 天子の 先例に 違 はな い。 又 罪の ある 者 をお 赦 しになる 事は大 慈悲 ois^ 

音 菩薩の 御 心願の 如くで ある。 それで あるから、 院の 御惠み の 光に 浴し、 有り難い ぉ德を 蒙って、 國 

も 富み、 人民 も 安らかであった。 . 



a© 保延 元年 

$11 、福 門院の 御 

腹に 皇子 御誕 

生あって、 い 



〔藤 原 得?, - 

保 延 五 年 五: I: 十八 日、 美 福 門院 の 御腹に 皇子 御 誕生 あし 



かば、 上皇 殊に 喜び 思 召して、 いつ 

て 御卽位 あり,^: M つ て 先帝 をば 新 院とぞ 



しか 東宮に 立て 給 ふ。 永 治 元年 十一 一月 1 一十 七 曰、 三 歳 

中し ける。 先帝 異なる 御恙も わたらせ 袷 はなに、 押しお ろし 給 ひける こそ あさまし けれ。 依つ 



つし か 東宮に 

立て 給 ふた。 

永 治 元年、 三 

歳で 御 即位が 

あった。 近衞 

天, M と ゆ し 上 

げる。 これが 

ため、 鳥 羽:! a 

皇と 崇德, お 御 

父子の 御中が 

快くない と 聞 

えた。 然るに、 

久壽ニ 年夏顷 

から 近 衞院は 

御 .^ にか >, ら 

れ、 七月 遂に 

崩御され た。 

御 歳 十七。 



一" 〔la8〕 こえよ いへ 

て 一 院* 新院、 父子の 御中 快 から- T とぞ聞 えし。 誠に 御 心なら す 御 位 を 去らせ 給へ り。 役り 

55 かせ 給 ふべき 御 志に や、 叉 一宮 重 仁 親王 を 位に 卽け 奉らん とや m 力 :! しけん、 叙 慮 計り 難し, - 

おんか ざリ お.. よわ ひ さ 1» r - . 

永 治 元年 三月 十日、 鳥 羽 Z 院御 飾べ C ろ させ 給 ふ、 御 年 三,^ 九。 御船 も 未だお M に、 玉 體.^ 恙な, I 



おはし ませ ども、 宿 善, 2: に 催し、 善緣 外に 顯れ て、 眞實 報恩の 道に 人ら せ 給ふぞ めでたき。 

然るに 久涛ニ 年 夏の 頃より、 近衛 Z 院 御^まし ましし が、 七; IT 下句に はは やた のみ 少き御 ier レ 

て、 淸凉 殿の 廂の 間に 遷し 奉る。 されば 御 心細く や 思 召し けん、 御製 かく、 

蟲の 音の よわる のみ か は 過ぐ る 秋 を 惜しむ 我が身 ぞ ま づ消 え ぬ ベ き 

に隱れ させ 給 ふ、 御 年 十七 , 近衛 院こ 



$ ^に 七月 一 一十 

【美 一 Si 門 

女 院の御 歎、 理 にも 過ぎた 



藝 



. なり 。もっとも 惜しき 御船な り-: ^へ i に 



Gri- 延 崇德 天皇の 年號。 〇 来宮 皇太子。 〇 御恙 御 "お iiT 〇 あさまし けれ あきれる。 

〇 御 心ならず 御 不満で。 〇 歸,. 即 かせ 復び 位に 即く。 〇 叙 慮 天子の 御 心。 〇 御飾り おろ 

す 剃髮 して 佛 門に 入る。 〇 玉體 天子の 御身 體。 of 伯 善 前世からの 善^、 即ち 佛 門に する 

心。 〇 善緣 佛と緣 を 結ぶ 善い こと。 〇 眞實 まことに。 〇 報恩の 道 佛恩に報ゅる^^。佛門 

のこと。 〇 久壽 近衞の 帝の 年 1^。 〇 御 悩 御 氣。 〇 たのみ 少き 个: 快の むづ かしい。 

0^0 天子の 常にお はします 宫 殿。 〇 廂の間 中央 を 母: Sil とい ひ、 その外 方に ある を- S の 11: とす 

る。 〇 理 に も 過ぎた リ 一通 リ でな い。 

@ 保 延五年 五月 十八 日、 美 福 門院の 御腹に 皇子が 御 誕生に なった ので、 <15羽ト:^!?1は^ばせられて、 早速 

皇太子に お立てに なった。 そして 永 治 元年 卞 二月 二十 七: :!、 三 歳 e 御 即位に たった。 それ で 、 先帝 

後白河 院御 即位 5 事 1 五一 



五 二 



の 崇德院 を 新院と 申した。 先帝 は 別に 御病氣 も あらせられません のに、 無理に 御 位から お下ろし にな 

つたの は 仝く あきれた なされ 方で ある。 それで、 鳥 羽 法皇と 崇德 上皇 御 父子の 御中 はよ くないと いふ 

ことで あ ほんと に、 ヒ皇は 御 不満で 御 位 をお 去リに なられた。 復び御 位に お it きになられる 御 希 

望 か、 それとも 第一 の宮の 直 仁 親王 を 位に 即け 奉ら-りと でも 思し 召された もの か、 御 心中 はわ かリに 



8 崇禎院 は 

御 ほ 身に 復位 

されたい にし 

て も、 重 仁 親 

王が 即位され 



永 治 元年 三月 十日に、 鳥 羽院は 剃髮さ れた、 御 年 三十 九で ある。 御 歳 もま だ 盛りで、 玉體 も御壯 健で 

あらせられる が、 CSil に歸 依され る 善心が 御 心中に 生じ、 佛と緣 を 結ばれる 善事が 外に 顯 はれて、 ほ 

ん とに 佛恩を 報ずべき 道に お入りに なった の は 結構な ことで ある。 

然るに、 久壽ニ 年 夏の 時分から、 近 衞院は 御 病に か >• られ たが、 七月 下旬に はも はや 御 4i 快の 望みが 

殆どなくて、 淸凉 殿の 廂の 間に 遷し 奉った。 それで、 御 心細く 思 召した ので あらう、 次の 御製が あつ 

た 

今年の 秋 も、 追々 に 過ぎ去って、 虫の 音 も 次第に 衰へ 弱る が、 それば かりで はなく、 過ぎ ゆく 秋 を 

惜しむ この 身 も 次第に 衰 へて、 その 虫の 音の 弱る よりも 早く わが 身が 消えて しま ひさうな 心細 レ身 

である 

遂に、 七月 二十 三日に 崩御に なられた。 御 年 十七で ある。 近 衞院と 申す のが この 御 方で ある。 f!^ に惜 

しい 御 年で ある。 法皇 ゃ女院 のお 歎き は 一 通りで はない。 



新院 此の 時 を 得て, 我が身 こそ 位に 復り卽 かすと も、 望 仁 親王 は、 一定 今度 は 位に 卽 かせた ま 

はんと、 待ち受けさせお はし ませり。 天下の 諸人 も 皆 かく 存じけ る處 に、 思の 外に 美! i 門院の 

御 計 ひに て、 後白河, 院、 其の 時 は 四 i 呂と て、 打 籠め られ てお はせ し を 御 位に 卽け 奉り 給 ひし 



る こと v 思 召 

して ゐられ た 

のに、 美 福 門 

院 のお 計 ひ 

で、 後. m 河 帝 

が 位に 即 かせ 

られ たので、 

崇德院 3 御 恨 

は 一 ir まさら 

せ洽 うた。 



かば、 高き も 卑しき も、 忍の 外の-ことに m わ ひけり。 此の 四メ {re も、 故 待 門院の 御哎 にて, 新 

院と御 一 腹 なれば、 女 院の御 爲には 共に 御韉子 なれ ども、 美 福 門院の 御 心に は、 重 仁 親王の 位 

に卽 かせ 給 はん 事、 なほ il-t 奉らせた まひて、 此の 宫 をえ 院 もてなし まわらせ 給 ひて、 法皇に 

も內々 中 させ 給 ひけるな り。 其の 故 は、 近衛 ノ 院世を 平 うせさせ 給 ふこと は、 新 咒 ぎし 奉り 

「崇德 〕 ひごし ほ 

給 ふとなん 思 召しけ り。 これに 依って 新 院の御 恨、 一人 まさらせ 給 ふ もこと わりな"。 (卷 一) 

€B-〇 此の^ を 得て この 枸會 に乘 じて。 〇1 定 きっと。 必ず。 〇 後 a 河院 羽^の 第 ra の 子。 

御名 は雅 仁。 〇 打: 龍め られて 御 努力 もなくて rl!j^. おにして 置かれる こと。 〇 待 0S 

赏の 女。 〇 御 丁 M 母の 同じい 御兄弟。 〇 ケ院 天皇の 御 母、 难 母-又は 內叙 王 等の 受けられる 

15 號。 〇 もてなす とやかくと 1 ^り 扱 ふ。 〇 世 を nl- くす 若く して 死す る。 〇5^ 咀 C ろ ふ。 

〇 これに 依って <ai 仁 親王 を 位. に即 けられず して、 四宮を 立てられ たに 依って。 〇 一入 一展。 

@ 崇德院 はこの 機 會に乘 じて、 ゎが身こそ位に復ひ即^-なぃにしても、 重; I 親王 は 必ず 今. 陇は 位に 即か 

せ 給う であらう と 待ち 栂 へて おいでになった。 世の中の 一般の 人 も 比- :! この やうに S つて ゐ た と ころ 

に、 案外に 类 福 門院ん 御; W 計 ひで、 其の 當時は 四の 宫で御 勢力むな く::: 藤 * にして K かれて おいでに 

なった 後 C 河院を 御 位に 即け 奉った ので、 上の 人 も 下の 人 も 案外の ことに W ランた。 この s: の {ぉ も 故 

待资 門院の 御腹で、 崇德院 と 同腹の 御 兄お であるから、 类福 門院の 御^に は どちらも^ 緞チ であるけ 

れ ども、 :11 、福 門院の 御 心屮に は、 ま 仁 親王が 位に 即 かせ 給う こと i や は リぉ猜 みに なって、 こ 

{DC を 女院が とやかく とお 取扱 ひに なって 法皇に も 內 々お話しに たったの であ る。 そ の わけ は、 近衞院 

が 早く 卅 1 をお 去リ にた、:' れ たの は、 德院 がの ろ ひ奉リ つたの だと m^?;;: した か.」 である。 この 53」 

新 院の御 恨みが 1 暦お まさりに な つたの は常然 である。 



後白河 院御 即位の 事 



1 五三 



二、 新院御 謀反の 事 



五 K 



この 御 歎 

きの 中に、 

新 院の御 心中 

が覺 束ない と 

い ふ 嚼 が 立 つ 

た。 仙 洞 御所 

に は 武士 共が 

出入した リ、 

兵 具 を 運び 人 

れたリ して ゐ 

ろ。 新 院は平 

素、 先帝 崩御 

の... 一 は 重 仁 親 

王が 位に 即か 

れる 事と 思 召 

して 居られた 

の に、 四の 宫 

が 即位せられ 

たので、 ロ惜 

しく 思って 居 

られて どうし 

ょラと 近習の 



- 00 . つか .t- んどぅ き, 

か.^ る 御 愁の折 一 M、 新院 の-御 心中 覺束な しと ぞ 人中し ける。 されば 仙 洞 も 騒がしく、 禁裏 も靜 

ならざる に、 新 院の御 方の 武士、 東 三條に 籠り 居て、 或は 山の 上に 登り、 木の 枝に 居て、 肺." 

小路 西ノ 洞院の 内裏 高 松 殿 を" 窺 ひ 見る 由 聞え しかば、 保 元元 年 七:!: 三 曰、 下野 ノ 守 1 リ 朝に 仰せ 

やう けんもつ f 近お I つ ふ £ 

て、 東 三條の 留守に 候 ふ 少監物 藤 原 光貞、 ;H に 武士 二人 召 捕って 仔細 を 問 はる。 一、 院御 fvm の 

間、 去ん ぬる ころより、 御 謀反の 聞え あるの みならす * 軍兵 東西より 參 集えり、 兵 具 を 馬に 負 

はせ、 車に 積んで 持 運び、 其の 外 怪しき 事 多 かり。 

ぎ院 日ごろ 召しけ る は 昔より 位 を稽ぎ 禪を受 くる 事. 必す 嫡孫に は よらね ども、 ; へり 器 を 撰 

び、 外戚の 高卑 をも靠 ひらる るに てこ そ あれ。 これ はた だ當 腹の 润 愛と いふば かり を 以て、 近 

衛ノ 院に位 を 押 取られて、 恨 深くて 過ぎし 處に、 先帝 體仁 親王 隱れ給 ひぬ る 上 は、 靈11 親王 こ 

〔後白河〕 

そ 帝位に 備 はり 給 ふべき に、 思の 外に 又 四" 宫に 越えられ ぬる こそ 口惜し けれ」 と、 御愤 あり 

キん じゅ 

ければ、 御 心の ゆかせ 給 ふ 事と て は、 近習の 人々 に、 「いか^せん する ぞ」 と、 常に 御 談合 あ 

りけ, りつ 

6 〇 か、 る御愁 近 衞院の 崩御に 續 いて、 鳥 羽院の 崩御な どのあった こと。 〇覺 束な し が X リ。 

〇 仙 洞 仙人の 棲む 所、 轉 じて 上皇 5 御所。 〇 禁裏 禁中。 〇 東三倐 新院の 御所。 〇 高 松 

殿 當 時 内裏が 破れて ゐ たので、 東西 姉 小路み 南北 西 洞院 との 辻に あった 高 松^ を 似 皇居と せられた 



ので ある。 〇 小監物 中務 省の 役人。 〇 仔, 1 わけ。 〇 御不豫 天子の 御 iigilT" 〇 兵 4、 兵 

は 武器、 具 は 物の 具で 鎧。 〇 滴 孫 嫡子の 嫡子。 〇 器 人物。 〇 外戚 母方の 親戚。 〇 これ 

は 近 衞院を 指す。 〇 當 腹の 寵愛 生母 美 福 門院が 鳥 羽 院の御 寵愛 を 受けて ゐられ る こと。 〇 御 

心の ゆかせ 思 ひ を啧ら す。 〇 近習 お 側に 仕へ てゐる 臣下。 〇 いかに せんず る. ぞ どゥ しょ ゥ 

と 思 ふ か。 

この やうな 御 歎の 折 柄、 崇德院 の 御 心中が どう も 何 か お企て になって ゐられ る やうで、 安心 出來な い 

と 世間の 人々 が 評判した。 それで、 上皇の 御所 も驟 しく、 宫 中も靜 かで たかつ たが、 崇德院 方の 武士 

が、 新院の 御所の ある 柬三 條院に 立て籠って 居て、 或は 山の 上に な; リ、 木の 枝に 居て、 姉 小路と S 洞 

院 との 辻に ある 假皇 居の 高 松 殿 を 窺って 居. ると いふ 事が 知れた から、 保 元元 七月 三 日に、 下野 守 源 

義 朝に 仰せて、 東 三條の 留守居 をして ゐる小 監!? 藤 原 光. or 並に 武士 二人 を 召し 抑へ て、 その わけ を 

尋ねられた。 すると、 近 衞院が 御病氣 中、 先頃から 新 院には 御 謀叛の gnV か あるば かリ でな く、 5^ 兵 

が 西から 參リ 集リ、 武器 や 鎖 を 馬に 負 はせ、 車に 精んで 持 運んだ リ、 その外不^^な事が多かった。 

新院が 平生 御 心中に 思 さる. -には 「昔から 位 を 繼ぐ事 は 必ずしも 嫡孫に 限リ はしない が、 その; 太子と 

なるべき 人物 を 撰び、 外戚の 身分の 高い 卑ぃを 尋ねるべき 定めで ある。 然るに 近衞院 は 生 ^美 福!: K 

が 鳥 羽 上皇の 御 寵愛 を 受け て 居られた とい ふだけ で、 近衞院 に 位 を, 理に奪 はれた 3 で. 深く 恨ん で 過 

ぎて,;^. たが、 近衞 帝が 崩御に なられた 以上 は、 簠仁 親王が 必ず 帝位に 即 かれる^ であるのに、 案外に 

も 又 四の 宫に 引き越されて、 天位 を 奪 はれた のは赏 に殘 念で ある」 と、 御 立腹に なって、 氣 をお 晴ら 

しに なられる 事と て は、 お 側に 仕へ てゐる 人々 に 「どうしたら よから ゥ」 ご、 何 も 御 扣談が あ つ た。 

〔K 原〕 〔忠 *0 々ん だ" 

宇治 ノ 左 大ほ賴 長と 巾す は、 知お 院 Z 禪閣 殿下 忠. S 公の 二 男に てお はします。 入^;出殿の公^^の 

一 御中に、 殊更 愛子に てまし ましけ り。 人 fl らも 左右に 及ばぬ 上、 和漢 共に 人に 勝れ、 禮 を 調 

新院御 謀反 事 一 五 五 



の 二 B?- で、 人 

柄も學 問もゝ 

文才 も、 諸せ レ 

にも 膨れて ゐ 

た。 仁義 禮智 

信 を 正しく 

し、 賞罰 勦 功 

を 分ち、 上下 

の 善 惡を肚 し 

た から、 時の 

人 は r 惡左大 

E I と 云った 



一 五六 

へ, .R: 他 ^記録に 暗から す。 文才 世に 知れ、 諸道に 淺深を 探る。 朝家の ^お、 00 の 器 な 

lsr.a5-〕 通」 し, 3.;- そし 

り。 されば 御 兄の 法 性 寺 殿の 詩歌に 巧に て、 御手 跡の 美しく おはします をば、 貶り 申させ 給 ひ 

て、 「詩歌 は 閑 中 Q ^ なり、 朝家の 耍事 にあら す。 、手跡 は 一 旦の 興な り、 K は必チ しも これ 

を 好む ベから す」 とて、 我が身 は 宗と全 經を擧 び、 信 西を師 として、 鎭 に舉 i に つて、 仁 

義, 1 智信を F- し くし 、賞罰 勳功を 分ち、 政務 をき りと ほしに して、 上下の 善 惡を礼 さ れ ければ、 

時の 人 惡左大 ほと ぞ巾 しける。 

S 〇 宇治 左大 E 宇治に 住んで ゐ たからで ある。 〇禪閣 S1 白の 父 を 太 ra- と 云 ひ、 太閤の 佛 門に 入つ 

たの を 禪閤と 云 ふ。 〇 公達 諸 王、 及び 攝政關 .H になる 家の 子 ぬ& 〇 人 がら 人品。 〇 左右に 

及ばぬ 云 ふ 迄 もな く 膨れて ゐる。 〇 和漢 口 本、 支那の 學問。 Q 自他の 記錄 口 本と 支那の 記 

錄 文書。 〇 諸道 法律と か、 音樂 とかいろ くの 造。 〇 朝家 朝廷。 〇 描:. i 攝政 のこと。 

〇 器量 物の^に 堪 へるべき 才能。 〇 手跡 書 を 書く こと。 つ i2 中 Slsg 暇の 昨の 遊び。 〇宗 

と 主として。 〇!rs 少納ー 百 藤 原 通 逢 3 こと 。文章に 勝れた 人。 〇 仝經 經書 3 入 >f: 部" 四書 • 五 

經* 周 鱧 • 錢艚 *爾 骓 ill ザで ある。 〇 きリ とほし てきば き: 拳 をき める。 〇惡 左大臣 恐ろしい 

. 左大臣の 意。 

@ 宇ュ 山の 左大臣 賴 長と 申す は、 知 足 院禪間 殿下 忠實 公の 二 男で あらせられる。 忠赏 公の 御子 息の 中で、 

特に 可愛がって おいでになった。 人品の 勝れて いられて ゐる こと は 申す まで もな く、 その上 口 本 及び 

支那の 學 問が 人よ リも 膨れ、 國家の禮式^^^節をょく取リ調べられ、 日本 • 支那の 記錄 文書に よく、,^ じ 

て ゐられ る。 文章の 才 は卅: 間に 知られ、 その他 法律 音樂と 云った やうな 道々 に 就いて 深く 究めて おい 

でになる。 それで、 朝廷の 重要な 臣 であ リ、 攝政關 白に なられるべき 才能で ある。 それ だから、 御 兄 



9 ^^の 人 

はか やうに 恐 

れ たけれ ど 

も、 の 御 

性質 はやさし 

かった。 父の 

^下 も 大切の 

人に 忍し 召 

し、 久安六 年 

氏の 長者と 

し、 同 七 年に 

は內 3:^9 宜旨 



の 法 性 寺 殿が 詩 や 和 欲に すぐれて、 書の 立派で あらせられ るの を-貶されて 「詩耿 は m 人の 逸び ごとで 

ある。 國 家の 大切な 事で はない。 書 は 一時の 慰みで ある、 ^ほ は 必ずしも 好むべき もので はない」 と 

て、 御- = 分 は 主として、 四書、 五經 等の!^ 書を學 び、 信 .3 を^と して、 常に ss-li: をして、 仁義 S1 智信 

の 五常 を 正しく 守リ、 赏罸動 功 を 明かに し、 政治 上の 事, お をて きばき と sji された から、 常時の 人 は 

「惡 左大臣」 と 申した。 

おんこ-! ろむ ナ と 

^人 かやう に 恐れ 奉りし かど も、 眞實の 御 心 向 は 極めてうる はしく おはしまして、 あやしの や" 

牛 飼 なれ ども、 御 勘. E^《f 時、 道理 を 立て 申せば、 粗々 と 聞 召して、 罪なければ 御 後 梅 

ありき。 又 禁中 陣頭に て、 公事 を 行 はせ 給 ふ 時、 外^ • 官史等 諫めさせ 給 ふに、 あやまたぬ. 

第 を辨へ 中せば、 我が i 事と 思 召す 時 は、 忽に 折れさ か 給 ひて、 御た- i を 遊ばして t4 等に 賜 

ぶ 恐 をな して 賜 はらざる 時 は、 「我が 好く 思 召す 忘狀 なり、 た^ 賜 はり 候へ。 一の 上の 二: ゎ狀 

を 以下の 臣下 取傳 ふる 13$.、 家の 面目に あらす ゃヒと 仰せられければ、 S まって 賜 はりけ ると か 

や。 誠に 是非 明察に、 善惡 無二に おはします 故な り。 世 もこれ を もてた し 奉り、 禪定^ ドも大 

切の 人に 思 ガ:! しけり。 久安六 年 九月. 二十 六 曰、 氏の 長者に 補し、 1:1:じき七ハ牛:.^:=:十0.1:|;^の宜 

旨 蒙らせ 給 ふ。 r 攝政關 白 を さしおいて、 三 公 内 斃の宣 s、 是れぞ 初めなる」 と、 人 々傾き 巾 さ 

【き sy;! 〔& ft J 

れ けれども、 ハ义の 殿下の 御 計 ひの 上 は、 君 も あながちに 仰せら る-^ 仔細 もな し。 此の 大は とて 

も、 必す しも 世 を^ろ し 召す まじき にもなければ、 諸 ぼ もこれ を 許し 給 ひけり。 

6 〇 御 心 向 御 氣質。 〇 うる はしく しく 情, ぼい。 〇 怪しの 賤 しい。 合 人 «政*大£な 

どの 召し使 ひ 人。 〇 御勘赏 お叱り。 〇 陣頭 大£* 公卿が 禁中に 出仕して 列座す る 所。 〇 外 

1 ^ ヒ 

新 院御謀 一;^ の 事 、一?. 



一 五八 

記. -官史 何れも 太 政 官の役 入で、 記錄を 掌る 役人。 〇 僻事 まちがった 事。 〇 怠狀 謝罪 狀。 

〇 恐 をな して 恐縮して。 〇 好く 思 召す よく 考 へて。 〇4g はり 候へ K いてお け。 〇一 の 上 

左大臣の こと。 〇 面目 名譽。 〇 是非 明察 善惡を 明らかに 判じる。 〇 善惡 無二 善 を 善と 

し、 惡を惡 とし、 公平な こと。 〇 大切の 人 大事に 思 ふ 人。 〇 久安 近衞 帝の 年號。 〇 氏の 長 

者 一 族の 中、 最も 位の 高い 者が 補せられ る。 賴長 以前 は、 宣下 を 待たず、 攝關 になれば、 氏の 長者 

になる 例であった のに、 このたび、 攝關 でもた ぃ賴 -Ji!^ が 氏の 長者に なった ので、 特例で 宣下が あつ た 

ので ある。 〇 內 覽の宣 a 曰 內覽と は、 太政官 並に 殿上から 奏上す る 文書 を; 大覽に 供へ る 前に、 內 n 儿 

する 役。 宣 示と は 勦 旨と 云 ふに 同じ い。 こ >- は 政治 上の 文書 を內覽 して、 意見 を 奏上せ よとの 勅 ほ を 

蒙った こと。 〇 三 公 太 政 大臣と 左右 大臣 をい ふ。 〇 あながちに 無理に。 

@ 人々 はこの やうに 恐れ 奉った けれども、 本 富の 御 氣質は 極めて 優しく、 情深く ましまして、 賤 しい 舍 

入 や 牛 飼で あつ て も、 お叱り を 蒙った 時に、 正しい 筋道 のこと を 申し 上る と、 委しく お聞きに な つ 

て、 罪がない と、 その 罪した こと を 御 後悔に なった。 又、 禁中の 大臣。 公卿の 列座す る 所で、 政治 を 

お 行 ひに なられる 時、 外 記 ゃ官史 等に 過ちが あってお 諫めに なられた 時、 彼等が 過ちで な い 譯を辨 明 

すると、 自分の 間違 だと 思 召す 時 は 直ぐ さま 我を折られて、 謝罪 狀 を 寄 かれて、 彼等に 賜 ふ。 彼等 

が 恐縮して 賜 はらない 時には 「わしが 心から 思 ふ 詫び 狀 である 默 つて 頂いて ild きなさい。 左大臣の 詫 

び狀を それよ リ 下の 位の 臣が 取って 子孫に 傳 へる こと は、 汝 等の 家の 名譽 ではな いか」 と 仰せられた 

から、 畏れ 入って 頂戴した とか 云 ふこと である。 これ はまこと に 正 不正 を 明かに 判じ、 善 を 善と し、 

惡を惡 として 公平に おはします からで ある。 世間の 人 もこの 点を稱 讚し 窣 り、 父の 禪定 殿下 も 大切.? 

人に おぬ 召した。 久安六 年 九月 二十 六日に 氏の 長者に 補せられ、 同じ 七 年/^、 月 十 口に、 政 .ie 上の 文書 を 

天覽に 供へ る 前 -.! 賴長 が内覽 す る 役 ? 勅旨 を 蒙られ た。 「攝政 關白を さ しのけ て、 大臣が 內覽 になつ 



9 兄の 法 性 

寺 殿 は關. m の 

名 だけで ある 

から、 愤られ 

て 辭表を 

された この 

兄弟 は 始めは 

體俵 深かった 

が、 後に は 御 

中が 惡 るくな 

られ た。 賴長 

は 新 院の重 仁 

親王 を 位に 即 

け牵 つて 天下 

を 自分の 儘に 

しょうと 思 ひ 

立って、 常に 

新院へ 參リ、 

新院 もこの 大 

E を? if く 信任 

して 御 相談が 

あった。 



たつよ この 镇 長が 始めで ある」 と、 人々 は 首 を 傾けて、 ど うだらう 力と =J?^ 難した. 2 父の 力せ 計 

らひ になった 以上 は、 天子 も 無理に それ はいかぬ と 仰せられる わけ もない。 この 親お とても、 必ずし 

も; 大 下の 政治 を とらぬ とい ふわけ でもない から、 諸臣 もこれ を 許された。 

寺 殿 は、 た^ 關 白の 御名ば かりにて、 よその 事の 如く、 天下の f におき て、 いろはせ 給 ふ 

事 もなかり しかば、 殊に 御 憤 深くて、 「當今 位に 卽 かせ 給 ひて、 世淳 素に 歸る ベく は、 關门の 

辭表 納まる か、 又 rsz^* 氏の 長者, 關 白に 附 けらる \ か、 兩様 共、 に: 大裁 にあり o」 と、 頻に巾 させ 

給 ひけり。 此の i. 站殿 は、 萬づ なだらかに おはし ませば、 人 褒め 用 ひ 奉れり。 

翳 殿と 臣 殿と は、 御兄^ 上、 父子の 御 契約に て、 ,深く おはし まし けれども、 0!- 

は 御中 惡 しく ぞ 聞え し。 されば お 大臣 殿、 思 召しけ る は、 一 ノ 院隱れ させ 給 ひぬ。 今 新院。 一 

宮重仁 親王 を 位に 卽け 奉って、 1KP- を 我が儘に 取り 行 はば やと、 ひ 立ち 給 ひければ、 常に f 

院へ參 り、 御 ありければ、 も 此の 大臣 を 深く 御 憑めって、 仰せ 合 は せらる- $懇 な 



I 



〇 關 白よ 御名ば かリ 關白 は元來 氏の 長者で も ぁリ、 內覽 でもあった のに、 忠.^はぉの魁-4^にこのニ 



つ を 奪 はれた からで ある。 〇 よその 事 無關 係な こと。 

の 夭 子、 こ. -は 後白河 帝。 〇 淳素 . ^情の 質朴。 00. 

通が 辭表を 提出した ので あらう。 CH< 裁 夭,: $1 の 御 裁き。 

中に 宿って 守護す る こと。 〇 仰せ 合 はせ 御 相談され る * 

法 性 寺 殿 はた 關 白と いふ 御名ば かりで、 無關 保の やうに、 



〇 いろはせ 關保 する。 〇 お 今 (W- 盯 

再びなる。 〇關 白の 辭 ^1- 納 るか 忠 

なだらか おだやか。 〇沾. ぬ 禁 



隱 

新- 院御 謀反の 事 



天下の 事は關 体- *」; 

1 五 九 



る^^-もな 力 つ た 



i 或 夜、 新 

院が 左大臣に 

位 を 四の {DC に 

越えられて、 

父子 共に 憂に 

! 1- んでゐ る。 

然れ ども 故院 

の 世に まし 

くた II は 沈 

默 して ゐ たが 

登 の 後は自 

分が 天下 を 奪 

ふこと に 何の 



それで 今、 崇德院 の 第一 皇子の 塞 仁 

"の だと 思 ひ 立ち 給うた から、 何 も 

一 深く 御信賴 になって、 細かな ことの 



一 六 〇 

ら、 殊に 御 立腹が 深くて、 「今上陛下が 位に ぉ即 きに たって、 今までと 變 つて 世の中の 風: 質朴に t が 

するならば、 私の 差し出した 關 白の 辭表 をお 取 リ 上げになる か、 或は 义 これまで 賴!; if の 戴 い て &る氏 

の 長者と 內覽の 職と を 私に 附 けられる か、 何れに すべき か 陛下の 御 裁斷で 決せられます」 と 度 も c- 

された。 こ の 關白忠 通 公 は 萬 事 おだやかに おはしました から、 世の 人 は 皆 褒め 申した。 

關白 殿と 左大臣 殿と は 御兄弟で ある 上に、 賴長 は忠 通の 義子と ひるべき 御 約束 も ある 間柄 であるか 

ら、 If 素 l^i- く 鱧燒を 守って おいでになった が、 後に は 御中が 惡く なった とい ふ 評判で あ つた。 それ 

で、 左大臣 殿が ぉ考へ になる に は、 鳥 羽 法皇 は 崩御に なられた- 

親王 を 位に 即け 奉って、 天下 を 自分の 思 ふま、 に;^ リ行 ひた い 

新院の 御所へ 參 つて、 御宿 直される ので、 崇德 上皇 もこの 大臣 

御 相談が あった。 

「崇ぎ 〔頓長〕 

或 夜 院、 左大 Id 殿に 仰せられ ける は、 「抑 も 昔 を 以て 今 を 思 ふ 、 天 智は舒 明の 太子な り。 

孝德 天皇の 皇子、 其の 數 おはしし かど も、 位に 卽き給 ひき,^ 仁 明 は 嵯峨の 皇子、 淳相 天皇の 御子 

達 を さしおいて、 祐を踐 み 給 ひき。 花 山 は 一條に 先 だち- 三 條は後 米 雀に 進み 給 ひき。 お g;:; 

れ 多し J 我が身 德 行なし と雖 も、 十 善の 餘薰 にこた へて、 〔4 が」 の 太子と 生れ、 世 なりと 雖 

も、 萬 乘の寳 位 を 忝く す。 上皇の 尊號に 連なるべく は、 重 仁 こそ 人数に 入るべき 處こ、 文 こも 

〔後白河〕 153 1 

あらす 武 にも あらぬ 四" 宮に位 を 越えられて、 父子と もに 薆に 沈む。 然 りと 雖も、 故院 おまし 

ましつ る 程 は、 力なく 二 年の 春秋 を 送れり。 今舊院 返の 後 は、 我れ 天 下 を 奪 はん 事、 何の 1^ 

か あるべき。 定めて 神慮に も 叶 ひ、 人望に もせ かじ もの を 」 と 仰せられければ、 i5l」 元より 此 



憚リが あら 

ラ。 と 仰せら 

れ たから、 左 

大臣 はこの 君 

が 代 を 取らせ 

拾うたならば 

C 分 は 攝教は 

疑 ひたいと 

つて、 新院の 

御 企 をお 勸め 

した e 



i 新院 のこ 



の 君、 忙を 取らせ 給 は i -、 我が身 に 於て は 疑な しと 悅ん で、 「尤も 思 召し 立つ ところ、 然 

るべ しにと ぞ、 勸め 中され ける。 

S 〇 先縱 先例。 〇 十 善 不 殺生 • 不偷盜 ,不 邪淫 *不 妄語 • 不兩舌 ,不.1^^ 口。 不綺語 *不 食欲 *不赋*^^, 不 邪 

0- の 十の 善行。 この 善行 をな す 者 は 天子に 生れる と 云 ふ。 故に 天子の こと。 〇 餘簾 前 IJl に 十 の 

德を 修めた 功 德の報 ひ。 〇1 ベ 薄 人情 2 輕 薄な こと。 〇 萬 乘の齊 位 天子の 位。 〇 人数に 入る 

人な みく に 天子の 位を嗣 ぐ。 〇 文に も 云々 文に も武 にも 通達し ない。 〇 春秋 年月。 〇 登 

遐 崩御。 〇 惊リ 遠慮 _リ 

B 或 夜 新院が 左大臣 殿に 仰せられ たに は 「抑、 先例 を考へ て 見る に、 天^ 帝 は 明帝ハ 太子で ある。 孝 

德 帝の 皇子 は、 数多お はしました が、 天お 帝が 位に 即 かれた。 又、 仁^ 帝 は峻峨 帝の な 子で、 淳和帝 

の 皇子 達 を さしおいて 帝位 を嗣 がれた。 花 山 帝 は 一 條 帝に 先 だち、 三ー倐^は後朱^帝ょリ先に帝^^に 

上られた。 かう いふ 先例 は 多い。 わが 身 は德行 はない が、 前^の 十 善 を 修めた 功徳と して、 帝の 太 

子と して 生れ、 末世で 人情が 輕薄 だと 云っても、 恭くも天子の位に即ぃたゎが身が上^?!と ぃふは號を 

奉られて 隱居 する 以上 は、 皇子の 重 仁 こそ 人な みく に 天 子の 位を嗣 ぐべき 答で あるの-、 文にも^^ 

ぜず、 武の 道に も 達しな い 四の 宫に位 を 越えられて、 父子 共に 憂に 沈ん e ゐる。 けれども、 故 院の世 

にお はしました 間 は、 しかたなく 默 つて 二 年の 年月 を 送った。 今、 鳥 羽 が 崩御され た 後 は、 自分が 

天下 を 奪 ふの は 何の 遠慮が あらう ぞ。 必ず 祌の思 召しに も 叶 ひ、 H< 下の 人々 の 希望に も^くまい」 と 

仰せられ たから 賴長は 元よ リ この 崇德院 が 再び H< 位に 即き 給うたならば、 a 分 は 無論^ 政關 ,u となる 

こと は 疑な いと 悅んで 「いかにも 思 召— 立 たれる こと は 當然で ございま せう」 とお 勸め. S- した。 

il 此の 御 企な りければ、 鳥 羽の 田 中 殿 を 出で させ 給 ふべき 山 を 仰せられけ るに、 何と 開 さ 分 



】,M 院御 謀反の 事 



1 六 



六 二 



の 御 企が 卅: 間 

に える と、 

京 中の 者 は資 

^5雜具を運び 

隱す。 そして 

鳥羽院 ジン 崩御 

の 後 僅かに 十 

0U. の屮 に、 

か >- る 御 企の 

あるの を 人々 

は 歎き 合つ 

た 



けたる 事 はな けれど」〕、 「いかさま、 事の 出で 来たるべき に r そ」 とて、 京 中の 贵賤 上下、 资 

財 *雜 具 を 東西へ 運び 隱す。 家々 に は 門戶を 閉ぢ、 人々 は 兵 4、 を藥 めければ、 「こ は 如 :!' に C 

と 「崇 «s - ? う. 、う 

縱ひ新 院國を 奪 はせ 給 ふと も、 仙 院晏駕 の 後 • 僅に 十 筒 曰の 中に、 此の-御 企、 宗廟り 御 計 ひも 

はかり 難く、 凡慮の 推す ところ 然るべ からす; 此の程 は、 雲の上に は 3 生の 位靜 に- 境の ゲに は:: 议 

虱も牧 まりた る 御代に、 斯く 切って 續 いだる 様に、 騷 がしく 亂る \ 事の 悲し さよ- ヒと、 人々 歎 

き あへ り。 (卷 一) 

〇 鳥 羽の 田 中 殿 この 御殿が 狭い から、 白 河の 御所に ぉ移リ になった ので ある。 〇 何と 聞き分けた 

る 云々 これと たしかに 聞き込んだ 事 はない が。 〇 いかさま 成る ほど。 〇 兵 具 武器、!^。 

〇 仙院 仙 洞に 同じ。 しかし こ 》 は 鳥 羽 法皇 を さす。 〇 晏駕 崩御。 〇 宗廟 伊勢 大祌 せ! I。 〇 

«£ 慮 凡人の 老 .0 〇 推す 所 推量す る。 C 雲の上に は 云々 雲の上 は 天上で あるが、 宮中 を さ 

し、 星の 位 は 星の 位置で あるが、 大臣 を さす 。宮中の^ 穩な 意。 〇 境の 中 國內 こ., JO 〇 切つ 

て績 いだる 事件の 突然に 起る こと。 

新院 はかう いふ 御 計 劃であった から、 鳥 羽の 田 中 殿 をお 出で ましに ならう と 思 ふと 云 ふ 事 を 仰せられ 

たと ころ、 これと 確かに 聞き込んだ 事に な いが、 「なるほど、 何事 か 始まる に 違 ひな い」 と 云 つて、 京 

中の 貸い 身分の 者 も賤し い 者 も、 家財 や ぃろくの道具を;5-西へ^^び隱した。 どの 家 も 門 を 閉ぢ、 人 

々は 武器、 甲胄 を 集めた から 「これ は 何と 云 ふ こと だ。 たと ひ、 新 院が國 を 奪 はれる に しても、 鳥 羽 

院の 崩御の 後 十日 鯉つ か經 たない 中に、 かう した 御 謀叛 を 起される の は、 伊勢大神宮の 天照大神の 御 

思 召し もどう であらう、 神で はない、 凡人の 考へ でもよ ろしくな いと 思 はれる。 近顷は 宫 中 も If Q 

で、 國內に は 波風 も 立たぬ 平和な 御代に、 かう して 突然に 驟 がしく、 ^れる こと は 悲しい こと だ」 と 



9 源 判 { !:: J 爲 

義は、 內裹の 

召に も應ぜ 

ず、 上皇の 召 

に も .15 じな い 

でゐ たが、 あ 

ま り 上皇 から 

度々 召される 

ので、 參 るべ 

き 由 を 申しな 

がら まだ 參ら 

なかった。 依 

つて、 敎 長が 

義の 六倏堀 

川の 家に 行つ 

て院 の 趣 を 

傳へ ると、 忽 

ち變改 して、 

a 分 は 老齢で 

も ぁリ、 if 爭 

は^^^^手を下 



世の 人々., 歡 いた- 



三、 新 院爲義 を 召さる、 事 

其の ころ 六 條.' 判官 爲義と 巾す は • 六 孫 王より 六 代の 後胤、 § 入 近 頓義が 孫、 八幡 太郞 1?^ 

〔後白河 J 0^^^ 

家が 四 男な り。 內 裏より 召され けれども、 いかが 思 ひけん、 參ぜ ざり しかば、 まして 上,: :!- の 召 

にも 從は すして ありし が、 あまりに. HI 河 殿より 度々 召されければ、 參 るべき. E.E- しながら、 未 

だ參ら す。 依って 敎長 卿六條 堀川 Q 家に 行き 向って、 院宣の 趣を宣 ひければ、 忽 に變改 して 巾 

9S ことわ n- 

しける は、 r 爲義、 義 家が 跡を繼 いで、 朝家の 御 守に て 候へば、 心に く km 心 バ:: さる、 は 现 

にて 侍れ ども、 我れ と 手 を 下した る合戰 いまだ 仕らす。 但し 十四の 年、 叔父 美 濃, 前 司^ 綱が 

謀反 を 起し、 近江ノ 1; 甲賀 山に 立籠り 候 ひし を、 承って 發 向し 侍りし かば、 子ども はせ. S 害 

し、 ii? ども は 落ち 失せて、 義綱は 出家 仕りし を 搦め進 じ 候 ひき。 又 十八 歳の 時、 南都の 大衆 

朗家を 恨み 奉る 事 ありて、 都へ 攻め上る 由 聞え しかば, n 能 向って 防げ J と 仰せ 下さる kir 

俄 事に て 侍る 上、 折節 無勢に て、 僅に 十七 騎 にて 粟 枘 山に 馳せ 向って、 數萬騎 の 大衆 を 追 返し 

ぐしん じ や しつ 

候 ひき。 其の後 は 自然の 事 出で 來 たる 時 も、 冠者 ばら を さし 遺して 鎖め 候 ひき。 これ は 1;^ が 高 

名に あらす。 されば 合 戰の道 無 調練なる 上、 齢 七 句に 及び 候 ふ 問、 物の-川 にも 立ち 難く ふ。 

依って 此の程、 內 裏より 頻に 召され 候 ひつれ ども、 所勞の 出. 偽り 巾して 參ぜ す。 すべて 今度 

の大將 軍、 痛み 存 する 仔細 多く 侍り。 聊か 宿願の 事 ありて、 八幡に 參猫 仕りて 候 ふに, さとし 

新 院爲義 を 召さる 、事 一 クー 一一 



1 六 Et 



した ことが な 

いその 上 最近 

不吉た 夢, を 

た からと 辭返 

した, - 



つき. A 卞 げんた ゥぶ? ぬ s も だパ 

侍りき。 叉 過ぐ る 夜の 夢に、 重代 相傳 仕って 候 ふ 月 數* 日 數* 源 太が 產衣 • 八 龍 *澤^?-* 薄 金 

ik* 膝 丸と 申して、 八領 鎖 候 ふが、 辻 既に 吹かれて、 四方へ 散る と 見て 侍る 間、 かたん、 懌 

り 存じ 候 ふ。 枉げて 今度の 大將 をば、 餘 人に 仰せ 附 けられ 候へ」 とぞ 中され ける。 

6 六條 判官 京の 六倏に 住んで ゐて 検非違使の 尉であった から。 〇 六 孫 王 源經 基の こと。 洁和 帝の 

第 六の 皇子、 貞純 親王の 子で あるから 世に 六 孫 王と 云 ふ。 〇 伊豫 入道 伊豫 守で 佛 門に 入った から 

云々。 〇 八幡 太郞 義家は 男 山の 八幡 9 祠 前で 元服した から 云 ふ。 〇 義 家の 四 另 S 義は 赏は義 

家の 長子 義 親の 子で あるが、 義 家が 養って 子と したので ある。 〇 院宣 上皇り 仰 せ。 〇 變改 

心 變リ。 〇 心 一」 く >t 賴 もしく。 〇 我と 手 を 下す 直接に した。 〇 前 司 前 の國 司。 〇 郎等 

家來。 〇 南都の 大衆 奈 良の 僧兵。 〇 俄: 拳 突然の 事 o〇 無勢 仲 間 の少 いこと。 〇 栗栖山 

山城の 久世郡 一.! ある。 〇 自然の 事 巳む を 得ず、 兵 を用ゐ ねばならぬ 事。 〇 冠者 ばら 元肶 したて 

の 若者。 ばら、 は 複数 を 示す 接尾語。 〇 無 調練 物事に 惯れ ない。 〇 七 旬 七十。 1©義 はこの 時 

六十 一 歳。 〇 物の 用 物の 役。 〇 所勞 病氣。 〇 痛み存 ずる ひどく 氣が、 リ。 〇 招 顧 年 

頃の 願望。 〇 八幡 男 山の 八幡 宫。 〇 參籠 祈念の ために 祌 社佛閣 などに 數 日数 夜 籠って 祈る こ 

と。 〇 さとし 祌の 御告げ。 〇 重代 相傳 代々 その 家に 傳へ來 た。 〇 月^ • E 數云々 源 家相 傳 

の 鎧の 名。 〇 辻 風 つむじ a。 〇 かたがた あれ や これ。 〇 枉げて 無理に も" 〇 餘人 他 

の 人 e . 

@ その 當時、 六條 判官 爲義と 申す 者が あつたが、 彼 は源經 基から 六 代 目の 子孫の 伊豫 入道 賴義の 孫で、 

八幡 太郞義 家み 四 男で ある。 後白河 帝から 召された けれども、 ど. つ 思った もの か、 參ら なか つた か 

ら、 まして 崇德 上皇の 召に も從 はな いで ゐ たが、 あま リに白 河 殿から 度々 召された ので、 參リ ますと 

いふ こと を 申しながら、 まだ 參ら ない。 それで、 藤 原;^ 長が 六^ 堀 河の Is 義の家 一」 行って、 上皇の 仰 



9 敎長 がい 

ろ- に說き 

す、 める の 

で、 は 義は內 



せの 趣 を 申した ところが、 前に は參 ると 云 つ た の を 忽ち 心變 りして 申した に は 「私 は、 義 家の 跡 を il 

いで、 朝廷の 御 守護であります から、 崇德院 が 私を賴 もしく 思 召される の は 無理 もな ぃ^^-ではぁリま 

すが、 しかし 私 はこれ まで 自分で 直接 合戰 した こと はぁリ ません。 尤も、 十四の 年に、 叔父の^ IS の 

前司義 綱が 謀叛 を 起して、 近江國 の甲賀 山に たて 籠リ ましたの を、 勅命 を 承って、 征伐に 向 ひました 

ところが、 義 親の 子供 は 皆 自殺し、 家來 ども は 皆 逃げて しまって、 義辆は 出家し ましたが、 それ を 縛 

つて まゐ りました。 又、 十八 歳の 時に、 奈 良の 僧兵が 朝廷 を 恨み 奉る 事が あって、 都へ 攻め上る とい 

ふこと が 世間に 培され まし た から 『行 つ て 防げ よ」 と 仰せ 下さ れ ましたので、 突然の 事で は あるし、 そ 

の 上、 ちょうど 仲間が 少なくて、 僅か 十七 騎で 山城の 栗粞 山に 馳せ 向って、 数 騎の 大衆 を 迫; :5 しまし 

た。 その後 は 、巳む を 得ず 兵 を用ゐ ねばならぬ ことが 出 來た時 も、 冠者 ばら を さし 遣して 騷動 を靜め 

ました。 これ は 爲義の 手柄ではありません。 それで、 私 は 合戰の *3 は 不馴れで ある 上、 歳が もう 七十 

にたら ゥ として をり ますから、 何の 役に も 立ちに くう ございます。 さう 云 ふわけ で、 先 建、 禁中から 

頻リに 召されました けれども、 病氣 だと 偽リ 申して 參 りませんでした。 總 じて 今度の 大將 5^ は;^ にな 

る わけが 澤 山あります。 ちょっと 願 を かける 事が ぁリ まして、 八幡に 龍り ましたと ころが、 祌 からお 

誠し めが ありました。 又 先夜の 夢に、 代々 源 家に 相傳 へました 月 數* 口数 *源 太が 產衣 • 八 瓶 •, 潘; 

〈ル -,捃 無 • 膝 丸と 申して 八領の 鎧が ございま すが、 それが つむじ 風に 吹かれて、 TO: 方へ 散る と!:^ ました 

から、 あれ や これ やにつ けて 遠慮いた されます。 どうか 無理に も 今度の 大將を 他 2* に 命 じて 下さ 

い」 と 申された。 



敎長 重ねて 宣 ひける は、 「—如 夢, 幻 I 泡 2^は、 金剛 般若の 名文 なれば、 夢 はは かなき ことなり。 共 

の 上 武將の 身と して、 夢見 • 物 忌な ど あまりに 脆め たり。 披露に 就いても あり、 (.!^でか參ら 

れ ざらん ヒと 申されければ、 「さ 候 はば 爲義が 子どもの 中には、 義朝 こそ 坂 東 育ちの 者に て、 

新お 爲義を 召さる >- 事 1 六 五 



六 六 



裏へ 召された 

義朝を 除く 

他、 爲朝 はじ 

め 六 人の子 供 

を 相 具して 白 

河 殿へ 參っ 

た。 上皇 は 御 

感の 餘リ、 伊 

庭 莊と靑 柳の 

莊を 賜って 判 

官 代に 補し、 

又 鵜の 丸と 云 

御劍を 下さ 

れた e 



合戰に 調練 仕り、 其の 道 しく 候 ふ 上、 屬き從 ふ 處の兵 ども、 皆 然るべき 者 どもに て 候 へ ど 

も、 それ は內 裏へ 召されて 參り候 ふ。 其の 外の 奴 ばら は 勢な ども 候 はぬ 上、 大將 など &せ 附オ 

ら るべき 者と も 覺ぇ候 はチ。 但し 八 郞爲朝 冠者 こそ、 力 も 人に 踪れ、 弓 も 普通に 越えて、 餘 り 

に 不用に 候 ひし かば、 幼少より 西 S の 方へ 追 ひ 下して 候 ふが、 此の程 罷 上りて 候 ふ。 これ を 召 

されて、 軍の 樣をも 仰せ 下され 候へ ピと 申されけ る を、 「其の 樣を も參 じて こそ 中し 上げら る 

ベ けれ。 居ながら 院宣の 御 返事 は 如何 あらん、 然るべ からす。」 と 宣 ひければ、 「誠に 其の 儀 あ 

りヒ とて、 打 立ちければ、 四 郞左衛 門 頼 賢、 五郞 掃部ノ 助賴 仲、 賀茂ノ 六郞 爲宗、 七郞爲 成、 

鎭西 八郞爲 朝、 源 九 郞爲仲 以下、 六 人の子 ども 相 具して、 白 河 殿へ ぞ參 りけ る。 新 院御感 の 飴 

りに、 近.;!.' 1: 伊庭,' 莊、 美 濃 國靑柳 ノ莊- 二 證所を 賜 はって、 卽ち t^Tfe-, して、!.: 11^ チ I 

に 候すべき 由、 能登ノ 守 家長して 仰せられ、 鹈 丸と いふ 御 劍をぞ 下されけ る。 (卷 二) 

B 〇 如 夢幻 泡 is- 夢 • 幻 *泡* 影 何れも はかない ことの 譬。 〇 金剛 般若 金剛お S と 般若 〇 はかな 

き 信じ 難い。 〇 物 忌 もと 神佛を 祭る 時、 齋戚 沐浴して、 その 身 を 忌み 淸 める こと を 云 ふの が 本 

義 であるが、 轉 じて、 その 年の 星の まはリ などに 依って、 j 日 或は 數:! r、 その 身 を 謹慎して、 家に 籠 

つて ゐる にもい ふ。 こ \ は轉義 の 方。 〇 臆め 佈れ る。 〇 披露 云 ひふら す 。こ、 は 上皇へ 申し 

あげる。 〇 坂 東 信 濃 上野の 堺の 碓氷岭 から 東南 を 云 ふ。 〇 其の 道 合戰 9 道。 〇 然るべき 者 相 

當の 者。 〇 内裏 宮中。 天皇 方。 〇 勢 軍勢。 部下の 兵。 〇 不用 こ V は 物事に 無頓 清で 無考 

への 行爲 をす る 意。 〇 西國 九州。 〇 軍の 樣 戰の 方法。 〇 其の樣 さう いふ 事。 〇 如何 あ 

らん どうで あらう 。考 へ もの だ。 〇 その 儀ぁリ 仰せられる 通リ。 C 莊 貴 顯* 寺院 等の 私領 



地。 O 判官 代 院 中の 事務 を總 管す る 職。 〇 上 北面 北面 は 上皇の 院 中を^- する 武士。 上 は;^ 

位下 は 六 位。 

敎 IT か^ねて 中され たに は、 「夢幻 泡-叙の 如しと 云って 物事の はかない ことに Si! へて ある。 この 首 葉 

は、 金剛 經ゃ 般若 經 にある 有名な 文句で、 實に夢 は 信じが たい ものです。 その上、 武將の 身と して i ジ 

見 だと か、 物 忌 だと か 云 ふこと を 心配す るの は あまり 意氣 地がない。 上 に e- し 上げる にしても 巾し 

にくい。 どうして 参られな いとい ふ ことがあらう」 と 巾され たから 「それで ぁリ ましたら、 私の 子^ 

の 中に 義朝は 坂 東 育ちの 者で、 合戰 によく 馴れて をリ、 合 戰の道 も 上手で ある 上、 附き從 ふところの 

兵 ども は 皆 相 當の者 どもであります が、 それ は 後白河 帝へ 召されて 參リ ました。 そ,:: 他の 奴^ は部ド 

の 兵な ども ありませ ぬ 上、 大將 など を 仰せつ けられる ほどの. 1^ とも 思 はれません。 尤も 八郎^ 朝 は 力 

も 人に 勝れ、 弓 も 普通 以上の 强弓を ひいて、 餘 リ無鐵 砲な 行爲 をす る 者であります から、 幼い S- から 

九州の 方へ 追 ひ 下して をり ましたが、 この頃 京に 上って をり ます。 これ を 召されて、 合戰の 方:! H も 御 

命じ 下さい」 と 申された が 「その 事 も そなたが 御所に 參 つて 申し上げる のがよ ろしい。 こ、 に £g たま 

、院宣の 御 返事 をす るの はどうい ふ もので あら ラ、 よろし くないと 思 ふ」 と 仰せられ たので 「ほんと 

に 仰せられる 通りです」 と 云って、 出立した から、 賴^ ,敏 仲 *1^宗,爲 成 • ほ 朝 • ^仲^の 六 人の子^ 

が 一 緒に 付いて 白 河 殿へ 參 つた。 新 院は, 御悅 びの 餘リ、 近 江國^ 庭の 莊と类 澄阔资 柳の 莊の 二^所 を 

^戴し、 直ちに 判宫 代の 職 を 授か リ、 上 北面に する 事 を 能 登 守 藤 原 家長 をして 仰せられ、 又^ 丸と 云 

ふ 御 劍を賜 はった。 



四、 新院 御所 各鬥々 固附軍 評定の 事 



「崇 德. 一 きた どの 广ぉ か t ら 

i 新 院の御 一 新院 は、 齋院の 御所より 北 殿へ 遷らせ 給 ふ。 左府は 車に て 參り給 ふ。 .2: 河 殿より 北、 河 より 

新院 御所 各 門々 固附軍 評定の 事 1 六 4- 



SS 



六 



tl:, は 平 馬助忠 

F パ乂 子と 多 田 

藏人 賴憲、 西 

の 門 は^ 義父 

子 六 人で 固め 

たが、 ほ 朝 は 

た 1- 一人で 西 

河原 表の 門 を 

固めた。 



かすお お ほな み *• ど お もて 

東、 春 曰の 末に ありければ、 北 殿と ぞ 巾し ける。 南の 大炊ノ 御門 面に、 東西に 門 二つ あり。 東 

の 門 をば 平 馬助忠 承りて、 父子 五 人、 拉に 多田ノ 藏人大 夫 賴憲、 都合 二な 餘騎に て 固めた 

り。 西の 門 をば 六條 判官 爲義 承って、 父子 六 人して 固めたり。 其の 勢百騎 ばかりに は 過ぎ ざり 

けり。 是れ こそ 猛 勢なる べきが、 嫡子 義 朝に 附 きて、 多分 は內 裏へ 參り けり。 愛に 鎖^ 八郞爲 

朝 は, 「我れ は 親に も 連れ まじ、 兄に も 具す まじ。 高名 不覺も 紛れぬ 様に、 た^ 1 人 如何にも 

强 からん 方へ 差 向け 給へ。 縱ひ 千騎も あれ、 萬騎も あれ、 一 方 は射拂 はんするな り.」 とぞ 中し 

一平〕 

ける。 依って 西 河原 表の 門をぞ 固めけ る。 北の 春 日 表の 門 をば、 衛門 Z 大 夫家弘 承って、 子 



供 具して 固めた 

藝 



其の 勢 1C 五十 騎とぞ 聞え し。 



〇 齋院 : 御所 賀 茂の 社に 仕へ 給 ふ 齋院の 御所、 齋院は 未婚の 皇女 乂は 女王で 贺 茂の 社に 奉仕 さ れ る 

方。 〇 北 殿 西 は賀茂 川の 河原、 北 は 春 日 通、 南 は大炊 御門 通りで、 この 南 通リに 左右 二 門が あつ 

た。 〇 父子 五 人 忠正 とその 子息の 長 盛 • 忠辚 • 正^ • 通 正。 〇 猛勢 多勢に 同じい。 〇 功名 

手柄。 〇 不覺 失敗。 

6 新院は 齋院の 御所;' ら北 殿へ ぉ遷リ になった。 賴 -11^ は 車で 參られ た。 この 北! isi は、 o 河 殿から は 北、 

河原から は 東で、 春 日の 端 に あつたから 北 殿と 申した。 南の 大炊 御門に 面する 方に 束 西に 門が 二つ あ 

る。 東の 門 を 1^ 馬助忠 正が 引受けて 父子 五 人と、 並に 冬 田 藏入大 夫 賴憲等 都合 二 }E 餘 ig で 守った。 西 

の 門 は、 六條 判官 爲義が 引受けて、 父子 六 人で 守って ゐる。 その 勢 は }c: 騎 ばか リに 過ぎなかった。 

これ は 多勢の 箬 であるが、 長男の 義 朝に 從 つて 多く は 天皇 方へ 參っ た。 こ 、 に 领西八 郞爲朝 は 「自分 

は 親に も 連れられまい、 兄に も 伴 ふまい。 手柄 も 失敗 も 人と 扮れ ないやう に、 た 1^ 一人で 何虚 でも 强 

敵の 防禦 口 へ 差 向けて 下さい。 たと ひ千騎 であらう とも. 萬騎 であら ゥ とも、 私が 引受けた 1 方 は^ 



B 抑 も は 朝 

は 幼少から 不 

敵で、 傍 若 無 

人で あつたか 

ら、 父が 勘當 

して 十三の 歳 

から 九州へ 追 

ひ 下した ので 

あ るが、 CI ら 

九州の 總追捕 

使と 號 して、 

惡行バ 多 かつ 

たので、 番椎 

宫の 神人 等が 

訴 へて、 逍討 

のめ::; ほ Y 下つ, 



を 射て 追拂 ひませ う」 と 申しました。 それで、 西 河原 表の 門 を 守った 北の 春 日 表の 門 は、 左き?: 大 

夫 家弘が 引受けて、 子供 を 連れて 守った。 その 勢 は 百 五十 騎と云 ふこと であった。 

抑 も爲朝 一人と して、 殊更 大事の 門 を 固めた る 事、 武勇 天下に 許されし 故な り。 件の- 器 115! 



人に 越え、 心 飽くまで 剛 にして、 大力の 强. s^、 矢.^. の 手 利な り。 nf% のま" , 乎に 四寸 仲び 

て、 矢 束 を 引く 事 世に 越えたり。 幼少より 不敵に して、 兄に も W をお かす、 i^lw なりし か 

ば、 身に 添へ て 都に 置きな ば、 惡 しかり なんとて、 父 不興して、 十 111 の 歳より 鎮四 の 方へ 追 ひ 

ゥ と 

下す に、 豐後, 國に Hi? 住し、 尾 張- 權守家 遠 を 傅と し、 肥後ノ 國阿; tlT 平 四郞忠 „^ が 子、 三郞 

忠!: が 婿に なって、 君よりも 賜 ~ら ぬ 九!: の 總追捕 使と 號 して、 筑 紫を從 へんと しければ、 菊 

池 *原 田を始 として、 所々 に 城 を 構へ てた て 籠れば、 其の 儀なら ば、 いで 落いて 兌 せんとて、 

未だ 勢も附 かざる に、 忠 國 ばかり を案內 者と して、 十三の 歳の; 1;0: 末より、 七 五の 歲の十 :!:: ま 

で、 大事の 軍 をす る 事 二十 餘度、 城 を 落す 事 數十齒 所な り。 城を攻 むる 謀 敵 を 打つ 1 て 人に 勝れ 

て、 三年が 內に九 il.v$: 攻め 落して、 自ら 總追捕 便に 押し 成って、 惡行多 かりけ るに や、 ォ t 

宮の祌 人 等、 都に 上り 訴へ 申す ?r 去に し久 ii; 兀年十 一 :!:ー 一十 六 曰、 ケ 3 大寺ノ 巾!^,? § 

しゃう けい i- e 

卿 を 上 卿と して、 外 記に 仰せて 宣旨を 下さる。 

源 ノ爲, ゅ久 住,, 宰府; 忽,, 緖 朝憲; 咸 背,, iln; 梟惡頻 聞、 狼藉 尤弯 早 え 1:^ 進 其 身 一 依 一 宜 S, 

執 達 如. 件 云々。 

6 〇 天下に 許され 世 問から せばめられる。 〇 仵の この。 〇 器 体格。 〇 剛 くしつ かリ。 

ケ料院御所各門々间附軍:.:定の|5^- 一 六," 



1 七 〇 

〇 矢 次 早 矢を績 けて 射る ことの cf- い。 〇 手 利 達者。 手腕家。 〇 弓手 左の 手。 馬 手 右 

手。 〇 矢 束 矢の 長き こと。 〇 不敏 大膽。 〇 所 をお かず 遠慮し ない。 〇 傍若無人 人 を 

人と も 思 はぬ、 我儘 勝手。 〇 身に 添へ わが 身の 傍に 附 けて。 〇 不興 勘赏。 〇 鎮 西 九州の 

fi 稱。 〇 傅 もリ 役。 〇總 追 捕 使 迫 捕 使と は檢 非違 使の ことで、 國々 にあって 罪人 を 追 捕す ろ 

役。 こ、 は 九州 追 捕 使 を 縫 括す る 意。 〇 筑紫 九州の 古名。 〇 菊 池 • 原 田 九州の 豪族。 〇 押 

し成リ 勝手になる。 〇 勢 軍勢。 〇 香 椎宮の 神人 筑 前の 香椎宮 の祌 主。 上 卿 大 Id 乂は 

大中納 言の 内で、 除 a 除 位、 又奪官 などの 時、 その 事 を 取扱 ふ 主任の 役 を 命ぜられた 人レ 〇 去に し 

過ぎた。 〇 外 記 太 政官の 書記。 〇 宰府 筑 前の 太宰府。 〇 忽諸 n ッショ 。無視 了る。 〇 

朝 テゥ ケン。 朝廷の^ 則。 〇 翁 言 リンゲン 。動 命。 0、 梟惡 ケゥ ァク。 暴惡。 〇 狼藉 

亂暴。 〇 禁進 キン シン。 暴行 ヲ 禁じ その 身 を 描へ て 朝廷に 奉る。 〇 執 達 シック ッ。 文書 を 取 

リ次ぐ こと。 

さて 爲 朝が 一 人で、 特に 大切な 門 を 守って ゐる事 は、 1^ 朝の 武. K が 天下に 認められ てんた からで あ 

る。 この 男 は、 体格が 普通の 人に すぐれ、 心が どこまでも 强 くしつ かりして、 大力で 强ぃ r り を 引き、 

矢を續 けて 射 ことの 早い 手腕家で ある。 左手の 肘が 右手よ リ も四寸 長く 仲び て, Q て、 並 r 迎ょリ も 長 

い 矢 を 引く 事 は 世に 並ぶ 者がない。 幼少から 大膽 で、 兄に も 遠慮せ ず、 人 を 人と も はぬ 我儘 膨手者 

であった から、 わが 身の 傍に 附 けて、 都に 置いたら 惡 からう と 思って、 父が勘^?£して、 十三の?^ から 

九州の 方へ 追 ひ 下した ところ か、 登 後國に 住んで、 尾 張 權守家 遠 を守リ 役, -し、 肥!^ 國阿^ 平 四郎忠 

景の 子の 三 郞忠國 の 娘の 婿に なって、 天子から 賜 はらない 九州の 總迢捕 使と 號 して、 九州 を從へ よう 

としたから、 菊 池、 原 田 を 始めと して、 豪族 等 は 所々 に^ を 構へ て 立籠って 1^ 朝 を 防い だ。 ところ 

が、 「さう 云 ふ ことなら、 さあ 落して 見せよ- ゥ」 とま だ 自分の 味方に 軍勢 も附 かな い の に、 忠 3£ ばか リ 

を 案内 者と して、 十三 の 歳の 三月 末から 十五の 歳の 十月まで 大きな 戰を する 事 二十 餘度、 城 を 攻め 落 



9 それでも 

^朝 はや はリ 

參 しな かつ 

たので、 その 

ため、 父の Is 

義 が解官 せら 

れた それ を 

聞いて、 1^ 朝 

は 附き從 ふ 兵 

ばかり を 召し 

具して 急いで 

上京した。 そ 

れで父 も 不孝 

を 許して、 今 

t ^ぶ 大事に 召 

具した ので あ, 



す ことが^ 十 箇所で ある。 ^を 攻める ト略 や、 敵 を 討つ 方法 は 人に すぐれて、 三年の 間に 九州 を 攻め 

落して、 c 分で 總追捕 使に 勝手に 成って、 惡ぃ 行が 多かった からで あらう か、 香椎 おの 神、 王^が 都に 

上って 訴訟した から、 過ぐ る 久壽: 兀年十 一 月 二十 六日に、 德大寺 中納言 公 能 卿 を 上 卿と して 太 政 {«1 の 

書記に 命じて、 宣旨を 記して 國 司に 下された。 

源^ 朝ハ 久シク 大宰府 -I 住 ンデ、 朝廷 ノ 規則 ヲ 無視 シ、 コトゴ トク、 天子 ノ 勅命, I ソ ムキ、 暴惡ガ 

シ キリー I 世間 II 知レ 渡リ、 亂暴 ハ モット モ甚ダ シィ。 早クソ ノ身ヲ 捕へ テ 朝廷 一 1 奉レ。 天子 ノ御命 

令 一一 ョッ テ傳 ヘル ノデ アル 

然れ ども 爲朝猶 參洛せ ざり ければ、 同じき 二 年 四 CT 三日、 父爲義 を解宫 せられて、 前の 檢非逮 

使に なされけ り。 爲朝 これ を 聞いて、 「親の 化に 當り給 ふらん こそ あさまし けれ。 共の 儀なら 

ば、 我れ こそ 如何なる 罪科に も 行 はれん す」 とて、 急ぎ 上りければ、 闽 人 ども も 上:^ すべ. r..E、 

申し けれども、 「大勢に て? 能 上らん 事、 上聞 穩便 ならす ノーと て、 形の 如くに、 附き從 ふ 兵ば か 



; . あきまからへ 

り 召 具し けり。 乳母 子の 箭前 拂ノ 須藤九 郞家季 • 其の 兄 透 問數ノ 惡七^ 當* 手取ノ 與次 *::1: じ 

き 與三郞 • 三 町 % 紀平,^^^大夫*大矢ノ 新 三 郞* 越矢ノ 源 太 • 松沛ノ 二 郞* 左屮次 ,士ロ£ ノ 兵 

衛太郞 • 打手ノ 紀.. 高 ir 三 郞* 同じき 四 郞を始 として、 二十 八騎ぞ 具したり ける。 依って 

去ハキ より 在京した りし を、 父" 不孝 を赦 して、 今度の 御大 事に!^: Ir ^〈しけるな り。 

6 S 京へ 參る。 〇 解せ . せ 職 を やめさせる。 〇 あさまし あきれる。 〇 上 朝廷への 闭 

え。 〇 形の 如く 形 だけに。 〇 箭 矢拂, 隙間 數* 手 取 • 三 町 ム々 これら は 何れも あだ 名で あ 

る。 〇 不孝 勘? お。 



新院 御所 各 門々 固附 3^ 評 C ^の 事 



1 七 一 



七 二 



る0 



9 1^ 朝 は 七 

尺ば か リの男 

でヽ その 出立 

ち も 堂々 と步 

み 出た ので、 

上皇 を 始めと 

して、 あら ゆ 

る 人々 が爲朝 

を 見ようと 集 

つた a 



@ けれども、 そ れで もや は リ爲朝 京に 參ら たかった から、 同 二 年 四月 三日、 父の は義の 職 kM やめさ 

せて、 前の 検非違使に たされた。 爲朝は この 事 を 聞 いて、 一,自分のために親が3非に^!5られ給ふとはぁき 

れた事 だ。 さう いふ 事なら 自分が ど ■ な 罪と がに も 行 はれよう」 とて 急いで 上京した ので、 國人共 も 

上京し ょウと ; K ふこと を 中した が、 大勢 で 上 る こと は、 朝廷 へ の 聞え もお となし くないと 云 ふ の で 、 

形 だけに、 平生 附き從 つて ゐる 兵ば かり 連れた C C! 分の 乳母の 子の 箭矢 梯須 藤九郎 家季、 その 兄の 透 

間数の 惡七 別當、 手 取の 兵, ズ、 同じ 與 一一 ー郞、 三 町 Ij- のお 平 次 大夫、 大 矢の 新 一二郎、 越 矢 源 太、 松 浦 二 

郞、 左 中次、 吉 田の 兵衞太 郞、 打 手の 紀八、 高 間の 三郞、 同じ 四郎を 始めと して、 二十 八騎 連れて 上 

つた。 それで 去年から 京に ゐ たので あるが、 父 は 勘當を 許して、 今度の 御大 事に 召 具した ので ある。 

爲朝は 七 尺ば かりなる 男 Q、 目角 二つ 切れた るが、 .tS 地に 色々 の絲を 以て、 獅子の 丸を缝 うた 

、た. -れ JC ど 

る直垂 に、 八 龍と いふ 鎖 を 似せて、 白き 唐 緩 を 以て :! したる 大荒 目の 鎧、 同じく 獅子 Q 金物 打 

つたる を 著る ままに、 三尺 五寸 Q 太刀に 熊の 皮の 尻^ 入れ、 五 人 張の 弓、 長さ 七 尺五寸 にて^ 

. てい はん. * い 

打った るに、 三十 六 差した る黑 羽の 矢 負 ひ、 兜 をば 郎等に 持たせて 歩み 出で たる 體、 樊 喰も斯 

ご し そんし 

くやぶ- 覺 えて ゅ& しかりき。 謀 は 張 良に も 劣らす。 されば 堅陣 を 破る 事、 吳子 • 孫子が 難しと す 

る處を 得、 弓 は 養 由 を も恥ぢ ざれば、 天 を 翔る 鳥、 地 を 走る 獸、 恐れす とい ふ islf なし。 上皇 を 

始め まゐら せて、 あらゆる 人々、 音に 聞 ゆる 爲 朝見ん とて こぞり 給 ふ。 

6 〇0 角 二つ 切れた る 目尻が 二つに 切れて、 E の 角だった こと。 〇 钳地 藍の 澄い 色の 地。 〇 八 

龍と 云 ふ 云々 源 家 重 寶の八 領の趙 の 中に ある 八 龍と 云 ふ 名の 鎧に 似せて。 〇 唐较 支那から 舶来 

の较。 〇 絨し 鎧の 小 札 (コ ザネ) を 革 又は 絲 などで 緩る こと。 〇 大荒目 當 時の^の 礼の 大きさ 



8 親 長が 爲 

朝 を 召 ノて、 

合 戰の趣 を 申 

せと 仰せられ 

たので、 爲 

は つて、 こ 

れ まで 自分の 

經 験から 高 松 



. は、 大凡 そ 一 寸の 問に 四 枚で あるが、 それが 二 枚 位に 札の 幅を廣 くした もの。 多く 刚勇 C 者が 着る。 

〇 七 尺五寸 普通の 弓の 丈で ある。 爲 朝の 身長に 合せて は 弓の 丈が 短い けれと も、 これ は 弓の カを强 

くしょうと したので ある。 〇 鋭 折り 釘。 これ は 矢の はづれ ないた めに、 弓の 握リの 上に 打つ も 

の。 〇 三十 六 差した る ま I 通の 人 は 二十 四 本。 〇 樊喰 漢の高 親の 武臣。 〇?^ 由 楚の恭 王の 

將、 弓の 名人。 〇 張 M 漢の高 粗の 謀臣。 〇31^ 子 • 孫子 周 代の 兵法 { 氷。 〇 音に 間 ゆる 名高 

い。 〇 こぞり 集る。 

@ 爲朝は 七 尺ば かリの 男で、 目尻が 二 つに 切れ目の 角だった 勇猛な 額 付で あるが、 縦 色の 地に 色々 の 色 

の絲で 獅子の 形 を 丸く 縫って ある 直垂を 着て、 八 龍と 云 ふ 鎧に 似せて 作った 白 い 唐较を 以て 威した 札 

の 荒い 趙の 裾に は 獅子の 金物 を 打った の を 着て、 一二 尺 五寸の 太刀に、 ^の 皮の 尻 靴 を はめ、 五 人で 張 

ろ 程の 强 さで、 長さ は 七 尺 五寸、 握り の 上に 折れ釘 を 打った 弓に、 三十 六本 差した 黑^ の 矢 をね ひ、 

究は 家来に 持たせて、 步 いて 來る樣 子 は、 樊嗜 もこん なであった らうと 思 はれて 勇ましかった C は 朝 

の 謀 は 張 良に も 劣らな い。 それ だから、 堅固な 敲の陣 を 破る こと は、 吳子ゃ 孫子が むつ かしい とする 

こと も出來 る。 弓の 上手な こと は 養 由に もまけ ないから、 空 を 翔る c:? や、 地 を 定る獸 まで も 恐れな い 

と 云 ふ 事 はない。 上皇 を 始め 奉って 、 あらゆる 人々 が この 名高 い 爲朝を 見ようと ぉ集リ にた つた レ 

充府卽 ち、 「合 戰の趣 計 ひ 申せ ピと宣 ひ 村れば、 長って、 「爲朝 久しく 鎭 西に: 仕って、 九 

國の者 ども 從へ候 ふに ついて、 大小の 合 戰數を 知らす。 中に も 折角の 合戰 二十 餘简 度な り。 或 

がう; 5 ん 

は 敵に 圍 まれて 强陣を 破り、 或は 城 を 攻めて 敵 を 滅ぼす にも、 $: 利 を 得る 事、 夜 討に しく 事 侍 

らす。 然れば 只今 高 松 殿に 押 寄せ、 三方に 火 を 懸け、 一 方に て 支へ 候 はんに、 火 を 逝れん 者 

「後白河〕 み かた 

は、 矢 を 免る ベ からす。 矢 を 恐れん 者 は、 火を遁 るべ からす。 、干; 上の 御 方、.: J にく、 も 候 は 



新 K 御所 各 門々 同附軍 評定の 事 



I 七三 



七 四 



殿 夜 討の 策 を 

申し上げた 

が、 賴 長は以 

て の 外の 荒 儀 

だと 云って 採 

用し なかつ 

た。 爲朝は 御 

前 を-退 いて、 

不平 を 申しな 

がら も義 朝の 

夜 討を氣 遣つ 

てゐ た。 



す。 但し 兄に て 候ふ義 朝な どこ そ、 駔け出 でん すらめ。 それ も眞中 さして 射通し 候 ひな 

ん。 まして 淸 t> などが へ ろん、 矢、 何程の 事 か 候 ふべき。 鎧の 袖に て拂 ひ、 蹴 散して 扮 

てなん。 行幸 他所へ ならば、 御 免 を 蒙って, 御供の 者、 少々 射ん する 程なら ば、 定めて 駕 

ち や う 

丁 も 御輿 を 捨てて げ 去り 候 はんすらん。 其の 時 爲朝參 り 向 ひ、 行幸 を 此の 御所へ 成し 奉り、 

〔後白河〕 

君 を 御 位に 卽け まゐ らせん 事、 掌 を 返す 如くに 候 ふべ し。 主上 を迎 へま ゐ らせん 事、 爲朝矢 二 

ささ 

つ 三つ 放さん する ばかりにて、 未だ 天 の 明け ざらん 前に 勝負 を 決せん 條、 何の 疑 か 候 ふべき ピ 

rsan くわう >s 

と. 障る 所 もな く 申したり ければ、 充府 r 爲 朝が 申す 様、 以ての外の 荒 儀な り。 年の 若き が 致 

ど し いくさ わたくしごと 〔後白河〕 〔崇德〕 

す 所 か。 夜 討な どい ふ 事、 汝 等が 同士 軍 • 十騎 二十 騎の 私事 なり。 さすが 主上 • 上皇の 御國 

爭に、 源平 數を盡 して、 兩方 にあって 勝負 を 決せん に、 無下に 然るべ からす, - 其の上 南都の 衆 

徒 を 召さる i 事 あり。 興 福 寺の 信 實* 玄實 等、 吉野 • 十津 河の 指 矢 三 町 • 遠矢 八 町と いふ 者 ど 

も を 召 具して、 千餘騎 にて 參 るが、 今夜 は 宇治に 著き、 富家 殿の 見參に 入り、 腾 これへ 參 るべ 

し。 彼等 を 待ち 調へ て、 合戰 をば 致すべし。 又 明日 院 司の 公卿 殿上人 を 催さん に、 參ぜ ざらん 

者 ども をば、 死罪に 行 ふべ し。 首 を 刎ぬ る事兩 三人に 及ばば、 殘り はな どか 參ら ざるべき ピと 

仰せられければ、 爲朝 上に は 承伏 申して、 御前 を罷 立って つぶやき ける は、 「和漢 Q 先蹤、 

朝廷の 禮 節に は、 似ぬ 事 なれば、 <ic 戰の道 をば、 武士に こそ 任せるべき に、 近に も あらぬ 御 計 

ひ 如何 あらん。 義朝は 武略の 奥義 を 極めた る 者 なれば、 定めて 今夜、 寄せん とぞ 仕り 候 ふら 

ん C 明日まで も 延びば こそ、 吉野 法師 も奈良 大衆 も 入る ベ けれ、 只今 押 寄せて、 風上に 火を懸 



けたらん に は、 戰ふ とも爭 でか 利 あらん や. - 敵 勝に 乘る 程なら ば、 誰か 一 人安!2^なるべき。 n 

惜しき かな ピとぞ 申しけ る。 (卷 一) 

6 長って 謹んで。 〇 折角の 殊更に 骨 を 折った。 〇 利 勝利。 〇 心に く 》 © もし。 OHI 中 

身 體の眞 中。 〇 へろ へろ 矢 弱く 萎えて 立たない さま。 〇 行幸 他所へ {a: 本が 敗け て 他へ 移、 りれ 

る。 〇 駕輿丁 御輿 を かつぐ 者。 〇 掌 を 返す 極めて 容 3r« 〇 以ての外 棰 S て。 〇 荒 as 

その 論ずる ことが 荒々 しい。 〇 無下に 最も。 此上 もな く。 〇 指 矢 三 町 遠: K 八 町 共に あだ 名" 

〇 富家 殿 鎮 長の 父、 忠實 のこと。 〔"ほ 時 宇治に 居住した。 〇 見參 お:: :! にか >- る。 〇 彼等 ど恃ち 

揃へ て 彼等の 來 るの を 待ち、 兵士 を 揃へ て。 〇 院司 院屮 Q 事務 を 行 ふ 所。 〇 公卿 ;一; 位 以上 

及び 參議 C 〇 殿上人 g> 五 。六 位の 昇殿 を 許され てんる 人。 〇 催さん 催 する に。 上に は 

表面に は。 〇 承伏 承知して 從ふ。 〇 つぶやく 不 if を 云 ふ。 〇 先縱 先 1:。 〇 似 も 似ぬ 

,4- く 似付かぬ。 〇 道 にも あらぬ 合 戰の道 も 知らない。 〇 臭 奥の手。 

6 賴長が早ゅ^!「合戰?計劃を中せ」と仰せられた ので、 爲朝は畏れ入っ て 「こ の1^ 朝 は 久しく 九州に 住ん 

でをリ まして、 九州の 者 共 を 味方に 從 へます につ いて、 大小の 4 ロ戰 を. ぼ 山 いたしました レ その 中で も 

珠: 史骨を 折った 合戰は 二十 餘箇 度であります。 或は 敵に 圍 まれて、 その 强陣を 破った リ、 1^ は^ i 攻 

めて、 敵 を 滅ぼした リ しました が、 何れも、 勝利 を 得る の はお 討に こした こと はぁリ ません。 さう で 

すから、 只今 直 r 高 松 殿に 押 寄せて、 三方に 火 を 懸け、 一方で 防ぎましたら、 火 を 兌れ ようとして 逃 

げ, 者に 矢 を 免れる こと は出來 ません。 尤も、 兄で ぁリ ます 義朝 など は馳け 出よ ゥ とする で せゥ。 そ 

れも身 體の眞 中 を 射通し ませ ラ。 まして 孤な どが へろ へろ 矢 は 何の 大した ことがあ リ せう、 

も ぁリ ません。 の 袖で 梯 つて、 域 散らして 捨て ませう。 官. あが, 股れ て、 天子が 他所へ 行幸」 なリま 

すなら ば、 御免 蒙つ て、 御供 2 者 を 少しば 1^ リ 射ましたならば、 き つ と 御舆を J:^ いて ゐ る * も榔舆 k 

新 所 各 門々 固附 5!^ 評お の 事 一 七 五 



1 七 六 

捨て >- 逃げ去り ませう。 その 時、 私が 參リ 向って 此の 御所へ 行幸 を 願 ひ、 崇德院 を 御 位に 即け 奉る こ 

と は 極めてた やすい ことです。 後白河 帝を此 所へ 御迎へ 申す; 亊は、 朝が 矢 を 二三 i4. 放す ぐら ゐ のこ 

とで、 まだ 夜の 明 けたい 内に、 脬負を つ け ま す り は確 で ぁ u ま す」 と 遠慮 も せず 目 W の 思 ふま >- を 

申した ところが、 賴長は 「爲 朝の 申す 事 は 實に亂 暴で ある。 年の 若い せ, ある。 ,仗 討た どい ふ 事 

は、 汝 等が 同志 軍の 十騎か 二十 騎の 私事で ある。 何と云っ ても今度のは主上と上^:111の御31爭で、 源氏 

と 平氏が 數 の限リ をつ くして、 雨 方に 分れて 勝負 を 決する のに、 夜 討な ど 云 ふ 事 は C 奴 もよ ろしくな 

い。 その上 奈 良の 僧徒 等 を 召されて をる。 それで、 興 福 寺の 信實 ゃ玄實 等が 吉野 十津 川の 指 矢 三 丁、 

遠矢 八丁と いふ 者 ども を 召 連れて 千餘騎 で參る ことにな つて ゐる が、 今夜 は 宇治に 着いて、 父? 富^ 

殿に 封 面し、 明朝 此處 へ參る だら う。 そ の 彼等 を恃 つて 兵士 を 揃へ て、 合戦 をす るの がよ いだら う。 又 

明日 院 司の 公卿 や? 取 上人に 味方に 參 るよう に 催 して、 參 しな い 卷共は 死罪に 行 ふが よ いだら ウ。 二 

三人 首 を 刎ねたら、 殘リ の 者 はどうして 參らな い ことがあらう」 と、 仰せら わたから、 ほ 朝 は 表面に 

は服從 して、 御前 y 退出して から 不平 を 云 つたに は 「日本 • 支那 の 先例 や 朝廷の 鏝 節と は 仝く 違った 

こと だから、 合 戰の道 は 武士に お任せになる のが 當然だ 3 に、 道理に も 合 はな いお 取 計 ひ は どん リも 

ので あらう。 義朝は 武峪の 奥の手 を 極めた 者 だから、 きっと 今夜 押し寄せよう とする だ らう。 それ 

は、 明日まで も 延びたら 吉野 法師 も奈 良の 僧 5^ も來 るに は來 るで せう、 しかし、 只今 直ぐ 押し寄せて 

來て、 風上から この 御殿に 火 を 懸けた とすれば、 たと ひ戰 つても どフ して 勝てよう。 そして^ が 勝ち 

に乘 じて 攻めたら 誰 一 人と して 安らかで ゐる こと は出來 ぬ。 残念な こと だ」 と. & した。 

五、 主上 一一 I 條殿 行幸 附官 軍勢 ぞ ろへの 事 



さる 程に、 內^^は高松殿なりしかば、 分內狹 くて 便宜 惡 しかりなん とて、 俄に 東三條 殿へ 行幸 



松 殿であった 

が 分 内が 狭 い 

ので、 俄に 主 

上 は 一 风 三:^ へ 

行幸に なリ、 

關 藤! 35 忠迎 

以下 供奉し 奉 

つた。 義朝を 

召して、 信 西 

を 以て 軍の 様 

をお 問 ひに な 

つた。 する 

と、 義朝は 夜 

討の 計 を 言上 

した 



なる。 主上 は 御 引^.^ にて 腰 輿に 召さる。 璽 • 寳劍を 取って、 御與に 入れ まゐら せらる。 御 

原忠通 J 〔藤 原〕 〔藤 原〕 「轟 ^〕 

供の 人々 に は、 關白殿 • -?: 大臣 實能 • 左 衛門メ ! In 基 實* 右衛門,' 怦公能 • 頭メ 中將公 親-ゆ HI* 

OSS 原, - 〔藤 展. 一 〔藤 原, - 〔》? 頃 通 >3 SS 

右中將 光忠 • 蔵 人ノ 少將忠 親 *藏 人 右 少辨资 長 • 右 少將實 定* 少納言 人 SIC- て Z> 東 官メ 舉士俊 

一 P ヒ ,-る 

憲*藏 人 治部ノ 大輔雅 賴*大 外 記師季 等な り。 武士の 名字 は 註す に 及ばす。 

其め-時 義朝を 御前に 召さる。 赤地の 錦の 直垂 に、 折 烏帽子 立て、 脇 立ば かりに 太刀 いたり。 

霊〕 やうく 

少納言 人道 を 以て、 軍の 様 を 召し 問 はる。 義朝 畏まって 申しけ る は、 「合戰 のて だて 様々 に 候 

へど も、 卽 時に 敵を從 へ、 立ち ど ろに 利 を 得る 事、 夜 討に 過ぎた る 事 候 はす。 就中 南都より 

衆徒 大勢に て、 吉野 • 十津 河の 者 ども 召 具して、 千餘騎 にて 今夜 宇治に 著き、 明朝 入洛 仕る. E 

聞え 候 ふ。 敵に 勢の 屬 かぬ 前に 押 寄せ 候 はん。 內ー をば 淸盛 などに 守護せ させられ 候へ。 義朝 

は罷 向って、 忽に 勝負 を 诀し候 はん ヒとぞ 進みけ る。 

6 〇 内分 lEi: 域。 〇 便宜 都合。 〇 東 三倏殿 高 松 殿の 北に 在って、 表の 方三倏 通りに 出る。 〇 

引 直 衣 主上 平生の 御 服。 通常の 直 衣の 如くに して、 後の 裾 を 長く 引く ので 引 直 衣と 云 ふ。 〇 膊與 

手 輿の ことで、 人が 手で 持って行 くもので、 その 擡げる 高さ は 膝に 至る の や-常と する。 〇 左 iSi:43 

右 衞門督 左右 衞門府 の 長せ で、 相 當從四 位下。 〇 頭の 中將 近 衞中將 で、 蔵人 頭 を 兼ねた も 

の。 〇 春せ! I 學士 東宮の 侍講。 折 烏檑子 • 兜を脫 いで、 兜の 下に 冠った Li 幅 子の 折れた る もの を 引き立 

て >, 直した もの。 〇 脇 立 鎧 を る 前に、 左の. 脇に あてる 武具" 〇s^2 探 合 戰の樣 子方 法。 

さて、 內裏は 高ね 殿であった から、 その 區 域が 狭くて、 何かと 都合が 惡 いだら つと 云 ふので、 主上 は 急 

に 一 m 三倏 殿へ 行幸に なった。 主上 は 引 直 の 御 姿で、 手 輿に 召された 。三 稍の 神器の 中の 八 坂壞の 



主上 一一; や 殿 行幸 附 せ軍 勢ぞろ へ の 事 



七 七 



七 八 



@ 信 西は忠 

通の 旨, y 承け 

て義 朝の 儀に 

«r 成して、 十 

一 nists; の 刻 

!.. クゼ Sef は院の 

御所へ 押 寄せ 

た 



と と を 取って 御輿に お入れ になった 。御供 C 人々 には關 白忠. ほ 公 、內. 人 臣實 能、 左 衞門督 基 實、、 

右衛門 督公能 、頭 中將公 親、 左中將 光忠、 蔵人 少將忠 親、 蔵人. 一 々少 ST 资長、 右少將赏〈;^-。 少钠霄 信 西、 

laH 呂與 士俊, ぶ r 葳人治 部大輔 雅賴、 大外記師季れ^-でぁる。 武士の 名字 は 記す まで もない。 その g -、 義 

朝 を 主上の 13; 前に 召された。 義朝は 赤地の 綿の 直垂を 着、 折 烏^子 を 引 直し、 脇 立 だけに 太刀 を帶び 

てゐ た。 小, 納言 入道 を 取次ぎ として、 主上 は 軍の 方法 をお 問 ひに なった。 義 朝に 畏 つて 屮 したに は 

f 合 is- の 方法 は いろ/ \ で ござ いますが、 K ち に敲を 從 さし、 立ち どころ に i§ 利 を 得る 事 は 夜 討に 

まさる こと は ござ いません。 とリ わけて、 奈^:!^から衆徒が大勢で、 吉野、 十津 川の 者 共 を 引き連れ 

て、 千 餘騎で 今夜 宇治に 着き、 明朝 京に 入る とい ふ 奪で ございます。 ^り 軍勢が 付かぬ 前に 押し寄せ 

ませ ラ。 {S3" は淸^ などに { す 護 を させて 下さい。 私 は 向って 行って、 勝负を 致し ませう」 と 自ら^ん 

で 出た。 

しんぜい 〔5? 白忠 通〕 けしき 

信 西 御前の 床に 候 ひける が、. 殿下の 御 氣色を 承 (て 申しけ る は、 「此の 儀 尤も 然るべ し。 詩驮 

くら へ たナら 

管 枝 は臣 家の^ぶ 所な りと い へど も、 それ 猶眛 し。 況 ゃ武藝 3 道に 於て を や. - 一 向 汝が計 ひた 

るべ し。 誠に、 『先ん する 時 は 人 を 制す、 後に する 時 は 人に 制せら る 」 とい へば、 今^の- 發向 

尤もな り。 然ら, は 淸盛を 留めん 事 も 然るべ からす、 武 は 皆々 一能 向 ふべ し。 朝 威 しめ 奉る 

者、 豈 天命に 背か ざらん や。 n 十く 凶徒 を 追討して、 逆 餞 を 休め 奉らば、 先づ: in ごろ 巾す 處の昇 

殿に 於て は、 疑 あるべ からす \i と 巾され ければ、 義朝 「合 戰の 場に^ 出で て、 何 ぞ餘命 を,:^ せ 

ん、) 只今 異殿 仕って、 冥途の 思 出に せん ノ とて、 押して 階上へ 上りければ、 信 西 「こ は 如何 

sf: 白 fi:〕 に-ぶよ-つ 

に.」 と 制しけ り。 主上 これ を 御覧 じて. • 御 入 興 ありけ ると なり。 



十 一 日の 寅の刻 官軍 旣に院 の 御所へ 押 寄す。 折節 東 図より 軍勢 上り 合 ひて、 義 朝に 相 從ふ兵 多 

かりけ り。 (卷 一) 

S 〇 御 色 御機鍰 e あるが、 こ. -は 旨と か 思 召しな どの 意 OS 昔樂。 〇E 家 公家。 〇 

先んずる 時 は 云々 物事 は 先き にし-ける 者が 人に 勝つ。 〇 逆麟 天子の 怒リ。 〇„ ^殿 殿上に 

昇る を 許される こと。 五位 以下に 蔵人 を 除-、 外 は、 地下 入と して I* 殿 を 許されたい。 ^朝 は 下 守 だ 

から 從五 位下で、 地下 人 e ある。 〇 冥^ あの世。 〇 御入與 興 ある ことに 思 召す。 〇 寅の刻 

今の 午後 四時 頃。 

i 信 西 は 御前の 床に 伺候して & たが、 關 白忠迎 の 旨 を 承け て 中した に は 「此 5 計略 は 成る 3t よろしいだ 

らう。 詩 欲 や 昔樂は 我々 殿上人の 關 係し 架し むと ころで あるが、 それです ら才 拙く して その 泣に 叨カ 

でない。 まして 武藝の 道は尙 更ら眛 い。 專ら そなたの 思 ふやう にせよ。 まことに 「物!^ は = にし 力., - 

る-おは 人に 勝つ、 後に する 時には 人に 負かされる」 と 云 ふから、 今夜 2 出?^ は 至 li 迸理 であらつ。 夜 

討 を するとなら は、 無勢で はいけ ないから、 淸盛を 留める の はよ ろしくな い。 武士 は^出で 向 ふが よ 

い。 朝廷の 御成 光を輕 しめ 奉る 者 は、 どうして 天の 命に 背 r、」 い ことがあらつ。 早く惡ぃ賊^^を追副 

して、 夭 子の 御 怒り を 休め 奉ったならば、 その 貧と して、 nl. 速 平素 希望して ゐる ところの 《 ^殿 はきつ 

と 許される であらう。」 と 申された から、 義朝は 「戰 場に 出て、 何う して 生き 存ら へませ う。 只今^ 殿 

を ゆるされて、 あの世への 土産に しませう」 + 云って、 無理に 階上へ 上った から、 信 西 は 驚いて 「これ 

は 何とした こと だ」 と 止めた。 主上 はこれ を御覽 になって、 與 がられた と 云 ふこと である。 

十 一 日 午後 四時 頃、 官軍 はも はや 院の 御所に 押し寄せて、 そ." ちょうど ま國 から ポ勢が 上 り Z- せ 

て、 義 朝に 從ふ 兵が 多かった。 

主上 三倏殿 行幸 附官 軍勢 ぞる へつ 事 1 七 九 



1 八 〇 



六、 義朝白 河 殿 夜 討の 事 



© 白 河^に 

は かくと も 知 

らな いので、 

賴 長が 親久を 

して 内裏の 有 

樣を 見に 行か 

したと ころ 

が、 親 久は馳 

せ歸 つて、 官 

軍が 寄せ まし 

たと 云って ゐ 

ると ころへ ゝ 

先陣 は 旣に馳 

せ來 つた 爲 

朝 を 勇ませ る 

爲で か、 俄に 

ゆお 人に したが 

爲朝は 少しも 

喜ばた かつ 

た 



白 河 殿に は、 斯く とも 知し 召さ ざり しかば、 左大臣 殿、 武者 所の 親久を 召さ れ て、 「內裏 Q 

樣、 見て 參れヒ と 仰せければ、 親 久卽ち 馳せ歸 り、 「官軍 旣に 寄せ 候 ふヒと 巾し も^てねば、 

先陣 旣に 馳せ來 る。 其の 時鎭 西八郞 申しけ る は、 「爲 朝が 千度 申しつ る は、 こ k 候 ふ、 こ&候 

、 > じ もぐ 

ふ」 と忿り けれども 力 及ばす.^ 爲朝を 勇ません 爲 にや、 俄に 除 目 行 はれて、 藏人 たるべき 由 仰 

せけ り。 八郞 「これ は 何とい ふ 事ぞ。 敵旣に 寄せ 來 るに、 方々 の Ifh 分 こそ せられん すれ、 只今 

ft, f そう 

の 除 目 物騒な り。 人々 は 何にも 成り 給へ。 爲朝は 今日の 藏 人と 呼ばれても 何 かせん。 た 5 兀の 

鎭 西八郞 にて 候 はん ヒとぞ 申しけ る。 

6 〇 武者 所 院の 御所で、 下 北面の 居る 所、 又 その 武者。 〇《lf てねば 果てぬ に、 の 意。 〇 先陣 、王 

上方 2 先陣。 〇 こ、 候 この こと だ。 〇 除 官職に 任ずる こと。 〇 蔵人 始めは 機-おの 文書 

及び 訴訟 を 掌った が、 後に は、 主上の 掏 衣、 御 膳より 總 ての 御 起居に 供奉し、 傳宜 • 進奏及 除 y、 

の 僕 式 を 始め 殿上 一 切の 事 を 掌った もの。 〇 物騷 穩 かで ない。 

C 河 殿で は 官軍の 夜 討の 攻め寄せた とも 御存知に ならなかった から、 鎮長は 武者 所の 親久 を 呼ばれ 

て、 「内裏の 漾子を 見て 來ぃ」 と 仰せられ たので、 久 親は內 裏へ 赴いて、 直ちに 馳せ歸 つて 「.iB 軍が も 

は や 押し寄せました」 と 申す か 中 さな いっちに、 官軍の 先陣 はも はや 馳せ來 つた。 その^、 ^5朝が申 

したに は 「私が 何度も 云った の は、 こ、 のこと です、 こぷ ことです」 とサ かった けれども、 今と なって 

は 何とも 出来ぬ。 爲朝を 勇氣を 出させる 爲め であらう か、 俄に 除 目が 行 はれて、 蔵人の 役で ある やう 



9 義朝は 二 

倏-を 東へ 發向 

した。 淸盛 も 

同じく 續 いて 

寄せた が、 翌 

十 一 日 はま 塞 

である 上、 朝 

曰に 向って ゐ 

るので、 義朝 

は大炊 御門 河 

原に 河よ リ西 

に 東 に控へ 

た 



i 新 院の御 

所では、 ^義 

以下の 武士 か 

各々 ra: めて ゐ 

る 門から かけ 

出した。 頼 卜せ 



にとの 仰があった。 すると 爲朝は 「これ は 何と 云 ふこと だ。 敵が はや 寄せて 來 たのおから 所々 の 手 

分 をし なければ ならね のに、 只今の 除 目は穩 かで ない。 人々 は 何に なりと お成りな さ い。 は 朝 は Arn 

に 於て、 蔵人と 呼ばれた ところが 何に ならう。 た 兀の鎮 .51 八郞 でをリ ませう」 と 申した。 

さる 程に、 下野 ノ 守義朝 は、 ニ條を 東へ 發 向す。 安 i|; 守淸盛 も、 同じく 續 いて 寄せけ るが、 

ひがし ふさぎ 

明 くれば 十 一日、 東 塞 なる う へ、 朝日に 向って 弓 引かん 事、 恐お りと て、 三條 へう ち 下り、 

河原 A 馳 て 渡して、 東の 堤 を 上りに、 北へ 向って ぞ 歩ませけ る。 下野, 守 は大炊 御門 河原に、 

前に £| の懸 場を殘 して、 河より 西に 東 頭 に控 へたり。 

6 〇 東 塞 陰 ^の說 に 金祌、 天ー祌 等が 日の 子 午に 依って 四方 を 進行す る、 それの ある 方 を塞リ と;: ム 

ひ、 その 方向に 向って くの を 忌み 怖れた レ 〇 河原 賀茂 河原。 〇 提 賀茂 川の 提レ 〇懸 -;^ 

馬 を^け さす 場所。 〇聚 頸 束 を 先頭と して。 〇 控へ 馬 をと めて ゐる こと。 

© さて、 下野 守義朝 は、 ニ條 is- へ.! 1: つて 出發 した。 安藝 守 淸盛も 同じく 摸いて 寄せた が、 明ける と 十 

一日で、 その H は 束が 塞がって ゐる 上に、 朝日に 向って 弓, 引く の は 恐れが あると 云 ふので、 三條へ 

下って、 賀 茂の 河原 を 馬 を馳せ 渡して、 の^を 上って、 北へ 向って 步 ませた。 義 朝に 大炊 御!: 河 5- 

に陣 して、 前に 馬の 駅け る^ 所を殘 して、 河から 西に 向って、 束 を 先頭と して 馬 をと めて ゐた。 

r 義 1 i 

新院の 御所に も、 敵旣に 南の 河原に 鬨を 作って 攻め 来れば、 爲義 以下の 武士、 各 W めた る 門 

【 fn: 義〕 

々よりかけ 出で けり. - 判官が 手に は、 郞左 衛門賴 賢と、 八 郞爲^ と、 先 g: を 1:.^ ひて、 旣に珍 

事に 及ばん とす。 賴賢思 ひける は、 今 子どもの 中には、 我れ こそ 兄 なれば、 「今: n の 先^ をば 

うちち の 

誰か はかけ んピ とい ふ。 爲朝は 又、 「恐らく は 弓矢 取っても、 打 物 取っても、 ^れ こそ あら 

義朝白 河 K 夜 討. 事 一 八 1 



八 二 



は 先陣 を爭っ 

たが、 朝 は 

兄. V 爭 ふの は 

惡 いだら うと 

思って 結局 譲 

つて 控 へた。 



1 賴 貲は大 

炊 御門 を: St へ „ 



め。 其り 上 判官 も 軍の 奉行 を 仕らせら るる 上 は、 我れ こそ 先 陣 を かけめ ピと 論じけ るが、 暫く 

思案して、 兄 達 を も 蔑 にす るえ せ 者と て、 親に 不孝せられ しが、 たまく 助當 ゆりた る 身 

の、 父の 前にて 兄と 先 を 論ぜん 事、 惡 しかり なんと 思 ひければ、 rlw.-!il^ 誰々 も かけさせ 給へ" 

, からん 所 をば、 幾度 も 承って 支 へ 奉らん ヒとぞ 申しけ る。 

6 〇 珍事 大事の 意。 〇 誰か は 1^ けて 自分 を 置いて、 誰が 先陣に 駅け 出で よう、 先陣 は 自分 だ" 

〇 打 物 太刀 、長刀。 我 こそ あらめ 自分が 人に すぐれて ゐる だら ゥ。 〇 奉行 事 を 取扱 ふ 

者。 〇 えせ 者 曲ね、 正しくない 者。 〇 不孝 勘當。 〇 所詮 つま リ。 〇强 からん 所 敏の 

强 くて 破リ 難い 所。 

新院の 御所で も、 敵が もはや 西南の 河原に 関 を 作って 攻めて 来たから、 爲義 以下 ,:- 武士 は め いく 守 

つて ゐた 門々 から K け. 出した。 爲義の 手に は 四 郎左衞 門賴^ と 八郞爲 朝と が 先 を 〔サっ て、 もはや 大 

事に ならう とした。 賴 賢が 思った に は 「今、 爲義の 子供の 中には 自分が 兄 だから、 今日の 先陣に は自 

分の 外に 誰が 1^ け 出る ものが あらう、 自分 だ」 と 云 ふ。 爲朝は 又 「恐らく 弓矢 を 持っても、 太刀- 4< 刀 

を 取っても、 自分が 一 ばん 勝れて ゐる だら ラ。 その上 父 も 自分に 合戰の 取扱 をお 任せに なった 以上 は 

自分が 何と 云っても 先陣 を K けよう」 と 論じた が、 爲朝 はしば らく 思案して、 今迄. 兄 達 を 馬鹿にし 

た惡者 だとて、 親に 勘當 せられた が、 かう してた まく 勘な 田が 許された 身 だのに、 又、 父の 前で、 兄 

と 先陣 を爭 ふこと は惡 いだら うと 思った から 「結局、 誰でも 彼で も 皆 先陣 を 1^ けなさい。 私 は 何處で 

も 敵の 强 いところ を 幾度で も 引き 承け て 支へ ませう」 と 申した。 

こん むら 1J f き 4 卞 

四 郞左衛 門 これ を 聞き も 咎めす、 卽ち 西の 川原へ 出で 向 ふ。 紺 村 濃の _^垂 に、 月 數と いふ 鎧 

くちよ -I ろ かしら だか しゾ と-つ 

の、 朽^ 色の 唐 緩に て械 したる を 著、 二十 四 差した る 大中黑 の 矢、 頭 高に 負 ひなし、 重 籐の弓 



向って 防い 

で、 攻め寄せ 

た。 義 朝の 先 

陣をニ 騎射: 洛 

し自 0? も 內§^ 

を 射られて 退 

いた。 義朝は 

家來を 打た せ 

て 安から ず 思 

つたから、 自 

ら K け 出よう 

としたが、 嫌 

田 正 は 漸く 

止めて、 自分 

が眞 先き に 立 

つて 進んだ。 



おがみ くら 

眞中 取つ と、 月 毛なる 馬に、 鏡 鞍 置いて ぞ乘 つたり ける。 大炊 御門 を 西へ 向って 防ぎけ るが、 

「爱を 寄す る は 源氏 か 平家 か 、名乗れ 聞かん。 かく 巾す は 六條判 {R 爲義が 四 男、 前, in. 慰 

【義 朝〕 

賴賢」 と ぞ名乘 りけ る。 河 向 ひに 答へ て 曰く 、「下 守 殿の 郞等、 相校ノ 國 の::^ ん竹藤 刑 部, 

丞俊 通が 子息 瀧 口 俊 綱、 先陣 を 承って 候ふヒ と. ば、 「さて は 一 {\ ぶの 郞等 ござん なれ。 汝を 

射る にあら す、 大將軍 を 射るな り 」 とて、 川 越に 矢 二つ 放つ。 ^中 なれば 誰と は 如ら す、 矢而 

うちか, -と L 義 S ^§ 

に 進んだ る 者 ニ騎、 射 落されぬ 四 郞左衛 門 も、 內兜を 射させて 引き 退く。 下野,' 守 は 矢 合に 郞 



等 を 射させて、 安から す 思 はれければ、 旣 にか けんとし 給へば、 鎌: H 次 郞-. ^淸 # に 取り 附ぃ 

て、 「爱 は大將 軍の かけさせ 給 ふ 所に て 候 はす。 千騎が 騎、 百騎 が十騎 にたって こそ、 打ち 

も 出 ださせ 給 はめ。」 と 申し けれども、 彌 かけんと し 給 ふ 問、 步 立のお 八十 餘人 ありけ る を 招き 

寄せて、 此の 由 を 云 ひ 含め、 大將軍 を 守護せ させ、 淸 馬に 打 乘 つて、 ® へ 先に こそ 進み けれ。 

S 〇 これ 爲 朝の 最後に 云った 霄葉。 〇 紺 村 濃 .E 地へ 濃い 紕で 叢雲の 形 を 染めた もの。 〇《i^s3 

枯葉の 色で 、黄から 茶と いふ 色に 似て ゐる。 〇 大中黑 驚の 羽の 上下が C くて、 中の 大きく いの 

を 云 ふ。 〇 重 籐の弓 弓の 幹 を黑く 塗り、 白い 籐で 繁く卷 いた 弓。 〇=- モ c に 少し 杠味 のか、 

つた もの。 〇 鏡 鞍 金銀 赤銅な どの 薄い 延金で 鞍 を 包み、 山形の 端に^ 輪 C ヘリ) を かけた もの。 

〇 ござん なれ こそ ある なれの 約。 〇 内 §^ 兜の 内面。 〇 射させて 射られて と 「み ふのと 同じで 

あるが、 當 時の 武士 は 人から 射られた と 云 ふの を 域, つて、 自分が 人に 射させて やった と 云った。 〇 

矢 合 昔の 合戰 で對陣 して、 その 合戰 始めに 兩眾が 互に 先 づ矢を 射 合 > こと。 安から ず 不^!^足 

に。 〇 かけん 1^ け 出して 戰ふ。 〇 步 立の 兵 騎士で ない もの。 

義朝白 河!^ 夜 討の 事 1 八 一一】 



八 四 



@ 四 郞左衞 門 はこれ を 聞いても 咎め もせず、 直ちに 3 の 川原へ EI で 向った。 紺 村:! S の直垂 に、 ^^::!-と云 

ふ燈の 朽葉 色の 唐 綾で 絨 した? を 著、 大 r 黑ん矢 を 二十 g: 本 差して、 矢 頭 を 高く ひ、 <aj 籐の 弓の S3 

中 を 握って、 月 毛色 ノ 馬に 鏡 鞍 を 置いて 乘 つて &たレ そして 大: {从 御門 を 西 へ { ^つて 敲を 防いだ が 「此 

處を 寄せろ の は 源氏の 者 か 又は 平家 ^、名! 1^ れ、 聞かう。 かく 申す 自分 は、 六倏 判せ 爲義の 四 男の 前 

の左衞 門尉賴 賢」 と 名乘 つた。 すると 河の 向 ふで 答へ て 云 ふに は 「下野 守 殿の 家來 の、 相模 の 住人 

首 藤 刑 部丞伎 通の 子 瀧 口 俊 親が 先陣 を 引き 承に て をり ます」 と ましたから 「それで は 同じ 源^の 家 

來 である。 汝を 射る ので はない、 大將 を 射る の だ」 と 云って 川 越に 矢 を 二つ 放った。 夜中 だから 誰 

とも 分らぬ が、 矢の 飛び 来る 正面に 進んで ゐた 者が 二 騎射ら れて 馬; -らー 浴され た。 賴資も の 內部ヒ 

射られて 返いた。 義朝は 矢 合に 家来 を 射られて、 不満足に 思 にれ たの か、 もはや 駅け 出して 戰 はう とさ 

れ たかし、 鍰 田の 次 郞正淸 が、 賴 朝の 馬の 1:^ に 取り 附 いて、 「こ X は大將 軍の K け 出られます 所でに 

ぁリ ません。 千騎が 百騎 とたり、 百騎 が十騎 とたった 時には 打ち出 でられるべき もので せう」 と 申し 

たけれ ども、 ゃはリ け 出さう とされた から、 步 立の 兵 八十 餘ゝゐ たの を 招き 寄せて、 大將 5^ が 1^ け 

出られて は惡 いから、 引き むべき こと を 云 ひ 合め て、 大將軍 を 守護 させ、 冗淸が 馬に 打乘 つて iKI 先 

に 進んだ。 



Q 淸^ は 二 

條 河原よ リ 

堤の 西に 

向つ て控 へ て 

ゐた。 その 先 

陣の 中から- 



- 、"-」一 



安藝,' 守 は、 ニ條 河原の 河より 東、 堤の 西に 向って 控 へたり。 其の 勢の 中より 五十 騎ば かり、 



一 :」;〕 



先陣に 進んで 押 寄せたり" 「こ 、を 固め 給 ふ は 誰 人ぞ。 名 乘らせ 給へ。 かう 巾す は 安 藝ノ 守 殿 

に 郞 等に、 伊勢 ノ 固の 住人、 古市 ノ 伊藤 武者:^ 綱、 同じき 伊藤 五、 伊藤 六」 と ぞ名乘 りけ る。 

八郞 これ.^ 聞き、 汝が 主の 淸成 1 を だに、 あはぬ 敲と思 ふなり。 平家 は 柏原ノ 天皇の 御 末 なれ ど 



伊 薛,景 綱、 伊 

藤 五、 ^藤 六 

が 名 乘りを 上 

げたので、 爲 

朝 は 先に 迎 

んだ 藤 六 を 

射て、 余る 矢 

で 藤 五の 射 

向の 袖の 衷を 

かいた。 六郞 

は 即死した。 



も、 時代 久しくな り 下れり 源氏 は 誰か は 知らぬ。 淸和 天皇より 爲 朝まで は 九 代な り" 六 孫 王 

〔義 Is 

より 七 代、 八幡 殿の 孫、 六條 判官 爲義が 八 男、 鎭 西の 八 郞の爲 朝ぞ。 c 一 綱なら ば 引返け ピとぞ 

宣 ひける。 I^p^ 綱 「昔より 源平 兩家 天下の 武將 として、 遠 勒の藏 を 討つ に、 兩 家の 郎等 大將を 射 

る 事、 互に これ あり。 同じ 郎等ながら、 公家に も 知られ まゐら せた る.:^ なり。 其の 故 は、 伊 

勢ノ 1: 鈴 鹿 山の 强盜の 張 本、 小 野,' 七 郞を搦 めて 奉り、 副將 軍の 宜旨を 蒙りし "一;^ 綱ぞ かし。 下 

臈の 射る 矢、 立つ か 立たぬ か 御 覺ぜょ \1 とて、 能つ 引いて 射 たれ ども、 爲朝 これ を i$ ともせ 

す、 「あはぬ 敵と 思へ ども、 汝の詞 の やさし さに、 矢 一 つ 賜ばん。 受けて 兒ょ。 且は 今生の. g 

目、 又は 後生の 思 出に もせよ ピ とて、 三年 竹の節 近なる を 少し 押 磨きて、 山鳥の 尾 を 以て はい 

のなか しろ 

だるに、 七寸 五分の 丸 根の、 蔑 中 過ぎて 篮 代の ある をう ちく はせ、 暫し 保って ひやう と 射る。 

とほ いむけ -r ら 

眞 先に 進んだ る 伊藤 六が 胸板 かけす 射 徹し、 餘る 矢が^ 藤 五が 射 向の 袖に、 奥 かいて ぞ 立った 

りけ る。 六郎は 矢場に 落ちて 死にに けり。 

6 〇 古市の 武者 古市 は 地名、 武者 は 武教 所の 略。 〇 あはぬ 敵 敵と して 不足な こと。 ◦•rfj* 六 

五郎 六郞に 同じ。 〇連 勅の 輩 勅命に そむく 輩。 〇 張不 首-如 大將。 〇 公.: 尔 〇 副 

將 34 將眾に 次ぐ 役。 〇 下菔 身分の 卑しい 者。 〇 能つ 引いて 能く 引いて 。充分に 引きし ぼつ 

て。 〇 三年 竹の節 近 生えてから 三年 3§ つた 竹の節の 繁 いもの。 矢 竹に 用ん て 堅く =1 っ强 いので あ 

る。 〇 少し 押 磨いて 格別 飾らない の を 云 ふ。 〇 山鳥 31:^;- 遠矢に は 山 の M を^ ゐる。 〇 七 

寸 五分の 丸极 丸 极は柳 葉、 又は 劍;^ とも 云 ひ、 鏃の 角が なくして、 丸い も 3。 一寸 乂は 一 寸:, 分が 

な;" 通で あるが、 七寸 五分と 云 ふ 9 は すぐれてれ i いもの。 〇^ 中 過ぎて 云々 i^J と は 欠 竹の こと。 ^ 



教朝 A 河 殿 夜 討の 事 



八 五 



1 八 六 

代と は撫の 根の 竹の 中に 入 れて ある 處。 こ X の 意 は、 矢 竹の 中程よ リも、 もっと 長く 矢の 中に 纖の金 

の 入れて ある 矢の こと。 〇 うちく はせ 矢 を 弦に つが はすこと。 〇 ひやう と 射る ひやう は、 矢 

を 射 放す 音。 〇 胸板 鍵の 胸の 處。 〇^-けず射通し そこに 矢が 留ら ないで、 入ナ、 射 く。 

射 向の 袖 鎧の 左の 袖。 〇 裏 かいて 裏に 通る こと。 〇 矢場に 其 場で 立ち どころ に。 

6 盛 は、 11 一條 河原から 東 、堤の 西に 向いて 馬 を 止めて ゐる。 その 勢の 屮 fV り 五十 騎 ばかり 先陣に J;^ い- ん 

で 押 寄せた。 「此處 を 守って おいでにな るの は 誰か 。名乗 リ たさい。 かう 云 ふ 我々 は 倚 盛^の 家, 米で 

伊勢の 國の 住人、 古市の 藤 武者 景耩、 同じ 伊藤 五郎、 伊藤 六郞」 と名乘 つた。 爲朝 はこれ を! 3 いて 

r 汝の、 王 人の 淸盛を さへ、 相手に する に は 不足な 敬と 思 ふの だ。 平家 は 桓武: 入. M の 御 末 だが、 永く 時 

代が 過ぎて 卑賤に 成リ 下って ゐる。 、一は 氏 は 誰知らぬ 者が あらう。 i(s 和 天^から 爲 朝まで は 九 代で あ 

る。 六 孫 王から は 七 代、 八皤 殿の 孫で 六條 判官 爲義の 八 男の 讃 八郞爲 朝- ヒ ある ぞ> 景, 1. ひ、 りば 相手 

にもたら ぬ、 そこ を 返け」 と 仰せられた。 すると 景辆 は、 「昔から 源平の 兩家が 天下の 武將 として、 天 

子の 勉 命に そむく 輩 を討滅 する 時に、 雨- \ がの 家 來が 大將を 射る こと は どちらに も 例が ある。 ^E分は1: 

じ 家来で ある もの >-、 朝廷に も 腕前 を 知られて ゐる 身で ある。 その わけ は、 勢^ 鈴 の ||盜の^>3 

領の小 野 七郞を 捕へ て 縛り上げ 奉って、 副將 軍の 宣旨を 蒙った 景網 である ぞ。 身分 卑しい もの .1 射 

矢が 立 つ か 立たない か 御覽ぜ よ」 と 云って、 十分 引きし ぼ つて、 射た けれども、 爲朝は これ を ひくと 

もせず 。「不足た 敵と は 思 ふが、 汝の 1 一一 in 葉が 感心 だから、 矢 を 一本 1« 戴 2 せよう。 受けて い。 一 つ は 今 

生の 名譽、 又 一 つ は あの世へ 行って からの 思 出に もす るが い 》」 とて、 三年 竹の節の 繁 いの を 少しば 

かリ 磨いて、 山鳥の 尾 を 以て はいだ のに、 七寸 五分の 丸 根に、 矢 竹の 中程よ リ ももつ とおく 矢の 中に 

鎮の 金の 入れて ある 矢 を 弦に つが はせ、 しばらく ねらって ひやう と 音を立てて 射た。 a: 中に 進んで ゐ 

た 伊藤 六の 鎧の 胸の 處を射 貫いて、 力の 餘 つた 矢が 伊藤 五の^の 左の 袖に、 裏に 出る ほど 立った。 六 

郞は其 場に 立ち どころ に 馬から 落ちて 死んで しまった。 



9 伊藤 五 は 

こ の 矢 を拔力 

た いま、 持つ 

て 行って 淸盛 

に せた。 淸 

盛 始め これ を 

見て 恐れて し 

まった。 景辆 

は^ 朝の 先祖 

の義 家の 弓 射 

る こと に 勝れ 

てゐた 昔の 話 

をした 



「gr 麥. 1 XVJ 

伊藤 五 此の 矢 を 折り かけて、 大將 軍: 前に 參 つて、 ^八郞御曹司の矢御^i^候へ。 凡夫の 所 と 

も 覺ぇ候 はす。 六 郞旣に 死に 候 ひぬ ピと 申せば、 安藝 Z 守 を 始めて、 此の 矢 を る 兵 ども 皆 舌 

を 振って ぞ 恐れけ る。 景綱 申しけ る は、 「彼の 先祖 八幡 殿、 後三年の 合 戰の時 出 羽!: 金 澤の城 

にて、 S§ が 申しけ る は、 『君 の 御 矢に あたる 者、 鎧 兜 を 射 徹されす とい ふ 事な し。 抑 も 君の 

ぎ ゆ を、 たしかに 拜み 奉らば や. \J と 望みければ、 義家卓 能き!^ 三^ 重ね、 木の 枝に 懸けて、 

裏表? ハ 射 徹し 給 ひければ、 鬼 种の變 化と ぞ 恐れけ る。 これより いよく 兵 ども 歸服 しけり 

と、 申し 傳 へて 聞く ばかりな り。 眼前に か. -る 弓勢 も 侍る にや。 怖ろ し,」 と ぞ怖ぢ あへ る。 

〇 折リ かけて 拔 かないで 折って 下げて ゐる こと。 〇 御曹司 權 門の 子 总の まだ 部 住み-て ゐる 

者の 敬稱。 〇 舌 を 振って 舌 をぶ る/ \ 云 はせ て。 〇 後三年 2 介戰 c 河 帝の 應德 三年から 堀 河 

帝の 寛 治 元年までの 戰。 當 時の 陸 奧守兼 鎮守府 將軍 源赛, 家が 淸原 衡を 助けて、 淸衡家 衡を征 吸した 

戰爭。 〇 武則 溝 原 氏。 武 街の 父 。出 羽の 人で、 き 任の 亂に 賴義、 義 家に 加勢した。 こ. -は 後三年 

の合戰 ではなく して、 前 九 年の 役の 誤で あらう。 後三年の 役の 時にば、 武則は 死ん でんた。 OT^J^ 

弓の 力。 〇 革 能き 螳 革 を 墨み 合 はせ て、 礼と した 螳で、 その 革の すぐれて 善い もの。 〇 變化 

形を變 じて あら はれる こと。 又その^^?。 

II 伊藤 五 はこ の 矢を拔 かな いで 折って 淸 盛の 前に 參 つて、 「八 郞 御曹司の 矢 を 御 .w- ドさ い。 ^.,^ の 人間 

の 仕業と も 思 はれません 。六郞 はも はや 死にました」 と 中す と、 ^盛 を 始めと して、 この 矢 を 見る 兵 ど 

. も は 皆 舌 をぶ るく させて 恐れた。 その i^、 景 綱が 中した に は 「^ 朝の 先祖の 義^が 後三年の 役の 時 

出 羽國の 金澤の 城に ゐた 時、 洁原武 則が 巾した に は 「君の 御 矢に 富る 者 は 誰でも^ を 射ず、 かれない 

朝 白 河 殿 夜 討の 事 一 「ノ. ^ 



9 淸 盛は爲 

朝の 固めた 門 

に 寄せた が、 

その 弓勢に 恐 

れて、 引返 い 

たが、 嫡子の 

重 盛が 怖れ も 

せず 駔け 寄ら 

うとした ので 

兵 どもに 前に 

塞がらし めた 

の で、 しかた 

なく 春 日 表の 

門へ 寄せた。 



一八 八 

と 云 ふ 事 はない。 さて 君の 御 弓の 力 を 1 つたし かに 拜 見した いものです」 と 望んだ ので、 義家は 革の 

すぐれて 善い IS を三領 重ね、 それ を 木の 枝に 懸けて、 裏表 六 重 を 射通された ので、 鬼神の 變化 では あ 

るまい かと 恐れました。 これから 後 はます く 兵 どもが 義 家に 服從 したと 云ひ傳 へて あります が、 そ 

れは而 し 聞く ばか リで、 目に 見た こと はぁリ ません が、 今 眼の 前に 實 際に こんな 弓の 力の 强 い 者 も 世 

に は ある もので せう か、 あ、 怖し い こと だ」 と 何れも 怖が つ た。 

かく 口々 に 云 はれて、 大將宣 ひける は、 r 必す淸 盛が、 此の 門 を 承って 向うた るに も あらす、 

でっか JJ 

何となく 押 寄せた るに てこ そ あれ。 R 方へ も 寄せよ かし。 さらば 東の 門 かにと あれば、 兵 待 

「それ も 此の 門 近く 候へば、 若し 同じ 人 や 固めて 候 ふらん。 た^ 北の 門へ 向 はせ 給へ,.」 と 云へ 

ば、 「さも 云 はれたり。 今 は 程なく 夜 も 明けなん す。 然れば 小勢に 大勢が かけ 立てられん も、 

見苦し かりなん。」 とて 引き 退く 處に、 嫡子 中 務,' 少輔重 盛、 生年 十九 歳、 赤地の 錦の 直垂 に, 



J つ. y;>- こお. II; どし たど ころと つ - 

澤篇 緘の錢 に、 白星, の §儿 を 著. 二十 四 差いた る 中黒の 矢 負 ひ、 二 所 籐の弓 持って、 黄土 器 毛な 

る 馬に 乘り、 進み出で 么、 「勅命 を 蒙って 罷向 ひたる 者が、 敵陴强 しとて 引き返す 樣ゃ あるべ 

き、 續けゃ 若者 ども ヒ とて、 かけ 出 でられけ る を、 淸盛 これ を 見て、 「あるべ う もな し、 あれ 

制せよ 者 ども。 爲 朝が 弓勢 は 目に 見えた る事ぞ かし。 過 すな ピと宣 ひければ、 兵 ども 前に 馳 

せ 塞がりければ、 力なく 京 極 を ぼり に、 春 日 表の 門へ ぞ寄 せられけ る。 

^9 〇 何. V.- なく 何の なしに。 〇 と あれば と 云へば。 〇 さも 云 はれた リ 尤もた こと を 云った。 

〇 明けなん ず 明けん とすの 約。 明けよう とする。 C 娘 子 長男。 〇 澤 i55 被の 鎧 稀々 の 色の 絲 

を變 へて、 澤 潟と いふ 水草の 葉の 形の 如く、 上 狭く 下廣 く、 胶を 開いた 形に 絨 した! r 白^の 先 



兜の 鉢に ある 星 を 銀で 包んだ もの。 〇 二 所 藤の 弓 弓の 本末 二 ケ所を 籐で卷 いた もの。 〇 黄土 器 

§ ,f んだ 川原 宅の 馬。 川原 毛と は、 白くて 黃 赤を帶 び、 背の 黑 いもの。 〇 あるべ う もな し あ 

るべ くもなし の 音便。 爲 すべから ず。 〇E に 見えた る 事 わかって ゐる 事。 

® かくの 如く^に 云 はれて、 淸 盛の 仰せられ たに は 「淸 盛が 是非 この 門 を 攻めよ との 命 を 承って、 向つ 

たので もない。 只 何と 云 ふこと なく 自分の 都合で 押し寄せた ものである。 だから、 何も 無理に 此門を 

攻める 必要 もない。 都合の よい 所 を擇ん で、 何處 へで も 攻め寄せる がい \o それなら、 先づ、 東の 門に 

しょうか」 と 云 ふと、 兵 共 は 「传 それ も 此の 門に 近う ござ いますから、 若し 此 門と 同じく は 朝が 固め 

てゐ るか も分リ ません。 此處 から. すっと 離れた 北の 門へ お 向 ひなさい」 と 云 ふと、 「尤もな こと を 云 

つた。 今に まもなく 夜 も 明ける だら う。 そしたら、 小勢の 敵に 大勢の 味方が 驅け 立て 、りれ るの も つ 

ともないだ らう。」 と 云って 引き 退く とこ ろに、 淸 盛の 長男の 中 務少輔 直 盛、 當ギ 十九 歳で、 赤い 地の 

靡の 直垂 に、 澤潟絨 の 鎧に、 awjl の 兜 を 著て、 中 黑の矢 を 二十 四 本 差した の を背负 ひ、 二 所 膝の 弓 

を 持って、 黃 土器 毛の 馬に 乘 つて ゐ たが、 進み出で \ 「勅命 を 蒙って 向った 者が、 敵 2 陣が强 いから 

とて 引き返す と いふ 法が ある もの か、 若い者 共、 自分の 後に _srv て 來ぃ」 とて、 K け 出 でられた とこ 

ろが、 淸盛は これ を 見て 「そんな 無 暴な こと をして はいけ ない。 あれ を 止めよ、 皆 S 者 共。 は 朝の, り 

の. は 今 a てよ く 分って ゐる ことで ある。 その 爲 朝に 向って 行って 過ちす るな」 と 仰せられ たのて、 

. 兵 どもが 重 盛の 前に 駅け て 行って 進ませない やうに 塞がった もの だから、 重 盛 は 致し方 く、 京お を 

上って 春 日 表の 門へ 押し寄せた。 

爱に 安藝.' 守の 郎等に、 伊賀 ノ 國の 人、 山田ノ 小三郞 伊行と いふ は、 又な き 剛の者, かた か 

は 破りの が、 大將 軍の 引き 給 ふを兑 て、 「されば とて 矢 一筋に 恐れて、 ,2 うたる 

陣を 引く こと や ある- "J ひ 一 ノ 八郞 殴の 矢な りと も、 ゆ 行が 鎪 はよ も徹ら じ。 代傳 へて 軍 

義朝. m 何 ニ仪 討の 事 一 /力 



九 〇 



見て、 残念に 

思 ひ、 同僚 共 

の 止める の を 

も聽 かず、 下 

人 一 々具して 

朝に 近づ い 

て 行った C 



に 逢 ふ 事 十 五箇 度、 我が 手に 取っても、 度々 多く 矢 ども を 受けし かど 未た に n どば か . ^ぬ も Q 

を。 人々 見 給へ。 八郞 殿の 矢 一 つ 受けて 物語に せん」 とて 駅け 出づれ ば、 「を この 高名 はせ ぬ 

む やく 

にし かす。 無益な り」 と、 同僚 ども 制すれ ども、 もとより 云 ひつる 言葉 を かへ さぬ に て、 

「^^明けて後に傍輩の、 『八 郞の、 いで 矢 目 見ん ヒと いはんに は, 何とか 其の 時 答 ふべき。 然 

れば 日ごろの 高名 も、 消えなん 事の 無念 なれば、 よし/、 八は續 かすと も、 おのれ 設 人に 立つ 

べし ヒ とて、 下人 一 人相 具して、 黑革 誠の 鎧」 同じ 毛い-五 & 兜を猎 頸に 著、 十八 差いた る染 

ぬ J 'ご. Q ,ごう か げ 

羽の 矢 負 ひ、 お 籠 籐の弓 持って、 鹿 毛なる 馬に 黑鞍 置いて ぞ乘 つたり ける。 

6 〇 又 なき 剛の者 又とない 即ち 世に 二人と ない 心の しっか リ した 者" 〇 か たかは. K リの 武者 か 

たかは、 は 片側の 義で、 自分の 向った 一方 必ず 討ち 破らなければ 承知せ ぬお の 如き 荒い 武者。 〇 

されば とて ^朝が 如何に 强 ければ とて。 〇 矢 一筋 伊藤 六が 殺された 一本の 矢の こと。 〇 よも 

決 て 。とても。 〇 裏 を か >, ぬ 矢が 襄 まで 通らぬ。 を こ 馬鹿。 〇 無益 益がない こと。 

〇 いで さあ。 〇 矢 目 矢の 跡。 〇 よし/、 ま \ よ。 〇 黑革絨 黑ぃ染 革で 缄し たもの。 

〇 同じ 毛 鎧と 同じ 械 W 一。 〇- 五 枚^ ^の 五お ある §-。 〇^ 頸 兜 を 少し 仰向けて 冠る こと。 

〇 染 羽の 矢 鷲の. m 羽 を靑く か、 赤く かに 染めた 羽で はいだ 夭。 〇.M 籠籐 弓 を 籐で卷 いて 漆で 塗 

り a めて ある 弓。 〇 鹿 毛 鹿の 毛色。 〇黑 鞍 黑塗リ の 鞍。 

6 こ X に淸 盛の 家来に、 伊賀の 33 の 住人 山 田 小三郎 0^ 仃と云 ふ 者が ちった が、 世に 二人と ない 程の 心の 

しっか リ した 者で、 自分の 向った 一 方 は 必ず 討ち 破らなければ 承知し な い 猪の やうた 荒武者で ある 

が、 淸 盛の 退かれた の を 見て 「いかに 爲 朝が 强 いからと て、 一本の 矢に 恐れて、 折角 向った 陣を 引く 

とい ふ 法が あらう か。 たと ひ爲 朝の 矢 だからと て、 この伊行の-起に はとても^^3るま い。 自分まで五代 



9 山 田 伊行 

は 門前に 馬 を 

K け 居 ゑ、 名 

乘リを 上げ 

た そして * 

お 朝が それに 

對 して 名乘り 

拾-つた 所 を 射 

たが、 射损じ 

て、 二の矢 を 

4^ ふ 所 を爲朝 

に 射られて、 

馬 から^ち 

た。 寄 手の 兵 



IS 先から 傳は つた^で、 戰に 出逢 ふこと 十五 度で、 自分の 物に なっても 度々 多くの 矢 を 受けた けれど 

も、 まだ 矢が 裏まで 通った こと はない の だから、 人々 御覽 なさ い。 15?^ 朝の 矢 を 一 つ 受けて 立^な 話の 

! jg にしよう」 と 云って、 1^ け 出る 「馬鹿な 手柄 はする ょリ せぬ がまし だ。 そんな こと は 益に も 立た 

ぬ こと だ」 と 友達が 止める けれども、 無論 一度 云った 言葉 は 返さない 男で 「夜が 明けて 後に、 友 建が 

「さあ 爲 朝の 矢の 跡 を 見よう」 と 云 はれて この 儘 引き返いたら その^ 何と 答へ、 りれ ょゥ〕 さうな ると お 

に 面目ない ばか リか、 平生の 手柄 も 消えて しま ふ 事が 残念な ので、 よいく 他の 人 は 後に 接かないで 

も、 お前が 證 人に 立つ だら う」 とて、 下部 一 人 を 召し連れて、 黑革械 の 鎧 を 藩、 同じ乇の:^^枚§-をヅ 

し 仰向けて 冠リ、 染 羽の 矢 を 十八 本 差して 負 ひ、 籐 e 卷 いて 漆で 塗リ めた 弓 を i£ つ て、 鹿の 宅 色の 

馬に 黑塗 n- の 鞍 を 置 い て乘 つ た。 

門前に 馬 を 駔け居 ゑ r もの そ Q ものに は あらわ ども、 安藝" 守の 郞等、 伊^" HQ 住人、 山 

田 Z 小三郞 伊行、 生年 二十 八、 堀: IP 院の 御宇、 嘉承 三年 月 六日、 對 HIT 守義親 追討の 時、 

〔平 正 .ssc しゃう じゅき す. * 

故備ズ S ノ 守 殿の 眞先 かけて、 公家に も 知られ 奉ったり し、 山 田 Z 莊司 行末が 孫な り。 山賊 

盜 VI 搦め 取る 事 は數を 知らす。 合戰の 場に も 度々 に 及んで、 高名 仕った る者ぞ かし, C 承り 及ぶ 

八 郎御瞥 司 を、 一目 見 奉らば ゃピと 申しければ、 爲朝 「 一 定き やつ は 引き 設けて ぞい ふらん。 

一 の 矢 をば 射させん す。 二の矢 を番 はん 所 を 射 落さん す。 同じく は 矢の たえらん 所 を、 我が 弓 

勢 を 敵に 見せん ヒと宜 ひて、 白 葦 なる 馬に、 余 覆輪の 鞍 置いて 乘 つたり ける が、 かけ 出で 

て、 r 鎭 西八郞 これに あり ヒと名 乘り給 ふ 所 を、 もとより 引き 設けた る箭 なれば、 弦音 高く 切 

つて 發っ。 御 曾 司の 弓手の 草摺 を 縫 ひざ まに ぞ射 切った る。 一 の 矢 を 射 15 じて、 二の矢 を桥ふ 

義朝 .In 河!... 夜 討の 事 一九 一 



九 二 



は 之 を 見て、 

いよ/ \此 門 

へ 向 ふ 者が な 

かった e 



所 を、 爲朝 能つ 引いて ひやう と 射る。 出田ノ 小 三郎が 鞍の 前 ii より、 錢の 前後の い 摺を尻 輪 か 

けて、 矢先 三寸 餘ぞ 射通した る。 暫しは 矢に かせがれて、 たよる 様に ぞ見 えし。 卽ち 弓手の-方 

べ眞 逆さまに 落 つれば、 鏃は 鞍に 留まって、 馬 は 河原へ 馳せ 行けば、 下人つ と 走り 寄り、 主 を 

霄 に 引つ 廢 けて、 御 方の i: へぞ歸 りけ る。 寄 乎の 兵 之 を 見て、 いよく 此の 門へ 向 ふ 者 こそな 

かり けれ。 (卷 二) 

6 〇 もの そのもの 云々 大した 人物で はない が。 OHM 光 かけて 先 1^ をして。 先頭に 立って。 〇 公 

家 朝廷、 天子、 又に 公卿。 〇 莊司 莊は私 領地、 その 長。 〇 承リ 及ぶ 豫て 摩さに 高名 を 承つ 

てゐ る。 〇 一定 必ず。 〇 引き 設けて ぞい ふらん 旣に弓 を 引いて 待って 云 ふので あらう. - 〇 

1 の 矢 第 一 番目の 矢。 〇 矢の たまらん 矢の 留る。 〇 白魔 毛 仝. 白色で、 髮と 尾との 黑, 

馬。 〇 金 覆輪 金で 緣を 取った もの。 〇 弓手 左手。 〇 草摺 鎧の 腰に、 分れて 垂れて ゐる短 

い 裾) 〇 緣ひ ざま ふやう に。 斜に。 〇 鞍の 前輪 鞍の 前の 方の 方形に なって ゐる ところ. > 

〇 尻 輪 後輪で、 鞍の 後方の 山形に たって ゐる ところ。 〇 かせがれて 支 へられて。 〇 たまる 

止まる。 〇 河原 賀茂 河原。 〇 下人 下部。 〇 寄 手 攻めて ゐる 

@ 門前 に^けて 馬を据 ゑて、 「自分は大した^|?1でなぃが、 淸盛の家來で、 $:賀11の住人、 山田小三郞か 

行で ある。 當年 二十 八で、 堀 河院の 御代の 嘉承 一二 年 正月 六日に 對馬守 義親を 追討した 時、 平 正 盛の 先 

陣 となって、 朝廷に も 知られ 奉った 山 田莊司 行末の 孫で ある。 今迄 山賊 ゃ强盜 を搦め 取る 事 は 數阪リ 

もない。 合戰の 場に も 度々 出て、 手柄 を 立てた 者 だぞ。 培に 聞いて ゐる爲 朝 を 一 目 た いものて あ 

る。」 と 申した ところが、 爲朝は 「きっと あいつ は- 旣に弓 を 引いて 待って ゐて云 ふので あらう。 第一 

の 矢 を 射さして やらう。 二の矢 を番へ て ゐる所 を 射 落して やらう。 向 じ 射るなら、 射通さないで、 矢の 



9 夜が 更け 

て、 主の ない 

馬が 源氏の 陣 

にかけ 入つ た 

の を! a ると、 

鞍壶に 血が た 

まリ、 前輪 は 

破れて、 尻 輪 

に 厳が とまつ 

てゐ る。 ^^朝 

はこれ を て 

^^朝のしゎざ 



止まる 所へ 射赏て >t、 .E 分の 弓の 力 を 敵に 見せて やらう」 と! K はれて、 白 毛の 馬に 金 1^ 輪 5 鞍 を 

いて 乘 つて 居た が、 K け 出して 「鎮 -S 八郎は こ >1 にんる」 と 名 乘リ給 ふ 所 を、 始めから 引いて 待って 

ゐた 矢で あるから、 弦音 を 高く 鳴らして 發 した。 爲 朝の 左手の 草 招 を 斜に射 切った。 1 の 矢 を 射 損つ 

て 二の矢 を番へ ると とろ を 爲朝は 十分 引きし ぼつ て- ひやう と 音 を さして 射た。 す- と、 山 W の 小; 一一 

郞の 鞍の 前輪から 鎖の 前後の 萆摺を 後輪に かけて、 矢の 先が 三寸 餘リ 射^した。 しばらく は 矢に 支へ 

られ て、 止まって ゐる 様に 見えた。 ところが 商ち に 左手の 方へ 眞 逆さまに 落ちた ので、 镞は 鞍に お ま 

つて、 馬 は 河原へ 馳 せて 行った から、 下部が つと 走り 寄って、 主人 を 唇に 引つ 懸けて、 御 方の 陣へ歸 

つた。 寄 手 g 兵 はこれ を 見て、 いよ- (- 恐れて 此 門へ 向 ふ 者はなかった。 

七、 § 殿攻 落す 事 

さる 程に、 夜 も漸ぅ 明け 行く に、 主 もな き 離れ 馬、 源氏の 陣へ かけ 入りたり。 鎌田ノ 郞 これ 

を 取らせて 見る に、 鞍壺に 血た まり、 前輪 は 破れて、 尻 輪に 磐の 如くなる 識 とまれり。 是を大 

將 軍に 見せ 奉って、 「今夜 筑 紫の 御曹司の、 遊ばされて ありげ に 候 ふ。 あない かめし の 御り 勢 

や。」 と. a. しければ、 義朝 「八郞 は、 今年 十八 九の 者に てこ そ あれ。 未だ 力 も かたまら じ。 それ 

は 敵 をお どさんと て、 作って こそ 放しけ め 。それに は 臆すべ からす。 汝, 1: つて 一 常 あてて 見よ ピ 

と宣 へば、 「さ 承り 候 ふ ピ とて、 正 淸百騎 ば^りにて 押 寄せて、 「;fl パ 守の 郎等に、 相 模.' 國 

の 住人 鎌 田 Z 次郞! i: 淸」 と名乘 りければ、 「さて は 一 家の 郞從 ござん なれ。 大將, の 矢面 をば 

引き 退け o」 と宜 へば、 「もとは 一 家の 主君 なれ ども、 今 は 八 逆の 凶徒な り。 逮 勅の 人々 討ち取 

d 河殿攻 落す 事 一九 一 fj 



1 九 四 



だと 知り、 錄 

田 も 正 淸に命 

じて 爲 朝に 當 

らしめ た。 正 

淸は、 百騎ば 

かりで 押し 寄 

せて 行った 

が、 爲 朝に 追 

ひ 立てられて 

河原 を 下リに 

逃げて しまつ 

た それで、 

爲朝も 引返し 

た 



つて、 高名せ よ や 者 ども コ」 とい ひも 5^ てす、 能つ 引いて 發っ 矢が、 御曹司の 半 頭にから りと あ- 

たって、 兜 Qip 射附 けたり。 爲朝餘 りに 腹 を 立てて、 此の 矢 を かいかな ぐって 投扮 て、 「お 

のれ 程の 者 をば 矢た うなに、 手 取に せんと て^け 給へば、 須 藤九郞 家季、 惡 七別當 以下、 例 9 

二十 八 騎ぞ續 きたる。 正淸 かな はじと や 思 ひけん、 百 騎の勢 を 引き 具して、 川原 を 下りに 五 W 

ばかり、 ふる ひく^げ たりけ り。 御曹司 は 弓 をば 脇に 接 挾み、 大手 を ひろげて、 何處 まで 何 

處 までと 追 はれけ るが、 「さの み 長 追な せ, て。 判官 殿 は 心 こそ 猛く おはし ませ ども、 年老い 給 

ひ ST 淺 りの 人々 は 口 はき、 給へ ども、 さの み 心に くから す。 小勢に て 門 破らるな" 返せ や 」 

とて 引き返す。 

i 〇 主 もな き 離れ 馬 乘 手の 居たい 放れ 馬。 前章の 山 田 伊行の 乘 つて ゐた 馬。 取らせて 部下に 

捕へ させて。 〇 鞍壺 鞍の 前輪と 後輪との 間に 橋 わたしに なって るると こ ろ。 〇 大將 ^源義 

朝。 〇 遊ばされて 云々 爲 された やうに 思 はれる。 〇 いかめし 恐ら しい。 〇1 番 あて、 

見よ 一勝 負 やって 見よ。 〇 ござん なれ こそ ある なれ、 の 約。 〇 大將 Jef の 矢面 こ. - の大將 3 

は爲朝 自身。 八 逆 八虐と 同じ。 謀反 &大逆* 謀叛 &逆 • 不? 大 不敬 • 不孝 • 不義" (兒徒 

惡者。 〇 半 頭 餞で 作った 額 を掩ふ 具。 〇^ 兜の 背後に 垂れて 領を蔽 ふ もの。 〇 かいなくて 

て かきなぐって。 接ぎ 投げる こと。 〇 矢た うなに 矢 答な、 で、 返しの 矢 を 射ない こと。 〇 長 

追な せ そ 長 追 ひするな。 〇 口 はき 乂 給へ ども 口で は 立派な こと を 云 はれる が、 さ a- 觀 もしくな 



さて、. 夜 も だんく 明け 行く 頃に、 乘手 もな い 放れ 馬が 源氏の 陣へ K け 入った。 嫌 田次郞 はとの 馬 を 



下部に 捕へ させて 見たところが、 鞍壶に 血が 溜リ、 前輪 は 破れて、 後輪に 慰の やうな 鏃 がと まって- 

る。 これ を義 朝に 見せ 奉って 「この 矢 は 今夜 爲朝 殿の 射られた やうに 思 はれます。 ほんと に 恐ろ い 

弓の お 力です わ い」 と. & したと ころが、 義朝 は、 八郞は 今年 十八 九の 者で ある。 まだ 力 も!; まらな い 

喾だ。 それにび くついて はいけ ない。 お前 向って 一 合戰ャ つて 見い」 と 仰せられ るので 「承知し まし 

た」 と 云って、 正淸 は百騎 ばな リで押 寄せて、 「下野 守の 家 來の相 模^の 住人 鎌 田 次郞: 止卞: s」 と名乘 

つたと ころが、 「それで は、 同じ 源 家の 家來 である。 この 大將 軍の 矢先に 立つ の は 無 AT た、 引き 退け 

い」 と 仰せられ ると 「もとは 源 家の 主君で ある けれども、 今 は八虑 の- B 者で ある。 朝廷に く 人々 を 

討ち取って、 手柄 をす るが い、、 さあせ 2 の 者 共」 と 云 ふや いなや 十分 引きし ぼって 發 した 矢が、 は 朝 

の 半 頭に かち リと當 つて、 兜 の^に ひつ 附 いた。 爲朝は 大變立 股して、 この 矢 を かき 棄て >- 「お前ぐ 

らゐ の 者 は 返し 矢 をし な いで 捕へ て やらう。」 とて 甌は 出される と、 须 藤九郞 家季、 惡 七別當 以下 二十 

八騎が 後に 績 いた。 正淸は 叶 はない と 思った のか、 百騎の 軍勢 を ひき 連れて、 川. Si を 下 リに五 丁ば か 

り 震 ひながら 逃げた。 爲朝 は、 弓 を 脇に 极き 夾ん で、 大手 を 廣げて 何 返まで もく や;! はれた が 「そん 

なに 遠く 迄 追 ふな。 父の 判官 殿 は 心 ®- ましく おはしましても 年を取って おいでになる。 ぬ ヘリの 人々 は 

口で は 立派な こと を 云 ふが、 そ れ ほど 賴 もしくはない。 味方の 小勢に なって ゐる ところ を 攻められて、 

敵に 門 を 破られて は い^ぬ。 引返せ」 とて 引き返した。 



9 缣 田が 恐 

れて歸 つたの 

を 見て、 義朝 

x\ 叩 下 に 下 

知し、 二百 余 

騎で 追つ 懸け 

た。 義 朝と 爲 



鎌 田 は 河原 を 西へ 引かば、 大將 軍の 陣の 前、 敵の 追 ひかけ んも惡 しかり なんと m 心 ひて、 下に 

^げたり ける が、 敵 引つ 返 すん 見て ければ、 川 を 直 遠に 馳せ 渡して、 れ參 つて 候 ふ。 坂 束 

にて 多くの 軍に あ ひて 候へ ども、 是れ程 軍 立 はげしき 敵に,, 木 だ あはす 候 ふ。 いかづち などの 落 

ちか \ らん は、 事の 數 にも 候 はじ 」 と 中し ければ、 義朝 「それ は閱 ゆる 者と m 心 ひて、 怖 づれば 

こそ はさ あるら め。 八 郞は筑 紫 そだちに て、 船の 中に て 遠矢 を 射、 徒 立な ど は 知らす。 HJi! 上の 

a 河殿攻 落す 事 1 九 一. - 



九 六 



朝と は 互に? 5 

對 して, t 々名 

乘リを 上 げ 

た 



業 は、 坂 東 武者に はいかで 及ばん。 馳せ變 ベて 組め や 者 ども 」 と 下知せられ ければ、 相模, m 

の 住人 首 藤 刑部ノ 俊 通 • 其の 子 瀧 口 俊 綱 • 海 老名ノ 源 八季定 • 波 多野ノ 次 郞延景 等を始 とし 

て、 二百 餘騎 にて 追つ 懸けたり。 爲朝寳 莊嚴院 の 西 うらに て 返し 合せて、 火 出づる 程ぞ戰 うた 

る 

〔i〕 

大將は 赤地の 錦の 直垂 に、 黑絲: i の 鎖に、 鍬 形 打った る 兜 を 著、 黑 馬に 黑鞍 置いて 乘っ たりけ 

り。 き| 泊ん 張り 突立ち あがり、 大昔 揚げて、 「清 和 天皇 九 代の-後胤 下野 ノ 守源ノ 義朝、 大將 軍 

の 勅命 を 蒙って 罷向 ふ" 若し 一 家の 氏族たら ば、 速に 陣を 開いて 退散すべし 」 とぞ 官ー ひける。 

爲朝 聞き も あへ す、 r 嚴 親判宫 殿、 院宣 を 蒙り 給 ひて、 御 方の 大將 軍た る 其の 代官と して、 

西 八郞爲 朝、 一陣 を 承って 固めたり」 とぞ 答へ ける。 , 



〇 直 違 斜に。 〇 軍 立 軍の 仕方。 〇 いかづち 雷。 〇 事の 數 にも 候 はじ 数に は 入らない。 

〇 それ は 聞 ゆる 云々 その 樣に 恐ろしく 思 はれる の は、 かねて 有名な 剛勇な 者と 思って。 〇 さある 

らめ その やうに 思 はれる ので あらう。 〇 遠矢 矢 を 遠くに 射る こと。 〇 徒 立 馬に 乘ら ずに 戰 

ふこと。 〇 坂 東 東國。 閼東。 〇馳 せ 並べて 馬 を 並べて。 〇 返し 合 はせ て 引き返して 敵と 

戰 ふこと。 〇 火の 出 づる程 戰の烈 3 いさま。 〇 黑絲絨 黑ぃ 色に 染めた 糸で 絨 した^。 〇^ 

形 究の 目庇の 上に 雙の 角の 如く 立って ゐる もの。 〇 燈 足 踏の 義で 鞍の 兩 脇に 垂れ、 乘る 人の 足 を 

踏み 止める 具。 〇 一家の 氏族 源 家 一門の 者。 〇 陣を 開いて 陣を 解いて。 〇 殿 父 たビ 父の 

こと。 〇 代官 名代" 

@ 鎌 田 は 河原 を 西へ 逃げたら 爲義 の陣の 前に る、 そこへ 敵が 追 ひかけ て 來ては 具合が よくない からと 



藝 

朝 



義 朝が 爲 

兄に 弓 引 

くこと を 非難 

す ると、 Is 朝 

け義 朝に、 父 

に 向って 弓 を 

引く こと をな 



思って、 流れに 沿うて 逃げた が、 敲が 引き返す と 思 はれた から、 川 を 斜に馳 せ 渡して、 CI 分の 陣に歸 

リ 「逃け て參リ ました。 東!: で 多くの 軍に 逢って をり ますが、 これほど 眾の 仕方の 烈し い 敵に まだ Jg/ 

ひません。 雷なん か 落ち か X るの は あれに 比べる と 何で. xP ぁリ ません」 と 申した ところが、 義朝は 

「そんなに 恐ろしく 思 はれる の は、 かねて 名高い 剛勇な 者と ひ 込んで 怖れて ゐ るから その やうに 思 

はれる の だら う。 八郞は 九州 育ちで、 ^の 中で、 遠くに 矢 を 射る こと や、 上でなくて 矢 を 射る こと 

はどう か 知らな いが、 馬上で 射る 業 は 坂 束 武者に はどうして 及ばう。 馬 を馳せ 並べて 敵と 取 リ紀め 

や、 者 共」 と 命令せられ たので、 相 模國の 住人 首 藤 刑 部 伎 通、 その子 瀧: Z 伎 綱、 海老 名 源八季 お、 波 

多 野次 郎延景 等を始 として、 二百 餘騎で 追つ 懸けた。 爲朝 は、 寶莊 厳院の 西の 裹で 引つ 返して 敵と ぶ 

つつかって、 火が 出る 程 烈しく 戰 つた。 

義朝 は、 赤地の 錦の 直垂 に、 黑絲絨 9 鎖 を 着、 餓形 打った 兜 を 著、 黑 馬に 黑鞍を 置いて 乘 つて ゐた。 

镫を路 み 張り 突立ち 上り、 大昔 を 揚げて 「淸和 天皇 九 代の 子孫の 下野 守源義 朝が 大將 342 勅命 を^つ 

て 向った。 もし、 源 家 一門の 者が あらば、 陣を 解いて 返 散せ よ」 と 云 はれた。 すると 爲朝は それ を^ 

き 終 はらないで 「父の 判官 殿が 上皇の 仰せ を 蒙り 給うて、 御 方の 大將 3^ であるが、 その 名代と して、 

鎭西 八郞爲 朝が 一 つの 陣を 引き受けて 守って ゐる」 と 答へ た。 

義朝 重ねて、 「さて は 遙の弟 ござん なれ J 汝 兄に 向って 弓 引かん 事、 其 加な きに あらす や。 几 は 

宣 旨の 御 使な り、 禮儀 を存ぜ ば、 弓 を 伏せて 降參 仕れ ピとぞ 巾され ける。 爲 朝乂、 「兄に 向つ 

て 弓 引かん が、 冥加な しと は现 なり。 正しく 院宣 を 蒙った る 父に, 问 つて、 弓 引き 給 ふ は 如 3: 

にピと 巾され ければ、 蕤-ゅ 道理に や 詰められ けん、 共の 後 は 音 もせ. f。 武藏 • 相 校の^ やり を 

の 者 どもが、 驀地に 打って か&る を、 爲朝暫 し 支へ て 防ぎけ るが、 敵 は 大勢な り、 かけ-陥 てら 



白 河殿攻 落す 事 



九 七 



一 九 八 



じった の で 、 

義朝 も默っ て 

しまった。 武 

藏、 相 摸な ど 

の はや リ をの 

者 どもが 打つ 

て か V つたの 

で爲朝 はしば 

らく 防いで ゐ 

たが、 門の 内 

へ 引き 退 い 

た。 すると 敲 

は 門の 際まで 

攻めつ けた。 



9 爲朝 は、 

義 朝の 大きな 

男が 大きな 馬 

に乘 つて、 突 



れて は、 判官の ため 惡 しかりなん と 思 ひて、 門の 內へ 引き 退く J 敵 これ を 見て 防ぎ 幾ね て 引. 

とや 思 ひけん、 勝に 乘 つて、 門の 際まで 攻めつ けて、 人れ 替へ /、揉 うだりけ り" 



,に 分れて ゐた 弟。 〇 冥加 祌佛 が隱れ たと ころから 加! i せら 

〇 疆儀を 存ぜば 體儀を 知らば。 〇 院 -"3 一 上皇の 命令。 〇 

散に。 〇 打って か- 1 る 攻め寄せる。 〇 揉う だ リけリ 揉. 



6 Q 遙 3 弟 末の 弟。 又は、 久しく 遠. 

れるこ 。 〇 宣旨 天子の 命令。 

はや リを 血氣の 勇者。 〇 憂 地 

みた リ けりの 音便。 接戦した。 

8 義朝は 重ねて 「それで は 永い こと 遠くに 別れて ゐた 弟で あるか。 汝、 兄に 向って 弓 を 引く 事、 無蹟極 

る 行 ひで、 定めて 祌佛の 加護 を 失 ふだら う。 その上、 自分 は 天子の 御 命令の 御 使で ある。 もし 鰹 儀 を 

知るなら 弓 を 伏せて 降參 せよ」 と 申された。 すると 爲 は 又 「兄に 向って 弓 を 引く のが 冥加が な いと 

云 ふの は なる ほぞ 道理で ある。 而し 正しく 上皇の 仰せ を 蒙って 5 る 父に 向って 弓 を お引き に なられる 

の は 何う か」 と 申された ので、 義朝は 理窟 詰めに せられた ので あらう、 その後 は 何とも 云 はない。 武 

藏ゃ相 摸の 血氣 盛な 者 共が 一 散に 攻め寄せ たの を、 1^ 朝は暫 りく 支へ て 防いだ が、 敵 は 大勢で ある、 

もし a 分と 父との 間 を 敵に 遮ぎ られ て、 隔てられて は 父の 爲め によく たいと 思って、 門の 中へ 引き 退 

いた。 敵 はこれ を 見て、 防ぎ 兼ねて 退く とで も 思った のか、 勝に 乘 じて、 門の 際まで 攻めつ けて 新手 

を 人れ 替へ、 入れ 替 へして 烈しく 戰 つた。 

爱に爲 朝、 敵の勢 ごしに 見れば、 大將義 朝、 大の 男の 大きなる 馬に は乘 つたり。 人に 勝れて 軍 

の 下知 せんとて、 1^^1:1 ち あがりた る內 兜、 誠に 射 よげ に 見えければ、 願 ふ 所の 幸 得たり と悅び 

て、 怦の大 矢 を 打つ が ひ、 た^ 一 矢に 射 落さん と 打ち あげけ るが、 待て 暫し、 弓矢 取りの 謀、 



立ち上 つて ゐ 

る 內§^ か. 川よ 

げに 見えた の 

で、 大矢, >- 打 

つがへ て、 た 

い、 一 矢に 射搭 

さんと した 

が、 もし かハ乂 

子の 間に 互に 

助け合に うと 

云 ふ 約束が あ 

るか も 知れぬ 

と 思 つて、 は 

げた 矢 を? 5- し 

はづ した G 



9 雙方共 互 

に 烈しく つ 

た。 片桐小 八 



■ 



r 汝は 内の 御 方へ 參れ、 我れ は院 方へ 參 らん、 汝 負けな ば 憑め、 助けん、 我れ 負けな ば 汝を憑 

まん ヒ など 約束して、 父子 立 別れて かお はすらん と 思案して、 はげた る 矢 を 指し はづ す、 遠慮 

の 程 こそ 神妙 なれ。 すべて 八郞の 矢に 中る 者、 助かる 者ぞ なかり ける。 されば 罪 造りと や 思 は 

れ けん、 名乗って 出づる 者なら では、 左右な く 射 給 は ざり けり。 

〇 勢 ごしに 見れば 敲 の 軍勢の 頭 越しに 見る と。 〇 人に 勝れて 人よ リ高 く。 〇 下知 指^。 

內§- 究? 內。 〇 願 ふ 所の 幸 希 3-?^ リの 好機 <T 〇 件の 例の。 〇 打ち あげる 弓 射ん が 

ために、 矢を番 つて、 E 通リ より 上へ、 弓 を擧 げた こと。 〇 弓矢 取る 身 武士。 〇 遠 斑 r ばい 考 

へ。 〇 左右な く むやみに。 

こ. 'に、 爲朝は 敵の勢の 頭 越しに 見る と、 大 將の義 朝が 大きい 男で 大きな 馬に は乘 つてね る。 人よ リ 

も 高くて、 而も 軍の 指 闘 をしょう と、 馬の 上に 突立ち 上って ゐる內 兜が まことに 射お く えたから,、 

自分の 希望して ゐる 通リの 好機 會だ と悅ん で、 例の 大矢を 弓に 番 つて、 た 一本の 矢で 射 一 ii^ さう と、 

弓 VJ 打舉 げたが、 ちょっと 待てよ、 武士の 身の 謀に は汝は 天子の 御 方に 參れ、 CI 分 は 上. M の 方へ 參ら 

う。 汝が 負けた なら 自分に 頼つ て來 い。 助けて やら-つもし、 自分が 负 けたら 汝に籾 ま ラ」 などと 約束 

して、 父子が 兩 方に 分れて おいでになる かも 知れぬ と考 へて、 番った矢を指し外した?,;£ ぃ考に^^て心で 

ある。 すべて- 爲 朝の 矢に 當る 者で 助かる 者 は なかった。 だから 無闇に 殺す の は 後 佻の Zi: を 作る こと 

だと 思 はれた もの か、 名乘っ て 出る 者で たくして はむ やみ に 射られなかった。 

4. ねと 

長井ノ 裔藤別 當資盛 • 弟の 三郞實 員 • 片桐ノ 小八郞大夫1:ー3^重*首藤> 瀧 口 以下、 宗徒の- レパ、 攻 

人. りく 戰 ひければ、 惡七別 當* 手 取 Z 與次* 高? T 三 郞* 同じき 1:郞*士:1 田, 太郎 以下、 こ 

: 何殿攻 落す 事 1 九九 • 



二 〇〇 



郞大 夫と 手 取 

の與 次が かけ 

合った が、 片 

桐が 戰ひ 疲れ 

て 危く 見 え た 

時、 行成が 馳 

せ 合 は > て、 

與次に 馬 手の 

草 指 を 射られ 

て 退 いたので 

片桐は 勝に 乘 

じて かけ 入つ 

た 



9 爲朝は 敵 

を 引退け る 計 

略と して、 義 

朝の の 星 を 

射 削リ、 なほ 

義 朝に 向つ 

て、 矢壺 をた 

しかに 承って 

射て 見ようと 



X を せんどと 防ぎけ り。 片桐, 小 八郞女 夫に 手 取, 與.^ ぞ かけ 合 ひける。 與次は 若武者な り、 

景 重は老 武者なる うへ、 戰ひ 疲れて 旣 にあぶな う 見えけ る 所 を、 秩 父,' 行成 馳せ 合せて、 能つ 

引いて 放つ 矢に、 與. ft- が 馬 手の 草 指の は づれを 射させて 引き 退けば、 景重 勝に 乘 つて ぞ かけ 入 

りけ る 

6 〇 宗徒の 兵 重立った 兵。 〇 せんど 先途。 大事の 場合。 〇 馬 手 右手。 〇 はづれ 下の 方の 

外れ。 

i 長 井 齋藤別 富實盛 • 弟 の 三 郞實員 *片 桐 小 八 郞大 夫 • 首 藤 瀧 口 以下 重立った 兵 は 攻め入 リく戰 つ 

たので、 惡七 別赏。 手 取の 與次 • 高 間 三 郎* 同じ 四郞 e 吉 田の 太 郎 以下 はこ. -が 大事た 場合 だと 防いだ。 

片桐小 八郎大 夫と 手取與 次と が 駅け てぶ つ つかった。 舆次は 若い 武者で ぁリ、 景直は 老武. I? である 以 

上、 戰ひ 疲れても は ゃ危 さう に 思 にれ た 所 を、 秩父 行成が その 場に 折よ く 馳せ來 つて、 弓 を 十分 引き 

しぼって 放った 矢に、 與次は 右手の 草摺の 外れ を 射られて 返いた ので、 景重は 勝に 乘 じて 中に K け 入 

つた。 

「爲 朝〕 

御 曹司、 須藤 九郞を 召して 



ふと も 

す 



終に はかな ふま じ A 



,敵 は 大勢な り。 若し 矢種 盡, きて 打 物に ならば、 一 騎が百 騎に向 

子 討た るれ ども 顧み 



坂 東 武者の 習、 大將 軍の 前にて は、 親 死 

いやが 上に 死に 重なって 戰 ふと ぞ 聞く。 いざさら ば、 大將に 矢 a 負 ほせて、 引き 退けん と 

思 ふ は 如何に ピと宣 へば、 家季 I るべ く 候 ふ" 但し 御 あやまち や 候 はん。」 と 巾し ければ 、「何 條 

て もと つが 

さる 事 あるべき。 爲 朝が 手本 は覺 ゆる も Ci を。」 とて、 例 大矢 をれ 交 ひ、 しばし 固めて ひやう 

や つ 一義 朝〕 * うさ、 

と 射る。 思 ふ 矢氬を 過た す、 下野, 守の § 儿の 3if を 射 削りて、 餘る 矢が 寳莊 嚴院の 門の 方 立に、 篦 



云って、 二 の 

矢 を番 へた 所 

へ、 ?;! - 槊七郞 

淸國 が、 つと 

K け 寄せた の 

で、 朝 はこ 

れを 左手に 受 

けて はたと 射 

た。 淸 國は即 

死した。 



、かせめ てぞ 立ったり ける。 其の 時義朝 手綱 搔 繰り 打 向 ひ、 r 汝は聞 及ぶ にも 似す、 無下に 手 こ 

そ あら けれ ピと宜 へば、 爲朝 「兄に て 渡らせ 給 ふ 上、 存する 旨あって かう は 仕つ たれ ども、 誠に 

御免 を 蒙らば、 二の矢 を 仕らん" 眞向 *內§ -は 恐れ も 候 ふ。 障子の 板 か、 栴植 • 弦 走 か、 胸板 

の眞中 か。 草摺なら ば、 一 の扳 とも 二の 板と も、 矢壺を 健に 承って 仕らん とて、 旣に矢 取って 

ふ-^ ャ 

番 はれけ る 所に、 上野 ノ 國の 住人 深巢 Z 七郞淸 固、 つと かけ 寄せければ、 爲朝 これ を 弓 乎に 相 

受けて はたと 射る。 淸國が 兜の ニニの 扳 より 直 遠に、 左の 小耳 Q 极へ、 ば 中ば かり 射 込まれ たれ 

ば、 暫 しもた まらす 死にに けり。 須藤, 九郞 落ち合 ひて、 深 巢が首 をば 取って けり C 

〇 矢種 節に 盛って ある K リの 矢。 〇 打ち^に ならば 大刀、 長刀 を 取って 戰ふ+ むに は。 〇 いや 

が 上に その上に その上に と。 〇 矢 風 負 はせ て 矢の 勢に 恐れさす。 〇 御 あやまち 矢 を 射 そこな 

ふ。 〇 何條 どうして。 〇 手本 腕前。 oaLi, ゆる 自信が ある。 〇11 めて しっかと ^をお 

める。 〇 思 ふ矢壺 狙 ひ 定めた 場所 〇5^ の 星 兜の 鉢に 飾リ つけて ある wii。 〇 方 立 門の^と 

上の 潢 木と 鳥 井形 をした ところ。 〇 笾中 せめて 矢の 中程まで 强く 射;^ んだ こと。 〇 手 網 搔珠リ 

手^ を 引きし める ことで、 馬 を 静める ためで ある。 〇 手 こ. てあら けれ 手が 精し くたい。 • 服が 3?i 姊 

して ゐ ない。 〇 眞向 額。 〇 障子の 板 胸板の 上に 凝き、 半月形して 喉に 當る ところ" 〇 栴植 

鎧の 右の 肩先に 附 けた 小さい 袖 形の もの。 〇 弦 走 IS の 腹 を 皮で 包んだ 所。 〇_«J. 招なら ば 云々 

草摺 は 裾 枚と もに 五 枚あって、 上から 顺に 一 の杈、 二の 极と數 へ 呼ぶ。 〇, り 手 左手。 〇 三の 板 

^の 三枚目の 权。 〇 落ち合 ひ 互に 同じ 虚に 落ちる。 馬から 下"^ つたの e ある。 

爲朝は 1^ 藤 九郞を 叫んで、 「敵 は 大勢で ある。 若し 矢が 仝 部 なくなって、 太刀 長刀の 戰 となった たら 

ば、 敲は 大勢 だから、 味方の 一 騎が 敵の 百騎に 立ち 向っても 不足で 終に はかな ふま い。 坂^ 武士の 常 

二 〇1 



6 



白 河^ 攻 落す 事 



二 〇 二 

とし 、 大^軍の 前で は、 親が 死に、 子が 討 たれても 少しも それ を K みな い、 死んだ 上に 死に 重なつ 

て戰 ふとい ふ 摩 だ。 それなら さあ 一 つ 大將に 矢の 勢に 恐れ を さして、 引き返け ようと 思 ふが 何う だ」 

と 卯せられ ると、 家季は 「それが 宜し いでせ う。 而 しもし 矢 を 射 そこた はれ ォ < したら どうな さ います」 

と 申したら 「どうして そ の やう な 事が あ る だ ら う C S の 腕前に は 自信が あるから 大丈夫 だ」 と 云つ 

て、 例の 大きな 矢を吞 へて、 しぱ らく 狙 ひ を 定めて、 ひやう と 射た。 すると 自分の 狙 ひ 定めた 揚所を 

間違へ ず、 義 朝の の 星 を 射 削って、 その 力の 餘 つた 矢が 寳莊嚴 の 門の 方 立に 矢の 中 St まで 强く入 

り、 ス にんだ。 その 時、 義 朝に、 馬の 手 編 を 引きし めて、 爲 朝に 向って 「お前 は 弓術の 大變 上手 だと 聞い 

て 居た やうに もない。 ひどく 腕が 熟練して ゐ ない。」 と 仰せられ ると、 S 朝 は 「兄 上で いらせられます 

上、 考 へる ことがあって、 わざ と 中ら ぬ やうに したので す 力、 まことに ^0 を 射ても よ レと 云-二お 許 

しが 出ましたら 二の矢 を 射 ませう。 額 や 內兜は 恐れ多う ございます。 £L ャ 子の 板 か、 或は 栴植か 弦走リ 

か、 それとも 胸板の 眞中 か、 どこでも 射て お E にかけ ませう。 草 指たら 一 の 板で も 二の 板で も、 場所 

をた しかに 承って 射 ませう」 と 云って、 もはや 矢 を 取って 香った 所に、 上-^5?國の住人の?.^^£,ポ七郞淸11 

がつ と 駅け 寄って、 義朝を 射させ ま いとした から、 爲朝は 身 を ひねって、 左手に 受けて はたと 射た。 淸 

國の § -の鍈 の 三の 板から 斜に 左の 小耳の 根へ、 矢 竹の 牛 分 S£ 射 込んだ ので、 暂 くも 馬上に 留まらな い 

e、 落ちて 死んだ。 すると、 須藤 九郎は 深巢の 落ちた ところへ、 自分 も 馬から 下リ 重って Fjf 巢の首 を 

取って しまった。 



®} これ を も 

事と もせず、 

我先に,. <® け 

たが ゝ その 中 



これ を も 事と もせす、 我先にと かけけ る 中に、 相 模,' 國の 住人 大庭メ 平 太 景. s、 同じき 三郞景 

親、 まっさきに 進んで 申しけ る は、 「八 幢〕 殿、 後三年の 合戰 に、 出 羽,' 國金 澤ノ 城 を 攻め 給 ひ 



し 時 、十六 歳に して 軍の まっさき かけ、 鳥 海 三 郞に左 Q 眼 を 兜の 鉢附の 板に 射附 けられながら- 



に、 大 平 太 

晋義、 同じ 三 

郞せ親 は眞っ 

先 ほ 池んだ。 

は 朝 は、 今度 

は镝 矢で 射た 

いと 思って、 

鶴から 上の 畏 

さ 十五 束 あつ 

たの を番 へて 

放った ところ 

が 御所 中に 長 

鳴し、 大庭平 

太の 左の 膝 を 

^切り、 余力 

は 馬の 太 腹 を 

射通した の 

で、 馬 は 倒れ 

てし まった。 

弟の 一一 一郎 は 馬 

から 飛んで 下 

n て 、 兄 を 肩 

に 引つ 懸けて 

S いた。 



ず,.., -5」、 if, «r 權 五郎き が毫、 g^iji., 一 

答の 矢 ま 返して 0-1^1,. .ー 

親に とぞ 名乘 つたる ま i,% ゴ". ^西き のぞ: g ひて、 九つ 指し 一 

一 に ま 日始の f b 。征矢; V へ は 度々 あたりし- ? Tz:「"、 ! なる ふ 

東. ^ r わ 目^ら こよ 均. £丄 て、 か,^ か I チ くくらせて、 金 卷に朱 さした るか 1^*0^; - 

た 4^「 ^^^u Tfn 鍋より 上 十五 f りけ る 

に、 手先 六!: f " バ HI ""き;;" HI 五六 f かりに 控 へた . 

I つて 番ひ、 ぐつ さと 弓いて さォ おり、 S すと まれば、 l^s 一 

りこけ り。 馬 は碎鼠 を^す 如く カ^と 倒 るれ i- ョ - 、、こ r50 一 

と 「,,0! 馬より 飛 下り、 兄き に 引つ 懸けて、 g 町ば かり ぞひ いたけ" ,。 つ, 一 

i ,o 鉢! そ Bp おぶ 一 

pit 瞻 pyH:s"" 

。"九: 風 s": 樣"" たもの。 S 返 g 入る と ごろー 

け、 穴と 穴との 間にず 立て、 の 穴に よく? 受. 一 つ ましたる 朱で 塗つ て あ る こ 

くら. I .〇 きの?? ひ is "た.". ゐ t の 。今,? H 

と。 § 摘の 大きい ものて 響 カ强く 。§^; 翁: ク- 付けた 雁 又の 左右に S てゐ るの 暴 

- ゐ 4:n:4J"u::i§s 峰 SI 對 ii。 oi 一 

d 河殿攻 落す 事 



二 cs 



9 その他の 

者 も 入れ 替へ 

く 攻め 戰 

ひ、 各 分捕 



普通の 人の 矢 は 十三 束。 〇 五六 段 古 尺の 一段 は 六十 間で あるが、 軍記! &語の 段 は 六 間 位で ある。 

〇 片手 切 雁乂の 半分の 方で 切った ので ある。 〇 かけず 矢が 止らないで 通って しまった こと。 

〇 前 へ ぞ餘 されけ る 前 に ち 残 さ れた 。 

S これ を もび くと もせず、 我先にと K け來る 中に、 相 模の國 の 住人 大庭平 太 景義、 同じ 三郞景 親が 眞っ 

先に 進んで 申した に は 「義家 公が 後三年の 役に 出 羽の 國金澤 の 拭 をお 攻めに なった 時、 十六 歳で 眾ん 

先陣 をして、 鳥 海 三郎に 左の 眼 を 兜の 鉢附の 板に 射て 附 けられながら、 返答の 矢 を 射返して, その 敵 

を 討ち取った 鎌 倉權 五郎せ 政の 子孫の 大庭平 太景ー f、 同じ 三郞景 親で ある」 と名乘 つた。 5^ 朝 はこれ を 

お聞きに なって、 西 國の者 共に は 皆 自分の 腕前 を 見せた けれども、 東國の 兵と は 今 H が 始めての 軍で 

ある。 征矢 は 度々 射た けれども、 鏑矢 はま だ 射な いから 射た いもの だと 思って、 B の 九つ 付けて ある 

鎖で、 目 柱に は 角 を 立て、 a の 入る ところ を 厚く 作らせて、 金 卷に朱 を 塗って あるの が、 通の 慕 B 

位な 大きさな のに 雁 又の 手先 六寸 を 付けて、 その 前 一 寸には 刀の 背に も X を附 けて あった。 鏑 から 

上の 長さ は 十五 束あった の を 取って 弓に 番ひ、 ぐつ さと 引いて 發 したと ころが、 御所 中に 礬 いて 遠 鳴 

し、 五六 段ば かり 隔て X 控へ て ゐた大 庭 平 三 の 左の 膝 を 雁 又の 半分で ぶつ つ" 射 切り、 その 餘 力で 馬 

の 太 腹 を 射通した から 鏑は碎 けて 散って しまった。 馬 は 屛風を 倒す やうに がば リと 倒れる と、 乘手は 

前に 落ち 殘 された。 敵に 首 を 取られ ま いと、 弟の 三郞は 馬から 飛び下り 兄 を 肩に ひつ 懸けて 四 五 丁ば 

かり 退いた。 

武藤ノ 國の 住人 豐嶋 四郞 も、 須 一勝 Z 九郞に 弓手の-太股 を 射させ、 安房" 國の 住人 丸ノ 太郞 も、 

鬼田ノ 與 三に 脇 立 射させて 引き 退く" 中條ノ 新 五 • 新 六 • 成田ノ 太 郞* 箱 田 Z .^^-郞*奈良.' 三 

郞* 岩 上 Z 太 郞* 別府ノ i 八^ • 玉 井ノ 三郞 以下、 入れ 替 へく 攻め 戰ひ、 各 分捕し、 传羊 負う 



し、 怪我して 

引退く ところ 

に、 惡七別 常 

と 名乗って^ 

け 出で、 海老 

名 源 八が 馳せ 

合うて 戰 つた 

が、 草 招の は 

づれを 射られ 

て ひるむ とこ 

ろへ、 齋藤別 

當が 駅け 寄つ 

て、 惡 七別赏 

の 首 を 落し 

た 



S 



て 引き 退く 處に、 黑革絨 の 鎧、 #i "打った る 兜 を 著、 i# なる 馬に 乘り、 惡七^ 常と 名乘 つて 

かけ 出で たり。 海老 名ノ 源八馳 合うて 戰 ひける が、 草 指の は づれを 射させて ひるむ 所 を、 齋藤 

^當 Sii もな く かけ 寄せ たれば、 惡 七別當 太刀 を拔 いて、 齋 藤が § -の鉢 を 丁と 打つ。 打 たれな 

がら 實盛、 內 兜へ 切 先 上りに 打ち込みければ、 過た す 惡七別 當が首 は 前に ぞ 落ちたり ける。 實 

盛. H の 首 を 取って、 太刀の 先に 貰き さしあげて、 「利 仁將軍 十七 代の 後 風、 武藏メ 國の 住人、 

齋籐 刖當實 盛、 生年 三十 一 、 軍 をば かう こそ すれ。 我れ と 思 はん 人々 は、 寄 合へ や、 寄 合へ 

や」 と 呼ば はりけ る。 

〇 分捕 敵の 首、 又は 甲胄 その他の 武器な ど を 取る こと。 〇 手 負 ひ 怪我す る。 〇 高角 牛の^ 

の やうな もの を 究の前 立 物にした もの。 〇 糟宅 灰色と 白色と 雜っ たもの。 〇 ひるむ か 挫 

ける。 〇 透 間もなく 敵の 傍ず つと 近く。 〇 切 先上リ 先 を 上に して 斜に。 〇 利仁將 5^ 左大 

臣藤原 魚 名 六 世の 孫で、 醍醐 1K 皇の 時、 鎭 守府將 軍に 任ぜ. りれ た 人。 〇 我と 思 はん 人 自信の ある 

人。 〇 寄 4 口へ 相手に なれ。 

武藏國 の 住人 璺島 も須藤 九郞に 左手の 太胶を 射させ、 安一 の國の 住人 丸太 郎も鬼 M 與 一二に 脇立を 免ら 

れて 退いた。 中 條新五 • 新 六 • 成 田 太 郞*筘 田 次 郞*奈 良 一一 一郎 • 岩 上 太 郞* 別 府次郞 • 玉 井 一二郎 以下 入れ 哲 

り/ \ 攻め 戰ひ、 各 分捕し、 何れも 負儅 して 引き返いた ところに、 黑 革で 狨 した 鏜 を^、 角 を 打つ 

た §- を 冠リ、 糟 毛色の 馬に 乘り 「惡七 別當」 と名乘 つて 進み出た。 海老 名の 源 八が 馳せ ぶつ つかって 

截 つたが、 草摺の 外れ を 射られて 氣を 挫いて ゐる所 を 齋藤別 赏が傍 近くず つと 寄った ので、 惡七別 W ぱ 

は 太刀 を拔 いて、 齋 藤の 兜の 鉢 をかん と 打った。 打 たれながら 齋藤 K 盛 は惡七 2 內究へ 先 を 上に して 

斜に 打ち込ん だので、 過たず 惡七別 當の首 は 前に 落、 た。 赏敏 はこの 首 を 取って、 太刀の 先に 貫き さし 

s 河殿攻 落す 事 二 〇 五 



.二〇 六 



1 金子 十郞 

は 矢種が 塞き 

たので、 太刀 

を找 いて 眞向 

にあて 、名乘 

つて 出た。 爲 

朝 は 一 矢に 射 

な 5 さ んと 思つ 

たが、 佘 りに 

金子が 優しい 

ので、 誰か あ 

れを 捕へ て來 

よと 命じた。 

すると 高 間の 

四郞が 名乘っ 

て K け 出で た 

が、 却って 金 

子の ために 殺 

されて しまつ 

た 



上げて 「利 仁將 軍の 十七 代の 子孫で、 武蔵國 の 住人、 齊藤 別當實 盛、 當年 三十 一 である。 軍 はこん た 

に 上手に する C 我れ こそ 藤れ てゐ ると 思 ふ 人々. ほ 相手に なれ」 と 叫んだ。 

金子 ノ 十郞 は、 §il 結の 直垂 に、 捃繩 目の 錢 著て、 鹿 毛なる 馬に 黑 鞍^いて 乘 つたる が、 矢種 

は 皆射盡 して、 太刀 を拔 いて 眞向 にあて, r 武 藏,' 國の 住人、 金子 ノ 十 郞家忠 十九 歳、 軍 は 今 

日ぞ始 なる。 御曹司の 御內 に、 我れ と 思 はん 兵 は、 出で 合へ や..」 と ぞ名乘 つたる。 八郞立 ひけ 

る は、 「にくい 剛の者 かな。 我が 矢 比に 寄せて 控 へたり。 たビ 一 矢に 射 落さん と 思, へど も. 餘 

ひつ さ w> くらん xn 

りに 優しければ、 誰か ある、 あれ 提げて 來ょ) 一目 見ん にと ありし かば • 木 蘭 地の 直垂 に、 此 I 

革の 腹卷 著、 粟 毛なる 馬に 乘り、 「高 間, 四 郞,」 と 名乘っ て^け 出で、 押雙 ベて 組んで 落つ。 髙 

間 は、 兄弟 共に 聞 ゆる 大力なる を, 家忠 上に なって、 押さへ て 首 を か i ん とする 處に、 高 

三郞落 重なって、 弟 を 討た せじと、 金子が を 引き 仰のけ、 首 を か、 ん としけ る を、 下なる 敵 

の 左右の 手 を 膝に て 敷きつ め、 上なる 敵の 弓手の 草 指 引き揚げ 寄 返して、 柄 も 拳も徹 れ徹れ 

と、 三 刀 刺して ひるむ 所に、 下なる 敵の 首 を 取り. 太刀の 先に さしあげて、 「此の 鬼神と 聞 

え 給 ふ、 筑 紫の 御曹司の 御前に て、 高間ノ 四郞兄 -糸 をば、 家忠討 取ったり どと ぞ 呼ば はりけ 

る" 家季 これ を 見て、 安から す 思 ひければ, 射 落さん とて 迫つ かける 處を、 八郞 「いかに 須 

藤、 あたら 兵 を. 助けてお け。 今度の 軍に 打 勝ちな ば、 爲 朝が 郎等に せんする ぞピ とこ そ宜ひ 

けれ" 金子 餘り剛 なれば、 軍神に や 守られ けん、 叉な. き 高名し、 極めて 不思議の 命 助かりて、 

大將 まで ぞ譽 めら れ ける。 



- 6 〇滋 目 結 を 波く! うた もの。 〇 裙撖目 正しく は伏繩 y ひ染 革の 名 * その 本 は、 粃、 T 傳卞 1H:、 a 

- つづら をり 

の 三色 を、 三 K に 並べて、 九折の 形 を 一面に 染め出し たもの。 この 革 を 裁ちて 絨 した isr 〇 矢 

旅 中の 矢。 〇眞 向 額。 〇 御内 家來。 〇 矢顷 矢の 115 くに 適赏の 距離。 〇 優し 感心 

な。 〇 提げて 捕へ て。 〇 木 蘭 地 黃 赤に 少し 黑味 を帶 びた 色。 〇 腹卷 肢に^;^^ぃて^で合せ 

る 鎧。 〇 安から ず 氣が氣 でない。 こ >- は 腹が立つ 意。 〇 あたら 惜しむべき。 〇 乂 なき 此 

上な き 

@ 金子十郞は0を滋く結ぅた^^垂に.、 伏繩 y り 鎧 を 蒸て、 鹿の 毛色の 馬に 黑鞍を S いて 乘 つて ゐ たが、 

矢 皆 射て 塞きて しまったので、 太刀 を拔 いて 額に 當て、 「武藏 ^の 住人 金子 十郞 家忠、 當年 十九 

烧、 軍 は 今日が 始めで ある。 1^ 朝 殿の 家來に 51: 信の ある 兵 は、 自分? 相手に なれ」 と名乘 つた。 爲朝 

の 云 はれる に は 「憎い 奴 だ わい。 ^c分の矢で射るには丁度ょぃ距離の所に控へ てゐる。 た 一本の 矢 

で 射 落さう と 思 ふけれ ども、 餘リ 感心 だから、 誰か 捕へ て來 い。 一 E 见た い」 と 仰せられ たので、 木 

蘭 地の 直垂 に、 紫 草の 腹卷を 著、 栗毛 色の 馬に 乘リ、 「高 間の W 郞」 と 名 一 まって、 1^ け 山で 金子と 

を 並べて 組んで 下に 落ちた。 高 間 は 兄 „?! ^共に 有名な 大力で あるが、 家忠が 上に なって、 §: 郎を 押さ へ 

て 首を切らう としたと ころへ、 高 間の 三郞が 馬から 下リ重 つ て 、 弟 を 討た すまいと、 金子の 究を 引き 

仰のけて 首を切らう としたが、 金子 は 下にる る 敵の 左右の 手 を 膝で 敷き、 上にゐる敵の左手の^^.指を 

引き揚げて 寄せつ け、 力の 限り 抦も拳 も 通れとば かリに 三刀剌 して、 敲の元 il- りぬ けた 所で、 下にな 

つてん る敲 S 首 を 取り、 太刀の 先に さし 上げて 「この頃、 鬼神と 呼ばれ^ ふ筑 紫の 御, 司の 御前で、 

高 間の 四郎 兄弟 を 1^ 忠が 討ち取った」 と 叫んだ。 家季 はこれ を て、 立た しく 思った から、 敵 を 射 

落さう とて 追 ひかけ たが、 爲 朝が 「これ 須藤、 惜しい 兵 だ、 助けてお け。 今度の 5^ に 勝ったら、 ほ 朝の 家 

來 にしよ ラと思 ふ」 と 仰せられた。 金子 は^りに 强か つたから、 軍神に 守、 しれた ので あらつ か、 此上 

もない 手柄 をし、 實に 不思議な 命 を 助かって、 1^ 朝にまで 蓥 めら れた。 

白 河殿攻 落す 事 二 〇 七 



二 〇 八 



8 平野の 平 

太、 鹽 見の 五 

郞! E れも爲 朝 

に 射殺された 

もの だから、 

義朝も 少し 攻 

め あ 5- んで ゐ 

る やうに 思 は 

れた C . 



常 國の 住人 中宮.' 三郞、 同國の 住人 關.' 次郞、 村 山 黨には 山 ロノ 六 郞* 仙 波 七郞、 §3 を雙 

ベ てかけ 入れば、 三 町 礫べ 紀 平次大 夫。 大矢, 新三郞 以下 防ぎ 戰 ひける が、 新三郞 は、 仙 卜" ノ 

七郞に 弓手の 肩 を 切られ、 紀平. 大夫 は、 山 口 Z 六郞に 右の 腕 打 落されて 引つ 返す。 「突 濃ノ 

國の 住人 平野.' 平 太、 同國の 住人 吉野ノ 太郞 にと、 名乘 つて かけ 入りけ る を、 御曹司 件の 大鍋 

を 以て ひやう と 射 給 ふが、 高 紐に 弦 やせ かれ けん。 思 ふ 矢壺に 下りつ X、 平野, 平 太が 左の 臑 

《i を 射 られ て、 馬の 太 腹 あなたへ、 つと 射通さ るれば、 眞 逆さまに 倒れたり。 甲斐" 國の 

住人 鹽見ノ 五郎 も 射殺され 奉りければ、 大將も 此等を 見 給 ひて、 少し 攻め あぐんで ぞ思 はれけ 

る 



議 



謹 



燈の胴 を 肩から 釣り上げ 

-臑 を 包む も 



〇 村出黨 武蔵 七^の 中。 〇 春 を 並べて 馬 を 並べて に 同じ。 〇 高 紐 

てゐる 紐。 〇 せかれ 遮られた。 〇 矢壺 矢の ねら ひ 場所。 〇^ 當 

の。 攻め あぐむ 攻め 瘐れ る。 

常 陸國の 住人、 中 {^il 一一郎、 同國の 住人 關次 郎、 村 山 黨には 山 口 六郞、 仙 波 七 郎等が 馬の 口 を 益べ て K 

け 入った ので、 三 町礫紀 平次大 夫、 大矢 新三郞 以下の 者が 防ぎ 戦った が、 新 三 郞は仙 波 七郞に 左手の 

肩 を 切られ、 紀平次 大夫は 山 口 六郞に 右の 腕 を 打 落されて 引つ 返した。 「美 濃國の 住人 平野 平 太、 同 

國ん 住人 吉 野太 郞」 と名乘 つて K け 入った の を、 爲朝は 例の 大鏑を 以て ひやう と 射られた が、 高 紐-」 

弦が 邪 as^ されて、 狙 ひが 狂った のでち、 りう か。 思 ふねら ひ 場所から 下って、 lei- 野 平 太の 左の 瞬 當を射 

切られて、 馬の 太 腹の 向 ふ 側へ ずう と 射通され たもの だから! Isu 逆さまに 倒れた。 &斐國 の 住人 翻 五 

郞も 射殺され 牵 つたから、 義朝 も此等 を御覽 になって、 少し 攻め 、たびれ て、 どゥ しょうかと 思 はれ 



a® その 時、 

根 井大彌 太が 

逸み 出て、 敲 

に 息 を繼が し 

てゐ たら 何時 

迄 も 勝負 は 決 

しられない 

と 中して、 

露 先に 進む 

と、 績 いて 二 

十七 騎が IS け 

出した。 この 

合戰に 依つ 

て、 爲朝は 憑 

みに 思って ゐ 

た 二十 八騎の 

中、 二十 三騎 

討 たれ、 寄 手 

も 究竟の 兵 五 

十三 騎討 たれ 

た そして、 

べきと も わか 

らな つた。 



お ほや た S あ 

其の 時 信 濃ノ 國の 住人 根井ノ 大彌 太、 藍摺 の直垂 に、 卯 花緘の 鎧に、 の 兜 を 著、 :!^ 目なる 

馬に 乘 つたる が、 進み出で て 申しけ る は、 「軍に 人の 討た る.^ とて、 敵に 息を糰 がせん に は、 

いっか 勝負 を 決すべき。 其の上、 我等 は 餌 を 求む る 鷹の 如し、 凶徒 は 魔に 恐る \雄 にあら す 

や。 いざや かけん 殿ば らヒ とて、 眞 先に 進めば、 續く兵 誰々 ぞ" 同!: Q 住人 宇野メ 太郎 ュ H 

ノ 三 郞* 諭訪ノ 平 五 • 進藤ノ 武者 • 桑 原ノ 安藤, h> 安藤-二 • 木 曾.' 中 太 • 彌屮太 • 根津ノ 祌平 

志妻ノ 小 熊坂ノ 四 郞を始 として、 二十 七騎ぞ かけたり ける。 門 Q 屮へ攻 人って、 散々 に 

戰 ひければ、 手 取 ノ與次 • 鬼 與三 • 松浦ノ 小 次 郞も討 たれに けり。 すべて 爲朝 憑み 忍 はれた 

る 二十 八騎の 兵、 二十 三人 討 たれて、 大略 手をぞ 負うたり ける, - 寄 手 も究竞 Q 兵 I;- 十三 騎 討た 

れて、 七十 餘 人手 負うたり。 敵 魚麟に 駆け 破らん とすれば、 御 方 鶴お J に 連なって 射しら まか 

す" 御 方 陽に 開きて 圍 まんと すれ ども、 敵 陰に 閉ぢ て圍 まれす" 黄 石 公が 傳 ふる 處、 "_《 子 • 孫 

子が 祕 する 處、 互に 知った る 道 なれば、 敵 も 散らす 御 方 も 引か. されば 千騎が 十, 騎 になる ま 

でも、 菜つべき 軍, V は 見え ざり けり。 

6 〇 藍 指 山 藍と いふ 草の葉で、 白地へ 紋形を 招り 出した も so 〇 卯の花 絨 卯の花 は、 ゥっ 水と い 

ふ もので、 花 は 白く 葉が 萠黄 であるが、 その 色に かたどって、 一段 は。 く、 一段 は萌黃 に、 £1 々色 を 

替 へて 絨し、 又は 上半 分 は a く、 下半 分は萠 黄に も 絨す。 〇 佐:;; 1 ;吶^ c いこと。 〇^ を 求む 

る 照 云々 味方 は勢强 くして 、敬に 弱い こと。 〇 究党 最もす ぐれた お。 〇 お: 接 の 3^ の 並ん 



a 河 攻 落す 事 



二 〇 九 



二 10 



8 賴政 等が 

東の 門へ 押し 

寄せる と、 忠 



だ やうに 兵 を 列ね る 兵法。 〇?^" 翼 鶴の 翼 を 左右に 張った やうに 左右に 展開して 陣を 取る 〇 射 

しら かす 射 散らす。 〇 陽に、 陰に 開く、 閉づ を, 形容して 云った もの。 〇 黃石公 秦 末の 遁世 

者で、 兵法 を 漢の張 良に 授けた 人。 〇3^ 子、 孫子 何れも 支那の 有名な 兵法家。 〇 果 つべき 勝 

負の 決ま リ さうな。 

® その 時、 信 澧國の 住人 根 井 大彌太 は 藍 措の 直垂 に、 卯 花 滅の鎧 を 著、 星 白の 兜 を 冠リ、 兩 眼の. a い 馬 

に乘 つて ゐた が、 進み出て 申した に は 「軍に 人が 討 たれた からと て、 敵に 休息 させて ゐ たら 何時 勝負 

を 決する ことが 出来よう。 その上、 我等 は 勢が 强 くちょう ど 餌 を 求め る^の やうで ある、 そして 敬 は 

その 魔に 恐れる 维 ではない か。 何の 恐れる ことがあらう。 さあ、 K け 出で、 J^;- 戰 しょう、 各々 方」 と 

て、 ilM 先に 進む と、 績く兵 は 誰々 であらう。 同國 Q 住人 宇 野太 郞* 望月 一二郎 訪平五 • 進 藤 武者 • 

桑原 安藤 次 • 安藤 三 • 木 曾 中 太 *彌 中 太 • 根津神 平 • 妻 小 次 郞* 煎 坂 四 郞を始 として、 二十 七^ 

が K け 出 でた。 門の 中へ 攻め入って、 むちゃくちゃに 戰 つたから、 手 1^ の與次 • *-田 與三 • 松 小 次 

郎も討 たれて しまった。 すべて、 爲 朝の 憑み に 思って ゐられ る 二十 八騎の 中二 十三 人 討 たれて、 其 他 

も 大槪負 僂した。 寄 手の 特にす ぐ れ た 兵が 五十 三騎討 たれて、 七十 餘 人が 負傷した。 敲が魚 麟の兵 

法で K け 破らう とすると、 御 方 は 鶴 翼の 兵法 を 以て 射 散らかす。 御 方が 開いて 聞 まう とす る けれど 

も、 敵は閉 ぢて圜 まれな い。 黃石 公の 傳へ た 兵法、 吳子 • 孫子の 秘訣と すると ころ を爲朝 も義朝 も;^ 一 

じて ゐる こと だから、 敵 も 返かず、 御 方 も 引かない。 それで、 千騎 が十騎 になる まで 戰 つても 終り さ 

うな 軍と は 思 はれなかった。 

さづく つらぬ き ほふ 

兵庫ノ 頭賴 政の 手に も、 渡 黨に省 *授* 連ノ 源 太 *| ラ 瀧 ロを始 として、 東の 門 へ 押 寄せ 

て、 揉みに 揉う で攻 入れば、 平 HIT 助忠正 • 多 田, 藏人大 夫 賴憲、 爱を 先途ぶ 防ぎ 戰ふ。 



正、 賴憲 等が 

防ぎ 戰ふ。 西 

の 門 は 爲義が 

五 人の子^ i 

前後に 立て. - 

ffi け 出で、 他 

の陣 にも、 互 

に 入れ 亂れて 

戰 つた G 



9 勝負が 容 

c§ に 決せん の 

で、 義朝 は、 

使者 を 內褢に 

參 らせ燒 打の 

計 を. 3- し 上げ 



ちお ゥ けん 

西 門 をば 六 條判宫 爲義、 張 絹の 直垂 に、 薄 金と いふ 棑緘の 鎧に、 鍬 形 打った る を 著、 連錢萆 

毛なる 馬 に、 白 覆輪の 鞍 置いて ぞ 乘られ たる。 f;- 人の子 供 前後に 立って かけ 出で たる 體、 あは 

れ大將 軍 やと ぞ 見えたり ける。 其の 外自餘 の陣々 にも、 互に 入り 亂れ て、 追. つつ 返しつ 戰 ひけ 

れ ども、 未だ 勝負 ぞ なかり ける。 



藝 



〇 操み に 接う で 烈しく 戰ふ。 〇先:^^ 大切な 場合。 〇張賴の^^垂 長賴は 糊で 張った ま >! の 

絹。 その 箱で 作った 直垂。 〇 連錢^ 毛 葦毛と は 白色の 毛に、 黑ぃ 毛の 差し てんる もので、 その^ 

毛の 馬に 薄く 灰色に、 錢を 連お たる 如き 圓 い 斑の ある を 連 錢ー逮 毛と 云 ふ。 〇 白: 没 輪の 鞍 前後の 山 

形へ、 銀で 覆輪 を 掛けた 鞍。 〇.r 餘 その他。 

兵 庫頭賴 政の 部下に も、 渡邊黨 に^ *授, 連の 源 太夫 • 競の 瀧 ロを始 として、 束の 門へ 押 寄せて、 烈 

しく戰って攻め入ったので、平馬助忠正,多田藏人太夫賴.^^は此處が最も大切な^|八"だと防ぎ戰った。 

西の 門 は六條 判官 爲義が 張 絹の 直垂 に、 薄 金と 云 ふ 名の 緋の 色の 絲の 鎧に、 形 を 打った %を^、 

錢蒙 毛の 馬に、 白 覆輪の 鞍 を 置いて 乘 つて ゐられ る。 五 人の子 供が 前後に 立って K け 出た 探 子 は あ >f 

立派な 大將 だな あと 見えた。 その他の 陣々 に. も 互に 入れ 亂れ、 ャ; I うたり、 返いたり して 戦った けれど 

も、 まだ 勝负 はなかった。 

其の 時義 朝、 使者 を內 裏に まゐら せて、 「_=|^中に勝負を決せんと、 揉みに 拔 うで 攻め 候 へ ど 

も、 敵 も 堅く 防いで 破り 難く 候 ふ。 今 は 火 を かけ ざらん 外 は、 利 あるべし とも 焭ぇ候 はす。 但 

ほ r しゃう, レ が らん 

し 法 勝 寺な ども 風下に て 候へば、 伽藍の 滅亡に や 及び 候 はんすらん。 其の 段 勅 読に 隨ふ べし」 

と、 巾 上げられたり しかば、 少鈉 一一 一一; I 入道 承って、 r 義朝 誠に 神妙な り。 佤し^?;の^^にて渡らせ 



白 河殿攻 落す 事 



二 1 1 



二 1 二 



信 西 を 通じて 

御 承認 を 得た 

から 藤 中納言 

家 成 卿の 宿所 

に 火 を 懸け 

た e と こ ろ 

力 1^ SSi 力 歹; 

しかった の 

で、 院の 御所 

へ 猛火 を 夥し 

く 吹き かけた 

から、 女房 や 

女 童 は 方角 を 

失って 惑 ひ 合 

つたので 武士 

の 邪魔に なつ 

た 



給 はば、 法 勝 寺 程の 伽藍 をば、 卽 時に 建立 せらるべし、 ゆめ/、 それに 恐る ベから す。 たピ 急速 

に、 凶徒 の 謀 を 廻すべし o」 と 仰せ 下されければ、 御所より 西なる 藤 中: si 成ノ 卿の.: S 所 

に 火 を 懸けし かば、 西 虱 列 i しき 折節に て はあり、 卽ち院 の 御所へ 猛火 夥しく 吹き かけ たれば、 

院 中の 上 藤 • 女房 • 乳母 *童 は 方角 を 失って、 呼ば はり 叫んで まど ひ 合へ るに、 武士 もこれ が 

おぎ! dti て、 進退 更に 自在なら す。 落ち行く 人の 有樣 は、 峰の 嵐に 誘 はる."、 冬の 木の葉に 異 

ならす。 (卷 二) . 

〇 法膨寺 白 河 殿の 東に あって、 白 河 院の御 建立。 〇 伽藍 寺。 〇 勅 詫 勅命 〇 祌妙 感 

心。 〇 君の 君に 云々 官軍が 勝って、 主上の 御 位が このま、 安らかに 渡らせられるなら。 〇 ゆめ 

( 決して。 〇 それに 法 勝 寺の 燒失。 〇 上臈 本来 は 二位 三位の 女官の 稱 であるが、 こ、 はた 

•Ji 问 貴の 女官。 〇 女房 上 藤 以下の 中 奉仕の 女官。 

その 時、 義朝は 使者 を宫 中に 參 らして、 「夜中に 勝負 を 決しようと 接戰に 接戰を 重ねて 玖 めました 

が、 敬 も 堅く 防いで、 破リ にくう ございます。 今と なリ まして は、 院の 御所に 火 を 懸けて、 火攻めに 

する ょリ 外に は 味方に 勝利が あると も 思 はれません。 しかし、 法 勝 寺な ども 風下で ござ いますから、 

=1 藍が 燒滅 してし まふ かも 分リ ません。 その 点 如何に いたした ものです か、 勅^に 隨 ひませ う」 と 中 

し 上げられた ところが、 少納言 入道 信 西が 思 召 を 承って 「義朝 はまこと に 感心で ある。 而し 官軍が 滕 

つ て、 このま >f 君の 御代が 績き給 ふなら ば、 法 勝 寺 位の 伽藍 は 直ちに 建立す る ことが 出来る、 して 

そのこと を 心配して はいけ ない。 た 速に、 賊徒 を 滅ぼす 計略 をせ よ」 と 仰せ 下された ので、 御所 か 

ら西 にある 藤 中 納言家 成 卿の 邸宅に 火 を 懸けたら、 西風が ちょうど 烈し い 時で は ぁリ、 早速 院の 御所 

へ 恐ろしい 火が 澤 山吹き かけた ので、 院 中の 上藹、 女房、 乳母、 童 等 は 方角 を 失って、 叫びながら 迷 



S 



右 衞門大 

夫 家弘は 官軍 

が 夥しく 攻め 

て來た 上に、 

猛火が 御所に 

懸 つたから、 

今 は 御 逸げ に 

なる ょリ 外に 

方法の ない こ 

と を 申し上げ 

ると、 新院も 

左大臣 も 驚か 

れて、 助 を 乞 

はれ ス。。 ;^々 

馬に 召して、 

北 C 河 を さし 

て 落ちて 行か 

れる!^.^屮、 何 

處 からか 矢が 



ひ 合って ゐる ので、 武士 も これらが 邪魔に なって、 戰 のかけ ひきが 思 ふやう に 行かな い。 逃け て 行-、 

人の 有 樣は峯 の 風に 誘 はれて 散る 冬の 木の葉の やうに、 束 西に 散り 亂れ た。 

八、 新 院* 左 府御沒 落の 事 

さる 程に、 右衛門 大夫 家弘、 その子 中宮 侍 長 光弘、 馬に 乘 りながら、 春^ 表の 小 門より 馳せ參 

り、 「官軍 雲霞の如く 攻め上り 候 ふ 上、 猛火 旣に 御所に 掩ひ候 ふ。 今 は 叶 はせ 給 ふべ からす。 

力 1;- ぎ いづ 方へ も 御開き 候 ふべ し」 と 申せば、 只今 出で 來る 事の 様に、 上皇 は 東西 を 失うて、 御 

& 5 〔成 隆〕 

仰天 あれば、 左府は 前後に 迷 ひて、 「只汝 今度の 命 助けよ」 とば かり ぞ立 ひける。 卽ち四 位の 

少納 一一 一一 ti を 召して、 御 劍を賜 はる。 成隆 朝臣 これ を 賜 はって、 帶 かれたり。 上皇 もはや 御 ml にバ 

されたり ける が、 餘 りに 危く 見えさせ 給へば、 藏 人信實 朝臣 御馬の 尻に 乘 つて、 抱き 參ら す。 

「賴 ultn きょしゅつ 

左大臣 殿の 御馬の 尻に は、 四位ノ 少納言 成隆乘 つて 抱き 奉りけ り。 東の 門より 御 出あって、 北 

白 河 を 指して 落ちさせ 給ふ處 に、 何處 よりか 射たり けん、 流 矢 一筋 來 つて、 左大ほ 殿の. 御^の- 

みづ はじき , 

骨に 立つ 。成隆 これ を拔 いて 捨てたり けれども、 血の 走る 事, 水彈 にて 水を彈 くに 異ならす。 

されば 镫を も蹈み 得す、 手綱 を も 取り得 給 はすして、 眞 逆さまに 落ち 給へば、 成隆朝 .£11 も^ち 

てけ り 式部 Z 大^!盛憲、 左 府の御 首 を 膝に かき 載せ、 袖 を 御 面に 掩 ひて 泣きお たり。 藏人 Z 

大夫 S も 酏せ來 つて、 抱き 附き 奉れ ども、 甲斐 もな し。 延賴は 松が 崎の 方へ 落ち行き ける 

が、 これ を 見 奉って、 甲 皆 を脫ぎ 拾て、 經憲 と共に 小 家の ありけ るに 舁き入れ まゐら せて、 先 



新院 左^ 御沒 落の 事 



二 1 三 



二 I 四 



飛んで 來て、 

賴 長ん 首に 立 

つた。 人々 は 

應 急の 手 當を 

して、 靜 かに 

置いて 上げた 

いと 思つ た 

が、 官軍が 此 

方の 方面に 向 

ふと 聞 いて、 

2^ 哦に 逃げ 荒 

れた 寺に 入れ 

奉つ て 1 夜 を 

明した C 



づ 創の 口 を 炙し 奉り けれども かな はす、 ナ、 第に 弱り 給 ひけり。 矢 目 を 見れば、 右の 御^の 下よ 

り 左い 御 耳の 上へ ぞ 通りけ る。 逆さまに 矢の 立ちけ る こそ 不思議 なれ。 神 矢なる かと ぞ覺ぇ 

しら あ を あは 

しつ 血 も 更に 止まら. やして 白 靑の御 狩 衣、 朱に 染める ばかりたり" 御 目 は 未だ 働け ども、 物 ゲ」 

も 更に 宣 はす。 さらば 暫く 休め 奉らん と 思へ ども、 判官の 領圓覺 寺へ 官軍 發向 する. H 聞え けれ 

ば、 斯くて は 如何と て、 經憲が 率 を 取 寄せて 芽き 載せ まゐら せ、 嵯峨の 方へ ぞ赴. きけ る。 やう 

暖峨に 至って、 經憲が 墓所の 住僧 を尋 ぬれ ども、 なかり ければ、 荒れた る坊に 入れ 奉つ 

て、 此の 夜 はこ.. -にぞ 明し ける。 

6 御開き その 場 を あけて 立ち t.- く。 〇 只今 出で 來る 事の 樣に に はかに 事が 起った やうに。 〇 仰 

天 驚く。 〇前_ 戊に まど ふ ど-つし たらよ いかと 惑 ふ。 〇危 く 見えさせ 給へば 馬術に 慣れさせ 

はない から、 馬に 乘リ 給へ る 御有樣 が、 非常に 危險 さう に 見えさせ 袷うた から。 〇 北 白 河 院の 

御所から 東北の 方に あたる。 〇 流 矢 誰が 射た のか 不明の 矢 又 狙 ひが 外れて 飛んで 来た 矢。 C 水 

彈 水鐵 砲。 〇 甲斐 もな し 何の 益 もない。 〇 松が 峰 下賀 茂の 北十餘 町。 〇 創の 口に 灸し 

疲 口の 出血 を 留める ために 灸を据 ゑる こと。 〇 矢 目 矢で 受けた 疲: :!。 〇 神 矢 祌: A 怒って 射耠 

うた 矢。 〇{" 靑の狩 衣 水色の 狩お。 〇 判官の 領 判官 爲義の 所領 地。 〇 圓. 資, 寺 京都!:^ 町 

の 南の 邊 にあった 寺。 〇^ 峻 京都の 西方。 〇 坊 寺。 

@ さて、 右衛門 大 夫家弘 とその 子の 中宮 侍 長の 光弘 は 馬に 乘 つて、 春 日 表の 小 門から 馳せ參 つて 「官 5^ 

が 雲霞の たなび いたやう に澤山 攻め上 リ ました 上に、 勢の すさまじ い 火が もはや 御所 を蔽 ひました。 

もう 今と なリ まして は 叶 ひません。 急いで 何處 へで もお 逃げな さるの がよ ろしう ございます」 と 申し 

たので、 今に はかに 事が 起った やうに、 崇德院 は 東西の 方角 も 分らぬ ほどお あはて にな リ、 驚かれた 



ので、 親 長 は あちこちに あはて、 「家 弘、 光弘、 このたびの 危ぃ命 を 助けて くれ」 とば かリ 仰せられ 

た。 早速 四 位の 少納言 成 降 を 召して、 御 劍を賜 はった。 成 降 朝臣 はこれ を 頂戴して 身に 帶 かれた。 上 

皇 はも は や 御馬に ぉ乘リ になった が、 餘り危 さう にお 見えになる ので、 藏 人信赏 朝臣が その 御- ft の 後 

に 乗って、 上皇 を 抱き 奉った。 輯 長の 御馬の 尻に は TO: 位少納 言成隆 が乘 つて 抱き 奉った。 来の 門から 

御 出 ましに なって、 北 白 河 を さしてお 逃げに なって ゐ ると、 何虚 から 射た の か、 矢が 1 本 飛んで 來 

て、 賴長の 御 首の 骨に 立った。 成隆 はこれ を拔 いて 捨てた けれども、 血の 定リ 出る こと は、 ちょうど 

. 水鐵 砲で 水 を彈 くのと 違 はない。 それで、 賴おは 燈も路 むこと が出來 ず、 手綱 を も 取る ことが お出来 

にならないで、 ! 一 は 逆さまに 馬から 落ちられ たから、 成隆朝 E も T ほち てし まった。 式部大輔.:^.^.ぉは賴長 

の 御 首 を 膝に 載せ、 袖で 御 額を掩 つて 泣いて 居た。 蔵人 大夫經 憲も馳 せて 來て、 抱き附き^^ったが、 

何の 益 もない。 延頼 は、 松が 崎の 方へ 逃げて 行って ゐ たが、 これ を 見 奉って、 B- ほ を脫ぎ 拾て、 

と共に その 邊 にあった 小 家に き 入れて まゐら せて、 早速 敏 口の 出血 を 留める ために 灸 をし 举 つたが 

どうに もなら ないで、 次第に お 弱リに なられた。 

矢の 立った 疵を 見る と、 右の 御 喉の 下から 左の 御 耳の 上へ-通って ゐた。 矢が 逆さまに 立って ゐ たの は 

何と 云っても 不思議で ある。 神の 射られた 矢 かと 思 はれた。 血 も 少しも 止らないで、 水色の 御 狩 衣が 

朱に 染む ばかりで ある。 御 目 はま だ 見える けれども 物 は 少しも 仰せられない。 それで は 少し^ かにし 

てお 置きし ようと 思 ふけれ ども、 判 {:111 の 領地の 阊覺 寺へ が 向った と いふ ことが 聞え けた ので、 か 

うして 此 處に留 つて ゐて はよ く ある ま いと 思って、 1^ 憲が車 を 取り寄せて、 顿; ;;!! や 一 いてお 載せ 巾 し 

て! i 蛾の 方へ 向った。 漸く 幢峨に 至って、 l^i 一思が 甚 守の 僧 を 尋ねた がゐ たかった ので、 誰もゐたぃ^^^ 

れた 寺に 入れ 奉って 此の 夜 は 此の 寺で 明した。 



新院左 府御沒 落の 事 ヒ 一 五 



二 一 六 



九、 爲義降 參の事 



1 ほ義 並に 

その子 供を尋 

ねる やうに 命 

ぜられ て淸盛 

は 三百 余騎で 

三 井寺 を 求め 

たが ゐな いの 

で、 大和 の 

莊、 泉が: W と 

云 ふ 所 を搜し 

た と ころが、 

山門の 大衆が 

怒って 軍勢に 

向って 戰っ 

た。 官軍 は そ 

こ を 退いて 大 

津 のま 浦を燒 

き拂 つた 



さる 程に、 〔山 1 礙 判官、 並に 子供 尋ね まゐら すべきよ し、 揺 磨 乂寸に 仰せ 附 けらる" 十六 日淸盛 一二 

百餘騎 にて 如意 山 を 越えて、 三 井寺 を 求 むれ どもな し。 東 坂 本に 在る 由 聞え て、 大和の 莊* 泉 

ガ 辻と いふ 所 を y、t す。 これ は 無 動寺領 なれば、 大衆 起って、 「寺 領を追 捕す る條 無念な り。 

仔細 あらば、 山門に 相觸れ てこ そ 沙汰. ^致すべき に、 左右な く亂 入の 條、 狼藉な り。」 とて、 軍 

勢に 向って 散々 に相戰 ふ。 官軍 祌 威に 恐れて 引退く 間、 大衆 勝に 乘 つて、 淸 盛が 郎等 兩 三人 を 

搦め捕る。 叉 大津の 東 浦. V 燒き拂 ふ。 これ は 山門 領 たる 上、 昨日 爲義を 船に て 東 近 江へ 著け た 

りと て、 して けれども、 跡形な き虚說 なりけ り。 

f 〇 如意 山 京都の東山三十六峯の首峰。 比^^-山の支峯。 〇 東 坂 本 比敦 山の 麓で、 近 江に 屬す。 

〇 追 捕す 惡者を 捕へ る。 〇 無 動寺領 無 動 寺 は f 魟 山の 本坊。 その 領地。 〇 左右な く 理由な 

〇 狼藉 亂暴。 〇 神威 阪 本の 日 吉祌 社の 神の 威光。 〇 して けれども 燒き拂 つた けれど 



さて、 爲義 並に その子 供 を搜し 出し まねら せよ と 云 ふこと を )5S 盛に お命じに たった。 十六 口、 盛 は 

三百 餘騎で 如意 山 を 越えて、 三 井寺 を搜 した けれども ゐ ない。 東 坂 本に & ると 聞いて、 大和の 莊、 泉 

が 辻と 云 ふ 所 を 捕へ るた めに 捜した。 此處は 無 動 寺の JE^ 地 だから 衆徒が 起って 「斷リ もた く 寺の 領地 を 

捜す と は 口惜しい。 理由が あれば、 比數 山に 通知して 處理 する のが 當然 であるのに、 遠慮な しに 亂れ 

入る こと は亂 暴で ある 一と 云って、 眾勢に 向って、 むちゃくちゃに 戰 つた。 官軍 は日吉 神社の 神の 威光 



8 1^ 義は^ 

Ji: と 云 ふ處か 

ら柬國 へ 下ら 

うとした が、 

直お に か X 

リ、 郎等 共 も 

落ち 失せ、 子 

佻の 外 十八 騎 

ばかり 殘っ 

た。 重^^ の 

上、 關々 も 堅 

く閉 された と 

聞いて、 東國 

へ 下る こと も 

困 難 に な つ 

て、 西 塔の 北 

谷黑 谷で 出家 

し ♦Lo 



を 恐れて 退いた から、 大衆 は^に 乗じて 淸 盛の 家来 等 ニー 二人 を 搦め捕へ た。 軍 は 乂大津 の is- 浦 を 焼 

き拂 つた。 これ は、 山門の 領地で ある- 1、 それに 昨日、 爲義を 5- で 東 近 江へ 著け たと 云 ふので かう 云 

ふ 事 をした のであった けれども、 この 事 は 何の 證據 もた い 培であった。 

爲義 は Slk とい ふ 所より、 木工.' 祌 主が 許に 隱れて 居たり ける が、 官軍 向 ふん 聞いて、 三 河 尻 

の 三 郞大夫 近 末と いふ 者の 家に 行きて、 それより 東 園へ 下らん としけ るが、 述ゃ盡 きたりけ 

ん、 忽 」 重病 を 受けて、 心身 苦痛せられ ければ、 「氏神 八幡 大 菩薩に も、 放 たれ 給 ひけり どと 

て、 郞等 ども も 落 失せて、 子供の 外錢に 十八 人ば かり ぞ殘 りけ る。 とかう して! ii^ にいた はり 乘 

せて、 の 方へ 行きて、 船に 乘 らんと する 處に、 誰れ と は 知らす、 兵 三十 騎 ばかり 追 ひ來 

り、 討たん としければ、 賴賢 以下 身命 を 捨てて、 防ぎ 戰 つて 追 ひ 散して けり。 其の 時殘 るお も 

一 了 方 知らすな りに けり。 それより いよ/^ 賴 みすくな になり 菜て て、 心細き のみなら す、 判官 

は 重病に 煩 ひ t ふ、 其の上、 海道 も 塞がり、 關々 も 堅く 守る と 聞え ければ、 なかく 東^へ 下 

らん 事 も かな ひ 難しと て、 叉 三郞大 夫が 家に 立歸 つて、 日暮れし かば 山上に 上り、 其の 夜は屮 

よもす ぺ ら 

堂に 通夜して、 殊に 重病 悉 除の-悲願 を 憑み て、 終夜 祈請せられ たり。 明 くれば 十七: n、 西 塔の 

北谷黑 谷と いふ 所に、 二十 五三お 行 ふ 所に 行きて、 出家 を 遂げ、 法名 を義法 とぞ附 かれけ 

る。 cT!i 房ノ の 許より、 墨 染の衣 as を 奉け て、 沙彌 形に なり 給 ふ。 

6 〇 直 河 近 江^ 賀, 郡に ある。 〇 木工 祌主 木工 は 地名。 その 地の 祌、 王。 〇 とかう して どうかし 

て。 〇 蓑 浦 坂 田 郡に 屬し、 湖北、 湖南、 紫 濃 三路の 交叉点。 〇 山上 比お 山の 上。 〇 祈 a 

義 參 の 事 ニー 七 



二 1 八 



この 爲義 

は、 十四 歳で 

叔父 義辆 及び 

その子の 義明 

を 討って 以 

來、 左兵衝 

尉、 左 衞門尉 



6 



0^0 〇 二十 五 三昧 法會の 名。 〇 竪者 僧 官の卑 いもの。 C 沙彌 梵語、 息 慈と 譯す。 初めて 

佛 門に 入った もの。 

爲; ^は 直 河と 云 ふ 所から、 木工の 祌 主の 許に 隱れて 居た が、 官 第が や つて 來 ると 聞いて、 三 河 尻の 一二 

郞大夫 近 末. と 云 ふ 者の 家に 行って、 それから 東國へ 下らう としたが、 運が 盡 きたので あらう か、 忽ち 

に 重 一 K に羅 つて、 心 も 身 も 苦しまれ たから 「氏神の 八幡 大 菩薩に も 放され 給うた」 と 云って、 家来 共 

も 逃げて しまって、 子供の 外に ゎづか 十八 騎 だけ 殘 つた。 色々 介抱して 馬に 載せて、 蓑 浦の 方へ 行つ 

て、 船こ乘 らうと して ゐる ところへ、 誰と も 分らず、 兵が 三十 騎 ばかり 追 ひかけ て來 て、 討た うとし 

たから、 鎮賢 以下 何れも 命が けで 防ぎ 戰 つて 追 ひ 散らして しまった。 その 時 残って ゐた兵 も 行方が 分 

らひ くな つた。 それから はます く賴 リが少 くな つてし まって、 心細い ば りで なく、 爲義 は^ 病に 

苦しみ 拾 ひ、 その上、 海道 も 塞が リ、 關 所々々 も 厳重に 守って ゐ ると 云 ふこと だから、 とても ia-sr へ 

下る こと はむ つかしい とて、 又 三郎大 夫の 家に 立歸 つて、 日が 暮れた ので、 比 1^ 山に 上リ、 その 夜 は 

延曆 寺の 中堂に 參 籠して 殊に 重病が すっかり 癒る ようにとの 佛の 慈悲の 願 を 終夜 祈リ願 はれた。 明け 

ると 十七 日で、 西 塔の 北 谷の 黑 谷と いふ 所の 二十 五 三昧 を 行って ゐる 所に 行って、 出家し、 義法 房と 

附 けれた。 月輪 の竪 者の 許から、 墨染の 衣と 袈裟 を 戴いて 沙彌の 姿に なられた。 



此の 爲義 は、 十四 歳に て 叔父 美? JT 前 司義綱 • 其の 子 美 濃ノ 三 郞義明 を 討って、 其の 時の 勸賞 

こ 卜 r 兵衛, 尉 こなされ けり。 元は 陸 奥.^ 四 郞とぞ 申しけ る- 十八 歲、 永久 元年 叫 月、 淸水 寺の 別 

當の 事に 就いて、 南都の 大衆 朝家 を 恨み 奉って、 國民を 催し、 春 日の 祌木を 先と して、 栗栖山 

まで 來 りし を、 馳 向って 追 ひ 返しき。 其の 勸 賞に 左 衛門ノ 尉になる。 二十 八 歳に て 撿非途 使 五 

位ノ 尉になる。 日ごろ 中ノ 御門 中納言 家 成,' 卿に ついて、 陸奥ノ 守 を 望み 申しけ るに、 「祖父 



檢 非違 使 五位 

尉 等に 累進 

し、 ni ごろ、 

陸 奥 守 を 望ん 

V 、ゐ たが、 御 

聽 がなかった 

ので、 他の 國 

守に 任じても 

しょうがない 

とて、 今年 六 

小に 余る ま で 

終に 受領 もし 

なかった。 



伊豫 ノ 人道 賴義 • 此の 受領に 任じて、 貞 任 *宗 任が 亂に 依って、 前 九 年の 合戰 ありき。 八幡 太 

郞義 家、 叉 彼の 國の 守に なりて、 武衡 • 家 衡を攻 むる とて、 後三年の 兵亂 ありき。 然れ ば猶意 

趣 殘る國 なれば、 今 爲義陸 奥" 守に なりたら まし かば、 定めて 基衡を 滅ぼさん とい ふ 志 あるべ 

きか。 かたがた、 不吉の 例な りピ とて、 御聽 されな かりし かば、 ^:!義 「然らば^:!!餘の闽守に任じ 

て、 何 か はせん ピ とて、 今年 六十に 餘 るまで 終に 受領 もせ ざり けり。 日ごろより 地下の 撿非逮 

使に て ありけ るが、 よしなき 新 院の御 謀反に 與し 奉り、 年 ごろの 本望 を も 達せす して、 出家 入 

道して ける こそ 無念 なれ。 

i 〇t;5 水 寺 京都の 八 坂に あって 奈良與 福 寺の 末寺。 〇 別當 諸大 寺の 僧綱の-ね 上 職。 〇 受領 

國の 守。 〇 意趙 遣 恨に 同じ。 〇 自餘 その外。 〇 地下 昇殿 を 許されない 人。 〇 由 なき 

fl- 由 もない。 〇 本望 こ >1 は 陸 臭 守になる こと。 

9 この 爲義 は、 十四 歳で 叙 父の 美 濃 前司義 網と その子の 美 澄 一二 郞義明 を 討って、 その 時の 褒美に 左兵衞 

尉に なされた。 元は^!奧の四郎と云った。 十八 歳の 時、 永久 元年 四月に 淸水 寺の 別赏の 事に 就いて、 

奈 良の 僧徒が 朝廷 をお 恨みして、 その 訴へ のた め 人民 を 集め 春 口 神社の 祌木を 先に 立て V、 栗 栖山ま 

で 来たの を、 馳せ 向って 追 ひ 返した。 その 貧に 左衞 門の 尉に なった e 二十 八 歳で 五位で 檢非連 使 尉に 

なった。 平素、 中 御門 中 納言家 成 鄉を賴 つて、 朝廷に 陸 奧守を 望み 申して ゐ たが、 「紐 父の $ ^豫 人^ 敏 

義が この 陸 奥 守 を 5 一-み 申して ゐ たが、 IS 父の 伊豫 の 入道 賴義が この 陸 奥の!; 守に 任じて、 な 任 • 宗任 

の亂に 依って 前 九 年の な: 戰 があって、 賴義が 征伐した。 又 八幡 太郞 ^家が かの 同の 守に なって、 ぬ 

武銜 家銜の 後三年の 兵 亂 があって 討伐した。 だから、 陸 奥 出 羽 はお 義の飢 先が 展々 叛賊 を:^ した 

地で、 源氏に 對 して 遺恨の 残る 地 だから 1 今、 爲義が 陸 奥 守と なれば、 きっと、 良 任の 亂に賴 義に誅 

^53 義 降 參 の 事 一 二 九 



1 爲義 に、 

子 ffi 等に 向つ 

て、 g 分は義 

朝 を 頼って 都 

へ 出ようと Efj 

ふ。 もし、 命が 

助かったら 汝 

等 も 助けて や 

る か し 、それ 

まで、 何 虎に 

で も隱 れてゐ 

よ、 と 云 ふ 

と、 ^朝け 

對 して、 關東 

1: 赴いて、 東 

八 箇^ を 管領 

し、 もし 京 か 

、り 討 手が 下つ 



せられた 韹淸の 孫の 基衡を 攻め 亡 さう と 云 ふ 志が あ るか も 知れぬ。 賴義 にしても、 義家 にしても 緣起 

の惡ぃ 例で ある」 と御聽 がなかった ので、 爲義に 「それならば、 その他の!: 守に たったと ころで 何と 

たらう」 と 思って、 今年 六十に 餘 るまで 終に 受 Is! もしたかった。 平生から 地下の 檢非 ^ ^使で あ つ た 

が、 つまらぬ 新 院の御 謀叛に 味方し 奉って、 年来の 本望 を も 遂げないで、 出家 入;.;^ したの は殘 念た こ 

とで ある。 

【爲義 ,- がふ ご *u. 

義法 房、 子供に 向って 宣 ひける は、 「我が身が 合 期したら ば こそ、 各 引き 具して 山林に も立隱 

れめ。 我れ はた ビ義朝 を 憑み て、 都へ 出 でんと 思 ふたり。 さても 今度の 勳 功に 申し 替 へても、 

命ば かり は 助け こそ せんすら め。 但し 恣 に院 方の 大將軍 を 承り たれば、 勅命 重く して 助かり 

難 からん か、 それ また 力なき 事な り. - 齢 旣に七 旬に 及び、 惜しむ ベ き 身に あらす" 萬 一 甲斐た 

き 命 助かりた らば、 如何にもして 汝等を も 助く ベ しつ 面々 は先づ 如何な らん 木の 陰、 岩の 問に も 

隱れ 居て、 事鎭 まらん 程 を 相 待つべし ヒと宣 へば、 爲朝 聞き も あへ す、 「此 Q 義 然るべ か.^ す 

ヒと 〔義 朝】 てんき 

候 ふ. - 縱ひ 下野 Z 守 殿 こそ、 親子の 間 なれば 助け 中さん とし 給 ふと も、 天氣 よも 御免し 候 は 

じ。 其の 故 は、 新院は 正しく 主上の 御 兄に て 渡らせ 給 はす や. - 左 府亦關 白 殿の 御お ぞ かし。 豈 

親と て 罪科な からん や。 篛朝 いかに 巾 さ、 ると も、 立ち 難く こ ユ覺ぇ 侍れ。 御所 勞 なほり おは 

しま さ. tr た 何ともして 關 東に 赴き、 今度の 合戰に 上り あはぬ 三浦ノ 介義明*^:£-山,' ^^司重 

能、 小山 田ノ 別 當有重 等 を 相 かたらって、 東 八 箇國を 管領して、 暫し もまし ますべし。 若し 京 

都より 討 手下ら ば、 爲朝ー 方 承って、 思 ふま \ に 合戰 して、 かな はすば 其の 時 討死すべし。 な 



たらば ,1c 戰し 

て? s 死しょう 

とす め た 

が、 義朝 は、 

何 返まで も 降 

參 しょうと 云 

つ て 山 を 下つ 

た。 夜が 明け 

て、 ま々 親子 

の 別れる 時に 

なって、 子^ 

達 は 父 を圍ん 

で た 1^ 泣く ば 

かリ であつ 

た 



ど.^ 暫く 支へ ざらん ピと 中し ければ、 「それ も 東 國 へ 下りつ いての 事ぞ かし。 落人と なり ぬれ 

ば、 何事 も 思 ふに かな はぬ もの なれば、 須を 延べ て隆參 せん ヒと宣 ひて、 旣に 山より 出で 給へ 

ば、 子供 も 泣く く 役 I しつ、、 西 坂 本 松 を 下りし かば、 し 0、 め 漸く 明け 行きて、 ^:!の^々 

告げ 渡り、 峰の 横雲晴 れ ければ、 一 「おのく は疾 くく 何方へ も 落ち行くべし ピ と 立 ひ 

て、 都 0- 方へ 赴-き 給 ふ を、 「暫く 御と まり 候へ。 申すべき 事 候 ふ。」 と聲々 に 巾せば、 「何事 ピ 

とて 立歸り 給へば、 前後左右に 立圍 みて、 泣く より 外の 事ぞ なき。 誠に 只, や を 限りに て、 又 逢 

ふべき 事なら ねば、 なごり を 惜しむ も 理 なり。 



藝 



i 



-。 〇天^3- 天子の 

〇 西 坂 本 お-山の. S 



〇 合 期 思 ふやう になる。 〇 七 旬 七十。 〇 然るべ からず よろしくな 

し。 所勞 病 iwo 〇J 宵領 支配す る こと。 〇 山より 比敦 山から。 

麓 〇 下 松 今の 一 乘寺村 詩仙 堂の 傍 〇 しの > め 明け方。 

爲義は 子供に 向って 仰せられ たに は 「わしの 病 il- も 仝 快して、 S ふ漾 にさ へ なったならば、 W を 引き 

連. -て、 山林の 中に でも 膳れ る だら ゥが、 今 は 重病で、 思 ふやう にならぬ から、 わし はた 義朝 を賴 

つて 都へ 出ようと 思 ふの だ。 わしが 鎮ん だら、 義朝 も、 朝廷に お 願 ひして 今 K の 1^ 功に 代へ て も わし 

の 命 は 助けようと する だら う。 尤も、 義 朝が 願っても、 わし は專 ら新院 方の 大將 を 引き受けた 身 だ 

から 他の 杏と は 違って、 勅命が 嚴 しくて、 助けに くいなら、 それ はどゥ もし かたのたい 事 だ。 わし は 

年 もはや 七十に たって 惜しむ ベ き 身で はな い、 もし か、 止 きても 役に も 立たぬ.^ が 助か つたら 何とかし 

てお 前 等 を も 助けて やる だら う。 お前 等 はま づ それ迄 は、 何ん な 木の 蔭、 おの 中に も 隱れて 居て、 ^ 

件が 解決す るの を 待って ゐょ」 と 仰せられ ると、 爲朝に それ を 聞く や 否や 一. こ S 事はバ 立し く ありませ 

ん。 たと ひ、 下野 守 殿 こそ は 親子の 間で ぁリ ますから お助けしょう とされる でせ うが, しか IH< 子の 

S 義降參 の 事 ニー 二 



御 心 はとても 御免し は ございま すま い。 その わけ は、 ^院は 正しく 主上の 御 兄で いらせられる では あ 

"ません か。 鎮長も亦5!^11殿の御弟でぁリます0 それでも 御免し がない のです から、 親 だからと て ど 

うして 罪科 力ない ことがあり ませう。 義 朝が どんなに. &され て も その 申し 倏に 立ち 難く a はれます- > 

それで 父上の 御病氣 がお 直リ にな リま したならば、 た 何とかして 關 東に 赴き、 今度の 合戰に 上リ合 

はない 三 浦 介義明 • 畠山莊 司 重 能 • 小山 田 別 富有 重 等 を 味方に して、 東 八 箇國を 支配して、 しばらく 

掏いで なさい。 若し 京都から 討 手が 下りましたら、 爲朝は 1 方 を 引き受けて、 思 ふま、 に合戰 して、 

かたはなければ その 時 討死し ませう。 暂く でも どうして 支 へられたい ことがあり ませう」 と 申した と 

ころが、 爲義は 「さう 云 ふこと も實 際に fB- 國へ 下り 着いての 事で ある。 落人と たれば、 何事 も 自分の 

思 ふやう にならぬ もの だから、 少しも 抵抗し ないで 降參 しょう」 と 仰せられて、 もはや 比 叙 山から 出 

られ たので、 子供 も 泣く くお 供しながら、 西 坂 本 下ね を 下ったら、 夜 も 次第に 明けて 行って、 烏の 

聲が 夜の 明けた の を 告げ、 峯の橫 雲が 晴れて 行った から、 爲義は 「お前 等 は 早く,.,^ 何虚 へで も^ >ナ 

て 行けよ」 と 仰って、 都の 方へ 赴かれる の を 「1 寸 おとまり 下さい。 中し 上げ 度い ことが ござ いま 

す」 と 皆が 口々 に 申す ので 「何 だ」 と 云って 立 歸られ ると、 子供 等 は 父の 前後左右に 立圍ん で、 泣く 

ばか リ である。 まことに 只今が 最後で、 又 逢 ふこと も 出来ない から、 別れ を 惜しむ の も 道理で ある。 

IB 】 

人道 今度 老の 頭に 兜 を 戴きて、 合戰を 致す 事、 全く 我が身の 榮花 を- I する にあら す。 若し 打 勝 

つて". S を 開かば、 汝等を 世に あらせん と 思 ふためな り。 <HS 朝 を 頼みて 出づる も、 我れ 若し 安 

穩 ならば、 其の 陰に て 各 を も 助けば やと 思 ふ 故な り。 汝等を 捨てて、 我れ 一人 助からん とや 思 

ふらん.^ 齢旣に 致仕に 餘れ ば、 身の いくばく ii を か 期せん。 如何な らん 所に も、 深く 隱れて 

^つべ し。 疾く 疾くピ とて 下られけ るが、 かくて 心強く は宣 ひし かど も、 さすがな ごりや^し 



ら だ と 云 つ 

て、 子供 等に 

別れて 下った 

が、 又 立ち 歸 

つて 子供 を 呼 

んで 別れ を惜 

ん だ。 



© いくら 別 

れを 悲しんで 

も 限りがない 

S で、 面々 散 



かり けれ、 叉立歸 りで、 r 輯贤 よ、 賴 仲よ、 いふべき 事 あり、 歸れ ヒと宣 へば、 备 呼ばれて 立 

ちかへ る。 誠に は 異なる 事な けれども、 飽 ぬ^の 悲し さに、 又 呼び 下し 給 ひける、 愛 恩の 程 こ 

そ哀 なれ。 

6 〇 期す 求める。 〇 世 にあら せん 立身出世 させよう。 〇 助けば や 助けたい。 〇 致仕に 餘れ 

ば 致仕 は 官を辭 する ことで あるが、 又 七十 歳の ことに 云 ふ。 〇 異なる 事 別段 變 つて 云 ふべき 

事。 

6 爲義 「今度 老の 頭に 究を 冠って、 合戰を L たの は、 仝く 自分の 身の 立身 を 求めた ので はな い。 若し 打 

勝って、 よい 運 を 開いたら、 お前 等 を 立身出世 させようと 思 ふため だ。 今、 義朝を 親って 京に 出る の 

も、 わしが 若し 無事で あれば、 その 力で お前 等 を も 助けた いと 思 ふから だ。 お前 等 を: て、 わし 一 人 

助からう とで も 思 ふの だら うか。 わし はも はや 七十に 餘 つて ゐ るから、 この 後の わしの 榮華 など あ 

てに する もの か。 どんな 所で も 深く 隠れて 待って ゐ よ。 さあ 早く 行け」 と 云って 山 を 下られた が、 か 

うして 心 强くは 仰せられた けれども、 ゃはリ 何と 云っても、 名残が 惜しい ので あらう、 又 立ち 録っ 

て 「賴賢 や、 賴仲 や、 云 ひたい ことがある。 歸れ」 と 仰せられ るので、 皆の 者 は 父に 呼ばれて 立ち 

つた。 實 際に は 別段 變 つて 云 ふこと はたい ので ある けれども、 飽かぬ 別の 悲し さから 又 山 を 呼び 下ろ 

された、 親子の 情愛 は實に 痛ましい。 

此の 如く 互に 別 を 慕へ ども、 さて あるべき にも あら ざれば、 面々 散々 にこ そ 別れ 行け。 落つ る 

淚に道 くれて、 行く先 Is- に S ハ々 たり。 悲しき かな、 人 界に生 を 受けながら、 鳥に あらね ども、 

く...? つ ごふ てう It 一よ らん 

ra: 鳥の 別 を 致し、 哀な るかな 廣 劫の 契 空しう して、 魚に はな けれども、 釣魚の i^- を 含む。 淚稱 

爲義 it 參の事 



ニニ 四 



々に 別れて 行 

つた。 子供 

は、 小 原 *靜 

原 • 芹 生の 里 • 

鞍馬 Q 奥 • 貴 

船の 方へ 思 ひ 

くに 落ちて 

行った。 爲義 

は 紅 森から 花 

澤を義 朝の 許 

に逍 にして、 

逃げて 來た こ 

と を 中す と 、 

義朝は 夜 ひそ 

かに 迎ひ 取つ 



|:|! として、 魂 £1 すと 見えて、 あはれ なりし 有様な り。 子供 は 小 原 *靜 原 • 芹 生の 里 *鞍 馬の 

奥 •fiQ 方 ざまへ、 思 ひく 心々 に 落ち行けば、 深山が くれの 秋 Q{4r 露 も 時雨 も (ザ ひて • 

しほ はえん , 

我が 袖の 淚も fs- にま柴 とる、 山路の 奥を迎 りつ,^、 人里 遠く 分け入れば、 峰の e 猿 一度 叫び、 

行人の slfe ぜば、 谷の |& の妻戀 ひに、 旅客 の夢も 覺 めぬべし。 

ち I* ナ もリ ?っ しき 

さて 入" -n^ は、 賀ぼ河 を 渡り、 钆 森より 雜色 花澤を 義朝ハ 許へ 遣して、 これまで „^ れ來れ る. H 

. rssTsn 「&? 義ー 

を 申されければ、 左 馬.' 頭^に 入って 輿 を 奉り、 竊に 判官 殿 を迎へ 取り 給 ひけり。 (卷 二) 

〇 あるべき にも あら ざれば かう してば かリも ゐられ ないから。 〇 冥々 暗い こと。 〇 人界 人 

問界。 〇 四 鳥の 別 孔子 家 語に、 桓 山の 鳥、 四 子 を 生む、 旣に その子が 成長して、 各々 四海に 飛び 

去る 時に、 母鳥が 悲鳴して これ を 見送った と ある。 〇 廣 却の 契 親子の 永い 約束。 〇 釣魚の 恨 

魚 は 親子 兄弟に 離れて 釣リ 取られる こと。 C 淚攔干 :泯の 盛に 落ちる こと。 〇 飛揚 飛 去る と 同 

じ。 〇 小 原 山鍵國 愛宕 都に ある。 〇 靜原 同所に ある。 〇 鞍馬 京都の 1: 北方に ある" 〇 

貴 船 鞍馬 山の 脇 C ま柴 上から 淚も 更に 間な しと 云 ふの を 云 ひかけ た。 「ま」 は 接頭 ST 〇 巴 猿 

支那の 巴 蜀と云 ふ 地に は 猿が 多い から 云 ふ。 〇 裳 裳の 裾" 妻戀 牡鹿が 牝 鹿を戀 ふて 呼ぶ。 

〇55- の 森 山城 國愛 { 々都で 下賀 茂の 處。 〇 雑色 昔 、蔵人 所に 屬 して 雜 役に 服した もの。 

この やうに 互に 別れ を 惜しんで 慕 ふけれ ど も、 何時 迄 もさう してね る わけに も いかない から、 各々 彭リ 

-,. に 別れて 行った。 か t ちる 涙に 道 も 見えず、 行く先 も 仝く 見 富が 付かな い。 悲しい ここ だ、 人間界に 生 

れ ながら、 き: でもない のに、 四 鳥の 別れ をし、 哀しい こと だ、 親子の 永い 緣も あだにな つて、 魚で も 

ない のに 釣魚の 恨 を 心に 抱いた。 淚が 盛に 流れて、 魂 も 飛び去つ てし まふ やうに 思 はれて 實に 哀れな 

有樣 である。 子供 は 小 原 *靜 原 • 一斤 生の 鞍馬の 奧* 貴 船の 方面へ め いく 思 ひくに, a 分の 勝手に 



i 



8 內裹 fv.n 

義朝を 召され 

て、 弟 ども を 

尋ね 出して 

せと あつたの 

で、 不便で は 

ある けれど 

も、 勅 IT たか 

ら 致し方な 

,、、 義朝 は沒 

多 野次 郞に命 

じて、 六倏堀 

河ん 宿所に あ 

る當 腹の r、 

を 蹴し S し 



逃げて 行った が、 街 木の 生 ひ 茂っ た, の 中 。气 S の 5、 秋の まあち る 雷,, ひどく 

袖 I らし、 淚 もしき リに 落ちる ことで ある。 柴 I る 山路の f 迎リ ながら、 人 I つた 所 

"ると、 峯には 猿! しさう S いて 一 I れを 感じて 、涙に 裳 を? すかと 田、 U 

牡鹿 ,叫んで ゐる 哀れ 島 I いて は 折角 山中 人の 夢 あ き。 

さて 爲義 は、 ^茂 川 を 渡リ、 紅の 森から 雜 色の 花. 淳を義 朝のと ころへ 遣よ して 

こと を 串され たと ころが、 義朝は 夜に なって、 輿 を 持って、 こつ ュ 



まで^れ て來た 

と爲 義を迎 へ取リ になった。 



10、 義朝 幼少の 弟 悉<誅 せらる、 事 



さる 程に、 S ま 卽ち霸 I さ; -、 藏人右 少辨直 f を,? 仰せ 下さ., ナる よ, 71 

弟 ども Q 未だ 多く あんなる、 ま 幼く とも、 女子の 外は靠 ねて 失 ふべ し」 となり. 霄.; 

つて. 波 多野ノ 次郞を 召して 宣 ひける は、 「攀リ に-;^ i なれ ども、 觔 詫な 化 ズ 力なし。 i { 

母 か懷 いて、 山林に 淨 ゎ隱れ たらん は 如何せん。 六 I 河の 宿所に ある 裏り g 人き、 F 

出して、 相 構 へ て 道の 程 佗しめ すして、 船 岡に て 失 へ ピ,, I えけ る。 s^o う、 かな 

♦ と、 心 g く 思へ ども、 主命 なれば 力なし。 pf 牧 めで、? く 輿 I か?、 彼の ゥ们へ 

?て 赴、 さける コ 

藝 S 人 右 小辩 ? t は 昔校實 の 書, 掌った 韉名。 後に は、, の 御前に,, して 政 冶に も ぁづか 

リ、 傍ら まの ff 。右 少辨 I 人の #。 〇i f の 奥方 5 まだ 子。 ,〇 四、 乙." 

S 、鶴 若、 天王。 0? 欺いて 誘 ひ 出す。 §5. f つけて oV ひ 2;^ n 

義朝 幼少の 弟 悉く 誅 せらる >- 事 一一 一一て 丄 



て、 船 1: で 殺 

さす ことにし 

た 



瞧 母上 はち 

ようど 物詣 ^ 

間であった。 

波 多 野次 郞は 

e: 人の子 供 

に、 父の^;^義 

は 比』 3^ 山で 出 

家して、 今 北 

山、 fj: 林 院に居 

られ るが、 見 

參に 人れ 奉る 

1^ に御迎 ひに 

參 つたと 云つ 

て、 舆に乘 

せ、 ^岡 山に 



いと 思 はせ ないで。 C) 舟!; 舟 岡 山。 〇難 儀の 困った。 苦しい。 

@ さて 禁中から: 速 義朝を 呼び出され、 蔵人 右 少辩資 長 朝臣 を 以て 仰せ 下された に は、 「お前のお ども 

はま だ 多く ある だら フが、 たと ひ 幼くても 女子の 外 は 皆搜し 出して 殺せよ」 とあった。 義朝は 自分の 

招 所に 歸っ て、 波 多 野ケ、 郎を 呼んで 仰せられ るに は、 「餘リ に 可哀想で ある けれども、 勁 命た か、:' 致 

し 方がない。 母 か 乳母が 抱いて 山林な どに 逃げ 隱れた 者 は 致し方がない。 六條堀 河の 宿所に ゐ る當^ 

の 四 人 を 欺いて 誘 ひ 出して、 よく 氣を つけて、 つらく 思 はせ ないで、 岡 山で 殺せ」 と いひつ けた。 

延景は 苦し い 御 使 だ わ いと 心苦しく 思 ふけれ ども 主人の 今 (P だからし かたがた い。 淚を 袖で 被つ て、 

泣く/、 輿 を 部下の 者に 舁 かすて、 かの 堀 河の 宿所へ 赴いた。 



母上 は 折節 物詣の 間な り、 君達 は 皆お はしけり。 兄 をば 乙 若と て 十三、 ナ、 は 趣 若と て 4-1、 鶴 

i S 多: sk〕 

若 は 九つ、 天 王 は 七つな り。 此の 人々 延景を 見つけて、 嬉しげ にこ そ あり けれ。 波 多 野 Z 、郞 

一 巧バ 義ー おん 51< r 義朝 1 

「入道 殿の 御 使に 參 つて 候 ふ。 殿 は 十七 日に、 比 1;^ の 山に て 御樣替 へさせ 給 ひて、 頭 殿の 御 許 

う リん -fv.e 

へ 入らせ 給 ひし を、 世 問 も 未だつ. t ましとて、 北山 雲 林院と 巾す 所に、 忍びて 渡らせ 給し 候 ふ 

が、 君達の 御事覺 束な く 思 召し 候 ふ 間、 御 見參に 入れ 奉らん ために、 具し 奉って 參 らんと て、 

御 迎に參 つて 候 ふヒと 申せば、 乙 若 出で 合 ひて、 「誠に 樣替 へて おはし ますと は 聞き たれ ど 

も、 軍の 後 は 未だ 御 姿 を 見 奉らねば- 誰々 も皆戀 しく こそ 思 ひ 侍れ」 とて、 我先にと 輿に 爭ひ 

乘られ ける こそ あはれ なれ。 これ を 冥途の 使と も 知らす して、 名 輿 どもに 向 ひ つ 、、 「急げ 

や、 急げ ヒ とす \ みける。 羊の 歩 近づく を 知ら ざり ける こそ はかな けれ。 大宫を 上りに、 船 岡 

山 へ ぞ 行きたり ける 。峰より 東なる 所に 輿舁き 居 ゑて、 如. 一? せまし と S3 ふ 所に、 七つになる 王 



着いて 始め 

I て、 ^義に 昨 

日の 曉 斬られ 

た こと も 告げ 

て、 子供 等に 

事情 を 打ち あ 

けた e 



rlisiK,- 【 波 多 好〕 

走り出で て、 「^? ^何處 にお はします ぞヒと 問 ひ 給へば、 延 Cti 淚を 流して、 暫しは 物 も 巾 さ ざ 

TK わ r-. 一 ノ<- IKa ss〕 たま. 1 

; 二」、 昨 HI の 



しが" 



や, T ありて、 「今 は^を か隱 しま ゐら すべき。 大 K は 頭,' の 御 承 

〔爲 朝〕 〔5S"W 

廳斬られさせ給ひ^^ひき。 御舍 兄た ち も、 八郞 御曹司の 外 は、 四郞 左, 衛 



i 仲 1 

^より 九. 郎^まで、 



五 人ながら よべ 比のお もてに 見え 候 ふ、 山 本に て 斬り 奉り 候 ひぬ。 君達 を も 欠 ひ 巾すべき にて 

〔i 

候 ふ。 頃 構へ て 簾し 出し まゐら せて、 わびしめ 奉らぬ 様に と、 仰せ 附 けられ 候 ふ 入: が 殿の 

. 一 多&〕 

御 使と は 申し 侍るな り。 思 召す 事 候 はば、 延景に 仰せ 置かせ 給 ひて、 御念 仞^ ふべ し」 と 巾せ 

ば、 四 人の 人々 之 を 聞き、 皆 輿より 下り 給 ふ。 

8 〇 物詣 社寺に 參詣 する 事 。この 時 はちょう ど 、八幡宮に 參詣 して 不在であった。 〇 御 ^1^?.:- へ 刺 

髮 する。 〇 世間 も 未だつ まし 世の中の 人 S に懸 るの はま だ 遠慮が ある。 〇 北山: や!; 林 K 愛お 

都大德 寺の 南 船 岡の is -。 〇 覺 束な く 氣が \ リ。 〇 御見參 お 逢 はせ 申す。 〇 具し^つ て 御 

連れ 申して。 〇 冥途 あの世 。来世 〇 羊の步 近づく 摩 耶經の 保に ある nfs で、 羊 が^られ る 場 

听に 行く のに、 步 みかねる ことから、 自分が 死に 近づく ことに 云 ふ。 〇 はかな けれ 悲しい。 〇 

如何せ まし どうしょう。 〇 御 承りに て 勅命 を 承って。 〇 よべ 夜前。 〇 舍兄 兄の こと。 

〇 このお もてに この 方面に。 〇 山 本 山の 麓。 〇 御念 佛候 ふべ し ^なさい と-: ム ふこと。 

6 母上 は その 時ち ようど 参詣に 行かれて 留守の 時で ある。 さて、 兄 は 乙 若と 云って 十: 二 歳、 次は龜 ^;? と 

云って 十一 歳、 鹤若は 九つ、 天 王 は 七 歳で ある。 この 兄弟 達 は 延景を つけて、 嬉し さう であった。 

波 多 野次 郎は 「入道 殿の 御 使で 參 りました。 殿 は 十七 H に 比 I 似 山で 頭 を ^しれて、 唯今 頭の 殿の 御 許 

へ おいでにな リ ましたが、 まだ 人目に か、 るの は 遠慮 だからと て、 北山の 雲 林! K と 中す 虚 にこつ そり 



義朝 幼少の 悉く 誅 せらる v¥ 



ニニ 



9 乙 若 は 弟 

, 鶴 若 や、 <^ 

若が 未練ら し 

いこと を 云 ふ 

の を 制して、 

父 を 殺した 程 

の義朝 だから 



とお いでに なられる のです が、 君達の 御 事を氣 が >- りに 思 召される ので、 御 逢 はせ 申す ために、 お 速 

れ して 參 らうと 思って、 御迎 ひに 參リ ました」 と 申す と、 乙 若 は 出て 逢って 「まことに 御 出家して お 

いでに なリ ますと は 聞いた けれども、 軍の 後 は、 まだ 御 姿 を 見 奉らない の で、 iio 戀 しく 思って ゐる 一 

とて、 自分 先き にと 輿に 爭っ て 乘られ た の は可哀 さう である。 これ を あの世へ の 使と も 知らな いで、 

各々 舆 どもに 向って 「早く、 早く」 とす.. - めた。 ちょうど 羊が 屏 所に 近づく の を 知らない やうに、 死 

地に 近づく の を 知らな いのは 氣の 毒で ある。 大宫を 上って、 4" 岡 山へ 行った。 峰から 東の 所に 舆を Gj- 

き据 ゑて、 延景 はどうしょう かと 思って ゐる 所へ、 天 王が 走リ 出て 「父 は 何處に ゐられ るの か」 とお 

問 ひになる ので、 延景 は淚を 流して、 暂 らく は 物 も 申さなかった が、 や >t あって、 「今と なって は 何 

をお 隱 しいた しませう。 大殿は 頭 殿が 刺 命 を 承って、 昨日の 曉 ぉ斬リ になり ました。 御 兄た ち も、 八 

郞 御曹司の 外 は 四 郞左衞 門から 九郞 殿まで 五 人 共 皆 昨夜 この 方面の 處の 山の 麓で 斬り 奉リ ました。 君 

達 を もお 殺し 申さなければ ならぬ のです 。氣 を 付けて だまして 誘 ひ 出し まゐら せて、 つら がらさない や 

うにと 仰せ 附 けられました から、 それで 入道 殿の 御 使と は 申した のです。 思 召す 事が ございま したな 

らば、 延景に 申し 置きに なって 昝樣 御念 佛 なさい ませ」 と. &ァ と、 四 人の 人々 はこれ を 聞いて、 $t 與 

からお 下りに なった。 

f 義朝〕 

九つになる 鶴 若殿 「下野 殿へ 使 を 遣して、 いかに 我等 をば 失 ひ 給 ふぞ。 四 人 を 助け 置き 給 は 

ば、 郎等 百騎 にも 勝りなん する もの を。 此の, E 申さば や ピと宣 へば、 十一 歳になる 龜若 「誠に 

たしか こ-ろう 

今 一 度 人 を 遣して、 ^に 聞かば や」 と 申されけ る處 に、 乙 t お 生年 十三なる が、 「あな 心 K おの^ ど 

ものい ひが ひな さや。 我等が 家に 生る- -者は 幼 けれども 心 は 猛しと こそ. L- すに、 かく 不覺 なる 

こと, 1リ 

事を宣 ふ もの かな。 世の 理 をも辨 へ、 身の 行 未 を も 思 ひ 給 はば、 七十に なり 給 ふ 父の、 病氣 



とても 我等 を 

も 助け は すま 

い、 達 も $1 

斬られた の だ 

から、 たと ひ 

命が 助かった 

と て も 乞食 流 

浪 して、 父の 

爲 にも、 家の 

爲にも 恥辱で 

ある。 父が 戀 

しければ、 西 

方!^ 樂に 往生 

して、 一 つ 蓮 

に 生れ 合 ひ 奉 

らうと E.3 へ と 

云 ふと、 三人 

も 各々 西に 向 

つて 手 を 合 は 

せた。 



こ: M つて 家 遁世して?? ヶ みて 來り給 ふ を だに 靳る ほどの 不當 人の、 まして 我々 を 助: t 給 ふ審ぁ 

〔義 isn わ ざん 

らじ。 あはれ はかなき 事し 給 ふ 頭つ 殿 かな。 是 れは淸 か^ 讒 にて ぞ あるらん もの を。 多くの 



兄弟 を 失 ひ 果てて、 た^ 一人に なして 後、 事の 次に 滅ぼさん とぞ 計.、 り ふらん を 縢らす、 只今 我 

が 身 も 失 ひ 給 はんこ そ 悲し けれ。 二三 年 を も 過し 給 はじ。 幼 かりし かど も、 乙 殿が 船 岡に て 能 

f 義 朝〕 

くい ひし もの をと、 汝等も 思 ひ 合せん する ぞ とよ。 さても 下野 殿 討 たれ 給 ひて 後、 忽に源 の 

世 絶えなん 事 こそ 口惜しけ れヒ とて、 三人の 弟 達に、 「な 歎き 給 ひそ。 父 も 討 たれ 給 ひぬ、 誰 

か は 助けお はし まさん。 兄 達 も 皆 斬られ 給 ひぬ。 情 を も 懸け 給 ふべき 頭 Z 殿 は 敵 なれば、 今 は 

二つ ヒ *v る らう 

定めて 一所懸命の 領地 もよ も あら じ。 然れば 命 助かりたり とも、 乞食 流浪の 身と なって、 此^ 彼 

處に迷 ひ ありかば、 あれ こそ 爲義 人道の 子どもよ と、 人々 に 指 を さ- - れん は 家い はに も 恥: お 十な 

り。 父戀 しくば、 た 西に 向って 南無 阿 彌陀佛 と唱へ て、 酉 方 極樂に 往生し、 父御 前と 一 c-ii^ 

に 生れ 合 ひ 奉らん と 思 ふべ し ヒー、、 おとなし やかに 宜 へば、 H 入の 君達、 あ 西に, M つて 乎 を 合 

せ、 禮拜 しける ぞ あはれ なる。 これ を 見て 五十 餘 人の 兵 も、 皆 袖 をぞ懦 しける。 

6 〇 心 憂ハ者 ども 心苦しき 者 達-) 〇 いひが ひな さ 頼リ なさ。 〇 我等が 家 ? S 氏の 家。 〇 不资 

覺 悟の 足 リ ない。 〇*1 の理 世間の 道理 。人情。 〇 出家 僭になる こと。 〇 ^世 佛 I: に 入る 

53 家に 同じ。 〇 不當人 道理 を 知らぬ 者。 〇 はかなき 事 考 のない 事。 〇和讒 人の 苕 菜に 和 

同して 他の惡 口 を 一 K ふこと。 〇 事の 次 よい 賴< ^を 見て。 〇 能くい ひし もの を よくも 云 ひ (5 て 

た 事 だ。 〇 汝等 波 多 野次 郎等。 その 場に 居 合 はす *:。 〇 な 歎き ^ ひそ お 歎きに たるな。 〇 

義朝 幼少の 弟 悉く 誅 せらる >• 事 ニニ 九 



二三 〇 

1 生 懸命の 領地 たしかに こ X と 云 ふ 生命 を 保つべき 大切な 領地。 〇 よも あら じ 7.^ して ある ま 

い。 〇 人々 に 指 を さ、 れん 人々 に 笑 はれる。 〇 西方 極 11 不 樂は 西方に あるから かく 云 ふ。 

〇 往生し 行って 生れる。 〇 父御 前 父上。 〇 一つ 蓮 一蓮托生 とて、 極榮に 共に 居る こと。 

〇 おとなし やか 大人ら しく。 

九 歳になる 鶴 若 は 「下野 殿へ 使 を 遺 はして、 どうして 我等 を 殺される のか。 四 人 を 助けて 置かれた 

ならば、 騎のー 來ょリ も 11 るで あら ゥ のに。 この こと を 申した いもの だ」 と 仰っしゃ ると、 十 一歳 

になる < ^若殿 は、 「誠に も 一 度 人 を や つて、 たしかに 我等 を 殺す つも リ かど-りか 聞きた いもの だ」 と 

申された ところが、 乙 若は當 年 十三 歳で あるが 「あ >- 心苦し い 者 共の 賴リ ない ことお。 我等 IS 氏の 家 

に 生れた 者 は 幼くても 心 は 勇ましい と 申す こと だのに、 どうして この やうに 覺 悟の 足りない 事 を 仰せ 

られ るの だ。 卅 一間の 道理 を もよ く 知リ、 身の 將來 を考 へられたら、 そんな 不覺な 事 を 仰る もので はな い。 

七 t に なられる 父が 病氣 して 出家 世して 賴 つて 來られ たので さ へ 斬る ほどの 泣 を 知らぬ 義朝 がまし 

て 我等 を 助けられる こと は 決して ある ま い。 ほんと に考へ のな い 事 をされ る 頭の 殿 だ。 これ は淸 盛が 人 

の 言葉に 和して、 朝廷へ 惡く 申し上げ たので あら- フ。 多くの 兄弟 を 殺して しまって、 頭の! た 1 人 

にして 後、 よい 機會に 頭の 殿 を 亡ぼさう と 計って ゐ るの を さとらないで、 只今 我々 を 失 ふと 共に、 御 

自分の 身 を 失 はれる の は 悲しい こと だ。 きっと このま で 二三 年 を もお 過し になるまい。 幼なかった 

けれども 乙 若が、 岡で よく 先の 事 を! 13^ 拔 いて 云った とお 前 達 も 思 ひ 合す だら うよ。 それにしても、 

下野 殿が 討 たれ 給うて 後、 直ちに 源氏の せが 絶える 事 は殘念 だ」 と 云って、 三人の 弟 達に、 「歎きな 

さるな。 我等に 同情して 下さる 箬の頭 殿 は敲だ から、 今 はきつ と 生命 を 保つべき 領地 もとても ある ま 

い。 そしたら、 たと ひ 命が 助かった ところが、 乞 貧 流浪の 身と なって、 此處 やかし こに 迷ひ步 いた 

ら、 あれが 爲義 入道の 子供 だと 卅:? 1: の 人々 に 笑 はれる の は 家の 爲 にも 恥で ある。 父が 戀 しければ た V 西 

に 向って 南無 阿 彌陀佛 と 念 佛を唱 へて、 西方の 極樂 一」 生れ、 父上と 一 つ 蓮の 上に 生れて、 一 緒に 居よ 



9 こ " 君達 

に 各 一人 づ. - 

傅が つ いた。 

何れも さし 寄 

つて 髮を結 ひ 

舉げ、 汗 拭 ひ 

などして 別れ 

を 悲しんだ 

乙 若 は. G 分が 

先にと 思った 

が、 弟ら が 幼 

心に 怖れる か 

も 知れぬ と 思 

つ て、 弟 を 

先 だて る こ と 

にした。 延景 

が 太刀 を抆ぃ 

て 後へ 廻る 

と、 三人の 首 

は 前に 落ち 

た C 



うと 思 ひなさい」 と、 大人ら しく 仰っしゃ ると、 三人の llf; 達 はめ い /-、- 西に 向って 手お 合 はせ、 |« 拜 

したの は 哀れで ある。 これ を 見て その 場に 居た 五十 餘 人の 兵 も 皆 泣いた。 

此の 君達に 各 一 人 づ\傳 どもつ きたりけ り。 內記 Z 平 太 は 天 王 殿の 傳, 吉田, 次 郞は龅 若、 

野ノ 源 八 は 鶴 若、 原, 後藤 チ、 は 乙 若殿の 傳 なり。 さし 寄って、 髮結ひ 擧げ汗 拭 ひな どし ける 

が、 年 ごろ 日ごろ 宮 仕へ、 旦暮に 撫で はだけ 奉りて、 只今 を 限と 思 ひける 心 ども こそ 悲しけ 

れ." されば 聲を 揚げて、 おめく ばかりに あり けれども、 幼き 人々 を 泣かせ じと、 抑 ふる 袖の 下 

よりも、 餘る淚 の 色 深く、 つ- r む氣色 も顯れ て、 思 ひやる さへ あはれ なり。 乙 若、 延 おに, 问っ 

て、 「我れ こそ 先にと 思へ ども、 あれら が 幼心に、 怖ぢ 恐れん も無慙 な- 

れば、 彼等 を 先に 立てば や ピニー 且 ひけれ は、 波 多 野, .f^、郞太刀を拔ぃて- 

ども、 「御 目 を 塞がせ 給へ ピと 申して、 iinl 退きに けり。 卽ち 三人の-首、 前: 



-0 又い ふべ き 事 も 侍 

筏へ 廻りければ、 傳 

ぞ 落ちに ける。 



6 〇 傅 守役。 〇 撫で はだけ 撫でさす リ。 〇 只今 を限リ これが 最後。 〇 おめく ゆ 、く。 〇 

つ、 む氣色 ぢっ とこら へて ゐる樣 子。 先に 立てば や 先に 立てたい。 先に 斬る こと。 

@ この 君達に 各 一 人づ 、守役が 附 いて ゐた。 內記平太は天王毆.の傅、士"w次郞は龜#ぉの、佐s^源八はぬif? 

の、 IS 後藤 次 は 乙: お 殿の 傅で ある。 めいく 傍に さし 寄って、 突 を 結び 舉げ、 汗 5^ ひな どした が、 ¥ ご 

ろ 口 ごろ 奉公し、 朝夕に 撫でさす リ窣 つて、 今が 最後 だと 思った 心地 は 悲しかった。 だから、 この 悲 

しさ は聲を 上げて 泣き叫ぶ ばか リで あった けれども、 幼い 人々 を 泣かせ まいと、 ぢ つと 耐 へて ゐ るの 

であるが、 耐へ てゐて も淚が れて、 その 耐えて ゐる 悲痛な 樣 子が 額 色に あら はれて、 さぞ かし 苦し 

いだら うと 想像す る だけで も氣の 卡ー$ である。 乙 若 は 延景に 向って、 rc 分が 先に 斬られた いと ふ 



義^:幼少の弟悉く誅せらる.-*^- 



9 乙 若 はこ 

れを 見て 少し 

も 騒がず、 手 

づか, > 此の 首 

どもの 血の 着 

いたの を 押 拭 

ひ、 髮を敏 き 

撫でたり し、 

母が お聞きに 

たって、 どん 

なに か歡 かれ 

る だら うと 云 

ひ、 今朝 八幡 

に詣 でられた 

ことな ど 云 ひ 

山して、 母へ 

の 形見に、 弟 

どもの 額の 髮 

を 切リ、 自分 

の も 添へ て、 

別々 に 新, i つ 



が、 弟 等が 幼心に 見て 怖れる のが 可哀想で ある。 又、 云 ひたい こと も あるか、 し、 彼等 を 先 に 立てた 

い」 と 仰せられ たから、 波 多 野次 郞が 太刀 を拔 いて、 後に 廻った から、 傅 ど.^ は 「御 をお 塞ぎな さ 

いませ」 と 申して、 皆 そこ を 退いた。 i5i ちに 三人の 首 は 前に 一 ちた。 

乙 若 これ を 見 給 ひて、 少しも 駿か す、 「いしう も 仕りつ る も Q かな。 我れ を もさ こそ 斬らん す 

らめ。 さて あれ は 如何に 、にと 宣 へば、 ほか ゐを 持たせて 參 りたり。 手づ から 此の 首 どもの 血の 

著き たる を 押し 拭 ひ、 髮 接き 撫で 「あはれ、 無 慙の者 ども や、 かほ どに 果報 少く 生れ けん。 只 

今 死ぬ る 命より、 母御 前の 聞 召し 歎き 給 はん 其の 事 を、 かねて 思ふぞ たと へな き。 乙 若 は 命 を 

惜しみて や、 後に 斬られけ ると 人い. W ん すらん." 全く 其の 儀に て はなし。 かやう の 事 をい はん 

こつ けても、 叉 我が 斬らる- T を 見ん につけても、 泣き.^ りたる 幼き 者 0、 又 泣かん も 心苦しく 

て 云 はぬな り。 母御 前り 今朝 八幡へ 詣で給 ふに、 r 我れ も參 らん」 と 申せば、 皆 r 參 らん, \j と 

い へ ば、 『具せば 皆 こそ 具せ め。 具せ すば 一 人 も 具せ じ。 片恨みに.^』 とて、 我等が 寢 たる^に 

詣で給 ひしが、 今 は 下向に てこ そ 尋ね 給 ふらめ。 我等 か \ る べしと も 知ら ざり しかば、 思 ふ 事 

を も 申し 置かす、 形見 を もま ねらせす、 たに 入道 殿の 呼び 給 ふと 聞. きつる 嬉し さに、 急ぎ 輿に 

乘 りつる ばかりな り。 されば これ. V 形見に 奉れに とて、 弟 どもの 額 髮を截 りつ.^、 我が 髮をも 

取 具して、 若し 遠 ひも やする とて、 別々 に裹み 分け、 各 其の 名 を 書きつ けて、 波 多野ノ 次郞に 

賜び にけ り。 

瞧 いしう 美事。 感心。 〇 さ こそ その やうに。 〇 ほか ゐ 行 器と 書く。 食物な ど 入れて、 5: へ 



持って行く 器で ある。 木製で、 その 形が 圓 くて 三 足が ある。 首 桶に 似て ゐ るから 代用す るので ある。 

〇 無渐 こ& はいた はしい 意。 〇 果報 因 果, 應報 。轉 じて しあ はせ。 〇 其の 儀 死 を 惜しんで 

の 事。 〇 片恨 片方が 恨む。 〇 下向 歸る。 

乙 若 はこれ を御覽 になつ 、 少しも あはて ず、 波 多 野に 向って、 「立派に 斬った な あ。 私 を もさう 云 

ふやう に 斬る であらう。 だが あれ はどうした」 と 仰せられ ると、 行 器 を 持って 參ら せた 乙 若 は rtj り 

弟 どもの 首の 血の 著いた の を 押し 拭 ひ、 髮を鳋 き 撫で 、「あ. -可哀 相な 者 共 だ わ い 。前世の 約來で こん 

なにし あはせ 少く 生れた ので あらう。 今 死ぬ る 命よ リも、 後で 母上が お開きに なって お 歎きになる 悲 

しさ を 思 ふとた と へ やう もな く 悲し い。 乙 若 は 命 を惜ん で、 後に 斬られた と 人 は:: ムふ かも 知れな い。 

而し全 くさう 云 ふわけ ではな い。 かやう に 母上の こと を 云 ふわけ ではない かやう に^ 上の こと を-. ムふ 

につけても、 又 私が 斬られる の を 見る につけても、 折角 泣き. つ てゐる 幼い?^ 等が 乂 くの が 心 _w し 

くて、 それで 私が 後に 殘っ てゐ たので、 それで、 私が 後に 殘 つたので、 母上の こと も 今迄 云 はな かつ 

たので ある。 母上が 今朝 八幡へ 參詣 される ので、 「私 も參リ ませう」 と 中 すと、 が 「私 も參リ ませ 

う」 と 云 ふので、 母上 は、 連れて行くなら 皆 を 連れて行く、 連れない のなら、 1 人 も 速れ まい。 一 人 

を 連れて、 一 人 を 連れない と、 不公平に なって 片方が 恨む から」 とて、 我等 が^て ゐた e: に、 お^ リ 

に なられた が、 今 はお 歸リ になって 尋ねて いられる だら う。 我等が こんな::: に 逢 ふと も 知らなかった 

から、 思 ふ 事 も 申し 置かず、 形見 を もさし 上け 置かず、 た 父上 の お呼びに なられる と閉 いた^し さ 

に、 急いで 輿に 乘 つたば かリ である。 それで はこれ を 母上に 形 として さし 上げて くれ」 と 云って、 

弟 どもの 額の 髮を 切り、 自分の 髮をも それに 添へ て、 サ おしか IE 違 ひで もす ると いけない と 思って、 別 

々に 分けて 包んで、 各 その 名 を 書きつ けて、 波 多 野次 郞に 賜うた。 

「又 詞 にて 巾さん する 様 はよ な。 今, ゆ 御供に 參り なば、 終に は 斬られ 候 ふと も、 〔"化期ハぉ^^^を 

義朝 幼少 S 弟 悉く 誅 せらる >- 事 



の 言 傳 とし 

て、 今朝 八皤 

の 御 伴 をした 

ら、 最後の 有 

樣を 互に 見 も 

し、 えま ゐ 

らせ もしな け 

れ ばなら たか 

つ た だ ら う 

に、 留守に お 

別れす るの は 

却て 幸で、 八 

皤の御 計 ひと 

S 召し、 來世 

は 1 つ 蓮に 參 

リ逢 はんと 御 

$ な さ い と 

云 ふ こと を 云 

ひ いて、 弟 

等が 待って ゐ 

る だら うから 

と 云って ゝ 西 

に 向 ひ念佛 一二 

十遍 ばか リ申 

される と、 首 



二三 四 

ば、 互に 見 もし 見え 進ら せ 候 はんやれ ども、 なかく 互に 心苦し, き 方 も 侍りん。 御 留守 に^れ 

かりそめ 

奉る も、 一 つの 幸に てこ そ 侍れつ 此の 十 年餘の ^は、 假 初に 立ち 離れ まゐら する 事 も 侍らぬ 

に、 最期の 時し も 御 見參に 入らねば、 さ こそ 御 心に かかり 侍ら うらめ なれ ども、 且は 八幡の 一 御 計 

ひかと Si:: 召して、 いたくな 歎 かせお はし まし 候 ひそ。 親子 は 一 世の 契と 申せ ども、 來世 は必す 

一 つ 蓮に 參り逢 ふ 様に 御念 佛候 ふべ し」 とて 、「今 は これらが 待 遠なる らん、 疾 くく ヒ とて、 

三人の 死骸の 中へ 分け入りて、 西に 向 ひ念佛 三十 遍ば かり ぞ 申されければ、 首 は 前へ ぞ 落ちに 

ける" 四 人の 傳 とも 急ぎ 走 寄り、 首 もな-き 身 を 抱きつ- -、 天に 仰ぎ 地に 伏して、 喚き 叫ぶ も理 

なり。 誠に 淚と 血と 相 和して, 流る. -を 見る 悲しみな り。 



〇 假初 ちょっと も。 〇 御 見參 お 

め なれ ども でせ うけれ ども。 〇且 

〇 一 つ 蓮に 云々 極樂にハ.^.;;逢 つ 

ぉ參リ になった 御供に 參っ たなら ば * 



6 〇 巾さん ずる 樣 申して くれる 次第。 〇 たかく 却て。 

逢 ひする こと。 さ こそ どんなに か 。大 へん。 〇 侍らう, 

は 一つ は。 〇 親子 は 一 世の 契リ 親子の 緣 はこの 世 だけ。 

〇 これら 弟 等。 〇_3 西方 極樂 世界。 

@ 「义 ロづ から 母上に 傳 へて くれる 次第 はな。 今朝 母上が 八幡; 

終に に 斬られましても、 最後の 樣子を 互に 見 もし、 お B にも かけます こと は、 見ない よりも 却て 心 苦 

しい 事 もぁリ ませう。 御 留守に 別れ 奉つ たの, P 1 つ の 幸です。 この 十 年餘り はちつ と の 間 も 立ち 離れ 

まゐら せた 事 も ごさい ませぬ のに、 最後の 時に だけお 逢 ひしなかった 事 は、 それ は ひどく 御 心に はか 

、るで せう けれども、 一方に はお 互 ひに 別れの つらい 思 ひ を させまい とての 八幡 接の 御計リ ごと かと 

思 召して、 ひどく お 歎きなさい ますな。 親子の 緣 はこの 世 1 つ だけと 申します が、 來世は 必ず 同じ »1 



は 前 に ち 

た。 ^ども は 

走リ 寄って 首 

のな い 身体 を 

抱いて 咬き 叫 

んだ。 

8 內 記の 平 

太 は、 天 王 生 

前の こと をい 

ろく 思 ひ 出 

し、 死 出の 

山、 三 途の河 

を 誰が 渡さ 

う。 死んで 御 

伴しょう と 

て、 ,g を 切つ 

て 死んだ, - す 

ると、 他の 傅 

1、 恪 勤の 二 

人 も 何れも 腹 

を 切って 死ん 

だ。 さて、 子 



へ 送 つ 

て、 父の 墓の 



樂 世界に 參 つて 逢 ふ樣に 御念 沸して 佛樣 に御顯 ひして 下さい」 と 云って、 「々は 弟 等が 私の; 仃 くの を 

• 待ち遠しが つて ゐる だら う、 早くく 斬って くれ」 と 云って、 三人の 死^の 中に 分け入って、 西に 向 

つ て 念佛を 三十 遍 ばかり 申されたら、 首 は 前へ 落ちた。 S: 人 9 傅 ども は 急いで 走リ 寄って、 甘 もな い 

身 を 抱きながら、 天 に仰ぎ地に伏して喚き叫んだのも^!^理で ぁふ。。 まことに 5^ と 血と が扣; a つて 流れ 

るの を 見る やうな?; i£ い 悲しみで あ る。 

內記 Z 平 太 は 直 垂の統 を 解き、 天 王 殿の 身 を 我が 霜に 當 てて 巾し ける は、 「此のお を 手 聊れ奉 

りしより 後- 一 日 片時 も 離れ まゐら する 事な し。 我が身の年の^8る窜をば田心はゃ、 n 十く 人と な 

らせ 給へ かしと、 旦暮 思 ひて 育て まゐら せ、 月日の 如くに 仰ぎつ るに、 只今 か. --る ロを兑 る 

の 心 愛さよ。 常 は 我が 膝の 上に 居 給 ひて、 髭 を 撫でて、 いっか 人と たりて、 阈 を も莊を も?^ け 

て、 汝に 知らせん すらん と宣 ひし もの を、 うた \ ねの 寢覺 にも、 rrM: 記、 內記」 と 呼ぶ 御?, は、 

耳の 底に 留まり、 只今の 御 姿 幻に かげろ へば、 更に 忘るべし とも えす。 ": 化れ より^りて 命 生 

し で さん づ . ^いしゃく 

きたらば、 千年 萬 年 Ml- べき かや。 死 出の 山、 三 途の河 をば、 誰か は 介錯 巾すべき。 恐し く 5 ^パリ 

さんに つ はても、 先づ 我れ こそ 尊ね 給 はめ。 生きて 思 ふ も 苦しき に、 主の 御供 仕らん。」 とい ひ 

も ra^ てす、 腰の 刀を拔 くま. -に、 腹 かき 切って 死」 にけ り。 殘の傳 ども これ を兑 て、 我れ 劣ら 

じと、 皆 腹切って ぞ 失せに ける。 恪 勤の 二人 ありけ る も、 「幼く おはし ましし かど 深く おはし 

つる もの を、 八 r は 誰 を か 主と 憑むべき ヒ とて、 刺し 遠へ て 二人ながら 死にに けり。 此等パ 人が 

志、 類な しと ぞ巾 しける 。同じく 死す る 道 なれ ども、 合戦の 場に 出で て、 、;+ と共に 时死 をし、 

腹 を 切る は 常の 習 なれ ども、 か 么る例 は 未だな しとて、 譽 めぬ 人 こそな かり けれ。 此の 竹 ども 

義朝 幼少 の 弟 悉く 誅 せらる. -事 二三 五 



傍に 塊め た- 



L 画」 



渡す に 及ばす。 餘 りに 父を戀 しがり ければ とて、 圓覺 寺へ 送りて、 入道の 墓の 傍に ぞ坷- みけ 

る。 (卷 三) 

議 



議 



直 垂の胸 紐。 直垂は 初めは 庶 人の 平生 服であった が、 後世 は 鰻 服と なった。 〇 手 馴れ 

世話す る。 〇 人と ならせ 大人になる。 〇 日月の 如くに 難び 大切に する こと。 〇莊 莊 S の 

ことで、 私 領地。 〇 儲けて 自分の ものにして。 〇 知らせ 司らす。 〇 りた、 ね 假 リーね。 

〇 かげろ ふ ちらつき 見える。 死 出の 山 死んだ 人が 越えて 行く 山、 死の こと を譬 へて 云った も 

の。 〇 三途の川 地獄 道、 餓鬼道、 畜生道の 三惡 道へ ゆく 途 にある 川、 末世へ 赴く こと を 云った も 

の。 〇 介錯 附 添って 世話す る こと。 〇恪 勤 古く は 勤勉す る ことに 云った が、 この 時代に は 仕 

官 奉公す る 者の 稱 となった。 〇 常の 習 世間 普通の こと。 

內 記の 平 太 は 直垂の 胸の 紐 を 解き、 天 王 の 身 を 自分の 膚 につけて、 申した に は 「この 君 を 親しくお 

世話し 奉つ てから 後一 日 片時 もお 傍 を 離れ まゐら せた 事 はない。 自分の 年を取る のは考 へずに、 早く 

大人に おな リ なさ いと 朝晩 思って お育て 申し、 月 や 日の やうに 尊び 大切に した のに、 只今 こんな 悲し 

い nn を 見る ことのな さけない 事よ。 何時も 私の 膝の 上に ぉ上リ になって、 私の 18^ を 撫で >-、 その 內に 

は 一人前の 大人に なって、 國をも 莊園を も 自分の ものにして、 お前に 司らし めようと 仰せられ た の 

に、 それ も かなはなかった。 假寢 の寢覺 にも 「內 記、 內 記,』 と 呼ばれた 御聲が H- の 底に 殘リ、 斬られ 

ようとな された 只今の 御 姿が 幻に ちらつ いて、 忘れよう としても 忘れる ことが 出來な い。 これから 歸 

つ て、 今後 命が 生きた と ころが 千年; 禺 年生き る ことが 出來る だら うか、 出來 はしな い。 死 出の 山 や 三 

の 川 を 誰が 附 添うて 御世 話 &すだ らう。 恐ろしい と 思 召す につけても、 早速 私 をお 捜しに なる だら 

-っ。 生きて ゐて いろ/ \ 物 思 ひする の も 苦しい から、 死んで 主人の 御供 をしょう」 と 云 ふや いなや、 

腰の 刀を拔 いたと ると、 腹 を かき 切って 死んで しまった。 殘 つて ゐる; g の 子 佻の ども もこれ を兑 



B} Is 朝 を 捕 

へ て參 つた 者 

に は 特別の 賞 

を 與 へる と 云 

ふ 仰せが 下つ 

た。 朝 は 近 

江の 國輪 出と 

云 ふ 所に 隱れ 

て筑 紫へ 1^ る 

支度 をして ゐ 

たが、 卒家良 

が 大勢で 上, る 

問いて、 Fif 



て、 自分 も 平 太に 負け ま いとて、 皆 腹 を 切って 死んで しまった。 なほ 奉公して, Q た 者が 二人 あつたが 

「お 小さく まし ましたが、 情けが くお はしました ので、 その 御 恩 は 忘れられない。 御主人に 死な. d 

た 今 は 誰 を 主人と 賴 むこと が出來 よう。 もう 賴む人 もない」 と 云って、 剌し? へて 二人とも 死んで し 

まった。 此等六 人の 志 は 世間に くらべもの もたいと 人々 は. e-L た。 同じ 死ぬ る 道で も、 戰場に 山て、 

、王 君と 共に 討死 をし、 腹 を 切る の は 世間 普通の ことで あるが、 この やうな 例 は 今までな いと、 誰 1 人 

譽 めない 人はなかった。 この 四 人の 首 は 町の 中 を 引き 廻 はす 必耍 はない。 あま リ父 を戀 しがった から 

と 云 ふので、 圓覺 寺へ 送って 



I I 、 爲朝生 捕 遠 流の 事 

さる 程に、 r 爲 朝を报 めて 參 りたらん 者に は、 不次の 赏 あるべし o」 と 宜下 ありけ るに、 八郎、 

近 江の 固 輪 田と いふ 所に 隱れ 居て 、郎等 一 人 法師に なして、 乞食 させて 日 を 送りけ り。 筑 紫へ 下 

るべき 支度 をし ける が、 平家の 侍 筑後ノ 守 家^、 大勢に て 上る と 聞え ければ、 共の 程 は 深山 

に 入りて 身を隱 し、 夜 は 里に 出で て 食事 を營 みける が、 有11の-^?-なれば"ぉみ出して、 ^^^治など 

多くして、 溫疾 大切の 間、 古き 湯屋 を 借りて、 常に 下湯 をぞ しける。 

6 〇 不次の 賞 順序の ない 賞で、 即ち 特別の 褒美。 下 勅命。 〇 乞お させて:;: を る 物^ ひ 

を させて それで 生活 をす る こと。 〇 輪 田 近江國 石山の 邊 だと 云 ふ。 〇 筑紫 十:;、 九州の 總名。 

〇 支度 用意。 〇 有 漏 佛語 で、 凡夫の 身。 〇 灸治 灸を すゑて を 治す こと。 〇:_ お 疾 行 

i$o 〇 大切の 間 大切で あるから。 〇 湯屋 浴屋。 〇 下? お 入浴す る こと。 

t5 朝 生 捕 遠 流の 事 二三 七 



二三 八 



山に 隱れ てゐ 

たが、 病氣に 

なって、 古い 

湯屋 を 借りて 

療治 をして ゐ 

た 

i 佐 渡兵衞 

重 a は、 宣旨 

を 蒙って、 國 

中 を 尋ねて ゐ 

たが、 或 人の 

告げに 依つ 

て、 九月 二 

日、 爲 朝が 湯 

屋に 下りた 

時、 三十 余騎 

で 押し寄せて 

捕へ た。 誅せ 

ら れる箬 であ 

つたが 命 を 助 

けられて、 伊 

豆の 大岛 へ琉 



@ さて 「爲朝 を 掠へ て參 つた 者に は 特別の 褒美が ある だら う」 と 云 ふ 勅命が あつたが、 爲朝 は:.^ 一 

田と 云 ふ 所に 隱れて 居て、 1 人の 家來を 坊主に させ、 物赏 ひに させて、 それで 生活した。 九州へ 卜," 

べき 準備 をした が、 平家の 侍 筑後守 家貞が 大勢で 上る と 云 ふ 評判であった から、 その is- 分 は 喪 は r ば い 

山に 入って 身&隱 し、 夜 は 人里に 出て 食事 をして ゐ たが、 凡夫の 身で あるから、 氣. になって、 灸を 

据 ゑて 治療な どい ろくにし、 琉行病 だから 大切な ので、 古い 浴室 を 借リて 入浴 をした。 



こ 



に 佐渡ノ 兵 衞重貞 とい ふ 者、 宣旨を 蒙って、 國中を 尋ね 求めけ る處 に、 或 者 中し ける は、 

「此の程、 此の 湯屋に 入る 者 こそ 怪しき 人 なれ。 大男の 怖ろ しげた るが、 さすが 尋常げ たり" 

歳 は 三十 許なる が、 額に 創 あり、 ゅ& しく 人に 忍ぶ と覺 えたり ヒと 語れば、 九月 二日 湯屋に 下 

りたる 時、 二十 餘騎 にて 押 寄せて けり。 爲朝眞 裸に て、 あ ふご を 以て 數 多の 者 をば 打 伏せ たれ 

ども、 大勢に 取 籠め られ て、 いふか ひなく!! めら れ けり。 季: 莨 判官 請 取りて、 二 條を西 へ 波 

ナ い.^ ん はかま かたびら もと どり しら-、 し 

す。 白き 水 千 袴に 赤き 帷子 を 著せ、 髻 に 白 櫛をぞ さしたり ける。 北ハ 陣 にて 叙覽 あり。 公卿 

いち SS J 

殿上人 は 申す に 及ば や、 見物の 者 市 をな しけり。 面 の^は 合戰の 日、 正淸に 射られたり とぞ W 

えけ る。 旣に誅 せらる ベ かりし が、 「以前の 事 は、 合戰の 時節 なれば 力なし、 一: 争旣 に逮 期せ 

り. - 未だ 御覽ぜ られぬ 者の 體 なり。 且は 末代に ありがたき 男士 なり。 暫く 命 を 助けて、 遠 流 

せらるべし」 と 議定 ありし かば、 流罪に 定まりぬ 。但し 息災に て は後惡 しかり なんとて、 肘を拔 

きて 伊豆の- 大 島へ 流されけ り。 かくて 五十 餘 日して、 腐つ くろ ひて 後 は、 少しく; くな りたれ 

ども 矢朿を 引く 事、 今 二つ 伏 引き 增 したれば、 物の 切る \ 事 昔に 劣らす。 



6 〇 尋ね 求める 搜 しま はる。 〇 此の程 この 顷。 〇 大男の 怖 ろげ なる が 大きい 男で、 怖ろ しげ 

なる が。 〇 尋常げ ES 舍者 ではなく、 都の 者ら しい 様子。 〇 ゆ、 しく 非常に。 〇 あ ふご 合 

ふ 木で、 柺と 書き、 米 桶な ど を;^ 負 ふ 棒。 〇 いふか ひなく 残念ながら。 〇 水 干 袴 水 干 は 狩 衣 

を 略 製に した もので、 菊 辍は總 を 押し 平め て、 菊の花 5 やうに 平たく して、 上下 二つ宛、 前に 一 听、 

えり - 「はだ ど 

後に 四 所附 ける。 統は丸 組の 緒で、 前の 領の上 角に 附け、 後の 紐 は、 領の 後の 中に 附 ける。 前^ は 

長く して、 後 紐 は 短い。 この 前後の 紐 を 掛け合 はせ て、 兩 肩から 前に 出し、 胸の 下で 結ぶ。 多く は^ 紹 

の 平絹で、 粘 を用ゐ ない。 水 張で 製す る。 水 干の 挎は、 直垂の 如く 長 校で ある。 地 も 色 も 上と 同じ。 

あ ひ 引の 所に 菊 辍の總 を 二つ宛 左右に 附 ける。 〇 赤き 帷十 赤い 色の 帷子。 帷子と はすべ て攻 のな 

い SEf の 衣。. 〇 白 櫛をぞ 差したり ける 首 を 斬られる 用意で ある 。斬罪の 時 は、 おの^れ を极き 上げ 

る 例で ある。 〇 北の 陣 内裏の 北、 朔 平門內 にある。 兵 衛^の 武士の 勤^す ると ころ" 〇 公卿 

三位 以上 及び 參議。 〇 殿上人 四 • 五 • 六 位の 昇殿 を 許された もの。 〇 市 をな す 市の 如く 人の 

山 集った こと。 〇 面の 創 は 合 戰の時 云々 爲 朝の 餌の 疵は C 河^お 討の g -、 鎌 w: 止^に 射られた 

疵。 〇誅 せらる 殺される。 〇 力なし 致し方がない。 〇 事 旣に違 期せり 初め HE^ を 立て > - 

爲 朝を搜 したので あるが、 その 日 を 過ぎて ゐる こと。 〇 御 ir せられぬ 者の 體 卞 上が 御お になれ 

ば、 一定の 法に 依って 斬 3 非に 虚しなければ ならぬ から、 御 にならない 者の 有 探に-取 リ扱 ふこと。 

〇 末代 道の 衰 へた 末の世。 〇 ぁリ がた き 容易に ない。 〇 遠 流 iit* 流し。 cfs. 冗 ^. 歳が き 

まる。 〇 肘を拔 きて 肩と 手との 關節を 外す。 〇 屑を綣 ひて 肩 を療: i5 する こと。 〇 矢^ 欠 

の 長さ。 〇11 つ 伏 指 二 本 伏せた もので 、一握りの 半分。 〇 物の 切る. - 物 を 射 切る こと。 

@ こ >- に、 佐 渡の 兵衞 貞と いふ 者が、 勅命 を 蒙って、 闽屮を 朝を搜 しま はった ところが、 成^が 中 

したに は 「この E^、 この 湯 M に 入浴す る 者が 不 港な 人で ある。 大男で 怖ろ しさうな 人で あるが、 や は 

リ 何と 云っても 都の 者の 絵 子で ある。 錢は 二十ば かリ であるが、 額に 疵か ぁリ、 ひどく^^ の 人に E::! 

お 朝 生 捕 流の 事 二三 九 



先祖の 名譽を 

墜す こと は 出 

来ない とて、 

これ は 公家 か 

ら賜は つた 一?^ 

だと 思って、 

大島を 管領す 

るば かリ でな, 



二 四つ 

れてゐ る やうに 思 はれる」 と 語った から、 九月 二日、 爲 朝が 湯 2511 に 下 リた時 一」、 三十 騎餘で 押し寄せ 

た。 ^朝 は眞 裸で 荷 負 ひ 棹 を 以て 多くの 人 を 打ち 伏せた けれども、 大勢に 珉阐 まれて 殘念 ながら 溺め 

られ た。 源季資 判官が 受取って、 二 條通を 西へ 連れて行った。 1^55 朝 は 白い 水 干 袴に 赤色 5 帷子 を 著せら 

れ、 髻に白 櫛 を さして ゐた。 北の 陣で 主上が 御覽 になった。 公卿 • 殿上人 は申 すまで もな く、 その他 

見ね する ものが 市場の 如く 多く 集合した。 顏の疵 一は 合 戰の日 鎌 田 正淸に 射られた もの だと 云 ふこと で 

ある。 もはや g 杈 されるべき であった が 「以前新院方の人々を斬罪に處したのは合戰^?ほ時のことだから 

致し方がない。 今と なって は、 旣に 日限 を 定めて 爲 朝を搜 した 時日 を 過ぎて ゐ る。 それで 主上が^ 朝 

を御覽 にたらぬ 體 に取披 つて、 その 罪 を 許す ことにす る。 それに 近 めったにない 勇士で あるか ら、 

殺す の は 惜しい。 暫く 命 を 助けて、 遠島に 流罪に しょう」 と 云 ふこと に、 議論が 決った。 伍し、 無^^^^ 

にして をいて は、 後日の ためによ くないと 云 ふので、 肩と 手との 關節を 外して、 の大 島へ 流さ 

れた。 かう して、 五十 餘 日して、 肩の 治療 をして 後 は、 前と は 少し 弱くな つた けれども、 矢 束 を 引く 

事 は 以前よりも 二つ 伏 も 長い 矢 を 引く やうに な つたから、 物 を 射 切る こと は 昔に 负 けな い。 

爲朝官 一 ひける は、 「我れ 淸和 1K 皇の 後胤と して、 パ蟠 太郞の 孫たり、 いかで か 先祖 を 失 ふべ 

き。 是れ こそ? ム 家より 賜 はりた る領 なれ ピ とて、 大島を 管領す るの みならす、 すべ て五,ひ^^-打 

從へ たり。 これ は 伊豆 Z 國の 住人 狩野ノ 介 茂 光が 領 なれ ども、 聊か も 年貢 を も 出 ださす。 

代 官 三し 大夫忠 重と いふ 者の 婿に なって けり。 茂 光 は、 「上臈 婿 取って、 我れ を 我れ ともせ 

す ピと忠 重 を 恨みければ、 隱 して 運送 をな す を、 爲朝 聞きつ けて、 舅 忠重を 喚び 寄せて、 「此 

の條 奇怪な りヒ とい ふ 上、 勇士 なれば、 始終 我が 爲惡 しかりなん とや m わ ひけん、 li- 右の 手の指 



く、 五島 を從 

へた。 昔の 兵 

ども は 尋ね 下 

つ て 屬き從 ふ 

たから、 威勢 

が 盛に なリ、 

かくして 十 年 

を!^ た。 



i 



を 三 つづつ 切って 捨てて けり。 其の 外 弓矢 を 取って 燒き捨 つ。 すべて 島中に 我が 郎等の 外、 弓 

矢 を 置 かざりけり。 昔の 兵 ども 尋ね 下って、 屬き從 ひし かば 威勢 漸く 盛りに して、 過ぎ行く 程 

に 十 年に ぞ なりに ける。 

〇 後胤 子孫。 〇 先 風 を 失 ふ 先祖の 名 譽を墜 す。 〇 公家 朝廷.。 〇 锌領 支配す る こと。 

〇 五島 大島 • 新 鳥 *祌 津島丄 一一 宅 島 • 御蔵島。 〇 代せ 1: 司の 名代。 〇 上. 脇 もと、 佛? S3 を修 

めた 者の 稱、 轉 じて 女官の 上位の もの、 更に 轉 じて、 こ 、は 男子の 事に もっか はれる。 〇 我れ を 我 

ともせず こ, 1 は國 司を國 司と も 取扱 はない。 〇 此の 條 年貢 を 納めた 事。 OS- 士 なれば 忠氫 

は 勇士 だから。 〇 始終 將來。 〇 郎等 家來。 〇 昔の 兵 九州 邊の^ 下。 〇 程に 內 に。 

^朝が 仰せられ たに は 「自分 は淸和 天皇の 子孫と して、 八幡 太郞義 家の 孫で ある。 どつ して 先 肌の 名 

譽を墜 す ことが 出來 よう、 どうしても 出來 ない。 これ こそ 朝廷から 戴いた 領地で ある」 とて、 大 を 

支配す るば かりで なく、 すべて 伊豆 五島 を 征服 させた。 これ は 伊豆 國の 住人 狩 野 介 茂 光が^ 地で ある 

け. - ども、 少しも 年貢 を 出さない。 島の 代せ の三郎 太夫 忠 直と 云 ふ 者の 娘の 婿に なって しまった。 茂 

fel 「忠重 は 高貴な 婿 を 取って、 .21分を何とも思はな い」 と云 つ て忠^^を恨んだから、 は朝に は隱し 

て 年貢 を 茂 光のと ころへ 送った の を、 爲 朝が 聞きつ けて、 舅の 忠重を 呼び寄せて、 「年 K を 自分に^ 

して 送る と は 不都合で ある」 と 云って、 その上、 忠重は 勇し い 武士 だから 無事で E いて は將來 si- いと 

でも 思った もの か、 左右の 手の指 を 三本 づ 切って 捨て- - しまった。 その外 弓矢 を 取って き 捨て 

た。 すべて、 島の 中に 自分の 家 來の外 は 弓矢 を 持たせなかった。 

昔、 爲 朝に 從 つて ゐた兵 ども は、 爲 朝の つると ころ を搜 して 下って 來て、 爾き從 つたから、 威勢が だ 

んく 盛に なって、 そのうちに 十 年 ほど 結った。 



.Is 朝 生 捕 遠 流の 事 



二 sn 



二 四二 



s 爲朝 はだ 

ん /、奢る 心 

が 出て 来て、 

人民 達の 非難 

して, Q るの 

を • 狩 野 介が 

閗 いで 京に 上 

つ て、 爲朝を 

訴 へたので、 

後白河 院は院 

宣を 下され 

て、 當國 並に 

武錢 • 相 摸の 

勢 を 催して、 

五 百 佘騎、 兵 

船 二十 余艘で 

嘉應ニ 年 四月 

下旬に 犬 島の 

爲朝 S 館へ 押 

1 寄せた 



I 一一、 爲朝 最期の 事 

爲朝 はやう やく 奢る 心 や 出で 來 けん。 然 

"47> マ 了,、 



くになみ 

ば國人 も、 



かくて は 如何なる 謀反 を か、 起し 給 は 



ん すらん 」 など 申しけ る を、 狩 野 介 傅へ 聞きて、 高倉ノ 院の 御宇、 嘉應ニ 年の 春の 頃 京 上りし 

て、 此 Q 由 を 奏聞し、 茂 允が 領地 を 悉く 押領 し、 人民 を 虞ぐ る 由そ訟 へ 申しければ 後白河 Z 院 

驚き 聞 召して、 當國並 に 武藏。 相 模の勢 を 催して、 發 向すべき 由、 {旦 旨 をな されければ、 茂 光 

に 相 從ふ兵 誰々 ぞ。 伊藤 • 北 條* 宇佐美, 平 太 • 同じき 平, • 加 藤 太 • 同じき 加 藤, ff^* 澤, 六 

郞* 新田 ノ 四 郞* 藤 內遠景 を始 として 五 百 餘騎、 兵船 二十 餘艘 にて、 嘉應ニ 年 rani: 下旬に、 大 

島の 館へ 押 寄せたり。 

i 〇 高倉院 人皇 七十 九 代。 〇 押 他人の 領地 を 奪 ひ 取って-自分の 所領と する こと。 〇 後白河 

院 高 倉 院の御 父。 當時 は、 後白河 院が院 中で 政治 を取リ 行って ゐられ た。 〇宜& こ. -は 法皇の 

詔 で あ る か ら 院宣 と あ る べきで ある。 

Q 爲朝 はだん/、 奢る 心が 出て 来たので あら-つか。 事々 に亂 暴に 振舞った から、 伊豆の 國人も 「この や 

う でに 行末 どんな 謀叛 を 企てる ^^も知れな い」 など.^申してゐるのを、 狩 野 介が 人傳 へに 聞いて、 高 

倉院の 御代の 嘉應ニ 年の 春の 顷、 上京して、 この こと を 朝廷に 申し上げて、 茂 光の 領地 を爲 朝が 全部 

奪 ひ 取り、 人民 を 苦しめる と 云 ふこと を訟 へたから、 後白河 院は御 聞きに なって 驚かれ、 $-豆 の國及 

び、 武 fi* 相 摸の 軍勢 を 集めて、 征伐に 向へ と 云 ふことの 勅命 を 下された から、 茂 光 を大將 として、 

從ふ兵 は 誰々 かと 云 ふと、 伊藤 • 北 烧* 宇佐美 平 太 • 同じ 平 次 • 加 藤 太 • 同じ 加 藤 次 ,澤 六 郞* 新田 

四 郎* 藤 内 遠. 景を始 として、 五 百 餘騎が 兵 二十 餘艘 で、 嘉應 一 二 年 W 月下 甸に大 島の 爲 朝の 館へ 押し 



8 爲朝は 兵 

^が來 た の を 

見て、 打破つ 

て 逃げよう か 

とも 思った け 

れ ども、 人民 

を 苦しめる の 

も 不便 だから 

とて、 兵 共に 

皆 逃げて 行く 

やうに 命じ、 

九つの 島の 冠 

者^ 賴を剌 し 

殺した。 五 つ 

になる 男の子 

と 二つになる 

女の子 は 母が 

抱いて 逃げ 

た 



寄せた _ 



司 「思 ひも よらす、 沖の 方の 船 の 音し ける は 何 船ぞ、 兑て 參れヒ と 宣ふ。 「商人 船 やら 

ん、 多く 連れ 候 ふピと 申せば、 「よも さは あら じ。 我れ に 討 手の 向 ふやらん"」 と 直へば、 案の 

如く 兵船な り。 「さて は 定めて 大勢なる らん。 縱ひ ー萬騎 なりと も、 打破って ちんと 思 は 

ば、 一 まづ、 鬼神が 向 ひたりと も射拂 ふべ けれども、 多くの 軍ぬ ハを报 じ, 人民 を惱 さん も 不便 

なり。 勅命 を 背きて 終に は 何の 詮か あらん。 去ぬ る 保 元に 勅勘 を 蒙って、 流罪の 身と なりし か 

ども、 此の 十餘 年は當 所の 主と なりて、 心ば かり は樂 めり。 その 以前 も 九 國 を 管領し き。 ra5 出 

なきに あらす。 筑紫 にて は 菊 池 • 原 田 を はじめて、 西 國の者 ども は、 我が 手柄の 程 は 知りぬ 

らん。 都に て は 源平の 軍兵、 殊に 武藏 • 相 模の郞 等 ども、 我が 弓勢 を 知りぬ らん もの を。 其り 

外の 者 ども、 甲胄 を錢 ひ、 弓箭 を帶 したる ばかりにて こそ あらん すれ、 爲 朝に つて 弓 引かん 

者 は、 覺 えぬ もの を。 今 都よりの 大將 ならば、 ゆがみ 平氏な どこ そ 下 るら め," 一 々 に 射^し 

r. 海に はめんと 思へ ども、 終に 叶 はぬ 身に、 無益の 罪 作って 何 かせん" 今まで 命 を 惜しむ 

も、 自然 世 も 立て直らば、 父の 意趣 を も 遂げ、 我が 本望ても 達せば やと S へば こそ あれ。 此の 

上 は 兵 一 人も殘 るべ からす, 皆 落ち行く ベ し 3 物 具 も 皆 龍神に 奉れ.」 とて、 落ち行く 者 どもに 各 

形見 を與 へ、 島の 冠者 爲賴 とて 九 歳に なりけ る を、 喚び 寄せて 刺し殺す。 これ を 見て, ^^-っにな 

る s?^ 子、 二つになる 女子 をば、 母 抱きて 失せに ければ 力なし。 

6 〇 よも さは あら じ。 決して さう では あるまい。 〇 向 ふやらん 向って 來 たので あらう。 〇 案の 

© 朝 最期 Q 事 二 四 一一 一 



二 四 四 

如く 思った 通リ。 〇 定めて 必ず 。きっと。 〇1 まづは 鬼神が 云々 ! 度 はたと ひ 鬼神が 向つ t 

來て も。 〇 不便 可哀相。 〇 何の 詮か あらん 何の 甲斐が あらう、 甲斐 もない。 〇 勅勘 朝廷の 

勘當。 〇 管領 支配。 〇 ゆがみ 平氏 志の 曲って ゐる 平氏と 云 ふこと で、 平氏 を 罵って 一 ぶふ。 

〇 はめん 打ち沈める。 〇 終に は 叶 はぬ 結局 は 亡ぼされる。 〇 自然 何時か は。 〇, も 立ち 

底る 源氏の 運の 開けて 來る こと。 〇 意趣 志。 〇 達せば や 達したい。 〇s- 具 甲齊 など。 

〇 龍神 水の 祌 。こ >t は 海の こと。 〇 力なし 詮方ない。 

爲朝は 「思 ひがけず、 沖の 方に 船の 音が したの は、 何の 音 か 見て 參れ」 と 部下の 杏に 仰せられる。 

「商人 船で せう、 澤山 引き連れ てま ゐリ ます」 と 申す と 「いや 決して さう では あるまい。 我に 討 手が 

向 ふので あらう。」 と 仰せられ ると、 や はリ爲 朝の 考 へた やうに 兵船で ある。 「それで はきつ と 大勢で 

あらう 。たと ひ 一 萬騎 であっても、 打ち破って 逃げようと 思へば、 一度 は 鬼神が 向って 來ても 射拂ふ 

ことが 出来る けれども、 多くの 兵 を 怪我 さし、 人民 を 苦しめる の も 可哀相で ある。 勦 命 を 北 H いても 結 

局 何の 甲斐 もない。 去る 保 元の 亂の 時に、 朝廷の 御 勘赏を 受けて 流罪の 身と なった けれども、 この 十 

餘年 はこの 土地の 主と なって、 心 だけ は樂 しんだ。 その 以前 も 九州 を 支配した。 樂 しい 思 ひ 出がない 

こと もない。 九州で は 菊 池 • 原 田 を 始めと して、 西 國の者 共 は 皆 iR 分の 手柄の 樣子は 知って ゐる だ、 リ 

う。 京都で は 源氏と 平氏の 軍兵 は 云 ふまで もな く、 その 中に も 殊に 武蔵 • 相 摸の 家來 ども は 自分の 「り 

の 力 は 知って ゐ るから、 彼等 はとても 今度の 討 手に 向 ふ 箬 はない。 その他の 者 共 は、 まだ 甲 5:Tfc 着、 

弓箭 を帶 すると 云 ふの みで、 これと 云 ふ 程の 者 はない から、 猶更討 手と して、 爲 朝に 向って 弓 を 引か 

うとす る 者 も あるまい と 思 ふ。 それで、 今 都から 向った 大將 ならば、 曲リ 平氏な どで あらう。 一 人々 

々射殺して 海に 打 沈めようと 思 ふが、 結局 成功し ない 身 だから、 利益 もない 罪 を 作って 何に ならう." 

今まで 命 を惜ん だの も、 そのうち 何時か は 世の 有樣も 立て直って、 源氏? 運が 直ったら、 父の 志を遂 



例の 大鏑 を番 

つて、 1 艘の 

大船の 腹 を 射 

通し、 海底」 

打 沈めて おい 

て、 今 は 思 ふ 

ことなしと 

て、 內に入 

り、 家の 柱 を 

後ろに 當て > - 

腹 を 切って 死 

ん; I ち 



げ、 自分の 平生の 望み を 達したい と 思った からで ある。 もうかう たった 以上 は 兵 は 一人 も殘る 必要 は 

たい。 皆 逃げて 行け。 甲胄 も 皆 海の 中へ 投げ込んで しまへ」 と 云って、 逃げて 行く 者 共に めいく 形 

見を與 へ、 島の 冠者の 爲賴と 云って 九 歳になる 子供 を 呼び寄せて 刺し殺した。 これ を て、 五 歳に な 

る 男子と 二つになる 女の子に、 母親が 抱いて 逃げて しまったから どうす る こと も 出來な い。 

「さりながら、 矢 一 つ 射て こそ 腹 を も 切らめ ピ とて、 立ち 向 ひ 給 ふが、 E.I 期の 矢 を 手淺く 射た 

らん も、 無念な りと S 心 案し 給ふ處 に、 一 陣の 船に、 究竟の 兵 三百 餘人、 射 向の 袖 を さし かざ 

し、 船 を乘り 傾けて、 三 町ば かり 渚 近く 押 寄せたり。 御曹司 は 矢 比 少し 遠 けれども、 作の 大鮪 

を 取って 希 ひ、 小 肘の 廻る 程 引 詰めて ひやう と 放つ。 水際 五寸 ばかり 置いて、 大船の, お を あな 

たへ つと 射通せば 雨 方の 矢 目より 水入りて、 船 は 底へ ぞ まひ 入りけ る 。水心 ある は、 扱 

循に乘 つて 漂 ふ 所を槽 *櫂* 弓の 害に 取りつ きて、 並びの 船に 乘り 移りて ぞ 助かりけ る。 爲朝 

これ を 見 給 ひて 「保 元の いにしへ は、 矢 一筋に て 二人 C. 武者 を 射殺しき。 嘉 m る 今 は、 一矢に 

多く, い 兵 を 殺し 畢ん ぬ。 南無 阿 彌陀佛 匚とぞ 申されけ る。 今 は m 心 ふ 事な しとて. 2: に 入り、 家り 

柱 をう しろに 當 てて、 腹搔き 切って ぞ居給 ひける。 (卷 三) . 

〇 手淺く 矢が 弱く 〇 一陣の 船 第一の 船 。先陣の 船。 〇 究竟 强 い。 射 向の 袖 ^の 左 

の 袖。 〇 矢 比 矢 を 射る 距離 〇 あたた 向 ふ 側。 〇 矢:!:! 矢の 立った 跡。 〇 水心 水に 心 i:^ 

の ある。 水泳。 〇 拔裙 垣の 漾に 並んだ 搏。 〇il 箭の 頭の 弦 を 受ける 所) 〇 保: 兀の いにしへ は 

云々 保 元の 戰に、 爲朝は 一矢で、 倚 盛の 家來の 伊藤 景 の 子の 伊藤 六 や-射お し、 餘る 矢が、 その 兄 

伊藤 五の 射 向の 袖に 立った ことがあ る。 

^朝 最期の 事 二 四 五 



二 四 六 

B 「而 したがら、 矢 を 一本 射てから 腹 を 切らう」 と 思って、 お立ちに なった が、 最後の 矢 を?^ く 射る の 

も殘 念で あると、 どんな 風に、 何虔を 射ようかと 考へ てお いでになる ところへ、 先陣の 船に 強い 兵が 

三百 餘人、 鏜の 左の 袖 を かざし、 船の 片方に 多く 乘っ て 傾けて * 三 町ば かリ 渚に 近いと ころへ 押し 寄 

せた。 爲朝 は、 矢 を 射る 距離が 少し 遠い と 思" れ たけれ ども、 例の 大鎮を 取つ て^ひ、 小时が 後に 廻 

る 位に 强く 引いて、 ひやう と 放った。 すると 水際から 五寸位 上の 處の 船腹の 向 ふ 側へ ずう と 射通した 

から、 兩 側の 矢の 立った 跡から 水が 入って、 船 は 海の 底へ 舞 ひながら 沈んだ。 水泳ぎ を 心得て ゐる兵 

は 裙ゃ搔 循に乘 つて;^ れ 漂って ゐ たが、 捲 • 櫂 • 弓箬 に取リ 付いて、 益び の 船へ 乘リ 移つ て 助かつ 

た。 爲朝 はこれ を 見て 「昔 保 元の 亂 にに 一 本の 矢で 二人の 武者 を 射殺した。 嘉應の 今 口 は 一 本の 矢で 

多くの 兵 を 殺して しまつ 1^0 南無 阿彌 陀佛」 と 申された。 今 はもう 思 ふ 事 はな いと 云 ふので、 家の 中 

へ 入って、 家の 柱に 背 を赏て 腹 を搔き 切って おいでになった。 



保 元 



一口 (終) 



聖夭 子が 

夭 下 を 治めら 

れるニ ま、 E 



官に 任じ、 臣 

は乂、 自已を 

知って よく 天 

子 を 補佐し 奉 

るべ きで ある 

故に 國の 補佐 

の E は 必ゃ忠 

良であって、 

1 



I 信 賴信西 不快の 事 



,p れ. -、 ーーー量帝 の國を 治め • IA 元の f 撫づ る、 ^^sla 

0,lff 君, In. 臣、 i^J.MU^. 

"しう し f 責 むる こと- 勞せ t て 化すと い?。 故に 舟航 海! るに k,J" さ" 

1、 01 $n III I.Jul. 

と 云へ り。 國の i は 必す中 良 I つ、 任 使 その 人 を f 時 は. ^TIMnu 

古より 今に 至 I、 III l!J0 

てよ 萬 機の f 輔け、 ill. 天下 を 保ち • 

こし * 武を 右に すと 兒 えたり 。譬 へば、 人の 二つの 手の 如し。 一つ も闕 けて は 叶 ひ f 

I 二 四 七 

信 賴信西 不快の 事 



二 四 八 



文武 を; 撒ね 備 

へなければ な 

ちぬ。 然るに 

末 卅- に は 人々 

の 志が 奢って 

朝 威 を 輕んじ 

野心 を 抱き、 

終に 國の亂 の 

生やる もので 

ある。 よく 注 

意し なければ 

ならぬ。 



端 以て 適 ふ 時 は, 四海に 風波の 恐れな く、 八荒 民 庶の愁 へな し、 それ 澆季に 及びて は. ん奢ー 

べつ: 二よ さしば さ ち 5 しゃ、 > - 

つて 朝 威 を 蔑 如し, 民猛 くして 野心 を 挾む、 よく 用意すべし。 尤も 抽賞 せられるべき は 勇士 一 

なり。 されば の 太宗文 皇帝 は、 鬚を燒 いて 功臣に 賜 ひ、 血 を 含み 瘡を吮 うて 戰士を 撫でし I 

かば. 心 は 恩の 爲に 仕へ、 命 は義に 依って 輕か りければ、 身 を 殺さん 事 を 痛ます。 唯 死 を 致 一 

さん 事 をのみ 思へ りけ りと なん。 自ら 手 を 下し、 我と 能く 戰 はね ども、 入に 志 を 施せば、 人- 

と ぞく 5^ てん ゆ 

皆歸 しけり。 又讒 佞の 徒 は、 國 の蠢賊 なり。 榮華を 朝夕に 諍 ひ、 勢 利を巿 朝に 競 ふ。 蹈諛の 

質 を 以て、 忠 賢の 己が ビ, ある 事を惡 み、 その 姦 邪の 志 を 抱いて、 富貴の 我 先たら ざら む 事 を- 

恨む。 これ 皆 愚者の 習 ひ: り。 用捨すべき はこの 事な り。 

1 惟 みれば 思 ひ 見れば。 © 三 皇五帝 支那 古代の 帝王、 伏 1^,祌 農 • 黃 帝 を 三 皇と云 ひ、 少曼 

顏項. 高 辛 • 唐堯 • 虞 舜を五 帝と 云 ふ。 力 e: 嶽 堯の 時、 義仲 • 義叔 • 和 仲 • 和叔 をして 諸侯 を 司ら 一 

しめた。 これ を e: 嶽と: ぶふ。 © 八 元 伯 奮 • 仲 堪* 叔獻. 季 仲. 伯 虎 • 仲 熊 *叔 豹. 季 1- の 堯の八 人 一 

の 善臣。 器 器量。 技量。 e 任 を 芋つ し 職務 を 全うす。 © 成を責 むる 平和になる こと:^ 勞 せす 一 

して 化す 骨折らないで 出來 る。 橈揖 船の かぢ。 © 功 こ、 はたす けの 意。 鴻鶴 雁 や 鶴。 ©• - 

1^ 翻 羽 ははね。 翮は 羽の 莖。 {^ 用 こ、 はたす け。 ©Iffil 弼 たすけ。 © 中 良 正しく 善良なる もの- 

® 任 使 任じ 用 るる。 萬 機の 政 よろ づの 政事。 { ?、 e: 夷 四 方の 蠻人。 八荒 八方に 同じ。 C 稳ー 

季 末世。 政治 • 道 德. 人情の 類廢、 秦亂した後^^。 蔑 如 ない がしら にす る こと。 〇 ノ抽赏 抆き 

出して ほめる。 © 太宗文 皇帝 文武 皇帝の こと。 名 は 世 民。 隋 朝の 末に 出で て、 文と 武とを 以てよ く 

天下 を. 市め た 天子。 鬚を燒 いて 云云 白樂: 大 の七德 舞に 「鬚 を 剪り、 藥を燒 きて 功臣に 賜 ふ。 李勣 



嗚咽、 身 を 殺さん と 思 ひ、 血 を 含み、 瘡を吮 ひ、 戰 死を撫 す。 思 摩 呼、 死 を 効さん を 乞 ふ」 と ある 

註に 「李勣 常に 病む。 醫云 ふ、 龍 鬚 を:;^ て 灰に 燒き、 之 を 用 ふれば 療 すべし と • 太宗即ち.:::ら鬚.ゲ.^^ 

り 灰に 燒 きて 之 を 賜 ふ。 服し 訖 りて 癒 ゆと。 又 思 摩 姓 は 李、 漢 の大將 軍と 爲り、 帝に 隨 つて 一!! E 魔を征 

し、 偶々 矢に 中る。 上 乃ち 親ら 爲 めに 血を吮 ふ」 ゅ讒伎 人 を 惡く云 ひ、 お 世 辭を便 ふ。 {^^^^賊 害 

し賊ふ 者。 薩魏 お 世 辭を云 ふこと。 {^E 拾 善 を 用る、 惡を捡 てる。 

B ひそかに 考 へて 見る に、 三皇五 帝が 國を 治め、 e: 嶽、 八 元が 人民 を 愛した の は、 哿灭子 は その 器 

景を 見て iR に 任じ、 臣は 分の 身の 分限 を考 へて 祿を: 党け るから; 人 下 は 太平であった。 天子 は K を. 1^ 

んで官 を 授け、 臣は 自分の 力量 を考 へて それに 相 慮した 職 を 受ける 時には、 臣 がその 任務 を个; うし、 

世の中 を 平和なら しめる こと は、 天子が 別に 骨 を 折らないでも、 自然に 感化す るの, たと 昔から 云 はれ 

てるる。 例へば 航海す る 舟が 海 を. 爬 るに は 必ゃ揖 の 助を假 り、 雁 や 鶴が 雲 を 飛び越え るに は、 す s 

の 働きに 依る。 天子が 國を 治める に は必ゃ 輔佐の E の 助けに 依る と 云 はれて るる。 ^の 助け は 必ゃ正 

しく 善良な 臣を 必要と する。 任じ 用ゐ るに 適::? 5 な 人 を 得る 時 は、 世の中 は 自然に 治まる と m.』 はれる。 

古から 今日に 至る まで、 天子た る 者が E 下に 赏を m 〈へる に は、 日本で も 支那で も 同じ やうに 文と 武と 

の 泣 を 以て 第一と してる る。 文 を 以て は 一切の 政事 を 助け、 武 では w 方の 蠻賊 の亂を 平定す る。 灭ド 

を: 女 全に し、 國家を 治める 謀 は 文が 左なら、 武は 右で 二つと も 兼備し なければ ならぬ。 それ は^へ て 

ると 人の If 方の 手の やうな もので、 ど. r ら がー っ闕 けても n 的 を 達する 事 は出來 にくい。 一: つと も 

完愼 する 時には、 ^の 中 は 平安で、 全天 下の 人民 は 心配がない。 さて, が 末にな つて は、 人民が おつ 

て、 朝廷の 威光 を輕ん じ、 民の 勢力が 盛に なって 野心 を 抱く ものである。 よく. をつ けなければ なら 

ぬ。 而 しさう は 云っても 一般の 人より 拔き 出して (A すべき は 勇ましい 武士で ある。 ,たから:^5の太宗文 

皇帝 は E 下の 病 氣を療 する ために 鬚を燒 いて 功 E に 賜 はり、 血 を 含み 創の 毒 を 吸うて 戰士を 愛撫した 

信賴信 w 不快の 事 二 四 九 



二 五 〇 



V こ、 に 藤 

原 信 賴と云 ふ 

者が あった。 

文に も武 にも 

すぐれ や、 能 

も藝 もなかつ 

たが、 朝恩に 

誇って、 二十 

七 歳で 中納言 

右衛門 督に至 

り、 その上 ま 

だ 大臣の 大將 

を 望んで るた 



から 臣ドの 心 は 天子の 恩に 感じて 仕へ、 自ガの 命 は 正義の 爲 めに 輕ん じたから、 自 方の 身 を? おす こと 

を 悲しま や、 唯、 天子の爲に死ぬるこ とばか..^を思ったと云ふことでぁる。 天子 自ら 征伐し、 a 分で 

は 十分 戰 はないけれ ども、. 臣下に 親切 を盡 したから 人民 は^ 服した。 又惡 いお^ 辭使ひ は國を 亡ぼ 

す賊 である。 彼等 は 朝から 晚 まで 自分の 榮華を 得る ことに 一 生 懸命に なり、 役所の 中で rtl 分の? 5- 力と 

利益 を 競って るる。 お 世 辭を云 ふ 自分の 性質から 忠義で an; 明な 者が 自分の 上位に ある 事を惡 み、 よこ 

し ま に 志 を 抱いて、 他い 人よりも 先き に自 分が 富貴 になれ な い の を 恨 む。 , J れ は传 愚者 の 常で ある。 

取 拾 選擇の 宜しき を 得べ き はこの 事で ある。 

爱に近 ごろ、 權中納 言 兼 中宮 丄 檢ノ大 夫、 右衛門.' 督藤 原,^ 朝臣 信賴ノ 卿と いふ 人 ありき。 ん_臣 

の祖 根 尊の 御 苗裔 中 i 白 道 隆の八 代の 後胤、 播磨 ニニ 位 基隆が 孫、 5^ 豫. 1 二位 忠隆 

が 子な り。 然れ ども 文に も あらや, 武 にも あらす、 能 もな く. 藝も なし。 た V- 朝恩に のみ 誇 

つて、 昇進に か、 はらす。 父祖 は 諸國の 受領 をのみ 經て, 年 闌け齢 傾いて 後、 僅かに 從 三位 

まで こそ 至, りし か。 これ は 近衛.^ 司 *藏 人,' 頭 • 后宮の 宮司 • 宰相 ノ 中將. 衞府. ^督 *檢 非違 使, 

別當、 これら を 僅かに 二三 箇 年の 間に 經 昇って、 年 二十 七に して 中納言 右衛門.^ 督に 至れり。 

1 の 人の 家 摘な どこ そ, かやう の 昇進 は 給 ふに * 凡ん に 於て は、 未だ 此の 如くの 例 を 聞か 

や。 义 官途の みに あらや, 俸祿 も猶 心の ま、 なり。 かくの み 過分な りし かど も、 猶 不足して. 

家に 結えて 久しき 大臣の 大將に 望 を かけて、 凡そお ほけ なき 擧動 をのみ しけり。 されば IJ- る 

人目 を 塞ぎ、 聞く 者 耳 を 驚かす。 微子 瑕に も 過ぎ、 安祿 山に も 超えたり。 餘 桃の 罪 を も 恐れ 

す、 たゾ榮 花の 恩に ぞ 誇りけ る。 



J © 權中納 首 權とは 規定の 人員 以上に その 官に 任命され て 35^ る 者に つける • 3、 藤 原 sle:-^ 卿 

朝臣 は 姓 (カバ ネ) の 名で、 その 家柄 を あら はし、 卿 は 公卿の 意。 © 人臣の^ 人 ほと しての^. £ 、氏 

の 組 先。 天祖に 對 して 云 ふ。 ゆ 昇進に か、 はら や 順序. 年^ 等に 關 係せ や li*^ する こと。 又:^ 

國司。 © 年閹け 年を取る。 これ は 信賴 は。 ⑨近銜 司 近衞府 に::? じ。 天皇の 護衞、 轉 じて その 

役人 を も 云 ふ。 蔵人 • 政 葳人 所の 長官。 藏人 は、 殿上に 近侍して、 機密 G 文書 及び^ 訴. ビ掌 り、 かね 

て、 小事 を奏宣 する せ 職。 后宮の 宫 1E- 中宮 職の 役人。 后宮 は 后 中せ:: の ほらせられる 所 • 宰相 

中將 ^!タ議で近衞の中將を兼ねた者。 衞府贄 衞府 は宮門 を護衞 する 武士。.^ _右 近 衞 • 左お 兵 衞 • 

左右 衞門 があって これ を 六 衞府と 一 ぶふ。 督は その 長官。 ©檢 非- M 使 ^賊- ど 捕し、 非 法 を 検察、 a 

斷 する 職。 { ^別赏 畏官。 ©1 の 人 攝収闘 白 を 云 ふ。 ©家嫡 その 家の 嫡嗣 子。 © お ほけ なく 身 

分 不和 應。 {^ 微子瑕 食 ひさしの 桃を献 じて、 桃よりも 我 を 愛する とて 大いに 喜ばれた が、 後、 その 

事の はに 罪せられた 人。 安祿山 もと 胡 人。 its の玄, 〔ぶの 寵 を.: y け; J が、 後に 謀叛 を 起して 殺された。 

c^- 餘 桃の 罪 前の 微子 瑕の 事。 韓 非子說 難に、 「(前略) 罪ブ^;;-1〔むタリ。 君 z; ク、 コレ カッテ、^ レ 

-1 食 ハシム^- 1 餘桃ヲ 以テセ リト」 

i こ、 に、 近 攉中納 兼 中宮 權大 夫、 右 衞門督 藤 原 朝臣 信賴 卿と 一 K ふ 人が あった。 彼 は. 故 1^ 氏の 祖 

先の 天 兒厘极 の 子孫で、 中關. H 藤 せ」 隆の 子孫で、 播磨 三位 某 ii の 孫で、 -三 忠隆の 子で あ 

る。 しかし、 信賴は 文に 武 にも 膨れ や、 才能 もな く、 藝も ない。 只 灭 子の 御 寵愛にば かり 誇って、 

顺序 • 年限 等に 關 保せ や、 やん /4\ 昇進した。 父 組 は i!i 國の受 ばかり を .1 て、 年が 老い、 齡が .3$ へ 

た 後、 やう やく 從 三位までに なった。 しかるに、 信 賴は, 近衞 司. 蔵人 ウ:: ウ :: 司 • 宰相 屮將. 衛 

府督 *檢非違使別^?£等を僅かニ三ケ年の間に||上って、 年が 二十 七で 中納 1 一 .la 右衛門 蟹に 至った。 それ 

は 攝政關 白の 嫡嗣 子な ど はこの やうに やん-.^ と 位が お昇りに なられる が、 她 H 通の 家柄の 人で は まだ 

信 信 西 不快の 事 二 五一 



B その 頃、 

少^ 言 入道 信 

西と 云 ふ 者が 

あった。 一?li 道 

を兼學 して、 

宏才 博覧で あ 

る • 後. a 河 上 

<A の 御 乳母の 

紀 伏の 二 伉の 

夫で あつたか 

ら、 天下の 大 

小事 を 心の ま 

、に 執り行つ 

一 一 

V7 



この やうな 例 を 聞かない。 又 官途ば かりで なく 俸給 もや はり 自分の 思 ふま、 に增 した。 この やうに 自 

分の 分限に 過ぎて るた けれども ミだ 不足と 思って、 自分の 家に 久しく 結えて るた 大臣の 大將を 望んで、 

すべて 身分 不相應 の 振舞 をば S ノ りした。 それで 信賴を 見る もの は、 嬸 がって 目 を 塞ぎ、 閒く者 は 驚い 

た。 その 天子の 籠を恣 にして、 奢る こと は 支那の 徵子 瑕よりも ひどく、 安 祿 巾に も 超えた。 微子 瑕が 

自分の 食ひ餘 りの 桃 を 天子に 献 じて 遂に は 罪せられ たやうな 罪 を も 恐れす、 只榮 華に 耽り、 朝恩に 誇 

つた。 

其の ころ、 少納言 入道 信 西と いふ 者 あり。 山, - 井二 二位 永 賴ノ卿 六 代の 後 a^、 越後, 守季 綱が 孫、 

鳥 羽.^ 院の 御宇、 進士 藏人實 兼が 子な り。 儒 胤 を 受けて、 儒 業を傳 へやと 雖も, 諸道 を 兼學し 

て, 諸事に 味から す. 九 流 百 家に 至る, 常世 無 雙の宏 才博覽 なり。 後白河 上皇の 御 乳母、 紀 

伊.' 二位の 夫た るに 依って- 保 元元 年より 以來 は、 天下の 大小 事 を 心の ま、 に 執り行って、 

絕 えたる 跡を繼 ぎ. 廢れ たる 道 を 興し、 延久の 例に 任せて 大內に 記 錄所を 置き、 訴訟 を 評議 

し、 理非 を 勘 決す。 聖斷 私な かりし かば、 人の 恨 も殘ら や。 世を淳 素に 歸し、 君 を 堯舜に 致 

しおる。 延喜. 天 暦の 二 朝に も恥ぢ や、 義懷 • 惟 成が 三年に も 超えたり。 

© 進 士藏人 進士 出身の 藏人。 進士 は、 文章 生の ことで、 式部省の 試驗に 及第した 者の 稱, { ^儒 

^ 儒學 者の 子孫。 © 儒 業 儒 寧の ^ 。 © 九 流 儒家 者 流 • 道家 者 流 • 陰陽 家 者 流 • 法 家 者 流 • 名家 

者 流. 墨 家 者 流 • 縱橫, ぼ 者 流 *雜 家 者 琉 ♦ 農家 者 流。 © 百 家 種々 の學 派。 @紀 ^二位 紀伏兼 永の 

女。 © 絡 えたる 跡 中絕 して ゐる 儀式 等。 c^, 延久の 例 後三倐 帝の 御 i^。 元年 間 十 H 十 一 日記 錄所を 

創設し、 諸國新 立の 莊闺の 事 を 取扱 はれ、 理非 を 勘 決して 記錄 せられた。 ih; 大內 禁中。 宮中。 „ ^勘 



9 官中は ひ 

どく 荒暖 して 

るた が、 一 雨 

年の 間に" 冉建. 

して 夭 子 をお 

遷し, iC+ り、 そ 

の 他 建築 も 

日なら すして 

成り 货に 立派 

1 



決 考 へきめ る "c^ 聖斷 天子の 舞 決定 • 3 淳素 質朴の こと • 華美 を 去って fs! 質な こレ >• I? 堯舜 

共に 支那 古代の 聖 天子。 ©延 喜 醒醐 帝の 御 の 年號。 © 天曆 村 上帝の 询 代の 年號 • @義^^.恍 成 

が 三年 共に 花 山 帝に 仕へ て 三年 間 補佐し 奉った。 

その 頃、 少納言 入道 信 西と 云 ふ 者が 居た。 彼 は 山 井 三位 永賴 卿から 六 代 =1 の. ナ 孫で, 越! 《 守季網 

の 孫、 鳥 羽院の 御代に 進士 出身の 蔵人であった .K^ の 子で るる。 儒者の 血統 を 受けて 儒 學の職 は ひき 

權が なかった が、 種々 の 道 を 兼ね 學ん で、 諸種の 事に 關 して 明るくて、 九 流 や 百 家に 至る 迄、 

ベる 者 もない 才能が 深く、 見聞が 博かった。 後白河 上 の询 乳母の 耙伊 二位の 夫であった から、 保 元 

元年から このかた は 天下の 重大な 事、 些細な 事- 3 何もかも 自分の 心の ま、 に 執り行って、 巾 培して る 

た 儀式 等 を 盛に し、 康れ てるた 道 を 興して、 後三倏 帝の 延久の 例に ならって、 宮中に 記錄所 を^いて、 

訴訟事件 をい ろく 相談して 決め、 道理で あるかない か ,ゲ考 へて 決定した。 その: 人 子の 御 決定に 依怙 

晶 負がなかった ので、 世間に は 恨む 人 もなかった。 世 〇 中 を 質朴に し, 天子 ズ V 昔の 支那の 堯ゃ舜 の や 

うな 聖; 大子 とし 奉った。 日本の 昔の 御代の よく 治った 延喜ゃ 天 暦の 二 代と 比べても 恥づ かしくな く • 

花 山 帝の 御代に 義懷と 惟 成が 各 三 11 一. 間 補佐し 奉って 夭 下 をよ く 治めた のよりも 勝れて るた。 

大內は 久しく 修造せられ ざり しかば、 黢 舍傾危 し、 樓 閣荒廢 して、 牛馬の 牧、 难 鬼の 臥所と 

なりたり し を、 一 兩 年の 中に 造畢 して、 遷幸な し 奉る。 外廓 重疊 たる 大極^ • !> -樂院 • 諸!^ 

八 省. 大擧寮 • 朝 所に 至る まで、 華の 榱、 雲の 形、 大度の 構、 成 風の 功, 年を經 すして 不日 

に 成りし かど も、 民の 煩 もな く、 國の費 もなかり けり。 內实 • 相撲の 節、 久しく r やえた る!^ 

を 興し、 詩歌 管 被の 遊, 祈に ふれて 相 催す。 九重の 傣式昔 を恥ぢ す、 萬 事の 禮法舊 きが 如し。 

i 傾危 傾いて 危ぃ。 C ノ樓閣 たかどの。 ©牧 . 牧場。 © 造畢 造.^ 終へ る。 @ 大! WSS 大内 S 

1:-^ 信 丙 不快の 事 二 五三 



二 五 四 



になった。 そ 

して、 宫 中の 

節 や 儀式 も 

復興され た。 



9 信 西の 權 

威 もます-/^ 

强く なり、 信 

頼の 寵 もます 

く 加 はり * 

何時しか 二人 

の 仲が 惡 るく 

なって、 二人 



八 省 院即も 朝 院の 正殿。 天子が 臨御して 政務 を 執り行 はせられ、 年賀 • 即位 等 G 國俵ゃ 大謾を 行 は 

せられる 所。 © 豐樂院 節會 等の 饗宴 を 行 はれる 所。 © 朝 所 太政官 鹿の 内に あって、 參議 以上の 者 

の 食事す る 所。 © 華の 榱 花の 如き 立 な 垂木。 @ 雲の 形 雲の 如く むらがった 模樣。 © 成 風 ^築 

の 功。 © 内宴 正月 二十日から 二十 二日までの 問に. 文人 を仁壽 殿に 召して、 詩 を 作らし め、 合せて 

宴 會舞樂 を 行 は せらる 公事。 © 相撲の 節 七月 二十 八 九 曰 禁中で; 仃 はせられ る 上覽の 相撲。 © 九重 

宫中。 

6 宮中 は 永い こと 御 修繕がなかった ので、 御殿が 傾いて 危く なり、 樓閣は 荒れ果て、、 牛 や 馬の 牧 

場、 維 や 鬼の 臥す やうな 污ぃ 所と なった の を、 信 賴はー 二 年の 間に 造り 畢 つて、 天子 をお 遷し 奉った • 

外廊を 幾重に も 園んで るる 大極殿 • 豐樂院 • 諸 役所の ある 八 省 • 大學寮 • 朝 所に 至る まで • 立派な 垂 

木、 雲の たなびい てるる やうな 美しい 模樣、 大きた 高い 建築の 構へ、 かう いふ 魏 築の 功が 幾年 も I- た 

ないで 忽ちに 出來 上った けれども、 その 爲 めに 別に 人民の 心配 もな く、 國の费 用 も 多く 担し なかった * 

內宴ゃ 相撲の 節會が 久しく 絡え てるた がそれ, 二 後 與し, 詩歌, ぜ 殺の 遊び も 適赏の 折に 他した。 宮中の 

儀式 は 昔と くらべて 劣ら や、 すべての 禮悽 • 作法 は 昔の 通りに 行 はれた。 

(後白河) 

去ぬ る 保 元三 年 八月 十一 日, 主上 御 位 を すべらせ 給 ひて、 御子の i 呂に讓 り 申させ 給へ り。 二 

條ノ院 これな り。 然れ ども 信 西が 權位 もい よ/^ 威 を 奮 ひて • 飛鳥 も 落ち. 草木 も 靡く ばか 

りなり。 又 信賴. '卿の 寵愛 も、 猶彌 珍ら かにして、 肩を雙 ぶる 人 もな し。 されば 兩雄 は必す 

爭ふ 習なる 上、 如何なる 天魔 か 二人の 心に 入り 替り けん * 其の 中惡 しくして、 事に 觸れ て不 

なにさま 

快の 由 聞え けり。 信 西 は 信賴を 見て、 何様に も 此の 者 天下 を も 危ぶめ、 國家 をも亂 らん やる 

仁よ と 思 ひければ、 如何にもして 失 はば やと 思へ ども, 當時 無雙の 寵臣なる 上、 人の 心 も 知 



とも 機 會がぁ 

つたら 相手 を 

失 はう と 謀 を 

めぐらし てる 



! 或 時、 後 

1 



り 難け I,- よ、 打 解けて 申し 合すべき 輩 もな し、 次 あらば とた めら ひ たり。 信頼 もまた 何蔡 

も 心の ま、 なる に、 此の 入道 我れ を 担んで • 怨を 結ばん 者 彼なる べし. と 思 ひて ければ、 如何 

なる 謀 を も 運ら して、 失 はんと ぞ たくみけ る。 

© すべらせ 給 ふ 位 をお 讓 りになる。 ©權 位 1^ 力と 位置。 ©兩 雄 二人の 脇れ てるろ 者。 ©.コ ノ 

魔 欲 界の第 六 天の 魔王で、 魔と は擾亂 • 障 礙* 破壤 を爲す 者で ある。 @ 不快の 事 仲が よ?^ 厂 ^事* 

© 何樣 にも どの やうに 考 へても。 © 仁 人。 © 失 はば や I 权 したい。 @ 次 機^。 時節。 © ためら 

ひ 蓐躊。 ©怨 を 結ばん 者 怨を 抱く 者。 

去る 保 元三 年 八月 十一 日に、 後. E 河 帝が 位 をお 返き になって、 御子の せ!: にお 讓 りに なられた • こ 

- つが ニ條院 である。 けれども、 信 西の 權カ • 位置 も 前と 代りな く * ますく 威光 を^って そリ: ^力 

のために は 飛ぶ 鳥 も 落ち、 草木 も 靡く ほどで ある。 又、 信賴 卿の 寵愛 もや はります く增 して 誰 こそ 

肩 を 雙.. /る 人 もない。 それで 二人の すぐれた 者 は 必ゃ爭 ふの が 常で あるが、 その上に、 どんな-火 力 

二人の 心の中に 人り 代った もの か、 二人の 中が 惡く なって、 何 かの 事に 就けて は^ 白くない ことがあ 

ると 云 ふ 評判であった。 信 西 は 信賴を て、 どう 考 へても, この 信賴は 灭 下 を危 くし、 國家を も effl す 

人物 だと 思った から、 どうかして 殺したい と 思 ふけれ ども、 信賴は^?£時雙べ者もなぃ寵^でぁるヒに、 

人の 心 はわ かり 難い もの だからう つかり 心 を 打ち明けて、 秘.! r かばれて はと W ,つて、 心 を 打 解けて 相 

談出來 る 人 もない、 よい 機會が あったら 滅ぼさう とぐ づ., ^してる た。 信賴も 亦、 何事 も n 分の £ あ ふ 

りになる のに、 この 信 西 入道 は 自分の 邪魔 をして、 自分に 對 して 怨を つてる るの は 彼 だら うと 

つて. Q たから, 何とか 謀 を考へ 出して、 滅ぼして やりたい もの だと 計 してる た。 

或 時、 信 西に 向って (. ^歸 ^ せな りけ る は、 「信頼が 大將 を^み 申す は、 如何に。 必ゃ しも m- 代 

信 賴信两 不快の 事 二 おお 



一 五六 



白 河 上 c-ff; は 信 

西に、 信頼が 

大將 >ゲ 望んで 

るるの はどう 

した もの だら 

う、 と g せ に 

なった。 それ 

で、 信 西 は 先 

例 を 引いて、 

その 不常 をお 



上皇 は それ を 

お 用 ゐ になら 

れる御 樣子も 

なかった, 



淸 華の 家に あら ざれ ども, 時に:^ つ て^さる、 事 も ありけ ると ぞ傳 へ 聞し;^:; す。」 と 仰せられ 

ければ、 信 西、 す は 此の世の 中 * 今 はさて と 歎 かしくて、 申しけ る は、 「信頼な どが 大將 にな 

つ かさめし : 二 も、 ひがごと 

りなば" 誰か 望 を かけ 候 は ざらん。 君の 御 政 は、 司 召 を 以て 先と す。 叙位-除 目に 僻事 出で 來 

ぬれば, 上天の 巍々 に 背き、 下 入の 貶 を 受けて、 世の 亂る、 はしな り。 其の 例漢家 本朝に 繁 

た あこ まる 

多な り。 されば にや、 阿古 丸 大納言 宗 通.' 卿 を、 白 河. '院, 大將 になさん と 思 召したり しか ど 

も、 寬 治の 聖主御 許されな かりき。 故 中, 御門. 1 膨中納 言 家 成,' 卿 を, 舊院 r 大納言に なさば や』 

と 仰せられ しか ども 1 諸大 夫の 大納言になる 事 は、 絶えて 久しく 候 ふ。 中納 言に 至. 候 ふだ 

に、 過分に 候 ふ もの を。』 と、 諸 卿 諫め 申されし かば、 思 召し 止まりぬ。 せめての 御 志に や、 

歳の 始の 勅書の 上書に 、『中.^ 御 鬥 新 大納言 殿へ』 と 遊ばされたり ける。 これ を拜 見して, 『ー簠 

になされ まるら せた るに も、 猶 過ぎた る 面目 かな。 御 志の 程 忝し。, I とて * 老の淚 を 拭 ひ 兼ね 

ける とぞ 承り 候 ふ。 大納言 摘 以て 君 も 執し 思 召し、 臣も 終に せじと こそ 諫め 巾し しか。 況ゃ 

近衛の 大將を や。 一一; 公に は 列 すれ ども, 大將 をば 經 ざる 臣の みあり。 執 柄の 息- 英才の 輩 も、 

此の 職 を 前途と す。 信賴 などが 身 を 以て 大將を 汚さん か、 愈よ 奢 を 極めて 謀 逆の 臣 となり、 

天の 爲に 滅ぼされ 候 はん 事, 爭 でか 不便に 思 召されで 候 ふべき。」 と、 諫め 申し けれども、 げ 

にもと 思 召した る 御氣色 もな し。 信 西 あまりの 勿體 なさに、 ^^?の安祿山が奢れる昔を緣に書 

きて、 卷物 三卷を 作りて 院へま ゐらせ けれども, 君 は猶げ にもと 5 心 召した る 御 事 もな く, 天 

氣 他に 異なり。 



©i^2 華 大臣に 任ぜられる 家柄。 © す は さあ。 © 今 はさて 今 は 愈々 亂れ る, たらう。 © 司 召 

任 《は。 @ 叙位 位 を さ づける。 © 除 H 官をさ づける。 @ 僻事 間違 ひ 事。 © 巍々 高い ことの 形容。 

©漢 家 支那の 朝廷。 © 諸大夫 攝 *關* 大臣 家に 伺候し, 功に 依って C 升 殿 を 許され、 大屮納 一一 n まで 

昇進す る を 得る 家柄。 © 執し 執着す る。 © 三 公 太政大 E 及び 左 • 右大 E。 © 執: W 攝政關 ,:!。 © 

英才 すぐれた 才學、 又 その 人。 ©前 迄 C 取 後。 至極の 官f_iil。 © 不便 可 哀^。 ©.:^ 祿 山の おれる 北 u 

安祿 山の 奢った 昔の 有様。 ©氣 色 樣子。 ©天氣 天子 又は 上 良の 御 機 娘。 © 他に 31- り の御寵 

愛 は 他の 者と は 格別で ある。 

i 或 時、 信 西に 向って、 後白河 上皇が 仰せられ たに は 「信 賴が近 衞大將 を 希望して るるの は、 與へ 

たもので あらう か、 どうで あらう。 大將は 何も 大臣に 任ぜられる 家柄で なくても- 5Sf 八 "になって よ 成 

された 例 もあった と 聞いて るる」 と 仰せられ たから * 信 西 は、 さあ, 大變 だ、 世の 屮は^ 亂れる 事 だ 

と 心配に なって、 申し上げ たに は 「信賴 などが 大將 になり ましたならば • 誰も彼も^望を^"けなぃ者 

は ございますまい。 君た る 者の 御 政 は • 任官の ことが 第一 であります。 叙位 や 除 u に 問-へ;^ ひ • が 起つ 

てまる ります と、 上 は 高き 天の 御 心に 背き、 下に 對 して は 人民の 貶り を 受けて、 ^の 亂れる 動機で あ 

ります。 その 例 は 支那に も 日本に も澤山 ございます。 それ だか^で せう か、 阿古 丸 大納甘 .:. 小. il 卿 を,::! 

河院 が大將 にしようと 思 召した けれども、 堀 河 帝 はお 許しに なりませんでした。 又、 故 巾 御門 膝巾納 

言 家 成 卿 を 鳥 羽院が 「大納言に したい もの: U が」 と 仰せられました けれども、 大 夫が 大納 甘になる 

こと は 今までめ つたに ありません。 中納 言になります ことで さへ 身分に 過ぎます から, まして 大納首 

と は 以ての外です」 と, 多くの 公卿 達が お諫めに なりました から. 思 召し 止まりました。 而し, せめ 

て もの 思し召しで ございませ うか、 年の 始めの 勅 省の 上書に 『中 御門 新 大納言 殿へ J とお.: $1 きになり 

ました。 それ を拜 して、 家 成 卿 は 『本當 に 大納言に していた だいた のよりも まだ C 分に は 過ぎた 名 

一 信賴 信: き 不快の 事 , 二 五 + 



9 信 賴卿は 

信 西 入道が 上 

皇に 申し上げ 

た 事 を 漏れ聞 

いて、 不倫 快 

に 思って, 病 

氣と稱 して 出 

仕 もしな かつ 

た。 そして 帥 

仲 を 相 語らつ 

て、 武 藝を稳 

古して、 信 西 

を 失 ふ 謀 をし 

てるた。 



二 五八 

譽 である わい。 御 思 召の 程が 勿體 ない』 と 云って、 老の涙 を 拭 ふこと も出來 なかった と 承って をり ま 

す。 大納言の 官の やうな ので,.. - やはり 君が 御 執着に なり、 臣も よい 加減に すまいと 諫め 申しました • 

まして、 近 衞大將 は猶: 史ゅ るかせ にして はなり ませぬ。 三 公に はなっても、 大 將を經 ない 臣 さへ もめ 

.9 ます。 攝*關 の 家柄の 子供、 才能の すぐれて るる 名門 家の 者で もこの 大將が 至り 得る 最後の 官 であ 

.9 ます。 信賴 などの 身で、 大將の 職に なりましたならば > ますく 奢 を!^ めて、 謀叛 を 起し、 天の 爲 

に 滅ぼされ i6 す 事 どうして 可哀想に 思し 召されな いので ございま すか」 とお 諫め 申した けれども、 な 

る ほど さう だと 思 召した 御樣子 もなかった。 信 西 は、 あまりの 心配 さ に* 唐の 安祿 山が 奢った せの 樣 

子 を綺に 描いて、 それ を卷物 三卷に 作って、 院 にさし 上げた けれども、 君 はや はり 赏 にさう だと 思 召 

した 御 事 もな く、 信 賴に對 する 御 寵愛 は 他の 者と は 格別で ある。 

(信 西) 

信賴. ^卿 は、 通憲 入道が 散々 に 申しけ る 事 を 漏れ聞いて, 安から ぬ 事に 思 ひければ * 常に 所勞 

と號し 出仕 もせす。 伏 見 ノ源中 納言師 仲 ノ卿を 相 語らって, 彼の 在所に 籠居て、 馬に 乘り、 馳 

引 • nl- 足. 力 持な ど、 偏に 武藝 をぞ 稽古せられ ける。 これ 併しながら、 信 西 を 失 はん 爲 なり。 

6 © 散 々に めちゃくちゃ に。 © 安から ぬ 事 不愉快な 事。 © -埘勞 病氣。 © 出仕 出勤。 ©馳 引 

馬を馳 せたり、 後に 引いたり する。 馬術。 ©早 足 早く K ける こと。 © 力 持 體カを 養 ふこと。 © 併 

しながら 悉く。 全く。 

Q 信賴卿 は、 信 西 入道が 上皇に 自分の こと を ひどく 惡く 申した 事 を こっそり 聞いて、 不愉快に 思つ 

たから, 何時も 病氣 だと 云って、 朝廷へ 出勤 もしない。 そして、 伏 見 源 中 納言師 仲 卿 を 仲間に 誘 ひ 人 

れて、 師 仲の 家に 籠り 尻て、 験 引 • 早足 • 力 持な どひた すら 武藝を 練習 せられた。 これは^く 信 W を 

滅ぼす 爲 である。 



8 信賴 は、 

源義 朝、 藤 原 

經宗、 藤 原 成 

親、 別 常 惟 方 

等 を 味方に 語 

らひ 入れた。 



二 信賴 謀反の 事 

さる 程に、 信頼.' 卿 は、 子息 新 侍 從信親 を 大貳淸 盛の 婿に なして 近附き 寄り、 平家の 武威 を以 

て 本意 を 遂げん と 思 ひける が、 淸盛 は太宰 ノ大贰 たる 上、 大!: 數多賜 はって, 一 族 $1 朝恩 を 

蒙り、 恨 ある まじければ、 よも 同意せ じと、 思 ひ 止まる。 左 馬, 頭義朝 こそ, 保 元の 亂 以後、 

平家に 覺ぇ 劣って、 安から す存 する 者と 思 はれ、 近附 きて ねんごろに 志 をぞ通 はしける。 常 

に 兑參の 度に は、 -信賴 かくて 候へば * 國をも 莊をも 望み、 宫加階 を も 巾 されん に、 天:: M よも 

仔細 あら じ。 I と宣 ふ。 「かやう に 御意に 懸けられ 候 ふ條、 身に 取って 大慶な り。 如何なる 御大 

函) 

事 を も 承って、 一方 は 固め 申さん。」 とぞ宣 ひける。 加 之、 當 帝の 御 外戚、 新 大納言 經宗を も 

i) 

語ら ひ、 中,^ 御門, 1 勝 中 納言家 成.^ 卿の 三男、 越後 ノ中將 成 親,^ 朝臣 は、 君の 御 I 浙色 よきお なり 

と 語ら ひ、 御 傅の 別 當惟方 を も 憑 まれけ り。 中に も 此の 別當 は、 母方の. りしに、 我がお 

ちぎ 

尾 張 ノ少將 信 俊 を 婿に なして、 殊更 深く ぞ 契られけ る。 

© 本意 口 的。 © 大甙 大宰府 の 次官。 © よも 決して。 © 左 -ii^ 頭 1:;^9^-の.ぉ{=»。 1^$|-は御^の 

馬、 馬具 及び 諸國の 牧場の 事 を 掌る。 © 畳え 劣る 平家よりも 朝廷の 信任が よくない。 @ 安から す 

不平に。 © ねんごろ 親切。 © 見參 逢 ふ。 © かくて 候ら はば このま、 や; きて ゐ るなら。 ©莊 莊 

圜 のこと。 私 領地。 © 官加喈 位の E 升 進す る こと。 ©天:: お 天子の 御 機 縦。 こ、 は 後,:: 河 上 の 

召。 © 仔細 あら じ 而倒は あるまい。 勅許が ある。 © 御 外戚 外戚 は W 方の 緣類。 こ、 は to^ 宗 の父大 

二 信賴 謀反の 事 二 五 九 



二 六 〇 



8 信 賴は準 

婦 して 隙 を 伺 

つてる たが、 

平 治 二 年 十二 

月 四日、 濟盛 

が 能; 野參 rn を 

したので、 そ 



納言轾 實 の 養女が ニ倏 帝の 街 母で あるから 云 ふ。 ©掷 傅 天子の 询 守役 •© 別當 惟 方 は 検非違使の 一 

別當、 即ち 長官で ある。 © 舅 叔父。 

さて、 信賴卿 は、 息子の 新 侍 從信親 を 大貳涛 盛の 婿に して、 盛と 懇意に なり 平家の 武威 を 借つ 

て 自分の 目的 を 遂げようと 思った が、 盛 は太宰 の大贰 である 上、 大國 を澤山 朝廷から 賜 はって、 そ : 

の 一 族に 皆 朝廷の 御 恩 を 蒙り、 朝廷に は 恨み は あるまい から、 とても 同意すまい と 思って 止めた。 左 . 

馬頭 義朝 は、 保 元の 亂以 後平 家よりも 朝廷の 信任が 劣って、 不平に 思って るると 思った から, 近附ぃ : 

て 親密に なり、 自分の 意志 を 通じた。 何時も 義 朝に 遇 ふ 度に は 「この 信賴 がかう して 生きて るる 間 は 一 

貴方の 爲に國 でも 莊阖 でも 望み、 官の 昇進 を 申し上げたら 上皇 は 決して 御 苦情 は 仰せられまい」 と 仰 : 

つた。 「この やうに 私の こと を 御 心配して 下さる 事 は、 私の 身に とりまして は 大きな 喜びです。 どんな. 一 

大事で も 引受けまして、 一方 は 守護いた しませう」 と 仰せられた。 義 朝ば かりで なく、 主上の 御 外戚 一 

• である 新 大納言 經宗を も 味方に 引き入れ、 中 御門 藤 中 納言家 成 卿の 三男の 越後 中 將成親 朝臣 は、 後 白 , 

河 上皇の 思 召の 深い 方で あると 思って 味方に 入れ、 それから 又、 御 傅の 別 常 惟 方 を も 仲間に された。 - 

中で も、 この 別 當は信 賴には 母の 方の 叔父で あつたが、 その上、 自分の 弟の 尾 張 少將信 俊 を 別 《おの 女 . 

の 婿に してる るので、 特別 深く 親しくした。 一 

斯様に ir め 廻らして、 隙 を 伺 はれけ る 程に、 平 治 元年 十二月 四日、 大貳淸 成 1 願 ありと て, 一 

嫡子 左 衞門ノ 佐 重 盛 相 具して、 熊 野 參詣の 事 あり。 其の 隙 を 以て、 信頼, 卿 義朝を 招き、 「信 西 

は. S 伊.' 二位の 夫; i るに 依って、 天下 Q 大小 事 を 心の ま、 に 申し 行 ひ、 子どもに は官加 階 1^. 

たさ t V- ん;! い くせら (信 西) ; 

になし 與へ、 信頼が 方 様の 事 をば、 火 を も 水に 申しな す、 讒佞 至極の 僻 者な り。 此の 入道 久 一 

しく 天下に. jil つて は, 國も 傾き 世も亂 るべき 禍の 基な り。 君 もさ は 思 召し たれ ども、 させる 一 



の に、 義朝 

を 招いて 信 西 

を惡く 云 ひ、 

義朝 をして 淸 

盛に 敲對 さす 

ようにけ しか 

けて、 うまく 

謀叛に 引き 入 

れた。 



へ: < 



次 もなければ • 御誡 もな し。 いさとよ、 御邊 始終 は 如何 あらん。 大甙淸 盛 も 彼が 緣 となりて、 

源氏の 人々 をば 申し 沈めん とするな どこ そ 承れ。 能き 様に 計ら はるべ きもの を。」 と 語れば、 

蕤朝 中され ける は 、「六 孫 王より 七 代、 弓箭の藝を以て、 今に叛逆の8^を誡め、 武略の 術 を 傅 

へて、 凶徒 を 返け 候 ふ。 然るに 去ぬ る 保 元に、 門 葉の 輩 多く 朝敵と なって、 親類 $:£5 ^せられ- 

も と 

已上義 朝 一 人に 罷 成り 候へば、 淸盛 も內々 は さぞ 計ら ひ 候 ふらん。 此等は 素より 悟の 前に 

て 侍れば、 强ち 驚くべき にて 候 はね ども、 かやう に 憑み 仰せ 候 ふ 上 は、 便 {几 候 はば、 當 家の 

浮沈 を も 試む ベ しと こそ 存じ 候へ o」 と 申されければ、 信頼 大きに 喜んで、 怒 物 作の 太刀 一 腰 

自ら 取 出し- 且は悅 の 初と て 引かれたり。 

i © 認め 仕度 をす る。 © 隙 油斷。 @ 宿願 年 來の願 ひ。 ©官 加 階 官位の 進。 © 方樣 その 

方の こと。 © 僻 者 心の ねぢ けて るる 者。 © させる さう した。 適?:? S の。 © いさとよ さあ。 © 御? 

貴殿。 © 始終 終り。 © 六 孫 王 源經 基。 ©誡 め とがめ。 © 門 葉 一族。 ©.:^- せられ さらし =10 に 

される。 ©已 上 然る 後。 © 便宜 よい 機會。 ©浮 沈 興る か衰 へる かの 述。 © 怒 物 作 胺 めしく 作 

つた 太刀。 ©ー 腰 一本。 @ュ つ 一つに は。 ©引 かれたり 跗られ た。 

6 この やうに 準 JiS をして 油斷を ねらって おいでになって みたところが、 平; i2 元年 十二月!: 日、 大甙 

^^^盛が年來の願がぁって、 長 sf^ の 左 衞門佐 鬼 盛 を 引き 述れ て、 煎 野に 參詣 をす る^が あった。 その 欧 

に、 信 賴卿は 義朝を 招いて 「信 は紀供 二位の 夫で あるから, 夭 下の 大小の 事 を 思 ふま、 に 行 ひ、 CI 

分の 子供に は 官位の 昇進 を自 a に與 へ、 信賴の 方の 事 は、 よい 事で も惡く 云ん 惡 いことの 此の上 もな 

いねおけ 者で ある。 この 信 西 人道が 久しく; 人 下の 政事に 關 保して るて は、 國 も袞 へ、 世の中 も 亂れる 

二 信敏 謀反の 事 二 六 一 



二 六 :_ 



i 義 朝は猶 

白 • m 一の 二 匹 

の 馬と • =M 五 

十領と を信賴 

から もらつ 

た。 それから 

義 朝が 申して 

賴政 • 光基 • 

光泰 • 季赏等 

も 召された • 



にき i6 つてる る禍の 根本で める。 、王 上 もさう 思 召して いられる が、 亡ぼす ベ き 適 富な 櫞會 もない から、 

御と がめ もない。 いやく、 あなた も 終 ひに はどうな るか 分らない。 大成 i^E 盛 も 信 西の 緣者 となって、 

源氏の 人々 の 勢力 を 押 へ ようとして るると 聞いて るる。 貴殿 も 何とか 覺 悟され なければ ならぬ と 思 ふ」 

と 語る と、 義 朝が 申した に は 「六 孫 王から 七 代、 弓箭 を 取る 身と して、 今: U まで 叛逆の 者 共 をと がめ、 

武士の 計略 を 代々 傳 へて、 凶徒 を 打ち返け ました。 ところが、 去る 保 元の 亂に、 わが 一 族の 者 共 は、 

多く;^ 廷の 敵.' なって、 親類 は さらし 首にせられ、 然る 後、 義朝ー 人に 成. 5 ましたから、 盛 も S 

心 では 私 を 滅ぼ さう と 計 劃 してる る で せ う 。 そ の 事 は 勿論 前から 覺悟 してる ます S ノも * さう びっくり 

する ほどの 事で は ござい せんが、 この やうに 私を賴 りに 仰せられます 以上 は、 よい 機會が ございませ 

ば, わが 源氏の 興る か 亡びる かの 運試し を やりたい と 思 ひます」 と 申された ので、 信 賴は大 へん 喜ん 

で、 嚴 しく 作った 太刀 を 一本 Q ら 取り出し、 一 つに はお 祝 ひの 初めで あると て 贈られた。 

義朝 謹んで 請 取って 出 でられけ るに、 白く 黑 くさる 體 なる 馬 二 匹、 鏡 鞍 澄いて 引立て 仁り。 

夜陰の 事 なれば, 松明 报擧げ させて 此の 馬 を 見、 「合戰 の 出立に、 馬 程の 大事 は 候 はす。 近 

の 御馬に て 候 ふ。 此の 龍 蹄 を 以て、 如何なる 强陣 なりと も、 など か 破らで 候 ふべき。 合戰は 

勢に は よら や、 謀 を 以てすと いへ ども- 小 を 以て 大に 敵せ すと も 申せば- 頼 政 • 光保. 光基. 

季實等 を も I:;" され 候へ。 其の上 此等を 始めて • 源氏 ども, 內々 申す ijni ありと 承. 候 ふ。」 と- 

申して 出 でられければ. 信頼, 卿, 月 ごろ 日ごろ 持へ 置かれた る 武具 なれば、 減し 立てた る 鎧 

五十 領、 追 様に 遣され けり。 信頼 纏て 此の 入々 を 呼びて、 憑むべき 由 {1 且 へば T 一 門の 中の 大 

將、 旣に從 ひ 奉る 上 は、 左右に あた はす。」 とて ぞ歸 りけ る。 (卷 一 ) , 



Q 九日の 夜 

信 賴は義 朝 を 

大將 として 五 

百餘騎 で、 三 

倏 殿へ 押し 寄 

せて 火 を 懸け 

三 



© さる體 然るべき 體^ の。 ® 鏡 鞍 總體 を銀乂 はは、 输で 包み, それに 後輪 を. 取った もの。 © 近 

頃 近顷: ない 珍ら しくよ い。 © 龍 蹄 名 -iir ©1^ 軍勢。 ©s: 々申す 3 口 €: 々不: 平が あると いふ こ 

と。 ® ^し 立てた る 新調した。 © 追樣 追 ひかけ る やうに。 © 左右に あた は \^ 何も 異議がない。 

i 義朝は 謹んで、 太刀 を 請け 取って 出られた が、 そこへ 白と M; の 立淤な 體挤の H!^ を 二 K、 ^鞍 を J は 

いたの を 引き出した。 夜で 暗い から, 松明 を 振舉げ させて この 馬 を て、 義朝 は、, < "戰 に 出て 行く の 

に 馬 ほど 大切の もの は ご、 ざい ませぬ。 これ は近顷 見た 事の ない 立派な- です。 この 名 iir し乘 つて. ど 

んな强 い 敵陣で も必す 破る ことが 出來 ます。 戰爭は 軍勢の 多少に は よら や、 謀が 第 r たと. ひます が * 

而し 小勢で は 大勢に は 敵 しないと も 申します から、 賴政 • 光保 • 光泰 • 季.赏 等 を もお 呼びなさい。 そ 

れに、 この 人達 を 始めと して、 源氏どらは内心信-€に對して不,牛を申してゐると云ふこと,5^承ってを 

ります」 と 申して 出られた から、 信 賴卿は 平素 &乂て 置かれた 武 》r たから、 新 II の-ぬ を-九十 瓴を^ ひ 

かける やうに して 莠 朝に 送られた。 信賴は早速この賴政達を呼んで賴むと云ふことを仰^-られたとこ 

ろが、 「一族の 中の 大將 si 朝が 旣に從 ひ 奉った 以上 は、 少しも 異議 はない」 と 云つ て^った。 

三 院の 御所 夜 討附信 西が 宿所 燒き拂 ふ 事 

同じき 九日の 夜- ずの 刻ば かりに、 信賴. ^卿. 左 馬.' 頭義朝 を大將 として、 共の 勢 五 fa 餘" 酣、 

院の 御所 三條 殿へ 押 寄せ、 四方の 門々 を 打!: めお 衞 督乘 りながら * 「年 ごろ 御い とほし み 

を 蒙りつ るに * 信-曲が 護に 依って、 信賴討 たれ まゐら すべき. e 承り^ ふ 問、 §3 しの 命 助から 

ん爲 に、 東!: の 方へ こそ! 能 下り 候へ。」 と 申せば • 上皇 大きに 驚かせ 給 ひて 、「何者が 信顿 をば 

院の 御所 夜討附 信?: が 燒き拂 ふ 事 I 一六 一二 



失 ふべ かなる ぞ。」 とて、 呆れさせ 給へば、 伏 見.' 源 中 納言師 仲.' 卿 御 車 を さし 寄せ、 斗ん ぎ 召さ 

るべき 由. 申されければ、 「はや 火 を 懸けよ。」 と、 聲々 にぞ 申しけ る。 

(後 白 

上皇 あわてて 御 車に 召さ るれば、 御 妹の 上 西 門院 も, 一 つ 御所に 渡らせ 給 ひける が、 同じ 御 

車に ぞ 奉りけ る。 信賴. 篛朝 • 光保. 光基 *季實 等、 前後左右に 打圍 みて, 大內人 入れ まる 

いつぼん ご しょ どころ (Is) ore) 

らせ、 一 本 御 書 所に 押 籠め 奉る。 纏て 佐渡ノ 式部 大輔重 成 • 周 防,^ 判官 季實、 近く 候して 君 を 

ば 守護し 奉る。 さても 此の 重 成 は、 保 元の 亂の時 も • 讃岐. ^院, 仁 和 寺の 寬遍 法務の 坊に渡 

らせ給 ひし を、 守護し 奉って、 讃 州へ 御 配流 ありし 時 も、 鳥 羽まで 參 りし 者な り。, 如何なる 

故に や、 二 代の 君 を 守護し まゐら すらん。」 と、 人々 申し あへ り。 

6 © 子の刻 夜 牛 十二時。 © い とほし み 寵愛。 © 失 ふべ かなる ぞ 失 ふべ く あるなる ぞの 約。 失 

はう とする ので あるか、 失 はう 者 はない。 © 呆れ 驚く" © 上 西 門院 統子。 鳥 羽 帝の 皇女。 ©1 本 

御 書 所 內 裏の 西北 方、 侍從 所の 南に めって、 普通に 行 はれる 書 を 一本、 別に 寫 して 奉る もの を藏っ 

て 置く 所。 © 法務 仁 和 寺の 職掌。 僧正 • 僧 都 • 律師な どが 兼ねて、 ^義の 位 は 四 位の 殿上人で ある。 

i 同月 九日の 夜 十二時 顷に信 賴卿は 左 馬頭 義朝 を大將 として、 その 軍勢 五 百餘騎 で院の 御所 三條殿 

へ 押し寄せて • 四方の 門々 を 守り、 信賴は 馬に 乗りながら 「年来 御寵, お を 蒙って: Jl?.5 ますのに、 信 西 

の惡 n に 依って * 信賴 をお 討ちに ならなければ ならぬ と 云 ふ 事 を. ^りました から, 暫く 命が 助かる た 

め lT 關 京の 方へ 下ります」 と 申す と、 上皇 は大 へんお 驚きに なられて T 誰が 信賴を 討つ ものが あら 

ぅぞ」 と 驚いて おいでにな ると、 伏 見 源 中 納言師 仲 卿が 御 車 を さし 寄せて、 急いで 上皇に ぉ乘. 5 にな 

る やうに と 申された から • 信賴の 方で は、 「早く 火 を 懸けよ」 と 砦が 申した。 



i 三倐 殿に 

は 猛火が 虚 f ノ 

に充 仁て、 公 

卿 殿上人、 女 

11^ 達 は 射 伏せ 

射殺され、 或 

は 井戸の 水に 

溺れ、 火に 燒 

けた. 5 した。 

大汀家 仲、 平 

旗忠は 大いに 

戰 つたが、 終 

に 討 たれた。 



三 院 



上皇が あわて、 御 車に お召しに なると、 御 妹の 上: 門院 も 同じ 御所に おいでになった が、 同じ 御^に 

お乗りに なった。 信賴 • 義朝 . 光保 • 光基 . 季赏等 は 上 01 を 前後 左お に 打ち 闹ん で、 禁屮 へ お入れ 巾 

して、 一本 御 害 所に 押し 籠め 奉った。 そして早速佐渡式部大輔直成と周防判{:«季^-か近く侍って上ハ^| 

を 守護し 奉った。 さて、 この 重 成 は 保 元の 亂の時 も、 崇德院 が 仁 和 寺の 宽:? I 法務の 坊に W られ たの を 

守護し 奉って、 讃岐へ 御 流罪に なった 時 も 鳥 羽までお 伴して 參 つた 者で ある 。「どうい ふわけ でか、 二 

代の 君 を 守護し 奉. るの だら う 」 と 人々 は 申し 合った。 

おろ て か 

三條 殿の 有樣 申す も 疎な り。 門々 をば 兵 ども^め たるに、 所々 に 火を擧 げたり。 ^^^火虛空に 

充 ちて. 暴風 烟 雲を揚 ぐ。 公卿 殿上人, 局の 女房 達に 至る まで、 これ も 信 西が 一 族に て や あ 

るらん とて, 射 伏せ 斬殺せば、 火に 燒け じと • 出 づれば 矢に 中り、 矢に 中ら じと、 返れば 火 

に燒 け、 矢に 恐れ 火 を 憚る 類 は、 井に こそ 多く 飛 入り けれ。 それ も 暫くの 事に て、 下なる は 

水に 溺れ、 中なる は 供に 壓 されて 死し、 上 は 火に こそ 燒 けにけ り。 造り 重ねた る殿舍 の、 烈 

しき 風に 吹 立てられて * 灰燼 地に 迷り ければ- 如何なる 者 か 助かるべき。 彼の 阿 一:^- の 炎ヒに 

は, 后妃 • 釆 女の 身 を 滅ぼす 事な かりし に、 此の 仙 洞の 回祿 に は、 月 卿 雲 客の 命 を? S す こそ 

あさまし けれ。 左 兵衞ノ 尉大江 H 豕仲, 右衛門.^ 尉平, 康忠、 爱を: 期と 防ぎ 戰 ひける が、 終に 

討 たれて ければ- 家 仲 • 康忠が 首 を 鋒に 賞き- 大內へ 馳せ參 り- 待 賢 門に さしあげて、 喚き 

叫びた る 外 は、 仕出 だした る事ぞ なき。 • 

1 ® 申す も 疎 口で は 云 ひ あら はせ ない。 © 公卿 三位 以上 及び 參讒 •©« 上ス ra: 位 •: も: 位 • 六 

の 御所 夜 討附信 SI が 宿所 燒き拂 ふ 事 二 六 五 



二 六 六 



i 丑の刻に 

信 SI の 宿所へ 

押し寄せて 火 

を 懸けた • 



位の 昇殿 を 許された 者。 ©局 部屋。 ©艾 房 女官。 CS} 灰爐 灰と 燃えさし。 © ほとばしり とび 散 

る。 © 阿 IG^ 秦の始 皇帝の 宮殿。 ©釆 女 漢 代の 女官。 © ^祿 火災。 ©H: 卿 八ム 卿。 © 雲 客 ^上 

人。 @ 鋒 や, 9 の 先。 © 仕出, たした る 事 立派な 事。 

S 三倏 殿の 有樣 はとても: I で 申す こ とも 出来ぬ ほどの 騒ぎで ある。 門々 を 武士 どもが 守って るる 上 

に、 所々 に 火の手が 舉 つてる る。 猛火 は 空に 一 ばい 擴 がって、 暴し い 風が 煙 を 吹き上げて 雲の 群った 

やうで ある。 公卿 • 殿上人、 それから 局の 女官 達に 至る まで、 これ も 信- g の 一 味で あるか も 知れぬ ふ 思 

つて、 射 伏せ、 或は 射殺す と、 火に 燒 けまい とて 出る と 矢に 中り、 矢に 中るまい と 引き返す と 火に 燒 

け、 矢 を 恐れ、 火 を 避ける 者 共 は 井 戶に澤 山 飛び 人った。 しかし それ も 一時 だけの 事で、 下の 者 は 水 

に 溺れ、 中に るる 者 は 上下に 壓 されて 死に、 上の 者 は 火に 燒 けた。 何 層に も 造り 重ねた 御殿 は 烈しい 

風に 吹き まくられて、 火が 地 を 走り 廻った から 如何なる 者で も 助からない。 かの 秦の始 帝の 阿 1S5 宮 

が燒 けた 時には 后妞ゃ 女官が 身 を 1g ぼす 事はなかった のに、 この 仙 洞 御所の 火災に は 公卿 殿上人が 命 

を 失った の は あきれた 事で ある。 左 兵 衞尉穴 江 家 仲 • 右衞門 尉平 康忠は 此處を 死 場所と して 1 生 懸命 

に 防ぎ 戰 つたが、 終に 討 たれて しまったから- 家 仲と 康忠の 首 を 槍の 先に 突き通して 禁中へ 馳せ參 り、 

待 賢 門に さし 上げて、 喚き 叫んだ 外に は 別に 大した 手柄 をした 事 もなかった。 

同じ 丑の刻に、 信 西が 宿所、 姉ガ 小路^ ノ洞院 へ 押 寄せて 火 を 藤け たれば、 女 • わら はべの あ 

わて て 迷 ひ 出で ける を も、 信 西が 姿を替 へて や 53 ぐらん とて、 多くの者を靳..^伏せけり。 

1 © 丑 午前 二 時。 

i 同日の 午前 二 時に 信 SI の 邸宅の 姉 小路 西 洞院へ 押し寄せて 火 を 付けた ところが、 女 や 子供の あわ 

て、 迷 ひ 出た の を も、 信 西が 姿 を 代へ て 逃げる のか も 知れぬ と 思って、 澤 山の 者 を 斬り 倒した。 



は-、 



し 



火 



保 元の 亂 

以後 は 世 は 太 

平 無事で あつ 

たのに、 今や 

兵 共が 京 白 河 

に充滿 して、 

行末 どうなる 

ことかと 何れ 

も 心配した。 



8 十 B の曉 

六波羅 から 立 

つ た 早馬が、 

切部の宿で^^.? 



, ; i$z { 都 §tl し を 忘れ、 歡娱遊 宴して, ドの屋 を 

Hi い"、 r ほ Hnrys 

1 aa. 世 s 中が? り 人 B は 安"" はに" あつたのに、 §§i^ 

J l-f J 宴 u 一世, "rtuus バー sr! 中 は 特に? で- V" 

い 人 もなかった。 

四 六 波 羅ょリ 早馬 を紀 州に 立てら る." 事 

n ソ飞 I- .s^l- の 宿: て 追 著き たり。 淸盛 「如何に ぞ。」 と 

i i^^^ulil f 入道の 

問 ひ 給へば、 「去ぬ る 丸 日の 夜 if4t ; ;^、 纏 i 殿 を 相 語らって、 當奢 滅ぼし 奉 

宿所 も、 燒き拂 はれ 候 ふ。 これ は 唯右衞 ns P ーリ If 

六波羅 より 早馬 を紀 州に 立てら る、 事 



二 六 八 



盛に^?!著ぃて 

三倏 12 と 信 西 

の {1? 所が 信賴 

と義 朝に 依つ 

て 燒き拂 はれ 

た 事、 及び 平 

家 を倾 けよう 

としてる る 事 

とを吿 げた。 

盛 は 軍; 盛の 

意見に 依って 

直ちに 京へ 引 

返す 事に し、 

家 負の 用意し 

てるた S.3I 弓 

箭に身 を 固め 

て 路を 急い 



らんとの 謀と こそ 承り 候へ。」 と 申せば、 淸盛 「急ぎ 下向すべき か。 これまで 參 つて- 參詣 を 

遂げ ざらん も 無念な り。 如何すべき。」 と宣 へば、 左 衞門ノ 佐 重 盛 一 熊 野參詣 も、 i 當 安穏の 

御 祈 ばに てこ そ 候 ふらめ。 其の ヒ. 君 逆臣に 取 籠め られ させ 給へ るな り。 爭 でか 武臣と して- 

これ を 救 ひ 奉ら ざらん。 神 は非禮 をう けす- 何の 苦しく 候 ふべき。 <t わぎ 御 下向 あるべし。」 と 

中され ければ, 皆 此の 議にぞ 同じけ る 。「それに 取って、 敵に 向つ て歸洛 せんやが、 物 具 一 領 

もな きをば、 如何ず べき。」 と 歎き 給ふ處 に、 筑 後乂寸 家貞、 長櫃を 五十 合、 重げ に界 かせた 

りし を 取 寄せて- 五十 領の 鎧、 五十 腰の 矢、 其の 外物 具 ども を 取 出して 奉る。 「弓 は 如何に。」 

と. N へば、 大 なる 竹の あ ふごの 中に、 節 をつ いて 入れたり ければ、 即ち 五十 張の 弓 を 取 出せ 

り。 やがて 家 貞は、 滋目 結の 直垂 に、 洗 革の 鎧 著て * 太刀 脇 挟み T 大將 軍に 仕へ 奉る 者 は、 

たん ぞ 5 

斯う こそ 用意 すれ。」 と 申せば、 侍 ども も、 「あはれ 高名 かな。」 とぞ 感じけ る。 熊 野の 別 當堪增 

が 田邊に 在りけ るに • 使 を 立て 給へば、 兵 二十 騎 奉る。 ? il 淺.^ 權ぶ 寸宗重 * 三十 騎 にて 馳參れ 

ば,、 彼此 百餘騎 になり けり。 

© 早馬 急使。 © 切 部の 宿 切 王子の 社の ある 宿。 ©赏 家 平家。 © 現當 現在と 未來。 © 祈 

祈願。 © 神 は非禮 を 受け や 左傳 にある 語で、 神 は 驟燒に 背いた 祈り は 受けない。 ©1^ じ 賛成" 

© 歸洛 せんやが 京に 歸 らうと する のに。 © 物 具 甲 由 I 等の 武具。 © 五十 合 五十 函。 © 五十 膝 五 

十の 旅。 ©め ふご ^。天秤棒。 © 節 をつ いて 竹 2 節 をつ いて 拔く。 ©滋 目 結 鹿の子 絞りの 一種。 

通の 絞りよりも の 一 層滋 いもの。 ©」K 革 薄紅 色の 革で 械 した 鏜。 © あはれ あ、。 © 湛增 



i 惡源 太が 

三千 餘騎で 安 

倍 野に 待って 

るると 云 ふ 



原湛 快の 子。 

さて、 十日の 曉に 六波羅 から 出た 急使が 切 部の 宿で iiS 盛の 1 行に 追 ひ 著いた。 ^^£盛が「どぅした」 

とお 問 ひになる と 、「去る 九日の 夜、 三條 殿へ 夜 討が 入って、 御所 を 燒き拂 ひました。 少納言入^^信 

西の 宿所 も 燒き拂 はれました。 これ は 唯信賴 殿が 義賴殿 を 味方に 引き入れて、 (:s 家 を 滅ぼし 奉らう と 

の 計略. たと 承ります」 と 申す と、 ^^2盛は、「急ぃで^|京しょぅか。 こ、 まで つて、 熊 野 神社へ 央 f 詣し 

な いのも 残念である。 ど-つしょう」 と 仰せられ ると、 左 衞門佐 重 盛が 「熊 野參詣 も现. ^及び 未 來の安 

ら かで 無事で あるよう にとの 祈願で ございませう。 その上, 天子が 謀叛の 121 下に-取 籠め られ ておい 

でになる のであります。 どうして 武臣と して これ を 救 ひ泰ら やにる られ ませう。 神 は^に 背いた lig り 

はお 受けに なりません。 參詣 しないで 歸 つたと て 何の 惡 いこと がご ざい ませう。 <:-4 いで 御 it 京され る 

のがよ ろしいで せう」 と 申された から, 皆 この 意見に 賛成した。 「それにしても、 敵の 方に,!: つて 京 

しょうと する のに、 物 具 1 領もな いのは どうしたら よから う」 と 御 心配して おいでになる ところへ、 

筑後守 家貞. か. 4^ 櫃を 五十 函赏 さう に舁 がせて 來 た^を. 取り寄せて, 五十 領の 13 と、 五十 膝の 矢 やその 

他の 武具 ども を 取 出して 奉った 。「弓 はどうしょう」 と 仰せられ ると、 大きな 竹の 天秤 枠の 節 を抆 いた 

中へ 入れて あつたから、 早速 五十 張の 弓 を" 取り出した。 直ちに 家 貞は 滋ロ 結の W 垂に、 洗 本の 9! を 著 

て、 太刀 を 脇 挟みつ、 「大將 軍に 仕へ 奉る 者 はかう いふ やうに 用意 をす る」 と 中す と、 侍 ども も 「あ 

/實に 大した 手柄 だ わい」 と 感心した。 熊 野の 別 常の 港增が E 逢に. Q たのに、 使 をお?. ^ はしに なると 1 

兵 を 二十 駱 奉った。 55! 俊 權守宗 直が 三十 騎で 馳ザ參 つたので、 あれ や これ を 合 はせ て 百餘^ になった • 

爱に惡 源 太、 三千 餘騎 にて 安倍 野に 待つ と 聞え ければ, 1®^^ 「此の 無勢に て、 大勢に 合うて 

討た れん 事 こそ 無念 なれ。 先づ これより 四國へ 渡り、 勢 を 催して 後日に 都へ 入らば や。」 と宣 

へば、 重 盛 重ねて. s:- されけ る は T それ もさに て 候へ ども、 事 延引せば、 定めて 常 家對 治の 山 



四 六^?^羅ょり早馬を紀州に立てらる、事 



二 六 九 



二 七 〇 



だった ので、 

s§ 盛 は 四國へ 

渡って、 後日 

都へ 入りたい 

と 仰った が、 

重 盛 も 家貞も 

即時が よいと 

云った ので、 

涛盛も その 意 

見に 從 つて 都 

へと 引返した 



8 大將 以下 

皆淨 衣の 上に 

鎧 を 著て、 熊 



諸 II へ 院宣 綸旨 をな しかくべし。 却って 朝敵と なりなん 後 は、 後悔す とも (化 ある まじ。 多勢 

を 以て 無勢 を 討つ 事、 常の 事な り。 敢て 弓矢の 瑾 なら や。 然れば 無勢な りと も. かけ 向って 

養) 

即時に 討死した らんこ そ • 後代の 名 も 勝る ベ けれ。 何とか 思 ふ 家 真。」 と宜 へば、 筑 後乂ォ 「六 

波 羅の御 一 門 も. さ こそ 覺束 なう 思 召す らん。 急がせ 給へ。」 と 申せば, 淸盛 も、 「然るべ し。」 

とて、 都 を 指して 引返す。 

1 © 無念 殘念。 ©さ にて 尤もで。 ©對 治 討伐。 © 院宣 上皇の 勅命。 ©输3 口 天子の 御 命令 _ 

© 弓箭の 瑾 武 土の 恥。 © さ こそ さぞ かし。 

i こ、 に惡 源太義 平が 三千 餘騎で 安倍 野で 待って るると 云 ふ 評判だった から、 盛が 「この 少ぃ軍 

勢で 大勢に 向って 行って 討 たれる のは殘 念で ある。 先づ こ、 から s: 國へ 渡-^、 勢 を 催し 集めて, 後日 

になって 都へ 攻め入. 5 たい」 と 仰せられ ると、 重 盛 は 重ねて 申された に は、 「それ も 尤もで は ございま 

すが、 この 事が 遲れ ますと、 きっと 當家を 討伐せ よとの 院宣 綸旨 を睹國 へ觸れ 廻す でせ う。 却て 朝敵 

となり まし た 後 は 悔いても 利益 は あ. 9 ますまい。 多勢で 小勢 を 討つ はめたり 前の 事です。 だから 負 

けても 强 ひて 武士の 恥で はめり ま ザん。 ですから 無勢であって も K け 向って 直ちに 討死す るの は 後代 

に 於け る 名譽も 高まる でせ う。 どう 思 ふ 家貞」 と 仰せられ ると、 家貞 が、 r 六 波 羅の御 一族 達 もどん な 

にか 不安心に 思 召す でせ う。 急いで 御歸 京なさい」 と 申す ので、 ii"? 盛 は 「それが よから う」 と 云って、 

都 を 指して 引き返した。 

大將 以下 皆淨 衣の 上に 鎧 を 著, 「敬 禮 熊野權 現, 今度の 合戰 事故な く 討ち 勝た させ 給へ。」 と 

祈請して、 引つ 駔 け,/ \ 打つ 程に、 和 泉と 紀 伊の 園との 境なる 鬼の 中 山に て、 蔑 毛なる 馬に 



野權 現に 今度 _ 

の 戰勝を 祈つ 

て、 馬 を 急が 

して 行く うち 

に、 和 泉と 紀 

^との 國 境に 

ある 鬼の 中 山 

で 六波羅 から 

の 早馬に 出逢 

つた。 六波羅 

の 樣子を 聞く 

とま, た 何事 も 

ない。 播磨中 

將 殿が 憑って 

見えた の を、 

內 裏から 宣旨 

だとて 召され 

たから 出し ま 

るら せた、 と 

云 ふので > 重 

盛 は 怒った。 

それから 惡源 

太が 待って る 

ると 云 ふ^は 

嘘で あり、 ^ 

四 ナ 



乘 つたる 者、 早馬と おぼしくて, 揉みに 揉う で 出で 来たり。 す は惡源 太が 使よ と、 ル;: 人 色 を 

失 ふに、 源氏の 使に は あらす して, 六波羅 よりの 早馬な り T さて 六波羅 は、 如何に。」 と 問 ひ 

ば がり (issffi 憲) 

給へば, 「昨日 夜半 許に 出で 候 ひしまで は、 何事 も 候 はす。 播 IT 屮將 殴の 憑み て 御 渡り 候 ひ 



し を、 內 裏より 宣旨 とて、 敷 並に 召され 候 ひし 間、 力なく 十 口の 暮 程に、 出し まるら させ 給 

(重 S) 

ひて 候 ふ。」 と 申しければ、 左衞 門.' 佐 「無下にい ふかひな き 事せられ たる 人々 かな。 常 (豕 を、 

みて 來れる 人 を, 敵の 手へ 渡す とい ふ 事 や ある。 斯くて は 御 方に 勢 嵐 きなん や。」 とぞ 怒られ 

ける。 

「さても 惡源 太が、 安倍 野に 待つ とい ふ は • 如何に。」 と 問 ひ 給へば T 北 ハの儀 は ei" て 候 はや。 

伊勢.' 國の 住人 伊藤の 兵 ども こそ、 都へ 入らせ 給 はば, 御供 仕らん とて、 三百 餘騎 にて iS ち 

ま ゐらせ 候 ひつれ。」 と 申せば、 「敵の 惡源 太に て は あらす して、 よき 御 方 ござん なれ • 打て や 

者 ども。」 とて、 皆 人 色 を 直して、 我れ 先にと 進む 程に、 和 泉.^ 國大鳥 の宫に 一 者き 給 ふ。 

i ©淨 衣 d い 狩 衣。 昔、 神事 又は 祭事の 鱧 服と した もの。 © 敬 鱧 敬って 蹬 する。 どうぞ。 © 事 

故な く 無事に。 ©-ま 毛 白に 黑 のさし 毛の ある 馬。 ©揉 みに 揉う で 他の 者 をお しのけ て。 © 色 ハ i 

失 ふ びっくりして 額 色 を かへ る。 ©憑 みて たよって。 © 御 渡 おいでになる。 ©.!;:!4 旨 勅命。 

© 敷 並 しきりに。 ひきつづいて。 © 力なく いたし 方な く。 やむ を 得す。 © いふか ひなき 口に:. ム 

ふ 甲斐 もない 意で、 瞭病、 卑怯。 ©It^ 軍勢。 © ござん なれ にこ そ ある なれ、 の 約で ある, © 打て 

や 馬 を 打ち J^.- めよ。 ©大 鳥の 宮 大鳥 神社。 日本 武 t:- を祀る * 

波 よ bl 十 馬 を紀 州に 立てら る、 事 二 七 1 



勢國の 伊藤の 

兵 どもが 三百 

餘騎で 待って 

るると 云 ふの 

で、 馬 を 急が 

せて 和 泉國大 

鳥の 宮に 著い 



B 內裏 では 

同じき 卜 九日 

に 公卿 As^ 議が 



大將^ 盛 以下 皆 白の 狩 衣の 上に 鎧 を 著て、 「何卒 能 i 野權 現よ、 今度の 合戰は 無事に 討 tc 脇た して 下 

さい」 と 祈願して、 馬 を 大急ぎに 走らせて 行く 內に、 和 泉と 紀 伊の 國 境に ある 鬼の 中 山で、 逮 毛の 馬 

に 乗って るる 者が、 急使と 思 はれて、 他の 者 を 押しの ける やうに 我 先き にと 大 あわてで やって 來た • 

さあ、 惡源 太の 使 だ、 と 皆の 人 はび つくりして 額 色 を へたが、 それ は 源氏の 使で はなく して、 六 波 

羅の 平家の 邸からの 急使で ある。 「さて 六 波 羅の檬 子 はどう だ」 とお 問 ひ に な ると、 「私 は 昨日の & : 十 

時分に 出ました が、 それまで は 何事 も ございません。 播 磨中將 殿が 平家 をた よって 御いで になり まし 

たが、 禁中から 勅命 だとて、 しきりに お召しに なられました から、 致し方な く 十日の 晚方顷 にお 出し 

まるら せました」 と 申す と、 重 盛 は r 實に云 ひやう もな く 卑怯 千 萬の 事 をな さった 留守の 人々 では あ 

る。 當家 をた よって 來 てるる 人 を 敵の 手に 渡す と 云 ふ 事が ある だら うか。 こんな 事で は 方に 軍勢が 

加 はる だら うか」 とお 怒りに なった。 

「さて 惡源 太が 安倍 野で 待って るると 云 ふの は、 ほんと かどう, た」 とお 問 ひになる と、 「そんな 事は少 

しも ございまなん。 伊勢 國の 住人 伊藤の 兵 どもが、 皆樣 方が 都へ お入りに なりましたならば、 合戰の 

御供 をいた さう とて、 三百 餘騎で 待って おいでになり ま T」 と 申した ので、 「待って. Q るの は 敵の 惡^ 

太で はなく して、 よい 味方で ある。 馬 を 打って 進めよ、 皆の 者 共」 とて、 ^の 人 は 顔色 を 直して、 a 

分 先き にと 進んで 行く 內に、 和 泉 國大鳥 神社に 著いた。 

五 光 賴ノ卿 の 參內の 事 

內 裏に は、 同じき 十九 日に、 公卿 贫議 とて 催されけ り。 勸修 寺.^ 左衞 門,' 督 (光 頓.' 卿、 此の程 は 

信頼 ノ 卿の 擧動 過分な りと て、 不參 にて おはし ましけ るが、 參內 して 承らん とて • 殊に あざ 



催された。 光 

頼 卿 は 信賴の 

舉動が 過分 だ 

とて 今まで 參 

內 しないで ゐ 

たが、 一 つ 承 

らうと 田! 3 つ て 

傅子の桂右^^- 

允範? 化 を 引き 

連れて 參 内し 

. 一 



殿上 を兑 

五 



やかなる 束帶 引き 繕 ひ、 薛 縫の 細 太刀 をお となし やかに 帶き給 ひ、 傅チの 3r 右 Hir 允範 能に、 

膚 に腹卷 著せ、 § 色の 装束に 出で立た せ、 「.nl 然の事 も あらば. 人手に 懸 くな。 汝が 手に 懸け 

て、 光 賴が首 をば 急ぎ 取れ。」 とて、 御身 近く 置き • 其の 外淸げ なる 雜^ 四 五 人?: p^k 、して、 大 

軍陣 を 張つ て 所々 の 門 門 を 固く 守護し ける を 事と もせす、 前 高らかに 追 はせ て 入り 給へば、 

兵 ども も 大きに 恐れ 奉り、 弓 を 平め 矢 を そばめて 通し 奉る。 

i © 同じき 十九 日 平 治 元年 十二月。 © 公卿 議 公卿 全部の 評議。 © 來帶 醴服。 冠 を かぶり、 

^^*下襲*表挎を著し、 石帶で 結束す る。 綺の細 太刀 鞘に _s 紛 をした、 中身 を 細く 作った 太刀 

で、 儀式の 時に 帶 びる もの。 ©_傳 子 守役の 子。 © 右馬允 右 馬 察の 判官。 @ 腹卷 燈の 一 种。 背で 

合 はせ る やうに なった もの。 ©雜 色 雜 役に 從 事す る 者。 ©a 然 もしもの 事。 殺される やうた、; y い 

時。 © 前 先拂 ひ。 © 牛め 伏せて。 

i 禁中で は 同月 十九 日に • 公卿 達の 總會 だとて 會議が 行 はれた。 渤修寺 左衞門 43 藤 光 船 卿 は、 此 

の 頃 は、 信賴 卿の 行動が 自分の 身分に 過ぎて るるの が 痛に さわる とて, 參内 しないで ゐられ たが、 ヶ 

日 は 一 っ參內 して 評議 を 承らう とて、 特に 立派に 鱧 装され て、 it 緣 のした 細 太刀 を かにお 帶 きにな 

り、 傅 子の 桂 右馬允 範 に膚に 腹卷を 著せ、 雜 色の 服装 を させて、 「もしも 1 大事の 事が あれば • 人手 

にかけ させるな、 お前の 手に かけて この 光鎮の 首 を 急いで 取れ」 と 云って、 御,:::: 分の 身に 近いと ころ 

に 置き、 その他、 さつば りと 小 綺麗な 雜色四 五 人 を 召し 述れ て、 多勢の 5^ が陣を かまへ て、 所々 や 門 

々を S く 守って るるの を もび くと もせす、 先 拂ひを 高らかに 追 はせ てお 入りに なった ので、 兵 共は大 

へん 恐れ 奉って、 弓 を 伏せ、 矢 を 側に いてお 通し 申した。 

紫袁 殿の 後を經 て、 殿上 を 廻りて 兑 給へば. 信賴, ^卿 一座して、 北ハの 座の 上^ 達 下に ぞ著 

光親 卿の 參內の 事 二 七 一一 一 



ると、 信賴が 

上座して るる 

光賴は 座席の 

亂れ てるる こ 

と をぶ つぶつ 

云 ひながら * 

信賴の 上に 座 

つた。 さう し 

て 何の 命議か 

と 問うた けれ 

ども、 誰 こそ 

一 言の 返答す 

ろ 者 もな く * 

まして < ^議 の 

沙汰 もない。 



二 七 四 

かれた る。 光 賴ノ卿 「こ は 不思議の 事 かな。 人 は 如何に 振舞 ふと も- あれ は 右衛門, 督- 我れ 

は 左 衞鬥. ^督 なれば、 下に は 著く まじき もの を。」 と 思 はれければ、 左大辨 宰相 長方ノ 卿、 末^ 

の 宰相に てお はしける に 、「今日の 御座 席 こそ、 よに しどけ なう 見え 候へ o」 と 色 4.- して- やん,々、 

と 歩み、 信賴. '卿の 上に む やと 著き 給 ふ。 光 賴ノ卿 は * 信頼の 爲に は-母方 のまなる 上 • 

の 剛の人 なれば、 殊に 恐れて 兑 えられけ り. - 右の 袖の 上に 居 £l けられて. 伏 nil になり て 色 を 

失 はれければ • 著 座の 公卿 あな あさましと 見 給 ふに、 光 賴ノ卿 は, si がしり 引き直し、: i^g 

きしょく 

つくろ ひ、 取り直し 氣 色して、 「今日は 衞府 ノ督が 一 座す ると 兑 えて 候 ふ。 召しに 參ぜ ざら 

ん者 をば、 死罪に 行 はるべし とやらん 承って、 參內 する 所な り。 抑 も 何事の 御読ぞ o」 と 問 ひけ 

れ ども、 信賴 物も宣 はす、 著 座の 公卿 も 一 言の 返答な かりければ、 まして ま議の 沙汰 もな し。 

1 © 紫宸殿 南 殿と も 前 殿と も稱 し、 宮城の 正殿で 南面し、 九 間 四面で、 ま 西 九 丈 • 南北 七 丈 五 尺 

である。 朝 so" • 節 會. 即位 等の 公事 3 行 はれる 所。 © 殿上 殿上の間の ことで * iis 凉 殿の 南 庇に あつ 

て, 公卿 *殿 上人の 何 候す る 所。 ©1 座 上座す る。 © 上 藤 貴族。 © 右 衞門督 • 左 門門督 左が 上 

である。 © 左大辨 宰相 左 大辨で 宰相 を 兼ねてる る こと。 左大辨 は、 左 辨官の 長官 * 辨官 は、 八 省 を 

分誉 し、 宮中の 庶^ ど 執る 者。 宰相 は、 參議を 唐 風に 云った もので、 禁中で 諸政に 参議し、 國 ぉを觀 

察する 役。 © よに 大 へん。 © しどけ なし しまりがない。 © 色 代 會釋。 © む づと どし りと。 © 

母方の 舅 舅 は 叔父。 © 剛の者 心の しっか. - した 者。 懸けられ 坐り かける。 © あさまし あ 

きれる。 © 下 襲の しり 束帶の 時、 ^の 下に 著る 衣の 名. その 背後の 長く 引く 据 (ス ソ〕 を 裾 (キヨ) と 

云 ふ、 これが しりの ことで ある。 ©. 衣紋つ くろ ひ 装束の 襟 を 正す、 ©氣 色して 樣子 ぶって。 © 御 



@w 暂 らくし 

て 光 頼 は 立ち 

上って、 惡ぃ 

ところへ 參っ 

たと 云って 出 

て 行った。 庭 

上に 滿ち てる 

た 兵 ども は、 

光 頼の 立 な 



詫 仰せ。 * 一 

紫宸殿の 後 を 通って、 殿上 を 廻って 御. 覽 になる と、 信 親 卿が 1 ばん 上座に ついて、 その 座に るる 一 

信龃 よりも 上 藤の 人々 は 皆 下の 座に ついて 居られる。 光 頼 卿 は、 「これ は 不思議の ことで ある わい。 他 1 

の 人 は どんな 搌舞 をしても、 信 賴は右 衞門督 で、 自分 は 左 衞門督 だから、 下に はっくまい」 と 思 はれ j 

たから、 左大辨 宰相 長 方 卿が 宰相の 末席に おいでになった が、 光 頼 は 「今日の 御^ 席 は 大^し まりが^ 

ない と 思 はれる」 と會釋 して、 靜 かに ゆったり と 歩んで 行って、 信 組 卿の 上に づ しりと お 著き になつ 一 

た。 光敏 卿 は 信 賴の爲 に は 母の 方の 叔父で ある 上に、 力の 强ぃ、 心の しっか. 5 した 人で あるから、 P 

頼 は 特に 恐れて 見られた。 信賴は 右の 袖の 上に 座. 5 かけられて、 伏 s になって- 餌の 生氣を 失った の 一 

で、 そこに 座って るる 公卿 達 は、 資 にあ きれた 事 だと 思って 御^にな つてる ると、 光 紐 卿 は * 下 襲の; 

裾 を 引き直し、 樣子 ぶって、 「今日は 信 親が 一座 をす ると 思 はれます。 召に 應 じない 者 を 死罪に 返せら.; 

れる箬 だと か 承って 參內 いたしました。 さて、 何事の 御 相談です」 と 問うた けれども、 信 船 は 何も 仰 j 

せられす、 著 座の 公卿 も 一言の 返答 もなかつ たから、 まして 命議を するとい ふこと もない。 一 

程經 て、 光頼ノ 卿つ い 立って、 「惡 しう 參 つて 候 ひけり。」 とて、 閑々 と 歩み 出 でられけ り。 庭 • 

上に 充も滿 ちた る 兵 ども * 之 を 見 奉って T あはれ 此の 殿 は • 大剛の 人 かな。 去ぬ る 十 口より、 

し 5;- し (ほ 

多くの 人出 仕し 給 ひつれ ども、 右衛門" 督 殿の 座 上に 著く 人、 一人 もお はし まさ ざり つるに ノ 

仕出した る 事よ。 鬥を 入り 給 ふより、 聊か も 臆した る 體も兑 え 給 はす。 あはれ 此の 人 大將ー 

として 合戰 せば. 如何ば かり か 頼もし からん。」 と 巾せば、 傍なる^、 「昔 賴光. 顿信 とて、 源 一 

氏の 名將 おはしき。 其の 賴光を 打 返して、 光 頼と 名乘り 給へば、 是れ も剛に まします ぞ かし。 

といへば, 又 傍より- 「など 其の 頼 信 を 打 返して. 信 賴と附 き 給 ふ右衞 Ir^ 殿 は あれ 程に^ 一 

二 七 五 j 



五 光賴; i の參 内の 事 



二 七 六 



ると 共に、 信 

賴の 臆病 さ を 

謗った。 



i 光 賴は急 



病に はお はします ぞ。」 といへば、 「壁に 耳、 天に 口と いふ 事 あり。 怖ろ し、 怖ろ し、 問 かじ。」 

と 云 ひながら, 皆 忍 笑に 笑 ひけり。 

9 © つい 立って つき 立ちての 音便。 ©惡 し. っ參 つて 候 ひけり 惡ぃ、 用 もない 所へ 參 つた。 {i^ 大 

n 大 へん 心の しっかりし てるる こと。 © 去 ぬる 十 H 平 治 元年 十二 十日。 © 出仕 出勤。 © 仕出 

したる 事よ でかした 事 だ。 ©賴 光 源滿仲 2 子。 阊融 • 花 W. 了 條 ニニ 條* 後 一條の 五 朝に 事へ、 

剛勇で 射 を 善くした。 大江 出の hS 吞 童子 を 返 治した 話 は 有名で ある。 ©賴 信 鎮 光の 弟。 やはり 剛勇 

であった。 © 壁に 口 云云 何度で 誰が 聞いて るる かも 知れぬ から 知れる とい ふこと。 © 忍び 笑 人に 

知れぬ やうに 笑 ふ。 

@ 暫くして 光 賴卿は 立ち上って T 惡 いところ へ參 りました」 と 云って、 靜か に步 いて 出られた。 庭 

の 上に 一 ばいに 滿 ちて るた 兵 ども はこれ を 見 奉って、 あ、、 この 殿 は- K に剛の 人で あるな あ。 去る 十 曰 

から 多くの 人が 朝廷に 出勤され たが 右衛門 督の座 上に 著く 人 は 一 人 もお いでに ならなかった のに • え 

らい 事 をで かされた 事 だ。 門 を 入られる 時から ちっとも 廬 した 樣子 もお 見えに ならなかった。 ほんと 

にこ G 人 を大將 として 合戰 したら、 どんなに かカ强 いこと だら う」 と 申す と, 傍に るた 者が、 nfj::l、 賴 

光 *頼 信と 云って、 一?i 氏の 名將 がお いでに なった。 その 賴光を ひっくり返して、 光鎮と お名乗り にな 

つてる られ るから、 これ もや はりし つか hN してお いでになる ので ある ぞ」 と 云 ふと、 又 傍から 「どう 

して その 賴信を 打 返して、 信賴と名をぉ附けになってるられる右衞門督殿はぁんなに臆^^でぃらっし 

やる のか」 と 云 ふと、 「壁に 耳、 夭に 口と いふ 事が ある。 誰が 何處で 聞いて るる かも 知れぬ。 恐い、 S 

い、 俺 はそんな 惡 ロは闭 くまい ぞ」 と 云 ひながら、 传く すく 笑 ひ をした。 

光賴, 卿 かやう に 振舞 ひ へど も, ,急ぎても 出 でられ や、 殿上の 小 都の 前、 見參 の杈、 高ら 



いで も 出 や、 

弟の 惟 方 を 招 

いて、 先 B 信 

親の 革 G 尻に 

乘 つて, 信? I 

の 首 檢の爲 

に 神 樂!: へ 行 

つた 事 を實め 

f 



かに 蹈み 鳴して 立 たれたり ける が、 荒海の 障! 4^ の 北, 萩の 戶の邊 に、 弟の 別當惟 方のお はし 

ましけ る を * 招きつ、 {ー且 ひける は、 「公卿 食議 とて 催されつ る 間, 參 じたれ ども、 承り 定めた 

る 事 もな し。 誠 やらん、 光賴も 死罪に 行 はるべき 人數 にて あなる。 傅へ 承る 如き は* 共の 人 

皆當 時の 有職、 然るべき 人 どもな り。 其の 中に 入らん 事、 甚だ 面目なるべし。 さても 先日 

(信:^) (信 西) か 

右衛門ぶ 气か 車の 尻に 乘 つて • 少納言 入道が 首實 撿の爲 に神樂 が!: へ 向 はれけ る 事 は 如何に。 

以ての外 然るべ からざる 擧 動かな。 近衛.' 大將 .檢 非違 使 ノ別當 は-他に 異なる 靈職 なり。 北ハ 

の 職に 居ながら * 人の 車の 尻に 乘. 給 ふ 事 * 先蹤も 未だ 聞き及ば や、 當時も 大きに 恥 1^ なり ( 

な? -ん づ,、 なんび" つ 4 ^方) 

就中 首 實檢は 甚だ 穏便なら や。」 と宣 へば • 別當 「それ は天氣 にて 候 ひし かば」 とて、 赤面せ 

られ けり。 



i ⑤小 iiS 殿上の間 は 東西 四 間の 室で、 奧は壁 を 以て 界し • 南に 小 庭が ある。 この {.ェ の 屮に生 上が 

御覽 になる ために、 壁に 小さい 窓が 明けて 挤子を かけて ある。 これ を 云 ふ。 ©:;^ 參の权 一 SN:^ 权。 

凉 殿の 弘廂の 南の 入口の 根で、 そこ を步 くと 音が する やうに なって るる、 これ は 人の W 人 を 知らし 

める 爲 である。 @ 荒海の 障子 殿の 弘廂の 北の はしに ある 銜 立で、 荒海に 手長 足- 4i の 一:w る紛 がさ 

いて ある。 © 萩の 戸 i^s 凉!^ の 西に ある 問。 © 別赏 檢 非違 使の 長官。 © 誠 やらん 本? W であらう か" 

承る に。 @ あなる あるなる の 約。 © 有職 學問 • 見識の ある 人。 © 先日 十 ra: 日の こと。 © 首赏驗 

ほんと に その 人の 首 かどう かしらべ る こと。 © 神樂 1: 京都 吉 田の^に ある 小 丘。 © ;大氣 勅命 • © 

然るべ から や よろしくない。 © 他 に異る 他の 職と は:」 jti ふ。 © 先踨 先例。 ©St" 便 お, たや かなこ 



五 光賴 卿の 參內の 事 



二 七 七 



二 七 八 



9 惟1^ の 勅 

:;?^ だった から 

と 云 ふ 返答に 

對 して、 惟 方 

の 不心得 を 諭 

し、 朝廷の 安 

穩 である やう 

に 思案せ よと 

命じ、 主上 • 

上皇の 御座所 

など 1 々尋ね 

た • 



光輯卿 はこの やうに 信賴を 1- 服させる やうな 行動 をされ たけれ ども、 急いでも お出に ならないで * 

殿上の 小 i 部の 前の 見參の 板" 高らかに 蹈み 鳴らして 立って おいでになった が、 荒海の 障子の 北の 莉の 

戸の るたり に 弟 Q 別 常 惟 方が おいでにな つたの を 招き 寄せて、 仰せられ たに は、 「承る ところに 依る と- 

この 光賴も 死罪に 行 はれる 普の 人の 仲間で あるら しい。 死罪に 行 はれる 人と 傳へ 承って. Q る 人 は 何れ 

も 現今の 有識者で 中々 立 波な 人達で ある。 その 人達- 5 仲 に 人る の は 甚だ 名譽 である。 それ は それと 

して、 先日 信賴の 車の 尻に 乗って、 少納言 人道 信 西の 首の 實檢の 爲に祌 樂!: <- 行かれた 事 はどうした 

事 か。 實に 甚だよ ろしくない 行動で ある • 近 衞大將 • 检 非違 使い 別當は 他の 職と は 違って 重大な 職で 

ある。 その 職」 ついて tQ ながら、 人の 軍の 尻に 乗られる 事 は、 先 1: にも まだ 聞いた 事が ひく、 ^今 も 

大 へん 恥で ある。 中に も 首 買檢は 甚だ 穩か でない」 と 仰せられ ると、 別?!? S は 、「それ は 勤 命で ございま 

したから 致し方が ありません j と 云って 赤面され た。 

光頓. '卿 重ねて. 「こ は 如何に 勅 読 なれば とて、 いかで か存 やる 旨 を、 一議 中 さ VtnV へき。 我 

な; そ , わ .i.- ゆ ils- (藤 方〕 

等が ft 祖勸修 寺,^ 內 大臣 ニニ 條.^ 右大臣, 延 喜の 聖代に 仕へ てより このかた 君旣に 十九 代、 臣 

叉 十 一 代. 承り 行 ふ 事 は、 $; これ 德政 なり。 一度 も惡 事に 從は す。 當家 はさせる 、雄に は あ 

ら ざれ ども * 偏に 有 道の 臣に 作って、 讒 佞の 輩に 與せ ざり し 故に. 昔より 今に 至る まで、 人 

にさし もど かる、 程の 事 はな かりし に御邊 始めて 暴 惡の臣 に 語ら はれて、 累 家の 佳 名 を 失 は 

ん蔡、 口惜し かるべし。 大貳淸 盛 は、 熊 野 參詣を 遂げ やして. 切 部の 宿より 馳 上るな るが、 

和朵. 紀 伊の 國* 伊賀 • 伊勢の 家人 等 待 受けて 馳加 はり、 大勢に て あなる。 信頼 ノ 卿が 語ら 

ふ 所の 兵, いくばくなら じ。 平家の 大勢 押 寄せて 攻めん に は, 時刻 を や 廻らすべき。 若し 又 



火な ど を 懸けな ば. も爭 でか 安穩に 渡らせ 給 ふべき。 灰 儘の 地と なりた らんだに も. 朝-お 

の 御 歎なる べし。 如何に 況ゃ • 君臣と もに 自然の 事 も あらば、 天下の 珍事 王道の 滅亡、 此の 

時に あるべし。 右衛門.' 将は. 御邊に 大小 事 を 申 合する とこ そ 聞 ゆれ。 相 構へ てく 隙 を 化 ま 

ひ、 謀 をめ ぐらして • 玉體 恙なく おはします 様に. 思案 せらるべし。 さて 主上 は- 何 9^ にお 

(後.!!!^) ないし どころ 5 ん めい でん けん 

はします ぞ。」 r 黑戶の 御所に。」 「上皇 は。」 「一 本, 御 書 所に。」 「內侍 所 は。」 溫明 殿に。」 「細 

璽 は 何; 3| に。」 「夜 御殿に。」 と、 左衞? rj^: 次 第 に 尋ね 給 ひければ、 別當 かう ぞ答 へられけ る。 

i © 勅 詫 勅命。 ©1 議 一意 见。© 曩雜 先視。 © ^すでに 十九 代 ^醐 帝より 二 條帝迄 十九^。 

り 行 ふ 命に 依って 行 ふ。 い 政 仁德 める 政治。 ©: 央雄 攝政關 c の 家柄に 次ぐ 家柄。 © お 

正しい 道 を 行 ふ。 @ さしもど かる、 非難され る。 © 御邊 そなた。 © 暴惡の E 借龃 のこと。 ©Bi- 

家 代々。 © 佳 名 よき 名。 ©: 水 人 家來。 © 時刻 を や 廻らすべき 忽 て-である。 14 ぐの 間, た。 ©朝 

家 朝廷。 然の事 もしもの 事。 ©相 構へ て よく 注意して。 © 恙なく 無事。 ©黑戶 の 御所 

凉 殿の 北に ある。 ©S: 侍 所 神鏡。 ©溫 明 殿 舊內 裏の 東方に ある。 © 夜の 御殿 天 の 御』 お 所。 

S 光 賴卿は 直ね て、 「たと へ 勅命, たからと 云って、 何 欲 s、 为の考 へて るる 越 を 一 應. 5- し 上げない のか。 

我等の 先 組の 勸修 寺內大 HH . 三條右大臣が股醐帝の御代に仕へてから以來天子はもはゃ十九^^、 i 

は乂十 一 代で、 朝廷の 命に 依って 行 ふ 事 は 竹 これ 仁德の 政治で ある。 一 庞も惡 事に 從 はない。 我家 は 

大した 立派な 家柄で はない けれども、 ひたすら. 正 逍を行 ふ ほと 一緒にな つて、 心の 惡 いねな けた 者 

の 伸^に 加 はらなかった から、 昔から 今日に 至る まで * 世 n: の 人から 非難され る やうな 事はなかった 

のに、 そなたが 始めて、 亂 暴な 惡 者に 仲 15 に 引き入れられて、 我家 代々 の 立派な 名 を 失 ふの は 残念で 

あらう。 大甙 盛 は 熊野參 詣を果 さないで、 切 部の 宿から 馳せ 上って るるが、 和^^ゃ紀化の^、 

五 光賴 卿の 參 内の 事 ニ七プ 



8 朝:! の 方 

に 人 音の し、 

櫛 形の 穴に 人 

影の しつる Q 

は 誰かと 惟 方 

に 問 ふと、 そ 

れは信 賴の方 

樣の 女房で あ 

らうと 云 ふの 

で、 光 賴は世 

の 中 は 今は衰 

へ て 了った Q 

だと 歎いて、 



二八 

、 その 3:^ 京 を 待ち受けて 馳ザ加 はって、 もう 大勢で ある。 しかるに、 信賴 卿が 仲 1^ に 

引き入れた 兵 はいくら も あるまい。 平家の 大勢が 押し寄せて 攻めたならば、 その^ 亡 は 忽ちの 間で あ 

る。 もし 乂 平家が 禁中に 火で も 懸けたならば、 主上 もどう して 無事で いらせられよう。 皇! ii5 が燒 けて 

しミ ふので も、 朝廷 Q 御 歎きで あらう。 まして、 君も臣 ももし もの 事が あったならば、 夭 下の 一 大事 

で、 この 時 王道 は 滅亡す る だら う。 右衛門 督は そなたに 大小 何事 も 相談す ると 云 ふこと である。 よく 

く 注意して, 隙 をう かが ひ、 計 劃 を 立て、、 主上の 御身の 御 I; 事で あらせられる やうに 考 へよ。 さ 

て 主上 は 今何處 にお はします Q か 一 r 黑戶の 御所に.」、 「上皇 は」、 「一太 御 所に」 r 內侍所 は」 r 溫明殿 

に」 「敛璽 は何處 に」 「夜の 御殿」 にと 光賴 卿が 次々 とお 尋ねに なった から、 別當 はこの やうに 答 へら 

れた。 

又 T 朝餉の 方に 人 音の し、 櫛 形の 穴に 人影 Q しつる は、 何者 ぞ。」 と宣 へば 、「それに は右衛 r ノ 

かに ザ さ 

*1 住み 候へば * 其の 方 様の 女房な どぞ、 かげろ ひ 候 ふらん。」 と 申されければ、 光賴, '卿 聞き 

も あへ や、 「世の中 は 今 はかう ござん なれ。 主上の 渡らせ 仏? ふべき 朝餉に は、 信賴 住み、 君 を 

ば 黑戶の 御所に 遷 しま るら せたん なり。 末代 なれ ども • さすが 日月 は 未だ 地に 落ち 給 はぬ も 

の を、 天照大神 • 正 八幡宮 は, 王法 をば 如何 守り 給 ひぬ るぞ。 異國に はか やうの 例 ありと い 

へど も, 我が 朝に は 未だ かくの 如き 先 を 聞か や。 前代未聞の 不思議 かな。」 とて、 のろ/ \ - 

しげに 渾る所 もな くく どき 給へば、 惟 方 は 人 もや 聞く らんと, よに すさまじげ にて 立 たれた 

れ ども、 且は 悲しみ、 「我れ 如何なる 宿業に 依って、 か る 世に 生れ 合 ひ、 憂き 事 をのみ 昆聞 

ともがら 

くらん。 昔の 許 由に あらね ども. 今の 內裘の 有様 を 見聞かん K. は、 耳 を も: m を も 洗 ひぬべく 



すつ か.? 

萎れて る 



こそ 侍れ。」 とて、 袍の袖 絞る ばかり 泣かれけ り。 信頼の 座 上に 著せられ し 時 は、 さ しもゆ、 

しく 見え 給 ひしが、 君の 御 事 を 悲しみて. 打 萎れて ぞ 出で 給 ひける。 

i © 朝鈾 主上の 朝夕の 御 食事 を 奉る 間 • の 西 庇に ある。 朝 は 朝廷の 朝で ある。 © 櫛 形の 穴 

櫛の 形 をした 穴。 涛凉殿 鬼の 間の 壁の 窓で ある。 女房な どが 殿上の 事 を 〇ぞ き = ^る^に 設けた 穴 だと 

云 ふ。 © そ の方樣 その 方。 © かげろ ひ ちらつく。 © か うご ざん なれ かく こそ ある なれ、 G 約 音- 

この やうに 衰へ 果てた。 © たんな り たるな り、 の 音便。 @ さすが 何と 云っても。 © 王法 佛 法 

に 封して 人間の 道 を 云 ふ。 © のろのろ しげに 忌々 しげに。 @ くどき くど- と 云 ふ。 © よに 非 

常に。 © すさまじげ 面目の ない さま。 ©且 は 一方に は。 © 宿業 前世からの 運命。 © 許 由 堯帝 

から; 大 下を讓 らうと 云 はれ、 けがれた 事 を 聞いた と 云って、 潁川 G 水で! =1- を^った と 云 ふ 隱士、 ©银 

束帶の 上の 衣。 © ゆ 、しく えらく。 

又、 「朝销 の 方に 人の 音が し、 櫛 形の 穴に 人の 影が してる るの は 1 體誰 だ」 と 仰せられ ると、 「そこ 

に は 右衛門 督が お住みに なって るるから、 その 方の 女 などが、 ちらついて るるので せう」 と. S- され 

たので、 光鎮 卿 は 聞き も 終らないで、 「世の中 は 今 は衰へ 果て、 了った の, た。 主上の いらせられ る^の 

朝 鈉には 信賴が iH み、 主上 をば、 黑戶の 御所に ぉ遷し 申した ので ある。 道 德の衰 へた 末の^で あるけ 

れ ども、 やはり 何と 云っても 日 や g はま だ 地上に 落ち 給 はない のに、 天照大神 や 八幡お は 人間の を 

どう 守って おいでにな るので あらう ぞ。 外國に はこの やうな 例が ある けれども、 わが s: に はま だ この 

やうな 先例 を 聞かない。 今迄 1 度 も Ig いた ことのない 不思議で ある わい」 と、 呪はしげに遠^^5すると 

ころもな く、 くど-/ \- と 仰せられ るので、 惟 方 は 人が 問いて はるない かと、 大 へん 而 n なさ さう に 立 

つてる られ たけれ ども、 一 方に は 悲しんで 、「自分 は どんな 前世からの 運命で こんな に 生れ 合って、 

心配な ことば かり 見たり 聞いた, 5 する ので あらう。 昔の 許 由で はない けれども、 今の 禁中の 有 接 を; =5- 

光賴 卿い 參. s: の 事 二八) 



i 信 賴は全 

く灭子 G 舉動 

の やうで あつ 

た。 濟盛は 先 

づ稻荷 社に 參 

つて, それ か 

ら六波 羅に著 

いた。 大 内で 

は 今に 寄せる 

かと 待ち 明し 

た。 



二八 二 

たり 聞いたり すろ 者 は、 耳 を も 目 を も 洗 はなければ ならぬ 氣 がする」 とて、 1^ の 袖 をし ばる ばかりに 

涙 を こ, ほして 泣かれた。 信賴の 上座に つかれた 時 は- あんなに えらく お見えにな つたが, 君の 御 事-ど 

悲しんで しょんぼりと 萎れて 出られた。 

お ち こ ; > が ,ひ ふるま ひ 

信賴卿 は、 小袖に 赤き 犬 口、 冠に 巾 子 紙入れて、 ひとへ に 天子の 御擧 動の 如くな り。 大成 淸 

い ト 5 

盛 は 先 づ稻荷 虹に 參 り、 各 杉の 枝 を 折りて. 鎧の 袖に 差して、 六 波 羅へぞ 著き にけ る。 大內 

に は 定めて 今夜 や 寄せん やらん とて- 兜の 緒 をし めて ぞ 待ち 明し ける。 (卷 一 ) 

i © 小袖 桂 (うちき) の 下に 著る 袖の 角な の を 縫 ひ すぼめた 衣。 © 大口 大口 袴。 束帶の 時、 表 

袴の: 卜に はく 袴。 ©巾: ナ斌 入れ 巾 子 は 冠の 上に 立てる 部分で 縷を巾 子の 前に 折り かけ、 八 か-紙で とめ 

る を: K ふ。 天皇の 冠に は 4- 巾 子の 御冠が るるので, 信 賴は之 を^した ので ある。 ©稻 荷 社 今の 伏 

〇 稻荷 である。 © 大內 宮中。 © 兜の 緖 おしめ 合戰の 準備で ある。 

i 信賴卿 は、 小袖に 赤い 大口 挎を はき、 冠に 巾 子 紙 を 人れ て、 全く 夭 子 G 行動の やうで ある。 大成 

盛 は、 まづ 稻荷祌 社に 參 つて、 皆が 杉の 枝 を 折って 鎧の 袖に 差して、 六 波羅へ 著いた。 禁中で はき 

つと 今夜 押し寄せる だら うと、 合戰の 準備 をして 夜中 待って るた。 



六 待 賢 門軍附 信賴沒 落の 事 



9 六 波羅の 

皇居に は 公卿 

の命議 が あつ 

て、 淸盛を 召 



六 波羅の 皇居に は、 公^ 愈議 あって 淸盛を 召されけ り。 紺の 直垂に 黑絲絨 の腹卷 に、 左右の 



籠手 を さして、 折 烏 幅 子 切つ 立てて 大 床に 畏まる。 頭に :!■ 將實國 を 以て 仰せ 下されけ る は. 

「王事 鹽 きこと なければ- 逆臣 滅びん 事 疑 ひなし。 但した まく 新造の 內裏 なり。 若し!^ 祿 



され • 信輯 . 

義朝近 討の 宣 

旨 を 下された 

涛盛は 武略 を 

廻らして、 禁 

中が 無事で あ 

る樣に 成敗 仕 

るで せう と 中 

して 退出した 



あらば、 朝家の 御大 事 たるべし。 官軍 僞 つて 引退 かば、 凶徒 定めて 進出 でんか。 然 らば 官 5^ 

を 入れ 替 へて、 內裏を 守護せ させ, 火災な き 様に 思慮 あるべし。」 と 仰せ 下されければ、 淸盛 

ち、, b ぐ 

畏まって、 「朝敵た る 上 は、 逆 従の 誅戮は 掌の 中に 候 ふ 問、 時刻 を 廻らす ベから や。 然 らば 定 

めて 狼藉 出來 せんか。 火 失な から 條ん こそ、 難儀の 勑読 にて 候へ。 さりながら 范蠡が を 

覆し、 張 良が 項 羽 を 滅ぼせし も, 皆 これ 智謀の 致す 處 なれば、 涯分 武略 を 廻らして 金 闕無爲 

なる 様に 成畋 仕るべし。」 と、 奏して 出 でられたり。 

P © 公卿 僉議 公卿の 總 會議。 © 腹卷 鏜の 一種。 腹に 卷 いて 背に 合 はせ る やうに 作った もの。 © 

籠手 手に はめる 具。 © さして 籠 于は差 し 込む?、 うにな つてる るから 云 ふ。 ©折 烏^子 の 下に 

は 烏帽子 を 被る。 今 は 御前に 出る ので あるから、 £1 を脫 いで、 烏帽子をひき立て^^したのでぁる。 © 

大床 ^廂に 同じ。、 }f 殿の 南の 端 廣ぃ权 敷の 間 を: K ふ。 © 王 事鹽 きこと なし 詩經、 「王事^^」 王 

に携 はって 暇の ない の を 云 ふので あるが、 こ、 は * 朝廷の 事 は 堅固で 破れない との 窓に 川る た。 

火災。 ©思 慮 あるべし 取 計らへ。 © 掌の 中 めて たやすい。 © 時刻 を や^らす ベから ャ 忽 

ちの 間。 © 狼藉 亂暴。 © 范蠡 越 王 勾践 を 助け、 吳 國 を 滅ぼして 灭 下に 莉 者たら しめ た^ほ。 ©: ぬ 

良 漢の 高祖の 謀臣。 ©涯 分 身分に 應 じて。 自分の 出來る 限。 © 金 闕 然屮。 ©無$^ 無事。 © 成 

敗 取 計ら ふ。 

i 六 波羅の 皇居に は • 公卿の 總 <1:議 があって、 盛 をお 召しに なった。 itlS 盛 は. 紕の i^,^: に 5.1 絲絨 

の 腹卷を 著け、 左右に 籠, 宁を つけて、 折 £1- 帽子,^ 引き立て、 大 床に 5バ つた。 屮將. せ^を 以て 仰せ 下 

された に は 、「朝廷 は 堅固に して 破れる こと はない から、 奴 逆の 臣の 滅びる 事 は 疑 ひない。 而 しちょう 

ど 新ら しく 造った 內裏 である。 若しも 火災で も あったら 朝廷の 御大 事で あらう。 それで、 水が 偽つ 

六 待^ 門軍附 信賴沒 落の 事 二八 三 



二八 ET 



8 皇居に は 

主上が いらせ 

られ るので、 

その守護に^^5 

^を 留められ 

た。 大內へ は 

盛 以下 5# 合 

三千 餘騎が 向 

つて、 賀茂川 

を 渡って 西 河 

原に 控 へた。 



9 ま 盛 は 生 



て? I! 却す ると SI 徒 は必す 進んで 来る であらう。 そこで 官 }4 を 入れ 替 へて を 守らせ、 火事の ないや 

うに;^ 計らへ」 と 仰せ 下された から、 涛盛は 恐縮して、 「朝廷の 敵であります から、 惡 者ん,」 討ち滅ぼす 

事 はたやす いこと で、 大した 時間 はか、. 9 ません。 し s\ し 必ゃ亂 暴の ことが 起きる と 思, ひます。 火災 

のない と 云 ふこと はな か/ \ 困難な 仰 言で ございます。 しかしながら, 范鍰が 吴國を 滅ぼし- 張.: が 

項 羽 $ ば したの も、 !5ー^:智 慮 の^い 謀が した こと で めり ま すから、 C 分の せに 出乘る り の 武略 を考 

へ 出して、 皇居が 安らかであります やうに、 取 計ら ひませ う」 と 串し 上げて 返 出した。 

主上 御 坐 あれば、 皇居の 御 固めに 淸盛 をば 留めら る。 大內へ 向 ふ 人々 に は、 大將軍 は 左衛, ノ 

佐 重 盛 ニー 一河 乂寸賴 淡路 乂寸敎 盛、 侍に は筑 後乂寸 家 貞. 子息 左衞 尉 §11^ • 主:&づ判官 

盛國 • 子息 右衛門.' 尉 盛-俊 • 與三衞 門.' 尉景安 • 新 藤 左衞門 家. 1 . 難波.^f^、郞經遠 • 同じき 三 

郞經房 • 瀨尾太 郞兼安 • 伊藤, 武者 景綱 • 館ノ太 郞貞泰 • 同じき 十郞貞 景を始 として、 都合 其 

の 勢 三千 餘騎、 六 波羅を 打ち出で て、 加 茂 川を馳 渡し、 西 河原に 控 へたり。 

i © 大內 禁中。 內 裏。 © 侍 武士に 同じ。 大將に 封して 云 ふ e @ 主馬 判 {:« 主馬 寮の 首で、 檢非 

違 使 を^ね たもの。 © 都合 全部 合 はせ て。 ©馳 渡し 馬で 水 を る を 云 ふ。 

G ニ倏 帝が るら せられる ので 皇居の 御 守護に 涛盛を めら れた。 禁中へ 向 ふ 人々 に は. K 將 軍に は 平 

S • I? 盛 • 敎盛 とし • 一 般の 武士に は 平家 貞 • 貞 能 • 盛 國 • 盛 俊 • 素 安 • 家泰 • 經遠 • 經 Hss . 兼 安 

景綱.貞泰*良10^ど4"めとして、 すべて 合 はせ て その 軍勢 は 三千 餘騎が 六 羅を 打ち出て、 賀茂川 を 

馬 を馳せ 渡して 西 河原に 控 へて るた。 

左衞 IT 佐 重 盛 は, 生年 二十 三, 今日の 軍の 大將 なれば、 赤地の 錦の iafi に • 1 の 句の 鎧- 



年 二十 三, 今 

日の 大將 であ 

るので、 立派 

な 服装で、 三 

千 餘騎を 三 手 

に 分って、 近 

衞* 中の 御門 

大 炊の 御門 か 

ら大宮 方面 へ 

かけ 出で て、 

陽 明 • 待贤 • 

都芳 門へ 押し 

寄せた。 



たつが しら は *-.o ふ j 

蝶の 裾 金物 打った るに、 龍 頭の 兜の 緒 を 締めて、 小 烏と いふ 太刀 を帶 き、 切 斑の 矢 負 ひ、 塁 一 

i の 弓 持って、 黄賴 毛なる 馬に、 柳 櫻 招った る 貝 鞍 S かせて 乘り 給へ...^。 直 盛 {- 几 ひける は、 一 

「年 號は平 治な り, 花洛は 平安 城な り、 我等 は 平氏 なれば, 三 事相 應 せり。 敲を平 げん 事、 

何の 疑 か あるべき。 誰か 爱に樊 喰. 張 良が 勇 をな さ ざらん。」 とて * 三千 餘騎を 三 乎に 分けて、 

近衛 • 中.^ 御門 . 大 炊.. 御門より、 大宮面 へ かけて 出で て、 陽 明 • 待 賢 • 郁芳 門 へ 押し寄せた. 

り 一 

i © 生年 年齡。 © 赤地の 錦の 直垂 鎧の 上に つける 錯ぉ垂 が 赤地の 錦で 作って ある もので、 大 

でなければ 用るな いもの。 ©轤 の 句の 鱧 鱸 色 (赤 黄) の絲で 下へ 々色 it く^した^。 ©^< !-物 : 

鎧の 袖 乂は草 招な どの 下の 端に つける 飾の 金物。 © 龍 頭 龍の 頭の 形の 前 立 物。 ©小烏 とい ふ 太刀 : 

平家 重 SJ^ の 名^の 名。 © 切 斑の 矢 鷹な どの 羽の 黑白の 斑の 鮮 かに 分れた もの を 川る て矧 いだ 矢。 © 

重 籐の弓 弓の 幹の 下地 を黑 塗に して、 膝 を 繁く卷 いた もの。 © 黃辚毛 おの 毛色の 名。 つきげ に 黄, 

色を帶 びた もの。 つきげ は 茶色の 少し 赤ばん だもの。 ©B; 鞍 靑貝 > ^漆で ぬ... - 込めた もの。 © 花洛 : 

都。 © 三 事 年と 處と 人。 ©樊噜 漢の 高祖の 豪勇の 臣。 ©_ 奴 良 同じく 謀 E。 © 陽 S> 待^-郁芳: 

共に 皇械 外廓の m 廓。 ^ 

B 左 衞門佐 重 盛 は 年齡は 二十 三 歳で、 今日の 合戰 の大將 であるから、 赤地の 錦の 直垂に • 爐 色の 絲 

で械 した 1^ の 蝶の 裾 金物の 飾りの 打ちつ けて あるの を 著て、 龍. m の 形^ 立 物の 化の を ひき 締めて、 

小鳥と 云 ふ 名の 太刀 を帶 き、 切 斑の 矢 を ひ、 藤 を 繁く卷 いた 「:vvs: つて、 黄^^色の-:^に、 柳と 柵 

の 形に 靑具 おすり 込んだ 鞍 を 置かせて お乗りに なった。 重 盛が 仰せられ たに は、 「年 號 はや である。 : 

都 は 平安 城で ある、 そして 我等 は 平氏 だから 年 *處* 人 共に 平の 字が ついて よくあつ てるる。 だから; 



六 待^ 門^ 附信 賴沒ー 浴の 事 



二八 五 



二八 六 



8 大內に は 

氏の 兵が. 

旗 二十 餘流立 

て、 門 を 守つ 

てるる。 大宫 

表に は 平家が 

赤旗 三十 餘流 

さし 上げて 三 

千 餘騎が 一 度 

に闻を 作った 

US 賴ょそ れに 

驚いて 膝 を ふ 

さはして 南 階 

を 下 b て 馬 に 

乗らう とした 

が 馬 は 逸り 切 

つてる るので 

落ちて 鼻血が 

流れ出た。 義 

朝 はこれ を 見 

て、 信 賴を睨 



敵 を 平げ る 事 は 何の 疑 ひが あちう。 きっと 平げ る ことが 出来る。 されば、 誰でも、 こ、 で樊噜 *張^< 

の やうな 勇氣 をな すに 違 ひない。」 とて、 三千 餘騎を 三 手に 分けて、 近衞 • 中の 御門 *大 炊の 御門から 

大宮^へ 馬で^ け 出で、 陽 明 • 待 資* 郁芳 門へ 押し寄せた。 

大內に は 三方の 門 をば さし 固め • 東面 をば 開かれたり。 承 明 • 建禮の 脇の 小 門 を もと もに 開 

ま:; 3 っぽ 

きて, 大 庭に は 馬 ども 多く 引つ 立てたり。 梅壺 • 桐壺 二 §壺 • 紫窟 殿の 前後, 東 光 殿の 脇の 

壺ま で、 兵 ひしと 並み居たり。 皆 源氏の 勢 なれば • 白旗 二十 餘流 うつたて たり。 大宮: 向に は, 

とさ 

平家の 赤旗 三十 餘 流さし 揚げて、 勇み 進める 三千 餘騎、 一 度に 閧を どっと 作りければ, 大宫 

も 響き ザ" つて 夥し。 ^波に 驚きて、 只今まで ゆ しく 見えられ つる 信, i.- 卿 • 顏色變 つて 草 

葉の 如くに て, 南 階 を 下りられけ るが、 膝戰 ひて 下り かねたり。 人な みく に 馬に 乘 らんと- 

引 寄せさせ 仁れ ども, 太りせ めた る 犬の 男の. 大鎧は 著たり、 馬 は 大きな り、 乘り烦 ふ 上, 

、王の 心に も 似 も 似す、 逸り 切った る 逸物 なれば、 つと 出 でん./. \ としけ る を、 舍人七 八 人 寄 

つて 馬 を 抱へ たり。 放た ば 天へ も 飛びぬべし。 穆王八 匹の 天馬の 駒 も • かく やと 覺 ゆるば か 

りに て. 乘 りかね 給 ふ 所 を、 侍 二人つ と 寄り、 「疾く 召し 候へ。」 とて 押し上げたり。 餘. 9 にや 

押したり けん、 弓手の 方へ 乘り 越して、 伏 様に どうと 落つ。 

急ぎ 引き起して 兒れ ば、 顔に 妙 ひしと 附き、 鼻血 流れて 見苦し かりけ り。 義朝 此の 體を; 15- て、 

日ごろ は大將 とて 恐れ 給 ひける が、 はたと 睨みて、 「あの 信頼と いふ 不覺人 は、 臆したり な。」 

とて, 日華 門 を 打 出で て、 郁芳 門へ 向 はれければ、 信頼 も 鼻血 押しの ご ひ、 とかう して 馬に 



みつけて おい 

て、 日華 門 を 

打ち出て、 邡 

芳 門へ 向った 

ので、 信賴も 

やっと 馬に 乘 

つて 待贊 門へ 

向った。 



かき 乘 せられ, 待 賢 門へ 向 はれけ るが、 物の 用に 逢 ふべ しと も兑ぇ ざり けり。 

i © 東面 爽の方面、 陽明 *待£^^ 郁芳の三門のぁる方面。 ©承明 內鼓. 2:1^ の 南の 正門。 © ^緻 

內裏 外廓の 南の 正門。 © 脇の 小 門 雨 門の 各 左 石の 兩脇 にある 小 門。 ©大 庭 こ、 は 紫お 殿の 前の^ 

庭の こと。 © 梅壶 壺とは 中庭の こと、 梅壺は 本名 を 凝 華舍と 云って、 前庭 にれ, U の 梅が 植 ゑて ある • 

© 桐壺 本名 を 淑贵舍 と 云 ひ、 庭に 桐が 植 ゑて ある。 ©籬 壷 梨壺 のこと で、 本名 は 昭^ 舍と云 ひ、 

庭に 梨の 木が ある。 © 束 光 殿 內裹に はない。 登 華の 誤 か。 ©大宫 表 昔, 京の 街 を 南北に 走った 中 

央の大 通。 ©a 旗 源氏の 旗色。 © 赤旗 平氏の 旗、。 ©鲵 波 問の 聲。 © ゆ 、しく 强さ うに。 © 太 

りせ めた る 太りき つた。 © 逸 .5 切った る 非常に 勇んだ。 @ 逸物 非常にす ぐれて るる もの。 @舍 

人 牛馬の 口 • 取りの 男。 ©穆 王 八 匹の 夭 馬 周の 穆 王が 八 匹の 験 や」 得て 夭 下 を 周遊した 故事, 史記 

に 出づ。 © 弓手 左の 方。 © 伏樣 俯向き。 © この體 信賴が から 落ちた 様子。 © 大將 近 衞.。 火 

將。 © 不覺人 覺 悟の 定まらぬ 者。 修養の 足らぬ 人。 ©臆 した. -な 臆して るるな あ。 ©H^i: 紫 

宸 殿の 南 庭の m の 中 門。 © とかくして どうやら かう やらして 漸く。 © 物の 用に 云云 役に立つ, たら 

, S 禁中で は 南 • 北 • 西の 三方の 門 を閉ぢ て、 東 而 の 門が 開かれて ある。,^ 明 の 脇の 小 e: 

を どちらも 開いて • 紫宸殿の 前の 廣 庭に は 馬 を澤山 立て、 るる。 梅 壶. 桐 ^3:マ鑼 ^及び 紫お 殿の 前後、 

束 光 殿の 脇の まで、 武士が びっしり 並んで るる。 皆 源氏の 軍勢, たから、 ,::: 婉 二十^ 流. >; つてる る。 

大宮 表に は、 平家が 赤旗 を 三十 餘流 高く さし 立て、 勇み 進んだ 三千 條騎が 一 • ばに 岡の. 械を どっと 上げ 

たから、 禁中 も ひどく 響き渡った。 その 岡の 聲に 驚いて、 今まで 强 さう に见 えられた:; -Is 卿 は 餌 色が 

變 つて、 草葉の やうに 眞靑 になって、 紫 殿の 階段 を 下..^ られ たが、 膝が 節って、 下り かねて W た。 

人並に 馬に 乗らう として 馬 を 引き寄せた けれども、 ひどく 太った 大 sf- が 大きな^ は: ぬて ろる し、 -=5 は 

待贤門艰附信^^沒落の亊 二八 七 



二八 八 



@ 重 盛 は 五 

百 41 で 攻め 寄 

せて、 名乗り 

を 上げた とこ 

ろパ ノ、 信鎮に 

! ん事 もしない 

で、 ?:^ いたの 

で, 重 盛 はい 

よく 勇んで 

踪〇 木 Q 下 ま 

で 攻めつ けた 



大きし、 乗る のに 困って るる 上、 iK 病な 乗手 (信 親) にも 似 や • 常に 勇んだ 立 5^ な 馬 VI から, さつ 

と 走. 9 出さう とした Q を、 口 取の 男が 七ん 人 寄って 馬 を 留めて るる。 口取り 共が 放したら 天へ でも 飛 

んで 行く だら う。 それに" 恰も 昔、 支^の 穆王 Q 八 H1Q 騎馬 もこの やうであった かと 思 はれる ぐらる で * 

乘.? かねて るら れる所 を 侍が 二人つ と 側近く 寄って 「早くお 乗りなさい 一 と 云って 信 緩の 身體を 押し 

上げた。 餘り强 く 向 ふに 押した からで あらう か、 左手 Q 方へ 乗り過ごして 俯向に ど さりと 落ちた。 

急、、 で 起して 見る と, に 砂が 一面に 附 いて • 鼻血: sv;^ れて 見苦しかった。 義朝 はこ 〇樣 子 を 見て、 

, 平生は 大將 だとて 恐れて おいでになった が、 はたと んで、 一. あ Q 信頼と いふ 不束者 は 膣して るるな 

あ」 と 思って • 曰 華 門 を 打ち出て、 ^^芳門へ向はれたから、 信籟も 鼻血お 押し 拭って、 どっか かう か 

して 馬に かき 乗せられ、 待贅 門へ 向 はれた が、 役に立つ だら うと も 思 はれなかった。 

左衞 門.' 佐 重 盛、 五百騎 をば 大宮 面に S? し 置き, 五百騎 にて 押 寄せて, 呼ば はり 給 ひける は、 

「此の 門の 大將軍 は、 信轉 病と 見る は 1: 目 か。 かう 申す は、 桓武 天皇の 苗裔, 太 宰.^ 大甙淸 

盛が 嬢チ、 左 衞鬥. ^住 重 盛、 生年 二十 三。」 と 名乘り 懸けければ、 llF 頼 事に も 及ば や, 「それ 

防げ、 io- ども c」 とて 引き 退く。 大將の 引き 給 ふ 間、 防ぐ 侍 一 人 もた-し" 我先に と^げければ、 

重 盛い よ/ \勇 みて、 大 庭の 棕 木 Q 下まで 攻めつ けたり。 

1 S 左 衞門佐 左 衞門府 Q 次官: ミ 見 違 ひ、 © 苗裔 子孫。 ©大 宰大贰 大宰府 の 次官。 © 

攀 {tse を相績 する s 子。 © 返事に も 及ば や 返事ら しない。 ©引き;^£ふ間 退却され たから。 

i 左 衛門佐 重 盛 は • 五百騎 を大宮 表に 残して 置き、 弛 Q 五百^で 押し寄せて、 呼 はりな された に に、 

「こ 門の 大薛軍 は信賴 卿と 思 ふ: s\、 見 違 ひか: .SV つ 申す 私 は桓武 天皇の 子孫で、 太宰大武^^£盛の長 

男の 左 衞門佐 重 盛で、 年齢 は 二十 三」 と 名乗り か、 つたが、 信鎮 は それに 返事 もしないで T それ 防げ 



s 惡 源太義 

平 は if 朝の 命 

に 依って、 後 

に 接く 十七 酹 

と五百^^の眞 

巾へ 破って 入 

り, 大將軍 を 

E がけて、 あ 

もこち に 追 ひ 

迥 したので、 

五丙騎 は大宮 

表へ 引いた。 



侍 共」 と 云って、 ^=:分はひき返く。 大將が 返 かれる ので、. 防ぐ 武士 は 一 人 もない • n 分 先き に 逃げ 

たから、 重 盛 はます く 勇んで、 廣 場の 掠の 木の ドまで 攻めつ けた 

義朝 これ を 見て、 「惡源 太 はなき か。 信頼と いふ 大臆 病人が、 待 賢 門 を はや 破られつ るぞ や。 

ぁの敵追ひ出せ0」と{且ひければ、「^^^^り候ふ。」.とて駅けられけり。 銃く 兵に ょ鎌丐 i 

00 • 佐 々木 1 一一 1 . 波 1^郞 • 三 浦 郞 • l、p • 長井ノ im • 

彌太 • 猪 俟ノ小 平 六 • 熊 谷 ノ次郞 • 平山ノ 武者 所 • 金子へ . 足一卄 儿 • 上總 八^ . 



關.^ 次 郞. 片桐ノ 小 八郞大 夫已上 十七 騎- 轡を雙 ベて 馳せ向 ひ "^^?„:_^を揚げて、「此の手の大 

將は誰 人ぞ、 名乘れ 聞かん。 かう 申す は淸和 天皇 九 代の 後 撒、 左 馬 ノ頭義 朝が 摘 子、 錄 

源太義 平と 申す 者な り。 生年 十五の 年、 武藏. ^國" 大蔵の 軍の 大將 として. 伯义 p;^. め,^ 一^ 

を 討ちし よりこの かた- 度々 の 合戰に 一 度 も 不覺の 名 を とらや。 年猜って十九虚0„2^_-^せん0 

とて • 五 百 騎の眞 中へ 破って 入り • 西より 東へ 追 ひまくり- 北より 南へ 追 ひ 廻し • 横様 

十文字に、 敵 を 颯と 踪 散して T 葉 武者 どもに H な 懸け そ。 大將 5^ を 紐んで 打て。 爐の, の eg 

に 蝶の 裾 金物 打って、 黄賴 毛の 馬に 乘 つたる こそ 重 盛よ。 押し 雙べ て 紐んで ザめ も、 乎 捕に せ 

よ。」 と 下知 すれば、 大將を 組ませ じと- 防ぐ 平家の 侍 ども、 與 三左銜 門. 新 藤 左衞門 を始と 

して • 百騎 ばかりのう ちに ぞ 隔たりけ る。 惡源 太を始 として、 十七 騎の兵 ども、 大將 5^ に::: 

を 懸けて, 大 庭の 掠の 木 を 中に 立てて, 左 近の 櫻 • 右近の 橘 を 七 八 度まで 追 ひ 11 して、 糾ま 

んく とぞ樣 うだりけ る。 十七 にかけ 立てられて- 五 百餘騎 かな はじと や ひけん、 大山 a 

ii, &門 5^ 附 iiiir ま f.;- おの 事 二.^ 九 



二 九 Q 

面へ 與と 引く。 

i @惡 源 太 義 朝の 長子。 惡ノ A 荒々 しい 勇ましい 意に つけた。 © 後胤 子孫。 © 左 馬頭 左 お^の 

長官。 ©帶 刀 先生 東宮の 護衛の fi^ 士。 © 不璺 卑怯。 ©:1;^ 參 せん 對面、 轉 じて 相手に ならう。 ® 

葉 武者 地位の 低い 雜兵。 © 目な 懸け そ 目 を かけるな。 © 手 捕 生 捕。 © 下知 命 <p。 © 左 近の 樓 

紫廣 殿^ 下 東方の 櫻。 © 右近の 橘 右に ある 橘。 © 揉み合 ふ 混戦す る。 © かけ 立てられ 攻めた て 

られ る。 

G 義朝 はこれ を 見て T 惡源太 はるない か。 信 親と 云ふ大 臆病 人が 待 叟門を もつ 破られた ぞ。 あの 敵 

を 近 ひ 出せ。」 と 仰せられた から、 義平は 、「承知し ました」 と 云って^ けられた。 それに 績く 兵に は、 

嫌 S 兵衞 • 後藤 兵衞 • 佐 々木 源 三 • 波 多 野次 郞 . 三 4^ 荒次郞 . 首 _ お 刑 部 • 1:1- 井齋 藤別當 • 岡 部 六彌太 • 

猪 误小平 太 • 能 一 谷次郎 • 平 山 武者 所 • <f:. 子十郎 • 足 立 右馬允 • 上總 介八郎 • 關次郞 • 片桐小 八 郎大夫 

巳 上 十七 騎が 轡を雙 ベて、 馳け向 ひ、 大昔 聲を 揚げて、 「この 方面の 大將は どなたで あるか 名 乘れ、 

聞かう。 かう 申す 自分 は涛和 天皇 九 代の 子孫、 左 馬頭 義 朝の 長子の 鎌 食惡源 K 義 平と s> す老 である。 

年齡 十 五の 時、 武蔵國 大蔵の 軍の 大將 として 伯父の 帶刀 先生 義贅を 討って から 以來 度々 の 合戦に 一 度 

も 卑怯な 名 を-取つ たこと はない。 それから 年が 積って 今年 は 十九 歳で ある。 相手に ならう」 とて 五 百 

騎の眞 中へ 破り 入って、 西から 東へ 追 ひまくり、 北から 南へ 追 ひ 廻し、 縱の 方へ も、 横の 方へ も + 文 

字に、 敵 を さっと 蹴散らして T 雜兵 どもに 相手に なるな。 大將軍 を 組んで 討ち取れ。 櫥 の.!? の 鎧に、 

蝶の 据 金物 を 打って、 黃轉 毛の 馬に 乘 つたの が 重 盛で ある ぞょ。 重 盛の 馬と 押し 雙 ベて、 組んで 落ち、 

生 捕に せい」 と 命令した から、 大將を 組ます まいと、 防ぐ 平家の 侍 ども は、 與 三左衞 1: • 新 藤左衞 門 

を始 として、 百騎 ばかりが 中に 入って きて 重 盛 を 隔てた。 義: 牛 を 始めと して、 十七 騎の兵 ども は, 大 

將軍を 目が けて、 大 庭の 掠の 木 を 中に して、 左 近の 櫻と 右近の 橘 を 七 八 度まで 追 ひ 廻して、 紐 まう く 



1 ^盛 は 今 

度 は 新手 五 百 

驟を 速れ て、 

又 掠の 木の 下 

まで 攻め寄せ 

たが、 義 平の 

十七騎に^?しひ 

立てられて、 

又大宫 表へ 引 

いた。 すると 

十七 騎は 大宮 

表へ かけ 出で 

S 五 百 餘騎の 

中へ つて 入 

つたので、 敵 

はニ條 を: a- へ 

TO L す 



として 入り 混って 戰 つた。 十七 騎に 攻めた てられて、 五 百餘騎 はかな ふまい と 思った ので あらう か、 

大宮 表へ と 返いた。 * 



六 



2 盛) a んづる 一 (家 5 . 

大 將左衛 門.^ 佐 は 弓 杖つ いて、 馬の 息をつが せ 給ふ處 に、 筑 後乂寸 つと 一 



て Ti 装祖 平將: 求、 

二度 生れ 替り 給へ る 君 かな。 と、 向 様に 譽め 奉れば * 八 二度 かけて、 家 寅に 兑 せんと や 思 は 

れ けん、 前の 五百騎 をば 留め置き、 新手 五 百 騎を相 具して、 叉大 庭の 椋の 木の 下まで 攻 寄せ 

たり。 叉 惡源太 かけ 向 ひ、 見廻して 云 ひける は 、「只今 向うた る は、 皆 新手の 丘ハ なり。 伍し 大 

將は. 元の 大將重 盛ぞ。 以前こそ:i^^とも、 今度に 於て は餘 すま じ。 押し 雙 ベて 組んで 拙れ. 

兵 ども。」 と 下知 すれば * 勇みに 勇みた る 十七 騎、 我先にと 進みければ. 今度 は 難 波, 次郞. 

同じき 三 郞*瀨 尾, 太郞. 伊藤,' 武者 を始 として、 百 餘騎が 中に 隔てた るに, isif ともせす、 惡 

源 太 弓 をば 小脇に かい 挾み、 ,1 蹈ん 張りつ い 立ち あがり、 左右の 手 を 擧げ、 「幸に 義平 源氏の 

嫡々 なり、 御邊も 平家の 嫡々 なり。 敵に は 誰れ か 嫌 はん。 寄れ ゃ糾 まん。」 とい ふま、 に、 先 

の 如く 大 庭の 椋の 木の 下 を 追 ひ 廻して、 五六 度まで こそ 揉う だり けれ。 重 盛 組みぬ ベう もな 

くや 思 はれ けん、 又大宫 面へ 引いて 出づ。 惡源太 一 一度まで 敵 を 追 ひまくり、 り 杖つ いてお に, 总 

(俊 街) 

をつ がせけ るに • 義朝 これ を兑 て- 首 藤 瀧 口 を 以て、 「汝が 不覺に 防げば こそ、 敵 度々 かけ 入 

るら め。 あれ 速に 追 ひ 出せ。 と、 いひ 遣され ければ, 俊綱馳 せて 此の. H をい ふに T 承り^ ふ ( 

進め や 者 ども。」 とて • 色 も 替らぬ 十七 騎、 大宮而 にかけ 出で て、 敵 五 餘騎が 中へ、: ゆ も:.^ ら 

待^門軍附信^^沒落の事 二 九 一 



二 九 二 A 

す 破って 入る。 ひき 立った る 勢 なれば • 馬の足 を 立て 兼ねて、 大宫を 下りに、 ニ條を 東へ 引 

きければ、 「我が 子ながら も. 義平は 能く かけた る もの かな。 あかけ たり。」 とぞ きめられ ける oi 

6 © 弓 杖つ いて 馬上で 弓 を 地上に 杖つ くこと。 © 息をつが せ 休ませる。 © 曩祖 先祖。 © 向樣ひ 

面と 向って。 © 新手 まだ 疲れて るない 新ら しい 兵。 ©洩 す のがす。 ©餘 すま じ 逃がすまい。 ©, 一 

事と もせ や 何とも 思 はす。 © 小脇に かい 挟み 脇の 下に 挟んで。 © 嫡々 滴 子も媲 子、 立派な 嫡子 一 

だ。 © 御邊 貴殿。 © 敵に は 敵と して は。 © 組みぬ ベう。 組みぬべく、 の 音便。 きっと 組む ことが 一 

出來る だら う。 © 追 ひまくり 追拂 ふ。 © 瀧 口 禁中の 涛凉 殿の 東方の 御 溝水の 落ちる ところに ある- ん 

詰 所に るて、 禁中 を {サ 護す る 武士。 © 防げば こそ 防ぐものだか.^。 © 色 も替ら ぬ 疲れた 樣子も し 

えない。 © 面 も 振らす 脇見 もせす、 -1 直線に。 © ひき 立てた る 返却し かけた。 © 立ち 兼ねて と 一 

め 兼れ る。 踏 止まる ことが 出來 ない。 © 大宮を 下りに 天宫 通り を 南へ 下る こと。 京都で は 皇居が 北- 

に あるから、 南へ 行く こと を 下る と 云 ふ。 

i 大將重 盛 は 弓 を 杖に ついて、 馬 を 休息 させて おいでになる 處に、 筑後 守が つと 參 つて、 「あなた は, 

平家の 先祖の 貞盛將 軍が 二度お 生れ 替り になった やうな 勇ましく 見えます ことです」 と 面と 向って 春: 

め 奉る もの だから、 もう 一度^け 入って、 家貞に 自分の 手 並 を 見せようと でも 思 はれた のか、 前の 五- 

百騎を そこに 留めて 置いて、 新ら しい 兵 五 百騎を 引き連れて、 又大 庭の 掠の 木の 下まで 攻め寄せた。 

又惡源 太が 駔け 向って、 見廻 はして 云った に は、 「只今 向った の は 皆 新手で ある。 尤も 大將 は; 兀 の大將 

の 重 盛で ある ぞ。 以前に は 逃がした が、 今度 は 逃がすまい。 馬 を 押し 雙 ベて、 組んで 捕へ よ、 兵 ども」 

と 命令す ると、 勇みに 勇ん, た 十七 駭は、 我れ 先き にと 進んだ から、 今度 は 難 波 次 郞* 同じき 三 郞.瀨 

尾太郞 ,伊藤 武者 を 始めと して、 百 餘騎が 中に 入って 重 盛 を 邪魔した の を、 何とも 思 はす、 惡源太 は. 

ni> を 脇の 下に 袂ん で、 鏺 を路ん 張って その上につつ 立ち上り、 左右の 手 を舉げ て、 「幸に も 義平は 源氏- 



Q 重 盛主從 

三騎 はかけ 離 

れてニ 條を東 

へ 返いた の を 

義平は 追つ か 

けたが、 義平 

の乘 つてる る 

HT か 村 木に 驚 

いて 膝 を 打つ 

て 伏した。 鎌 

E 兵 衞は重 盛 

を 追つ かけて 



の 嫡子で あり • 食 殿 も 平家の 嫡子で ある。 敵と して は 互に 不足と は 思 はないだ らう。 寄れよ、 机 まう」 

と 云 ふな. 5、 先の やうに 大 庭の 掠の 木の下に 追 ひ 廻 はして、 五六 度まで も 入れ 亂れ て魏 つた。 盛 は 

義 平と は 組 打ち出 来さう にも 思 はれなかった ので あらう か、 又大. K 面へ 返いた。 義平は 二度まで も 敵 

を 追 ひまくり、 弓 を 杖に ついて、 馬に 息をつが せて るた が、 義朝が これ を =^ て、 甘 藤 瀧 口 をして、 「お 

前が 下手に 防ぐ から, 敵が 度々 駔け 入る ので あらう。 あの 敵 を: If く 近 ひ 出せ」 と 云 ひっか はされ たか 

ら、 俊 綱 は 馬を馳 せて、 この こと を 云 ふと 「承知し ました。 進め や 者 共」 と 命 〈? して、 疲れた 様子 も 

見えない 十七 騎は 大宮面 へ^け 出て、 敵: 力" 百餘騎 の 中へ 眞 K ぐに 破 b 入った。 敵 は;? J 却し かけて. Q る 

軍勢で あるから、 馬の足 を 留める ことが 出來 ないで、 大宫 通り. を^へ、 ニ條 通り を へ 返却した ので、 

義朝 は、 それ を 見て、 「我が 子ながら も、 義平 はよ く^けて 敵 を!:? I ひ拂 つた もの だ わい。 あ、 13; によく 

駅け たもので ある」 とお 譽め になった。 

大將重 盛. 與三左 衞門景 安 • 新 藤左衞 門 家泰、 主 從三騎 はかけ 離れ、 ニ條を 東へ;^ かれ けれ 

さつ 

ば、 惡源太 鎌 田に 吃と 見合 はせ て T 爱に 落つ る は大將 とこ そ 見れ、 返せ や、 返せ。」 とて: 近つ 

かけたり。 旣に堀 河に て 追 ひ 詰めけ るが、 弓手の 方に 村 木 多く 充ち滿 ちた るに、 惡源 太の 乘 

り 給へ る 馬、 かたなつ けの 駒に て 村 木に や 驚き けん. 馬 手の 方へ けし 飛んで、 小膝 を 折って 

どうと 伏す。 鎌 田.' 兵衞 延ばさ じと、 十三 束 取って 希 ひ、 能つ リ いて ひやう と 射る。 直 盛の 

射 向の 袖に、 はたと 中って 飛び 返る。 やがて 二の矢 を 射たり ければ、 押附へ 丁と 中って、 ^ 

かづき 碎 けて 跳り 返れり。 惡源太 「これ は閜 ゆる 皮と いふ 銀 ござん なれ。 liT を 射て T 洛 ちん 

所 を 打て。! と 下知せられ ければ- 又 能つ 引いて 追 様に 苦の る、 3^ 射 込う だり。 馬 は;^ 風 を 



六 待 M 門 軍附信 賴沒落 事 



二 九 三 



馬 を 射た とこ 

ろが、 馬は屛 

lEt 倒しに 倒れ 

、落ちた。 

鎌 3 は 重 盛に 

紐 i6, つ, と 一ん, E すリ 

合った。 重 盛 

は 近づけて は 

かな はない と 

思った のか、 

弓の 箬で缣 2 

の の 鉢を揎 

いて、 禱躇し 

て, Q る 間に、 

重 盛 は 兜 を 著 

て 緒 を 强く締 

めた。 



二 九 四 

返す 如く 倒 るれば * 村 木の 上に 跳ね 落され、 S ルも 落ちて 大童に な. 給 ふ。 鎌 田 堀 河 を 馳せ越 

して、 重 盛に 机まん と 落ち合うたり。 重^ 近附 けて はかな はじと や 思 はれ けん. 弓の^ にて 

田が § ^の 鉢 を 丁と 撞く。 撞 かれて ゆら ゆる 間に、 ぉチど 取って 打 著つ、、 緒を强 くこ そ綺め 

られ けれ。 



© 力 け顴れ 本隊 力ら 遠く 離れる。 ©屹 と 見合 はせ 强く ET を .0- 合 はせ る。 © 落 つる 落延びる- 

© 堀 河 京都の 洞院 通と 大宮 通との 間 を 流れて ゐる 小川。 ©弓 手 左- 于。 ©S だた なつけの 駒 片馴付 

の義 で、 よく 馴らされない 馬。 © 馬 手 右手。 © 延ばさ じ 落ち延びさせまい。 © 十三 束 指 四 本 並 

ベた 一 束の 十三で、 符通の 弓の 長さ。 ©? おつ 引いて 十分に 引きし ぼって。 © 射 向の 袖 鎧の 左の 袖- 

© にたと 物に?;? S る 音の 形容。 ©押附 燈の 肩に 當る 部分の 板。 ©丁 と ぁたる音の形^^1。 ©篾かづ 

き 矢 竹の 鏃に 接す" C 所。 ©聞 ゆる 有名な。 ©^K 平家 赏 代の 寳 |2-。 ©ご ざん なれ にこ そ ある 

なれ、 の 約。 © 追樣 後から 追 ひかけ る やうに。 ©笞 矢の 最上 部、 弓に 番 へる 所。 © 大童 ちらし 

髮。 ©弭 弓の 雨 端 を 云 ふ。 ©§ ^の 鉢 の 頭を蔽 うて ほる 都 分。 @ ゆら ゆる ぐらつく。 

i 大將重 盛 *與 三 左 衞門贵 安 • 新 藤左衞 門 家泰の 主人と 家來の 三騎は 本隊から 遠く離れて、 二 倐?^ 

り を M へ 退却した から、 惡源太 は 鎌 W に强く 目で 知らせ 合って、 「こ、 に 逃げる の は 大將と 思 はれる。 

ひき 返せ や、 ひき 返せ や」 と 云って: SFj ひかけ た。 もはや 堀 河で 近 ひ 詰めた が、 左手の 方に 村 木が 多く 

積んで あつたのに、 惡源 太の 乘っ ておいで になる 馬 はま だよ く 馴れない 馬で、 材木に 駑 いたので も あ 

らう か、 右手の 方へ 躍り 飛んで、 膝 を 折って ど さりと 倒れた。 鎌 田 兵 衞は敵 を 一 ゆち 延びさせまい と、 

十三 束の 矢 を 取り上げて、 弓に 番 つて、 十分 引きし ぼって ひやう と 射た。 すると 盛の-迸の 左の 袖に 

はたと 當 つて 飛び 返った。 CI; 速 第二の 矢 を 射た ところが、 押附 板に 丁と 中って、 篾 かづきが 碎 けて 跳 



i 與 三左衞 

門が 馳せ 寄せ 

て 中に 隔て、 

鎌 E 兵 衞と組 

んで 取って 押 

へた。 惡源太 

も 河 を 渡って 

與 三左衞 門の 

首 を • 取った。 

重 盛 は 惡源太 

と糾 まう とし 

たが、 新 藤 左 

衞 門が 馳せ來 

つて、 m- 盛 を 

逃がれ さし, 

自ら は 鎌 田に 

首 を か れた 



つた。 惡源太 は T これ は 有名な 皮 こ 云 ふ 平家 前: 代の 鏜 でめる。 馬 を 射て、 馬から 落ちる 所ん..」 打 

て」 と 命令せられ たから、 鎌 w は 又 十分 引きし ぼって、 追 ひかけ る やうに して、 答が 隱れる ほど ffl^ く 

射 込んだ。 馬 は 屛風を ひつく h 返す やうに 倒れた から、 m 盛 は 材木の 上に 跳ね 落され、 も!^ ちて、 

重 盛 はちら し髮に なられた。 鎌 S は 堀 河 を馳せ 越して、 m 一盛と 取り組ま うと 跳び か、 つた。 盛 は 嫌 

田 を近附 けて はかな はない とで も 思 はれた のか、 弓の^で 鎌 出の 兜の 鉢 を 丁と 撩 いた。 鎌 出が 撞^れ 

て ぐらついて ゐ る 間に、 ま 盛 は 兜 を-取り上げて 冠りながら 緒を强 くお 締めに なった。 

與三左 衞門馳 せ 寄せて、 中に 隔てて 申しけ る は、 漢の紀 信 は 高祖の 命に 代って、 榮 陽の 園 を 

出し、 終に 天下 を 保た せき。 主 辱めら る、 時 は * 臣死 すと いふに あらや や。 景安こ /- にあり, 

寄れ ゃ糾 まん。」 とい ふま、 に、 鎌 田.^ 兵衞と 引き 組んで * 取って 押へ ける 返に, 惡源太 

き 起し、 これ も 堀 河 を馳せ 越して、 重 盛に 組まん と 飛んで 驟 かりけ るが、 錄 W を や 助く る • 

大將を や 打たん と 3 心: 茶し けれども, 大將に は 又も 寄り合 ふべ し. 政 家 を 打た せて はかな はじ 

と 思 ひ、 與 三充衞 門に 落ち合うて、 三 刀 刺して 首 を 取る。 重 盛 は 憑み 切った る Is 女 討た せて. 

命 生きて 何 かせんと て、 旣に惡 源 太と 紐まん とせられ ける を、 新 藤 左衞門 馳せ來 り、 「{ 水 _T か 

候 は ざらん 所に てこ そ, 大將の 御 命 をば 捨て 給 ふべ けれ。 延びさせ 給へ。」 とて、 我が-:: liT を W 

き {!: け. 中に 隔てて 惡源 太と む やと 組む。 政 家 は 重 盛に 机まん としけ るが、 主 を 討た せて は 

かな はじと 思 ひければ, 新 藤左衞 門に 落ち 重なって • 取って 押さへ て 首 を かく。 此の ひまに 

重 盛 は 虎口 を 1^ れて 1 六波羅 まで ぞ 落ちられ ける。 二人の 侍な からまし かば • 助かり 難き 命 

六 待^門•「小附信賴f^^落の事 . 二 九 五 



二 九 六 

なり 

i © 漢の紀 信 漢の 高祖に 代って 死んだ 人。 ©榮 陽 支那、 河南お 漢陽縣 にある。 ©天 下 を 保つ 

天下 を 執る。 © 主 辱めら る 時は臣 死す 韓非 子の 誘。 © 寄り 4 口 ふ 接近して 戦 ふ。 © 命 生きて 何 か 

せん 生きて をっても 何にもなら ない。 @ 虎口 を 逃れる 非常な 危難 を 逃れる こと。 © なから まし か 

ば もしなかったなら- 

i 與 三左衞 門が 馳せ 近づいて、 重 盛と 鎌 田との 中に 入って 二人 を 隔て、 申した に は、 「漢の 紀信は 高 

祖の 命に 代って、 高祖 を滎 陽の 崮 みから 出し、 遂に 夭 下 を S らした。 自分の 主君が 辱められる 時は臣 

は 死す と 昔から 云って あるで はない か。 景 安が こ、 にる る、 寄れ、 , 科 まう」 と 云 ふが 3I- いか 缣田兵 

衞と 引き 糾ん で、 錄田を 取り 押へ たと ころへ、 惡源 太が 馬 を 引き起し、 これ も 堀 河 を馳せ 越して、 重 

盛に. g まう と 飛び か. - つたが、 鎌 田 を 助けよう か、 大將を 討た うかと 考 へたが、 大將 にに 又 近づいて 

合戰 する こと も あるで あらう、 政 家を景 安に 討た せて は 好く あるまい と 思 ひ、 與 三左衞 門のと ころへ 

1 了って 近づいて 三 刀 刺して 首 を 取った。 重 盛 は ひどく 鎮み にして るた 景安を 敵に 討た せて 生きて るて 

も 可に もなら ない と 思って、 旣に惡 源 太と 組まう とせられた が、 新 藤左衞 n が 馳せ來 り、 「家泰 が をり 

ませぬ 所でなら 大將 〇 御 命 をお 拾て になっても よろしい。 而し 私が をり ますから は、 お逃げ 下さい」 

とて、 自分の を 引き 向けて 重 盛に 與へ、 中に 入って 惡源 太と む やと 組んだ。 政 家 は m 一盛に 糾ま うと 

したが、 主君の 義平を 討た せて はいけ まいと 思った から、 新 薛左衞 門に 近づいて 取り 押へ て 首 を-取つ 

た。 この 隙に、 重 盛 は 危難 を 逃れて、 六波羅 まで 逃げられた。 もし. 景 安と、 新 藤左衞 3: の 二人の 侍 

がるなかったならば、 助かり 難い 命で ある。. 

十二月 二十 七日 Sj の 刻 許りの 事なる に、 一村 雨 さっとして、 風 は 烈しく 吹きたり け- 9。 鎌 田 

が 鞍の? にも. £ いたれば 乘 りかね た. -。 惡源太 これ を兒給 ひて 、「手形 を附 けて 乘れゃ 



風が 吹いた。 

鎌 E の 鞍の 前 

輪に も 氷が 張 

つたから、 手 

形 を^け て乘 

つた。 



i 頓盛は 郁 

芳 門へ 押し 寄 

せた。 義 朝が 

名乘 つて、 駔 

け 出る と 我 も 

くと かけた 

顿朝も 名乘っ 

て、 敵 二 騎射 

落し、 一騎に 

手 負 はせ て 進 

ん でかけた。 



宣 ひければ * 打物拔 いてつぶ/ \ と 手形 を 切って ぞ乘 りたり ける。 鞍に 手形 を附 くる 車、 こ 

の 時より ぞ 始まれる。 

© 巳の 刻 今の 午前 十 時 頃。 © 一 村雨 一し きりの 俄雨。 © 前輪 鞍の 前方の 山形に なって るる 

ころ。 © 氷柱い たれば 氷が 張った から。 © 手形 鞍の 前後の 榆の乎 を あてる おめに 作った 所。 @ 

打 物 太刀 • 長刀; i。 

— 十二 H: 二十 七日 午前 十 時! a- の 事で あるのに、 ざめ と 一し きり 雨が 降って, 風 は 烈しく, ケ. -仁 篛 

田の 鞍の 前輪に も 氷柱が 張った から 乘 りかね てるた。 惡源太 はこれ を 御 S 仏に なった、 「手形 を W けて乘 

れゃ」 と 仰せられた から、 鎌 田 は 打 物を拔 いてす ばくと 手形 を 切って 乘 つた。 鞍に 手形 を附 ける^ 

はこの 時から 始まった。 

三 河ぶ 寸頼盛 は、 郁芳 門へ 押 寄せて、 「此の 陣の大 將は誰 人ぞ。 名 乘られ 候へ。」 と宜 へば、 「此 

の 手の 大將は • 淸和 天皇 九 代の 後胤, 左 馬,^ 頭源ノ 朝ほ義 朝。」 と名乘 つて、 f 惡源太 は ニ^まで 

(朝長) (SE 朝) 

敵 を 追 ひ 出す ぞ かし。 進め や 若者。」 と宜 へ ば, 中宮 ノ大 夫ノ進 • 右兵衞 ノ佐 • 新宫. '十郎 • S 

(|#. ^渡-式部.^ 大輔重 成を始 として、 我れ もくと かけられ けり。 右兵衞.^ 佐 敏朝は 、「生 

年 十三。」 と名乘 つて * 敵 二 騎射 落し、 一騎に 手 負 はせ て、 殊に 進んで かけられけ り。 左馬ノ 

頭宣 ひける は 、「何とい へど も、 若者 どもの 軍す る は、 まばらに 見 ゆる ぞ。 義朝 かけて 兌 せん。. 

とて、 眞 先に 進まれければ、 一人 當 千の 兵 ども、 打圍 みて ぞ戰 ひける。 

i © まばらに 隙間が あって 整 はない。 ©1 人赏千 一人で 千 人に?;? S る やうな 强者。 

i 三 河 守 頓盛は 郁芳 門へ 押し寄せて、 「この 陣の 大將は どなたで ある ぞ。 ぉ名乘 りなさい。」 と 仰せら 

恃贤 門軍附 信賴沒 落の 事 



二 九 八 



1 鎮 盛は義 

朝に 追 はれて 

大宮 表へ 返い 

た。 ^?|ひっ、 

近 はれつ、 m 

平 はこ 、 をせ 

ん どと 戰 つた 



れ ると、 「この 方面の 大將 は、 唐 和 天皇の 九 代の 子孫、 左 馬頭 源 朝臣 義朝」 と名乘 つて T 義平は 二度 ま 

で 敵を逍 ひ 出した ぞ。 進め や 若者」 と 仰せられ ると、 中宮 大夫 進. 右兵衞 佐, 新 宫十郎 .平贺1: 郎, 

佐, 式部 大輔重 成を始 として、 我 もくと^け 出し >K。 右兵衞 佐賴 朝に 、「年齢 十三」 と名乘 つて 出で、 

^を 二 騎射て おから 1!^ し、 一騎に 疵を 負はサ て、 人よりも 殊に 進んで^ けられた。 左 馬頭の 仰せられ 

たに は、 一 何と 云っても、 若者 共が 合戰 する の は 疎.^" に^える ぞ。 義 朝が 攻めて せよう」 とて、 35;; 先 

に;^』 まれた から、 一人 當 千の 兵 共が 義朝を 打 11 んで戰 つた。 

頼 盛 暫しは 支 へられけ るが、 門より 外へ 追 出さる。 義朝續 いて 攻め 戰 へば * 大宫面 に^きに 

けり。 平家 馬の 息をつかせ てかけ 入りければ、 i?! 氏 K 內へ引 籠り、 源氏 又 馬の足 を 休めて か 

け 出 づれば 平家 叉ナ、 宫 面へ 引退ぐ。 平家 は 赤旗. 赤符、 日に 映 じて 輝け り。 源氏 は大旗 • 

m.^m. 皆お しなべ て 白 かりけ るが、 烈しき 風に 吹亂 され、 勇み 進める 有様 は 誠に すさまじ 

くこ そ覺ぇ けれ。 源平の 兵 ども、 互に 命 を 惜しまねば * まのあたり 討; i るれ ども 願 みや • 主 

の 先に 進まん と、 爱を せんどと 戰 うたり。 

6 © 赤符 腰 や 袖な どに 味方で ある こと を 示す ためにつ けた 赤い しるし。 © 腰 小 旗 腰に つける 短 

册 形の 小 布帛。 © すさまじ 恐ろしい。 © せんど 最も 大切な 場合。 

i 賴盛は 暫く は 防いで るら れ たが、 敵の ために 門から 外に 追 ひ 出された。 義 朝が 績 いて 攻め 戰 ふと、 

大宮 面へ 返却した。 平家が 馬の 息をつかせ て^け 入る と、 源氏 は 御所へ 引 籠り、 源氏が 乂 馬の足 を 休 

めて、 ^け 出る と、 平家 は 乂大宫 面へ 返く。 If 家 は 赤旗 • 赤 符で、 それが 太陽に 映って 輝いた。 源氏 

は大旌 • 腰 小 旗で、 全部 皆 白かった が、 烈しい風に 吹き 亂 され、 兵 共の 勇み 池んで るるせ 樣は、 實 に 

恐ろしく 思 はれた。 源平の 兵 共に 互に 命 を 惜しまないから、 目前に 友が 討 たれても 顳 みや、 主人より 



i 義平は 重 

盛 を 討ち 洩し 

て、 義 朝の 先 

Jg: をしょう と 

JM 先に 進んだ 

こ、 に 鎌 E の 

下人に ベ 町 次 

郎と云 ふ もの 

が ある。 その 

名の 由來。 



8 この 八 町 

次郞は • 名お 

に 乗った 頼 盛 

六 



先に 迪まフ と、 こ、 が 最も 大切な 場合で あると 戰 つた。 

惡源太 左 衞門佐 をば 討ち らし、 鎌 田に 向って 宣 ひける は T 郁芳 門の 軍 は 如何 あらん。 いざ 

53 にん 

人 八 町次郞 



や 頭 殿の 御先 仕らん」 とて、 打 具して, ズ眞 先に ぞ 進まれけ る。 こ、 に 鎌 田: 

とて、 大力の 剛の者、 早 走の 手き、 あり 。「馬に てこ そ 具す ベ けれども、 中々 ぎ 立よ かるべし。 

高名せ よ」 とい ひければ、 一年 も 腹 卷に小 具足 差 堅めて、 眞 先に 進みたり ける が、 敵の 馬武 

者の 遙 かに 先立ちて 落ちけ る を, 八 町が 内に て 追つ 詰めて 首 を 取りたり ければ, それより し 

て、 八 町 次郞と ぞい ひける。 

6 ©惡 源 太 源義 平。 © 頭 殿 義朝。 先 先陣。 ©単 走 早く 走る。 ©「 十き、 者。 ©屮々 

却て。 © 徒 立 馬に 乘ら ないで 歩行す る こと。 © 高名 手柄。 © 小 具足 鎧 • 胴 丸 • 股卷 t、 の ドに港 

るべき 小? 具、 脇 裙* 籠 チ • 臑赏 • 喉輪 を 云 ひ、 又は 脇 引 • 籠, 于 • 頓當. 臑ぉ. 佩 概^ を 一 ぶふ。 

6 =1$^ 平 は 重 盛 や 討ち a らし、 鎌 田に 向って 仰せられ たに は、 「^芳 門の 合戦 はどうで あらう。 さあ、 

頭 殿の 先陣 をしょう」 と 云って、 嫌 田と 連れ立って 馳 せて 來て、 又、 M つ 先き に 進まれた。 こ、 に、 

鎌 田の 部下に 八 町次郎 といって、 大力の 心の しっかりした 者で、 走る ことが H 十くて、 武^の すぐれた 

者が ある T 馬で 連れて 來る替 だが、 却て 徒歩の 方が よから う。 手柄 をせ よ」 と 云ったら、 先年も^ 卷 

に 小 具足 を 着て、 S 先に 進ん でるたが、 敵の 馬に 乘. つた 武者で、 遙に 先に 立って、 逃げて 行つ たみを、 

八 町の 間で 追 ひついて、 首 を 取った から、 それ以来 八 町 次郎と 云った。 

されば 又 この 者. 三 河 守の 聞 ゆる 早馳の 名馬に、 兩證を 合 はせ て 駅 けられけ るに、 少しも 劣 

らす 追つ 著いて、 兜の 頂, に 熊手 を 打 懸けん くと 續 いて 走りければ、 頼 盛 も を打倾 け- 

待^ 門 軍附信 の 二,? 九 



三 〇〇 



に 返 ひ 著いて 

兜の 頂 邊に熊 

手 を かけて 引 

いたが、 賴盛 

は 太刀 を拔ぃ 

て、 その 熊手 

を 切.^ 落して 

逃げた。 



あ ひしら はれければ, 五六 度 は 懸け 外しけ るが、 終に 頂 邊に打 藤け て T ゑい や」 と 引けば, 

三 河 守旣に 引落されぬ ベう 見えられけ るが、 帶 いたる 太刀 を引拔 いて、 しとと 切る。 熊手の 

て もと • 

柄 を 手本 二 尺 許. 置いて、 づんと 切って 落されければ、 八 町次郞 のけに 倒れて ころびけ り。 

き や 5 わらべ 

京 童 これ を 見て 、「哀れ 太刀 や、 あ 切れたり。 三 河 殿 も 能く 切ったり。 八 町 次郞も 能く かけた 

り」 とぞ 感じけ る。 賴盛は 兜に 熊 手を切り 懸けながら、 取り も 捨て や 兑も返 らゃ、 三 條を東 

へ、 高 倉 を 下りに、 五條 を 東へ、 六波羅 までから めかして 落ちられ ける は、 中々 優に ぞ 見え 

ねナ ま- 

たりけ る。 名 譽の拔 丸 なれば • よく 切れけ る はこと わりな り。 

I © この 者 八 町 次郞。 © 聞 ゆる 有名な。 ©早 馳せ ^ける ことの 早い。 © 雨 澄 を 合 はせ て 馬 

に乘 つて、 馬 を^け させる 時には 澄で あ ふる。 ©S- の頂邊 究 の 最上 部、 そこに は 空 氣拔の 穴が ある „ 

© あ ひしら ふ あしら ふ。 © 落されぬ ベう 必ゃ 落される だら う。 © しとと かちんと。 © 置きて 

殘 して。 © のけに 仰向けに。 © からめ かして からく と 音を立て、。 © 中々 却て。 ©- 俊に お 

く ゆかしく。 © 名 譽の拔 丸 名高い 拔丸。 拔丸は 平家 重代の 太刀の 名。 

それで、 又 この 八 町 次 郞が三 河守賴 盛が 名高い 早く K ける 名馬に 乘 つて、 雨 方の 燈 であ ふって 1^ 

けられた のに、 少しも 通れ や 追 ひ 着いて、 兜の^ 邊に 熊手 を 打ち 懸けようと 續 いて 走った から、 頼 盛 

も 兜 を 仰け て、 あしら はれた ので、 五六 度 は 懸け 外した が、 終に 兜の 頂 邊に打 懸けて 「ゑい や」 と聲 

を かけて 引く と、 三 河 守 は 今にも 引き落され るに 違 ひな ささう に 見えられ たが、 帶 いてる る 太刀 を 引 

き拔 いて、 かちり と 切り、 熊手の 柄 を 手本のと ころ を 二 尺ば かり 殘 して、 すば りと 饼り 落された から * 

八 町 次郎は 仰向けに 倒れて 轉ん だ。 京の 子供が これ を 見て T あ、 立派な 太刀 だな. め、 寅に うまく 切れ 



B 三 河 守 を 

サ; * さう と £^ ど 

も は 我 もく 

と 防ぎ 戰 つた 

その 中で 兵 藤 

內家悛 は大臆 

病 者であった 

が、 大勢の 中 

に 蹴立てられ 

て、 しかたな 

しに 馳せ 行つ 

たが、 馬 を 射 

られ て、 小屋 

の內へ 逃げ 入 

つた。 そして 

その子の 家繼 

が ある 兵と 組 

んで剌 違へ て 

死んだ の を、 

小屋の 中で 見 



た。 三 河 殿 もよ く 切った が、 八 町次郞 もうまく ひつ 懸けた」 と!?、) 心した。 頼 盛 は に 熊 手を切.^ 懸け 

たま、、 それ を-取. 拾ても せす、 後方 を 振 b 返り もせす、 三條を 東へ、 高 倉 を 下って、 五條 を へ、 

六 羅 までからく 音 させて 逃げられ たの は、 却て おくゆかしく 見えた。 その 太刀 は 有名な 平家 富 代 

の拔 丸で あるから、 よく 切られの たの は 無理 もない。 

三 河 守 を 落さん と- 防ぎ 戰ふ 侍に は、 が監物 • 小監物 • 藤 左 衞門尉 助 綱 • 兵 藤 內が子 藤 太 

郞家糠 を 始めと して、 我 もくと 戰 ひけり。 兵 藤 內家俊 は 元より 大脇 病の 覺ぇ 取りた る^な 

りけ るが、 大勢の 中に 蹴立てられて、 心なら ゃ馳せ 行きけ るが、 馬 を 射させて 幸 ひとや 思 ひ 

けん、 小屋の 内へ 逃げ 入りぬ。 その子 家繼は 父に は 似す、 大 剛の者に て、 散々 に戰 ひ、 敵數 

擊ち 取って 引きけ るが、 父が 馬 は 射られて 伏しぬ。 主 はなし • 生 捕られに けりと 無念 なれ 

ば、 家糙 生きて 何 かせんと て、 唯一 人 取って返し、 多くの 敵 を 斬り 伏せて、 ある 兵と 引 組ん 

で 落ち.、 刺 違へ て 死し ける を、 小屋の 內 にて 見 居 たれば、 心變く 悲しくて 走り出 でんと は 

へど も、 戰場 なれば 怖ろ しくて、 子の 討た る、 を 兌つ が ざり けり、 後日に 六 波 羅へ參 りけ る 

を兑 て、 憎まぬ 者ぞ なかり ける。 

f @監 物 中務 省の 物品 出納の 監察官。 ©覺 え 評判。 © 心な. 5^ す !^』 方な く。 いやくながら。 

© 射させて 射られて。 © 主 はなし 乘. 9 主 は 居ない しする ので。 © 心; く 心つ らく。 ©=^ つが ざ 

りけ り 力 を 添へ て 助けなかった。 

@ 三 河 守 龃盛を 逃がさう として 防ぎ 戰ふ 武士に は 大監物 • 小監物 • 藤 左衞門 尉 助 網 • 兵 藤 内の 子 膝 

內太郎 家繼を 始めと して、 我 もくと 先を爭 つて 防ぎ 戰 つた。 兵藤內家佼は元來大臆^;^の評判のぁる 

六 待^ 門軍附 信賴沒 落の 亊 , 三 〇 一 



三 〇 二 



てるた が 怖ろ 

しくて, 子の 

討 たれる の を 

見ても 助けな 

かった。 



i 平家 は 勅 

詫に 依って 六 

波羅へ 引き返 

した。 源氏 は 

謀と も 知らす 

內裏を 打 t> 拾 

てし 六 波羅へ 

寄せた。 



i 信 賴は待 

,x 門 を 破られ 

てから 後 は、 

軍の こと は 思 



者であった が、 大勢の 中に 致し方な く 引 きづら れて * いやくながら 馳せ 行った が、 ^に 馬 を 射られ 

て、 逃げる にはちよ うど 幸 だと 思った ので あらう か、 小屋の 中へ 逃げて 入った。 その子の 家繼は 父に 

は 似ゃ大 へん 心の しっかりした 者で、 むちゃくちゃに 戰ひ、 敵 を 澤山擎 ち 取って 退いた が、 父の 馬が 

射られて 倒れて- Q る、 そして 乘 千の 父が るない しする から、 父 は 生 捕られた の だと 思 ふと 殘念 だから、 

家 繼 は 生きて 何に ならう と 思って、 唯一 人 引き返して、 多くの 敵 を 斬り 倒して、 ある 武士と 一 取組んで 

落ち、 剌途 へて 死ん だの を、 小 星の 中から 見て るた から、 心つ らく 悲しくて 走. 5 出で ようと は 思 ふが、 

戰場だ から 怖ろ しくて、 子の 討 たれる の を 見ても 力 を 添へ て 助けなかった。 後日、 家 俊が 六 波 羅へ參 

る の を 見 て 僧 まな い 者に なかった。 

平家 は 勅 詫に 任せて、 皆 六 波羅へ 引き返す。 源氏 は 謀と も 知ら ざり ける にや、 內裏 をば 打捨 

てて、 追 ひ 駅け く 小路々 々に 攻め 戰ふ。 其の 間に 官軍 を 入れ 替へ て、 門々 を め 防ぎ けれ 

ば、 源氏 內 裏へ は 入り 得 やして, そ V- ろに 六 波 羅へぞ 寄せたり ける。 

€8 ^!勅詫に任せて 勅命の ま、 に。 © そぞろに 目的 もな く。 

6 平家 は 勅命の ま、 に 皆 六 波羅へ 引き返した。 照 氏 は それが 計, 峪 とも 知らなかった ので あらう か、 

內裏を そっちの けにして、 平家 を 追 ひ^けく して 小路 毎に 玖め 戰 つた。 その 間に、 官 5* を 入れ 代へ 

て、 どの 門 を も 守り 防いだ から 源氏 は內 裏へ は 入る ことが 出來 ないで、 目的もなく六波羅へ攻め^|3せ 

V7 

右衛門.' 督信賴 は、 今朝 待 賢 門 を 破られて 後 は、 軍の 事 は 思 ひも 寄ら や、 隙 を 求めて、 落ち 

んく とぞ せられけ る。 義朝 かけ 出で て 後 は • 大內 にも 忍び やして • 御 方の 勢の 跡に 附 いて、 

お づく河 1^ まで 出 でられけ るが、 六 波 羅へは 寄せ やして、 河原 をの ぼり に 落ちられ けり。 



は 一.,、 逃げよ 

,つ し, ^5 >グ りし 

た。 義 朝が 出 

た 後 は 大內に 

もようる ない 

で、 御 方の 勢 

の 跡に 附 いて 

河原まで 出て 

から 逃げた。 



1 六 波羅で 

は 五條 の^を 

こわして 待つ 

てるる と、 源 

氏 か 押し寄せ 

て 岡 の^を 作 



金 王 丸 之を兑 て、 nil 門, 督殿 こそ 落ちさせ 給へ。 追 ひかけ まゐ らせん。 と 申せば、 義朝 「た 

V 置け。 あれ i の 覺人 あれば、 中々 軍が せられぬ ぞ。」 とて、 河原 を 下りに ぞ 寄せられ ける ( 

(卷 二) 

I ® 落らん 逃げる •© 忍び やして おっとし てるら れ ないで。 © お づ-^ 恐る く ®i 

贺茂 河原。 © 金 王 丸 義: 朝の 童。 © ただ 置け その ま、 拾て、 おけ。 © ぁれ體 あの 樣な。 @不 ^ノ. 

甍, 悟の 足りない 人。 

II 右衞門 督信賴 は、 今朝 待 賢 門 を 破られて 後 は、 合戰 C ことな ど は 思 ひもせ す 欧を 求めて.^ J げ, J 

1^ くと せられた。 義頼 が^け 出た 後は皇 にも. ちっとして ゐられ ないで、 御 方の. m 勢の 跡に 附 いて 

びくく しながら 賀茂 河原まで 出られた が、 六 波 羅へは 攻め寄せないで、 河原 を 上って 逃げられす 

金 王 丸が これ を 見て、 「右 衞!: 督殿 かお 逃げに なられます。 ,F.l ひかけ ませう」 と屮 すと、 , も は つ 

ておけ。 あの やうな 卑怯者が ゐ ると、 却って 邪魔に なって 戰 がせられ ない」 とて 河-ぬ を 下って 攻め^ 

せられた。 

七 義朝六 波羅に 寄す 賴 政の 心替の 事 

六 皮羅に は, 五條の 橋 を こぼち 寄せ、 にかいて 待つ 所に、 源氏 即ち 押 寄せて、 間 を どつ 

と 作りけ ズ、 淸盛 Mti 驚き、 1^ をせられ ける が、 兜 を 取って 通さ まに 著 給へば、 ^ど 

も 、「御 さまに 候 ふ。」 と 中せば. 隐 してや 兑 ゆらん と 思 はれければ、 「主上 渡らせ 給へば. 

^の 方へ 向 はば、 君 を 後に なし まゐ らせんが 恐れなる i^, 逆さまに は 一 者る ぞ かし。」 と 立へば 

七 義朝六 波羅に 寄す 並^ 政 心 替の事 三 一一 一 



つたので、 涛 

盛 は 鷲いて 兜 

を 逆さまに 著 

て、 侍から 注 

意され て、 い 

、加:^ な辫解 

をレ た。 



1 親政 は 三 

餘騎 で六條 

河原に 控 へて 

るた が 平家が 

わね てば 平家に 

源氏が 腺てば 

源氏に 咐 きさ 

うに 見えた の 

で、 惡源太 は 

近 ひ 立て、 攻 

め戰 つた。 



三 〇 四 

重 盛 は、 「何と 宣へ ども * 臆して 見えられた るな。 打 立て 者 ども。」 とて, 五 百餘騎 にて かけ 向 

はる 

i © こぼち 寄せ 壤 して 一所に 集め 寄せる。 {-0 接 招 垣の やうに 立て 並べる! ^リ © 鋭^ ^の-遮。 

© 物 具 武具 をつ ける。 

i 六 波羅に は 五條 橋を壞 し 寄せ、 搔裙で 接いて 待って るる 所へ、 源氏 早速 押し寄せて、 鬨をゎ あつ 

と 作った から、 ^盛 は 閧の聲 に 鷲いて、 物 具 を 著け てるら れ たが、 § ^を 取って 逆さまに お 著に なった 

ので、 侍 共が 「御 兜が 逆で T」 と 甲す と、 淸 盛は應 してる る やうに 見られる かも 知れぬ と 思 はれた か 

ら、 一: 主上が るら せられる から、 敲 方へ 向 ふと、 君 を 後に なし 舉る のが 5バ れ多 いので、 逆にに よお る Q 

である」 と 仰せられる、 重 盛 は、 一 何と 仰せられても、 臆して おいでにな るの だな。 進め 者 共」 とて、 

五 百餘騎 にて a け 向 はれた。 

兵 庫.' 頭 頼 政 は、 三百 餘騎 にて 六倏 河原に 控 へたり。 悪源太 鎌 田 を 召して. 「あれに 控 へたる 

は 頼 政 か。」 「さん 候 ふ。」 「にくい 擧 動かな。 我等 打 負けば 平家に 與 せんと. 時± を 計る と 

覺 ゆる ぞ。 いざ 蹴 散して 捨てん。」 とて、 五十 餘騎 にて 馳せ向 ひ、 「御 逢 は 兵 庵, 頭 か。 源氏 勝 

ちたら ば, 一門 なれば 內裘 へ參 らん。 平家 勝た ば, 主上お はせば 六 波 羅へ參 らんと • 軍の 勝 

負 を 疑 ふと 見る は 如何に。 凡そ 武士 は 二心 ある を^と す。 殊に 源氏の 習 はさ はさう や。 や.? れ 

や 組んで 勝負 を兒 せん。」 とて、 眞 十文字に かけ 破って, 追つ 立て 追つ 立て 攻め 戰ふ。 さし も 

勇める 渡 邊黨、 日ごろ は百騎 にも 向 ひ、 千騎 にも 逢 はんと こその、 しりし かど も- 惡源 太に 

手痛う かけられ 奉って、 馬の足 を 立て 兼ね たれば、 組む 武者 一騎 もなかり けり。 



1 親政の 郞 

め ザ 下河邊 藤 三 

郎行吉 の 放つ 

た 矢に 首藤悛 

辆 の^の 骨 を 



らサ: ^ちた の を 

義 平の はから 

ひで、 ; 10 を 敵 

に" 取らせん た 



i © さん 候 さう です。 IS 時 時の 都合。 ©1 門 なれば 源氏の 一族 だから。 © 主上お はせば 

H<<:r かい らっしゃる から。 © さ はさう す さは 候 ふぞ、 の 約。 さう です ぞ。 © 渡邊黨 攝^ の 渡 1^ か 

ら 出た 黨類。 © の 、しりし かど も やかましく 云 ひ 立てた が。 

i 兵^^頭賴政は三百餘騎で六條河原に控へてゐた。 義平は 鎌 £ を 呼んで 、「あそこに-おへて るるの は 

賴政 か」 「さう です j 「にくい 行動で ある わい。 我々 が 打ち 負けたならば、 平家に 呔 方しょう と 時の 都 

合 を 見て るると 思 はれる ぞ。 さあ 蹴散らして 殺さう」 とて 五十 餘駱で 馳せ向 ひ、 「そなた は 兵^ 頭 か • 

源氏が 勝てば そなた は 源氏の 一族 だから 内裏へ 參 らう、 平家が 勝てば、 主上が まします から 六 波 蹄へ 

參らフ と、 軍の 勝負 を 疑って るると 思 ふが どう だ。 すべて 武士 は 二心 あるの を 恥と する。 殊に 源氏の 

習 はさう である ぞ。 寄れ、 組んで 勝負 をき めよう」 と 云って、 腐 十文字に K け 破って 迫 ひ 立て、 迫 ひ 

立てて 攻め 戰 つた。 ひどく 勇んで るる 渡 邊黨も 平素は 百騎 にも 向 ひ、 千騎 とも 逢って 戰 はう とえら さ 

うに 云って ゐ たけれ ども、 惡源 太に 手 ひど く^け 破られ 奉って、 H$ の 足 を める こと も 出來 ないで、 

, ほ-む 武者 は 一 騎 もなかった。 

賴 政が 郎等 下 總.^ 圃の 住人 下 河邊. ^藤 三 郞行吉 が 放つ 矢に、 相 模.^ 國の 住人 山ノ 5r 首 藤^:: 佼 

二, 

綱が、 首の 骨 を 射られて • 馬より 落ちん としければ、 父 刑 部ノ丞 之を兑 て、 「矢 一 筋に それ 

程に 弱る か。」 と 諫められて、 弓 杖つ いて 乘り 直らん としけ る を、 惡源太 兌 給 ひて 、「瀧 口 は〃 i 

所 を 射られつ るぞ。 敵に 首 取らすな。」 と 下知せられ ければ、 齋 藤別當 太刀 を拔 いて 馳せ 寄つ 

たり。 俊 綱 「御邊 は. 御 方に て はなき か。」 といへば • 資盛、 「御曹司の 仰に、 さしもの 一 を、 

敵に 首 取らすな と 承る 問, 御 方へ 取るな り。」 といへば * 俊 綱 一 究爾と 笑って 、「若き 大將 にて お 

はし ませば これまでの 御 心ば せ ある ベ しと こそお ぜ ぬに, かば かりの 御 情深く 渡らせ 給 ふ も 

七 義朝六 波羅に 寄す 並 親政 心 替の事 三 〇;;j 



家 窺 i くの 
に ふ" 幸 



めに、 赍藤 K 

盛に 首 を 打た 

しめに。 親政 

は あながちに 

義 朝に 敵し よ 

うと は な 

かった ので あ 

るが、 義 平に 

かけ 立てられ 

て 六 波 羅に加 

はった ので あ 

一 0O 



のかな。 心安く 臨終 せん。」 とて、 西に 向 ひ 手 を 合せ、 頸 を 延べて ぞ打亿 せけ る。 弓矢 取る 身 

の 習 ほど * 哀な りけ る 事 はなし。 生れ は 相 模.^ 國 果は雍 州都の 外、 河原の 土と ぞ なりに ける。 

父 刑 部,' 丞之を 見て、 「. 一 命 を輕ん じて 軍 をす る も、 瀧 口 を 世に 在らせん 爲 なり C 俊 綱 討た せ 

て. 命 生きて 何 かせん。 討死 せん。」 とて かけければ、 御曹司 「あたら 丘 r 刑 部 打 仁すな。 お 

ども。」 と宣 へば. 御 方の 兵馳せ 塞がって 制しければ、 力なく 淚 と共に 引き返す。 さても 顿政 

(蒙) , 

は、 あながちに 義 朝に 敵 せんとまで は 思 は ざり しか ども、 惡源 太に かけ 立てられて、 奸む處 

と、 六波羅 へこ そ 加 はり けれ。 誠に 惡源太 若氣の 致す 所な り。 「兵 庫.' 頭 勝 负を兩 端に 

が 故に, 平家に 志す といへ ども, 源氏の 爲に はまことの 敵に あらす。 一人な りと も、 平 

きん ど しいく さ 

逢うて こそ 死にた けれ。 詮なき 同士 軍に、 あたら 兵 ども を 討た せられけ るぞ妞 一 念なる。」 

と、 人々 申しけ る。 (卷 一 一) 

i © 郎等 家来。 © 矢 一筋に 矢 一本 位に。 © 御曹司 義平。 © さしもの 兵 あれ 程の 兵。 © 承る 

間 承 はった ので。 © これまでの 御 心ば せ 云々 これ 程まで 5 御 心 ゆきが あらう と は 思 はない のに。 

©果 は 身の 終り は。 ©雍 州 山城 國 のこと。 © あたら ^しむべき。 ©カ なく よん どころ なく。 

© あながちに 强 ひて。 © 好む 處の 幸と これ こそ 望む 處の 幸で あると。 

i 賴 政の 家来の 下 總國の 住人 下 河 邊の藤 三 郞行吉 G 射ハ」 矢に、 相 模!: の 住人 出 內首藤 瀧 口 後 綱の 甘 

の 骨 を 射られて、 馬から 落ちようと しかけた から、 父の 刑部丞 はこれ を 見て、 「矢 一本 位に、 それ 程 ひ 

どく 弱る のか」 と 諫められて、 弓 杖 をつ いて 馬の 上に 乘り 直らう としたの を、 義平は 御 覽 になって、 

「瀧 口 は 大切な 虔を 射られた ぞ。 敵に 首 を 取らすな」 と 命令せられ たから、 .K 盛 は 太刀 を拔 いて 馳せ 



寄った。 佼 辆. か 「そなた は 御 方で はない か、 それに どうして の 首 を 取る の だ」 と 云 ふと、 盛 は、 

「御曹司の 仰せに、 あれほど 勇ましい 兵ケヽ 敵に 首-取ら すなと 承った から. 御 方へ: ia を-取る の だ」 と 

云 ふと、 俊辆は にっこり 笑って T 御曹司 は 若さ 大將で まします から、 それほどの 御 心 ゆきが あらう と 

も 思 はれない のに、 こんなにまで 御 情が 深く いらせられる もの だ わい。 それ なら 安心して 往生し よ う」 

と 西に 向って 手 を 合 はせ、 頸 を さし 延べて 打 たれた * 弓矢 取る 武士の 習 ひ ほど 悲しい 事 はない。 さて、 

俊 網 は 生れ は 相^ 國 であるが、 その 身の 終り は 山械の 都の 外の 河原の 十: となった。 父の 刑 部 丞は之 を 

見て、 「命 を輕ん じて 軍 をす るの も 瀧 口を出 世 させよう 爲 である。 しかるに, 俊辆を 討た せて、 生きて 

何に ならう。 討死しょう」 とて 駔け たから、. 義平 は、 「惜しむべき 兵で ある、 あの 刑郃を 敵に 討た すな。 

者 ども」 と 仰せられ るので、 御 方の 兵は馳 せて 行って、 刑 部 を 敵に 討た せない やうに 塞がって 制した 

から、 刑 部 は 致し方な く 泣く く 引き返した。 さて、 頼 政は强 ひて 義 朝に 敵 對し ようとまで は 思 はな 

かった けれども, 義 平に K け 立てられて、 これ こそ 望む ところの 幸 ひと 思って 六 波 羅に味 力した。 ま 

ことに 義 平の 若 元 氣 のした ところで ある 。「頼 政 は どちら か滕 つた 方に 附か うと 兩方の 勝 ft を:; ^て, Q る 

から、 平家に 味方しても, 源氏の ためにに まことの 敵で はない。 一人 だけで も 平家の 兵と 戦 を: 乂 へて 

死にたい。 つまらない 同じ 一族 同士の 軍に、 惜しむべき 兵 ども を 討た せた のは殘 念で ある」 と 人々 は 

申した。 

八 義朝 敗北の 事 

さる 程に、 義朝 は、 六 波 羅の合 戰に打 負け、 旣に 落ち 給 ふと 兑 えければ、 平家の 人々, 追つ 

懸けて 攻めければ、 三條河原にて鎌^,'兵衞申しけるは、| 頭,^^は、 m や:^!: す ビ:: あって^ち させ 



^^:けて、 落ち 

るの を 平家の 

人々が^:?1っ懸 

けて 攻めた の 

で、 義 朝の 部 

下の 兵 は 各々 

防 して 或は 

討 たれ 或は 落 

ちて 行った。 



三 〇 八 

袷 ふ ぞ。 能くく 防 矢 仕れ。」 とい ひければ 平 lor 四 郞義官 r 引き返し 散々 に戰 はれければ • 

義朝 顧み 給 ひて T あはれ 源氏 は、 鞭 さしまで も、 おろかなる 者 はなき もの かな。 あたら 兵 • 

平賀 討た すな • 篛宣 討た すな。」 と宣 へば, id 々木.^ 源 三 • 首 藤.' 刑 部 • 井澤.^ 四 郞を始 として- 

我れ も/. \ と a 呉 先に 馳せ 塞がって 防ぎけ るが、 佐々 木.^ 源 三秀義 は、 敵ニ騎切って_^^し、 我. 

が 身 も 手 負 ひければ、 近 江 を さして 落ちに けり。 首 藤 ノ刑部 俊 通 も、 六條 河原に て、 瀧 口と 

共に 討死 せんとす、 みし を, 止め 給 ひし かど も、 爱 にて 敵 三騎討 取って * 終に 討 たれて けり。 

井澤.' 四 郞宣景 は、 二十 四 差した る 矢 を 以て, 今朝の 戰に敵 十八 騎射 落し、 今の 合戰に 能き 

敵 四 騎射 殺し たれば、 旅に 二つ ぞ淺 つたる。 其の後 打 物に なって ふるま ひける が、 痛手 食う 

や *4 づたひ 

て 引きに けり。 東 近 江に 落ちて 創 療治し, 弓 打ち切り 杖に つき、 山傳に 甲斐の 井澤へ ぞ 行き 

にけ る。 

6 © 防 矢 防 IT© 散々 に むちゃくちゃに •© あはれ あ、。 © 鞭 さし 厩舉 公の 下人。 © あた 

ら 惜しい。 © 打 物 刀の 總稱。 

G さて、 義朝 は、 六波羅の合戰に^;:負け、 もはやお 逃げになる やうに 見えた から、 平家の 人 々はや ひ 

つ 懸けて 攻めた ので, 三條 河原で 鎌 田 兵衞が 申した に は、, 頭 殿 はお 考 へになる ことがあって、 お逃げ 

になる ので ある ぞ。 十分に 防ざ戰 へ」 と 云った から、 平賀 四 郞義宣 が 引き返して 散々 に戰 はれた から、 

義朝は 振. 5 返って 御覽 になって、 「あ、 源氏 は 鞭 を 持って 馬の 世話す る やうな 下賤の 者まで も 愚な 者 は 

ない わい。 惜しい 平贺を 敵に 討た すな、 義宣を 討た すな」 と 仰せられ ると、 佐々 木木 源 三, 首 藤 刑 部- 



1 義朝は 落 

ち 延びた が、 

鎌 E を 召して 

〈仆て 鎌 S に 養 

育 を 親んで お 

いた 娘 を 殺し 

て來る やうに 

云 ひ 波す と、 

鎌 3 は 宿所に 

引き返して、 

泣く く 首 を 

取って 參に 

入れた。 義朝 

は 一 n::^ て 涙 

に响 び、 ^^山 

の邊の 知った 

J|5 の 所へ、 こ 



井澤 四郞を 始めと して、 我 も とお 〈先に 馳せ、 平賀を 塞いで、 防いだ が、 佐々 木 源 三 秀義は 敵 を 二 

騎 切り H:^ から 一 浴して、 C 分の 身 も 怪我した から、 近 江 を さして 逃げて 行った。 首 藤 刑 部 俊迎も 六條河 

原で 瀧 口と 共に、 討死し ようと 進んだ の を、 義朝 はお 止めに なられた が こ、 に 敵お 三騎討 取って 終に 

討死して しまった。 井澤 四 郎宣貴 は 二十 四 本 差した 矢 を 以て、 今朝の 戰に 敵-ど 十八 騎射^ し、 今の 合 

戰に敵 を §: 騎射 殺した ので、 旅に 二 本 残った。 その後 太刀 を拔 いて 戦った が、 ^傷 を 受けた から 返却 

した。 束 近 江に 逃げて 創 を 養生し、 弓 を 打ち切って、 杖に つき 山. ゲ傳 つて 5. 斐の 井澤へ 行った。 

かやう に 面々 戰ふ 間に、 義朝 落ち延び 給 ひし かば. 鎌 田 を 召して、 「汝 に!^ けし 娘 は、 如何に。 

と宣 へば. 「私の 女に 申し 歸 きま ゐら せて 候 ふ。」 と 中せば、 「軍に 食け て 落つ ると 問き、 如何ば 

かりの 事 か 思 ふらん。 なかく^し て歸 れ。」 と宣 へば、 鞭 を 揚げて、 六條堀 河の 所に 馳せ 

來 りて 兌ければ、 軍に 恐れて 人 一 人 もな きに、 持怫 堂の 方に 人 昔し ければ、 行きて 兑 るに、 

姬君佛 前に 經打讀 みて おはしけ るが • 政 家 を御覽 じて、 「さて そ も、 軍 は 如何に。」 と 問 ひ 給へ 



ば 、「頭 ノ殿は 打 負けさせ 給 ひて、 東國の 方へ 御 落ち 候 ふが、 姬 君の 御 事 をのみ 悲しみ まるら 

させ 給 ひ 候 ふ。 t と 申せば 、「さて は 我等 も 只今 敵に 搜し 出され、 これ こそ 魏 朝の 女よ など 沙汰 

せられ、 恥 を兑ん こそ 心 憂 けれ。 あはれ 高き も 卑しき も、 女の 身 ほど 悲し かりけ る 事 はなし < 

兵衞. ^佐 殿 は 十三に なれ ども, 男 なれば 軍に 出で て 御供 申し; g ふぞ かし。 わら は 十 1: になれ 

ども • 女の 身と て殘し I ま 一 かれ、 我が身の 恥を兑 るの みならす、 父の 骸を 汚さん 察 こそ 悲しけ 

れ。 兵 衞先づ 我れ を 殺して, 頭.^ 殿の 兑參に 入れよ。」 と ロ說き 給へば Tig.'^ も 此の 仰に て!^、 

八 義朝 敗北の 事 .1110 九 



の 首 を 遣して 

弔 ふやう に賴 

んで 逃げた。 



三 1 〇 

ふ。」 と 巾せば T さて は 嬉しき 事 かな。」 とて、 御 經を卷 き 納め、 佛に向 ひ 手 を 合せ. 念 怫巾さ 

せ 給へば * 政 家つ と參 り、 殺し 奉らん とすれ ども. 御 産屋の 中より 抱き 取り 奉りし 養 君に て、 

今まで 育し 立て まるら せ たれば. いかで か あはれ にな かるべき。、 ボ にくれ て、 刀の 立 所 も a; 几 

えす して 泣き 居; i り。 娘 君 「敵 や 近づく らん * 疾 くく。」 と勸め :® へば. 力なく 三 刀!: して 

御 首 を 取り、 御 死骸 をば 深く 牧 めて 馳 せかへ り、 頭.' 殿の 見参に 入れたり ければ. た V- 1 目 

御覽 じて • 泪 に 咽び 給 ひける が、 東 山の 邊に 知り 給へ る 僧の 所へ、 此の 御 首 を 遣して Tf? ひ 

てた び 給へ。」 とて ぞ 落ちられ ける。 

6 © 面々 人々。 ©落 ち 延び 仏 g ひし かば 敵の? si 手の 心配の ない 所まで 逃げて 行かれた から。 ©姬 

令嬢。 © 私の 女に 云云 私の 生んだ 女と して、 家の 者に よく 世話す る やうに 云 ひつけて 置いた。 © 如 

何ば かりの 事 か どれ 程 心配す るか 知れない。 © 中々 却て。 寧ろ。 © 持佛堂 佛乂は 先祖の 遺 牌 を 

安置す る 堂。 © さて そ も さてく。 © 沙汰せられ 評判 をせられ。 © 高 きも 卑しき も 一" 问ぃ 身分の 

者 も \w い^ 分の 者 も。 ©悲 しかりけ る 悲しく ある。 © 父の 骸 を云々 E 分が 恥-ど 受けて、 死んだ 後 

に 恥 を はせ る。 © 見參に 入れ お 口 にかけ る。 © 養 君 守役と なって 髮靑 した 者 j @ 育し 立て 育 

て 上げ。 © いかで か どうして。 {lO 立 所 切りつ ける 所。 ©カ なく いたし 方な く。 © 収めて 隱し 

て。 ©た び 給へ 賜 ひ 給へ、 の 音便。 

6 こい やうに 人々 が戰ふ 間に、 t 朝 は 安全の 地までお 逃げに なられた から、 鎌 田 を 呼ばれて、 「汝に 

預けた 姬 はどうし; i か」 と 仰せられ ると、 「私. 2 生んだ 女と して、 家の 者に よく^ 話す る やうに 申しつ 

けて 置きました」 と 申す と T 合戰に 負けて、 逃げた と 聞いて。 姬は どれ 程 心配す るたら う。 寧ろ 殺し 



て來 い、 その 方が 安心 だ」 と 仰せられ るので、 鎌 田 は 馬を馳 せて • 六條の 自分の 宿所に 馳せ來 て = ^る 

と、 戰に 恐れて 1 人の 人 もるな いで、 持佛 堂の 方に 人の るる 音が したから、 行って 兑 ると、 姬^;;は佛 

前に 經を 讀んで いらせられた が、 政 家 を御覽 になって、 「さてく 合戰 はどう, た」 とお ひになる と、 

「頭 殿 はお 負けに なって、 爽國の 方へ お逃げに なられます が、 姬 君の 御 事ば かり をお 悲しみに なられ 

ておいで になります」 と 甲す と、 「それで は 只今 敵に 捜し出され、 これが tl^ 朝の 女, たな どと 評判せられ、 

恥 を かくの は 心配で ある。 ほんと に 貴い 者も賤 しい 身分の 者 も 女の 身 ほど 悲しい 事ばない。 \1^-衞佐殿 

は 十三で ある けれども、 男 だから 軍に 出て 御供 を 甲され るので ある。 私 は 十 TO: である けれども、 女の 

身, たからと て 残し 置かれ、 自分の 身の 恥 を かくば かりで なく、 死んだ 父の 骸に恥 をね はせ る 事 は 悲し 

い。 兵衞 よ、 先き に 私 を 殺して、 父上に お 目に かけて くれ」 と、 同じ 事お 何度も 仰せられ るので 、一頭 

殿 もさう 仰せられます」 と 甲す と、 「それなら 嬉しい 事 だ」 とて 御 經を卷 き 納め、 佛 に,: 1: つて 手 を 合 は 

せ、 念佛 をお 申しに なられる と、 政 家 はっと 側に 參 つて 殺し 奉らう とする けれども、 御^屋の 巾から 

抱き 取り 奉った 養 君で、 今まで 育て上げ 申した から、 どうして 悲しくない ことがあらう。 ー淚 に^も 见 

えなくて、 刀を赏 て、 切る 所 も 分らないで 泣いて 居た。 すると 姬 君が、 敵が 近寄って 來 る, たらう、 n 十 

くく 殺せ」 とお 勸 めになる ので、 致し方な く 三度 刀 を 刺して、 御 首 を-取り、 御 死骸 を 深く 地め てお 

いて 馳せ歸 つて、 御 首 を 頭 殿のお 口 にかけ たと ころが、 た, た 一 CE 御 I:- になって、 涙に お咽び に なられ 

たが、 ま 山の 逢に 知って おいで」 なる 僧の ある 所へ、 この 御 首 を 送って、 「後世 を-. つて 下さい」 と 鋭 

んで おいて 逃げられた。 

さる 程に, 平家の 軍兵 馳 せ 散って 、信賴 • 義 朝の 宿所 を 始め て 、 謀反 の 環 M 々に 押 寄せ/ \ 

けんそく 

火 を 懸けて 燒拂 ひし かば. 其の 妻子 眷屬、 東 四に 逃げ 迷 ひ 山野に 身 をぞ隱 しける。 方々 に 

落ち行く 人々 は、 我が 行く先 は 知らね ども, 跡の 烟を 顧みて • 敵 は 今や 近づく らん、 げ急 

義朝败 北の 事 II 一 一 1 



I 一一 1 二 



輩の 家々 に 押 

し 寄せて 燒き 

拂 つた。 比歙 

山で は 信 賴* 

義 朝が 負けて 

落ちた と 聞い 

て 二三 百 人 千 

束が 崖に 待ち 

かけて- Q る 

が、 赏 盛の 手 

柄に 依って、 

S„J ひ拂 ふこと 

が出來 た。 



げと身 を 揉みけ り。 比歆 山に は 信 朝 *義 朝 打 負けて、 大原 口へ 落つ ると 沙汰し ければ、 西 塔 

おち 5- ど せへ ュ. く がけ 

法師 これ を 聞きて T いざや 落人 打 留めん。」 とて、 二三 百 人 千 束が 崖に 待ち かけたり。 義朝此 

の 由 聞き及び T 都に て 鬼 も 角 もなる べき 身の、 鎌 田が よしなき 申狀に 依って. これまで 落ち 

て 山 徒の 手に か、 り、 甲斐な き 死 を せんやる こそ 口惜し けれ。」 と宣 へば, 齋 藤,'^ 當 申しけ 

る は、 r 爱 をば 實盛通 しま ゐらせ 候 はん。」 とて 馬より 下り、 を脫 いで 手に 提げ. 亂髮を 面に 

(信; sf) (義 朝) 

振り 懸け • 近づき 寄って いひけ る は、 r 右衛門, 督. 左 馬,^ 頭 殿 以下お もとの 人々 は、 $1 大內六 

波羅 にて 討死し 給 ひぬ。 これ は 諸 國の驅 武者 どもが 恥 を も 知らす、 妻子 を兑 ん爲 に、 本國に 

落ち 下り 候 ふなり。 討ち 留めて、 罪つ くりに 何 かし 給 はん。 具足 を 召されん 爲 ならば、 物 具 

をば ま ゐらせ 候 はん。 通して 給 はれ。」 と 申しければ、 「げ にも 大將 達に て はな かりけ り。 葉武 

者 は 討ちて 何 かせん。 具足 を だに 脫ぎ 捨てば、 通されよ かし。」 と贪議 しければ、 實盛 重ねて. 

ぐ さ ■ 一 り 

「衆徒 は 大勢お はします、 我等 は 小勢な り, 草 指 を 切っても 猶 及び難し。 投げん に從 ひ、 奪 

おもて わ? - だ いし; 9 

ひ 取り 給へ。」 といへば、 面に 進める 若 大衆、 「尤も 然るべ し。」 とて 相 集まる。 後陣の 老 |5 も 我 

れ 劣ら じと 一所に 寄って * 競 ひ 諍ふ處 に、 實盛兜 を かっぱと 投げたり けり。 我れ 取らん とひ 

しめきければ、 敢て 敵の 體を も兑 つくろ は ざり ける 處に、 三十 ニ騎の 兵、 打 物を拔 いて 兜の 

ころ 

^を 傾け、 かばと かけ 入り、 蹴 散して 通りければ、 大衆 俄に 長刀 を 取り直し、 餘す i6 じと て 

追 ひかけ ければ- 實盛 大童に て- 大の中 差 取って 番ひ 、「敵 も 敵に よる ぞ。 義 朝の 郞 等に 武藏ノ 



國の 住人 長 井.^ 齋藤 ノ別當 實盛ぞ がし。 留めん と 思 はば 寄れ や。 手柄の 程 兌 せん。」 とて 取つ 

て 返せば、 大衆の 中に 弓 取 は, 少しもな し, かな はじと や 思 ひけん • ル" 引いて ぞ歸 りけ る。 

i ©眷 賜 一 族。 © 身 を 揉む 押し合 ふ。 混雜 する。 (〇 大原ロ 京都の 北 隅. 愛 i お 郡大原 村に 通じ 

る 入口。 © 西 塔な 師 比彀 山の 西 塔院の 住^。 © 落人 戰に 負けて 逃げて 行く 者。 © 千 来が ffi- 

と八瀨 との 間の 川の ほと h- で、 一の 崖と 云 ふ 坂路。 © 兎も^もなる どうと もなる べき。 © 山 徒 密 

山の 僧兵。 ©甲 斐 なき 死 を せんする 不 甲斐に も 犬 死 をしょう とする。 を脫 ぎて 手に^げ 反抗 

しない 意志 を 示す。 © おもとの キ: なる。 ©大 内 禁中。 ©驅 武者 、驩り^£-めた兵。 © 恥 を も 知らす 

恥を^5?とも思はぬ。 ©3非っくりに 罪作りな 事 をして。 ©具 足 燈。 © 物 具 甲 宵 等の 武具。 © "れに 

も なる 程。 © 葉 武者 雜兵。 ©Ag^ 議 總 會議。 © 草摺 餿の 名所、 鎧の 胴に 垂れ下げて 膝から 以下 

を 覆 ふ 部分、 菱 縫の 根と 共に 五段の 枚から 成り、 前 • 後 • 左の 三方に 垂れ、 右方 は脇裙 に^れる、 

合 E! 枚 ある。 © 投げん に從ひ 投げる から。 © 面 前。 © 若 大衆 若い^ 兵。 © 尤も 然るべ し い 力 

にも さう だ。 ©ひ しめく 押し合 ふ。 の 鉢から 首に 垂れて るる もの。 ©餘 すま じ 逃すまい- 

© 大童 散らし 髮。 ©大 の 中 差 大きな 中 差。 中 差 は、 旅に 矢 を 二十 五本 (五本 宛 五 列) せんす 中で、 

ま H 通の 征矢の 左方に 二 本 上 差と て 雁 又は 鏑矢 を 差し • その 次に 中 差と 云って、 木の葉 形の 尖 矢 二 本 

を 差す。 © 手柄の 程 技量の 程度。 © 弓 取 弓 を 持つ 者。 

i さて、 平家の 軍兵 者が 馳せ 散らばって、 信 賴ゃ義 朝の 宿所 を 始めと して、 謀叛 の^の 家々 に 押し 

寄せく 火 を 懸けて 燒さ拂 つた,., ら、 その 妻子 や 一族 は ie- 西に 逃げ 迷 ひ、 山野に 身 を 1:^ した。 方々 に 

逃げて 行く、々 は、 自分の 行く先 は何處 やら 分らない けれども、 後方 5 烟を り 返り て、 敵 は 今に 

も 近づく だら う、 • 急げぐ と, 说雜 した。 比敦 W に は 信 賴,義 朝が 打ち 负 けて、 大ぬ 口へ 逃げた i 評判 

したから 西 塔の 僧兵 はこれ を 聞いて、 「さや、 落人 を 打 留めよう」 とて、 二三 人が 千來が 患に 待ち 力 

八 義朝 敗北の 事 2 一 三 



けた。 義朝 はこの こと を 聞 さ 出して、 「都で どうにか 討死 をすべき 身が、 鎌 田の つまらない 申し やうに 

依って、 此 虚まャ 4 逃げて、 山 法師の 手に か、 つて、 甲斐 3 ない 犬 死 をす るの は 口惜しい」 と 仰せられ 

ると、 齋: 勝 別當實 盛が 申した に は、 「此 處は實 盛が うまくお 通し 申し ませう」 と 云って、 馬から 下り、 

§ -を脫 いで、 手に 持ち、 亂髮を 前に 振り 懸け、 近づき 寄って 云った に は、 「右 衞門督 • 左 .i^l^ 殿 主 

な 人々 は传禁 屮ゃ六 波羅で 討死 をされ ました。 われ 等 は、 諸 國の驅 武者 共 Q 恥 を 恥と も 知ら や、 妻子 

を 見る 爲に、 故鄕に 逃げ 歸 るので す。 討ち 留めて 罪 作. 5 な 事 をして 何に なり ませう。 ra-ST を 寄越せと 

なら 武具 を 差し上げ ませう。 だから 通して 下さい」 と 申した ところが、 「なるほど 大將 達ではなかった 

雜兵共 は 討った ところが 何に ならう。 武具 さへ 傲 ざ 拾て るなら、 通して やらう」 と 皆で 評議した から- 

實盛は 重ねて、 「衆徒 は 大勢で るら れる 2 に. 我等 は 小勢です。 だから 草 招 を 一枚々々 切っても 全部に 

は 行き渡らない。 投げます から、 奪 ひ 取りなさい」 と 云 ふと、 前に 進んで るる 若い 僭 兵 は 「いかにも 

さう, た I と 云って 相 集った。 後陣に る る 老僧 も 自分 も 人に ^53; けまい と 一所に つて、 競 1?- し <i 口 ふと こ 

ろへ、 實 盛は鏜 をば さりと 投げ^。 自分が 取らう と 押し合 ふたから、 全く敵の樣子を見;^^らなぃ、 そ 

こへ、 三十 ニ騎の 兵が、 太刀 を拔 いて の錢を 傾けて どつ と^け 入り、 獄 散らして 通った から、 大衆 

は 俄に 長刀 を 取り直し、 逃がすまい として, 近 ひかけ たから、 實盛は 散らし 髮で、 大きい 中 差の 矢 を 取 

つ て^ひ、 「敵に も 色々 の 敵が ある ど。 これ は義 朝の 家来の 武藏國 の 住人 長 并赍藤 別 常. K 盛で ある ぞ。 

打ち留めようと 思 ふなら 寄って 來ぃ。 一 つ 腕前の 具合 を 見せよう」 とて、 返し 戰 ふと、 僧兵 逢の 中に 

は 弓 を 引く 者 は 一 人 もない し、 かな ふまい とで も 思った もの か、 昏 返却して 歸 つた。 

義朝 だ&の 松原 を 過ぎられけ るに、 跡より T や、。」 と 呼ぶ 聲し ければ、 何者 やらん と兑 給へ 

ば、 遙に 先へ ぞ 延びぬ らん 丄覺 えつる、 信頼,' 卿 追 ひ 著いて、 「若し 軍に 負けて 東國へ 落ちん 

時 は, 信頼 を もつれて 下らん とこ そ 聞え しか。 心替 かや。」 と {ー且 へば、 義朝餘 りの 惡 さに 腹 を 



かけて、 一緒 

に 連れて 逃げ 

なかった 恨み 

を 云った ので 

義朝 は, M を 立 

て、 鞭 を 以て 

信 敏の頗 を 打 

つたが、 信賴 

は 何の 抗も 

しなかった。 

さて 進んで る 

ると、 橫河法 

師が TO: 五 百 人 

龍 華 越に 待ち 

かけて るて、 

散々 に 矢 を 射 

た。 



居 ゑ かねて 、「日本一 の不覺 人、 か、 る 大事 を 思 ひ 立って、 一 軍 だに せ やして、 我が身 も 減び 

お もて 

人 を も 失 ふに こそ。 面 つれな う 物 を宣ふ もの かな。」 とて * 持 たれた る 鞭 を 以て, 信頼の 弓 乎 

の 額 さき をした、 かに 打た. れ けり。 信頓 此の 返事 をば し 給 はす、 誠に^した る體 にて、 しき 

りに 鞭 目 を 押し 撫で/ \-ぞ せられけ る。 傅 子の 式部.^ 大 輔助吉 これ を て、 「何お なれば、 ^ 

殿 をば かう は 申す ぞ。 和 人 どもが 心の 剛 ならば、 など 軍に は 勝た すして * 負けて は 國へは 下 

るぞ 0,. とい ひければ. 義朝 「あの 男に 物ない はせ そ。 討って 拾て よ。」 と宜 ひければ. 鎌^ ノ 

兵衞 一-何で ふ 只今 さる 事の 候 ふべき. 敵 や 繽き候 ふらん、 延びさせ 給へ。」 と. て 行く^に、 又 

横 河 法師 ト: 下 四 五 百 人、 信 賴*義 朝が 落つ るなる、 打 留めん とて、 龍 華 越に 逆茂木 引き、 播 

.IT 一ん" 



稱 かいて 待ち かけたり。 三十 餘騎の 兵、 馬より 飛び下りく 手々 に 逆茂木 をば 物と もせす、 

引き 伏せく 通る 處に、 大衆の 中より、 指し 詰めく 散々 に 射たり ければ、 奥 上ハ郞 1^ 隆 

首の 骨 を 射られて • 馬より 逆さまに 落ちられて けり。 中せ! T 大 夫.^ 進 朝 長 も、 nl- 手の をした 

、かに 射つ けられて, 燈を蹈 みかね 給 ひければ, 義朝 「大夫 は 矢に 屮. 9. つるな。 《吊に? r つき 

せよ。 裏 か、 すな」 と宣 へば, 其の 矢 引つ かなぐって 捨て、 「さも 候 はす。 陸奧, 六郎殿 こそ 

痛手 負 はせ 給 ひ 候 ひつれ。」 とて、 さらぬ 體 にて 馬 をぞ n 十め られ ける。 

f © や 呼びかける 時に 發 する 語。 © 何者 やらん 誰, たらう か。 © 下らん とこ そ閗 えし か ドら 

うと 云った。 こその 係りに 對 してし かと 已然形で 結んだ。 © 腹 を: 115 ゑ かね 腹立ち を こらへ かねる。 

© 日 不一の 不登人 この 上 もない 甍 悟の 足りない 人。 ©1 軍 一度の <:: 戰。 eg 失 ふに こそ ド にあれ 

八 義ゅ股 北の 事 , 三 1 五 



三 一 六 

を 略いた 形。 失った ので ある。 © 面 つれ ひう 面の 皮 厚く。 厚かましく。 © した、 か 强く。 © 鞭 》1 

鞭の 傷痕。 ©傳 子 めのと の 子。 © 和 人 お前。 © あ 3 男に 物ない はせ そ あの 男に 物 を 云 はすな。 

で ふ どうして。 ©橫 河 法 帥 橫河 は比敦 W 三 塔の 一 。 © 龍 華 越 山城の 大 原から 近 江に 通 やる 

山路。 © 逆茂木 木の 杖 を 逆に 立て、 垣に 結び、 敵の 兵馬 を 遮り 止める もの。 © 搔裙 S の やうに 並 

ベた 裙。 © かいて 搔 きて、 のい 音便。 立てる こと。 © 手 々に 手に 手に。 @ 物 ともせ や 氣 にせす • 

何とも 思 はや。 © 引き 伏す 打ち倒す。 © 指し 詰め 矢つ ぎ 早 やに。 © 射 つけられて 射られて。 © 

鏜 づき 著た 鎧 を ゆり 動かす こと。 © 裏 か、 すな 鐘の 裏まで 矢 を 通すな。 © かなぐって むしり-取 

り。 © さも それ 程で も。 そんなに ひどく も。 © さあらぬ 體 足 を 射られた の を 射られた 樣子 もしな 

いこと。 平氣 で。 

S 義 朝が 八瀨の 松原 をお 通り過ぎ になった ところが、 後方から 「おうい」 と 呼ぶ 萆が したから、 何者 

であらう と御覽 になる と、 やっと 遠くへ 逃げた だら うと 思って るた 信賴 卿が 追 ひ 著いて、 rf おし; 卓に cp; 

けて、 東 國へ 逃げる 時 は、 信賴も 連れて 下らう と 云った のに、 心 りした のか」 と 仰せられ ると、 義 

朝は餘 りの 僧 さに、 立腹 を 我慢し きれないで、, この 上な しの 卑怯者、 こんな 大事 を 決行して おきなが 

ら、 一度の 合戰 さへ もしないで、 自分 も 滅び、 人 を も 失 ふので ある。 厚かまし くもよ く 云う こと だ わ 

い」 と 云って、 持って るた 鞭で 信賴の 左の 方の 頗先 きを 強く 打った。 信龃 はこれ に 何とも 返答 をされ 

ないで、 ほんと にび くくした 樣 子で、 しきりに 鞭の 傷痕 を 押し 撫でて おいでになる。 傅 子の 式部 大 

輔助吉 はこれ を 見て T 何者が 督殿を こんなに ひどく 申す の だ。 お前 達の 心が しっか. 5 してる たなら ば、 

どうして 軍に 勝たない ことがあらう、 それが 心が しっかり してるな いもの だから ft けて ia^ll に 下る の 

だ」 と 云った から • 義朝 は、 「あの 男に 物 を 云 はすな。 討って しまへ」 と 仰せられた から、 鎌 E 兵衞 が、 

一. どうして 只今 その やうな 事, どされ ませう、 敵が 績 いて 來 るで せう、 お逃げなさい」 と 云って、 進ん 



9 六 郎が討 

たれた から、 

義朝は 首 を 取 

ら せて、 ^徒 

の 身と して、 

打ち §s めよう 

と は |5 いやつ 

だ, 討って し 

ま へ と 命 4p せ 

られ たので、 

三十 餘騎は 僧 

徒の 中に^け 

入って 攻めた 

ので、 多くの 

死傷. 1?: ケ 出ち 

一 J 



で 行って るると、 又、 撗 河の 僧兵が 貴い 者 卑ぃ者 四 五 百 人、 信賴*^^,朝が逃げるのだ、 打 めよう 

とて 龍 華 越に 逆茂木 を 立て、 接裙を 並べて 待ち かけた。 三十 餘騎の 兵 はおから 飛び下りく 手に 手に 

逆 茂 太 を 〔おに も か-けす、 打ち倒しく 通る ところに、 大衆の 中から 矢繼 ぎせ に 盛に 矢 を 射た から、 陸 

奧六郎 義隆は 首の 骨 を 射られて、 馬から 逆さまに 落ちて しまった。 中宮 大夫進 朝 長 も 左の 方の 胶を强 

く 射られて、 镫を蹈 みにくく された から、 義 朝が 「大夫 は 矢に 中った の だな。 常に-俊 をば たく ゆり 

動かせよ。 そして 裏まで 通らぬ やうに せよ」 と 仰せられ ると、 朝 長 は その 矢 をむ しり-取って 拾て、 「大 

した 事 は あ. 5 ません。 陸 奥 六郎殿 こそ 赏 傷 を 負 はれました」 と 云って、 平 氣の樣 子で 馬 を; n 十く 馳 せら 

れた。 

六 郞殿討 たれ 給へば • 首 を 取らせて 義朝宣 ひける は T 弓矢 取る 身の 習, 軍に 負け て^つる は 

常の 事ぞ かし。 それ を 僧徒の 身と して、 助く るまで こそな からめ。 結句 打 留めん とし、 物 具 

剝 かんな どす る こそ 奇怪 なれ。 惡 いやつ ばら、 後代の 例に、 一 人も殘さす討てゃ^<?ども。」と* 

下知せられ ければ、 三十 餘騎 轡を雙 ベ、 駔け入り割.„^附け追ひ廻して、 攻め 詰め 攻めつ け 切 

たも どころ 

りつ けられければ、 山 徒 立 所に 三十 餘人討 たれに ければ- 殘る 大衆 大略 手 ft うて, 方 々(介々 

へ歸 ると て T 落人 討ち 留めん とい ふ 事 は、 誰が いひ 出せる 事 ぞ。」 とて、 彼れ ょ是れ よと 論じ 

ける 程に, 同士 軍 をし 出して 又 多く ぞ 死にに ける。 

© 助 くるまで こそ 云云 助ける までの こと はしない にしても。 © 結! 15 つまり は, © 奇怪 けし 

からぬ。 © やつばら 奴等。 ばらは複數をぁらはす^^尾辭。 ©例 こ、 は誡 め。 © 下知 命 八"。 © 割 

り附け 割. 9 込み。 © 立 所 その 場に。 © 方 々谷々 あちこち、 山の などに。 © 論じけ る 云 ひ 八" 



^ 義 M 收 北の 事 



三 1 七 



s 信 賴は義 

朝に 拾 てられ 

て、 八瀨 から 

引き返し . が 

それ i6 で從っ 

てるた 侍 共 も 

主に は 卟ひ難 

いと 思って 離 

れて しまって 

は 子 式部 大輔 

だけにな つた 



ふ。 © 同士 軍 味方 同士の 合戰。 

i 六 郎 殿が 討 たれ 給うた から、 首 を 取らせて、 義 朝が 仰せられ たに は 、「弓矢 を 取る 武士の 身のお は 

しとして、 軍に; 511; けて 逃げる の はめた. 前の ことで ある。 それ だのに、 僧 S 促の 身と して、 助ける まで 

の 親切 はない としても、 つまり は 打ち留め ようとし • 武具 を剝 がう とする の はけし からぬ。 僧い 奴等 

だ、 後世への 誡 めに 一人 も 殘 さや 討ち 殺せ、 者 共」 と 命令せられ たから、 三十 餘騎は 馬の ロを雙 ベて • 

僧徒の 中に^け 入り、 割り込んで、 追 ひ 猶 はして、 大いに 攻めつ け、 切.. きつけたがら、 山 徒 は 忽ちの 

間に 三十 餘^ 討 たれた ので、 残って るる 大衆 も 大方 疲を 負うて 方々 に、 あるひ は 山の 間へ 歸る とて、 

「落人 を 討ち 留めようと いふ 事 は 誰が 云 ひ 出した 事 だ」 と 云って、 彼 だ、 これ だと 議論し 合 ふうちに 味 

方 同士の 軍 を 始めて、 又澤山 死んで しまった。 

九 信 賴降參 の 事 並 最後の 事 

さる 程に 信頼 卿は義 朝に 捨てられて、 八瀨の 松原より 取って返されたり。 それまで は 侍 共 五 

十騎 ばかり ありけ るが 、「この 殿 は 人に 頓を打 たれて、 返事 を だに し 給 はねば、 侍の 主に は 叶 

ひ 難し。 行末 もさ こそお はせ め」 と 散りん、 に 落ち行き しかば、 傅 子 式部の 大輔 ばかりに ヌ、 

なりに ける。 余りに 疲れて 見えへ へば、 或る 谷 河に 馬より 抱き 下し, 千 飼 洗 ひて 進ら せ けれ 

ども, 今朝の 鯢 波に 驚きて 後 は、 胸 塞がりて、 唾 を だに も はかぐ しく \; ^み 入れ 給 はねば、 

まして 一 口 も 召さ > りけ り。 

©ilk の 主 武士の 、一十: 君。 © 行末 も 云云 今後 とても さう でい らっしゃる だら う。 © 干飯 飯 を 千 



大變 疲れて 見 

えたから 或る 

ハ,^ 河で 馬から 

下ろして 干 飼 

を 進めた が 一 

口 も 食べ なか 

つた。 



8 信 敏主從 

は HI に 乗って, 



途中, 山 法師 

に 出逢って 物 

具を剝 ぎ-取ら 

れ てし まひ、 

辛うじて 仁 和 

寺へ 參 つて, 

御 助 を 乞うた 



しか はかして 貯へ たもので、 これ を 水に して 柔らかに して 众 ベる。 洗 ひて 水に 浸して ふや かし 

て。 © はかばかしく はき)/ \ と。 

さて 信輯 卿ん、 義 朝に 拾 てられ、 ん瀨の 松 ";^ から 引き返された。 それまで は 武士 達が 五十 ばか 

.9 從 つてる たが、 「この 殿 は 他に 頗を打 たれても 返し もされない ほどの 卑怯者 だから * 侍の. 君に はし 

難い。 今後 もさう でい らっしゃる だら う」 とばらく になって 逃げて 行った から, 傅 子の 式部 大輔助 

吉, たけに なった。 ひどく疲れて.Qられるゃぅにぉ□^ぇになられるから• ある 谷 河に から 抱き ド して- 

干飯 を 水に 浸して 進ら せたけれ ども、 今朝の 敵の 閧の聲 にび つくりした 後 は、 胸が 塞がって、 さへ 

もしつ かりと 吞み 入れられない Q で、 一 口 もお 上りに ならなかった。 

又 馬に 搔 きのせ て、 「何處 へ か 入らせ 給 はん」 と 問 ひ 奉れば T 仁 和 寺 へ 」 と宜ふ 11、 蓮裹野 へ ど 

出で にけ る。 山 法師の 死した る を 葬して 歸る者 共に ぞ 行き 逢 ひける。 法師 ばら 之を兑 て、 「こ 

の 夜中に 忍び r 通る は、 落人の 歸. 來る にて ぞ あるらん。 討ち 留めて 物 具 剝げ」 と ral り けれ 

ば, 式部 大輔 取り あへ や、 「是れ は 六波羅 より 落人 を 追うて 長 坂へ 向 ひて 候が、 敵 は n 十^ち 延 

びて 候 間、 歸り參 るに、 暗 さは 暗し、 御 方の 勢に 追 ひ 後れて 侍るな り」 と 答へ ければ, さも 

あらんと や 思 ひけん、 旣に 通す ベ かりけ るに、 法師 一人 笠符を 兌ん とや ひけん、 「誠し から 

t 野 伏 もなくて」 とて、 松明 振り 擧げて 近づけば、 信頓 先に 打 たれけ るが T あは や」 と 驚 

きて、 落つ る ともなく 馬より 下り、 物 具 ぎ棄 て、、 鎧直垂 より、 小 具足 ,太刀 • 刀 • に t 鞍 

まで 取り やかな ひて、 「命ば かり をば 助け 給へ」 とて、 手 を 合 はされ ければ、 式 15 大輔 も釗が 

れ てけ. o。 それより 大白 衣に て、 はふ/ \ 仁 和 寺へ 參. o、 昔の 御惠 みの 么ハ なれば、 御 助け 



九 信^^降參の事並::?:た .づ 



三 1 九 



. 、 三 二 Q 

ぞ あらん やらん とて、 頸 を 延べて まゐ りたる 山、 し 入れられたり。 加 之 伏 見の 中 納首師 仲 

卿も參 り、 越後の 中 將成親 も 參られ けり。 

I © 蓮臺野 京都市 上京 區千本 通 鞍 -iil- 口上る^ 野 十二 坊町 にある 蓮臺 寺の m 北の 地域 を稱 し、 平安 

朝 中期 以後 火葬場と なった。 © 罵り 大聲で 叫ぶ。 © 取りめ へす 速。 即座に。 ©4{ 坂 一 名 杉 坂 • 

山城 國葛野 郡 小野鄕 村の 大字。 鷹 峰への 通路。 © さも あらんと や 本赏 であらう かと。 © 通 すべ かり 

ける に 通す 香であった が。 © 笠符 笠 又は につける 標の小 布帛。 © 野 伏 もなくて 「も」 は 「にも」 

の誤胜 で、 野 伏で もな くして、 今- 忍んで 行く の は 怪しい。 「野 伏」 は追剝 のこと。 

© 先に 打 たれて 先へ 馬で 進まれ。 © あは や あ、。 あつ。 © 取り やかな ひて とりまかな ひ (取 揃 

へ :>. の 誤りで あらう。 ©大 白衣 螳の 下に 著た 白 小袖。 © はふく 辛うじて。 やっと。 ©御惠 みの 

餘波 撙惠 みの 御蔭、 影響。 © 頸 を 延べて 平身低頭して。 © 加 之 こればかりで なく、 その上に。 

S 义馬 にかき 乘 せて、 「何處 へお いでに なられます のでせ うか」 と問ひ^^ると、「仁和寺へ」 と 信賴が 

仰せられ るので、 蓮臺 野に 出た。 ちょうど 山 法師が 死んだ 人 を 火葬に して 歸る者 達に 出逢った。 法師 

達 は 二人 を 見て T この 夜中に 忍んで 通る の は、 落人が 歸 るので あらう。 討.^ 留めて 物 具 を剝ぎ 取れ」 

と大騷 ぎした から、 式部 大輔は 即座に 機轉 をき かして、 「我等 は 六波羅 から 落人 を 迫 ひかけ て 長 坂へ 向 

ひました が、 敵が もはや 逃げて しま ひました ので- 歸り參 ると ころです が、 喑 いのは 暗い しして、 御 

方の 軍勢に 迫 ひつけないで 後れた のです」 と 答へ たから、 なるほど さう でも あらう かと 思った ので あ 

らう、 もはや 疑 ひが 解けて、 通す ことにした のに、 一 人の 法師が 笠符を 見ようと 思った i> のか、 「どう 

も; 小當 らしくない ♦、 野 伏で もな くして 今顷 こんなと ころ を 通る の は 怪しい」 と 云って、 松明を振り^^ 

げて 近づいた から、 信頼が 先に 馬 を 進めて るた が、 「あつ」 .V 駑 いて、 何時 下りた とも 分らない ほど 早 

く 馬から 下りて、 武具 を 脱ぎ 棄て、 • 鎧直垂 から 小 具足 • 太刀 *刀* 馬 鞍に 至る まで 取 揃へ て與 へ、 



これら は 

上皇の 不便に 

思 召される 人 

々であるから 

上 良 は 主上に 

助けて やる や 

うにお 中し に 

なった が、 六 

波羅 から 三百 

餘騎が 仁 和 寺 

へ 押し寄せて 

信賴 や」 始めと 

して、 上皇 を 

親って 來た謀 

牧の輩 を 全部 

捕って 歸っ 

た。 成 親 も 死 

罪に 行 はれる 

笞 であった が 

m. 盛が 今度の 

九 



「命 だけ は 助けて 下さい」 とて、 手 を 合 はされ たから- 式部 大輔 も剝 がれて しまった。 そこかん 大,: : 衣 

で 辛うじて 仁 和 寺へ 參り、 昔 御惠を 蒙った ことがある から、 そのお 藤で 御 助け ド さる. たらう と つて、 

平 あやまりに あやまって 參 りました と 云 ふこと を 申し入れられた。 ぁゃまって^?_^ ったのは、 信 紐 ばか 

でな く、 伏 見 中 納言師 仲 卿も參 り、 越後 中 將成親 も 參られ た。 

上皇 もとより 不便に 思 召さる、 人々 なれば, 傍に 隱し I 直 かれて、 先づ、 干; 上へ、 「信賴 をば 助け 

させ 給へ」 と, 御 書 を 進ら させ 給 ひし かど も、 敢て御 返事 もなかり ければ、 蔑ね て 、「がお を 

憑み て參 りたる 者 共 なれば 枉げて 助け 置かせ させた まへ」 と 巾 させ 給 ふ。 御 使 もい まだ^ら ざ 

るに. 三 河の 守 頼 盛 • 淡路 の守敎 盛. 兩 人大將 にて、 三百 余 騎仁和 寺に 押 寄せ、 i:;^ 顿を 始め 

て、 上皇 を 憑み て 進ら せて 參り 集まりた る 謀叛の 輩 五十 余人、 召 捕って 歸られ けり。 越後の 

中 將成親 朝 ほ は, 島 指の 直垂の 上に 繩附 けて、 六 波 羅 の 廐の 前に 引き 据 ゑら れ てお はしけり n 

旣に 死罪に 定まりた りし を * 重 盛 今度の 勳 功の 賞に 申し 替 へて、 ^かりた まひけ るな り。 こ 

の 中 將は院 の 御氣色 能き 人に て、 院 中の 事 申し 沙汰せられ ける が、 重 盛 出仕の 度 ごとに 15 お 

せられけ る 故な りと なん。 されば 人 は 情 あるべき 事に や。 

i © 不便 か は ゆく。 © 御. 蕾 御 書面。 お 手紙。 © 愚老 上皇の 御 自稱。 © 枉げて 無 に, 强ひ 

て。 © 島 招 藍で as の洲 の 形 を 招った 垂。 © 直垂 昔は庶 人の 常 服で、 後世 武{ 水の 蹬服 となった 

もの。 方 額 (カタ エリ) で 無 紋 • 菊 綴. 胸 紐 は 組 緒で、 袖 括りが あり、 色 は 不:, ^で、 地質 も K々、 舉 

の もめり、 裏の あるの も あり、 下着 • ,::1 小袖 、 風 折 帽子 を 川 ふ。 もとは (クル ブシ) に 及ぶ 衿 を 

ffl るた が、 後に 長 持 を 用. Q る こと、 なった。 @践 馬 小 sr © この 中將 成 親 " 御 H 色 能き 人 御 

信 賴降參 Q 事 並 最後の 事 三 二 一 



勳赏に 申し 替 

へて 助けた。 



1 信 賴は重 

盛 を 通しても 

助けられ るよ 

,フ にい ろ- 

懇願した が、 

今度の 謀效の 

本人 だからと 

て 盛が 免 さ 

ない ので、 遂 

に六條 河原に 

引き出されて 



寵愛の 深い 人。 © 沙汰し 取 計ら ふ。 © 芳心 好意。 

上皇 は 昔 か ら か は ゆく 思 召される 入々 であるから、 傍に 隱し^ かれて、 先づ 主上へ、 「信賴 をお 助 

け 下さい」 と 御 牛 紙 を 奉られた が、 主上から は 何の 御 返事 もなかった から、 重ねて、 「私 を賴 つて 參っ 

た 者 共です から、 無理に でも 助けて やって 下さい」 と 使の 者に 申し上げさせ になった。 御 使 もま だ歸 

ら ない 前に、 三 河守賴 盛と 淡 路守敎 盛の 二人が 大將 として 三百 餘騎が 仁 和 寺に 押し寄せて、 S を始 

めと して、 上皇 を賴 つて 参り 集って るる 謀叛の 連中 五十 餘人を 召 捕らへ て. 六 波羅に 歸られ た。 越後 中 

將成親 朝臣 は、 島摺の 直垂の 上に 繩を W けて 六 波羅の 廐の 前に 引き 据 ゑら れ ておいで になった。 旣に 

死罪に 定まって るた ので あるが、 重 盛が 今度の 自分の 勳 功の 赏に成 親 を 助けてい ただき 度い と 申し 替 

へて、 重 盛が 成 親 をお 預かりに なった ので ある。 この 成 親 中將は 上皇の 御 寵愛の 深い 人で、 院 中の 事 

をい ろくと 議し取 計ら はれた が、 重 盛が 院に 出勤す る 度 ごとに 好意 を 寄せられた 爲 だと 云 ふこと で 

ある。 して 兑 ると、 人 は 情の あるべき もので あらう。 

信賴卿 をば. (s^ 鬥.^ 佐して 謀叛の 仔細 を 尋ねら る。 一 事の 陳答 にも 及ば や、 只、 「天魔の 勸 

めな り」 とぞ歎 かれけ る。 わが 身の 重科 を も 知らす、 「今度 計り、 如何にも 申し 助けさせ 給へ」 

と、 银ぇ 伏し 申されければ. 重 盛 、「あれ 程の 不覺 人、 助け 置かせ 給 ひたりと も、 何程の 事 候 

§& . » (ヒ條 ) 3J 

べき」 と 申されし かど も, 淸盛、 「今度の 謀叛の 本人な り。 上皇の 申させた まへ ども、 君 も 聞 

召し入れす、 いかで か 私に は ゆ 仏すべき、 早 死罪に 定まりぬ。 疾 くく 斬れ」 と宜 へば、 左衞 

門 佐 「この h は 力に 及ばす」 とて 立 仁れ けり。 纏て 六條 河原に して. 旣に敷 皮の 上に 引き 据 

ゑ たれ ども、 思 ひも 斷れ や、 【あはれ 重 盛 は、 さばかり の 慈悲 者と こそ 聞きつ るに • など や 信 



接 首にせられ 



九 



賴 をば 助け 給 はぬ やらん」 とて, 起きぬ 伏しぬ 歎きて、 もだえ 焦れ 給へば • 松 浦 太 郞重俊 斬 

て かきく ひ 

手に て ありし が. 太刀の あて 所も覺 えねば. 押へ て 接 首に ぞ してけ る。 兑苦 しかりし お 様な 

とノ ご 5 つ lO しょ 5 r> かごと 

り。 年 来院の きり 人に て、 諸人の 追從を 蒙. 9、 去ん ぬる 十日より 內裘に 候 ひて、 様々 の 僻事 

をな し 給 ひし かば- 百官 龍 蛇の 毒 を 恐れ、 萬 民 虎狼の 害 を 歎きし に、 今日の 有様 は 乞 非人 

にも 摘 劣りたり とぞ、 見物の 諸人 申し 合へ る。 彼の 左 納言右 大史、 朝に 恩 を 承け て、 夕に 死 

よくき よい ことわ. <v 

を 賜 はると, 白 居 易の 書きし も、 理 かなと ぞ覺 えし。 

6 © 仔細 くわしい わけ。 ©陳 答 陳述 答 辯。 ©夭 魔 惡魔。 © 重科 い 罪と が。 ©不^ 入 卑 

怯 者。 © 何程の 事 別に 大して 危險な 事。 @ 本人 發頭 入。 © 私に は rtl 分 勝手に は。 © 力に は 及ば 

す 自分 3 力で はどうす る こと も出來 ない。 © 敷 皮 敷物と する 毛皮。 ©さ ばかり あれ ST 非常な。 

© 起きぬ 伏しぬ 起きたり、 伏したり して。 © 斬 手 首 斬. 5 役。 © 接 首 打 酋に對 して、 甘 を かき 切 

る こと。 © きり 人 はばき、。 © 追從 おべっか。 © 僻事 惡事。 © 百官 諸役人。 ©龍蛇の^?$ *虎 

狼の 害 二つと も 信賴の 横暴 を譬 へて 云った もの。 © 萬 民 人民 達。 © 彼の 左 納首 -ム々 人の 詩 

に、 「君 不レ見 左 納言右 納史、 朝 承 レ恩暮 賜レ死 行路 雖, ー不レ 在レ水 不一 レ在レ 山 只 在 二人 情 s^il 一」。 お 

易 支那 唐の 詩人。 字は樂 天。 

6 信賴卿 は、 重 盛 を 以て 謀叛の くわしい 事情 を 尋ねられた。 すると、 信賴は 一 一一 rn も それに 對 して 述 

ベ 云 ひわけ する こと も出來 ないで、 只、 r 惡魔 にっかれ てした ことです」 とお 歎きに なった。 Q 分の 身 

の 重い罪 も考 へないで、 「今度 だけ は、 何とか 申して お助け 下さい」 と、 そこに ぴったり 俯向いて 中 さ 

れ たから、 重 盛 は、 「あれ 程の 卑怯者 だから 助けてお 置きに なっても、 別に 大して 危^な こと はあり ま 

せん」 と 申された けれども、 淸盛 は、 「信賴 は 今度の 謀叛の 發頭 人で ある。 上桌が 助けて やってくれ る 

信 賴降參 の 事,. 亚 最後の 事 一一 一一 ニニ 



三 二 四 

ようにと 申されても、 主上が お聞き 人れ にならない の, たから、 自分勝手に はどうして 許す こと: 出 米 

よう。 もはや 死罪に 定まって るる。 早く 首 を 斬れ」 と 仰せられる G で、 重 盛 は、 「この 上 は 自分の 力で 

はどうしょう もない」 とてお 立ちに なった。 間もなく 六倏 河原で、 はや 敷 皮の 上に 引さ据 ゑた けれど 

も、 信 賴は思 ひきれ す、 「あ、 重 盛 は、 あれほどの 慈悲の ある 者 だと 聞いて るるのに、 どうして この 信 

賴を お助けに ならない ので あらう」 とて、 起きたり 伏したり して 歎いて、 悶えお 焦れになる ので、 松 

浦 太 郞重佼 が 首斬り 役であった が、 太刀 を當 てる 所 も 分らない から、 押へ てかき 首にした。 見苦しい 

有樣 であった。 信賴は 長年 來院 中の はばき、 で、 多く 人から おべっか を 云 はれ、 去る 十日から 禁中 

に 居て、 樣々 の惡事 をな された から、 百官 は 龍 や 蛇の 毒の やうな 信 賴の橫 暴 を 恐れ、 人民. 蓬 は 虎狼の 

やうな 害を歡 いたが、 今日の 有樣は 全く 乞食 非人に もま だ 劣って, Q たと 見物の 人々 は 何れも 云 ひ 合つ 

た。 かの 左納言 太史が 朝に は 朝恩 を 蒙って、 夕べに は 死刑に 處 せられた と、 A 樂天が 書いて るるの も、 

な る ほ ど本當 だと 思 はれた。 

|〇 常 盤 註 進 並 信 西 子息 各 遠 流に 處 せらる. -事 



I 義 朝の 末 

子 は 常 盤の 腹 

に 三人 あるが 

義朝は 落ち行 

く 途中 金 王 丸 

を 遣 はして、 

自分 は 戰に負 



こ、 に 左 馬頭 義 朝の 末子、 九 條院の 雜仕常 盤が 腹に; 二人 あり。 兄 は 今 若と て 七つな り、 中 は 

乙 若と て 五つ、 末 は 牛 若と て 今年 生れたり。 義朝此 等が 事 心苦しく 思 はれければ、 金 王 丸 を 

道より 返して T 合 戰に打 負けて- 何 地 ともなく 落ち行け ども、 心 は 跡 を 顧みて、 行 先 更に 覺 

えす。 何處に 在りと も、 心安き 事 あらば、 迎へ 取るべき なり。 その 程 は 深山に も 身 を隱し * 

お とづれ 

わが 音便 を 待ち 給へ」 と 申し 遣 はされ ければ、 常 |E 聞き も あへ す、 引き かやき 伏し 沈めり。 



けて 東の 方へ 

落ちて; 仃 くが 

何處へ 行って 

も 安心の 虚が 

あれば 迎へ取 

るから、 それ 

まで は 深山に 

姿を隱 して を 

れと云 はせ た 



0© 信 西の 十 

二人 S 子供 は 

罪科 もない の 

一 〇 



幼き 人々, 聲々 に 、「父 は 何處に まします ぞ。 頭 殿 は」 と 問 ひ 給 ふ。 や、 ありて 〈s 盤 泣 ■ 

「さ て も 何方 へ とか 聞え つる」 と 問 ひければ、 「譜代の 御家人 逹を御 憑み 候 ひ て 東の 方 へと こ 

そ 仰せ 候 ひし。 暫く も 御行 末覺 束な く 存じ 候へば、 暇 申して」 とて ぞ出 でに ける。 

i © 九條院 藤原忠 通の 養女。 呈子。 近衞 帝の 皇后。 ©雜 仕 雜役を 務める 低い 女官。 © 心 は脉を 

顧みて 心 は あとに 殘 つて。 © 更に 覺ぇゃ 全く どうしてよ いか 分らぬ。 @迎 へ-取る ベ きなり 迎へ 

取る 積り である。 © その 程 は その 間 は。 © 引 きかす き 上 著の 衣 を 被る ことで、 泣 額 を;:^ せぬ ため 

である。 ©譜5^ 代々 臣 として 仕へ て 居る 家來。 © ^の 方 關 まの 方面。 ©覺 束な く 氣 がかり。 

i こ、 に義 朝の 末の 子が、 九條 院の雜 仕の 常 盤の 股に 三人 ある。 兄 は 今 若と 云って 九つで あり、 巾 

は 乙 若と 云って 五つ、 末 は 牛 若と 云って 今年 生れた。 義朝 はこれ 等の 事が 心配に 思 はれた から、 <-正 

丸 を 落ちる 途中か^ 返して 、「自分 は合戰 に打负 けて、 何 處と云 ふ あてもなく 落ちて 行く が、 後に 心 残 

.0 がして、 行 先 どうしてよ いか 少しも 分らない。 何處に るても 安心の 事が あれば、 迎 へ-取る 稹.^ であ 

る。 その 間 は 深山に 身を隱 して、 自分からの 音便 を 待って をれ よ」 と S. し? 4 はされ たと ころが、 常 盤 

はこれ を 聞き 終らないで、 上 著の 衣 を 引き 被って、 泣き伏した。 幼き 人 々は!^々 に、 「父 は 何 4^ にいら 

せられる のか。 頭 殿 は」 とお 問 ひになる。 しばらくして、 常悠は 泣く く 、「さて 義朝殿 は 何 返へ; 打く 

と 云って るら れ たか」 と 問うた ので、 「譜代の 家來達 をお 船り になって、 關^ の 方へ と 仰せられました。 

かう してる る 間 も、 頭 殿の 御行 末が 心配に 思 はれます から、 暇 S- して まるり ます。」 と:: ム つて 出て;:;: つ 

た。 

(信 西) 

さる 程に 少納 一一 一一 11 入道の 子 共、 僧俗 十 一 一人 流罪せられ けり oris の 御 爲敢て 不義 を存ぜ ざり し忠 

臣の子 共 なれば、 縱令信 賴*義 朝 は 流されて 配所に ありと も、 赦免あって:^:: しこ そ 返さる ベ 

常 盤 註 進 #: 信 5: 子息 各 遠 流に 處せ, つる . ^事 三 二 五 



;に、 經宗 • ^ 

方の 謀で 琉罪 

にあった が、 

幾程な く 罪の 

ない ことが 分 

つて 召し 返さ 

れ、 經宗 . 惟 

方 は 終に 左遷 

せられた。 



B 信: ほの 子 

供 は 才智が 勝 

れ てるた ので 



きに 結句 流罪に 處 せらる、 科の 條 何事 ぞ、 心得難し」 といへば、 この 人々 元の 如く 召し: H 

へられば、 信頓 同心の 事 ども、 天 聽 にや 達せん やらん と 恐怖して、 新 大納言 經宗 • 別 當惟方 

の勸 めなる を. 天下の 擾亂に 紛れて、 君 も 思 召し 誤りて けりと、 心 ある 人 は 中し ける が、 ^ 

名 は 立せ ぬ もの なれば、 幾程なくて 召し 返され、 經宗 • 惟 方の 謀計 は顯 はれけ るに や、 終に 

左遷の 愁 へに 沈みけ り。 

I {^^、ほ十ニ人 新宰相俊憲*巾將成憲-右中辨良憲*美濃少將長憲*美濃守是憲*法^?5:^.:は*法 

橋寬敏 • 大法 師膨憲 • 澄憲 • 憲耀 *畳憲 • 明遍。 © 君 天皇。 © 配所 配流の 地。 © 科の倐 罪せら 

る、 事柄。 © 犬聽 天子の 御 耳。 © 虚名 無-買の 事。 讒言。 © 左遷 祿位を 下し、 或は, 吡流 する こと。 

G さて、 少納言 入道 信 _2 の 子供の 僧侶、 俗人 合 はせ て 十二 人が 流罪に なった。 「君の 御爲に 少しも: 小 

正の 事 をし なかった 忠臣の 子供で あるから、 たと ひ 信 賴 .義 朝 は 流されて 配所に あっても、 ぉ赦 しに 

なって 召し 返される 箬 であるのに、 つまり は 流罪に 處 せられた 事 は、 どう 云 ふ 罪 狀か譯 が 分らぬ」 と 

云 ふと、 或 者 は、 信 西の 子供達が 以前の 通り 朝廷に 召し使 はれる 事になる と、 經宗ゃ 惟 方が-,! -賴に 味 

方した 事な どが、 天子 :5 御 耳に 達する だら うと 恐れて、 新 大納言 經宗 • 別 常 惟 方 3 二人が 子:^ i ^一の 流 

罪 をお 勸 めしたの を、 天下の 騒動に 取り紛れて、 天子 もお 氣 付きに ならなかった の, たと 考へ ある 人 は 

申した \V 無: 頁の 事 は 立たぬ もの だから、 それから 問 もな く 召 返され、 經宗 • 惟 力の 謀 は豳れ たの か、 

終に 流罪の 愁 へに 逢って 落ちぶれた。 

信 西の 子 共、 內 外の 智、 人に 勝れ, 和漢の 才、 身に 備 はりし かば • 配所に 赴く その 口まで も 

此處彼 .陪 に 寄り合 ひ、 歌 を 詠み 詩 を 作り ご、 互に 余波 をぞ浩 しまれけ る。 西 海に 赴く 人 は、 



配所に 赴く 日 

まで 詩歌 を 作 

つて 別れ を^ 

しんだ • 中に 

も成憲 は、 老 

母と 幼子と を 

振. - 拾て. -遠 

方の 地に 赴い 

たが、 粟田口 

の邊 りで、 名 

殘を 惜しむ 歌 

を 一 首 詠んだ 



かくて 近 

江 を 過ぎ、 ^ 

所を經 て、 自 

分の 住むべき 

1〇 



! At 一の i 路を 別れ 行き、 東國へ 下る 輩 は 千里の 山河 を 隔てた る、 心の中 こそ 哀れ なれ。 巾に 

も播 磨の 中 將成憲 は * 老いた る 母と 幼き 子と を 振り捨て、、 遼遠の 境に 赴きけ る。 せめての 

都の 余波 惜し さに、 所々 にや すら ひて、 行き もやり 給 は ざり ける が、 粟田口の 邊に馬 を駐め 

て、 

道の 邊の 草の 靑 葉に 駒と めて なほ 故鄕を かへ りみ るかな。 

1 ©S: 外の 智 內典 (佛經 ) 外典 (漢籍) の學 讒。 © 和漢の 才 日本 • 支那の ss. 才。 ©餘 波 別れ * 

© 八重 Q 激路 遠い 海路。 © 哀れ 氣の毒。 ©i^i3遠の境 遠い 土地。 © せめての 云云 胸に せまる 都 

の 別れが 惜しくて。 ©: 仃き もやり 給 はす ようお 行きに ならない。 {^ 粟 W 口 江から に 入る::。 

1 信 西の 子 共 は 内典. 外典の 學識が 人よりも 勝れ、 和漢の 才能 を 身に 備 へて るた から、 配所に 赴く 

その 日まで も 此處ゃ 彼處に 寄- - 合って、 欲 を 詠み、 詩 >ゲ 作って、 互に 別れ を 惜しまれた。 g: 海に 赴く 

人 は 遠い 海路 を 別れて 行き 關: m へ 下る 方々 は、 遠く 山 や 河 を 隔てた が、 その 心の中 は::^ f 一 5 である。 そ 

の 中で も、 播磨中 將成憲 は 老いた 母と 幼き 子と を 振り 拾て、 遠方の 地に 赴いた。 胸に;? J る 都の 別れが 

^しくて、 所々 に 休んで * ようお 行きに ならなかった が、 粟田口の に 馬 を; S めて、 

道の ほとりの 草の 靑 葉のと ころに 馬 をと めて、 いつまでもお 鄉 を;; 返って る ことで ある, さ 

て も 名残惜し いこと だ。 

かくて 近 江 を も 過ぎ行けば、 如何に 嗚 海の 潮干 潟、 二 村 山、 宫 IS 山、 たかし 山、 濱 名の 橋 を 

打 渡り、 小夜の 中 山、 宇津の 山 を も 兌て 行けば、 都に て 名に のみ 問き しもの をと、 それに 心 

を 慰めて • 富 士の高 峯を打 詠め、 足 柄 山 を も趑ぇ ぬれば、 いづく を^り とも 知らぬ 武:^ ^や、 

常 盤 註 進 並 信 西 子息 各 遠 流に 虔サ らる, -事 一 一一 二 七 , 



fl 三 八 



室の 八 島に 著 

いて 見る と、 

煙が 心細く 上 

つて 感涙が 止 

め 難い。 やが 

て 草の 庵を自 

分の 住家と 定 

めた。 



堀 兼の 井 も 尋ね 見て 行けば、 下野の 國府に 著き て、 わが 住む ベかん なる. slの八^II?とてa遣 

り 給へば. 煙 心 ぼ そく 上りて、 折から 感淚 止め 難く 思 はれし かば、 泣く くかく ぞ 聞え ける C 

我が 爲 にあり ける もの を 下野 や 室の 八 島に 絡えぬ おも ひ は。 

ここ - % ^ 

爱をは 夢に だに 兑んと は 思 は ざり しか ども、 今 は 住家と 跡 をし め、 習 はぬ 草の 庵、 譬 へん 方 

も 更にな し C 

1 © 如何に 鳴 海 如何になる 身 を 鳴 海に 云 ひかけ た。 鳴 海 は 名古展 市の^ にある、 今の 鳴 海 町。 © 

二 村 山 • 宫路山 三 河の II にある 山、 © たかし 山 三 河と 遠 江の 境に ある 高師 出。 © 小夜の 中 山 遠 

江の 東部に ある。 © 宇都の 山 靜 1; 市の 西方に ある。 © 足 柄 山 富 土の 山麓、 箱 极の舊 道 。© 堀 鍵の 

井 培 玉 縣へ間 郡 堀 兼村邊 にあった 井で あらう。 © 國府 今の 都賀 郡^ 府村。 @.M の八岛 國 府柯大 

字 惣社 字 室 〇 八 島。 大神 神社が ある。 中古 以來、 1- を 詠み 5^ ふ へ る ことにな つて。 る。 

B 力くて、 近 江 を も 過ぎ行く と、 我 身の 末 はどうなる こと やら 不安に 思 ひつ /- 鳴 海の 干潮 に 著き. 

更に 二 村 山 二 呂路山 • たかし 山 .濱 名の 橋 を 打 渡り、 小夜の 屮山 ,宇津の 山 を も 眺めながら; 仃 くと、 

都で 寂しい 所と 名ば かり 聞いた もの を、 今實 際に 通る こと だと 思って それで 心 を 慰め. それから、 富 

ゴリ 高峰 を 打 詠め 足 柄 山 を も 越えて しま ふと- 何虑が 果てと も^らぬ 廣々 した 武藏野 や, 堀 兼の 井 

を 尋ねて 見て 行く と、 問 もな く 下野の 國府に 著いて B 分の 住む 箬の 室の 八岛 であると 思って 見^され 

ると、 煙が 心細 さう に 上って、 折から 萬感が 胸に 迫って 1^ やか 止め 難く 思 はれて、 泣く く 次の 欲 をお 

詠みに なった。 

この 土地の 絕 えぬ 煙 はわ-か 故 鄉を思 ひ 焦れて 立てる その であった の, た。 

此 4^ を 夢にも 見ようと は 思はなかった が、 今 は 住家と 定め、 住み慣れた ことのない 革の 庵に 日 を 過す 



I 義朝は 堅 

E の沛へ 出て 

義隆が :|!I を兑 

て、 泣く く 

弔って 湖へ 深 

く收 めた。 そ 

れ から 引返し 

勢 冬 を さして 

落ちた が、 そ 

の時從 つてる 

た 兵 共 二十 餘 

人 は 暇 賜よ つ 

て 各^々 へ 下 

つた。 



1 1 



心細 さは 全くた とへ やうがない。 

一 一 義朝靑 墓に 落ち 著く 事 

(^朝) おた だ (^^) 

さる 程に、 左. 頭 は 堅 m の 浦へ 打 出で て、 義隆 の^を は 給 ふ。 「八幡 殿の 御子の 名 tf に は、 

此の 人ば かりこ そお はしつ るに、 後れ 奉って はいよ/ \ 力なく こそ 覺 ゆれ。」 とて、 泣く/ \ 

念佛 申し 弔 ひて、 湖へ 馬の 太 腹 ひたる まで 打 入り, 此の 首 を 深く 收 めら れ けり。 やがて 船 を 

尋ねて 渡らん とせられ けれども, をり ふし 波風 烈しく して かな は ざり しかば * それよりの 返 

し 勢 多 を さして 落ちられけ るが、 「此の 勢 一 所に て はかな ふま じ、 道 を かへ て 落つべし。 志 あ 

らば 東國 にて 必す 參會 すべし。 暇取らす る、 兵 ども。」 と宣 へば、 各 「いづく まで も 御供 仕つ 

てこ そ、 何ともな り 候 はめ。」 と 申せ ども、 「存 やる 匕 n: あり、 .一; 大 く^く。」 と 宜 へば、 力 及ばす し 

て, 波 多 野.^ 次 郞義通 • 三 浦.. 荒 次 郞義澄 • 齋 藤,^ 別當 • 岡 部 丄ハ彌 太 • 猪 保 ノ小平 K • 熊 (介 ノ次 

郞 • 平 山.^ 武者 所 • 足 立.^ 右 馬メ允 • 金子.' 十郞 . 上總. ^介 八 郞を始 として、 I 一十 餘人^ 賜 はり、 

忍 ひ- (^に 國國 へ 下りけ り。 

6 © 堅 田の 沛 堅 ™ は 近江國 1 ぬ賀 都に ある 町。 琵琶湖の 西? がに 沿 ふ。 沿 I が を の^と 云 ふ。 ©義 

義 朝の 叔父。 爲義の 弟、 義 家の. ナ。 © 後れ 奉り 先に 死なれる。 © 太肢 腹部の ふくれた ところ • 

ひたる 水に つかる。 © 勢 多 近 江^ 粟 太 郡に ある 地。 © 何ともな り 候 はめ どの やうに でもな り 

ませう。 討死し ませう。 ©^f 'る! 33 考 へる こと。 

義朝靑 墓に 落 二 著く 事 一! I 二 九 



三 三 〇 



1 義 朝と 1 

所に i, さり 厂-の 

は 僅かに 八騎 

である。 賴朝 

は、 馬睡 をし 

てるて、 一 行 

に 後れて, 一 

人 夜更けて 森 

山の 宿に 入つ 

たと ころが、 

沙汰 人が 数人 



i さて、 義朝は 堅 田 S 浦へ 出て、 義隆の 首 を御覽 になつ 一,」、 「八幡 殿の 御子で 殘 つて-つられ るの は、 

この 人 だけが おいでにな つたのに、 先に 死なれて は 愈々 心細く 思 はれる」 とて、 泣く く 念佛を e- し、 

後世の 冥福 をお 祈りに なって、 湖へ 馬の 太 腹が 水に つかる まで 入って、 この 首 を 深く 沈められた。 や 一 

がて、 船 を 尋ねて 向 ふに 渡らう とせられた けれども、 その 時ち ようど 波風が 烈しくて 渡る ことが 出來 

なかった から、 そこから 引き返し、 勢 多 を: おして 一; ほ ちられた が、 「この 軍勢が 一 所に なって 行って は 落: 

も 延びる こと は 出来まい、 待が それ-^ 道を替 へて 落ちて くれ、 自分に 對 して 志が あれば、 艰國 でき, 

つと 出 逢 はう。 兵 共 暇 を やる ぞ、」 と 仰せられ ると、 各、 「何處 まで も 御供いた しまして、 どの やうに で: 

もな. 5 ませう」 と 申す けれども、 義 朝が 「考 へる ことがある から 暇 を やる の だ、 早く 行け」 と 仰せら- 

れ るので、 致し方なくて 波 多 野次 郞義ァ 辺 • 三 浦 次 郎義澄 . 齋 藤别當 • 1: 部 六彌太 . 银俣小 平 六 *熊 谷 一 

次 郎, 平 山 武者 所. 足 立 右馬允 • 金子 十 郞* 上總介 八郞を 始めと して、 二十 餘人は 暇 を 賜 はって、 め; 

い-.. \ 自分の 故鄕へ 下った。 : 

義 朝の 一所に 落ちられ ける は、 嫡子 惡源 太義平 男 中宮.^ 大 夫.^ 進 朝 長 • 三男 右兵衞.' 佐頓朝 • 

佐 渡.^ 式部.^ 大輔重 成 • 平 賀ノ四 郞義宣 • 義朝乳 _f 子 鎌 田 is 、衞政 家 • 金 王 丸、 僅に 八 if ふり。 

兵 衞.^ 佐賴 朝、 心 は :5| しとい へど も、 今年 十三、 物 具して 終日の 軍に 疲れ 給 ひければ、 馬 睡をー 

し、 野路の 邊 より 打ち 後れ 给 へり。 頭.' 殿篠原 堤に て 、「若者 ども はさが りぬ るか。」 と宜 へば、. 

各 「これに 候 ふ。」 と 答 へられし に, 兵衛, '佐お はし まさ や。 義朝 「無 慙 やな、 さがりに け. 9。 : 

若し 敵に や 生 捕らる らん。」 と宣 へば、 鎌 田 「尋ね ま ゐらせ 候 はん。」 とて 引き返し、 「佐 殿 やま 

します。 II と 呼ば は. 奉れ ども、 更に 答 ふる 人 もな し。 賴朝 良あって うち 驚き 兑給 ふに、 前後 一 



出で、 賴朝を 

打ち抜めよう 

としたが、 賴 

朝 は その 中の 

お (弘を 打ち倒 

した。 



1 1 



に 人 もなかり けり。 十二月 二十 七日 夜更 方の 事 なれば、 嗜 さは 喑し、 先も兑 えね ども、 馬に 

任せて た V- 一騎 心細く 落ち 給 ふ。 森 山の 宿に 入り 給へば、 宿の 者 どもい ひける は、 「今夜 馬の 

足音し げく 聞 ゆる は、 落人 にゃある らん。 いざ 留めん。」 とて、 沙汰 人數多 出で ける 中に、 源 

內兵 衞眞弘 とい ふ 者、 腹卷 取って 打 懸け、 長 太刀 持って 走り出で ける が、 佐 殿を兑 奉り、 馬 

の 口に 取りつ き、 「落人 をば 留め 申せと、 六 波 羅 より 仰せ 下され 候 ふ。」 とて、 既に 抱き 下し 奉 

らんと しければ、 髭 切 を 以て、 拔 打に しとと 打 たれければ、 眞弘 が眞向 二つに:;: ち 割られて- 

のけに 倒れて 死にに けり。 鑌 いて 出で ける 男 、「しれ 者 かな。」 とて、 馬の 口に 取りつ く處 を、 

同じ様に 斬り 給へば、 籠手の 覆より 打 落されて 返き にけ り。 

6 © 嫡子 正^^?!-の生んだ長男。 © 物 具して 甲胄 をつ けて。 © 馬睡 馬上で 腿る こと。 © ^路 近 

江國 粟田 郡に ある。 ©德 原 野路に つづいた 地名。 © さがり 落伍す る。 ©無慙 こ、 は, E "哀 相。 S 

うち 駑き 目 を さます。 © 森 山の 宿 近 江 國野洲 (ヤス) 郡の 町。 奮中山^^の 一 驛。 © 沙汰 人 官 

から 命 を 受けた 人。 © 腹 卷 腹に 卷 いて 背で 合 はせ る鏗の 一種。 お 切 名刀の 名。 ©权 打 刀を拔 

くやい なや 切りつ ける こと。 @ しと 斬る 音の 形容。 ©ぉ 向 額の 中央部。 © のけに 仰,: §; けに。 © 

しれ 者 こ、 は油斷 のなら ぬ 奴。 

i 義 朝と 一 Si に 落ちられ たの は、 長子の 惡源 太義平 • 次男 中 大夫進 朝 長 • 三 男 右兵衞 佐賴朝 • 佐 

渡 式部 大輔重 成 • 平贺 1: 郎義宜 . 義 朝の 乳母 子の 鎌 田 丘: 衞政家 • 金 王 丸の 僅か 八^で ある。 兵衞 敏 

朝 は 心 は, おいと 云っても、 今年 十三で、 物 具. を 著け て 終日の 軍に お疲れに なった から、 上に 睡 つて 

るて、 野路の めたり から 一 行に 後れ 給うた。 頭 殿が 篠原 堤で 「若者 共 は 皆る るか」 と 仰せられ ると、 

義朝 肯^に 落で、 著く 事 三 三 一 



その後 近 

附く者 もなか 

つたから、 宿 

を馳せ 過ぎて 

野洲の 河原に 

出た ところが 

政 家に 逢った 

それから 間 も 

なく 義 朝に 追 

ひついた。 鏡 



各 「こ、 に をり ます」 と 答 へられた が、 兵衞 佐が いらせられない。 義朝 は、 「可哀相, た わい、 後れて し 

まった の だ。 若しかしたら 敵に 生 捕に された かも 知れぬ」 と 仰せられ ると、 鎌 田が 「お尋ねいた しま 

せう」 とお 呼び 奉った けれども、 一向 答へ る 人 もない。 鎮朝 はしば つくして、 眼 をお 畳まし になった 

が、 前後に 人 もるな かった。 十二月 二十 七日の 夜更け 時分い 事 だから、 暗い こと は ひど,、 暗い し、 先 

も::^ えない けれども、 馬の 進む に 任せて たヾ 一 人心 細く 落ちられる。 森 山の 宿に お 著き になる と、 宿 

の 者 共が 云った に は、 「今夜 馬の足 音が 澤山 聞え るのに 落人 かも 知れぬ。 さあ 打す、 留めよう」 と 云って、 

官軍から 命令 を 受けた 人が 澤山 出た 中に、 源 内 兵 衞眞弘 と 云 ふ 者 は 腹卷を 取り上げて 著 、 長 太刀 を 

持って 走 h 出た が、 佐 殿 を見桊 つて、 馬の 口に 取 り 付き 、「落人 を留 め 申せと 六 波羅か ら 命令 を 受け ま 

した」 と 云って、 もはや 賴朝を 馬から 抱き 下し 奉らう としたから、 頼 朝 は 髭 切 を 以て、 拔 打に しとと 

切りつ けたと ころが、 眞弘の 額は眞 中から 二つに 打ち割られて、 仰向けに 倒れて 死んで しまった。 椟 

いて 出た 男が、 「油斷 のなら ぬ 奴 だ わい」 と 云って、 tlT の 口に 取り付く ところ を、 同じ 樣に お斬りに な 

ると、 籠手 G 覆のと ころから 腕 を 打へ 落されて 返いて しまった。 

其の後 近 附く者 もなければ, 即ち 宿 を馳せ 過ぎて、 野洲, 河原へ 出で へ 一? へば、 家に こそ ひ 

給へ。 それより 打 連れ 急ぎ 給へば、 程なく 頭.^ 殿に 追 ひっき 奉り 給 ふ 。「など 今まで さがる ぞ。」 

と宣 へば、 ,云> の 由 申されければ 「縱 ひお となな りと も * 爭 でか 只今 斯う は擧動 ふべき。 い 

しう したり。」 とぞ 感じ 給 ふ。 鏡の 宿 を も 過ぎし かば, 不 破.^ 關は敵 固めたり とて 、小關 にか、 

つて、 小 野.' 宿より 海道 をば 馬 手に なして 落ち 給へば、 雪 は 次第に 深くなる、 馬に かな はねば. 

物 具して はな かく 惡 しかり なんとて、 皆 鎧 ども をば 脫ぎ 捨てら る。 佐 殿 は* 馬上に てこ そ • 

劣り 恰 はね ども 走 立に なつ てに 常に さがり 給 ひしが、 終に 追 ひお くれ まゐら せられけ り。 



の 宿 を r- ぎ、 

小關 にか S り 

小 野の. 11? から 

海道 を 右手に 

落ちた が、 雪 

が 深いので KT 

から 下り、 m 

を脫 いだ。 m 

朝は义 何時し 

か 一 行に 後れ 

た。 義 朝は漸 

くにして 靑墓 

の {15 に 著いた 



義朝は 鬼^して、 美 濃.' 國靑 募の 宿に 著き 給 ふ。 年 ごろの 御宿 なれば、 それに 入り 給へば. 斜 

なら や もてなし 奉る。 (卷! 1) 

i {^0政家 鎌 田 兵衞。 © 云云 これく。 © おとな 大人。 © いしう よくも。 感心に も。 ©鎵 の 

宿 近 江 國蒲生 (ガ マフ) 郡鎵 山村の 大字。 © 不破關 美濃^不破郡松:^-村字艇川の-:!^に設け、 ?5?山 

道の 耍 銜に赏 つた もの。 古、 三關の 一 。 © 小關 不破 郡、 北^ 街^の 交叉 點。 © 小 ^招 类浪。 © 海 

m 東海道。 © 馬 手 右の 方。 © 馬 にかな はねば 馬に 乗る ことが 出来ない から。 © 物 具して ^を 

著て。 © なかく 却て。 ©J!^ 立 徒歩。 ©鬼《 して 辛うじて。 ©靑 墓 笑 f,sw 不破 郡に ある 村。 

垂 井と 赤 坂との 問に ある。 © 年 ごろ 以前からの。 ©斜 なら や 一 方なら や、 厚く。 

S その後 近寄る 者 もない から、 阜 速 その 宿 を馳せ 過ぎて、 野洲の 河原へ 出られる と、 政 家に お ひ 

になった。 そこから 一 緒に 建れ 立って お急ぎになる と、 間もなく 頭 殿」 近 ひっき: <t つた。 「どうして 今 

まで 後れた のか」 と 仰せられ るので、 これく, V 今まであった こと を 巾され たと ころ、 「たと ひ 大人で 

あっても、 どうして 今 こんなに 勇ましい 行動が 出来よう。 よくも やった もの だ」 と 御- 悠 心に なられた- 

鏡の 宿 を 過ぎた から、 不 破の 關所は 敵が 守って るるから とて、 小關 を??^ つて、 小 野の 宿から:^、 海? 13 を 

右の 方に してお 逃げになる と、 雪 は 次第に 深くなる し、 Hi^ に乘る ことが 出來 ぬから、 物 具 を 著け て は 

却て 惡ぃ, たらう と 31 つて、 皆 鎧な ど を 脈ぎ 拾 てられた。 賴朝 は、 !;;!-上では誰にも劣り;^!はなぃが徒步 

になって は 常に 後れ 給うた が、 終に 一 行に 追 ひ 後れ 給うた。 

義朝は 漸くに して、 美 濃 國の靑 墓の 宿に お 著き になった。 こ、 は 以前から 馴染 の^い 御.: S であるから、 

それへ お入りに なられる と、 一方なら や 待遇し 奉った。 



一 一 義朝靑 墓に 落て, 著く 事 



Ill 惡 源太誅 せらる ふ 事 



1 義平は 近 

江國 石山 寺の 

逢に 忍んで る 

たが、 難 波 三 

郞經 房の 郎等 

に 生 捕られて 

六 波羅へ 連れ 

て 行かれた。 

これより 先、 

義平は 飛彈國 

へ ド つたが、 

義 朝が 討 たれ 

たと 聞え て義 

平に 從 つた 勢 

は 皆 心 變.5 が 

してた マ 1 人 

になった。 そ 

れで、 ^盛 父 

子 一 人な りと 

も 討た うと 志 

內景 澄の 下人 



永歷 元年 正月 二十 五日, 鎌 倉の 惡源 太、 近 江, 國石 山寺の 邊に 忍びて! Ii5 給 ひける を、 難 波, ニニ 

郞經 房が 郎等 生 捕り 奉って, 六 波羅へ _ 率て 參る。 去ぬ る 十八 日, 三條烏 丸なる 所に 紫れ おは 

しける を、 平家の 大勢 取り籠め けれども、 打破って 落ちられ けるな り。 其の 故 は惡源 太、 父 

の敎に 任せて、 山道 を 攻めの ぼらん とて、 飛驛, 國に 下り 給 ふに、 勢の 屬く 事斜 ならす。 然 

るに、 義朝討 たれ 給 ひぬ と 聞え しかば、 皆心變 りして、 我が身 一 人に なり ぬれば、 自害 をせ 

ん とし 給 ひしが、 徒に 死なん より は、 親の 敵の 淸盛 父子が 問、 一 人な りと も 討って、 無念 を 

5^,v i 朝) 

散 ぜんと 思 ひ 返して. 都に 上り、 六 波羅に 臨みて 窺 ひ 給ふ處 に、 左 馬頭の 郎等 丹 波,^ 國の住 

人 志內. M ハ郞景 澄と いふ 者に 行き 逢 ひ、 「如何に 汝、 日ごろの 契約 は。,: と 立へば、 「爭 でか 忘れ 

奉り 候 ふべき。 さりながら 身 不肖に して、 見知る 人 もなければ、 敵 を 計って 命 をつ がんと 存 

じて、 知る 者に ついて、 やがて 平家の 被官 となり 侍り。 御 目に 懸かる ぞ 幸なる。 如何 思;^:: す。」 

と 云 ひければ. 即ち 景澄を 憑み て 彼 を 主と し、 義平 下人に なって、 物 を 持って 六 波羅に 入り、 

敵に 近附 いて 窺 ひ みられけ り。 

© 窶れ 形 を かへ て。 © 山道 東 山道。 © 勢 の屬く 軍勢の 從ふ。 ©斜 ならす 一 通りで ない。 

澤山。 © 契約 主從の 情義。 © 不肖 愚な こと。 © 計って 欺いて。 © 被官 下役 人。 © 下人 下 都。 



の 如くよ そ ほ 

つて、 六波羅 

に 入って 敵に 

近附 かう と 窺 

つてる たので 

ある。 



家主が 終 

に 秘密 を さぐ 

り 出して、 こ 

のこと を 平家 

に吿 げたので 

經 遠が! 一; K: 餘 

騎で 押し寄せ 

たが、 義平は 

走...^ 出て 敵 四 

1 二 



永 暦 元年 正月 二十 五日、 鎌 倉の 惡源太 は 近 江 II の 石山 寺の 5?;- に ii^ れ てるら れ たが、 難 r お 三., 汕貍 1» 

のま 來が生 捕に し 奉って、 六 波羅へ 連れて 參 つた。 去る 十八 日、 京の 三條烏 丸の 所に 形 を かへ て 忍ん 

でる られ たの を、 平家の 大勢が 取り 園んだ けれども、 それ を 打破って 落ちられ たので ある。 その わけ 

は、 義平 は父義 朝の 云 はれる 通り、 東 山道 を 攻め上ら うとて、 飛 彈!: にお 下りに なられた が、 勢が 

一方なら ゃ從 ひついた。 ところが、 義 朝が 討 たれ 給うた と 世間に 知れた から 心 1- りして 離れて しま 

ひ、 義平は 自分の 身 一 人に なった から、 自殺しょう とされた が、 ゆ >i しく 死ぬ るより は、 親の 敬で ある 

淸盛 父子の 中 一 人で も 討って、 殘念な 心 を 慰めようと 思 ひ 返して、 都に 上り、 六 波羅に 近づいて、 樣 

子 を 見て るら れた ところへ、 義 朝の 家来で、 丹 波の II の 住人の 志 M 六郞 I 一: A 澄と いふ 者に 行き ひ T 汝、 

平素の 約束 はどう だ」 と 仰せられ ると、 「どうして その 御 約束 をお 忘れし ませう。 而し、 私 は 愚で、 生 

活に 困り、 知人 もありません から、 敵 を 欺いて、 命 をつな がう と 思 ひまして、 知る 人に 親んで、 すぐ 

平家の 下役 人に なりました。 御 目に か、 りました の は 幸です。 どう 思 召します か」 と 云った から、 早 

速、 I 澄 をた よって、 彼 を 主人と し、 義 平が 下人に なって、 物 を 持って 六 波羅に 入り、 敵に 近附 いて 

窺って 見られた。 

景澄 常にした、 めしけ るに、 下人と 一 所に あって 敢て 人に 兌せ ざり しかば、 家主 心 もとな く 

や 思 ひけん、 何となく 障子の 隙よ. り兑 居れば、 景 澄が 膳 をば 下人に 居 ゑ, 下人の 飯 をば ュが泣 

食 ひし かば, あはれ 此の 人 は 源氏の 郎等と 聞え しが、 疑 ひなき 惡源 太と やらん を 隠し^いて、 

六 波 羅を窺 ひ 申す にこ そ。 餘 所より 聞え ては惡 しかり なんとて、 急ぎ 平家に 此の 出吿 げたり 

しかば、 取る 物 も 取り あへ す、 十八 日 酉の 刻ば かりに、 難 波.' 次 郞經遠 三百 餘騎 にて 打 寄せ、 

四方 を 取り 卷 きて、 「鎌 倉の 惡源 太のお はします か。 六波羅 より 難波ノ ft- 郞經 遠が 御迎 へに 參 

惡 1^ 太誅 せらる、 事 三 三 五 



五 人 斬. c 伏せ 

小屋の 軒から 

ひらりと 上つ 

て 家镜に 逃げ 

失せた が 石山 

の邊 にる たの 

である。 



やがて 義 



,0 候 ふ。」 と 呼ば はりければ • 御曹司 袴の そば 高く 挾み、 石 切を拔 くま、 に 、「源 義平爱 にあり 

寄れ や 手柄の 程 を 見せん。」 とて 走り出で、 まっさきに 進みた る 兵 四 五 人斬り 伏せて、 小屋の 

軒に 手 打 懸け、 ひら, と 上りて、 家續 に何處 ともなく 失せ 給へ るが 石山の 邊に おはしけ るな 



© した、 めけ るに 食事す る 時に。 © 家主 宿の 主人。 © 心: 兀 なく 氣懸 りに。 © あはれ あ、。 

© 聞 えしが 評判だった が。 © 疑な き 確かな。 © 六波羅 清 盛の 邸。 ©餘 所よ. 9 他人から。 © 酉 

の 刻 今の 午後 六 七 時 頃。 © 御曹司 こ、 は義 平。 © 袴の そば 袴の 横の 端。 © 石 切 太刀の 名。 ® 

手柄 手な み。 腕前。 

6 景 澄に 何時も 食事す る 時に、 下人と 一 所に るて、 ちっとも 人に 見せなかった から、 沾の. :+; 人が 不 

審に 思った もの か、 ふと 障子の 隙間から て 居る と、 景 澄の 膳 を 下人に え、 下人の飯をば1^-澄が<13{ 

つたから、 あ、 この 人 は 源氏の 家来との 評判だった から、 確かな 惡源 太と か 云 ふ 人を隱 して 置いて、 

六 波 羅の樣 子 を 窺 ひ 申して るるのに 違 ひない。 他人から この ことが 知れて は惡 いだら うと 思って、 急 

いで 平家に この こと を吿 げたから、 早速 十八 日の 午後 六 時 頃に、 難 波の 次郞經 遠が 三百 餘駱 でお し 寄 

せ、 £ 方 を 取り 卷 いて、 「鎌 倉の 惡源太 はいらせられ るか。 六波羅 から 難 波 次郎經 遠が ぉ迎 ひに 參ゥま 

した」 と 呼んだ から、 義平は 袴の 横の 端 を 高く つまみ 上げて 挟み 石 切 を •一?^ くや 否や、 「源義 平が 此處に 

るる。 寄れよ、 腕前の 程 を 見せよう」 と 云って、 走.^ 出て、 113!; 先に 進んで るる 兵 を 四 五 人斬り 倒して、 

小屋の 軒に 手 をう ち 懸けて ひらりと 上って、 家の 屋根 を傳 つて、 何處 とも 分ら やお 逃げに なった が、 

石山の 邊 にいら せられた ので ある。 

惡源太 六波羅 にて 宣 ひける は、 「我れ 敵に 窺 ひ 寄らん とて, 或 時 は 馬を控 へて e: にた、 すみ、 



平 は 難 波三郞 

に 仰せて 六條 

河原で 誅 せら 

れる 事に なつ 

た。 義 平は少 

しも 臆せす、 

平家の 情の な 

いこと を ^り 

信賴の 自分の 

馆を 用るな い 

で、 今日 か、 

る 恥 を 見る こ 

とだと 恨んだ 

そして、 終に 

は 雷と なって 

蹴 殺して やる 

と 云って、 經 

を 睨みつ け 

た。 



一 二 



或 時 は 履 を 捧げて 緣に 至って、 相 近づかん とせし が、 運盡 きぬれば, 本意 を 達せ 1^ して、 生 

きながら 捕 はる、 事、 力なき 次第な り。 義平 ほどの 大事の 敵 を、 暫 しも © く 事 然るべ からす ( 

速に 誅 せられよ。」 とて、 其の後 は 物も宣 はや。 やがて 難 波 ニー 一郎に 仰せて、 六條 河原に 於て 誅 

せられけ るに、 敷 皮の 上に つて、 ちっとも 臆せ や. & されけ る は、 「敵ながら も、 平 ほどの 

者 を、 白晝に 河原に て 斬らる、 事 こそ 遣 恨 なれ。 去ぬ る 保 元に、 多くの 源平の 兵 ども. せら 

かた ほと. 《 

れ しか ども、 晝は西 山. 東 山の 片邊 にて 斬り、 たまく 河原に て 斬らる、 を も, 夜に 人って 

こそ 斬られけ る なれ。 弓矢 取る 身の 習 は、 今日は 人の 上、 明日 は 身の上に て ある もの を、 平 

家の 奴 ばら は、 h 下 共に すべて 情なく、 物 も 知らぬ 者 どもな り。 去年 熊 野 gi の 時 * 路 次に 馳 

せ 向って 討たん とい ひし を、 赚し 寄せて 一 度に 滅ぼさん と、 信顿 とい ふ不 人が いひし につ 

いて、 今日 斯 かる 恥 を 見る こそ 口惜し けれ。 湯淺. 藤 代の 邊 にて、 取り めて 討つ か、 安倍 

野の 方に 待ち受けて、 一 人も殘 さや 討ち取る ベ かりし もの を。」 と宜 へば、 難 波 ニニ 郞 「これ は 

のち ことば わら 

何の 後 言 をい はせ 申し 候 ふ ぞ。」 と 申せば、 惡源太 あざへ 一、 つて、 「いしう 云うたり。 げに 我が 爲 

し 上さ 

には爭 はぬ 後 言ぞ。 やれ 已は篛 平が 首 打つ 程の 者 か。 晴の 所作 ぞ、 能う 斬れ。 惡 しう 斬るな 

らば. しゃ 顿に 樊 ひっかん やる ぞ。」 と宣 へば、 「を この 事 を 仰せら る、 もの かな。 何で ふ 我が 

手に かけ 奉らん 首の, 爭で かつらに は 喫 ひっき 給 はん。」 と 申せば、 「誠に 只今 i 人 ひっかん する 

いかづち 

に は あらす。 終に は必す 雷と なって、 蹴 殺さん する ぞ。」 とて- 殊更 首 高らかに^ し^げ 給へ 

ミ. -事 三 三 七 



三 三 八 

ば- 經房 太刀 を拔き 後へ 廻れば T 能う 斬れ。」 とて、 見 かへ りて 睨まれけ る 眼 ざし は、 實に凡 

人と は 見え ざり けり。 (卷 二) 

6 © 馬を控 へて 馬 をと めて、 © 本意 本望。 平氏 を 討つ 望み。 © 力なき 致し方の ない。 © 然る 

ベから す よろしくない。 © 直って, 坐って。 © 弓矢 取る 身 武士の 身。 © 奴 ばら 奴等。 © 物 も 知 

らぬ 物の 道理 も 知らぬ。 ©路 次 (中。 ©賺 し 寄せて だまし 寄せて。 @不£^:ー人 5:见 悟の 足 ない 

人。 © 湯 澤* 藤 代 和歌 山驟の 南方の 地名。 © 安倍 野 攝津國 "来 成 郡に ある 野。 今は大 15: 市 天 王寺區 

に 入って るる。 © 何の 後 言 何と 云 ふ 下らぬ 後に なって 云 ふよ まひ 言。 © いしう よくも。 感心に。 

©爭 はぬ 相違ない。 ©晴 の 所作 名譽な 行お。 © しゃ そやつ の。 © を こ を かしな。 愚な。 © 何 

で ふ どうして。 © つかん やる つかん とする、 の 約。 ©si ざし ^つき。 

i 惡源 太が 六 波羅で 仰せられ たに は、 「我 は 敵. S 樣子を 窺って 近づかう と 思って、 谛, 時 は 馬 をと め 

て 門に 佇み、 或 時には 履 を 以て 緣の ところに; 仃 つて、 相 近づかう としたが、 ^が盡 きたから、 本望 を 

達しないで、 生きながら 捕 はれた 事 はどうす る 事き 出來 ない 事で ある。 義平 ほどの 大事の 敵 を 暫く も 

生かして 置く の はよ ろしくない。 ねに 殺せよ」 と 云って その後 は 一 言 も 仰せられない。 やがて、 難 波 

三郎に 命じて、 六條 河原に 於て 殺させる 事に したが、 義; 牛 は 敷 皮の 上に 坐って、 少しも 臆せす に 申さ 

れ たに は、 「たと ひ 敵であって も、 義: 午 ほどの 大事な 者 を. E 晝に 河原で 斬られる のは^ 念で ある。 去る 

保 元の 亂の 時に、 多くの 源: 牛の 兵 どもが 斬られた けれども、 晝は西 山 • 東 山の 邊で 斬り、 稀に 河原で 

斬られた の も、 夜に なって 斬られた ものである。 「り 矢 取る 武士の 身の 常と して、 今日は 人の 上が 明日 

はわが 身の上になる ものであるのに、 平家の 奴等 は 上 も 下 も 何れも 人情が なく、 もの、 道理 も 知らぬ 

者 共で ある。 去年 淸 盛が 熊 野詣の 時、 途中に 馳せ 向って 討た うと 云った のに、 欺し 寄せて、 一度に 滅 

ぼ さう と 信 賴と云 ふ 卑怯者が 云った に從 つて、 今日は こんな 恥 を るの は殘 念で ある。 湯 淺ゃ藤 代の 



i 賴 朝は宗 

の 許に 預け 

られ てるた。 

今 m 明日 誅せ 

られ ると 聞い 

て、 宗 ifS は賴 

朝に 生命 を 助 

からう と は 思 

はぬかと^^^ね 

ると、 は 

飢 先の 父 仰-兄 

1 三 



邊 に-取り 園んで 討つ か、 安倍 野の 方に 待ち受けて 一 人 も 殘さ卞 討ち取る 箬 であった のに、 残念な 事 を 

した」 と 仰せられ ると、 雞 波三郞 「これ は 何にも ならぬ 後から 3 よまい 言 を 仰せられる のか」 と 巾す 

と、 義: 牛 は あざけ h 笑って 「よくも 云った。 たしかに 我に とって は 後 1:: "である。 やい、 贵棣 はこの 義 

平の 竹 を 打つ 程の 身分の 者 か。 名譽の 行^ ぞ、 上手に 斬れ。 下手に 斬ったら、 €;2^樣奴の頓に喫ひっか 

ぅぞ」 と 仰せられ ると、 「H^ 鹿な 事 を 仰せられる ものである わい • どうして わが 手で 斬 b 奉る^ が顿に 

喫 ひっきな さらう」 と. S- すと 、「本 赏に今 喫 ひつく ので はない。 終にはきっと-^.3.^なって、 蹴 殺さう ぞ」 

とて、 殊更 首 を 高く さし 擧げ になる ので、 經ー:^3が太刀を拔ぃて後へ迥ると、「上手に斬れ」 と:. ム つて、 

お: 返 つ て 睨まれた 眼 付 は. K に 平凡な 人と は 見えな か つ た。 



一三 賴朝遠 流に 定めら る. -事 



兵衞, ^佐 は、 未だ 宗淸が 許に おはしければ、 尾 張ぶ 寸. 



-、 丹 波.^ 藤 三圃弘 とい ふ 小 一 人附け 



られ けり。 旣に 今日明日 誅 せられ 給 ふべ しと 聞え しかば, 宗淸 「御 命 助からん と は, m 力 Z し 

i) 

候 はす や。」 と 申しければ、 佐 殿 「去ぬ る 保 元に 多くの 叔父 親類 を 失 ひ, 今度の 合 戰ゅゑ 父 討 

たれ、 兄弟 皆 失せ ぬれば、 僧 法師に もな つて、 父祖の 後世 をと はば やと m 心へば, 命 は しき 

ぞ とよ。」 と宣 へば、 宗淸も哀に覺ぇて、「尾張,守の母池禪尼と巾すは、淸盛の爲には|^::^にて 

おはし ませ ども、 重く 執し 給へば、 彼の 方な どに ついて. & させ 給 はば、 ^し 御 命 は 助かりお 

はします 一 5^ も 候 ふべき もの を。 彼の 尼 は 若く より, 慈悲 深き 人に て 御 • 波り 候ぶ。 共の 卜; 一 n 

m.s 流 に め ら る \ 事 三 三 九 



三 四 



弟の 後世 を 弔 

ふために 是非 

生きたい と 答 

へたので、 宗 

淸は憐 に 思つ 

て、 す ic 盛の 繼 

母の 池禪 尼に 

鋭 朝 ^{ れ貌が 

禪 尼の 子の 故 

家 盛 に似てる 

ると 云 ふ 事 を 

話して、 禪尼 

の 慈悲 者で あ 

ると 云 ふのに 

すが つて 頼 朝 

の 命乞 ひ をし 

た。 すると、 

禪 尼の 心が 動 

いて、 ま 盛 を 

呼んで 賴 むと 

重 盛 は 父に こ 

の 事 を 申した 



參っ て 候 ふ 時、 『己が 許に 賴 朝が あなる は、 如何なる 者 ぞ。. て」 問 はせ 給 ひし かば、 『御 年の 程よ 

り 殊の外お となし やかに 候 ふ。 其の 姿 右 馬ノ助 殿に、 いたく 似 まるら させ 給 ひて 候 ふ。』 と 

しし かば、 世に ゆかしげ に 思 召した る御氣 色に てこ そ 候 ひし か。」 と 語り 申しければ、 「それ も 

たれび と た 

誰 人 か 申して 給ぶべき。」 と 宣 へば、 「さも 思 召し 候 はば、 かな はぬ まで も 某 申して 見 候 はん。」 

とて、 池 殿へ 參り T 何者が 申して 候 ふやらん、 上の 大 慈悲 者に てお はします とて T あはれ 賴 

朝が <1 叩 を 申し 助けさせ 給へ かし、 父の 後世 弔 はん。」 と 申され 候 ひしが、 痛 はしく 候 ふ。 然る 

べき 様に 御 計ら ひも 候へ かし。」 と 申せば、 「そ も 頼 朝に、 尼 を 慈悲 者と は * 誰れ か 知らせけ る ( 

いさとよ.' 故 刑 部 卿の 時 は、 多くの 者 を 申し 免し しか ども、 當事は 如何 侍らん。 さても 右 馬, 

助に いたく 似た るらん 無慙 さよ。 家 盛 だに あらば、 鳥に なって 雲 を 凌ぎ、 魚に なって 水に も 

入り、 誠に 來世 にても 逢 ふべ くば、 只今 死しても 行かん と 思ふぞ とよ。 さていつ 斬らるべき 

に 定まりた る ぞ。」 と宜 へ ば、 「十三 日と こそ 聞え 候へ o」 と 申せば、 「かなに ^まで も、 巾して こ 

そ 見め。」 とて、 小 松 殿 其の 時の 勳 功に. 伊豫ぶ 寸に 成り 給 ひしが、 正月より 充馬ノ 頭に 轉じ給 

へ る を 呼び 奉つ て T 賴朝が 尼に ついて 1. 侖を 申し 助けよ、 父の 後世 問 はん。」 と 申すな るが、 

, ふび 4 お-さなお ひ 

餘 りに 不便に 候 ふ。 能き 様に 申して 給べ。 殊に 家 成 C か稚 生に、 少しも 違 はすと 聞けば • 懐し 

うこ そ 侍れ。 右 馬ノ助 は、 それの 御爲 にも 叔父 ぞ かし。 頼 朝 を 申し 助けて、 家 盛が 形 兑に尼 

に 見せ 給へ。」 と宣 ひければ、 重盛參 つて • 父に 此の 由 申されけ り。 



6 © 父祖 父 や 祖父。 © 後世 を 弔 ふ 來 世に 於て 幸福で あるよう にと 祈る こと。 ©,T? はば や 吊 ひ 

たい。 ば や、 は 希望の 助詞。 © 池禪尼 藤原宗 兼の 女。 忠 盛の 妻。 ©_ま く 執し 大切に 取扱 ふ。 ©t 似 

の 方 池禪 尼。 © あなる あるなる、 の 約。 © おとなし やか 大人ら しい。 @ いたく 大變。 s?: に 

ゆかしげ 大變懷 しさう に。 © さも 思 召し 候 はば 助かりた いと 思 召されるなら。 ©卟 はぬ まで も 

出 來ぬ迄 も。 © 某 私。 © 池 殿 禪 尼の 居所。 © 上 池禪 尼の こと。 © 然るべき 様に どうかよ ろし 

いやう に。 賴 朝の 助かる やうに。 © いさとよ いや。 否。 ©常 時 は 云云 今日は 免して くれる かどう 

,たかしら。 © 無慙 さよ 可哀相, たな。 © 鳥 になり て 云云 空 を 飛ばう が、 水に 入らう が、 苦しい と は 

思 はない。 © 不便 可哀相。 ©稚 生 幼い 時の 餌 立。 © 父 itM 盛。 

S 賴朝 はま だ宗せ 5 の 所に 預けられて おいでにな つたから、 丹 波 藤 三 阈弘と 云 ふ 小 侍 を 一人 附 けられ 

た。 もはや 今日明日の 中に 誅 せられな さる だら うとま ふ 評判であった から、 宗 は 魁 朝に,: 1: つて、 「御 

命 を 助からう と は 思 召され ませぬ か」 と 申した ところ、 頼 朝 は、 「去る 保- 兀の亂 に 多くの 叔父 や 親频を 

殺され、 今度の 合戰 のために 父 を 討 たれ、 兄弟 はル " 死んだ から、 ^^にで もな つて、 父 や 肌 父の 後世 

の 冥: i を 祈りたい と 思 ふから、 命 は Is しい わい」 と 仰せられ ると、 宗^_:£も氣のポ$に思って、「ぉ張守の 

母池禪 尼と 申す 方 はは, S 盛の 爲に は繼 母で いらせられる けれども、 itw 盛が 大切に お 取扱 ひに なられる か 

ら、 尼に 頼って、 命 請 ひ をお 申しに なられましたならば、 若しかしたら 御 命 はお 助かりに なられる 事 

も あるか も 知れぬ と 思 ひます。 その 尼 は 若い 時から 慈悲 深い 人で いらせられます。 そい 上、 先 H 私が 

禪尼 のと ころへ 參 りました^、 尼が r そなたの 所に 賴 朝が るる さう だが、 何ん な 者 か』 とお ひに な 

りました から、 私が 『御 年の 顷 合より は 特別 大人ら しく ございます。 その 姿が お liil- 助 殿に 大變 似て.; I? 

いでになります」 と 申しましたら、 大變 懐し さう に 思 召した 御樣 子で ございました」 と^り 申したら、 

賴 朝が 「その 命 請 ひの 事 も 誰が 尼に 申して 下さる だら うか」 と 仰せられる ので、 「さう 思 召されます な 

一 三 賴朝遠 流に 定めら .0.- 事 三 四 1 



三 四 二 



8 ^盛 は 聞 

いて、 賴朝は 

並々 の もので 

はない から、 

助け 置き 難い 

と 云って 聞 入 

れ ぬので、 そ 



ら、 出来な いまでも、 私が 申して 見 ませう」 と、 宗^^5は池殿へ參..^、「何者が5-しましたのですか、 あ 

なた 檬が大 へん 慈悲の あるお 方で いらせられる とて、 賴 朝が、 あ、 どうか 賴 朝の 命 を賻 尼に a- して 助 

けて 下され、 父の 後世 を 弔 はう、 と 申された のが 氣の 毒で ございます。 どうかよ い 様に 御 :4 計ら ひ 下 

さい ませ」 と 申す と。 尼に、 「さて 賴 朝に、 この 尼 を 慈悲 者と は 誰が 知らせた のか。 いや、 故 刑 部 卿が 

生 さて tQ られた 時に、 多くの 者 を 申し 免した けれども、 今日は 51^ が變 つてる るから どうで あらう。 そ 

れ にしても 賴?^ が 右馬助に ひどく 似て るるの は 可哀相な ことよ。 家 盛 さへ るれば、 鳥に なって ih- 高く 

飛び、 魚に なって 水に 入っても 苦しい とに 思 はない。 本 當に來 世で 逢 ふこと が出來 るなら、 今 死んで 

も; 仃き 度い と 思 ふわい。 して、 賴 朝ば 何時 斬られる ことに 定まった のか」 と 仰せられる ので、 「十三 日 

と 云 ふこと でございます」 と 申す と T 出來 ない 迄 も 申して 見よう」 とて、 重 盛が その 時の 動 功に 依つ 

て、 伊豫 守に お成りに なった が、 正月から 左 馬頭に ぉ韓 じに なって るるの をお 呼びして、 禪尼は 「賴朝 

が この 尼に 賴 つて 『命 を 申し 助けて 下され、 父の 後世 を 弔 ひたい」 と 申す ので あるが、 あま. 5 に可哀 

相であります。 よい 檬に 申して 下さい。 殊に 賴 朝が 家 盛の 稚ぃ 時の 容貌に 少しも 違 はない と 云 ふこと 

だから 懷 しう 思 ひます。 右馬助 は そなたの 御^に も 叔父であります ぞ。 賴朝を 申し 助けて、 家 盛の 形 

E, 凡に この 尼に 見せて 下され」 と 仰せられ たので、 重 盛 は 参って 父に この 事情ん,. 申された。 

ことの さズ 

淸成战 聞いて、 「池 殿の 御 事 は, 故 殿の 渡らせ 給 ふと 3 わ ひ 寧れば、 如何なる あま 逆さまの 仰な り 

おちき こと 

とも、 違へ じと こそ 存 やれ ども • 此の 事 は ゆゆしき 重 事な 



-。 伏 見 ノ中納 言 • 越後 ノ中將 など 



が 様なる 者 をば、 何十 人助け 置いたり とも、 大事 ある まじ。 大抵 弓矢 取 る^の 子孫 は、 それ 



に は 異なるべき 上、 篛朝 などが 子供 は、 幼く とも 仔細 あるべき もの を。 殊に 頼 朝 は官加 ゆ:..、 

兄に 超 ゆる は、 ゆ、 しき 所が あるに や。 父 も 兌と がめ 侍れば こそ. 重 の 中に も、 取り分き 



れを 聞いて 禪 

尼 は 食物 も 取 

れぬ 程に 心痛 

した。 ま 盛 は 

今度 は賴 盛と 

共に 重ねて 尼 

の 懇願 を傳へ 

几つ 自分の 意 

を も 申して 

ひたすら 乞 ふ 

たが、 十三 日 

の誅 せられる 

べき 日 を 延べ 

ただけ で、 確 

かな 返事 をし 

ない。 その 間 

頼 朝が 小さい 

卒都婆 を 作つ 

て 父^ 兄弟の 

供養 をしたり 

したの を 聞い 

て 、 ^T. 匕 よ 

よく 痛 はし 

く 思った か 

ら、 いろく 



祕藏の 御^な ど與 へけ め。 かたぐ 助け 置き 難き もの を。」 とて、 以ての外の 氣 色な り。 左 馬ノ 

頭 歸り參 つて、 かな ひ 難き 題目なる .5、 申されければ、 池 殿; S を 流して、 「あはれ 戀 しき 昔 か 

な。 忠 盛の 時なら ば • これ 程に 輕くは 思 はれ 奉ら じ。 一 門の 源氏せ: r び 侍り。 あの 幼き^ 1 

人助け 置かれたり とも. 何ば かりの 事 か 侍らん。 前の世に 賴 朝に 助けられ ける 故 やらん, 間 

くよ, ci? よ, しく 不 更に 寺る ぞ とよ。 御身 を 疎と は 思 ひ 奉らね ども • 1 は 使 がらと 巾す 察の 侍 

れば, など まめ やかに 打ロ說 きて, なほ かな はすして 終に 失 はれば * li^ がか ひなき 命 化き て 

も 何 かせん。 共の 上、 4^馬, 助が 面影に 似たり と 聞く より, いつしか 家 盛が 事 思 はれて、 はた 

と S 考か り、 湯水 も 快く 飲まれねば、 自ら 久し かるべし とも 覺ぇ 侍ら や。 あはれ:^ が 命 を 生 

かさんと 思 召さば、 兵衞. ^佐 を 助けて 給へ かし。」 と 歎き 給へば、 重 盛 も 迷惑せられ ける が、 

泪を 抑へ て、 「さ 候 はば • 今 一度 御 餘の趣 を、 申して こそ 兑候 はめ。 同じく::^ 張 殿 を も 添へ 巾 

され 候へ。 諸共に 仰の 由 委しく 語り 侍らん。」 とて • 頼 盛と 共に、 ねて 此の 巾 を 巾され けれ 

ば. 淸盛 もさす が 岩 木なら ねば、 案じ 烦 はれけ るに、 蔑 盛 「女性の いわけな き 御 心に ひし 

づ みて e. させ 給 ふ 事 を、 さの みは 如何 仰せ 候 ふべき。 然るべき 御 計 ひも 候 はすば、 御 恨み、 S 

く 候 ふべ し。 あの 頼 朝 一 人誅 せられ 候 ふと も * 盡 きん 御 Ei^ 報の 長久なる べきに あらす。 常- :!^ 

の 運 末になら ば、 諸國の 源氏 何れ か 敵なら ざらん。 又 助け S かれた, りと も, 榮耀 後^に 及ぶ 

ことわり たしが 

ベく ば、 何の 恐 か 候 ふべき。」 と、 理を盡 して 中され ければ. 先づ 十三 口 をば 延べられて、 ほ 

紐 朝 遠 流に i やわらる、 事 三 四 三 



三 四 四 



J 申して 流罪 

【定まった。, 



の 返事 はな かりけ り。 然れば 今日 斬らる、、 明日 失 はる/など 聞え しか ども、 其の 日 も 延び 

ければ, 兵 衞ノ佐 これ は 偏に 氏神 八幡 大 菩薩の 御 助な りと、 いよいよ 心中に 祈念 深く ぞ おはし 

ける。 かく 一 日 も 命 延びたら ば 念 佛をも 申し 經を も讀 みて • 父の 後世 を 吊 はんとて • I 十ぎ I- 

を 作らん とし 給へ ども, 人、 刀 を 許し 奉らねば、 丹 波, i 勝 三 を 語らって • 小刀 並に 木の きれ を 

乞 ひ 給へば、 國弘 「何事の 御手す さび ぞゃ。 頭 ノ殿を 始め ま ゐられ て、 御兄弟 多く 失せさせ 

給 ふに、 御 經をも あそばさで。」 と 申せば、 兵 衞-佐 天下に 物 思 ふ 者、 我れ に g る 人 あら じと 

こそ 思 へ 。 去年 三月に 母に 後れ、 今年 正月 父 討 たれ 給 ふ。 義平 • 朝 長に も 別れ 奉る。 されば 

此の 人々 の 菩提 を も 問 はんと 思 ひて、 卒都婆 をな りと も 作らば やと 思 ふ 故な り。 就ね. 故 頭.' 

殿の 六 七日 も 今 曰 明日な り。 四十九日 も 近づけば、 k なる 供佛施 僧の 儀 こそ かな はすと も- 

それ をせ めての 志に せんと 思へば、 刀を尋 ぬるな り。」 と {ー 且 ひければ、 國 弘も哀 にお ぼえ て. 

彌平 兵衞に 此の 由 を 語れば、 宗淸 感じ 奉って、 小さき 卒都婆 百 本 作って 奉る。 自ら も?!^ だ 書 

あつら 

寫 して、 或 に 誘へ て、 形の 如く 供養の 儀をぞ 遂げられ ける。 池 殿 かやう の 事 ども を 聞き 給 

ひて、 いよくいた はしく 思 召しければ、 様々 に 申されて 流罪に ぞ 定まりけ る。 (卷; 二) 

© 放 殿 忠盛。 ©め ま 逆さま 天が 逆さまになる ことで、 即ち 無理な 仰せ。 ©途 ふま じ 奴く ま 

い。 ©ゅ 、しき 非常に。 ©官 加 階 官職 昇進。 © ゆ 、しき 所 えらい 點。 ©:3- とがめ 見込み をつ 

ける。 ® 取り分き 取り分けて。 特別に。 © 秘藏 大切に しまって 置く。 © かたがた 色々 の點 で。 

© 以ての外の 案外な。 © 題目 倏件。 問題。 ©輕 く は 云云 輕蔑 はされ まい。 ® 御身 重 盛 を さす。 



© 使 がら 使者の 言 ひ樣。 © まめ やか 熱心。 ©久 しかるべし 長く 生きる だら う。 御;?^ 仰せ, 

© さすが 岩 木なら ねば 岩 や 木の 如く 無情で はない から。 やはり 人情 は あるから。 © いわけな き 幼 

稚な。 © さの みは 云云 そんなに 强く 仰せになる の は どんな もので せう。 © 後輩 子孫。 ©理 を^し 

て 道理 をつ くして。 © 十 三日 討せられ る ことに 定まって るた 日。 © 氏神 八幡 大 菩薩 源氏の 氏祌 

である。 八幡 は 祌號、 大 菩薩 は佛、 神佛混 滑の あら はれで ある。 © 卒都婆 梵 li^r 死者の 骨 を 埋めた 

箇所の 標 として 築いた 塔。 又、 墓の 後に 立てる 上部の 塔 形 をした 細長い 柄、 經文乂 は 梵字な どや」 しる 

した もの。 © 手す さび 手慰み。 @ あら じと こそ 思へ あるまい と 思 ふ。 © ^はん ? ひたい。 

に 後れ 母に 死別れ。 賴 朝の 母 は、 熱 田 大宮司 藤 原 季範の 女。 © 六 七日 四 十九 日。 ©殊 なる 特別, 

の。 © 供 佛施僭 佛へ 供物し、 僧に 布施す る こと。 @ せめての 精一ば い。 ありったけ。 © 造 立 卒 

都 婆 を 作る こと。 © 書寫 經 1^ を^す こと。 ©fS へて 鎮ん で。 © 形の 如く 形ば かりの。 

@ 盛 は 聞いて、 「池 殿の 御 事 は 故 殿のお いでに なられる と 思 ひ 奉る ので、 何んな^^现にそむく仰せ 

でも 逮 ふまい と 思 ふけれ ども、 この 事 は 非常に 重大な 事で ある。 伏 兑中納 言 • 越後 中將 などの 樣な者 

は 何十 人助けて 置いても 大した 事 は あるまい。 大低 弓矢 を 取る 者の 子孫 は これらの 者と は 異なって る 

る 上、 義朝 などの 子供 は 幼く とも 中々 面倒が あるに 違 ひない もの を.: S して 置く の は考へ もの, た。 殊に 

賴朝は 官位 も 兄に 超えて るるの は、 偉い 點が あるから であらう か。 義朝も 賴朝を 認めて るるから こそ" 

源氏 重代の 物 具の 中で も 特別 秘藏の 物 具な どを與 へたので あらう。 あれこれ 考 へて 見る に、 助け 置き 

にく ひもの だから」 と 案外, たと 云ふ樣 子で ある。 重 盛 は 蹄り 參 つて、 賴朝を 助ける こと は出來 難い ii: 

題で ある こと を W- された ところ、 池 殿 は淚を 流して 、「あ、 昔の 戀し いこと, た。 忠 盛の 時なら ば これ Si 

に輕々 しく は 思 はれ 奉るまい。 一門の 源氏 は^ 減び ました。 あの 幼い 者 一人 助けて K かれた ところが 

何の 大した 心配な 事が ありませ う。 私 は 前世で 賴 朝に 助けられた 爲 であらう か、 閒 くと すぐ 氣の IS で,^ 

哀 相に 思 ひました。 あなた を 疎々 しく は 思 ひ 奉らない が、 1 は 使の 者の 言 ひ 方に 依る と す 事が あり 

一三 頼 朝 遠 流に 定めら る. -事 三 四 五 



三 四 六 

ますから、 も 一度 熱心に i3S 盛に 說 いて 見て 下さい。 それでも 卟 はないで 終に 親 朝が 殺されるなら、 こ 

Q 尼の 生き甲斐の ない 命 を 生きて るても 何に ならう。 死んで しま ひませ う。 その上、 右馬助の 面影に 

似て るると 聞いて から は、 何時しか 家 盛の 事が 思 ひ 出されて、 ぴったりと 胸が 塞 :,- つて、 湯 や 水 もろ 

く?/ \飮 ま ないから どうせ 長く 生きられる とも 思 にれ ません。 あ、 この 尼の 命 を 助けようと & :3 召さ 

れるな ら、 賴朝を 助けて 下され」 とお 歎きになる ので、 重 盛 もどう したら よから うと 惑 にれ たが、 淚 

を 拭いて、 「それで ございましたら、 も 一度 仰せの 次第 を 甲して 見 ませう。 一緒に 尾 張 殿 もお 添へ 下さ 

い。 一 緒に 仰せられる こと を 委しく お話しし ませう」 とて、 賴 盛と ハに 重ねて この 事情 を 申された と 

ころが、 ^ls盛もゃはり人情はめるから、 考へ 困られた が、 重 盛が、 「女の 単純な 御 心に 思 ひ 沈んで 中 さ 

れ たこと を そんなに つれな くどうして 仰せに なられる のでせ うか。 よい 樣に お計ら ひが ございませね 

ば、 深く 御 恨みになる でせ う。 あの 賴朝ー 人 斬られました ところが、 盡 きるべき 御杲, #が 長く 久しく 

ある わけはありません。 當 家の 運が 傾きましたならば、 賴 朝でなくて も、 諸國の 源氏の どれでも 敵で 

ない ことはありません。 又 賴朝を 助けて 置かれても、 その子 孫まで 榮華 を:^ めましたら 必ゃ 滅びます 

から、 可の 巩 3 ろしい こと も ありま ぜん」 と 道理 をつ くして 申された から、 先 づ甘を 斬る 十三 日 を 延べ 

られ て、 たしかに どうす ると も 返事はなかった C だから 今日 斬られる、 明日 殺されるな どと^した が- 

その 日 も 延びた から、 賴朝 はこれ は 全く 氏神の 八幡 大 菩薩の 御 助 だとます く 心中に 深く 祈念した。 

かく 一 日で も 命が 延びたら、 念 佛をも 申し、 經を も讀ん で、 父の 御世の 冥福 を 祈らう とて、 卒塔婆 ど 

作らう とされた けれども、 誰 こそ 刀 を 手に する の を 許して くれないから、 丹 波の 藤 三に 相談して、 小 

刀と 木の 切 をお 乞 ひになる と、 國弘が 「何 を 手慰みに される のか、 頭 殿 を 始め 奉って、 御兄弟が a- 山 

お失せに なられた のに、 御經. ^もお 讀み にならないで、 そんな 手慰みな ど あそばして」 と 巾す と、 敏 

朝 は T 世の中に 自分よりも 深く 物 思 ひする 者 は あるまい と 思 ふ。 去年 三月に 母に 死に^れ、 今年 正お 

一 に 父が お 討れ に なられた。 義平 • 朝 長に もお 別れした。 だから この 人々 の 成佛を 祈らう と W ランて、 卒 



婆たり とも 作. o たいと 思 ふから, た。 中に も、 故 頭 殿の 1: 十九 日の 忌日 も 今日明日で ある。 その H: 十九 

日 も 近づいた から、 特別の 伪佛ゃ 施^ は 出来ないでも、 卒都婆 をせ めての 志に しょうと 思 ふから、 刀 

を 尋ねる ので ある」 と 仰せられた から、 國弘も 深く 感じて、 彌平 兵衞 にこの わけ を 話す と、 宗 も ぼ 

心し 奉って、 小さい 卒都婆 を 百 本 作って さし 上げた。 そして 賴朝 自ら も 卒都婆 を-休り、 御 lg を:^ して 

ある 僧に 賴ん で、 形 だけの 供 ti の 儀式 をす ました。 池 殿 はこの やうな 事 をお 閗き になって、 ます 

氣の 毒に 思 召した から、 色々 にセ, S 盛に 申されて 流罪に 定 つた。 



平 治 物 語 I 終 ー 

三 頼朝1?^3流に定めらる、事 . 三 四 七 



昭和 十一 年 六月 十日 印 ^ 

昭和 十一 年 六 月 十五 日 發 行 



定價 金壹圓 八拾錢 




著作者 中等 國文 研究 協會 



東京 市 神 田 K38 町 二 丁;; J 

發 行者 藤. 井 富之勒 



束 京 市 种 田 E 錦 町 二 丁目 

严刷; 者 :莊. '^ ; & ,3:; 刷— 辦 



發行 東京 市 神 田區錦 町 手 莊文社 



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